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【2014国際青年リレー行進】マニシャ・ガウルさんの日誌(7月31日)

7.31(1)

平和の友人のみなさん、

また私のウォーク・トークにようこそ。

今日は午前10時、東広島市役所に集合しました。藏田義雄市長と市議会の寺尾孝治議長が開会あいさつをされ、行進が成功するよう激励してくれました。また、ベテラン行進者の竹田さんを称賛し、原水協への募金もしてくれました。私とソフィアもスピーチしました。

原水協のチームが募金箱を持って行進し、平和行進が通る地域の家々やお店から募金を集めます。今日は他に12団体が平和行進を支援し、参加してくれました。

名前を全部覚えていませんが、労働組合、新婦人、民商の人々、年金者組合のメンバーなどです。東広島市原水協事務局長の綿岡早苗さんがすべてのプログラムを取り仕切ってくれました。

広島大学を退職された佐藤くかたさんとちよみさんがこの日通訳をしてくれました。くかたさんは元広島大学教授で、日本の歴史から現在の状況まで何でも知っています。農業、経済、文化そのほか日本のいろんな面について教えてもらいました。また、日本の精神的な強さ、仏教の伝来と全国に浸透したことについても、すべてくかたさんから聞きました。歩きながらこのようなことについて話し、学ぶことができるのは素晴らしいです。

今日最後の休憩は東広島市黒瀬町でした。黒瀬町の責任者の方が伝統的な日本茶を振舞ってくれました。飯田中学校バス停のところで平和行進は正式に次の地域に引き継がれました。

そこから私たちは車で仁方に移動しました。宿泊はビューポート呉ホテルでした。

夕食はインド料理のレストランに行きました。ワオ!日本でインド料理とは、なんて嬉しいんでしょう。

思いやりに感謝します。

[…]

【2014国際青年リレー行進】ソフィア・ウォルマンさんの日誌(7月30日)

7.30(1)

7月30日

高原市役所で市長室職員からあいさつを受け、10:30頃に市役所を出発しました。

高原市役所での朝の集会

私たちの行進の人数は20人ぐらいと、ここ数日は少しずつ少なくなり、若い人の参加者も減ってきていますが、みんなまだ元気いっぱいです!

今日は行進の間に何度も休憩を取り、実際の行進の間に車に乗っての移動も多かったので、場所によって全く様子が異なる一日でした。私たちは市街地の周辺を歩き、最初の休憩場所でこの小豆のあんが入った美味しい揚げ菓子を買いました。

別の市の建物内でお弁当を食べ、今日の行進のコーディネーターが持ってきた日英の翻訳機械を使って楽しく過ごしました。科学技術にはなんて驚かされるのでしょう!彼はエドワード・スノーデンの本(まさに米国のおこないに対するもう一つの告発!)を読んでいる最中だと話してくれました。

伝統的な芸術作品が展示されている地域組織のコミュニティセンターのようなところで、グアムかフィリピン出身のとてもフレンドリーな女性に会いました。彼女は猛暑の中を歩く私たちに同情していました。 でも正直に言うと、この暑さのなか毎日歩くことは、日を追うごとに大変でなくなってきています。そしてまた、家から遠く離れて日本にいる理由はもちろん、平和のために歩くことだからです!だからこのことが私に必要なモチベーションの全てなのです。それにたくさんのお水も。あまりしゃべりすぎて健康を害さないようにしないと!私のボスで先生であるジョゼフ・ガーソンに2010年のビキニデーとNPT再検討会議行動で会ったことのある2人の女性と話しました。私はこのように有名で尊敬されている平和活動家と知り合いで、アメリカフレンズ奉仕委員会の一員であることを本当に光栄に思います!この日の行進が終わって4時ごろ、ちおみさんという女性の運転でとてもドラマティックな山並みの中を40分ぐらいドライブし、私たちが今夜泊まる東広島まで行きました。

この間、世界中で暴力と抵抗が湧き上がっているような感じがします。ガザではまた学校が、そして唯一の発電所もイスラエルによって爆撃されました。ガザ地区全体が停電になったはずです。地区内のほとんどの部分はイスラエルによって立ち入り禁止とされています。 また新たな土地の強奪なのでしょうか?昨年の世界大会で知り合った日本の友人たちは、沖縄の恐ろしい基地建設の進行と、驚くほど勇敢な人々の抵抗運動を投稿しています。

この平和行進はとても力を与えてくれます。その力は、一つにはこのような動乱と暴力の時に、私が今の任務に没頭しながらどう感じているかを通じて与えられています。今の私は、深く関心を寄せるこの【パレスチナの】たたかいに直接は役に立っていないかもしれません。しかし私が毎日感じていることが、おそらくこれまでにないほどの強い決意と集中力を私の中に叩き込んでくれています。 私はたくさんの謙虚さと力の両方を授かっているように思います。なんて素晴らしい贈り物でしょう。

(翻訳:国吉 綾乃)

【2014国際青年リレー行進】ソフィア・ウォルマンさんの日誌(7月29日)

7.29(1)

7月29日

今朝は旅館の豪華な朝食でスタートです!

