原水協通信

毎月発行している日本原水協の機関誌です。国内外の反核平和運動についての情報が満載です。 日本原水協のウェブサイト→ http://www.antiatom.org/

「核兵器の全面禁止を!」

【岡山】20万署名の達成を 県原水協総会ひらく

 

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【北海道】学習を力に、署名と原爆展、代表派遣に全力を―原水協学校開く

5月19日、札幌市内で「2013年北海道原水協学校」が開かれ、道労連議長、北海道新婦人会長、道国民救援会会長、道平和委員会理事長をはじめ、札幌市内、旭川、帯広、函館、七飯など各地域・ブロック原水協の代表、合わせて39人が参加しました。安井正和日本原水協事務局長が、世界大会パンフレットをテキストに、「核兵器のない世界 憲法9条と非核三原則が輝く日本を」をテーマにして70分講演。8月の世界大会に向けて、署名と原爆展をひろげ、すべての地域、職場から世界大会へ代表派遣を成功させる決意を新たにしました。

共同声明拒否に心から怒り 歴史の逆進打ち破るために原爆展と署名に全力つくす 七飯原水協 舟見洋三

道原水協学校で安井事務局長の講演を聞いて決意を新たにしました。

なんと言っても今の情勢、次回NPT再検討会議に向けた第2回準備委員会での「核兵器の人道的影響に関する共同声明」に80カ国が賛同しているにもかかわらず、日本政府が賛同せず、まさに歴史を逆進させる役割に怒りを覚えずにはいられません。これを打ち破る力は国民の署名の力だと思います。

七飯原水協は、一昨年の10月に町長を先頭に「七飯町核兵器をなくす会」を結成し、2015年までに町民過半数めざしとりくんでいます。今年3月末までに5174筆をやりあげ、目標の5000筆を達成しました。特徴的なことは、73町内会の4割の町内会で目標の6割に当たる3000筆をやってくれたことです。しかしこれは、あくまでも第1関門にすぎません。来年3月末までにさらに5000筆、2015年3月までに町民過半数の1万5千筆をいかにやりあげていくか、試金石が問われています。

私たちは4月22日から28日まで、今年第1回目の原爆展を大沼地区で成功させました。はじめて原爆パネルを目にした中学2年生から次のような感想文が寄せられました。

「平和の尊さと戦争の悲惨さをあらためて確認できました。たった数平方メートルの写真展で、今から70年前にあったむごさを感じました。今も世界に残っている核兵器をどう廃絶するか、これから向き合っていこうと思います」

これを読んで大いに励まされました。核をなくすのは国民の願いであることを確信しました。人道的アプローチという観点から、もっともっと原爆展を開きたい。地域の会館や集会所を活用して、大いに「原爆写真展」を開き、住民に見てもらい、署名に協力してもらう。相乗的に実践できると思います。

大会パンフの内容は非常に良く出来ています。昨年は70冊を普及し、3000円以上のカンパをくれた人に贈呈しましたが、今年はもっと多く活用したい。世界大会代表には目的意識的に若い人を派遣します。昨年原爆展に協力してくれた20歳の女性が原水協の会員になってくれ、理事になることを快く引き受けてくれました。6月はじめの平和行進でアナウンサーを引き受けてくれることになりました。若い人たちにも積極的に働きかけ、運動を盛り上げていきます。

マラヤ・ファブロスさんの行進日誌10日目

平和行進十日目:葉山町ー逗子市ー鎌倉市ー大船観音

今日、葉山町役場でこれまでお会いした中では最年長の被爆者の方と会いました。彼は今92歳で24歳の時に広島で被爆されたそうです。確かお名前は井口さんと言われたと思います。大変な経験をされてきた井口さんですがお医者さんからは今とても健康だと太鼓判を押されているそうです。とても長い距離を私たちと一緒に歩いてくださいました。被爆者のみなさんはたいてい行進の先頭を歩かれます。

そしてこちらは葉山町の町長さんで、これまでに直接挨拶に来てくださった首長さんのなかで一番若い方だと思います。彼はみなさんと一緒に行進にも参加してくれました。みなさんにこにこ笑っていてすごく楽しそうでした!行進に若い人が参加してくれるのを見るといつも嬉しくなります。

ラッキーな事に今日は風があったので暑くてもそれほど疲れませんでした。いつも団扇を持って歩いています。今日もたくさんの皆さんからうなずいたり手を振り返してもらったりしました。一人の女性なんてたまたま外に出て来て私たちの行進を見つけ、飛び入りで歩いてくれました。ハハハ。彼女は途中で行進からは抜けましたが、また戻って来て私たちから平和行進のキャンペーン団扇を購入してくれました。歩いていてこういう瞬間があるととても元気づけられます。

最初の休憩は逗子市役所で取りました。ここでも市長自身が挨拶してくれました。別の被爆者の方もご挨拶されました。今日はたくさんの被爆者の方が歩いてくれていました。最初は7人の被爆者の方が一緒に歩いていて、午後にはさらに多くの方が参加されました。

休憩後には米軍池子住宅地区の正面玄関のところまで歩きました。これは米海軍の基地施設の一部で軍人とその家族の住宅です。現在新しい住宅建設もすでに計画されているそうです。私たちが正面玄関の写真を撮っている時、兵士たちも同じように遠くから私たちの写真を撮っていました。私はにっこり笑いました。彼らも笑ってくれていると良いのだけれど。

ここでグループごとにお昼休憩を取り、源頼朝にちなんだ場所で再集合しました。けいこさんが鶴岡八幡宮について教えてくれましたがよく思い出せません(ごめんなさい!)

