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和田さんの演説に会場総立ちで拍手 ローマ法王に「ヒバクシャ国際署名」用紙を手渡し要請

ローマ法王庁が主催して核兵器の廃絶と軍縮に向けた道筋を考える国際会議が11月10日から2日間、バチカン市国でおこなわれ、日本原水爆被害者団体協議会の和田征子事務局次長が演説しました。 同行サポートをしている日本原水協の朝戸理恵子担当常任理事からのリポートを紹介します。

和田さんの発言は素晴らしい内容で、終わったとたんに、発言者でただ一人、会場総立ちの拍手を受けました。涙目で聞いていた人もいたようです。セッションの終わりには挨拶と感謝を述べにくる人たちが和田さんの前に列をなしていました。

昨日(10日)の法王謁見では、一人あたり10秒ぐらいの時間しかなく、「ヒバクシャ国際署名」をお願いしたいと述べて署名簿を渡し、握手するだけで精一杯でした。返事が来るかどうかは分かりませんが、事務局の人に返事をいただきたいことは念押ししてきました。会議に参加していた枢機卿や司教からは署名をもらいました。

セッションの開始前、休憩、昼休みと和田さんには取材が引きも切らずだったため、なかなか参加者に署名をしてもらう時間がなく、思ったようには集まりませんでしたが、ノーベル平和賞受賞者のジョディ・ウィリアムズさんなどが署名してくれました。

バチカン会議での署名者一覧

【動画あり】10・26国連軍縮週間のつどい:パネル討論「核兵器禁止条約と日本の安全を考える」

国連軍縮週間のつどい:パネル討論「核兵器禁止条約と日本の安全を考える」

【各パネリストレジュメ・資料】 山田寿則氏 小沢隆一氏 土田弥生氏

【平和行進】2017年原水爆禁止国民平和大行進情報

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【広島】国連核兵器禁止条約交渉会議&ニューヨーク行動報告集会

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【平和行進】国際青年リレー行進者イ・ジェファンさん(韓国・体育市民連帯)の感想メッセージ

山口県光市を行進するイ・ジェファンさん(右端=7月10日)

国際青年リレー行進者として7月5日(広島・平和公園)を出発して8月6日(長崎・松山公園)まで歩いているイ・ジェファンさん(韓国・体育市民連帯)の感想メッセージを紹介します(7月9日)。

こんにちは。

私はイ・ジェファンです。

竹田昭彦さんと嶋田紀子さんと一緒に、広島から長崎まで歩いています。 2017年の平和大行進をはじめて、すでに数日が経ちました。

まだ、日本語が困難です。少しずつ勉強しているので行進が終わる頃には、慣れることでしょう。

行進をしながら多くの人に過分のご親切とケア、そして励ましを受けました。

特に、通り過ぎながら手を振ってくれる方を見ると、力が湧いてきます。単に手を振るだけだが、その手のジェスチャーに、多数の思いが込められていることを感じます。会う人と、一人一人に挨拶をして、話をすることができず、とても申し訳ありません。

韓国から来たという理由だけで、受け入れていただき、本当にありがとうございます。

今後、平和行進が終わるまで、皆さんとの出会いに胸がときめきます。

ここまでの時間が、まるで夢を見ているようです。私の人生で、このような経験は二度とないと思います。私の足取り一歩、一歩が、あなたの一歩、一歩が、永遠に記憶に残ると思います。

平和と希望の足取りで、歴史のページになることを祈っています。

「人」、「山」、「海」、「地」、すべてが美しい日本に、招待いただきありがとうございます。

【世界大会】8.6ヒロシマデー集会 核兵器禁止条約を力に核兵器のない世界の実現へ

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【神奈川】「ヒバクシャ国際署名」11万1656人分に到達!