それから美原駅から出発する行進に向かいました。

大杉さんという男性が話しかけて来てくれました。私は彼の着ているTシャツを見て平和行進に参加するアメリカ人としてとっても嬉しくなりました。彼の娘さんはニューヨークにある大学に通っており、彼にそのTシャツを買ってくれたそうです。そのTシャツのデザインは以前にも見た覚えがありました。とっても皮肉が利いていて深いデザインです。

大杉さんのTシャツには「国土安全保障:1492年より続くテロとの闘い」とあります。これはヨーロッパ人がおこなった大虐殺と北米地域の植民地化に抵抗したアメリカ原住民の方々に敬意を表したオマージュTシャツです。

今日はけいこさんという女性が私とマニシャの為に通訳をしてくれ、会話が弾みました。彼女はとっても社交的で親切な方です!

行進参加者の女性たちと。けいこさんは右端の青い服の女性です。

これも平和行進参加者の方々との写真です。

午後はお弁当を食べてお寺で長めの休憩を取りました。このお寺は1630年頃に建立されたそうです。ここはとても心の落ち着く場所で、眺めもすばらしく、青々と茂った丘や美しい町並みを堪能できる場所です。

竹田さんから頂いたおまんじゅうも美味しかった!

お寺のお部屋で頂く昼食風景

今日の行進は竹田市民会館で2時頃に早めに終わりました。すこし休憩した後で、他の何人かの行進参加者と一緒に旅館のすぐ近くにある古い町並みを訪ねました。

潮が引いた後にはたくさんのカニが泥と戯れていました。

竹田にあるしょうれん寺からの眺めです。

あまの旅館で夕食を頂いて早めに休みました!

PEACE!

(翻訳:三宅 朋子)

[…]

【2014国際青年リレー行進】マニシャ・ガウルさんの日誌(7月28日)

7.28(1)

7月28日

平和の友人のみなさん、

楽しい平和行進からです。

再び私のウォーク・トーク(「歩いて語って」)にようこそ。

天候は蒸し暑いですが、行進参加者はみんな世界を変えようと変わらぬエネルギーと勇気で行進しています。今日はすばらしい朝でした。私とソフィアは一緒に朝6時30分に尾道市にある三重の塔と100年以上続いているお寺を訪ねました。190段の階段を上って三重の塔のてっぺんに着きました。そこから見る尾道市はすばらしい眺めでした。その場所はとても涼しくて神聖な雰囲気に満ちていました。私は10分間瞑想しました。この場所に案内してくれた長谷川こういちさんに感謝です。

私たちは尾道市長のメッセージをいただいて、尾道市役所から朝10時に行進を始め、11時30分に新居浜フェリーターミナルに到着しました。それから伝統的なレストランさがで昼食を取りました。昼食後、糸崎神社まで歩きました。美しく、神聖なところでした。私たちは神社でブッダの祝福を感じました。

行進団はここで交代です。代表の住田さんとその仲間にさよならし、三原市の団体が私たちと一緒に歩き始めました。今日の行進の終わりは三原市駅でした。

加藤カツさんとアキ子さんがこの日の私たちの通訳です。行進中私たちは尾道市の海岸や因島、海に浮かぶ船や、向島と因島を結ぶ橋を見たり、電車が山の中に入るのを見たりしました。これはすべて日本人の勤勉さと情熱を表しています。そのおかげで私たちは毎年、3か月間の行進を何年にもわたって続けてこられたのです。

旅館での伝統的な夕食はおいしかったです。人類のための時間と努力を注いだ平和の実践の新たな一日が、三原市での滞在で終了します。

今日の私のウォーク・トークをマハトマ・ガンジーの言葉を引いて締めくくりたいと思います。

「目には目を」では世界中が盲目になる。

また、書きますね。

マニシャ・ガウル

(翻訳:松浦 哲朗)

【2014国際青年リレー行進】マニシャ・ガウルさんの日誌(7月27日)

7.27(7)

7月27日

平和の友人のみなさん、

こんにちは!平和行進です!インドから参加のマニシャ・ガウルです。私の平和行進参加体験について書いています。再びウォーク・トークにようこそ。

朝は雨で、私たちはみんなこの涼しい天気に喜びました。行進開始のセレモニーで、私たちは数人の特別なお年寄りに会いました。私たちは、彼らから、多くの祝福を込めて、色とりどりの紙で折った美しい千羽鶴の束を贈られました。

