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原水協通信

毎月発行している日本原水協の機関誌です。国内外の反核平和運動についての情報が満載です。 日本原水協のウェブサイト→ http://www.antiatom.org/

「核兵器の全面禁止を!」

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国際青年リレー行進者ヴォルティモア・フェニスさんの平和行進報告(その1)

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2015年原水爆禁止国民平和大行進(東京-神奈川)をふり返って(感想・反省・感じたこと)

ヴォルティモア・フェニス

ミンダナオ人民平和運動(MPPM)(フィリピン・ミンダナオ)

 

平和の挨拶を送ります。こんにちは!

まず、このチャレンジの機会をいただいたことに感謝します。はじめは肉体的に大変でしたが、2日を過ぎると体が行進に慣れてきました。精神的には、率直に言って、もう帰らなければならず、また皆さんと会える日はいつになるかと思うと心が沈んでいます。でも現代技術を利用すれば連絡は取れますね。私にとってはとても大きな経験でした。

主催者である原水爆禁止日本協議会と多くの協力団体の皆さん(生協、被爆者のみなさんなど)、すべての行進者のみなさんに、私の心からの敬意を送ります。

人類のための行進

自分の属するミンダナオ人民平和運動から、組織の代表として日本の国民平和大行進に参加するよう言われた時、最初はどうしようかと思いました。フィリピンのような発展途上国にはあまり親切でなさそうだと思ってきた国で行進することや、日本の投資家がミンダナオで石炭採掘を進めて山を穴だらけにしていることを考えたからです。しかし、大事なことは、私たちミンダナオの人民と同じく、特に平和を求めて人々を組織してきた日本人民による大衆的な運動と連帯することなのだと考えました。

私は入管手続きというハードルを乗り越えて、無事日本に入国し、そのまま東京の原水協事務所に向かいました。ここで、ニューヨークで開かれたNPT(核不拡散条約)再検討会議に核兵器全面禁止を求める日本国民の意志を届けて帰国したばかりの、事務局の人々と出会いました。

その翌日、さっそく平和行進が出発しました。これまでの研究と何人かの人々との会話で確信したのは、私たちは心を一つにして人類のために、平和のために行進するのだということです。私たちは世界に向かって、力を合わせて、戦争と分断を進めようとする権力者たちに立ち向かって活動しなければならない、と伝え広げながら行進するのです。

私は東京から神奈川県への行進で、参加者の熱意と情熱を感じました。子どもたち、青年、障害を持つ人々、高齢者、女性、労働者の組織、小規模企業経営者、生協、そして特に被爆者の方々です。太陽よりも熱いこの人々の魂に心を打たれました。この経験を生涯忘れることはできないでしょう。

今年は1945年に広島と長崎に原爆が投下されてから70周年であり、世界の人々を啓蒙し、再教育する大事な機会です。核兵器に反対し平和を求める被爆者の人生とたたかいに賞賛を送りましょう。

平和行進は、1958年に人民の手で開始された大衆的運動への最も優れた貢献であり、支配勢力に刃を突き付ける行動です。まさに人民の運動なのです。

世界を激励し異議を唱える被爆者

行進の途中で多くの被爆者に出会い、彼らの証言を聞きました。彼らは1945年の広島・長崎への原爆投下の体験と恐怖を語りました。聞きながらじっとしていられない気がしました。心が痛み、聞くのがつらかったです。「親を返せ、年寄りを、家族を返せ。もう自分は年老いたが、残りの人生を核兵器廃絶に捧げたい。・・・あの晴れた日、突然閃光を浴び、爆発によって辺り一帯は破壊された・・・」という話に涙し、心が重く沈みました。

しかし、それでも前を向いて行進と運動の先頭に立って進む彼らの姿は誇りに満ちていました。被爆者は、原水爆がなぜ禁止されねばならないかを語る生き証人です。

彼らは悲劇の経験を負い、高齢となったにも関わらず、粘り強く人々を教育し、さらに私たちに、団結してもっと頑張ってほしいと促していました。彼らの目の中にも体にも(物理的にも精神的にも)疲れたところは見えず、繰り返し「再び被爆者を作ってはならない」と訴えていました

世代を超えたたたかい

毎日、私は子どもたちや青年が行進に参加してくれるのを楽しみにしていました。若い血が流れていない運動は廃れていくと考えているからです。

平和行進はこれまでで最高の数の青年と子どもたちの参加を得ることができたそうで、とても嬉しく思っています。私が行進を始めるときに発表したスピーチの中で述べたように、私は自分の娘のため、そして子どもたちのために歩いているのです。彼らを巻き込まなければなりません。

通りを行進していると、小さい子どもたちや若い人たちが手を振って激励してくれたことは、彼らが私たちのやっていることを理解していること、彼らを運動に引き入れることは可能であることの証明です。彼らを実際に運動に招き入れることは簡単ではありませんが、やらなければなりません。その方法はすぐ見つかります。彼らに被爆者の話を聞いてもらうことは重要です。そうすれば彼ら自身が何をすべきかを考え出すことができるはずです。