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核兵器禁止条約国連会議の議長と軍縮担当上級代表に296万3889人分の「ヒバクシャ国際署名」署名手渡す

連帯の握手を交わす左から日本被団協の和田事務局次長、ホワイト議長、日本被団協代表理事の箕牧さん、中満国連軍縮担当上級代表

日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)の和田征子事務局次長と箕牧智之代表理事は、核兵器禁止条約国連会議(第2会期)の2日目の6月16日、議場でホワイト議長(コスタリカ)に「ヒバクシャ国際署名」296万3889人分を手渡しました。中満泉国連軍縮担当上級代表も同席しました。

 

ホワイト議長に署名を手渡す和田さん

 

【平和行進】国際青年リレー日誌「友達になった人々: 平和行進を振り返って」(ケイラ・ウォーリー:最終回)

日本を発ってから数日が経ち、(時差ぼけから回復しながらですが)、日本での体験を振り返っています。

私が日本に行った理由はいろいろあります。核兵器の影響について学びたかったし、日本の文化に触れたかったし、明らかに意義のあることに対して支持を表したかったからです。

小さな町の出身である私は、大学入学のためにボストンへ引っ越すまでは、社会運動や抗議活動についてほとんど目にすることがありませんでした。そのため、思い切って自分の殻を破り、初めての、しかも外国での抗議活動に参加しようと考えたのでした。

実際日本に来てみて、本を読むのとは違う種類の知識を得ることができました。ビキニ環礁の史実を学んだだけでなく、ある被害者の家族の悲しいお話を聞いたりしました。また、日本にある米軍基地の数の多さに驚いただけではなく、そこに暮らす市民の生活にこれらの基地がどのような影響を及ぼし、そして市民がどう感じているかについても学びました。

この平和行進のおかげで、これまで見えていなかった、アメリカの外からの視点を通して物事を見ることができました。日本のニュース番組では、ドナルド・トランプ大統領やアメリカの出来事のニュースをよく見かけましたが、そのことにショックを受けました。それは、アメリカのニュース番組では日本の総理大臣のニュースを目にすることはほとんどないからです。アメリカ国内にいる私たちは、いかに自分たちが世界に影響を及ぼしているかを忘れているのではないかと思います。他の国々の人々は遠い存在であると感じ、また自分たちの日常生活が世界の問題からさほど影響を受けていなくても、私たちアメリカ人がいかに世界に大きな影響を及ぼしているかを忘れがちです。例えば戦争などが米国本土に影響することはほとんどないからです。ビキニ水爆事件のとき、日本の食料供給の大半が核実験の放射能で汚染されたこと(それに関して謝罪もなかったこと)を知ったときは、本当に理解できませんでした。そんなことはアメリカではあり得ないからです。

行進を続けながら学習するにつれて、特に世界で最も影響力のある国の市民として、これら全てに関する自分の知識がいかに不十分なものであったかを、何度も考えさせられました。歴史の授業では、アメリカが広島、長崎に原子爆弾を投下したこと、それが何年のことだったか、そして何人の人が死んだかを学びました。そしてテストでいい成績をとるためにそれを暗記しました。そこには感情や共感などといったものは存在しませんでした。行進の間、自分が日々実体験していることを、必要な教育の一環にするにはどうしたらいいだろうかと常に考えていました。単に事実を学習するだけではなく、人に対する考え方を変え、自分の得た知識をすぐ目の前にある実際の状況に当てはめるのです。日本はもはや私にとっては遠い外国ではなくなりました。

外国というと普通、人はその国の政府とか軍とかを頭に浮かべると思います。そのようなものの考え方が、容易になんらかの目的(あるいは利益)の名のもとに、町を壊滅させ、戦争へ向かわせようとするのです。しかし、政府がどのような立場をとっているかということだけで、遠くにある国を判断することはできません。国家というものは、隣人とか同僚とか家族とかといった人々から成り立っているのです。でもそれに気づかないまま、私は日本をそのようにとらえていました。しかし、実際すばらしく優しい日本の人々と出会い、一緒に食事をし、一緒に歩き、また家に泊めてもらったりもして、私には本当の友人ができました。このような人々を実際に自分の国の市民と同じ人間、あるいは友だちと考えるならば、こんなに多くの人々を殺すことなどできないと思います。