私たちは済美中学校で昼食休憩を取り、それから松永駅に向かって出発し、さらに高諸神社に行きました。

私たちは車で浄土寺まで移動しました。ここで尾道の行進団に行進を引き継ぎ、今日は尾道市役所で終わりました。私たちはほぼ14~15キロメートル歩きました。歌、スローガン、応援歌があり、決して疲れを覚えさせません。今日の通訳は福山市のナカジマヒロシさんでした。

尾道市の団長の住田さんが尾道ロイヤルホテルで伝統的な日本食のディナーパーティーを開いてくださいました。私たちは新しい友人にここで会い、向島と因島について聞きました。それぞれ12000人と16000人(ママ)が住んでいるそうです。私たち一人ひとりが短いスピーチをしました。高校教師で野球部の顧問をしている栗原おさむさんが、英語から日本語、日本語から英語へのコミュニケーションの通訳をしてくださいました。

(翻訳:松浦 哲朗)

【2014国際青年リレー行進】ソフィア・ウォルマンさんの日誌(7月27日)

7.27(1)

7月27日

ちょうど蒸し暑くなってきたころ、私たちは雨のなか福山市役所に着きました。―最初はとても激しく、その後、行進の時間には次第に弱くなって止みました―ワォ!クールダウンになりました!!!

朝、ナカジマ先生があいさつを述べ、私たちに福山の住民たちが作った数多くの美しい折鶴を贈ってくれました。なんて美しい贈り物であり伝統なのでしょう!

私は一日中ナカジマ先生と楽しく会話し、彼がこれから広島に旅行し、8月6日の平和祈念式典に参加するだけでなく、息子さんと広島カープの試合を見に行くことも聞きました。中島先生は9歳の娘さんと一緒にマイクを握ってピースコールもしました。

私たちは中学校の校庭に座ってランチを(ぜいたくにも)たっぷり時間をとって楽しみました。ある女性から、洗濯のために探していた重曹をもらいました。このシンプルだけど大助かりな親切を受けて、私は幸運でした。

私はここの警察がとても穏やかで親切なことに驚かされました。車が多い道を行進する時には、行進の隊列に沿って一度に7人の警察官が、時には数時間にわたって誘導してくれます。道路を横断するたびに警官が笑顔でお辞儀をしてくれるなんて、何て新しい体験なんでしょう!しかも、私たちが拡声器を使ってもとがめられないだけでなく、警官のメガホンの声が行進団の先頭にほとんど届かなくても気にする様子もありません!!私たちがアメリカで非暴力のデモをおこなう時にしばしば直面する強権的な態度の警官とは大違いです。

それで思い出したのですが、これまで、行進が通る時に市民から一度もやじられたり、(言葉でも物理的にも)攻撃されたりしたことがありません。目を逸らす人も時々いますし、アメリカのように大げさに(支持を示すときは何度も車のクラクションを鳴らすのが典型的)連帯を示すこともあまりありません。しかし、誰一人として車の窓からわいせつな言葉や非難の声を投げつける人はいませんでした!

人々の反応と言えば、今日のハイライトは花屋を通った時で、店の中にいた少なくとも3~4人の人たちが窓に駆け寄って、長い隊列が通り過ぎる間、行進参加者全員に熱狂的に手を振ってくれたことです!とても励まされました!!

今私たちがいる広島の景色はこれまでと一変して緑が濃くより豊かに見えます。そして尾道の町に入ると同時に海辺に着きました―美しい港町です!

私たちは午後5時に行進を終え、スミタ先生(尾道市内行進の責任者)やたくさんの住民や市内からの行進参加者、そして通訳の栗原先生(高校で英語の先生、最初はバスケットのコーチ!)と私たちのホテルで夕食を楽しみました。

私の隣が栗原先生、その隣がスミタ先生!!

夕食後、マニシャの提案で彼女と栗原先生、私は近くにある向島という島―フェリーで5分―にあるスミタ先生の家に一緒に行くことにしました。ワォ!夜8時35分、道は暗く、穏やかで静かでした。スミタ先生は奥さんと一緒に営んでいる、4代目になるスミタベーカリーに連れて行ってくれました。奥さんも着いて行ってくれ、たくさんの商品をいただきました。

奥さんはレジの下から古い写真を引っ張りだし(スミタ夫妻はどちらも72歳、高校時代に付き合い始め結婚したんです!)、お母さんに抱かれた赤ちゃんのスミタ先生や、ご両親の写真を見せてくれました。

先生のお父さんは兵士で1945年、フィリピンで亡くなったそうです。当時29歳、お母さんは26歳、彼はたった3歳でした。奥さんが話してくれましたが(通訳は栗原先生)、このことが彼の平和運動の原点だそうです。

夕食の時、いたずらっぽい目で私を「ソフィア・ローレン」と紹介してくれたとても陽気でフレンドリーな男性に、こんな背景があったとは。人それぞれに物語があるのですね。

(翻訳:国吉 綾乃)

[…]

【2014国際青年リレー行進】ソフィア・ウォルマンさんの日誌(7月26日)

7.28(1)

7月26日

さて、今日はこれまでのところ一番暑くて長い一日でした。でもついに広島県内に到着することができました!