ここは中心に神社のある人気の観光スポットです。ここが最初の武家政治の始まった場所だと福島さんが教えてくれました。小さな公園を抜けるともう一つ小さな神社がありました。ここはとってもにぎやかなショッピングストリートです。

お昼ごはんにはシラス丼を食べました。シラスはとっても小さい魚でこのシーズンだけに獲れます。だからみんなはこれを食べるととっても嬉しいみたい。

お昼にシラス丼を食べたと話すとみなさん「すごい!」とか「良かった」と言ってくれました。シラス丼はどんぶりご飯の上にしらすを乗せた物です。それにのりと錦糸卵もトッピングされています。とっても美味しかった!こんな感じです。

私たちはショッピングストリートを行進し、鎌倉市役所へ向かいました。そこでさらに多くの被爆者の方と会いました。そして皆さんと一緒に写真を撮る事もできました。挨拶で被爆者のよしだこうじさんは鎌倉市には200人の被爆者の方が暮らしていると話されていました。彼は今82歳で長崎で被爆されたそうです。今日の午後にお会いした被爆者の皆さんは広島で被爆された方、長崎で被爆された方と両方おられました。

今日の最後の場所である大船観音寺まで行進を続けました。福島さんから事前に今日はとても特別な日だと教えてもらいました。私たちは大船観音寺に行き、そこで集会を行いました。ある被爆者の方がこの神社の事が書かれているパンフレットを下さいました。

集会である女性が別の被爆者の方が書いた本から一部を代読しました。長崎の爆心地から50メートルの場所での被爆体験でした。著者の方は長い間探し続けた後に大船観音寺で彼の母親の遺骨を見つける事ができました。でもお父さんの遺骨は見つかっていません。彼は時々目を閉じると父親が自分を呼んでいる声が聞こえると言います。そしていつも母親の姿が胸にあると(福島さん訳してくれてありがとう!)。

今日の午後は素敵なトランペット奏者の松平晃さんも一緒に歩いてくれました。ここでも2曲演奏してくれました。多くの皆さんが最後の歌を一緒に歌われました。とっても感動的でした。

新鮮なわさびと刺身です。小さな木製のおろし器でわさびをすりおろします。

大船観音寺の近くにあった大きな仏像

(日本語訳=三宅朋子)

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原水爆禁止2013年世界大会パンフレットを学び、核のない社会へうねりつくろう 東京学生ツアー・青山事務局長の感想

原水爆禁止2013年世界大会の学習パンフレットが好評発売中です。

青山昂平さん(中央大学法学部4年、原水爆禁止2013年世界大会東京学生ツアー事務局長)の感想を紹介します。

核兵器廃絶の運動への意欲を引き出してくれる

パンフレットはとてもわかりやすく、核兵器廃絶の運動への意欲を引き出してくれました。

核兵器をなくすことについて賛成国が175、反対6と、圧倒的多数という事実(p1)、そして核兵器による悲惨な被害の様子(p3、4)。こうした非人道的な兵器は二度と使われてはならないという思いを強くすることができました。

パンフレットを読んで強く思ったのは、武力必要、不要の価値観の違いはあるにせよ、核兵器だけは、世界のあらゆる人々と共同して、いますぐになくしていかなければならないということです。

正直、私の身の周りではそこまで平和運動が盛り上がってはいないと思います。そのため、平和運動、核兵器廃絶の運動というと、腰が重く、距離の遠い存在だという思いもありました。

しかし、先に書いたような理由から、核兵器は絶対になくさないといけないと思うし、平和行進や各地での運動の盛り上がりを見て(p24~)、これは今こそ盛り上がっている運動だ、そして、この運動をもっと盛り上げていかなければならないと思いました。

東京の学生の間にもどんどんパンフレットを広めていきたいと思います。みなさん、世界大会でお会いしましょう。

(中央大学法学部4年、原水爆禁止2013年世界大会東京学生ツアー事務局長 青山昂平)

【国民平和大行進】神奈川県湯河原町から静岡県熱海市へ引継ぎ

被爆者の会の方々の歩く姿が力に。生協の方たちが用意してくれるあたたかい接待に疲れを癒し。原水協と三者の懇談会でとりくまれた神奈川県13日間の行進最終日は湯河原町から。