ボタンを一押しするだけで一つの市全体の人々を抹殺できる力と、さっき述べたような、自分とかけ離れた存在として他国民を捉える考え方は、とても危険な組み合わせであり、直接手を下すのは決して不可能なほどの恐ろしい非道な行為をもたらしかねません。このような物の見方と、非人道的な悪を実現する道具の両方を変える必要があります。これらの恐ろしい兵器はなくさなければなりません。さらに重要なことですが、私たちは、文化交流や直接会って触れ合うことで、お互いを理解する真剣な努力をしなければなりません。自らの安全地帯から抜け出して別の文化に身を置くことは恐ろしいと感じるかもしれません。ですが、現状のままだと、未来はもっと恐ろしいものになってしまうでしょう。

(翻訳=小林明子)

1945年、広島

【平和行進】国際青年リレー日誌「富士山の裾野を歩く」(ケイラ・ウォーリー 14日~18日目)

この2、3日たくさんのことを、美しい富士山が見える土地で吸収してきました。(この写真は私のホテルの部屋から撮ったものです。素晴らしいというしかありません。)

富士山の東側にある、(オスプレイの飛行演習から、長距離迫撃砲の発射まで)さまざまな訓練をおこなっている米軍と自衛隊の演習場に行ってきました。どちらかというと公園に見えるその場所を見て、そこが演習場だということにとても驚きました。この演習場があるために、富士山は世界自然遺産には選ばれなかったと聞きました。

次の日は(戦車の)演習場として使われている海岸を訪れました。およそ100年前に、農作物を守る防風林として農家の人たちが植えた松林を歩きました。そして林を抜けると浜辺が目に入るかと思いきや、目の前に広がっていたのは軍隊が建てた(松林が演習場に広がるのを防ぐ)この壁でした。このように美しい場所が、人殺しの訓練のために使われるのは残念なことです。

そのすぐ横に、市が建てたこの看板がありました。

海岸は一般開放されています。壁の両側に階段があり、そこから壁に登り、壁の上の小道を通って浜辺に出て行きました。海岸ですれ違う人も何人かいたので、人々はこの場所によく来るようでした。演説した方によると、米軍と自衛隊のどちらも、市役所に演習の日程を連絡したりしないそうで、当日の朝にバリケードを立てて1日中この場所を閉め切って使うそうです。海岸の一部、戦車が通ったあとは不自然に平坦になっていました。地元から行進に参加された人たちは、この状況を喜ばしく思っていないように感じました。

行進の途中、たくさんの古い伝統的な日本式家屋がある地域を通りました。本当に日本を見ているのだと感じ、嬉しく思いました。通訳の方によると、市内でもこの地域だけに伝統的な家屋が残っているのは、ここが第二次大戦の(核ではない)爆撃を受けなかった数少ない地域の一つだからだそうです。私たちはあまりにもたくさんの日本の文化遺産を破壊したのですね。

昨日の行進は、被爆者の慰霊碑がある、遠くにまるで空に浮かんでいるような富士山を見晴らす美しい寺院に向かいました(残念ながら電線越しの景色でしたが)。

右側には平和運動の象徴である色とりどりの千羽鶴が見られます。

最後に、第二次大戦に関する、被爆者たちの悲惨な姿や画像も含まれた短編映画を見ました。後日英語版ももらえるようなので、ぜひ友達や家族に見せたいと思います。誰もが、特にアメリカ国民こそ、核戦争の影響をその目で見るべきです。

この数日間はとりわけ美しい風景を見ることができました(そして大変素晴らしい人々にもお会いしました)が、私の母国がこの土地をあまりにも簡単に地図の上から消滅させることができるかもしれないと考えると、大変悲しく思います。日本にはいかなるアメリカの歴史よりも、はるか昔につながる豊かで奥深い文化があります。私にはとても把握しきれないほどの歴史です。

今、この時代、誰も戦争の残虐行為の犠牲になるべきではなく、そしていかなる国も、そのような思慮を欠いた暴力行為によって、自分たちが受け継いできた遺産を失うべきではありません。もし私たちの国の軍の指導者たちが、自分たちが爆弾を落とした土地の美しさを目にし、自分たちが殺した人々に会っていたならば、そのような破壊行為はできなかったと思います。

(翻訳:岡本真樹子)

【平和行進】国際青年リレー日誌「神奈川から静岡へ引継ぎ」(ケイラ・ウォーリー 15日目)

