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【2014国際青年リレー行進】ソフィア・ウォルマンさんの日誌(7月18日)

7.18(1)

2014年7月18日 — 岡山県

2014年平和行進は現在岡山県で終日行進の2日目です。兵庫県からの引き継ぎは7月17日でした。兵庫県内のとても大変な行進を歩きぬいたニーニョ・デシエルト、通し平和行進者とその他の行進者の方々、本当にありがとうございました。

ニーニョの兵庫県での平和行進のブログ投稿を待っている間に、岡山県からの国際青年リレー行進者であるソフィア・ウォルマンさんをお迎えしましょう。ソフィアはアメリカフレンズ奉仕委員会の代表で、パレスチナ連帯運動で積極的に活動してきました。他にも彼女は、経済的正義のための運動や、軍事優先主義、核兵器に反対する運動も組織してきました。彼女は2013年に原水爆禁止世界大会に参加しました。今年は岡山からの平和行進にチャレンジし、その後再び世界大会に参加します。ちなみに、彼女は美声の持ち主でもあります。

皆さん、今後の彼女のブログを通じて平和行進をフォローしましょう!(写真は平井昭夫さん提供。左から:五十嵐さん、岡山県内通し行進者、ソフィア・ウォルマン、田中さん)

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平和を愛する友人のみなさん!

こんにちは!ソフィア・ウォルマンと申します。平和行進の海外参加者の一人です。

米国のボストンから行進に参加しています。17日午前に岡山に到着して、お城や後楽園を訪れてカヨさんと屋外の商店街で買い物をし、素晴らしい日中を過ごした後、カヨさんと平井さん、そして私に国際青年リレーの横断幕を引き継いだニーニョさんと夕食を楽しみました。ニーニョは私が行進に向けて心の準備をするのを大いに助けてくれました。彼の経験談や、山中を登っての大変な行進について話を聞けたのは良かったです!

朝7時半にホテルまで車で迎えに来て頂き、渋滞する道を通って、まず原爆犠牲者の記念碑に花を手向けに向かいました。それから東区役所に向かいました。多くの方々が午前9時頃に集合し、何人かが短いスピーチをされました。今日は、朝ホテルに迎えに来てくれたシンコさんとほぼ一日中一緒に行進しました。通訳をして下さって大変助かりました。通訳者がいてくれるのといないのとでは本当に大きな違いがあります!

その後9時45分頃出発しました!通算今日は約7マイル(約11キロ)ほど行進したそうです。だいたい1時間毎に休憩があり、そこでは岡山医療生協の女性たちを含む主催者の方々が、私たちが近づくと拍手で出迎え、冷たいお茶やアイスキャンデー等をふるまって下さいました。7月の蒸し暑いお天気には打ってつけでした!ほとんど曇りの空模様や旭川を渡る際のそよ風と同じ様に、こうした休憩のお陰で行進者は涼しく過ごせました。それから別の記念碑に献花をしましたが、これは非常に力強い意思表示であり、また私たちの取り組みの厳粛さをかみしめるひとときでもありました。

一日を通して100人をはるかに上回る人々が行進しました。老若男女全ての行進者が非常にエネルギッシュで、行進中ずっと歌やコールを上げながらの参加でした。「コンニチハ!ヘイワコウシンデス!(Hello! We’re the Peace March!)」や、「カクヘイキハンタイ!(No Nuclear Weapons!)」など、お役立ちフレーズをだんだん覚えています。お昼頃、曹源寺で昼食のお弁当休憩を取るため立ち寄りました。そこは美しい敷地のあるところで、後に私たちがお線香を手向けた記念碑の所で被爆者のお話を聴きました。

今日の行進の終わり頃、幼い子どもたち(4〜5歳ぐらい)の一団に歓迎されました。子どもたちは私たちに折り紙と張り子のネックレスを贈ってくれました。終日、非常に幼い子ども達から年配の方々まで多くの人たちと一緒に歩くことができて素晴らしかったです。みんなとても礼儀正しい人たちばかりで、多くの青年たちは行進の雰囲気を明るく活力に満ちたものに保ってくれました。

岡山県庁の総務課の職員の方々と4時頃に小規模な会合を開いて、一日を締めくくりました。

ここに来られてとても嬉しく思います。またすぐに投稿します。ピース!!!

(翻訳:白石 亜子)

【2014国際青年リレー行進】マニシャ・ガウルさんのあいさつ(日英)

7月18日から8月4日まで岡山県と広島県内を国際青年リレー行進するマニシャ・ガウルさんのあいさつ(日英)を紹介します。

マニシャ・ガウル 社会福祉と研究のためのローパンタラン協会 理事長(インド)

平和の友人のみなさん、おはようございます。

まず最初に、平和行進実行委員会と原水協のみなさんが、この平和行進を組織され、日常的にさまざまな素晴らしい活動に取り組んでおられることに対して、心からの称賛をお送りします。

また、この平和行進に参加する機会を下さった原水協に感謝を申し上げます。

ひとつの物語を紹介しながら、ごあいさつをさせていただきます。

あるところに、200人もの多くの弟子を持つ聖人がいました。聖人は、年老いてきたために、自分が死んだ後も活動を続けられる後継者を選ぼうと考えました。

そこで聖人は、選んだ10人の弟子を伴って旅に出ました。ある村を通りかかったとき、一行は農夫と牛に出会いました。農夫と牛は綱で結ばれており、一方の端は農夫の手に握られ、もう一方の端は牛につながっていました。そこで聖人は弟子たちに聞きました。「どちらが先でどちらが後だろうか?牛が農夫の後ろをついているのか、その反対か?」聞かれた弟子たちは、あまりに簡単な質問にびっくりしました。牛が農夫の後について歩いているに決まっている、農夫が牛を家に連れて帰るところなのは一目瞭然じゃないかと思ったのです。聖人は弟子一人一人に同じ質問をしましたが、全員同じ答えでした。

聖人はまた尋ねました。「もし私が綱を切ったらどうなるだろうか?どちらがどちらの後を追いかけることになるだろうか。牛が農夫を追いかけるのか、農夫が牛を追いかけるだろうか?」

弟子たちはまた答えました。「簡単なことです。牛が逃げ出すので、農夫が牛の後ろを追いかけることになります。」聖人は、「お前たちはやっと、牛が農夫の後を追うのではなく、農夫が牛の後を追うということが分かったのだね」と言いました。

この物語の教訓は何でしょうか。私たちは日々、様々な目的でいろいろな物を使います。ですがそれらを習慣やくせのように固定したものと考えて、自分たちの生活をそれらに合わせるようになってしまうのです。

核兵器という権力を手に持つことは、偉大さのシンボルではありません。ましてや核保有国が世界を支配していることの証拠でもないのです。

みなさんにお尋ねします。権力とは、他の国を破壊する能力のことなのでしょうか。何百万人もの罪のない人々の命を一瞬にして奪ったり、大量虐殺すると脅迫できる能力のことでしょうか?

