カテゴリー

アーカイブ

【平和行進】2017年原水爆禁止国民平和大行進情報

実施要綱 全国地図 スポット(案) ピースコール(案) 平和行進チラシ グッズ

全国通し行進者プロフィール・決意

NEW! 各地のコース・日程

ニュース 4/17  4/18 4/19 4/24 4/25 5/2 5/8 5/10 6/15 6/19 NEW! 6/21

愛知ニュース 6/1 6/2 6/3 6/4 6/5 6/6  6/7 6/8 6/9 6/10 6/11 6/12(最終回)

三重ニュース 6/9 6/10 6/13 6/15 6/16 6/17

五十嵐成臣日誌 5/4-11 5/12-17 5/18-6/1 NEW! 6/1-12

ケイラ・ウォーリー日誌 5/6 5/7 5/10 5/14 5/21 5/26 NEW! 6/10(最終回)

国土交通労働組合の旗を広島・長崎へ

愛媛を歩こう!国民平和大行進

竹田昭彦行進日誌

国際青年リレー行進協力のお願い

国際青年リレー募金チラシ 青年交流会(5/7)チラシ

var addthis_config = {“data_track_clickback”:true,”ui_atversion”:300,”ignore_server_config”:true}; var addthis_share = {}; var addthis_product = “wpp-5.3.5”; var wp_product_version = “wpp-5.3.5”; var wp_blog_version = “4.8”; var addthis_plugin_info = {“info_status”:”enabled”,”cms_name”:”WordPress”,”plugin_name”:”Share Buttons by AddThis”,”plugin_version”:”5.3.5″,”anonymous_profile_id”:”wp-51ea01d77790b968d6da58d656d12598″,”plugin_mode”:”WordPress”,”select_prefs”:{“addthis_per_post_enabled”:true,”addthis_above_enabled”:true,”addthis_below_enabled”:true,”addthis_sidebar_enabled”:false,”addthis_mobile_toolbar_enabled”:false,”addthis_above_showon_home”:true,”addthis_below_showon_home”:true,”addthis_above_showon_pages”:true,”addthis_below_showon_pages”:true,”addthis_above_showon_categories”:true,”addthis_below_showon_categories”:true,”addthis_above_showon_archives”:true,”addthis_below_showon_archives”:true,”addthis_above_showon_posts”:true,”addthis_above_showon_excerpts”:true,”addthis_below_showon_posts”:true,”addthis_below_showon_excerpts”:true,”addthis_sidebar_showon_home”:true,”addthis_sidebar_showon_posts”:true,”addthis_sidebar_showon_pages”:true,”addthis_sidebar_showon_archives”:true,”addthis_sidebar_showon_categories”:true,”addthis_mobile_toolbar_showon_home”:true,”addthis_mobile_toolbar_showon_posts”:true,”addthis_mobile_toolbar_showon_pages”:true,”addthis_mobile_toolbar_showon_archives”:true,”addthis_mobile_toolbar_showon_categories”:true,”sharing_enabled_on_post_via_metabox”:true},”page_info”:{“template”:”categories”,”post_type”:””}}; if (typeof(addthis_config) == “undefined”) { var addthis_config = {“data_track_clickback”:true,”ui_atversion”:300,”ignore_server_config”:true}; } […]

核兵器禁止条約国連会議の議長と軍縮担当上級代表に296万3889人分の「ヒバクシャ国際署名」署名手渡す

連帯の握手を交わす左から日本被団協の和田事務局次長、ホワイト議長、日本被団協代表理事の箕牧さん、中満国連軍縮担当上級代表

日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)の和田征子事務局次長と箕牧智之代表理事は、核兵器禁止条約国連会議(第2会期)の2日目の6月16日、議場でホワイト議長(コスタリカ)に「ヒバクシャ国際署名」296万3889人分を手渡しました。中満泉国連軍縮担当上級代表も同席しました。

 

ホワイト議長に署名を手渡す和田さん

 

【平和行進】国際青年リレー日誌「友達になった人々: 平和行進を振り返って」(ケイラ・ウォーリー:最終回)

日本を発ってから数日が経ち、(時差ぼけから回復しながらですが)、日本での体験を振り返っています。

私が日本に行った理由はいろいろあります。核兵器の影響について学びたかったし、日本の文化に触れたかったし、明らかに意義のあることに対して支持を表したかったからです。

小さな町の出身である私は、大学入学のためにボストンへ引っ越すまでは、社会運動や抗議活動についてほとんど目にすることがありませんでした。そのため、思い切って自分の殻を破り、初めての、しかも外国での抗議活動に参加しようと考えたのでした。

実際日本に来てみて、本を読むのとは違う種類の知識を得ることができました。ビキニ環礁の史実を学んだだけでなく、ある被害者の家族の悲しいお話を聞いたりしました。また、日本にある米軍基地の数の多さに驚いただけではなく、そこに暮らす市民の生活にこれらの基地がどのような影響を及ぼし、そして市民がどう感じているかについても学びました。