神奈川県湯河原町から静岡県熱海市へ

ここ2、3日は、平和行進の他の方々と一緒に、伝統的な日本の宿に(そしてどなたかのお宅にも)滞在していました。そのため、他の平和行進者と親睦を深めることができました。

知り合って二週間しか経っていないのに、一緒に過ごした人々に別れを告げることがこんなにも悲しい気持ちになるということに驚きました。どの場所でも、長い時間一緒にいれば、誰とでも友達になることができるのだと知りました。文化の違いをどう考えるかを除けば、同じ人間として私たちの中には類似点があるということです。

これまでかなりのカルチャーショックがありましたが、それでもこの短い期間にも、私は神奈川の人々とつながることができました。実際、日本の文化を学ぶことを通して、たいていの場合私は人々と親しくなることができました。初めてここ日本に来たときは、家から遠く離れ、また、(洗濯や知っているエチケットのような普段当然のこととしているこまごまとしたことを含む)いろんなことに慣れておらず、必ずしも心地良さを感じてはいませんでした。

しかしながら、日が経つにつれ私は、お辞儀の仕方、日本の政治、温泉のエチケットの複雑さまであらゆることを質問していました。そして、気が付かないうちに(日本のおもてなしと思いやりのおかげでもありますが)友達ができていたし、実際に心地良ささえ感じてきました。自分と違う価値観の人々を理解しようとする際に必要なのが、心をオープンに持ち続けるということだと思います。確かに、少しの努力、寛容さ、そして相互尊重の気持ちを持ってお互いを理解することができれば、暴力は意見相違の解決策にはならないのです(その相互尊重の質というのは、すべての人が日本の文化から学ぶべき重要なものだと思います)。

神奈川でできた新しい友達と別れることは寂しいですが、静岡でもきっとまた多くの人々に出会えることでしょう。

(翻訳:小林明子)

【平和行進】国際青年リレー日誌「小さな町から海軍基地の町へ」(ケイラ・ウォーリー 9日目)

小さな町から海軍基地の町へ(ケイラ・ウォーリー 9日目)

神奈川県三浦市―横須賀市、5月14日、5.6マイル

昨夜は、小さな三浦市にある日本の伝統的な宿泊施設の民宿に泊まりました。上の写真は、三浦市が平和都市宣言をした日本初の町であることを伝える平和記念碑です。行進の最中、何年も前にビキニ水爆実験で放射能を浴びたマグロを埋めたとされる地域(現在は住宅地)を通りました。

それから横須賀市に向かいました。東アジアで最大の米軍基地がある街です。街にいるアメリカ人の数(この1-2週間のなかで最も多くのアメリカ人を目にしました)で基地の存在が理解できました。米兵や彼らの家族の目を見つめ、微笑みながら「ノー・モア・ウォー!」と言う時、運動に賛成しない人々の中で抗議の声を上げることの難しさを感じました。

この数日間いくつもの軍事基地を見てきたので、当然のことながら私は、日本にある基地の役割、影響、評判などについて質問してきました。米兵による犯罪の増加が原因で、一般的には基地は否定的に見られているようです。なのになぜまだ基地があるのか?との疑問が自然に浮かびました。

アメリカによる日本の占領は1950年代に終わりましたが、日本政府は冷戦時代に危険な隣国からの防衛を求めて米軍基地を維持することを決めました(日本の憲法は自国の軍隊を著しく制限しているため)。

しかし冷戦が終結した今、日本にある米軍基地の存続について議論が起きています。北朝鮮は未だ脅威であり、特別な防衛が必要だと言う人がいます。しかし今日私が話した人々の説明は説得力がありました。北朝鮮が発射する核弾頭はほんの数分で日本に到達するため、日本にいる米軍にすら行動する猶予を与えないだろう、というのです。一方、いわゆる「核の傘」のもとアメリカが日本を援護するという形の威嚇は、核攻撃を「抑止する」のに充分だと言う人もいます。しかしこれも、今日どなたかが言われたように、日本の隣国による核備蓄の増加や近代化を阻むことにはなりません。なので長期的にはほとんど効果のないやり方です。何よりも、日本政府は現在、憲法を改正して軍隊を強化しようとしています。しかしこれによって近隣諸国との緊張が高まるのは必至で、彼らの核兵器開発の緊急性を高めることにもなるでしょう。