いいえ、真の権力、力とは、人類を救う力であり、命を助けようとする意志であり、人々に基本的な生活必需品を提供し、人々の幸福のために努力することのはずです。

世界の人々に知らせましょう。核兵器という力を手にして満足している国々がありますが、彼らが追いかけているのは核兵器ではなく、実は「死」なのです。

私たち運動の側の圧力をもっともっと大きくしましょう。そして、死ではなく命を追い求めるよう、核保有国の方向を変えさせましょう。

ありがとうございました。

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Manisha Gaur Director, Roopantaran Association for Welfare & Research India

A very Good Morning to all peace friends,

To begin with…… I want to congratulate the team of GENSUIKYO for their exceptional work in organizing […]

【2014国際青年リレー行進】ソフィア・ウォルマンさんのあいさつ(日英)

7月26日から8月4日まで広島県内を国際青年リレー行進するソフィア・ウォルマンさんのあいさつ(日英)を紹介します。

ソフィア・ウォルマン アメリカフレンズ奉仕委員会(アメリカ)

友人のみなさん、今日ここ( )でみなさんと一緒に平和行進に参加できて感謝でいっぱいです。ご招待ありがとうございます。平和な世界を目指す兄弟姉妹のみなさんに歓迎いただき胸を熱くしています。

アメリカ国民の一人として、私の国が、平和への巨大な障害を作り出していることを恥ずかしく思います。同時に、日米の国民が国境を越えてともに平和と正義のためにたたかっていることを心強く感じています。

私は、自分の国が広島と長崎に対して残虐行為をおこない、そしてその後も暴力と不正義を続けて利益を得ていることに、重い罪の意識を感じています。オバマ大統領は「変化」と「希望」を約束しましたが、実際にはこの政権は、世界中の人々から権利を奪って続けられる帝国主義的政策に深くはまり込んでいます。このため、緊張や紛争は鎮まるどころか悪化しているのです。

アメリカは、21世紀にふさわしい社会的基盤、質の高い学校、十分な食糧、住宅、医療、保育施策を持っていません。一方で税金の大きな部分が、軍備、警察の装備、数百万の移民の追放、刑務所や拘置所の建設に使われています。これは、有色人種の人々への信じがたいほどの差別を反映しています。

アメリカは増大する軍事優先主義に適応するよう国民に求め、それを他国にも押しつけています。この政策の背後に大きな金銭的利益が動いていることを理解することが、戦争を廃絶し、世界中に正義を実現する行動に立ち上がるためには非常に重要です。

アメリカは無人機技術を開発し使用してテロ攻撃をおこない、数百の軍事基地が人々の主権を奪っています。1945年の原爆投下以来、核兵器保有と使用の権利を主張し続けています。これらは好戦的で帝国主義的な政府のほんの数例にすぎません。このような好戦的姿勢は、日本国憲法を破壊しようとしている安倍首相への支持にも表れています。これは、戦争で多くの人命を失った人々と民主政治に対する大きな侮辱です。

私たちは巨大な敵を相手にたたかっているのです。日々このような暴力や政策を経験している皆さんは、私などよりもっと雄弁に、前線での戦いに必要な、確固とした決意と粘り強さを語ってくださると思います。

昨年私は長崎で、2015年NPT再検討会議に向けた行動の呼びかけと期待の声を聞きました。アメリカの平和運動はこれにこたえて立ち上がり、被爆70周年でもあるこの機会を利用して、国民に核兵器と原発廃絶の緊急性を知らせ、街頭で運動を広げるつもりです。

私は今回日本を再び訪れてみなさんの活動から学ぶ機会をいただきました。ものすごい数の署名運動と、この国民平和大行進の素晴らしい力強さは、本当に大勢の人々の献身と決意の表れです。みなさんの知識、エネルギー、経験は、2015年に向けて私たちが力を蓄えて行くために非常に重要です。

しかし私たちの力だけでは不十分です。アメリカで私は、いくつかの活動に関わっています。パレスチナ連帯、核兵器廃絶、軍事費削って暮らしに回せ、などですが、私たちは、これらの運動を結び付けて進めることが絶対に必要だということをよく討論しています。

詩人で活動家であるステイシーヤン・チンは、「私たち活動家の人の輪が広がるのは、家族が大きくなっていくのと似ている。緊張が高まることもあるが、そこにはまたチャンスがあり、わくわくすることや、希望もある」と言っています。協力関係や連帯がときに困難に直面した時には、このことを思い起こしましょう。目的を達成するためには協力と連帯は絶対に必要なのですから。

私たちは2015年に向けて、環境的・人種的・経済的正義、女性と性的少数者の権利など、全ての人々の命の尊厳を守ろうとする様々な運動との連携を強めていかねばなりません。そして、青年や新しい世代の活動家たちを迎え入れましょう。彼らの創造性は、より平和な未来へのたくさんのカギを握っています。

そして最後に、基本的な法律や倫理の基準を破壊しようとする者たちに、正面からたたかいを挑まねばなりません。国民の意志に反して恥ずべき行動を取る私たちの政府のことです。また、戦争や過剰消費、民族浄化、基本的人権の否定から儲けを得ている、ボーイング、ロッキード・マーティン、ノースロップ・グラマンなどの軍需産業です。そして、こういう「死の商人」を支援して儲けている銀行や資産運用家たちの資金の流れも追う必要があります。

友人のみなさん、私たちは人民の力の代表なのです。みんなの力を合わせれば、力強く、大胆で、創造性にあふれ、恐れるものは何もありません。一緒に声を上げましょう。ノーモア広島!ノーモア長崎!ノーモア福島!ノーモア占領!ノーモア人種主義!ノーモア戦争!!!

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Sofia Wolman American Friends Service Committee U.S.A.

Friends,

It is with deep appreciation that I stand with you here in *name of city*, and I thank you for your invitation. The welcome in Japan is warm […]

【2014国際青年リレー行進】ニーニョ・デシエルトさんの日誌(7月2日)

7.2(1)

2014年7月2日(大阪での行進3日目)平和行進と警察

警察のこと、とりわけ日本の警察のことで私が思い付くのは、緻密さ、国民の権利のために奉仕すること、そして安全重視ということです。大阪府内全体で警察がまさにその職務を全うしていることを目にして驚きました。

当初、大阪の警察は私たちを制するために平和行進の場に来ているのだと思っていました。それがこれまで私がフィリピンの警察制度に基づいて知っていたことだったので、日本の警察制度には衝撃を受けました。

日本の警察、とりわけ大阪の警察は平和行進を終日支えてくれました。平和行進者の唯一の任務は行進することです。そしてもう一つ、時間を厳守します。もし平和行進開始が朝8時からなら、朝8時には必ず集合しています。

行進当初から警察はすでに同行しています。私たちが次の市に到着するまで安全な道路を歩けるように誘導し、次なる市の境界線で私たちを待っている担当警察官に引き継ぎをします。警察の体制は、屋根に警告灯を点灯させて行進者の前を行くパトカー1台、行進者の右脇に並ぶ警察官の列、全交差点ごとの安全確保のために、行進の隊列を走って追い越し、誘導する警官たち、そして不測の対立などが起こった時に仲裁役をする警官たちです。

実際、行進者は妻を後部座席に乗せてバイクに乗った男性との間で揉め事を経験しました。その男性は道路の通り抜けができなかったので非常に怒っており、バイクのクラクションをバンバン鳴らしながら行進に沿って運転しました。彼は行進者の目前を素早く横切り、怒鳴り出しました。仲裁役の警官が迅速に彼を取り囲み、彼を妻とバイクと一緒に道路の反対側へと引っ張って行きました。彼らが依然として口論しているのが聞こえましたが、行進は継続しました。次に何が起こるのだろうかと思いましたが、岩田さんが全て順調で問題ないと話して下さったので安心しました。

誰でも便利で統制のとれた場所を夢見たことがあると思いますが、私は日本をお勧めしたいと思います。日本の警察はよく組織されています。来年の国民平和大行進でも、日本の警察が必ずまた走り回って警備してくれるでしょう。