この平和行進のおかげで、これまで見えていなかった、アメリカの外からの視点を通して物事を見ることができました。日本のニュース番組では、ドナルド・トランプ大統領やアメリカの出来事のニュースをよく見かけましたが、そのことにショックを受けました。それは、アメリカのニュース番組では日本の総理大臣のニュースを目にすることはほとんどないからです。アメリカ国内にいる私たちは、いかに自分たちが世界に影響を及ぼしているかを忘れているのではないかと思います。他の国々の人々は遠い存在であると感じ、また自分たちの日常生活が世界の問題からさほど影響を受けていなくても、私たちアメリカ人がいかに世界に大きな影響を及ぼしているかを忘れがちです。例えば戦争などが米国本土に影響することはほとんどないからです。ビキニ水爆事件のとき、日本の食料供給の大半が核実験の放射能で汚染されたこと(それに関して謝罪もなかったこと)を知ったときは、本当に理解できませんでした。そんなことはアメリカではあり得ないからです。

行進を続けながら学習するにつれて、特に世界で最も影響力のある国の市民として、これら全てに関する自分の知識がいかに不十分なものであったかを、何度も考えさせられました。歴史の授業では、アメリカが広島、長崎に原子爆弾を投下したこと、それが何年のことだったか、そして何人の人が死んだかを学びました。そしてテストでいい成績をとるためにそれを暗記しました。そこには感情や共感などといったものは存在しませんでした。行進の間、自分が日々実体験していることを、必要な教育の一環にするにはどうしたらいいだろうかと常に考えていました。単に事実を学習するだけではなく、人に対する考え方を変え、自分の得た知識をすぐ目の前にある実際の状況に当てはめるのです。日本はもはや私にとっては遠い外国ではなくなりました。

外国というと普通、人はその国の政府とか軍とかを頭に浮かべると思います。そのようなものの考え方が、容易になんらかの目的(あるいは利益)の名のもとに、町を壊滅させ、戦争へ向かわせようとするのです。しかし、政府がどのような立場をとっているかということだけで、遠くにある国を判断することはできません。国家というものは、隣人とか同僚とか家族とかといった人々から成り立っているのです。でもそれに気づかないまま、私は日本をそのようにとらえていました。しかし、実際すばらしく優しい日本の人々と出会い、一緒に食事をし、一緒に歩き、また家に泊めてもらったりもして、私には本当の友人ができました。このような人々を実際に自分の国の市民と同じ人間、あるいは友だちと考えるならば、こんなに多くの人々を殺すことなどできないと思います。

ボタンを一押しするだけで一つの市全体の人々を抹殺できる力と、さっき述べたような、自分とかけ離れた存在として他国民を捉える考え方は、とても危険な組み合わせであり、直接手を下すのは決して不可能なほどの恐ろしい非道な行為をもたらしかねません。このような物の見方と、非人道的な悪を実現する道具の両方を変える必要があります。これらの恐ろしい兵器はなくさなければなりません。さらに重要なことですが、私たちは、文化交流や直接会って触れ合うことで、お互いを理解する真剣な努力をしなければなりません。自らの安全地帯から抜け出して別の文化に身を置くことは恐ろしいと感じるかもしれません。ですが、現状のままだと、未来はもっと恐ろしいものになってしまうでしょう。

(翻訳=小林明子)

1945年、広島

【平和行進】国際青年リレー日誌「富士山の裾野を歩く」(ケイラ・ウォーリー 14日~18日目)

この2、3日たくさんのことを、美しい富士山が見える土地で吸収してきました。(この写真は私のホテルの部屋から撮ったものです。素晴らしいというしかありません。)

富士山の東側にある、(オスプレイの飛行演習から、長距離迫撃砲の発射まで)さまざまな訓練をおこなっている米軍と自衛隊の演習場に行ってきました。どちらかというと公園に見えるその場所を見て、そこが演習場だということにとても驚きました。この演習場があるために、富士山は世界自然遺産には選ばれなかったと聞きました。

次の日は(戦車の)演習場として使われている海岸を訪れました。およそ100年前に、農作物を守る防風林として農家の人たちが植えた松林を歩きました。そして林を抜けると浜辺が目に入るかと思いきや、目の前に広がっていたのは軍隊が建てた(松林が演習場に広がるのを防ぐ)この壁でした。このように美しい場所が、人殺しの訓練のために使われるのは残念なことです。

そのすぐ横に、市が建てたこの看板がありました。

海岸は一般開放されています。壁の両側に階段があり、そこから壁に登り、壁の上の小道を通って浜辺に出て行きました。海岸ですれ違う人も何人かいたので、人々はこの場所によく来るようでした。演説した方によると、米軍と自衛隊のどちらも、市役所に演習の日程を連絡したりしないそうで、当日の朝にバリケードを立てて1日中この場所を閉め切って使うそうです。海岸の一部、戦車が通ったあとは不自然に平坦になっていました。地元から行進に参加された人たちは、この状況を喜ばしく思っていないように感じました。