これは明らかに複雑な問題です。最良の解決法も分からないのに、自分がアメリカに帰ってから一体何ができるのかと、この数日間考え続けています。今日ある人が、まもなく国連で開催される平和会議(核兵器禁止条約交渉会議)の素晴らしさについて話してくれたのが、私の疑問に対する答えにもなりました。この会議は具体的なステップではないかもしれないけれど、核兵器は非人道的で悪の兵器であるという考え方を確立し、これを規範とするためのものだと言うのです。すべてについて具体的な答えを持たなくても、この問題に対する世界の考え方を変えることができれば、核兵器のない世界を実現する最良の方法についてのより多くの考察が可能になるでしょう。

(翻訳:中村みずき)

【平和行進】国際青年リレー日誌「雨の一日、軍事基地について学ぶ」(ケイラ・ウォーリー 5日目)

雨の一日、軍事基地について学ぶ(ケイラ・ウォーリー 5日目)

神奈川県相模原市―座間市 5.7マイル 5月10日

今日は雨が降っていたので、ありがたいことにそんなに長い距離を行進しませんでした。一日の前半は、(日本の多くの都市と同様に)米軍基地のある相模原市を通りました。私はアメリカがいまだに日本を占領していたとは知りませんでしたが、明らかに第二次世界大戦以来ずっと占領し続けています。

昨年、相模原の米軍補給廠で、原因が明らかにされていない爆発があり、近隣の建物にまで被害を及ぼしました。アメリカは何が起こったかについて何の声明も出さず、損害に対する弁償もしませんでした。アメリカと日本の関係を学べば学ぶほど、私は恥ずかしさと失望感を感じざるをえません。

それから行進は、これまでで最も小さい都市である座間市へと入りました。しかし、小規模都市であるゆえ、私がこれまであまり見たことがなかった美しい日本の伝統的な家屋に出会うことができました。もっと大きな都市で見る建造物は日本式というよりはアメリカ式のように見えます。なので私はこれらの家を見て興奮を覚えました。

この興奮は、別の米軍基地にさしかかってかき消されてしまいました。この基地の前に立ち、そしてみんなと一緒に、自分と同じアメリカ人に対し、「ノーモア広島、ノーモア長崎」と繰り返し叫んだとき、私は、こちらを無表情に見つめる兵士たちよりも、行進の参加者や平和運動のほうにより一層の連帯感を感じている自分に気づきました。少なくとも平和という共通の目標に向かってみんなが一致団結することができれば――そしてそれをきっと誰もが心の中では望んでいると思うのですが――私たちはより良い方法で問題を解決することができるのにと思います。

ある市会議員の人が、座間市の政治家の間で核兵器について意見の相違があることについて教えてくれました。アメリカや他の核大国と同じように、北朝鮮を恐れている人々がいるからです。私たちは、恐怖という原始的な衝動から距離をおく必要があると思います。なぜなら恐怖というものは非理性的な決定をあおるだけだからです。世界全体の協調を達成するためには、私たち全員が立ち上がって、お互いの国を尊重し暴力に頼らない関係を作る必要があります。私たちが恐怖に支配され続けるかぎり、常に恐れる理由を持ち続けることになってしまいます。

(翻訳:小林明子)

【平和行進】国際青年リレー日誌「東京から神奈川へ」(ケイラ・ウォーリー 2日目)

第2日:東京から神奈川へ

東京都港区芝公園 ⇒ 神奈川県川崎市稲毛公園 11.89マイル

今日はとても長い一日でしたが、とても面白かったです。東京から神奈川県川崎市まで行進しました。行進した人々の大部分は自分の県内だけを行進するので、すべての旗や横断幕を引き渡すセレモニーがありました。私が出会って話を聞いた人はみな、本当に、反核平和運動のためにすばらしい活動をしていました。川崎は、私が東京で見たものとかなり違っていました。私は今日のセレモニーでお会いした新しい人たちと実際に一緒に行進できるのを楽しみにしています。

しかし、私が一番楽しかったのは、行進の後の青年集会でした。私は同じ年代の人々と本当に素晴らしい討論をし、日本の青年の反核平和運動への態度について多くのことを学びました。