(ほぼ)バーベキューの残りのボリュームたっぷりの朝ごはんをミチコさんの家でとった後、笠岡を出発しました。

ミチコさん宅での朝食!

小さなお友達のカズキくんと今日も会えて嬉しかった!カズキくんが描いてくれた家族と私の絵は私のとっておきの宝物になりました。カズキくんはその日の午前中ずっと一緒に行進を歩いてくれ、道すがら、小川を泳ぐ魚を見て喜んでいました。福田さんの素晴らしい歌声は、ひどい暑さの中で歩き続ける元気をくれました。

カズキくんと私; 写真は石原ともきさん

道路脇に立つ平和宣言塔

手を振ってくれる幼稚園児たち

(ほんとに短い)お昼ご飯を女性団体のところで食べた後、行進に戻りました。そして気づいたら広島県に到着していました!

女性団体のみなさんと昼食

広島県との県境を通過!!

行進の先頭を歩くミチコさん

県内に入ってすぐ、福山の行進団の大勢の一行に迎えられ、そして引き継ぎ集会の後、慣れ親しんだ岡山県の笠岡行進団のみなさんとお別れし、広島県内最初の、そして行進の最終段階の行程を歩き出しました。

行進の間にできた友人たちと別れるのはとても悲しい気持ちになります。こんな感情が沸き起こるとは全く思っていなかったのですが、厚い言葉の壁にも関わらず、一緒に行進を歩いた人々との間に生まれた絆は本当に素晴らしいものです。とくに一緒に並んで歩いた中尾さん、そして岡山県通し行進者のシガさんは、お互いに別れを告げる間、大泣きしていました。

マニシャ、福田さん、私、ともきさん

私と中尾さん

マニシャ、シガさん、私

新たな力強いエネルギーと大勢の行進団の仲間と一緒に、行進は続きます。中学校で英語の先生をしているナカジマさんが福山での行進の通訳、世話役として加わってくれました。

広島!

夕方、ちょっと休憩をして汗をぬぐった後、社会福祉事務所で福山の伝統的な食事の会に招待されました。

【2014国際青年リレー行進】マニシャ・ガウルさんの日誌(7月26日)

7.26(1)

岡山から広島への引きつぎ

平和の友人のみなさん、こんにちは。

毎朝、私たちは新しい人々と出会い、楽しく一緒に歩き、日本と平和運動の歴史についてたくさん知らなかったことを学びます。被爆者の物語、平和を妨げる様々な課題、必要な行動についてもです。そして一日の終わりには一緒に夕食をとりながら、異なる国々の文化について語り合い、人間の価値と重要さ、新しい町の特徴について知識を深め、夜には平和運動の成功を夢見ながら眠ります。日本では毎日が新しい体験とともに始まり、終わります。

今日は半日、岡山県内を、あと半日は広島県内を行進しました。出発は岡山県笠岡市で、終了は広島県の大門でした。昨夜私たちを泊めて下さった保野津さんと中島ひろしさんが前半の通訳で、午後からは中尾さんも通訳に加わってくれました。

ディナーパーティでは、広島県の平和友だちの真帆子さんが私たちの気持ちを日本語で通訳してくれました。彼女は娘さんとお母さんと3世代そろっての参加です。

岡山県から広島県への平和行進引継ぎ集会は三角公園で楽しくおこなわれました。岡山県内のみの行進者だった志賀さんがいなくて残念でした。広島の行進団は歌を歌っていました。私とソフィアも歌いました。一日の終わりは美味しいディナーと音楽でした。

それではまた。サヨナラ・・・・。

マニシャ・ガウル

[…]

【2014国際青年リレー行進】マニシャ・ガウルさんの日誌(7月25日)

7.25(1)

7月25日 岡山県 (浅口市)金光町から笠岡市へ

平和を求める友人の皆さん、こんにちは!