行進の途中、たくさんの古い伝統的な日本式家屋がある地域を通りました。本当に日本を見ているのだと感じ、嬉しく思いました。通訳の方によると、市内でもこの地域だけに伝統的な家屋が残っているのは、ここが第二次大戦の(核ではない)爆撃を受けなかった数少ない地域の一つだからだそうです。私たちはあまりにもたくさんの日本の文化遺産を破壊したのですね。

昨日の行進は、被爆者の慰霊碑がある、遠くにまるで空に浮かんでいるような富士山を見晴らす美しい寺院に向かいました(残念ながら電線越しの景色でしたが)。

右側には平和運動の象徴である色とりどりの千羽鶴が見られます。

最後に、第二次大戦に関する、被爆者たちの悲惨な姿や画像も含まれた短編映画を見ました。後日英語版ももらえるようなので、ぜひ友達や家族に見せたいと思います。誰もが、特にアメリカ国民こそ、核戦争の影響をその目で見るべきです。

この数日間はとりわけ美しい風景を見ることができました(そして大変素晴らしい人々にもお会いしました)が、私の母国がこの土地をあまりにも簡単に地図の上から消滅させることができるかもしれないと考えると、大変悲しく思います。日本にはいかなるアメリカの歴史よりも、はるか昔につながる豊かで奥深い文化があります。私にはとても把握しきれないほどの歴史です。

今、この時代、誰も戦争の残虐行為の犠牲になるべきではなく、そしていかなる国も、そのような思慮を欠いた暴力行為によって、自分たちが受け継いできた遺産を失うべきではありません。もし私たちの国の軍の指導者たちが、自分たちが爆弾を落とした土地の美しさを目にし、自分たちが殺した人々に会っていたならば、そのような破壊行為はできなかったと思います。

(翻訳:岡本真樹子)

【平和行進】国際青年リレー日誌「神奈川から静岡へ引継ぎ」(ケイラ・ウォーリー 15日目)

神奈川県湯河原町から静岡県熱海市へ

ここ2、3日は、平和行進の他の方々と一緒に、伝統的な日本の宿に(そしてどなたかのお宅にも)滞在していました。そのため、他の平和行進者と親睦を深めることができました。

知り合って二週間しか経っていないのに、一緒に過ごした人々に別れを告げることがこんなにも悲しい気持ちになるということに驚きました。どの場所でも、長い時間一緒にいれば、誰とでも友達になることができるのだと知りました。文化の違いをどう考えるかを除けば、同じ人間として私たちの中には類似点があるということです。

これまでかなりのカルチャーショックがありましたが、それでもこの短い期間にも、私は神奈川の人々とつながることができました。実際、日本の文化を学ぶことを通して、たいていの場合私は人々と親しくなることができました。初めてここ日本に来たときは、家から遠く離れ、また、(洗濯や知っているエチケットのような普段当然のこととしているこまごまとしたことを含む)いろんなことに慣れておらず、必ずしも心地良さを感じてはいませんでした。

しかしながら、日が経つにつれ私は、お辞儀の仕方、日本の政治、温泉のエチケットの複雑さまであらゆることを質問していました。そして、気が付かないうちに(日本のおもてなしと思いやりのおかげでもありますが)友達ができていたし、実際に心地良ささえ感じてきました。自分と違う価値観の人々を理解しようとする際に必要なのが、心をオープンに持ち続けるということだと思います。確かに、少しの努力、寛容さ、そして相互尊重の気持ちを持ってお互いを理解することができれば、暴力は意見相違の解決策にはならないのです(その相互尊重の質というのは、すべての人が日本の文化から学ぶべき重要なものだと思います)。

神奈川でできた新しい友達と別れることは寂しいですが、静岡でもきっとまた多くの人々に出会えることでしょう。

(翻訳:小林明子)

【平和行進】国際青年リレー日誌「小さな町から海軍基地の町へ」(ケイラ・ウォーリー 9日目)

小さな町から海軍基地の町へ(ケイラ・ウォーリー 9日目)

神奈川県三浦市―横須賀市、5月14日、5.6マイル

昨夜は、小さな三浦市にある日本の伝統的な宿泊施設の民宿に泊まりました。上の写真は、三浦市が平和都市宣言をした日本初の町であることを伝える平和記念碑です。行進の最中、何年も前にビキニ水爆実験で放射能を浴びたマグロを埋めたとされる地域(現在は住宅地)を通りました。

それから横須賀市に向かいました。東アジアで最大の米軍基地がある街です。街にいるアメリカ人の数(この1-2週間のなかで最も多くのアメリカ人を目にしました)で基地の存在が理解できました。米兵や彼らの家族の目を見つめ、微笑みながら「ノー・モア・ウォー!」と言う時、運動に賛成しない人々の中で抗議の声を上げることの難しさを感じました。

この数日間いくつもの軍事基地を見てきたので、当然のことながら私は、日本にある基地の役割、影響、評判などについて質問してきました。米兵による犯罪の増加が原因で、一般的には基地は否定的に見られているようです。なのになぜまだ基地があるのか?との疑問が自然に浮かびました。