神奈川の行進は、毎日被爆者の会の方たちが被爆体験を語ります。長崎の被爆者で、現在80歳の新宮さんは小6で被爆。「原爆投下から3ヶ月、4ヶ月で、学校の仲間が1人、2人と亡くなっていった。核兵器の恐ろしさは一瞬だけではないんです」。放射線被害の恐怖はいまだに続いていることを強く訴えました。

県内通し5回目、被爆者の会の塩瀬さん(74歳)。原爆で家族を亡くした無念、悔しさを、亡くした家族の写真を掲げながら歩きました。4回目の満智子さんは、横浜市緑区で米軍のジェット機が民家に墜落した時のことが、平和活動を始めたきっかけ。今年は道行く人にチラシを配りながら1日最低5人にはじっくり話したいと決めて歩いた中で、3人の方が被爆者でした。退職して県内通し20年のひさこさん。病院で働いていた時に、たくさんの患者を診ながら命の重さを感じてきたことで、命を容易に奪う核兵器をなくすために自分にできることをやろうと思ったから歩き続けてきました。

湯河原の町は、人通りは少ないものの、お店から顔を出し「ガンバって」と拍手する人たち。窓から手をふる人。小高い山の上に立つマンションから手をふる人も。あんな遠くからも応援がある。歩いているみんなで手を振り返します。すれ違った車からは「ありがとうございます」と言われました。

もちろん受け入れてもらえないときもあります。車を止めて、行進が過ぎるのを待つ人たちの気持ちもわかります。待たせるのが当たり前みたいに知らんふりして通り過ぎたら、嫌な気持ちになるもの。だから、行進から離れて車の方に「すみません、ご協力ありがとうございます。もう少しだけお待ちください」と頭を下げに行き、なぜ今歩かなければならないかを伝えると、多くの方々はチラシを受け取ってくれました。

一人の人は「ほんと、今の政府は危険だよ。暴走しているよ」と。

湯河原町長のメッセージを副町長が代読。日曜日にも関わらず、しかも毎年休憩する公園まで足を運んでくれます。

昭和60年に全会一致で「非核兵器都市宣言」をし、非核兵器都市協議会にも加盟。町長自身も「核兵器全面禁止のアピール署名」をしています。

雨の予報もどこへやら

日射しもすこし強くなり、晴天にみんなで歌う

♪青い空は青いままで子どもらに伝えたい

神奈川からの引き継ぎに出迎える静岡のみなさんと合流。

「今までなかった知識を平和行進する中で得ることができました。被爆のこと、核兵器のこと。ほんまに祖父や祖母がいたから私がいるんやなと思いました。神奈川のみなさんありがとうございました」わかやま市民生協の新人、今日で行進を終える山東恵子さん。

広島まで通し行進しているマラヤ・ファブロスさんは「出会ってきたたくさんの方々に感謝。家族のように接してくれた原水協のみなさん。生協さんのあたたかい接待ありがとうございました。いつも生協を見ると、ああ休憩できる!と嬉しくなりました」 と言って、みんなを笑わせてくれました。

「戦争をなくすのは頭のいい科学者ばかりではない、わたしたちのような普通の人たちの行動。核兵器をなくすのは被爆者だけでなく、わたしたちの後に続く者の願いでもあるんです。神奈川のみなさんお世話になりました。また帰ってきます。静岡のみなさんよろしくお願いします」と。

同じく広島まで通し行進している村田澄男さんはこみあげる涙をおさえながら「みなさんと一緒に行進する中で得たことは初めて知ることがたくさんありました。神奈川のみなさんに感謝します。核兵器なくなるまで、元気に歩いていきます!ありがとうございました。静岡のみなさん、よろしくお願いします」と挨拶されました。

静岡へ引き継がれると途端に恵子さん、マラヤさんも涙が。

これから静岡は12日間、初の募金隊もはじまります。

(日本原水協・大越文)

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マラヤ・ファブロスさんの行進日誌9日目

平和行進九日目:三浦市役所から横須賀市のヴェルニー公園(臨海公園)

今日は三浦市役所からスタートでした。これまでの日記でおわかりでしょうが、私たちは毎日開会式と閉会式を行っています。その街に住む被爆者の方々からのメッセージや地域の原水協、そして地方自治体の職員の方々の挨拶、時々はいろんな団体のリーダーの方からも一言があります。

通し行進者(県の通し行進者とコース全体の通し行進者)も紹介されて、時々短いスピーチを求められたりします。その後その日の行進を仕切るリーダー/司会者が紹介されます。司会者か笠木さんが行進の前にコールの練習をウォームアップのために参加者と一緒にやります。「いいね」と「今でしょ」コールを教えられると参加者の皆さんはたいてい笑って和やかになります。この2つのフレーズは今日本でとても人気があるみたい。これは練習中の皆さんの一枚です。

大通りに沿って坂道を上っていくと下の写真にある建物が見えてきました。

一緒に歩いている行進者の方が私に、「あの屋根に大きなオレンジのでっぱりがある建物の場所がビキニ環礁で被爆した原爆マグロが埋められた場所だ」と教えてくれました。今ここには3棟のマンションが建っています。

