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【2014国際青年リレー行進】マラヤ・ファブロスさんの日誌(6月30日)

6.30(1)

6月30日 奈良から大阪へ引き継ぎ

今日の午前中は、奈良県での最後の行進です。通し行進者の方々(竹田さん、田中さん、五十嵐さん)と私は、梅林さんと大阪原水協の人たちに連れられて、車で30分かけて大阪の引き継ぎ地点に向かいました。途中で、私たち4人はセルフィー(携帯で自撮りした写真)を撮りました。これは、「大阪のみなさん、いよいよそちらへ向かいますよ!」というちょっとしたメッセージです。

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私たちは、11時30分ごろに大阪に着き、大阪原水協のメンバーと、国際青年リレー行進者の1人で、大阪府から兵庫県内を歩くニーニョ・デシエルトに会いました。彼は、フィリピンのミンダナオ出身の音楽家です。ミンダナオ人民平和運動(MPPM)のマルチメディア編集者でもあり、平和教育や社会意識向上の活動でがんばっているアーティストグループ、ヤパクの一員でもあります。

私たちが彼と出会ったのは昨年12月、ミンダナオの北ラナオ州で行われたミンダナオ人民平和サミットでした。私の母と私は、その団体に若者やアーティストたちが多く参加していることに触発され、国際青年リレーの実現へのチャンスがあるなら、ぜひ彼らを招待しようと心に決めました。私たちが日本原水協とこの計画を進めることが決まった時点で、すぐに平和行進に代表を送ってくれるようMPPMに頼んだのです。

ミンダナオは平和や安全に関連した問題に直面しています。ミンダナオはある意味で、自分たちの土地、住民の要求、アイデンティティを取り戻し、さらなる軍事化に反対するたたかいにおいて、沖縄、済州島、グアムと共通の苦闘に直面していると思います。

ついに今、私たち2人は、他の平和行進者とともに大阪の引き継ぎ式の場に立っています。岩田さんと小松さん(大阪原水協の理事長と事務局長)が、とてもよくニーニョの面倒をみてくれていることを知って、うれしく思います。ニーニョは意気揚々としていますが、同時に緊張しているようです。

私たちは、草いっぱいの土手で早めの昼食をとりました。とてもくつろぐことができました。田中さんは、大阪に自宅があるということで、普段よりも興奮しているようです。数日間、夜は家に帰ることができるようです。通し行進者になると、最低でも3か月はほぼ毎晩、違う町で寝ることになります。つまり、行進ルートが自分の故郷の近くを通らない限りは、長い期間家に帰れません。

地元の行進者たちが独りずつ、あるいはグループでやって来ました。長い間会えずにいた人たちが、屋外で同窓会をやっているような雰囲気です。参加者の何人かは、昨年の平和行進以来の再会なのでしょう。私が2013年に愛知で出会った方々もいます。その1人が、通し行進者たちに愛知での今年の行進に関する写真と新聞記事の切り抜きを渡していました。

12時40分までには多くの人たちが集まっていました。予定通り、12時45分に、引き継ぎ式が始まりました。250人ほどの出席者がいました。私たち5人(ニーニョ、田中さん、竹田さん、五十嵐さん、私)が紹介され、短いスピーチを読み上げました。さまざまな団体や市からの賛同のメッセージも紹介されました。大阪で平和運動を支援するさまざまな団体を代表して、10人から11人の府内通し行進者たちも集まりました。大勢ですね!