ニーニョ・デシエルト(2014年国際青年リレー行進の大阪〜兵庫県区間行進者 マルチメディア編集者、ミンダナオ人民平和運動)

(翻訳:白石亜子)

【2014国際青年リレー行進】ニーニョ・デシエルトさんの日誌(7月1日)

7.1(1)

2014年7月1日(大阪の行進2日目)行進のビート

行進のビート音は大きくて騒がしいですが、行進者にとっては食物と同じぐらい必要です。私はミンダナオのビートでドラムをたたいています。行進者の一人が私に「太鼓」(日本のドラム)を渡してくれました。太鼓の音は私の耳には音楽に聞こえますが、これを行進で使うとなると、大阪のように騒音公害を抑えようとしているところでは、雑音としか聞こえないかもしれません。でも気にしません。太鼓のビートは行進者たちにエネルギーと強さを注入してくれます。

行進で私たちは一日20から25キロ歩きます。4分の1の行程で5分から10分休憩をとり、昼食もとります。行進者たちが記す一歩一歩には、核兵器のない平和な日本と世界を作りたいという願いが込められています。だからこそ私は、その願いの一歩一歩にこたえて、一日の終わりまで太鼓をたたくのです。太鼓のビートはみんなに微笑みをもたらします。その音は疲労感を取り去ってくれます。ビートは希望、ビートは力、ビートは行進なのです。

ニーニョ・デシエルト(2014年国際青年リレー行進の大阪・兵庫行進者。マルチメディア編集者。ミンダナオ人民平和運動代表)

【2014国際青年リレー行進】ニーニョ・デシエルトさんの日誌(6月30日)

6.30(6)

2014年6月30日―力強い一日(行進の初日)

6月30日 ―2014年原水爆禁止国民平和大行進の大阪府でのオープニング集会に、約300人の参加者が柏原市の河原に集まりました。川から吹く暖かいそよ風と太陽から降り注ぐ陽射しには、参加者の笑顔と音楽、イベントの成功への希望が満ちていました。

私はというと、武者震いしながら、日本の皆さんと一緒に行進することになる自分にこれから何が起こるのだろうと考えながら、心を落ち着かせようとしました。異なる文化の輪の中で過ごすのは大変なことだろうと思っていましたが、それは間違っていました。大阪原水協の皆さんは、日本の食事や宿泊への案内、それにとても良い通訳者を用意してくれるなど、私をうまく溶け込ませてくれました。参加者の前でスピーチした後、この日はすべて順調に進みました。皆さんからの拍手喝さいは私の初日に自信を与えてくれました。

私たちは柏原市から八尾市役所まで行進し、岩田公園で終わりました。参加者はコールを上げ、太鼓の音、音楽を奏でながら行進し、2014年6月30日は力強い一日となりました。

ニーニョ・デシエルト(2014年国際青年リレー行進の大阪〜兵庫県区間行進者 マルチメディア編集者、ミンダナオ人民平和運動)

(翻訳:国吉綾乃)

【2014国際青年リレー行進】マラヤ・ファブロスさんの日誌(6月30日)

6.30(1)

6月30日 奈良から大阪へ引き継ぎ

今日の午前中は、奈良県での最後の行進です。通し行進者の方々(竹田さん、田中さん、五十嵐さん)と私は、梅林さんと大阪原水協の人たちに連れられて、車で30分かけて大阪の引き継ぎ地点に向かいました。途中で、私たち4人はセルフィー(携帯で自撮りした写真)を撮りました。これは、「大阪のみなさん、いよいよそちらへ向かいますよ!」というちょっとしたメッセージです。

私たちは、11時30分ごろに大阪に着き、大阪原水協のメンバーと、国際青年リレー行進者の1人で、大阪府から兵庫県内を歩くニーニョ・デシエルトに会いました。彼は、フィリピンのミンダナオ出身の音楽家です。ミンダナオ人民平和運動(MPPM)のマルチメディア編集者でもあり、平和教育や社会意識向上の活動でがんばっているアーティストグループ、ヤパクの一員でもあります。

私たちが彼と出会ったのは昨年12月、ミンダナオの北ラナオ州で行われたミンダナオ人民平和サミットでした。私の母と私は、その団体に若者やアーティストたちが多く参加していることに触発され、国際青年リレーの実現へのチャンスがあるなら、ぜひ彼らを招待しようと心に決めました。私たちが日本原水協とこの計画を進めることが決まった時点で、すぐに平和行進に代表を送ってくれるようMPPMに頼んだのです。

ミンダナオは平和や安全に関連した問題に直面しています。ミンダナオはある意味で、自分たちの土地、住民の要求、アイデンティティを取り戻し、さらなる軍事化に反対するたたかいにおいて、沖縄、済州島、グアムと共通の苦闘に直面していると思います。

ついに今、私たち2人は、他の平和行進者とともに大阪の引き継ぎ式の場に立っています。岩田さんと小松さん(大阪原水協の理事長と事務局長)が、とてもよくニーニョの面倒をみてくれていることを知って、うれしく思います。ニーニョは意気揚々としていますが、同時に緊張しているようです。

私たちは、草いっぱいの土手で早めの昼食をとりました。とてもくつろぐことができました。田中さんは、大阪に自宅があるということで、普段よりも興奮しているようです。数日間、夜は家に帰ることができるようです。通し行進者になると、最低でも3か月はほぼ毎晩、違う町で寝ることになります。つまり、行進ルートが自分の故郷の近くを通らない限りは、長い期間家に帰れません。

地元の行進者たちが独りずつ、あるいはグループでやって来ました。長い間会えずにいた人たちが、屋外で同窓会をやっているような雰囲気です。参加者の何人かは、昨年の平和行進以来の再会なのでしょう。私が2013年に愛知で出会った方々もいます。その1人が、通し行進者たちに愛知での今年の行進に関する写真と新聞記事の切り抜きを渡していました。

12時40分までには多くの人たちが集まっていました。予定通り、12時45分に、引き継ぎ式が始まりました。250人ほどの出席者がいました。私たち5人(ニーニョ、田中さん、竹田さん、五十嵐さん、私)が紹介され、短いスピーチを読み上げました。さまざまな団体や市からの賛同のメッセージも紹介されました。大阪で平和運動を支援するさまざまな団体を代表して、10人から11人の府内通し行進者たちも集まりました。大勢ですね!

私たちは、午後1時には歩き始め、私たちの後ろには行進者たちの長い列ができました。奈良を歩いた時より、かなり暑くムシムシしていますが、地元の行進者たちには心の準備ができているようです。(^^) 実際に、行進者たちはとても元気です。数ブロック一緒に歩いた比較的若く背の高い男性がいて、私たちと一緒に写真に収まりました。彼はおそらく市議会議員で、行進の前に応援のスピーチをしていました。地元の行進者たちにも歓迎されているようです。

午後3時20分、私たちは、八尾市で休憩し、多くの人びとの歓迎を受けました。ここでも、市長と新日本婦人の会の地域支部長から歓迎メッセージをいただきました。市議会議員のみなさんが、私たちの行進の成功と健康を祈願してくれました。

午後5時、東大阪市でこの日の行進は終わりました。この時までに、行進者の数は250人から550人に膨れ上がっていました。みんなお互いに「お疲れ様でした!」とあいさつを交わしました。今日は暑くて湿度も高かったので、本当に疲れました。それに、歩いた時間と距離は、奈良よりも大阪の方が長かったのです。私の両脚はもうガクガクですが、心は元気です。