今日夕食を食べている時にある男性が私たちに話しかけてきました。彼は今日この建物の近くを運転していて私たちの平和行進を見かけたそうです。その時彼は原爆マグロの事を思い出したと話してくれました。彼は思い出させてくれてありがとうと私たちに感謝していました。

3時半までには横須賀市に到着しました。一人の若い被爆者の方が挨拶されました。彼は75歳か76歳だったと思います。現在横須賀市には231人の被爆者の方が暮らされており、その内6人の方が今日の午後は私たちと一緒に歩いてくださいました。

今日のゴール地点に行く前に私たちは横須賀の米軍基地の横を通りました。道の反対側に集まって「今でしょ」と「いいね」コールを行いました。これまでの基地前の行動と違って今日は変わった(リアルな)傍観者がいました。エレベーターの影に隠れて私たちの横断幕に書いてある事を書き取っている兵士の姿さえ私は見つけました。

今日の行進は横須賀市の臨海公園で終了でした。そこで笠木さんが山崎正則さんを紹介してくれました。山崎さんは奥さんを亡くされています。2006年1月3日、山崎さんのの56歳の奥さんであった佐藤好重(よしえ)さんは酔っぱらったアメリカ兵に殴り殺されました。その米兵は奥さんの財布から1万5千円を奪おうとしたそうです。好重さんは内出血で亡くなりました。そのアメリカ兵の名前はウィリアム・オリバー・リースというそうです。

他にも酔っぱらった米兵が学校のガラスを割って校内に侵入し、眠り込んでいるところを朝登校した生徒に発見されるという事件もあったと聞きました。学校で酔いつぶれた米兵を見るというのは歓迎できる光景だとは言いがたいです。

日本中で有名になった事件に1995年に沖縄で起こった3人の米兵による12歳の少女暴行事件もあります。日本中で抗議の声がわき起こり、航空基地は沖縄の人口密集地から別の場所に移転せざるを得なくなりました。

私はネットでウィリアム・オリバー・リースについても調べてみました。以下は私がこの事件について見つけた多くの記事の中の一つです。

ニュージャージー州出身で空母キティーホークの乗組員だったリースは地元のバーで飲み明かした後に佐藤好重さん(56)を殺害した事を認めた。彼は路上で佐藤さんを呼び止め、近くの横須賀海軍基地の場所を尋ね、それから財布をひったくろうとした。 佐藤さんが抵抗し、「助けて」と叫んだので、リースは近くの建物の入り口に彼女を引きずり込み、11分間殴り続けた。「コンクリートの壁に彼女を打ち付け、足で彼女の腹部を何度も何度も踏みつけた」と小倉正三裁判長は法廷で語った。 「彼女の殴られ方をみれば、リースが人の命に対してまったく顧みる気持ちがなかった事が分かる。破裂した内蔵など身体の損傷がこの犯行が極めて残忍なものであったことを物語っている」と小倉裁判長は重ねて語っている。 リースは佐藤さんの財布から1万5千円、約130ドルを奪い、コンビニに立ち寄った後で基地に戻った。その日遅くに横須賀市内の病院で佐藤さんは死亡した。

行進の後で、いしざわひでおさんが私たちを横須賀海軍基地が一望できる小さな公園に連れて行ってくれました。ひでおさんは昨年11月の米軍基地返還20周年の時期にフィリピンの元米軍基地へスタディーツアーに来られたそうです。多くの日本や韓国の方々はこのフィリピンの闘いに敬意を表してくれます。今回は彼が日本の基地についてミニスタディーツアーをしてくれました。

彼は米国と日本の軍事施設の場所を示した地図を見せてくれました。大きな外側のエリアが米軍の所有地であり、小さい内側の部分が日本の所有地です。私たちは日本の所有地側に立っていました。

下の写真がその場所からの眺めです。写真の手前側にある複数の船は日本の軍事施設で私たちの立っている陸地に繋がっています。山を含む向こう側は米軍の施設です。ひでおさんは約6万人の日本人が基地内で働いており、賃金は日本政府から支払われていると話してくれました。基地内の人たちのための住宅建設などの仕事で基地内で働いている人たちもいます。

ひでおさんが横須賀にある米海軍基地について私たちに説明しています。ひでおさんの横には神奈川の通し行進者の塩瀬康雄さんがいます。彼は5年前に私の母とも一緒に神奈川県を歩いたそうです。彼は東京の出発からの通し行進者でした。今年は全国通し行進する事はお医者さんから止められてしまったそうですが、東京から神奈川の区間と広島で再び私たちと一緒に歩いてくださいます。とても精力的な方です!