私たちは、午後1時には歩き始め、私たちの後ろには行進者たちの長い列ができました。奈良を歩いた時より、かなり暑くムシムシしていますが、地元の行進者たちには心の準備ができているようです。(^^) 実際に、行進者たちはとても元気です。数ブロック一緒に歩いた比較的若く背の高い男性がいて、私たちと一緒に写真に収まりました。彼はおそらく市議会議員で、行進の前に応援のスピーチをしていました。地元の行進者たちにも歓迎されているようです。

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午後3時20分、私たちは、八尾市で休憩し、多くの人びとの歓迎を受けました。ここでも、市長と新日本婦人の会の地域支部長から歓迎メッセージをいただきました。市議会議員のみなさんが、私たちの行進の成功と健康を祈願してくれました。

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午後5時、東大阪市でこの日の行進は終わりました。この時までに、行進者の数は250人から550人に膨れ上がっていました。みんなお互いに「お疲れ様でした!」とあいさつを交わしました。今日は暑くて湿度も高かったので、本当に疲れました。それに、歩いた時間と距離は、奈良よりも大阪の方が長かったのです。私の両脚はもうガクガクですが、心は元気です。

運動場のある公園で、この日の終了セレモニーをしました。たくさんの子どもたちが遊んでいましたが、何をしているのだろうと、好奇のまなざしを向ける子どももいました。竹田さんは、子どもたちに、平和行進とその目的について、ていねいに説明してあげていました。

6.30(5)

ニーニョは、小さな太鼓(日本の伝統的なドラム)を貸してもらったため、行進にすぐに馴染んだようです。午後の間ずっと、彼は生き生きと太鼓のビートを響かせていました。彼がたたいている間、周りの人が「ジョーズ」というのを何度も聞きました。うまく演奏しているという意味です。歩きながら、彼が幾分踊っているように見える時がありました。彼はミュージシャンなので、今後演奏を頼まれたとしても、驚くことではないでしょう。彼はまた、平和行進のための歌を準備しています。その歌もブログに投稿できればいいなと思います。

今日の終了セレモニーは、3人の被爆者が参加する特別なものでした。そのうちの1人が、スピーチをしてくれました。彼は、平和行進という運動に感謝していると言いました。昨年、平和行進に参加してわかったことですが、被爆者の声は、日本だけでなく、世界中の平和運動の推進力となっています。彼らの声には、核兵器全面禁止がいかに緊急の課題であるかを訴える力があります。被爆者の平均年齢は、80歳を超えています。それにもかかわらず、被爆者の多くは(特にそのうちでも若い方の人たちは)、自分が経験した戦争と原爆の恐怖、その後に襲った生活苦などについて語り継ぐ活動を積極的におこなっています。彼らの話は、決して忘れられてはいけないし、真に平和で公正な社会を実現するための教訓として活用されるべきです。被爆者にノーベル平和賞を授与するための申請、努力、運動がなされてきましたが、それはまだ実現していません。

今夜の宿舎は特別です。なぜなら、温泉付きの和風旅館だからです。ニーニョにとっても、旅館に泊まって温泉に入るのは初めての経験だと思います。それも、通し行進者のみなさんと一緒です!彼が旅館を楽しんでいたので、みんなも喜んでいました。夕食時には、岩田さんも小松さんもいなくなったので、私は、自分のわずかばかりの日本語ボキャブラリーを活用して、ニーニョが言葉の壁を破れるよう必死で援助しました。

夕食をとりながら、通し行進者たちとドライバーは、翌日の行進について話していました。明日は平和行進の最も困難なヤマの一つだというのです(私は、それが大阪府内に限ったことなのか、それとも東京-広島コース全体を通じてのヤマなのか、よくわかりません)。明日の行進はいつもより長く、また夏が近づいているため、ほぼ間違いなく、かなり暑い日になるでしょう。私は、あと2日、みなさんと一緒に歩きます。しかし今度は、ニーニョが、大阪を歩く主要な国際青年リレー行進者になります。

これから16日間、ニーニョ・デシエルトが、行進者のみなさんと一緒に、大阪府と兵庫県を歩きます。彼は、自分の経験を、言葉で、写真で、そして映像で知らせてくれるでしょう。 Salamat at Mabuhay ka Niño! (ありがとう、そして、ニーニョに力を!)

この投稿を終わるに当たり、一言、ごあいさつを申し上げます。

こんにちは、大阪! ようこそ、ニーニョ! 明日からがんばってね!

イッショニ、ガンバリマショウ!(Let us fight together!)

(翻訳:北島孝子・佐伯一郎)

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