今日の平和行進についてはインドからきた私、マニシャ・ガウルが書かせていただきます。この行進リポートを楽しんでくださいね。読むだけじゃなく、是非リアルに感じて、周りの皆さんにも広げてもらえたら嬉しいです。私や他の行進参加者のみなさん同様に平和のリズムを体感してくださいね。

今日はとても素敵な日でした。わたしたちは(浅口市)金光支所から笠岡市役所まで歩きました。今日の行進をリードしてくれたのは浅口市議会議員の桑野さんでした。2度目の休憩の時に浅口市の市長が挨拶をしてくれ、年配の行進参加者の皆さんをねぎらってくれました。

今日私に通訳をしてくださったのはシンコさんで、彼女は白山(標高2700メートル)に登られたこともあるそうです。そんな元気な方が平和行進に参加されているんですね。

毎年原水協に加盟している労働組合の皆さんが平和行進の通し行進者や参加者からメッセージを集める活動をされています。今年も笠岡市役所での昼食休憩中にみんなでメッセージを書きました。

今日の行進は笠岡市役所で終えました。笠岡市議会の金藤さんが挨拶されました。行進の集結地で平和の風船行動が組織されており、平和のメッセージをつけた200個の風船が空に放たれました。私たちの平和のメッセージが空高く舞い上がってていく様子を見られて嬉しかったです。

岡山の高校教員組合員や生徒、労働組合の方々、平和行進参加者、そして市民の皆さんがこの平和の風船行動に参加されたのは素晴らしいことでした。

それから今夜泊めていただく樋之津さんのお宅に向かいました。樋之津さんのお家は彼女の人柄そのままのようなところでした。彼女は美しくて、聡明で、勤勉で、そして自然を大事にする人です。夕食はバーベキューをしました。そこで石井乙子さん、梶原さん、赤沢さん、坂田さんといった、新しい友人もできました。岡山の被爆者団体の会長であり、86歳の有名な被爆者の土屋けいじさんとも出会いました。彼は広島と長崎で原爆が落とされた時の状況が描かれた絵とともに、自らの辛い被爆体験を語ってくれました。その話をうかがって、目には涙、心には痛みを感じながら一日を終えました。

マニシャ・ガウル

(翻訳:三宅 朋子)

【2014国際青年リレー行進】ソフィア・ウォルマンさんの日誌(7月24日-25日)

7.23-24(1)

7月24日-25日

今朝、私たちはヤスコさんのあいさつを受けて平和行進を始めました。彼女のお母さんは1958年に最初の平和行進に参加し、そして、もう一度、2007年、94歳の時に歩いたということです。この行進と、行進参加者が平和行進の歴史と遺産にどれほど鼓舞激励され、しっかりとつながっていることかと感じます。そして過去と現在の間で状況も大きく変わったに違いないということも。

今日のハイライトはベンさんの家を見ることでした。ベンさんは私たちの通訳のイギリス人で、今は奥さんのアキコさん、10か月のお子さんナム君と一緒にアキコさんの実家の倉敷に住んでいます。築約200年の家です。ご夫妻と赤ちゃんのナム君もその家では電気を使いませんが、それでも、その建築様式のおかげで内部はとても涼しく、私たちは帰る前にひんやりした水を飲ませていただきました。

ベンさんは日本での生活について多くのことを教えてくれました。歴史教科書から第2次世界大戦中の日本の戦争犯罪についての記述が削除されたことや、夫妻がたくさんの人を広島に連れて行ったこと、沖縄の残忍な歴史、戦争と核兵器の残虐性を学ぶために学校の子どもたちがみんなどうやって広島、長崎、東京に修学旅行に行くかなどを教えてくれました。

ある意味では平和はアメリカと日本の例を通して教えられるように思えます。これほどの暴力と悲惨な歴史をもつこの二つの国、これが、この好戦性を“素通りして”ここまで進んできました。しかし、私たちは、この活動をするなかで、平和とは単に戦争や暴力のない状態ではないということを知っています。

沖縄の人々はどうでしょう?かつては独立国で、その後残忍な日本の征服、支配、占領、そして文化破壊にさらされ、第2次世界大戦後はアメリカに占領され、二つの占領者のうち日本の「お好み」として「返還」され、現在は20%以上の土地を軍事基地に取られています。

これは、もちろん、平和とは言えません。アメリカ政府、日本政府はその犯罪において同盟を組んでいます(私はあえて、共犯者たちと呼びます)。

昼食の時間

マニシャと私、通訳の松本さんと

他の行進参加者と写真に(何日も歩いたけい子さんを真ん中に)

私たちは内海さん経営の旅館「エン」に泊まりました。ここでマニシャと私は広い畳の部屋をいっしょに使い、とても伝統的な宿舎のゆったり空間と贅沢を味わいました。

旅館の外で竹田さん、私、内海さん(家主)、マニシャ、田中さん、五十嵐さん。

朝(25日金曜日)、私たちはもう一日の行進に出発しました。昼食休憩をして、そこで平和のメッセージを紙に書きました。

午後、私たちは笠岡市役所で平和行進を終えました。ここで私たちは昼食時間に書いた平和メッセージをつけて何百もの風船を空に飛ばしました。私たちはちらっと土屋先生に会いました。彼は広島で原爆を経験した被爆者です。夕食で一緒になります。

私たちは、その後、英語の先生のみち子さんの家に行きました。彼女はおいしい日本の料理とバーベキューでもてなしてくれました。何とすばらしい、お祭りのような時間!戸外でバーベキューとは、二つの文化に共通です!私はバーベキューは、憲法記念日の休日にもよくするということがわかり、アメリカで、独立記念日(7月4日)でもこんな感じの食事と集まりがある伝統と似ていることがわかりました。

焼肉!!