アメリカによる日本の占領は1950年代に終わりましたが、日本政府は冷戦時代に危険な隣国からの防衛を求めて米軍基地を維持することを決めました(日本の憲法は自国の軍隊を著しく制限しているため)。

しかし冷戦が終結した今、日本にある米軍基地の存続について議論が起きています。北朝鮮は未だ脅威であり、特別な防衛が必要だと言う人がいます。しかし今日私が話した人々の説明は説得力がありました。北朝鮮が発射する核弾頭はほんの数分で日本に到達するため、日本にいる米軍にすら行動する猶予を与えないだろう、というのです。一方、いわゆる「核の傘」のもとアメリカが日本を援護するという形の威嚇は、核攻撃を「抑止する」のに充分だと言う人もいます。しかしこれも、今日どなたかが言われたように、日本の隣国による核備蓄の増加や近代化を阻むことにはなりません。なので長期的にはほとんど効果のないやり方です。何よりも、日本政府は現在、憲法を改正して軍隊を強化しようとしています。しかしこれによって近隣諸国との緊張が高まるのは必至で、彼らの核兵器開発の緊急性を高めることにもなるでしょう。

これは明らかに複雑な問題です。最良の解決法も分からないのに、自分がアメリカに帰ってから一体何ができるのかと、この数日間考え続けています。今日ある人が、まもなく国連で開催される平和会議(核兵器禁止条約交渉会議)の素晴らしさについて話してくれたのが、私の疑問に対する答えにもなりました。この会議は具体的なステップではないかもしれないけれど、核兵器は非人道的で悪の兵器であるという考え方を確立し、これを規範とするためのものだと言うのです。すべてについて具体的な答えを持たなくても、この問題に対する世界の考え方を変えることができれば、核兵器のない世界を実現する最良の方法についてのより多くの考察が可能になるでしょう。

(翻訳:中村みずき)

【平和行進】国際青年リレー日誌「雨の一日、軍事基地について学ぶ」(ケイラ・ウォーリー 5日目)

雨の一日、軍事基地について学ぶ(ケイラ・ウォーリー 5日目)

神奈川県相模原市―座間市 5.7マイル 5月10日

今日は雨が降っていたので、ありがたいことにそんなに長い距離を行進しませんでした。一日の前半は、(日本の多くの都市と同様に)米軍基地のある相模原市を通りました。私はアメリカがいまだに日本を占領していたとは知りませんでしたが、明らかに第二次世界大戦以来ずっと占領し続けています。

昨年、相模原の米軍補給廠で、原因が明らかにされていない爆発があり、近隣の建物にまで被害を及ぼしました。アメリカは何が起こったかについて何の声明も出さず、損害に対する弁償もしませんでした。アメリカと日本の関係を学べば学ぶほど、私は恥ずかしさと失望感を感じざるをえません。

それから行進は、これまでで最も小さい都市である座間市へと入りました。しかし、小規模都市であるゆえ、私がこれまであまり見たことがなかった美しい日本の伝統的な家屋に出会うことができました。もっと大きな都市で見る建造物は日本式というよりはアメリカ式のように見えます。なので私はこれらの家を見て興奮を覚えました。

この興奮は、別の米軍基地にさしかかってかき消されてしまいました。この基地の前に立ち、そしてみんなと一緒に、自分と同じアメリカ人に対し、「ノーモア広島、ノーモア長崎」と繰り返し叫んだとき、私は、こちらを無表情に見つめる兵士たちよりも、行進の参加者や平和運動のほうにより一層の連帯感を感じている自分に気づきました。少なくとも平和という共通の目標に向かってみんなが一致団結することができれば――そしてそれをきっと誰もが心の中では望んでいると思うのですが――私たちはより良い方法で問題を解決することができるのにと思います。

ある市会議員の人が、座間市の政治家の間で核兵器について意見の相違があることについて教えてくれました。アメリカや他の核大国と同じように、北朝鮮を恐れている人々がいるからです。私たちは、恐怖という原始的な衝動から距離をおく必要があると思います。なぜなら恐怖というものは非理性的な決定をあおるだけだからです。世界全体の協調を達成するためには、私たち全員が立ち上がって、お互いの国を尊重し暴力に頼らない関係を作る必要があります。私たちが恐怖に支配され続けるかぎり、常に恐れる理由を持ち続けることになってしまいます。

(翻訳:小林明子)

【平和行進】国際青年リレー日誌「東京から神奈川へ」(ケイラ・ウォーリー 2日目)

第2日:東京から神奈川へ

東京都港区芝公園 ⇒ 神奈川県川崎市稲毛公園 11.89マイル

今日はとても長い一日でしたが、とても面白かったです。東京から神奈川県川崎市まで行進しました。行進した人々の大部分は自分の県内だけを行進するので、すべての旗や横断幕を引き渡すセレモニーがありました。私が出会って話を聞いた人はみな、本当に、反核平和運動のためにすばらしい活動をしていました。川崎は、私が東京で見たものとかなり違っていました。私は今日のセレモニーでお会いした新しい人たちと実際に一緒に行進できるのを楽しみにしています。