(日本語訳=三宅朋子)

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【東京】八王子市原爆被爆者の会が被爆の実相を「証言」集とDVDにまとめる

▲バングラディシュ大使館を訪れた上田さん(右端)、中央がモメン大使

八王子市原爆被爆者の会(八六九会)はこのたび、ベンガル語と日本語を併記し広島被爆者17人の「証言」集『広島の声』を出版。また、被爆の実相を伝える被爆者の「証言」をDVDにまとめました。

同会の上田紘治事務局長は、「全国各地で役員として活動している方に加え、八王子市在住被爆者も5人が執筆しています。在日22年のバングラディシュ人の方と協力し、3年がかりで出来上がりました。

多くの方たちが、被爆者の訴えを受け止めていただくと嬉しく思います」と「証言」集を製作した思いを語ります。

上田さんは先日、バングラディシュ大使館を訪問し、マスード・ビン・モメン大使と面談。大使は大変喜び、「今後、協力する」と嬉しいコメントもありました。外務省に「非核特使」を申請し、いずれバングラディシュを訪問する予定です。

後世に耐えうるものとしてDVD作成

DVDの方は、八王子の被爆者9人が小・中学校や平和展などで「証言」している姿を収録。

上田さんは「前者を子ども向け、後者を大人向けとしています。後世に耐えうるものとしてこれも3年前から行政の支援を受けながらとりくんできました。被爆の実相をひとりでも多くの方たちにご理解いただくことが、平和への一番の近道と思っています」と語っています。

お問い合わせ・ご注文は以下まで。

E-mel:ueda☆link.nir.jp

※☆を@に変えて送って下さい。

コットンマフラー Wakaba大好評!販売すでに1500本に

5月1日、メーデー会場で20本の先行販売につづき、5月6日にスタートした2013年原水爆禁止国民平和大行進でも夢の島出発から神奈川引継ぎまでの2日間で100本を販売して以来、都道府県原水協や中央団体のご協力で、3000本作成した半分の1500本が販売されています。

「なぜか売れるんだよ!!」と話題に

栃木県原水協の福田台事務局長は、最初に注文した10本がすぐに売れて、30本を追加注文されました。福田さんは、「なぜか売れるんだよ。女性がおしゃれアイテムとして買ってくれる。流行を呼ぶような雰囲気がある。色もいいし、肌触りもよく、これからの季節には最適。売れる感じがするよ」と話してくれました。

いま平和行進をしている神奈川県では県内通し行進者が休憩するたびに、マフラーを広げて参加者に呼びかけすでに100本を売っています。

岩手県原水協学校では、パンフをもとにした学習レジュメの最後にマフラーのチラシもつけて紹介したところ10本はすぐに売れ、寒い時にも捲くと暖かいし、暑ければ汗をふくのにも最適だと好評でした。

フェイスブックで見て注文してきた長野県伊那市の方は、「肌さわりが本当に良くてウォーキングに最適。今まで使っていたスポーツタオルではこれほどのものはない」と絶賛。原水協作成のチラシをもとに、長野バージョンのビラを作り、地域で販売に協力してくれています。

見本をさわると、「これならいい」とまとめて3本買ってくれたり、色が素敵、子どもがさわってもガーゼ生地で安心、暑い時は頭にかぶってもよかった。などの声が寄せられ、購入してくれた方が、宣伝者になってまた広がっているのも特徴です。核兵器ノー、原発ノーで平和行進、各種集会はもちろん、おしゃれアイテムとしても最適です。物を見て、さわって納得。見本を持ち歩くことでさらに売れます。

コットンマフラーWakabaは1本1000円。お問い合わせ・ご注文は都道府県原水協または日本原水協まで。

▲滋賀県の平和行進でマラヤさんのサポートをしていただける西田ちひろさんも琵琶湖の前で

マラヤ・ファブロスさんの行進日誌8日目

平和行進八日目:上大岡駅から横浜市金沢区の泥亀公園へ

 

今朝は港南区上大岡にあるコープ(編集部注:イトーヨーカ堂)で開会式を行いました。朝の参加者は100人ほどで、午後にはもっと人数が増えました。

地域の被爆者の方、地域の原水協の方、そしてコープの方からのあいさつがありました。

今日の天気はとても気持ち良かったです。カラっとしていて日差しも快適でした。しかもあるコープの店舗での短い休憩ではよく冷えたスイカまで!これは本当に美味しかった!

福島さんが私にウォーターメロンは日本語でスイカということを教えてくれました。電車のカードのSuicaはこのスイカから由来したネーミングなのかと彼に聞いたら笑って違うと言われました。ははは。

ここで日本に関する豆知識です。Suicaというのは日本の多くの公共交通機関でお金を入金しておいて繰り返し使えるカードです。ドバイにもあるNolカードとよく似ていますが、このカードは東京のいくつかのお店ではデビットカードとしても使えます。私はこのカードを今回の平和行進のために母から借りました。母は2001年からこのカードを使っています。

杉田駅でお昼休憩を終えました。午後からの行進は金沢区にある地域の公園から再開しました。連帯のあいさつを地域の9条の会のリーダーの方がされました(彼は日本で有名な俳優さんの息子さんだそうです)。また新婦人の代表の方もあいさつされました。

私たちの歩く町々で公園や遊技場がたくさんあるのはとても助かります。こういう場所で行進参加者が集まったり、休憩を取ったりします。お母さんと子どもたちがよく遊具で遊んでいたりして素敵です。こういう公園は日本ではコミュニティーによくある設備のようです。たいていはトイレが併設されていますが、無い場合も近くにコンビニエンスストアがあって、トイレが使えます。私は将来フィリピンにもこういう小さい公園がもっと増えたら良いなぁと思います。