運動場のある公園で、この日の終了セレモニーをしました。たくさんの子どもたちが遊んでいましたが、何をしているのだろうと、好奇のまなざしを向ける子どももいました。竹田さんは、子どもたちに、平和行進とその目的について、ていねいに説明してあげていました。

ニーニョは、小さな太鼓(日本の伝統的なドラム)を貸してもらったため、行進にすぐに馴染んだようです。午後の間ずっと、彼は生き生きと太鼓のビートを響かせていました。彼がたたいている間、周りの人が「ジョーズ」というのを何度も聞きました。うまく演奏しているという意味です。歩きながら、彼が幾分踊っているように見える時がありました。彼はミュージシャンなので、今後演奏を頼まれたとしても、驚くことではないでしょう。彼はまた、平和行進のための歌を準備しています。その歌もブログに投稿できればいいなと思います。

今日の終了セレモニーは、3人の被爆者が参加する特別なものでした。そのうちの1人が、スピーチをしてくれました。彼は、平和行進という運動に感謝していると言いました。昨年、平和行進に参加してわかったことですが、被爆者の声は、日本だけでなく、世界中の平和運動の推進力となっています。彼らの声には、核兵器全面禁止がいかに緊急の課題であるかを訴える力があります。被爆者の平均年齢は、80歳を超えています。それにもかかわらず、被爆者の多くは(特にそのうちでも若い方の人たちは)、自分が経験した戦争と原爆の恐怖、その後に襲った生活苦などについて語り継ぐ活動を積極的におこなっています。彼らの話は、決して忘れられてはいけないし、真に平和で公正な社会を実現するための教訓として活用されるべきです。被爆者にノーベル平和賞を授与するための申請、努力、運動がなされてきましたが、それはまだ実現していません。

今夜の宿舎は特別です。なぜなら、温泉付きの和風旅館だからです。ニーニョにとっても、旅館に泊まって温泉に入るのは初めての経験だと思います。それも、通し行進者のみなさんと一緒です!彼が旅館を楽しんでいたので、みんなも喜んでいました。夕食時には、岩田さんも小松さんもいなくなったので、私は、自分のわずかばかりの日本語ボキャブラリーを活用して、ニーニョが言葉の壁を破れるよう必死で援助しました。

夕食をとりながら、通し行進者たちとドライバーは、翌日の行進について話していました。明日は平和行進の最も困難なヤマの一つだというのです(私は、それが大阪府内に限ったことなのか、それとも東京-広島コース全体を通じてのヤマなのか、よくわかりません)。明日の行進はいつもより長く、また夏が近づいているため、ほぼ間違いなく、かなり暑い日になるでしょう。私は、あと2日、みなさんと一緒に歩きます。しかし今度は、ニーニョが、大阪を歩く主要な国際青年リレー行進者になります。

これから16日間、ニーニョ・デシエルトが、行進者のみなさんと一緒に、大阪府と兵庫県を歩きます。彼は、自分の経験を、言葉で、写真で、そして映像で知らせてくれるでしょう。 Salamat at Mabuhay ka Niño! (ありがとう、そして、ニーニョに力を!)

この投稿を終わるに当たり、一言、ごあいさつを申し上げます。

こんにちは、大阪! ようこそ、ニーニョ! 明日からがんばってね!

イッショニ、ガンバリマショウ!(Let us fight together!)

(翻訳:北島孝子・佐伯一郎)

[…]

【2014国際青年リレー行進】ニーニョ・マラカステ・デシエルトさんのあいさつ(日英)

6月30日から7月16日まで大阪府と兵庫県内を国際青年リレー行進するニーニョ・マラカステ・デシエルトさんのあいさつ(日英)を紹介します。

ニーニョ・マラカステ・デシエルト 平和行進でのあいさつ

平和と連帯のごあいさつを申し上げます!

まず何よりも、2014年原水爆禁止国民平和大行進の国際青年リレー行進に参加できて、嬉しく、光栄に思います。私は、核兵器廃絶という重要な大義を実現するため、ミンダナオ人民平和運動(MPPM)を代表して平和行進に参加することを決意し、大阪府と兵庫県を歩くことになりました。大阪と兵庫の平和運動のみなさんとともに行進する機会をいただき、ありがとうございます。

私は、日本の平和行進参加者の皆さんが、長い間行進を通してたたかい続けてきた勇気と力強さに感動しています。行進の歴史がそれを証明していると思います。この行動は必ず、日本と世界中の人々の、平和のうちに共存するためのたたかいを励ましてくれるでしょう。

ミンダナオ人民平和運動(MPPM)がご招待にこたえて2014年国民平和大行進に参加することになったのは、みなさんの核兵器廃絶の呼びかけに賛同しているからです。ミンダナオには核兵器はありません。しかし私たちは現在、フィリピン政府と武装勢力との間で排他的に和平プロセスが進められ、ミンダナオの天然資源が急速に民営化されつつあることに反対してたたかっています。

ミンダナオは食料の一大生産地として知られています。植物の種類や鉱物資源が豊富で、多様な文化と伝統を持つ多くの民族が暮らしています。しかし政府が、官民パートナーシップを通じて、豊かな外国が私たちの天然資源を搾取することを許してしまったら、ミンダナオはもはや食料生産地でなくなってしまいます。ミンダナオのあちこちで、歯止めのない鉱物資源の採掘が続いている結果、先住民が追い出され、森林の伐採、山の崩落が起こっているのです。

ミンダナオの先住民族であるルマドの人々による民族自決権を求める長いたたかいを、MPPMは支援してきました。最近、フィリピン政府とモロイスラム解放戦線の間の和平プロセスは、先住民族の意味ある参加がきちんと保障されないまま進められています。このため、彼らの祖先の土地、統治システム、紛争の平和的解決、文化と伝統的慣習などが無視されているのです。

私たちはまた、アメリカとの「防衛協力強化協定(EDCA)」を通じて、フィリピン国内に外国軍事プレゼンスが継続していることにも反対しています。オバマがフィリピンを訪問した際に調印されたこの協定は、アメリカや同盟国のおこなう戦争と軍事活動へのフィリピンの参加をいっそう拡大することになると私たちは考えています。これにより政情が不安定になり、地元民同士だけでなく外国との衝突が続き、戦争の影響を受けた国内難民がさらに増加することになりかねません。私たちは、もっと教育、社会福祉、住宅、医療を優先するよう主張しています。

青年平和活動家として私はまた、ヤパク(YAPAK, 世代を繋ぐ芸術家の会)のメンバーでもあります。ヤパクはMPPMの加盟組織であり、地域社会の人々に、ミンダナオの平和と正義の諸問題について教育・宣伝活動をすることに力を入れています。私たちはそれを音楽や映像、演劇を通じておこなっています。協力関係にあるミンダナオ青年平和連盟と一緒に、ヤパクは平和コンサート、舞台でのパフォーマンス、デモ行進などを通じて、コミュニティの人々の意識を高める活動をおこなっています。

ヤパクとミンダナオ人民平和運動を代表して、みなさんに心からの連帯を表明します。私たちは現在も、これからも、原水爆禁止国民平和大行進を支持します。皆さんのたたかいは、私たちのたたかいでもあります。力を合わせて、どんな困難にも打ち勝って前進しましょう。一緒に叫びましょう。ともに語り合いましょう。一緒に、正義ある平和のために行進しましょう。ノーモア・ヒロシマ!ノーモア・ナガサキ!ノーモア・フクシマ!ノーモア・戦争!

マブハイ(万歳)!

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Message of Nino Malacaste Desierto to the 2014 NATIONAL PEACE MARCH AGAINST A&H BOMBS

Greetings of Peace and Solidarity!