食事が終わるにしたがって、私たちは土屋さんのまわりに集まりました。彼は私たちに原爆の時の広島での体験を語ってくれました。原爆が落とされたとき彼は配達をしていました。彼は語りながら、絵を見せてくれました。それは彼があの日とその後の数週間に体験した恐怖を語って彼が描いたものです。

これらのイメージが彼の心にいかに深く焼き付いていることか!もっとも恐ろしい光景を目撃した人々であふれる街。土屋さんは、がれきの下敷きとなって、女の人が助けを求めて叫ぶのが聞こえたと語りました。

死んだ巨大な馬が、腐敗していく、そのために兵士たちが穴を掘って埋めた。校庭に横たわる二人の人間。その死体のあとに20本の線が続いていた。10本の指で土を引っ掻いてきた跡だった。土屋さんが引きずって運び、焼くのを手伝った何十体もの遺体。青色の炎。彼は細かいところまで念を入れて説明しました。

そして、今でも国民は政治や指導者たちの冷酷な本質の犠牲になっている。政治の指導者たちは、人間の要求、希望、権利に対立があることに付け込み(ときには法律を作って合法化し)、大企業、独裁者、偽の民主主義によって約束された権力や富を求めてその機会に賭ける。

土屋先生と

裕福なアメリカ白人として、私は国外での爆弾や銃の音を聞いたことがありません。私はきれいな水がなかったがために黒い雨を飲んだり、浴びたりしたこともありません。私は戦争犯罪者と環境破壊者たちが彼らの快適な退職生活を楽しんでいる間、牢獄にいて命が奪われた多くの学友を持ったこともありません。私の両親は、アメリカが獲得の過程で大量虐殺をした土地に生まれ、実直な市民として生計を立ててのちに、監獄に入れられたこともなければ、アメリカから追い出されたこともありません。私は空爆で5人、10人、15人と家族を失ったこともありませんし、私の家が目の前で破壊されるのを見たこともありません。

しかし、私はそれらを経験したことのある人々からの愛とやさしさを感じたことはあります。そして私は、私の税金がどこに行くのかということを知っています。その多すぎる部分が、戦争、投獄、警察の残虐さ、国外追放などの非人間的な搾取を追い求める方向で使われているということも知っています。

この思いはすべて、私たちの現代史において人道に反する恐ろしい罪のひとつである、日本へのアメリカの原爆投下について個人的なお話をきいたことから湧きあがってきます。私たちはどこにいるのか?進歩したのだろうか?残念ながら、多くの点で私たちは世界平和をまだ達成できていません。

しかし、私はとても希望を持っています。一緒に平和行進をした仲間たちの目の中にそのための献身と確信が見えます。それは勇気の源泉であり、癒しと希望を与えてくれるものです。さあ、もう一日歩きましょう。平和へ。

(翻訳:松浦 哲朗)

[…]

【2014国際青年リレー行進】マニシャ・ガウルさんの日誌(7月20日)

7.20(6)

7月20日 岡山にて

今年の国際青年リレー行進に参加する最後の海外代表は、インドのインドールからやってきたマニシャ・ガウルさんです。彼女は昨年の原水爆禁止世界大会に参加し、今年の平和行進に最初に参加の名乗りを上げた人です。マニシャは人生を変えるような話をする講演者であり、平和と持続可能な発展に強い関心を持っています。

ソフィア・ウォルマン、他の通し行進者と地元の行進者のみなさんと一緒に、マニシャは蒸し暑い夏の岡山と広島を、8月4日の広島平和公園でのゴールを目指して歩きます。これからはソフィアとマニシャ両方からの通信をアップしますので、ぜひフォローしてください。行進の最終日まで、二人が元気に歩き通せるようみんなで応援しましょう。

下記はマニシャの初日のブログです。

(写真提供:平井昭夫 左から3人目がマニシャ)

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平和行進参加のみなさん、私はインドマドヤ・プラデシュ州インドールから来たマニシャ・ガウルです。今倉敷のホテルでこれを書いています。

待ちに待った7月19日がやってきました。岡山空港に到着です。なおみさんという美しい女性の政治家がご家族と一緒に岡山空港に出迎えてくれました。平和運動について話し合ううちに、ホテルに到着しました。

