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原水協通信

毎月発行している日本原水協の機関誌です。国内外の反核平和運動についての情報が満載です。 日本原水協のウェブサイト→ http://www.antiatom.org/

「核兵器の全面禁止を!」

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マラヤ・ファブロスさんの行進日誌5日目

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平和行進五日目:相模原市から座間市へ

 

今朝は相模原駅の近くで開会式を行いました。実際にはショッピングモールの入り口に繋がっている外側の遊歩道の場所だったので、私たちは2階にいたことになります(日本では一番下の階を1階と言います)。

 

笠木さんが今日一日私のために通訳をしてくれるみっきさんを紹介してくれました。神奈川県から何人かの被爆者の方も一緒に歩いてくださいました。相模原市には約320人の被爆者の方がおられるそうです。他の団体の皆さん同様に被爆者団体の方々からも賛同のメッセージをいただきました。福島さんが私に昔東京が江戸と呼ばれていたように、神奈川県は相模原と呼ばれていたと教えてくれました。多くの韓国系のお店のある古い町並みを通ったとき、福島さんはこの辺りが昔多くの朝鮮半島からの人たちが働き、住んでいた場所だと教えてくれました。

 

大通りまで出て右へ曲がるまで私たちは行進を続けました。道の両側に街路樹が植えられており,なんだかフィリピンのアカシア並木を思い出しました。でもここの並木はすこし背が低いです。大通りの突き当たりに米軍相模原補給しょうがあります。ここは元々最大の米軍基地だった場所です。1972年当時、ベトナム戦争のさなかには、ここは配備される前の戦車が保管されている場所でした。

 

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私たちは基地へ向かう入り口の角にある線路の前で、大通りの両側に陣取りました。一人の人が日本にある基地への抗議のスピーチを行いました。そして私たちは「いいね!」と「今でしょ!」コールを行いました。2日前のブログに「今でしょ!」コールの詳細は書いたので、今回は「いいね!」コールについて書きたいと思います。

「いいね!」の時にフェースブックの「いいね!」ボタンのように親指をつきあげます。

 

核兵器のない世界(いいね!)

原発のない世界(いいね!)

軍事費は被災地にまわそう(いいね!)

核保有国に核兵器廃絶の約束せまろう(いいね!)

子どもたちに青い空をてわたそう(いいね!)

子どもたちに明るい未来を(いいね!)

被爆者の心を受け継ごう(いいね!)

憲法9条まもろう(いいね!)

 

基地の問題が平和とどうつながるのか?と疑問に思う人がいるかもしれません。

今日私が感じた、その問いに対する答えはこうです。

外国軍の基地は、それが防衛モードであろうが攻撃モードであろうが、別の国の総合的な戦争のシステムの一部です。明確な大量破壊兵器(核兵器などの)の廃絶と戦争を支持する全ての制度の撤廃は本当の意味での恒久の平和には不可欠です。

 

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相模原総合補給しょうに向かう大通り沿いにあった彫刻。なんだかちょっと恐かったです。

 

そこから私たちは市役所の代表の方が待っておられる相模原市役所へ向かいました。ここでも相模原市からの賛同メッセージを受け取りました。彼らが私のために通訳をサンドラわたなべさんにお願いしてくださっていたので、メッセージの内容を簡単に通訳してもらえました。そのメッセージはとても力強く、勇気づけられる内容でした。私たちが再び歩き始めたとき、私はある本を今日一緒に歩いている方からいただきました。これは日本語で書かれた2001年の平和行進者の日記が本になったものでした。ワォ!私も日本語で読み書きが出来るようになりたいとすごく思います。この本を私に下さった方の写真もこの本に載っていました。

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その後、私たちは淵野辺駅まで行進しました。行進はここで一旦ストップして、昼食後は座間駅から行進は再開されました。今回私たちの平和行進の車は早めに座間駅に着きました。昼食には座間駅近くにあるとても人気のあるレストランに行きました。そこは和食も洋食もどちらも食べれる場所でした。皆さんが言うには、和食に比べて洋食の方が普通は安いみたいです。

 

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淵野辺駅まで被爆者の方々と行進

 

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淵野辺駅でお会いしたとても素敵な被爆者の女性です。彼女は83歳だったと思います。これまで平和行進でお会いした被爆者の皆さんはとてもお元気です。もっと私たち若い世代が多くの被爆者の皆さんに会うと良いと思います。そうすれば60歳から85歳、もしかしたらそれ以上に自分たちの平均寿命も伸びると思います。

 

午後からの行進は座間駅をスタートしてトンネルを抜けて米軍座間キャンプへと向かいました。背の高いフェンスに沿って立ち入り禁止の警告の看板が取り付けられているのを見てなんとも言えない気持ちになりました。日本の人にとってはこれはどんな風に写っているのかと思います。私たちはキャンプの入り口の前に立ち止まり、ここでもまたコールを行いました。スクールバスやいくつかの車がキャンプに出入りしていました。彼らは手を振って私たちに笑いかけて来ました。私たちも笑い返しました。平和行進が何を求めているのか、彼らが分かっているのかは謎ですが、分かっていてほしいと思います。

 

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キャンプ座間の入り口の横に立つ笠木さん

 

その後私たちは座間市役所まで歩きました。ここでも自治体の皆さんに温かく迎えていただきました。賛同のメッセージとペナントもいただきました。被爆者の代表の方も挨拶しました。彼は68歳の若い被爆者の方で座間市の被爆者団体の議長をされています。最後に笠木さんが神奈川県原水協の代表として挨拶しました。彼は行進の途中に出会った何人かの子どもたちが核をなくしてほしいという強い願いを寄せてくれた事を話しました。私も日本語で5行くらいの短い挨拶をさせてもらいました。初めての事です!とても良い一日でした。私たちは4時前に行進を終えました。

それでは日本語で

また明日ね。

一緒に歩きましょう!

平和行進です!

 

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座間市の被爆者団体の若い議長さん

 

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私たちが歩きながら集めている多くのペナント

(日本語訳=三宅朋子)

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