First and foremost, it is a pleasure and honor to be part of the International Peace March Relay of the 2014 […]

【2014国際青年リレー行進】マラヤ・ファブロスさんの日誌(6月28日)

6.28(1)

6月28日、奈良県行進3日目(最終日)

竹田さん、田中さん、五十嵐さんと一緒に斑鳩町役場に8時半に到着しました。そこで今日の行進中通訳をしてくれるミギナリさんと会いました。 彼は「私の名前ミギは日本語で“right”を意味するので覚えやすいよ」と言っていました。「ミギさん」と呼んでもいいそうです。つまり、“Mr Right”ということですね。ヘヘヘ。また、若いころ電信電話会社の管理職としてフィリピンとマレーシアで働いていたこと、今は定年となって平和運動などさまざまな団体で活動していると自己紹介してくれました。

町役場でおこなわれた式典では町議会議長が、平和行進への賛同のメッセージを披露してくれました。そして今度は地域から平和行進に参加した人から、町議会・市長に向けて核廃絶へのとりくみを今後も強化、継続することを求めるスピーチがありました。私も含め、通し行進者全員が一言ずつスピーチをしました。

細い路地の脇に共有の土蔵があり、大きな屋敷では自前の土蔵が並ぶ斑鳩の静かで古い町並みを行進しました。ミギさんは伝統的な土蔵の壁は、土と藁と竹で作られていて、内部の温度を適温に保ち、米などの穀物といった大切なものを保存するために300mmから400mmの厚みがあると説明してくれました。奈良は農業県だとわかりました。

午前中とても暑くなってきたので、9時55分に大きな生協の店舗に到着して10分間の休憩と言われた時、ホッとしました。昨年もそうでしたが、生協の皆さんは日本中で平和行進にとても積極的に参加しています。休憩時間中、生協の皆さんから飲み物とお菓子が提供されました。それだけでなく、生協の皆さんは労働組合や商工団体、女性団体(新婦人)、公務員組合などさまざまな団体と一緒に地域で平和行進を成功させるために奮闘されています。平和行進の最中だけでなく、事前準備の期間や行進終了後も、広島に行進が到着するまで緊密な協力が続くのが見て取れます。

生協は日本社会の中で興味深い性格を持った商店で、組合員が質の高い食品や商品を公正な値段で買えるようにしています。

10時5分には行進を再開し、平群町に向かいました。ミギさんは平群町を流れるきれいな川にまつわる話をしてくれました。20年前はゴミで汚れていて、誰もゴミを川に投げ入れることを気にしていなかったそうです。そこで、町がまず川の汚泥をさらって清掃をおこないました。その後、町民が年に3回川の清掃活動を始めたそうです。もし、川がきれいになれば、ゴミを投げ入れるのをためらうようになるものだ、とミギさんは教えてくれました。マニラ中心街を流れる川でも同じ変化が起きるのを生きているうちに見たいなぁ (^^)!

また、農地も通り過ぎました。日差しは強かったのですが、穏やかな風が吹いていたおかげで、楽しんで行進を続けることができました。田んぼの他に野菜や菊の花が植えられた農地もありました。菊はまだ若く花は咲いていませんでした。ミギさんが、米と菊を3年ごとに植え替えて農地を休ませていることを説明してくれました。

11時には平群町へ到着し、役場の人々に盛大に迎えられました。ここもミギさんの町です。週末にもかかわらず、役場の人々がたくさんいらっしゃるのを目にして嬉しく思いました。3人の市議会の代表の方が連帯の挨拶をくださり、その全員が現在の憲法9条の危機に懸念を表明されていました。

その中で一番若い市議会議員の方は、かつて父親が自衛隊の一員であったことを話してくださいました。お父さんは、憲法9条があるから決して戦争には行かない、安心しなさいといつも言われていたそうです。しかし彼は、もはや状況は変わってしまったが、憲法9条の内容が国の指導者によって変更されることを止めるために全力を尽くしたい、と述べていました。

昼食中に、ミギさんに奈良についてもう少しお聞きしました。奈良の人口は約140万で、人口の半分の人たちが大阪で働いています。奈良は野菜と農業でも有名です。大阪は消費が非常に大きな町なので、奈良県は大阪府に県の農産物を売っています。

好奇心から、伝統的な建物以外に大阪と奈良の違いは何か、彼の意見を聞いてみました。ミギさんが言うには、大阪は東京のようによそから移り住んできた人が多い町だそうです。大阪の住民の多くは、もともとは別のさまざまな地域の出身です。彼は、このように人々が集まってくる状態を小さなニューヨークになぞらえていました。

再び平群町役場に集合して行進を続けました。ちょっとした、しかしとってもおもしろい混乱がありました。というのも、先頭を歩く行進者たちが、まったく反対方向に歩き出してしまったのです!(^^)

再び閑静な通りを過ぎました。ここでも何人かが外に出てきて私達に挨拶をしてくれたことに非常に驚きました。正午にコープのお店について軽食をとり、今日の最終地点に向かいました。午後4時ごろには終着地に到着し、参加者のみなさんも今日の行進に満足していました。私も行進参加者のみなさんと、休憩のたびに楽しませてくれた大きな操り人形にさよならを言いました。

今日は奈良県を終日歩く最後の行進でした。明日は行進はお休みの日で、通し行進者は6月30日正午までに大阪へ移動し、奈良県から大阪への引継ぎ集会に参加します。

再び平和行進を歩くことができてとても嬉しかったです。今回私が奈良県を歩くことに挑戦したのは、私が昨年ここで行進を断念せねばならなかったからです。つまり、今年は、昨年行進を中止したところからの続きということになります。通し行進者を続けることの大変さと、毎年行進を組織し続けることは忍耐のいる作業だということを実感しました。

最近、憲法9条の解釈が変更される危機にあり、日本の行進者の皆さんの間に深い懸念と怒りが渦巻いていることを感じます。もし解釈の変更が強行されれば、戦争に参加しないという日本の約束から大きく後退することになります。しかし行進に参加をしている方々の活力を見ると、私の周囲の人たちは、真に公正で平和な世界という、生涯をかけた願いを実現しようと固く決心しているように見えます。それが平和行進の精神に示されているのだと思います。

Minnasan, konnichiwa! Heiwa koshin desu!

みなさんこんにちは!平和行進です!

(Hello everyone! We are the Peace March!)

(翻訳:名取 学・大内 響)

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【2014国際青年リレー行進】マラヤ・ファブロスさんの日誌(6月27日)

6.27(1)

2014年6月27日 − 奈良県の平和行進2日目

今日は奈良県で初めての終日行進。平和行進者は昨日の終了式の会場と同じ奈良市役所に集合しました。ありがたいことにもう雨は止み、日差しもあまり強くないです。やや曇りがちで風もありますが、長距離行進には理想的な天候です。

通訳として私と本日行進して下さっているのは白川さんです。彼女と梅林さんが先日関西空港で私を出迎えて下さいました。彼女は非常に素晴らしい通訳だと思いますし、練習のためにと私に時々日本語を話させてくれます!(笑)

今回は平和行進者と主催者が短いスピーチをして行進が始まりました。本日の行進は都心から離れた数々の古い寺院がある地域を通り過ぎるので特に風光明媚です。朝10時に出発し、唐招提寺までずっと行進しました。この経路は町なかを出て郊外の農村地帯に向かって行進したため、眺めが良かったです。景観は樹木の緑でした。川を渡り、両脇に古い家屋のある狭い路地を抜けて歩きました。

