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原水協通信

毎月発行している日本原水協の機関誌です。国内外の反核平和運動についての情報が満載です。 日本原水協のウェブサイト→ http://www.antiatom.org/

「核兵器の全面禁止を!」

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マラヤ・ファブロスさんの行進日誌20日目

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平和行進二十日目:静岡常盤公園から大井川

今朝は常盤公園から行進を開始しました。今朝はここ数日と比べるとすこし涼しかったです。あだちふみかさんと私がみなさんに紹介されました。彼女が今日の通訳さんです。彼女は英語の先生で平和行進を歩くのは初めてだそうです。市長からのメッセージが開会式では読み上げられふみかさんが私に内容を伝えてくれました。市長さんは平和行進が平和な世界を実現するための活動に大きく貢献しているとメッセージを寄せてくれたそうです。私はどこの自治体でも市長さんご本人の口からメッセージを聞ければなといつも思います。でもそれはもしかしたら贅沢過ぎる要望なのかもしれません。

いつも通り朝はコールの練習を行いました。何人か若い人も今日の行進には参加していました。そのうちの一人はかわいらしい女性でしろう君と文ちゃんの友達だと言っていました。名前を覚えてられなくてすみません。。。被爆者のリーダーの方も挨拶されました。彼の奥さんも被爆者です。

今日はとりわけ良い日でした。というのも、沿道で何枚か平和行進のポスターを見かけました。その上あるおそば屋さんを通りかかると素敵な折り鶴で飾られた大きな横断幕を店主の方が作ってくれていました。歩いている時ふみかさんが私の名前も横断幕に載っていると教えてくれました。とっても嬉しい励ましです!そこで村田さんとふみかさんと私は道を渡って直接おそば屋さんにお礼を言いに行きました。ありのみわこさんという女性と彼女のご主人がこの横断幕を準備してくれたそうです。彼らは今年は平和行進に参加できませんでしたが、みわこさんは5年前は同じコースを行進したそうです。彼女も新婦人の会員さんでした。出会えて本当に良かったです。

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さらに歩いて安倍川にかかる橋を渡りました。私はふみかさんにこの川は今の首相と関係あるのと冗談で聞いて笑い合いました。平和行進に参加している皆さんには安倍首相は平和憲法を変えようとしているのであんまり人気がないみたいです。

また赤い前掛けをした小さな仏像が並んでいるお寺の前も通りました。ある方がこの小さい仏像は「ハッピーブッダ」と呼ばれていると教えてくれました(訳者注:お地蔵さんの事でしょうか?)。彼らは幸せをはこんでくるとされているそうです。

瑞穂区の公園で一旦行進を終えました。そこでお年寄りの皆さんがゲートボールをされているのを見ました。ゲートボールという物を見るのは初めてでした。これは芝生がない場所でのゴルフみたいに見えました。

この場所から焼津市に向けて車に乗り込みました。

焼津に着いたところでさらに何体かのお地蔵さんを見つけました。とっても可愛いお地蔵さんでした!お昼前には焼津に到着し、高徳寺というお寺の中に案内されました。中でお昼を食べる前にある女性がお寺の祭壇について教えてくれました。その祭壇の上には大きくてカラフルな男性の頭くらいの像が置かれていました。それはダルマという物だそうです。ダルマは2月の地元のお祭りで売られる伝統的な願い事を叶える人形です。いろんな大きさのものがあります。大きければ大きいほど願いも叶うと言われています。ここにあったのは一番大きなサイズでした。多分平和への願いが強いからでしょう。政治家も選挙中はこのダルマを買うそうです。

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お昼ごはんの後でお寺の中でなるべさんを講師に勉強会を行いました。焼津市は江戸時代から漁業が盛んだったそうです。現在の人口は14万人。お米や野菜などの農業も盛んですが、一番の産業は鰹とまぐろ漁鵜です。私の1日目のブログでも書きましたが、焼津は第五福竜丸の母港でした。第五福竜丸はビキニ環礁で被爆した漁船です。平和行進者にとってもこの場所はとても重要です。なぜならここで(2週間の沈黙を破って)漁師達は自分たちの目撃した事を語り、専門家の助けを求めたからです。

このお寺には久保山愛吉さんのお墓もあります。彼は第五福竜丸の船長で、最初に放射能で命を落とした漁師でした。彼は広島でも被爆しています。だから彼はビキニ環礁での実験を目撃したとき、それに見覚えがあったのです。彼の兄弟は第二次世界大戦中に亡くなっていますがやはりこのお寺に埋葬されています。