しかし、私が一番楽しかったのは、行進の後の青年集会でした。私は同じ年代の人々と本当に素晴らしい討論をし、日本の青年の反核平和運動への態度について多くのことを学びました。

反核平和運動の現状とその背景について、平和委員会の人の講演もありました。15を超える国々が核兵器を持っており、ほとんどは数発から300発ぐらいですが、ロシアと米国は約7000発も保有しています(しかも第2次世界大戦当時よりもよりもはるかに強力なものを)。彼らが本当に世界全体を爆破しようと計画しているわけでないのなら、一体なぜこんなに核兵器をたくさん持つ必要があるのか理解できません。核大国(米国、ロシア、英国、フランス)が現在の国連での核兵器禁止条約イニシアチブに反対しているのは、北朝鮮を恐れているからですが、北朝鮮はこれまでにわずか8発しか保有していません。それに対抗するためには7000発も必要ないのではと思います。さらに、もし朝鮮が今日の破壊力を持つ核兵器で攻撃されれば、日本だけでなくアジアの広範囲にも影響が及ぶでしょう。

もっと続けて書きたいのですが、ブログへの短い投稿に収めるにはあまりにも多くのことがあり過ぎました。広島への原爆投下について被爆者の証言も聞き、とても正当化できないことだと思いました。今日聞いたすべてのことを、私たちは本当にもっと広く共有しなければならないと思いました。核兵器の生存者(「被爆者」と呼ばれる)は80代になっており、残された時間は多くありません。人々が、核兵器がいかに残酷なものかを実際に理解できるように、被爆者の証言を記録し、広く知らせるべきです。今日お会いした被爆者は、まだ小学生だった当時、焼けただれた人の皮膚が体から溶け落ちるのを見たと話していました。そのような話は歴史の教科書から得ることはできません。

【平和行進】国際青年リレー日誌「2017年平和行進、東京を出発!」(ケイラ・ウォーリー 1日目)

2017年平和行進、東京を出発!(ケイラ・ウォーリー・アメリカ)

東京都江東区 夢の島公園 ⇒ 港区 芝公園 8.78マイル

私は核兵器が日本に及ぼした影響についてもっと学ぶために来日しましたが、その期待が裏切られることはありませんでした。

行進が始まる前に、ビキニ水爆実験(これについて私はほとんど知りませんでした)で被災した船を保存している第五福竜丸展示館を案内してもらいました。私は1950年代にアメリカがマーシャル諸島で核実験をしていたことは知っていましたが、その影響について知り、本当に衝撃を受けました。この事件はビキニ環礁周辺の島々に影響を与えただけではなく、日本全土に影響を与えたのです。日本全国の港に水揚げされた魚は(日本の主要なタンパク源が魚であった時代なのに)放射能値が高すぎて食べられなくなり、爆発のきのこ雲は成層圏まで達して放射能の雨を降らせ、日本全国の作物に影響を与えました(そして人々は体を守るためにレインコートを着なければならなかったそうです)。

赤い点は、ビキニ核実験の後で放射能マグロ(他の魚は含まず)が発見された場所を示す。

この事件の後、日本国民の人口の3分の2が核兵器禁止署名に署名しました。食料供給システムの全体が汚染されたら、私もきっとそうするでしょう。 このようなことが現在の私たちの世界で起こってはなりません。

展示館を案内してもらった後(集会と行進の途中で)、私は多くの人々の発言と日本の反核平和運動の成功について話すのに耳を傾けました。今年、国連は、核兵器禁止条約を締結する会議を開いていますが、これはビキニ水爆実験以来続けられてきた、これらの人々の長年の努力のおかげです。私が参加しようとしているこの行進が、国際的なレベルで実際に変化を生み出しているのだということに、深い感銘を受けました。

日本についてたった1日のあいだに、たくさんの人々の話を聞いて、私は、これらの問題についてアメリカ人として十分教育を受けてこなかったと実感しました。もっと平和な明日に向かって進むためには、まずお互いを理解しあうことから始めて、歴史だけでなく、歴史の中での私たちの行動がどのような効果をおよぼすかについて、実際に学ぶ必要があります。もっと多くのアメリカ人が、今日の私と同じ体験をすることができればいいなと思うし、もちろんこれからの数週間のうちにできることを願っています。

【平和行進】米大学生が初の外国旅行で国際青年リレー行進にチャレンジ

2017年原水爆禁止国民平和大行進・東京→広島コースの夢の島出発集会(5月6日)から静岡引き継ぎ(同19日)まで神奈川県内全日程を歩く国際青年リレー行進者がケイラ・ウォーリーさんに決まりました。メッセージを紹介します。ぜひ一緒に歩いて交流してください。