近くのお土産店で10分間の休憩を取りました。広い駐車場スペースが割り当てられて、比較的大きな土産物店が近くにあったので、このお寺はかなり有名なのでしょう。

行進し続けるにつれて、美しい景観に笑みが止まりません。ベビーカーにお子さんを乗せたお母さん達が平和行進のこの隊列の私たちと合流しました。彼女たちは新婦人の方々です!(笑)私たちに手を振って下さる方々を見かけるのも嬉しいですし、私たちが通り掛かるにつれ多くの様々な方々が合流して下さるのに驚きました。私たちと合流するのを待っていて下さっていたようです。

私たちが行進した通りはかなり狭かったです。ある通りは車一台分しか通れない狭さでしたが、街並みは非常に美しかったです。

小さな戸建ての家々に囲まれた田んぼを道の片側に見て、狭い道の反対側には清涼飲料水が入った自販機が数台置かれているという面白い風景に出会うところもあります。

山を背景にした田んぼを通り過ぎ、用水路にかかる短い橋の数々を渡りました。また、多くの寺院も通り過ぎました。中庭のある家々を見るのは初めてでした。古い家屋は大きく、美しい庭がありました。屋根も同様に手の込んだ構造で、平屋建ての家ばかりでした。観光するならぜひ奈良をお勧めします。

私たちは大和郡山市役所へも向かい、副市長と多くの市役所職員の方々の歓迎を受けました。彼らがメッセージを読み上げ、カンパとペナントを下さいました。そのペナントは、8月までの広島と長崎に向けてずっと歩いて行く平和行進とともに運ばれて行きます。この平和行進に参加している地元の原水協メンバーもまた、市の側に平和行進メッセージを手渡しました。

大和郡山の市役所では、平和行進者の一人が平和行進のメッセージを市役所職員の前で情熱をこめて読み上げました。白川さんは、この平和行進が政府に対して核兵器廃絶の役目を真に果たすよう求めており、市長は民のメッセージを政府高官に届けるべきだと説明してくれました。また、日本国憲法第9条を変更/解釈変更しようとする安倍晋三内閣総理大臣のとりくみを強く批判しました。

1946年に制定された日本国憲法の第9条は、戦争放棄の条項です。第9条ははっきりと次の事を謳っています。

第一項 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

第二項 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

6月24日に日本に到着して以来、私はたくさんの方が今とても不安な気持ちを抱えておられることを感じています。安倍首相がこの第9条を変えて、自衛隊が自衛や軍事演習を超えてより攻撃的な行動に参加できるようにしていることを心配しています。女性は特に若者がまた徴兵されるようなことになるのではないかということを心配しています。自分の子どもたちをどんな形であっても戦争に参加させたくないからです。

昨年平和行進を歩いて、神奈川や静岡で多くの米軍基地を見て、私は憲法第9条がどれだけないがしろにされているかを知りました。9条の解釈改憲について、まだ昨年は耳にしませんでした(少なくとも私が平和行進を歩いている間は)が、それでも平和運動をしている多くの日本人は、駐留米軍や自衛隊の軍備強化に反対していました。ですから今回、事態はさらに悪化していると言えるでしょう。

平和行進に話を戻すと、アナウンサーの方が行進のリーダーとして一日中行進を引っ張ってくれました。彼はとっても元気で、力強い声をしていました。歩きながら私が(彼には)「マイクはいらない」と言うと白川さんは笑いました。彼の元気は皆にも伝染していつも周りを笑顔にしていました。

お昼ごはんの後は片桐町まで歩いて2時20分頃に休憩を取りました。そこからさらに一時間ほど歩き続け、3時20分ころに斑鳩町にある法隆寺に到着しました。

4時前に、法隆寺の正面玄関の前で10分の時間をとりました。

それから数分歩いて斑鳩町民会館に4時20分に到着しました。そこで町の職員の皆さんのあたたかい歓迎を受けました。この日の閉会式では「青い空は」を歌いました。

午後のあいだ中、アナウンサーの彼は歩いて回りを元気にしていました。行進参加者だけでなく、通りを歩いている方にもそれは伝わっていました。たくさんの人が満面の笑顔になって大きく手を振ってくれたので驚きました。信号待ちで止まっている車からクラクションを鳴らしてくれたり、車の窓から手を出して振ってくれる人もいました。バスの窓から手をだして拳を突き上げてくれる人もいました。

奈良と斑鳩町について私が一緒に歩いている人たちから聞いたことを書いておきます。

昔、日本の首都は鎌倉でした。その前は京都に都が置かれていました。その前に都が置かれていたのが奈良でした。その奈良の中でも斑鳩町こそが仏教がインドから伝わり、最初に花開いた場所なのです。日本はその後独自の仏教文化を発展させ、何年も後、京都でその仏教は盛んになりました。だから日本で一番古い仏像を見たければ斑鳩に来ると良いでしょう。また法隆寺は日本最古の仏教寺院と言われており、建築にあたっては、釘は使用されていません。

今回の投稿はとても遅くなってしまって、しかも長くてすいません。今日の行進は本当に景色が良くて歴史についても学べる中身でした。以前に多くの日本人の友人から、奈良は歴史観光をするのにお勧めだということは聞いていました。自信をもって奈良を薦めてくる人もいれば、なんだか奈良というと懐かしさがこみ上げてくるという人もいました。多分今なら、私もなぜ皆がそう言って薦めてくれたのかが分かる気がします。

(翻訳:白石亜子・三宅朋子)

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【2014国際青年リレー行進】マラヤ・ファブロスさんの日誌(6月26日)

6.26(1)

2014年6月26日 京都から奈良へ引継ぎ

みなさんこんにちは!おひさしぶりです!

私はマラヤ・ファブロスです。2014年の平和行進のブログに投稿します。原水協が核兵器廃絶の平和行進の一環として国際青年リレーを組織するというチャレンジを引き受けてくれたので、リレー行進者として平和行進にフィリピン、グアム、インド、アメリカそして日本などさまざまな国の青年が参加することになりました。

私もリレー行進者の一人として奈良県内を4日間歩きます。それに加えて大阪を2日間、ニーニョ・デシエルトさんという、フィリピンのミンダナオ島(フィリピン南部の地域)からのリレー行進者の青年と一緒に歩く予定です。

これまでのところ、このブログの最後の投稿者は西田ちひろさんです。彼女は5日間かけて滋賀県内を行進し、京都の星琢磨さんにリレーを引継ぎました。それから、星さんが京都を歩き、国際青年リレー行進の旗を私に引き継ぎました。星さんも京都の平和行進の報告を書いてくれるので、そのうちブログに掲載します。

以下、6月26日の京都から奈良へのリレー行進の引渡しの様子を報告します。

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6月24日の夜、フィリピンから奈良に到着しました。翌日、新婦人の女性の方が奈良市郊外にある法隆寺を少し案内してくださいました。このお寺は日本最古のお寺で、釘を使わずに建てられています。午後は新婦人の事務所で少し休憩をしてから、とても親切な湯沢さん夫婦とご友人と一緒に夕ご飯を食べました。

6月26日の正午に奈良県原水協事務局長の梅林さんが、五十嵐さんと一緒にホテルに迎えに来ました。五十嵐さんは、今年の平和行進通し行進者のお一人で、和歌山-広島コースを歩いています。東京-広島コースと和歌山-広島コース(全国で約10の異なるコースがあります)は4日間一緒に奈良県を歩くことになっています。