今夜は神奈川県の通し行進者のみなさんと一緒に伝統的な日本の旅館に泊まりました。これは初めての体験です。この三浦市にある出口荘は富士山と海が一望できます。女性陣はみんなで天井の高い大きな畳のお部屋で眠りました。男性陣は私たちの隣の部屋でした。

夕食は海の幸が満載でした。一晩でプロテインがいっぱいとれたと思います。こんな感じです。

夕食後は神奈川の通し行進者のみなさん(かのけさん、いとうさん、ふくしまさん、鈴木ちゃん)が村田さんの大きな横断幕にサインをしてくれました。村田さんはとても絵をかくのが上手です。 自分で横断幕のデザインも考えたそうです。すごい!

(日本語訳=三宅朋子)

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【愛知】ジュネーブの窓から(NPT第2回準備委員会報告①〜⑤)

スイスの国連欧州本部で開催されたNPT(核不拡散条約)再検討会議の第2回準備委員会(4/22-5/3)に、日本原水協と日本被団協から18名の代表団が要請行動を行いました。愛知からは学生3名を含む5名が参加し、元気に活動を繰り広げてきました。その報告が掲載された愛知県原水協反核平和ニュースです。

▲No.14クリック!

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▲No.16クリック!

▲No.17クリック!

▲No.18クリック! [...]

【国民平和大行進】徳島・四国一周コース 世界大会学習パンフを開き、懇談進む 那賀町では「筆(署名)の力で変えていくしかない」と町長・議長が激励

▲要請に応じる坂口博文町長(左)と大澤夫佐二議長

5月15日は阿南市と那賀町へ訪問しました。

阿南市は政策監・勝瀬修平氏と副議長・奥田勇氏が対応してくれました。

市長・議長は所用のため欠席でしたが、今の日本政府の対応の悪さ(核兵器廃絶と原発事故)に怒りを示しました。

那賀川町では坂口博文町長、大澤夫佐二議長が対応してくれました。

核兵器を廃絶していくためには私たちの草の根の活動が大切だと話すと議長から「書くことで変えていくしかないと」と応援していただきました。

署名を書くこと・選挙で情勢を変えていくこと、今の日本政府に対し行動していかなければならないと。

(徳島県原水協・猪本百合子)

マラヤ・ファブロスさんの行進日誌7日目

平和行進七日目:天王町公園から保土ヶ谷区、上大岡駅

 

今日は横浜の街をさらに歩き続けました。横浜市は港町でこの街の中心部は多くの建物がヨーロッパ風です。

佐藤良生さんという被爆者の方が今日はご挨拶されました。彼は14歳の時に被爆しました。1ヶ月後にお母さんが亡くなり、またその半年後に妹さんも亡くなったそうです。彼は現在の政府が日本国憲法96条を変えようとしていることについて強い反対を表明されました(憲法96条と9条の事はまた詳しく書きたいと思います)。

96条は日本の憲法の改正要件が書いてあります。今の首相は憲法9条を変えたがっており、この平和条項を変えやすくするために96条を変えようとしています。

 

日本の憲法9条は戦争を放棄しています。

以下の写真は、みずきちゃんが私に平和行進で着てとくれたものですが、背中に憲法9条がプリントされています。

 

私はもっと若い時に同じようなTシャツを持っていました。その時から憲法9条を知っていましたが、その後9年が経って今この平和条項のありがたさがより一層分かります。

憲法9条は日本の平和運動にとってだけでなく、日本の人みんなの宝だと思います。これからの平和行進でもっと多くの9条グッズがご紹介できると思います。

これはそういうグッズの一部です。

 

昼食の後は横浜港の近くの横浜県庁に向かいました。市長の林文子氏の代理の方から賛同のメッセージをいただきました。神奈川県には5000人の被爆者の方が暮らされており、横浜市にはそのうち2000人が生活されています。

今日もまたトランペット奏者の松平晃さんが参加してくれました。彼は日本で人気のある曲を一曲演奏し、みんなはそれに合わせてハミングしていました。とても素敵なメロディーでした。福島さんが私に「一本の鉛筆」という歌だと教えてくれました。

 

午後に私が短い挨拶を日本語でしている時、ぶんちゃんが行進に参加しているのを見つけてビックリしました。ぶんちゃんは日本原水協の平和行進スペシャリストみたいです。

ぶんちゃん、佐竹さん、そして安井さん他の日本原水協のみなさんが、各地の原水協の方々と一緒に私をサポートしてくれています。

 

上大岡駅で今日の行進は終了しました。他に面白かったのは、今日はちょっと観光客モードにもなれた事です。私たちは少し観光をするために横浜港に行きました。

また横浜タワーの近くの公園でも少しゆっくりしました。

これがその時の写真です。

(日本語訳=三宅朋子)