翌朝、グローバル・カップルであるシャビンさんと奥さんが迎えに来てくれました。シャビンさんはインド出身で、オーストラリアに留学し、日本の女性と結婚しました。彼女は日本で生まれ、オーストラリアで勉強し、インド人男性と結婚したわけです。平和運動にとってはパーフェクトなボランティアであり、グローバル・ビレッジ(世界村)の典型例だと言えるでしょう。

一緒に美味しい昼食をとり、ショッピングモールと後楽園を案内してもらいました。夜の夕食会では音楽と歌を岡山のチームのみなさんと楽しみました。自己紹介とともに各自が考えていることを短くスピーチして、最後は「ウィシャルオーバーカム」の歌で締めくくりました。

明日からの平和行進に合流するのが楽しみです。

とてもわくわくします。平和のために歩き、話し合い、出会い、手を取り合って進むのです。

マニシャ・ガウル

【2014国際青年リレー行進】ソフィア・ウォルマンさんの日誌(7月23日)

7.23(1)

7月23日

今日は総社市を歩きました。最初の約1時間は田舎道で、最後の方はうっそうとした森の中を行きました。そこを抜けると、反対側に広大な農地と、遠くに五重の塔が見えました。なんという眺めでしょう!

午前中は、依田さんが私たちのために通訳をしてくれました。午後は、倉敷市役所職員のトモキさんも加勢してくれました。

マニシャ、ヨダさん、トモキさん、そして私

倉敷市役所では、市長から歓迎のあいさつを受けました。私たちは短いスピーチをしましたが、それを市役所の女性が通訳してくれました。市役所で少し休憩する間に、とてもフレンドリーな職員に会いました。その中に、ブラジル出身で、ブラジルから来た人たちが日本での生活に慣れるのを援助する仕事をしている男性がいました。この地域にある三菱の工場で働くために、多くのブラジル人が来ているのだそうです。そして、秘書の方が、親切にも、私のボトルを氷水でいっぱいにしてくれました。私が彼にお礼を言うと、彼は去り際にこう答えました。「これは私の秘書としての仕事ですから!」

その後、私たちは神社で休憩し、木陰(!)でスイカを食べました。そして、また別の市の建物に着くと、副市長が出てきました。政治家の人たちが、真の変化を求めるデモ参加者にあいさつするのを見るたびに、私は、これら政治家が負っている本当の責任について考えざるをえません。

私は生協からいただいた弁当を食べ、他の行進者たちは、梅干し(自家製のプラムの漬物―おいしい!)とミニトマトを一緒に食べていました。このような親切な差し入れは、長い道のりの間本当にありがたいです!

最後の1時間くらいは、テイラーギターを弾く男性のおかげで、あっという間に過ぎ去りました。私が歌うのに合わせて、みんなが彼と一緒に歌い、ギターを奏でました。なかには、彼が一度も聞いたことのない歌もあったのですが!

その日の行進が終わるころ、私たちは、ある女性の家の前を通りかかりました。その女性の母は、1958年、広島から東京に向かった第1回平和行進に1人で参加したのです。その行進の途中で、彼女は幾人かの仲間と出会ったそうです。しかしそれでは十分でなかったかのように、2007年、94歳のシンコさんは、再び行進に参加したのです!彼女はその年の暮れに他界しました。シンコさんの娘さんが今日の行進の最後に参加してくれましたが、彼女はとても誇らしげでした。こういう話を聞きながら歩くのは、なんと感動的で勇気づけられることでしょう。私はときどき、こうした平和行進の精神を感じることがあります。多くの動機や背景にある物語が参加者を突き動かしています。そして行進者みんなの間に存在する友情―いま隣に立っている人と、以前に平和のために行進した人たちの間の友情を含め―直接的な友情と、比喩的な友情の両方を感じるのです。

(翻訳:佐伯 一郎)

【2014国際青年リレー行進】ソフィア・ウォルマンさんの日誌(7月22日)

7.22(1)

7月22日

私たちは、午前9時頃に倉敷市役所に集合しました。何人かのスピーチの後、少しの間、ロビーで広島原爆の展示を見て回りました。その画像と、それらが引き起こす心の動きは、展示を見るたびに、より力強く大きくなるように感じます。どんなに多くの話を聞き、写真を見ても、衝撃が消え去ることはないと気がついたからです。

9時半頃に行進が始まりました。とても蒸し暑いです!私たちのグループは、以前より少し人数が減りましたが、それでも活気に満ちています。何よりうれしいのは、インドからマニシャが行進者として加わったことです。午前中は、イギリス南部に11か月間留学したことのある豊田さんが、私たちのために通訳を務めてくれました。午後は、松本さんとベンさんが通訳してくれました。行進者の仲間との会話を取り持ってくれる人がいるのは本当に助かります。しかも彼らは、多くの知識と会話も提供してくれます。