五十嵐さんと再会できてとても嬉しかったです。昨年は東京と広島(平和行進の出発と終結)でお会いしました。五十嵐さんが私のことを覚えていてくださってとても嬉しかったです。今回は旅の前に日本語の単語を覚えるように努力をしてきたので、彼の言っていることを少し理解することが出来ました。(大体前よりも10パーセント増しくらい)(^-^)

お昼の前に、梅林さんが般若寺に連れて行ってくださいました。そこで岡谷さんとお会いしました。二人が午後、私が言葉の壁を乗り越えるお手伝いをしてくれます。お寺のすぐそばにある屋根つきのベンチでみんなで昼食をとりました。梅林さんがそれぞれに特大のお弁当を渡してくれました。JR職員の人たちのお弁当でたった400円だと教えてくれました。値段に比べてすごい量です! 半分も食べきることができず、残りはバックにしまいました。

京都からの行進者の方々を待っている間に、お寺の中を回りました。境内には広島の火を灯し続けている塔があります。岡谷さんが、ある広島の人が、原爆が投下されてからずっと後まで火を灯し続けていたと説明してくれました。やがてその火がこの塔に、真の平和と正義のための不滅の祈りのシンボルとして届けられました。また、この火は世界から全ての核兵器が廃絶されるまで灯され続けるのだそうです。

原爆の火のほかに、塔には平和の祈りの際にも鳴らされるとても古い鐘がありました。第二次大戦中も守られた古い鐘の一つです。第二次大戦中、多くの鐘や貴重な金属は溶かして武器や弾薬を製造するために供出されました。岐阜県と滋賀県でも供出を免れた鐘を見ることが出来るところがあります。

般若寺は季節によっていろんな色彩や花が見られる庭園でも有名です。この日の午後は、たくさんのコスモスの花が私たちを出迎えてくれました。心が和む眺めでした。

午後1時ごろに京都から平和行が到着しました。彼らの到着は大勢で力強く、元気の良い音楽と拍手で迎えられました。東京-広島の通し行進者の竹田さんと田中さんにお会いしました。また、星琢磨さんとも初めて会いました。彼は私たちの国際青年リレーの京都行進者です。「ほし」というのは星の意味だと説明してくれたので、彼の名前はきっと覚えられると思います。「星のほしたくまさん」と思うことにします。星さんは親切で優しい人に見えました。彼も行進を楽しんだことと思います。星さんから青年リレーの旗を引き渡され、次は私が毎日これを掲げて歩く番です。

星さん、お疲れ様でした!

私たちは般若寺を午後1:20頃に離れ、奈良県庁へ続く大通りを歩きました。県庁の大きな建物の反対側には緑の芝生の上を歩き回る鹿で有名な奈良公園があります。

私たちは県庁の皆さんに迎えられました。彼らの歓迎はあたたかく、県知事のメッセージを読みあげ、平和行進への支援としてペナントと募金をくださいました。岡谷さんは私に、今の県知事はとても保守的なことで有名なので、私たちの今日の行動に参加があるとはとても思えなかった、と教えてくれました。私も県知事のメッセージがどんな内容だったかはよくわかりません。

10~20分の休憩の後、奈良市役所に向かって歩き続けました。ある新婦人の女性が淹れたてのコーヒーを一杯くれました。飲むときがくるまでわかりませんでしたが、後でとても役に立ちました。

両側にお店が立ち並び混雑した通りを歩くころには、雨がとても激しくなっていました。3時近くになっており、仕事や学校から家に帰る人々で道路が混みはじめました。

雨がかなり激しく降り注ぐので、屋根のあるバス停で雨宿りして雨がおさまるのを待つことにしました。手にしたカップ一杯のコーヒーが体温を保ってくれてとても助かりました。(昨年、平和行進でいただくものが、いかにして後に起きることを示すものになるのかを書いたことを思い出しました。このコーヒーもその一例なのでしょう)

私たちは20分ほど待ちましたが、雨がいっこうにおさまらないので、団は行進を中止し、今日の終わりの集会をする奈良市役所まで車で直接行くことに決めました。田中さん、竹田さん、五十嵐さん、そして私は平和行進カーに乗って20分ほどで奈良市役所に到着しました。行進しなかったので集会には到着が早すぎ、車のなかで4時過ぎまで待ちました。

待っている間、今回のブログの文章を書くことができました。竹田さん、田中さん、五十嵐さんはみなすでによく日に焼けていました。そして私はもともと色黒なのでみんなとちょうどよく合います。 竹田さんと田中さんは寝ています。おそらく疲れからでしょう。どんな機会でも逃さず回復の時間にしてしまうのは賢い方法です。きっととても疲れていた違いありません。

午後4:30ごろ、行進の参加者たちが再び奈良市役所に集まってきました。市長代理や市議会議員の皆さんが歓迎してくれました。市長と市議会からの行進への賛同メッセージを読み上げ、ペナントと募金を下さいました。奈良市として平和行進を歓迎すると表明しました。また、広島と長崎への原爆投下を思い起こさせるために、毎年8月6日と9日に奈良県内の大きな鐘をすべて同時に鳴らしていると述べました。

地域の平和行進実行委員会の方も、奈良市に対するあいさつをされました。平和行進は、市に対して核兵器廃絶へさらに具体的に取り組むよう呼びかける機会なのです。主な要求のひとつは、安倍首相に平和憲法9条(つまり憲法9条)を変えないよう市からも要請してほしいということです。

閉会集会後、通し行進者は着替えをするためにホテルに戻りました。夕食の時間までに地域の行進者の梅林さんと大阪平和委員会の加藤さん、かわとうさんと、むーちゃん(居酒屋のようなもので労働者に人気のようです)で会い、お刺身やお酒をいただきながら交流しました。梅林さんは一人ひとりに竹でできたカニの母娘をプレゼントしてくれました。とても素敵!

行進者や梅林さんのエネルギーには本当に元気づけられます。この元気を必ず明日の本当に長い行進に生かします。また明日ね!

(翻訳:大内 響 ・ 国吉綾乃)

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【2014国際青年リレー行進】マラヤ・ファブロスさんのあいさつ(日英)

6月26日から30日まで奈良県内で国際青年リレー行進をしているマラヤ・ファブロスさんのあいさつ(日英)を紹介します。

マラヤ・ファブロス 平和行進でのあいさつ

みなさん、こんにちは。

フィリピンから連帯のごあいさつを送ります。平和行進にまた戻ってきました。去年は奈良県を半日しか歩けませんでしたが、見覚えのある方々にお会いできてうれしいです。昨年は奈良県内と、その後広島までの各県を行進することができず、申し訳ありませんでした。今年は何人もの青年が「国際青年リレー行進」として行進を繋いでいきます。皆さんのご支援をどうぞよろしくお願いします。

フィリピンの最近の状況について少しお話しさせてください。まず、フィリピン政府は、アメリカとの間で「防衛協力強化協定」に調印しました。これは、米軍が、フィリピン領土内で両国が合意した場所ならどこでも再び常駐し、占領することを許す内容です。アメリカはフィリピンに軍事基地を建設することはないと言われていますが、それでも兵器を積んだ米軍艦船がフィリピンの港に出入りすることに変わりはありません。西フィリピン海での中国の領有拡大を抑止するための演習とフィリピン軍の近代化、米軍要員・家族の宿泊施設と称して、各地の軍事基地には新たな施設が建設されています。そのための費用を負担するのはフィリピン国民で、日本の人々が政府の「思いやり予算」を負担させられているのと同じです。この費用は社会福祉、医療、教育、住宅などに優先的に使われるべきです。