なるべさんは焼津の前の市長はとても熱心に平和活動を応援していたと話してくれました。しかし今の新しい市長はそこまで熱心かは分からないと言っていました。平和行進はこれから市役所で集会を予定しており、市長の賛同が得られれば良いと皆さん話しておられました。

学習会の後は久保山さんのお墓参りをし、お花を供えました。彼のお墓はユニークな形をしていました。ふみかさんからこれは彼がビキニ環礁で目撃した爆発を表していると教えてもらいました。両側に広島と長崎からの植物が植樹されていました。

焼津港まで歩く前にお寺の横の広場で短い集会を行いました。私たちはたくさんのお花や果実のついた枝を持ったまま閑静な住宅街を歩いて行きました。それから浅く幅の広い川にかかっている橋をわたりました。この川は人工的なものか、護岸工事された物なのかは分かりませんでした。男性が川の真ん中に立っていました。一人で釣りをしているみたいでした。この川は駿河湾に繋がっており、太平洋へと流れ込みます。川から湾へ流れ込むとき突然水の色が変わりました。

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大通りを焼津港へと向かいました。ある人が船が着いたのはこの辺りだと教えてくれました。40年以上が経過し、この辺りもずいぶんと変わってしまっているようです。この地域の建物は少し老朽化しているようでしたが、漁業が活発な様子が見て取れました。大きな魚屋さんがありました。このお店は間口が広く、1階はすべて店舗のようでした。マグロの刺身と大トロのイメージが私の脳裏によみがえりました。村田さんが私に何日か前に大トロの刺身の写真を見せてくれていたのです。大トロは脂がのっていて、食べると口中に旨味がひろがるマグロの腹の部分です。日本にいる間に是非食べたい一品です。

食べ物の話はさておき、私は第五福竜丸が焼津港に到着した時の事を想像してみました。どんな風に彼らは最初迎えられたのか?地元の人たちに放射能のニュースはどんな風に伝わっていたのか?漁師達はどんな扱いを受けたのか?漁師達は疎外感を感じたかもしれません。もしかしたら家族と一緒にいても。長い航海の後で、きっと家族が恋しかったに違いありません。でも状況を考えれば家族との幸せな時間はそれほど続かなかったでしょう。自分たちのせいではないのに人生を変えてしまうような不幸な出来事が起こったのです。

船は最終的には除染され、実習船として使用されました。

焼津の街を歩いていると歓迎の横断幕が用意され、たくさんの方々がカンパを寄せてくださいました。街それぞれにカンパの袋も違うデザインです。前にもらったカンパの封筒には可愛いお花が印刷されていました。今回は平和行進の旗を持った楽しそうな人が描かれています。

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焼津の歴史民族博物館近くの公園に向かう途中で何人かの子どもたちも行進に参加してくれました。ここで私たちは休憩を取りました。今日はいつもより暑かったので冷たい飲み物はホッとしました。

行進を歩いていてよく聞く言葉のひとつが「大丈夫」です。「大丈夫ですか?」はその丁寧な言い方です。カジュアルに「大丈夫?」と聞く場合もあります。私たちは行進しながらお互いに「大丈夫ですか?」と確認し合います。

他によく聞くフレーズは「お疲れさまでした」です。これは大変な仕事などをしたあとで労をねぎらう言葉です。

私がたくや君に「大丈夫?」と聞いたら彼は笑いながら「大丈夫じゃない!」と答えました(笑)「じゃない」は否定する言葉だという事も覚えました。文章の最後に付けると否定形になります。

今日は本当に暑かった!このまま暑くなっていったら真夏の広島はどんな風だろうと気になり始めています。

私たちは原発の近くの地域でもう1回短い休憩を取りました。大きなお花をたくさんつけた横断幕で、若い男性の一団が私たちを迎えてくれました。とっても素敵!

ここから自衛隊の基地へと向かい、その近くにある小さい公園で閉会式になりました。

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大井川地域はたくさんの田んぼやグリーンハウスがあります。平和行進に参加している地元の人々はこの地域の自衛隊基地には反対していました。飛行訓練中の騒音被害がその理由の一つです。航空ショーが明日予定されているみたいで広告を見かけました。この地域の皆さんにとっては明日もうるさい一日になりそうです。

(日本語訳=三宅朋子)

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