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原水協通信

毎月発行している日本原水協の機関誌です。国内外の反核平和運動についての情報が満載です。 日本原水協のウェブサイト→ http://www.antiatom.org/

「核兵器の全面禁止を!」

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マラヤ・ファブロスさんの行進日誌42日目

20130617-131621

平和行進四十二日目:岐阜県から滋賀県へ引き継ぎ集会

今日は岐阜県での行進の最後の日だったので、3時に関ヶ原市役所で引き継ぎ集会を行いました。大垣城から歩き始めて大垣市内を歩き、垂井町を過ぎて関ヶ原へと向かいました。

一人の被爆者の方が大垣での開会集会に参加してくれました。お年寄りのグル−プが大垣のレストランでとった休憩場所で私たちを迎えてくれました。彼らから広島、長崎へ届ける千羽鶴を受け取りました。今日の通訳のふみ君が私に、彼らが自分たちでこの千羽鶴を折ったと教えてくれました。ふみ君は19歳の大学生で、彼のお母さんは新婦人の会員さんです。彼のお陰でとっても助かりました。というのも、今日は体調が余り良くなかったので、彼にその事を主催者側に伝えてもらいました。私は岐阜での行進の大部分はバンにのってアナウンサーをしたりお昼休憩になるまで眠らせてもらったりしました。

垂井町長さんと市議会議長さんがお昼休みは一緒に私たちと過ごしてくれました。平和行進の参加者は創業300−400年の古い旅籠と呼ばれる日本のホテルに集まりました。確かに構造は古いものでしたが、よく手入れの行き届いた建物でした。インテリアもとてもすばらしくって皆が一同に集まれる畳の部屋がありました。冷房が効いていたかどうかは分かりませんが、強い日差しを浴びて歩いて来た行進参加者にとってはくつろげる時間でした。

私たちは歴史的に有名な場所である関ヶ原まで行進しました。景色はどんどん緑が多くなり、山並みが目立ち始めました。風も爽やかで行進参加者にとっては好都合でした。

引き継ぎ集会は関ヶ原市役所の中で行われました。多くの皆さんが参加し、その中にその市役所まで一緒に歩いてきた88歳の女性もおられました。

ある方がお話の中で滋賀県民の心配事の一つが隣の福井県に原発があることだとおっしゃっていました。この福井の原発は日本でも危険な原発の一つです。この方はなぜ日本のリーダーたちが福島での事故を経ても原発を廃炉にしないのか理解できないと言っていました。

滋賀県ではお2人の方が通し行進をされます。民医連のメンバーの葉山さんと大阪から来られた男性です。明日には彼のお名前も分かるでしょう。

引き継ぎ集会の後で私たちは車で米原に向かいました。伊吹山の近くを通りました。ガイドの方がこの道では時々シカやクマを見かけると言われていました。すごい!

開会集会をした後で米原周辺を歩きました。この街は古そうですが、とても素敵でした。山並みを常に望めました。20~30分歩いて市役所に戻りました。そこからまた車にのって長浜市に向かいました。長浜市は美しいガラス製品で有名な街です。多くの観光客がこの工芸品目当てにこの街を訪れます。市役所に戻るまで約30−40分この街を歩きました。

今日の御前中は膝が痛くて行進には参加できませんでしたが、嬉しいことに午後は滋賀県を歩く事ができました。まだすこし膝が痛みますが、何とかなりそうです。

今日の午後の通訳はちひろさんでした。彼女の名前は画家のいわさきちひろさんにちなんでいるそうです。彼女のお母さんがいわさきちひろの絵と生き方が好きだからだそうです。夜ホテルに戻るとき、彼女は私に今日歩いた街のことについて教えてくれました。琵琶湖の事も聞きました。この湖は日本一大きい湖です。海みたいに大きいです。日が沈む光景はすごく美しくって行進しながら見れてすごく嬉しかったです。

最後に私はふみ君が大垣での開会集会の時にの様子を教えてくれたので、内容を書いておきたいと思います。

大垣での式典ではある被爆者の方がお話をされました。彼は原爆が落ちたとき岡山県にいました。原爆投下後に広島に入ったのです。そしてそこで被爆しました。彼の話では一つの建物もなく、一本の木もはえてなかったそうです。だから遥か向こうにある山がはっきりと見通せたそうです。彼は人類に同じ過ちを繰り返してほしくないと言っておられたそうです。そして私が行進に参加してくれて嬉しいと。またこの運動が大きく発展して行くことを望むと言っておられたそうです。

岐阜県の垂井町でのお昼休憩の時には町長さんと議長さんが毎年平和行進を歓迎していると言ってくれたそうです。通常この地域を歩く時は梅雨の時期と重なりますが、今年は雨ではありませんでした。お2人は、平和行進を通じて核兵器と原発に反対したいと言っておられたそうです。また、広島まで無事に歩いてくださいと言ってくれていたそうです。現在被爆者は高齢化し、数も減って来ているからこそ彼らの体験を聞くことはとても大事だとも言われていたそうです。

(日本語訳=三宅朋子)

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