【メッセージ】核兵器の被害を大きく受けた国への連帯を込めて、核兵器廃絶のために行進する機会をいただき、とてもわくわくしています。アメリカは現在最強の核保有国であるため、この平和行進にアメリカ人行進者が参加することもとても重要だと思っています。私の参加は、みなさんの核兵器廃絶を目指す努力に対して、アメリカ国民が支持していることを示すささやかなシンボルとなるでしょう。このような大きな目的への支持を示し、私よりもっと熱心に運動にとりくむ人々から学ぶことで、実際に変化を作り出すことができます。この問題についてもっともっと勉強し、日本の人々の視点から、そして他の国々の人の視点から考えられるようになりたいです。そうすることで日本文化への視点を得ることができ、それは将来日本を研究する時に役立つと思います。

【プロフィール】ケイラ・ウォーリーは、外国語、芸術、文化、人類学に興味を持つ米タフツ大学の1年生。最近、大学のピースアクションに加入し、さまざまな方法の平和のためのたたかいにもっと参加したいと考えている。初めての外国旅行となる日本を訪れ、平和と核兵器の問題で大きな影響を受けた国の人々のものの見方に触れることを楽しみにしている。

ケイラさんはクラウドファンディング「Trip to Japan for Peace March」で渡航費を集めています。募金にご協力をお願いします。

【動画あり】広島被爆者が全英を遊説―核兵器の世界的禁止をめざして スコットランド自治政府首相が被爆者と面会

スコットランド自治政府のニコラ・スタージョン首相と面会する左からロンドンCNDの小林さん、山田みどりさん、山田玲子さん(3月29日)

【動画】

被爆者のイギリス遊説について、ロンドン地域CND(核軍縮キャンペーン)の議長のキャロル・ターナーさんが役員グループの一員であるストップ戦争連合の機関紙に書いた記事と、スコットランド地元紙の報道が送られてきました。翻訳は日本原水協国際部です。

広島被爆者が全英を遊説―核兵器の世界的禁止をめざして

キャロル・ターナー

(英ストップ戦争連合のウェブサイト掲載)

今週、3月27日から31日にかけてニューヨークの国連本部で、アメリカ、イギリスの反対にもかかわらず、全ての核兵器を禁止する条約の締結を目指して歴史的な交渉が開始された。この交渉会議に合わせてイギリスでは、ロンドンCNDが広島原爆の2人の被爆者による遊説を組織した。

被爆者はロンドン、スコットランド、マンチェスター、オクスフォードを訪問して、英国議会議員、地方自治体議員、宗教界の指導者たちと懇談した。スコットランド自治政府のニコラ・スタージョン首相との会合、イギリスの核兵器システムであるトライデントが配備されているファスレーン海軍基地とその近くでおこなわれている平和キャンプにも訪問した。

国連会議も被爆者訪問についても見聞きした人はほとんどいなかっただろう。イギリスのメディアはほとんど報道しなかったのだから。

「ガーディアン」紙の報道は、国連交渉会議への反対のみを取り上げ、アメリカによるボイコットにオーストラリアが参加を決めたことを見出しにしていた。まるで後知恵のように「核不拡散条約に幻滅する国が増え、核兵器の全面禁止への支持が強まりつつある」と述べたに過ぎなかった。

「デイリーメイル」、「ミラー」、「テレグラフ」の各紙は国連交渉会議を無視した。しかし「インディペンデント」紙は際立つ異様さで、「核兵器の一方的禁止に関する危険な国連会議」を警告する見出しを流した。念のために記しておくが、この交渉会議開始を決定した国連決議のタイトルは、「多国間核軍備撤廃交渉の前進」である。

「インディペンデント」の記事は、「母として、娘として」核兵器のない世界以上に望むものはない、というニッキー・ヘイリー米国連大使の言葉を引用した。しかしもちろんそれには、「われわれは現実的でなければならない」という但し書きがついていたのである。

この恥ずべきナンセンスな記事が掲載された日の前夜、ロンドンでは満員の聴衆が2人の被爆者の証言に耳を傾け、「現実的」が真に意味するものは何かを学んだ。山田玲子さんは1945年8月6日、アメリカが広島に原爆を投下した時11歳でまだ小学生だった。彼女は爆心地から2.5キロの地点に住んでおり、原爆投下直後の劫火からは逃れることができた。

逃れられなかった人々は彼女の住む地域まで避難してきたが、「ひどいやけどを負っており人間とは思えない姿だった」という。玲子さんは自分と家族と友人に起こったことをこう話している。

「いつも遊んでいた友達の家では、子どもたち5人がお母さんの帰りを待っていました。2日目に真っ黒い塊が四つん這いで飛び込んできたので、一瞬子どもたちは黒い犬だと思ったそうですが、それがお母さんだったのです。家に着くなり倒れて亡くなり、子どもたちだけが後に遺されました」

 