反核平和運動の現状とその背景について、平和委員会の人の講演もありました。15を超える国々が核兵器を持っており、ほとんどは数発から300発ぐらいですが、ロシアと米国は約7000発も保有しています(しかも第2次世界大戦当時よりもよりもはるかに強力なものを)。彼らが本当に世界全体を爆破しようと計画しているわけでないのなら、一体なぜこんなに核兵器をたくさん持つ必要があるのか理解できません。核大国(米国、ロシア、英国、フランス)が現在の国連での核兵器禁止条約イニシアチブに反対しているのは、北朝鮮を恐れているからですが、北朝鮮はこれまでにわずか8発しか保有していません。それに対抗するためには7000発も必要ないのではと思います。さらに、もし朝鮮が今日の破壊力を持つ核兵器で攻撃されれば、日本だけでなくアジアの広範囲にも影響が及ぶでしょう。

もっと続けて書きたいのですが、ブログへの短い投稿に収めるにはあまりにも多くのことがあり過ぎました。広島への原爆投下について被爆者の証言も聞き、とても正当化できないことだと思いました。今日聞いたすべてのことを、私たちは本当にもっと広く共有しなければならないと思いました。核兵器の生存者(「被爆者」と呼ばれる)は80代になっており、残された時間は多くありません。人々が、核兵器がいかに残酷なものかを実際に理解できるように、被爆者の証言を記録し、広く知らせるべきです。今日お会いした被爆者は、まだ小学生だった当時、焼けただれた人の皮膚が体から溶け落ちるのを見たと話していました。そのような話は歴史の教科書から得ることはできません。

【平和行進】国際青年リレー日誌「2017年平和行進、東京を出発!」(ケイラ・ウォーリー 1日目)

2017年平和行進、東京を出発!(ケイラ・ウォーリー・アメリカ)

東京都江東区 夢の島公園 ⇒ 港区 芝公園 8.78マイル

私は核兵器が日本に及ぼした影響についてもっと学ぶために来日しましたが、その期待が裏切られることはありませんでした。

行進が始まる前に、ビキニ水爆実験(これについて私はほとんど知りませんでした)で被災した船を保存している第五福竜丸展示館を案内してもらいました。私は1950年代にアメリカがマーシャル諸島で核実験をしていたことは知っていましたが、その影響について知り、本当に衝撃を受けました。この事件はビキニ環礁周辺の島々に影響を与えただけではなく、日本全土に影響を与えたのです。日本全国の港に水揚げされた魚は(日本の主要なタンパク源が魚であった時代なのに)放射能値が高すぎて食べられなくなり、爆発のきのこ雲は成層圏まで達して放射能の雨を降らせ、日本全国の作物に影響を与えました(そして人々は体を守るためにレインコートを着なければならなかったそうです)。

赤い点は、ビキニ核実験の後で放射能マグロ(他の魚は含まず)が発見された場所を示す。

この事件の後、日本国民の人口の3分の2が核兵器禁止署名に署名しました。食料供給システムの全体が汚染されたら、私もきっとそうするでしょう。 このようなことが現在の私たちの世界で起こってはなりません。

展示館を案内してもらった後(集会と行進の途中で)、私は多くの人々の発言と日本の反核平和運動の成功について話すのに耳を傾けました。今年、国連は、核兵器禁止条約を締結する会議を開いていますが、これはビキニ水爆実験以来続けられてきた、これらの人々の長年の努力のおかげです。私が参加しようとしているこの行進が、国際的なレベルで実際に変化を生み出しているのだということに、深い感銘を受けました。

日本についてたった1日のあいだに、たくさんの人々の話を聞いて、私は、これらの問題についてアメリカ人として十分教育を受けてこなかったと実感しました。もっと平和な明日に向かって進むためには、まずお互いを理解しあうことから始めて、歴史だけでなく、歴史の中での私たちの行動がどのような効果をおよぼすかについて、実際に学ぶ必要があります。もっと多くのアメリカ人が、今日の私と同じ体験をすることができればいいなと思うし、もちろんこれからの数週間のうちにできることを願っています。