マニシャ、豊田さん、そして私

最初の休憩所で、私たちは拍手の出迎えを受けました。(いつものことですが、これには大いに励まされます!)そして梅干し(おいしくて酸っぱい、プラムの漬物)と、凍らせたバナナをいただきました。これは私にとって、これまででいちばんのお気に入りのおやつかもしれません。休憩所は、饅頭をつくっている食品工場にありました。通し行進者の竹田さんが、饅頭をいくつか買ってきて、私たちに分けてくれました。オイシイ!昼食弁当を食べた後、再出発です。今度は、福田さんが、いつもの溌剌とした声でシュプレヒコールをリードしてくれます。

医療生協の前で小休止した時、たくさんの高齢の患者さんが外に出てきてあいさつしてくれました。彼らはきれいな平和の折鶴を私たちに手渡し、温かい励ましの言葉で見送ってくれました。

草木が青々と茂った丘陵地のごく近くを歩くのは、素敵なことです。私は、近隣や目の前の風景がいろいろと変わるのを見て、たった一日の行進でも、かなりの距離を歩いてきたんだと実感するようになりました。

その日の行進は午後4時に終了。ホテルに入り、マニシャと私は、福田さん提供のじゃがいもとカボチャの夕食をごちそうになりました。私は、これら地元の人びとの親切と思いやりにとても感謝しています。福田さんは、自分自身の旅行体験とニューヨークでの行進参加の経験とを結び付けて私たちのことを考えてくれていたのです。福田さんは、ニューヨークで、中身のしっかりした、健康的でおいしい食物をとることの大切さを学んだそうです。行進の途中で、こんな人と出会えるなんて、なんという幸運でしょう。

(翻訳:佐伯 一郎)

【2014国際青年リレー行進】ソフィア・ウォルマンさんの日誌(7月20日)

7.20(1)

7月20日

日曜日は岡山の郊外を歩き、とても興味深い行進となりました。今日もたくさんの行進参加者が、にぎやかに歌を歌ったりコールしたりしながら歩きました。リードしてくれたのは青年たちで、ほとんどがピースピース岡山のメンバーでした。

行進開始は9時15分で、今日の全行程は6マイルから7マイル(約9.5~11キロ)ぐらいだったと思います。特に胸に深く感じたコールは「ノーモア・ヒロシマ!ノーモア・ナガサキ!ノーモア・ビキニ!ノーモア・フクシマ!ノーモア・ヒバクシャ!」です。このコールはベーシックで的を射たものですが、この繰り返されるスローガンは、核による惨害が絶えず長く続いていることを示しており、しかもこの核技術が廃絶されない限り、この悲劇のリストは長くなる一方だということが胸に迫って感じられたのです。

行進の最中、休憩するたびに、スイカ、冷たいお茶、そしてコープでは昼食をいただきました。岡山新婦人の豊田さんが微笑みと笑いと、手作りのおにぎりを分けてくださいました。私のおそばとヨーグルトドリンクの昼食だけでは足りないと思ったのでしょう。

今日通訳してくれたのはみゆきさんで、とても素晴らしい道連れになってくれ、行進のあいだじゅう、たくさん話をすることができました。ある行進者が自己紹介した後、「オバマ大統領へのノーベル平和賞授与をどう思いますか」と問いかけたのをきっかけに、みゆきさんと私は今のアメリカの政治状況と、その中で大統領があれこれを天秤にかけながら動かざるを得なくなっていることなどを話し合いました。この「天秤にかける」というなかで、本当に多くの人々の生活が、天秤の下に傾いたほうの側に追いやられています。飢えて、爆弾や無人機攻撃の標的とされている人々、アメリカ国内に何年も住んでいるにも関わらず国外追放される人々がいます。

2時45分ごろ、風が強くなり、空はだんだん暗くなって雨が降り出しました。でも、土砂降りになる直前の絶妙のタイミングで私たちは終結地点に到着することができました。

一日の終わりに岡山市内の人々と他の行進者たちと一緒の夕食会がありました。それぞれ短いスピーチをして、楽しく過ごしました。私が日本でとてもいいなあと思うことの一つは、このような集いでよく人々が一緒に歌を歌うことです。この日は日本の歌が2、3曲披露され、そのあと私が前に出て「イマジン」と「ウィシャルオーバーカム」を歌うと、参加者全員が心を込めて一緒に歌いました。この歌とメッセージは、平和を目指す戦いで共有するのになんと素晴らしいことでしょう!

行進の後、豊田さんと私(後ろに田中さんがいます)

一日の行進を終えたみゆきさんと私

夕食会で日本の歌を歌ってくれました

新婦人の親切なホストのみなさん

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