山田みどりさんは被爆2世である(苗字は同じだが2人は親戚ではない)。みどりさんの父親は広島近郊の町の助役で、広島市内で救援活動に加わった。彼女は後にがんを患い、近年「ヒロシマの少年 じろうちゃん」というマンガ本(ママ)を出版した。これは原爆投下の時に彼女の兄が経験したことを描写したものである。

化学・生物兵器、対人地雷、クラスター爆弾は全て法的に禁止されている。核兵器はそうではない。アフリカの国々が主導する核兵器の世界的な禁止条約をめざす動きは、この現状を修正しようとするものだ。

昨年10月、123の国連加盟国の賛成、38か国の反対、16か国の棄権票により決議が採択され、禁止条約交渉会議への道が開かれた。安全保障理事会常任理事国5か国のうち4か国(米・英・仏・露)は多くのNATO(北大西洋条約機構)加盟国・アメリカ同盟国の多くとともに反対票を投じた。

5番目の常任理事国である中国は棄権したが、最近、条約を支持する準備があることを示唆した。そのほかの核保有国の投票態度はというと、インドとパキスタンが棄権、イスラエルが反対、北朝鮮が賛成であった。

最近おこなわれた世論調査では、禁止条約に人々の強い支持があることを示している。2014年オーストラリアでは、84%がこのような条約を支持した。2016年にはドイツでも94%、オランダで85%、ノルウェーで77%、スウェーデンで81%が支持だった。

アメリカと同様に、イギリス政府も交渉に参加することを拒否した。メイ政権はまたしても世論を裏切る行動をとった。ユーガブ(世論調査会社)が3月15-16日に実施した世論調査では75%の国民がイギリス政府は交渉に参加すべきだと答えた。しかし、労働党の影の平和・軍縮大臣であるファビアン・ハミルトンは、オブザーバーとしてニューヨークの会議に参加した。

国連交渉会議の第2会期は6月15日から7月7日に開かれることになっている。まだこの問題で世論を喚起する時間はある。大衆的な集会を開き、地元の議員に、政府の参加を働きかけるよう要請しよう。

キャロル・ターナーはロンドン地域CNDの議長であり、ストップ戦争連合の役員グループの一員。「コービンとトライデント:労働党の引き続く論争」の著書がある。

国連での核兵器禁止条約会議開幕と時を同じくして

スコットランド自治政府首相が被爆者と面会

核の恐怖の生存者が世界的交渉の期間に平和のメッセージを広げるため、連帯を表明してスコットランドを訪問(コモン・スペース紙)

アメリカの原爆攻撃を受けた日本の都市広島の2人の被爆者が、重要な国連核兵器禁止条約3日目の3月29日水曜2:30から、ニコラ・スタージョン首相と面会する。

山田玲子さんと山田みどりさんは、核兵器とその拡散がもたらす破局的危険についてメッセ―ジを広げるため、待望の被爆者遊説に参加する。

それに加えて2人は木曜日(3月30日)にファスレーンとクールポートに向かい、この2つの核基地を視察し、ファスレーン平和キャンプで平和運動家と交流する。

スコットランドCNDのアーサー・ウェスト議長は、「玲子さんとみどりさんをスコットランドにお迎えできて光栄です。この間私たちはともすると核兵器がいかに恐ろしいものであるかを忘れがちです。2人の訪問は、この厳粛な事実を再認識させてくれるはずです。しかし国連で禁止条約交渉が始まっている今はまた大きな希望の時でもあります。軍縮におけるこの何十年で最大の突破口となるでしょう。しかしスコットランドが核兵器を拒否していることがこの会議で正式な代表によって表明されないことは大きな懸念です」

1934年広島生まれの玲子さんはアメリカの原爆が故郷の街を破壊したとき10歳だった。みどりさんは、太平洋戦争を終結させた原爆から4年後に生まれたが、半生を核兵器反対の運動に捧げてきた。被爆2世の間で続いている、原爆の放射線に由来する遺伝的影響と長期にわたる後遺障害についての懸念を2人とも共有している。

国連での核兵器禁止をめざす新条約の交渉会議は3月27日に開始されるが、イギリスはすでにこの多国間交渉をボイコットすることを決めている。しかしスコットランドを代表して、グラスゴー・アニエスランド選出のスコットランド議会のビル・キッド議員を含む、幅広い市民社会グループが参加する予定だ。

日本に対する原爆の使用に関してアメリカではいまだに論議が続いている。賛成派は、降伏の用意ができていなかった日本に対する核兵器使用によって、数十万人の命が救われたと主張している。反対派は、日本の軍部の中では降伏が検討されていたことや、原爆投下で罪のない日本の民間人が甚大な犠牲となったことを指摘している。

原爆投下で正確に何人が犠牲となったかを推定するのは非常に難しい。控えめに見ても、原爆投下後2か月から4か月の間に、原爆の影響により広島で9万人から14万6千人が、長崎で3万9千人から8万人が死亡し、それぞれの市での死者の半数は原爆投下の当日に亡くなっていると推定され、そのうち60%はひどい火傷が死因と考えられている。