昨年私は、東京―広島コースの通し行進者として初めて平和大行進に参加しました。最後まで歩き通すことはできませんでしたが、この経験は、私の中に、被爆者と平和運動の声を広げ伝えようという情熱を灯してくれました。また、世界から核兵器を禁止する運動を前進させる市民社会の声の大切さも知ることができました。一番重要なことは、若い世代がもっと積極的に運動に参加することが必要だと感じたことです。

この思いから、私は原水協に対して、一人が全行程を通し行進する代わりに、何人かの海外青年代表がリレー行進をしてはどうかという提案を送りました。そうすれば世界各国からもっと多くの青年が平和行進に参加するチャンスを得られるし、それぞれの経験を自国の運動やネットワークに持ち帰ってシェアすることができます。私たちの経験したことを行進ブログ www.heiwakoshindesu.wordpress.com で共有するのです。

この国際青年リレー行進に参加しているのは、グアム、インド、アメリカ、日本、そしてミンダナオを含むフィリピンから来た青年です。今年、平和行進をフォローしていて私が驚き、また興味深く思ったのは、他の青年代表の国々も同様で関連した問題を抱えているのだ、ということでした。それらすべては、国の安全保障と平和、民族自決権、正義、そして環境保護の問題に関連しています。それぞれの国の問題について学ぶことは、連帯を強める機会にもなります。

昨年から私は、被爆者が生きておられる間に世界的な核兵器禁止を実現したい、と強く願うようになりました。来年はこれを実現するために大事な年です。来年からさらに5年後のNPT再検討会議まで待つことはできません。核兵器をなくすのはいつ?今でしょ!

2015年NPT再検討会議に向けた準備をする今年の活動は重要です。私より皆さんのほうがよくご存じのことです。ですから、私たちが今とりくんでいる活動、やらねばならない任務、計画している内容すべてが大事な意味を持ちます。今年の平和行進を最高に盛り上げましょう。街をゆく人々と世界の人々に、真に公正で平和な世界を求める私たちの強い願いを知らせましょう。国と国との関係が、相互尊重、協力、連帯に基づいたものとなる未来を展望しましょう。みなさんと広島、長崎でまもなく再会できることを楽しみにしています。力を合わせれば私たちは勝利できます。一緒にがんばりましょう!

マラヤ・ファブロス:2014年原水爆禁止国民平和大行進・国際青年リレー行進・6/26-30奈良県通し行進者。

Email: malayavfabros@gmail.com

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Minnasan Konnichiwa.

Greetings of solidarity from the Philippines! It is great to be back in the Peace March. I am happy to see familiar faces from last year even though I was only able to march for half […]

【2014国際青年リレー行進】アーサー・タイマングロ・Jrさんの感想

アーサー

国際青年リレー行進に参加して、忘れがたい素晴らしい経験を得ることができました。日本に滞在中、静岡県から愛知県にかけて行進に参加しました。長距離のコースを歩き通すのは大変でしたが、行進に参加したことで、多くの素晴らしい人々にお会いすることができ、また多くのことを学びました。一緒に行進した参加者の皆さんの平和に対する熱意と信念、また平和のために捧げている犠牲に感動を覚えています。

被爆者の方にお会いして、体験されたことのお話を伺うといつも尊敬の念を感じずにはいられませんでした。被爆者の方々は、広島・長崎の被爆体験を生き延び、その後、平和を訴え続けることを選択して、自らの証言を日本と世界に発信し続けると決意された人々であり、人間の強さを象徴しています。

平和行進の参加者は未来の守護者であると実感しました。多くの行進者が、私たち若者に安全な未来を残すことと、戦争のない将来を実現することの重要性、そして原子力産業の危険性を強調されました。私たちは平和を当たり前のものと受け取っています。しかし、平和行進参加者の多くは、全員というわけではないかもしれませんが、自らの体験から、戦時には無辜の市民が標的にされ、つまらない戦争ゲームの戦火にさらされることを知っています。そして戦争の後には、永遠とも言える長期にわたる苦痛と喪失感が残されます。私は、お会いした被爆者と平和行進参加者の方々が、こうした戦争の痛みとともに今も生きておられることに気付かされました。しかし素晴らしいことは、彼らがこの痛みを、平和を訴えよりよい未来を作るために様々な社会的課題について人々の注意を喚起することで、社会を変革する原動力に作り変えていることでした。

原水協の皆さんと、平和行進に参加された皆さんのあたたかい歓迎と、私に差し伸べてくださった支援に感謝を申し上げます。皆さんの強さ、賢明さ、情熱、そして平和への努力に、何よりも感謝しています。平和な未来を実現するために声を上げ続けてくださって、本当にありがとうございます。

(翻訳:名取 学)

【2014国際青年リレー行進】西田ちひろさんの日誌(6月21日)

6.21(2)

6月21日(土)6日目(大津→山科)

ブログが毎日書けないまま最終日を迎えました。

最終日までブログが飛んでしまうことをご了承ください。

今日は曇り空で蒸し暑い日でした。大津(おおつ)県庁を出発し、引き継ぎがある山科(やましな)を目指して歩きました。

大津から山科までは山を越えて行きました。12時頃に山科に到着し、無事に京都に引き継ぐことができほっとしています。

京都は滋賀とは違い大規模で驚きました。きっと各都道府県によってさまざまなカラーがあるのでしょう。全国通し行進者の方が、「滋賀に到着して最初はどうなるかと思ったけれど、毎日滋賀の行進が進化していった」とおっしゃられたのが印象的でした。コールのやり方について話したり、みんなで作り上げた平和行進になったのではと思っています。また、一日一日ごとに行進者同士の結びつきも強くなっていったと実感しています。平和行進を通して、わたしはたくさんの人に支えて頂いたおかげで6日間歩くことができたと思っています。

「動けば何かがそこにある」平和行進の国際青年リレーに参加して感じたことです。たくさんの新しい出会いがそこに待ってくれていました。職業も年齢も越えたさまざまな人たちとの出会いはこの平和行進で得た大切なものとなりました。また、デモ等にあまり参加したことがないわたしにとって時に驚きや疑問を、時に喜びや学びをもたらしてくれました。平和のために歩くというこの素晴らしい国民平和大行進がそのスローガンで掲げている「だれでも、どこからでも、一歩でもいっしょに参加できる活動」にするにはどうすればいいかなぁというのが6日間歩いて見えたこれからの課題です。

【2014国際青年リレー行進】西田ちひろさんの日誌(6月18日)

6.18出発!

6月18日(水)3日目(安土→野洲)

今日も朝から曇り空で途中雨が降ったりやんだりでしたが、行進にはちょうどいい天気でした。行進、3日目ということですが、最初の2日間張り切りすぎたせ いかだんだん疲れがでてきました。全国通し行進者の竹田さんと田中さん、滋賀県内通し行進者の高田さんは元気で本当にびっくりします。一番若いはずのわた しがヒーヒー言いながら歩いています。

▲出発!

今日は午後から近江八幡(おうみはちまん)駅と野洲(やす)駅で署名活動をしました。メンバーの一人星野さんのオカリナ演奏をバックミュージックにしてなんとも穏やかで安らかな音色に包まれながら、署名活動をすることができました。

▲オカリナ演奏とともに署名行動

星野さんのオカリナのおかげで、小学6年生、高校生、大学生など若い人たちからメッセージをバナーに書いて頂くことができとてもうれしかったです。わたしたちの想いとともに街角で出会って応援してくださった方々の想いも広島へつなげていきたいです

▲若者たちのメッセージ