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原水爆禁止2013年世界大会パンフレットを学び、核のない社会へうねりつくろう 見どころ紹介

原水爆禁止2013年世界大会はNPT(核不拡散条約)再検討会議が開かれる2015年に向けて世界的な行動をスタートさせること、非核と9条輝く日本を実現することを主要なテーマにして開かれます。

パンフをもとにした学習をすすめ、地域・職場で原爆展や署名行動をとりくみ、平和行進をすすめながら世界大会へ代表を送りだしましょう。

パンフレットの見どころを紹介します。

1.核兵器はいつなくすの? 今でしょ!! 1ページ

世界の国々が目標としていることの一つが、核兵器をなくし、平和と安全を実現すること。

国連がテーマとしているのが国連憲章のルールに従い紛争を平和的に解決すること。

日本は、国民にも政府にも、核兵器の全面禁止を呼びかけ、行動する権利と責任がある。

2.写真で見る、核と放射能の被害 3ページ

ヒロシマ、ナガサキ、ビキニ、フクシマ 非人道性=人類の生存に関わる核兵器

1955年、3200万筆・有権者の過半数を超えた原水爆禁止署名、2010年、690万筆を国連に

3.北朝鮮の核問題 緊張をエスカレートさせないことが重要 7ページ

①9ページのように、繰り返される核と軍事的いかくの悪循環

米韓合同軍事演習で核弾頭搭載可能なB2、B52爆撃機の米本土からの参加を契機に、北朝鮮は休戦協定の効力白紙化を発表するなど・・

②対話をめざす動きが活発化 米政府、韓国政府(大統領が対話を呼びかけ)、国連(4月12日に潘基文事務総長が朝鮮語で呼びかけ) しかし日本政府の対応は・・・

8ページ 吉田英男・三浦市長のメッセージ

③8ページ 核保有国5カ国が核兵器全面禁止の先頭に

日本原水協は5カ国と日本政府に決断と行動を求めて手紙

4.国際政治では、核兵器全面禁止の条件は熟している 10ページ

①国連総会では175カ国が賛成。反対は米、英、仏、露、印、イスラエルの6カ国だけ 12ページ

②核兵器使用の非人道性の側面から 昨年5月に16カ国共同声明、10月国連総会では34カ国が呼びかけ、今年4月のジュネーブでは80カ国に。 *11ページ オスロ会議の結論

「核兵器が二度とふたたび、いかなる状況下においても、使用されないことに人類の生存がかかっている・・・。二度とふたたび使用されない唯一の方法は全面廃絶することでしかありえない」

③核兵器禁止条約の交渉開始を提起したマレーシア決議には、インド、パキスタン、北朝鮮、イランも賛成。「みんなでやめよう!」が当然の声に。核保有5カ国の決断だ。

5.抵抗する核保有国 12ページ

2010年NPT再検討会議が合意した「核兵器のない世界の平和と安全を達成する」目標について、3年になる今もその実現の道筋が見えてこないのは、核保有国や核の傘に依存する国々の「核兵器は安全の保証」という考え方(核抑止力論)がある。核拡散を誘因するのもこうした核保有国の態度に。

6.市民の役割の発揮 14ページ

歓迎される署名。核保有国や核の傘に依存する国々での世論と運動が決定的。

4月24日第2回準備委員会へ、276万2031筆の署名提出。アンゲラ・ケイン国連軍縮問題担当上級代表「世界大会に出席して感銘を受けた。暑い日差しの中で署名を集める若者に姿に感動した」と励ます。

日本では、参議院選挙も見据えて

7.問われる日本政府の姿勢 15ページ

①韓国大統領や潘基文国連事務総長が対話を呼びかけたのと対照的に、安倍政権は北朝鮮に対して軍事的対応一本やり。石破自民党幹事長も軍事的対応をあおる。その一方ですすめられる改憲と靖国参拝。

②昨年10月に続き今年4月も、核兵器の非人道性を批判し、核兵器不使用を主張した共同声明への署名を拒否。日本政府は「いかなる状況下でも」という一文の削除を求め、それが受け入れられないからと署名を拒否したことに国の内外から失望と怒りが。被爆国の政府として国際社会への背信行為。

③日本原水協は核兵器全面禁止の決断と行動を求め、平和行進を通じて自治体からの意見書のとりくみも提起している。

④17ページ 草の根から圧倒的な世論を 16ページに自治体の状況

今年のパンフには4人の自治体首長が登場している。自治体の変化が。

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マラヤ・ファブロスさんの行進日誌6日目

平和行進六日目:海老名市から横浜へ

 

今日のニホンゴ:雨(あめ)

 

今日は一日中雨でした。午後にはかなりの土砂降りになりました。

行進は海老名市役所からスタート。海老名市役所の方が挨拶してくれました。賛同を表明してくれただけでなく、海老名市役所の正面に植えてある記念樹についてもその方はお話ししてくれました(最初に載せている写真です)。この小さな木は広島にある木から枝分けされたものだそうです。この木ははじめ市役所の別の場所に植えられていたそうですが、正面に移されたそうです。今日の行進のまとめ役は海老名市議会の議員の方です。彼はとっても若く見えました。