私たちがこの運動に参加しているのは、自分が地上に生きている年月のためではなく、将来を生きる世代のためだと信じています。みなさんもそうではないでしょうか。これはこどもたちに対する私たちの責任であり、倫理的な義務でもあるのです。

歴史を作ることを前進命令として

私たちはいつも悲劇の歴史を読み、聞いてきました。世界のどこでも、戦争と爆撃は、破壊と強制退去、損壊をもたらし、人の命と夢を奪い、遺族は涙にくれます。歴史が教えていることは、私たちは今日、今すぐ行動しなければならないということです。この歴史を繰り返さないようにする義務が私たちにはあるのです。

地域的であれ世界全体であれ、制御するための仕組みとして戦争と支配を使うというのがこの数百年のあいだ世界を牛耳ってきた支配的イデオロギーです。一方で、多くの国々において良心ある人々と社会運動は、変化を作り出すことは可能であることを証明してきました。大多数の人々の利益となるように状況を全く逆転させることは可能なのです。

私たちは、文明を破壊し世界支配を維持しようとする抑圧的で搾取的な権力者の手から将来を守らなければなりません。新自由主義者と右翼保守主義者に操られた政府が、人民大衆のために働くと期待することはできません。私たちは自分たちの力だけに依拠し、団結と連帯を力として活動すべきです。私たちの声を、独占と人の死をもたらす世界体制を打倒するための力に作りかえましょう。

さまざまなたたかいの間の連帯と絆を強めよう

この報告は、みなさんにさよならを言うためではなく、共通のたたかいで協力するための機会です。ごく普通の人々と一緒に共通の利益のためにたたかうのです。

みなさんの、核兵器と外国軍事基地に反対して人民のために進める民主的なたたかいは、私たちのたたかいでもあります。私たちの地域社会に持続可能な発展と公正な平和を求める努力は、世界中の平和と気候正義を求めるたたかいへの、私たちからの貢献なのです。私たちは人間性、平和、気候を切り離して考えることはできません。

外国軍事基地の前で演説する中で、武器も戦争も私たちには必要ないというメッセージを発信しました。必要なのは連帯であり、友情とパートナーシップの真の核心です。支配者たちに対して、彼らが押しつけようとしている政策は間違いだと正面から言わねばなりません。

私たちの任務は、団結して強力な連帯を様々なたたかいにおいて作り上げること、人間性と環境保護を、私たちのやるべき活動の中心に据えることです。

私たちは多数派ですが、もっと多くの人々の力が必要です。もし世界中の普通の市民たちがさまざまなたたかいに参加するようになれば、権力の壁を破ることができます。搾取も差別も支配もない世界を作り上げましょう。みなさんは多くのことを成し遂げてきましたが、もっとたくさんやるべきことがあります。

もう一つ重要な仕事があります。これらの全てのたたかいを結び付けて、集団的に前進することです。核兵器と戦争に反対する運動は常に、幅広く、女性、青年、環境、先住民、労働者その他、社会における民主主義をめざすたたかいと結び付けて、相互的な観点から進めなければなりません。これらすべての問題は相互に関連しているため、私たち社会勢力もまた協力してたたかうことが必要です。

ミンダナオ人民平和運動からの連帯と感謝をお受け取り下さい。私たちはいつでも草の根の人々とコミュニティの力で変化を起こすことができます。

太陽はここにある:私たちは必ず勝利する

最後になりますが、太陽はここにあると私は信じています。私たちのたたかいの中に、集団的な努力の中に。そして私たちはいつの日か必ず勝利します。誰かが勝利を持ってきてくれるわけではなく、頼りにできるのは私たち自身の力だけです。集団的な良心にもとづいた行動こそです。

勝利は、夢の実現をあきらめず、批判的な目を持ちながら正しい行動がいつか結実することを信じる人々のところに必ずもたらされるものです。

みなさん一人ひとりのお名前をあげてお礼を言うことができなくて申し訳ありません。でも皆さんと一緒に行進することができて光栄で、誇りに思います。そして辛抱強く通訳してくれたみなさんに、大きな「いいね!」を送ります。私が必要とすることにすぐ応えて下さったみなさん、本当にありがとうございました。

そして日本の市民のみなさん、とくに一緒に行進してくださったみなさんは、私が考えていた抑圧的な日本という国とはまったく違う人々でした。私たちを支配している世界体制が、私たち=人民に対して優しくないというだけなのです。

私にとって日本のお母さんのようだった松永洋子さん、疲れを知らない元気の塊のような山口逸郎さん、さらに長い道のりを進む私の兄弟のようだった原井一成さん、他の通し行進者の皆さん、運転手、行程管理を務められたみなさん、音楽家、芸術家のみなさん、そのほか全てのみなさん、本当にありがとうございました。

ミンダナオ人民平和運動の仲間のみんなへ:人民の、草の根の運動をさらに大きく発展させよう。ありがとう!

歩き続ける行進者のみなさんへ:ROCK THE ROAD!

ちなみに、娘の名前はシッティ・マルクシレン・オメリオ・フェニスです。そしてミンダナオはフィリピン南部に位置しています。

頑張ろう!頑張って!ありがとうございます!

2015年5月19日 神奈川県にて

 

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