現在、アメリカのドナルド・トランプ政権は、イランが核兵器を取得してイスラエルを脅かしていると主張して緊張を激化させようとしている。昨年、オバマ政権は中国、ロシア、EUとともにイランとの間で、軍事的核研究開発を止めることと引き換えに制裁を解除する多国間合意に調印した。

広島の被爆者がファスレーン平和キャンプを訪問

原水協代表、被爆者、エレン・ホワイト国連会議議長と懇談し一層の協力を誓い合う 6月には「たくさんの署名を持ってきてほしい」

ホワイト国連会議議長(中央)と手を繋ぎ一層の協力を誓い合う左から川田担当常任理事、オーストラリア・マラリンガの先住民の女性、藤森日本被団協事務局次長、高草木代表理事、サーローさん、土田事務局次長

国連の核兵器禁止条約交渉会議に出席している日本原水協の高草木博代表理事、土田弥生事務局次長、川田忠明担当常任理事の3氏は3月30日、被団協代表として会議に出席中の藤森俊希日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)事務局次長やカナダ在住の被爆者セツコ・サーローさん、オーストラリア先住民で核実験被害者の代表とともに、会議議長のエレン・ホワイト大使(コスタリカ)と懇談しました。

冒頭、高草木代表理事は、「核兵器を禁止する国連会議は、人類の生存に関わる会議であり、日本の市民社会はこぞって核兵器を禁止し、廃絶するこの会議の成功を願っている。また、日本の運動は被爆者とともに、日本政府にも会議に出席し、被爆国であり、戦争放棄を憲法とする国として核兵器禁止のために力をあわせるよう求めている」と伝え、会議で発言と見解発表の機会を与えられたことに感謝の意を表明しました。

サーローさんは、核兵器の禁止が被爆者の心からの願いであり、コスタリカ政府がそのために努力を続けていることに力づけられていると述べ、藤森日本被団協事務局次長は、会議に出席しない核保有国の政府の態度を批判しながら、被爆者が世界で数億を目標に核兵器を禁止し、廃絶する署名を呼びかけていることを伝えて、協力を訴えました。

ホワイト議長は、会議での被爆者の証言と市民社会の声が大きな力を与えてくれたと感謝の言葉を述べました。また、現在の署名の集まり具合などについて質問し、「次の6-7月の会議では、たくさんの署名を持ってきてほしい」と激励してくれました。また、被爆者と市民社会のみなさんに、「会議参加者を代表して心とビジョンを共有していることを伝えてほしい」と述べました。

最後に、懇談参加者は、議長の提案で手をつないで記念撮影し、いっそうの協力を誓いあいました。

原水協代表団、キム・ウォンス国連軍縮担当上級代表と懇談 「今こそ、みなさんの大きな声が必要!」

キム・ウォンス国連軍縮担当上級代表を囲む左から土田事務局次長、藤森日本被団協事務局次長、高草木代表理事、川田担当常任理事

日本原水協代表団の高草木博代表理事、土田弥生事務局次長、川田忠明担当常任理事の各氏は3月30日、日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)の藤森俊希事務局次長とともにキム・ウォンス国連軍縮担当上級代表を訪ね、懇談しました。

最初に高草木代表理事は、キム・ウォンス上級代表が一昨年に続き、昨年も原水爆禁止世界大会に出席されたことに感謝し、先に退任した潘基文(パン・ギムン)前事務総長にも、在任中の氏の温かい支援に心からの感謝を伝えてもらうよう要請しました。

また、現在の核兵器禁止条約を交渉する国連会議について、日本原水協の声明や関連資料を手渡して、会議の成功を願う日本原水協の立場を伝えました。

日本被団協の藤森事務局次長は、初日開会での被爆者としてのスピーチに際し、キム・ウォンス上級代表が見守ってくれたことに励まされたと感謝し、昨年4月に開始した核兵器の禁止・廃絶を求める「ヒバクシャ国際署名」について支援、協力を要請しました。

キム・ウォンス上級代表は、両組織の核軍縮への貢献に感謝する、核兵器の廃絶は市民社会と政府の両方の努力がなければ達成できないと語りました。また、国際的に緊張と分裂があるなかで、いまこそみなさんのさらに大きな声が必要と述べ、世論と運動の役割を強調しました。

さらに、被爆者の声は非常に重要、核保有国の指導者に声を届けてほしい、国連交渉会議でも、被爆者のメッセージが盛り込まれるべきとの声に賛成だと応えました。

最後に原水協代表団は、今年の原水爆禁止世界大会にもぜひ国連代表が参加してもらえるよう要請しました。

【埼玉】「ヒバクシャ国際署名埼玉連絡会」結成 2018年前半までを重点期間とし目標は300万

1面(クリックするとPDFファイルが開きます)

2面(クリックするとPDFファイルが開きます)

【徳島】十番札所 切幡寺でお遍路署名行動 経木流しの参拝者や屋台目当ての子どもたちが次々署名

1面(クリックするとPDFファイルが開きます)

2面(クリックするとPDFファイルが開きます)