 

行進を始めた頃にパラパラと小雨が降り始めました。皆さんがカッパを持って来ていて良かったです。私も初めて自分の透明のカッパを使いました。これは透明なので私たちが肩からかけているオレンジ色のたすきを見せる事ができます。通し行進者の村田さんと私はこの東京から広島まで歩いている事を明記したオレンジのたすきを行進中は毎日身につけます。でも実は私はビザの関係で一週間のお休みを5月27日から6月5日までいただく事になっています。日本に滞在する外国人は最大3ヶ月の滞在しか許可されないからです。だから私はその一週間の間に一度フィリピンに帰って改めてビザを取らなければなりません。

 

昨日いただいた本の事ですが、福島さんが一部を翻訳してくれました。著者の方はトラックの運転手さんを退職された後で平和行進を歩かれたそうです。彼は現在75歳です。

 

区役所で休憩した時には市議会議員の皆さんが揃って出迎えてくださいました。市議会議長の方が自ら賛同の挨拶をしてくれたのはとってもすごいことです。

それから私たちは厚木航空基地まで歩きました。コールしながら基地の入り口のところまで塀にそって進みました。入り口近くではコールの一部を英語で車のマイクから行いました。この基地にはオスプレイも配備されていると聞きました。オスプレイの墜落で数名の近隣住民が亡くなる事故が起こったそうです。

 

オスプレイとは何か?

新婦人(新日本婦人の会)にインタビューされた時に、平野恵美子さんからオスプレイがヘリと飛行機の性能を兼ね備えたものである事を教えてもらいました。オスプレイは地面から垂直に離陸することができ、飛行機のように多くの荷物を搭載して早く飛ぶ事もできるそうです。オスプレイがヘリから飛行機のモードに切り替わる際(もしくはその逆の時に)、とりわけ強風の場合などに事故が起こりやすいそうです。

 

オスプレイは米国では多くの街で飛行が禁止されて来ました。しかし日本では沖縄の住居地の上空をそれは飛び回っています。日本にある米軍基地の70%が沖縄にあります。沖縄の土地の半分が米軍基地で占められているのです。

 

今日は雨と上り坂が多かったのでかなり大変な一日でした。でも雨でも多くの人が笑ってうなずいてくれたり、手を振ってくれました。自転車に乗った男の子たちが「いいね!」や「今でしょ!」コールを飛び入りで一緒にやってくれたりもしました。とっても楽しかった!

またあるフィリピン人の家族ともすれ違いました。彼らは最初私をみてビックリしていましたがすぐにニッコリ笑い返してくれました。

 

午後は大和公園と、あるコープの支部との2回の休憩がありました。雨が小降りになるのを待ってコープではいつもより長めの休憩を取りました。それから今日の最終目的地に向かって歩きました。

 

千羽鶴の話

一人の親切な女性が大和公園で私たちを待ってくれていて折り鶴を2束手渡してくださいました。1束に千羽の鶴が折られていました。彼女はこれを2年で折り上げたそうです。私たちはこの折り鶴を広島まで持って行きます。日本では千羽の鶴を折ると願いが叶うと信じられています。

 

折り鶴は平和への強い願いを示すものでもあります。この折り鶴と平和運動の繋がりは、サダコちゃんという若い被爆者のお話が始まりだと思います。サダコちゃんは広島の被爆者でした。原爆で傷を負った訳でもないのに、彼女は放射能によって最後には病気になってしまいます。彼女は病気が治る事を願って千羽の鶴を折りました。彼女は若くして亡くなってしまうのですが、彼女に起こったような事を二度と繰り返さないという願いを込めて多くの人が折り鶴を折る事でその思いを伝え続けています。

 

彼女の物語は広島の平和記念館でも取り上げられています。

 

今日は写真が少なくてすいません。また写真をすぐに載せますね。

(日本語訳=三宅朋子)

【香川】お城まつり署名行動で300筆超える署名集まる

原水爆禁止丸亀市協議会は5月4日、丸亀城大手門でお城まつり署名行動を行い、10人が参加しました。

核兵器廃絶署名は298、伊方原発再稼働反対の署名は61、合計359筆の署名が集まりました。

お誘いチラシを見て参加したYさんは黙々と署名集めをしていました。「ありがとう」と言ったら「元丸亀原水協の事務局長やから」と。丸亀原水協の歴史に感動し、お誘いチラシも大切、もっと声かけを広げることも大切、と嬉しい反省をしました。

(丸亀市原水協事務局長・近石美智子)

参加者の感想

99歳になる義母を介護しているので短時間の参加でしたが、積極的に近寄ってきて署名をしてくれる方が何人もいたのには励まされました。他県から来城の人も多く、長崎県出身の人も「核兵器は、絶対になくしてほしい。北朝鮮の問題も国連がもっと力を発揮すべきだ」とご家族みんなで署名してくれました。(参加者のTさん)