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原水協通信

毎月発行している日本原水協の機関誌です。国内外の反核平和運動についての情報が満載です。 日本原水協のウェブサイト→ http://www.antiatom.org/

「核兵器の全面禁止を!」

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マラヤ・ファブロスさんの行進日誌18日目

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平和行進十八日目:静岡の新蒲原駅から鉄舟寺

今日の行進は、冒険しているみたいなコース、暑い気温、スイカ、そしていつもとはちょっと違う休憩の一日でした。
清水駅から今日の行進のスタート地点である新蒲原駅までは電車で向かいました。がくじさんが駅へ向かう道すがら歩道の芸術的なタイルを示してこれが東海道であることを思い出させてくれました。タイルには東海道のルートが描かれています。新蒲原駅は江戸時代に東海道のとても活気のある宿場だったそうです。
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新蒲原近くを歩くと多くの伝統的なお屋敷がありました。この地域は桜えびが有名だそうです。お刺身で食べる事もできるそうです。これまで数日間見て来たシャッター通りと違ってこの辺は多くの地元のお店が新鮮な魚介類を売っていました。いろんな種類のミカンも買えます。ミカンや花の無人の販売所もありました。これは商品の値段が書かれており、お金を支払う小さい入れ物が置いてあるだけの売り場です。売り手の信頼と、買い手の正直さの上に成り立つ、とてもシンプルな自動販売機といったところです(笑)
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最初の休憩は江戸時代の有名な宿場として使われていた場所を博物館にした場所で取りました。そこで地元産のミカンを食べました。がくじさんが私を大きな樽のある小さなお店に連れて行ってくれました。そこは伝統的な方法でお酒を作っている酒蔵だそうです。
平和行進は由比駅で一旦ストップしました。ここから行進参加者は電車で次の行進開始場所に向かい、通し行進者はバンで向かいました。この道中は海を見ながら細い山道があったり、ミカンや枇杷の木が連なる場所をバンが走って、まるで冒険しているみたいでした。どの木にも果樹がたわわに実っていてバンの両サイドに木の枝がバサバサと当たりました。まるでミカンと枇杷のテレビコマーシャルに出演している気分でした。ところで枇杷は桃と洋梨を合わせたような歯ごたえの果物で味はマンゴーよりも薄い感じです。
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別の駅に到着して、そこから行進を再開しました。清水区にあるコミュニティーセンターまで歩き、近くにある印刷会社でお昼ごはんになりました。この会社の社長さんが私たちのために場所を提供してくれ、椅子やテーブルも貸してくれました。さのさんが平和ソングを歌ってくれ、印刷現場の皆さんのお仕事を横目に私たちはお昼ごはんを食べました。さのさんはギターで英語の歌も歌ってくれました。村田さんは自分のカラフルなバナーを取り出して印刷会社の社員の皆さんもバナーにサインと可愛いイラストまで描いてくれました。
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午後は静岡市のあたりまで歩きました。ここはがくじさんの地元です。第二次世界大戦中にアメリカ軍のB29の空襲をこの街で経験したとがくじさんが言ったのでビックリしてしまいました。彼はものすごく若く見えます。それは広島と長崎に原爆が落とされたのと同じ1945年の6月の事だったそうです。街中がひどい空爆にあいました。がくじさんのお母さんと兄弟たちはがくじさんを抱っこして必死で逃げたそうです。その時彼はたったの1歳でした。約2000人の人たちがこの空襲で命を落とし、街は東京や平塚のように壊滅的に破壊されました。海岸沿いの街だった清水は、飛行機からの空襲の代わりに海から戦艦によって別の日にも攻撃されたそうです。
午後の休憩場所は川の近くの小さな公園でした。川沿いの並木道を小さい公園に向かって歩いて到着しました。今日はいつもより暑かったので木陰での休憩は本当にホッとしました。森林蒸発散ってすごい!
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最後の休憩場所は鉄舟寺でした。コープの皆さんがスイカなどを用意して歓待してくれました(ヤッター!)集会は黙祷から始まりました。私たちはお線香の香りのなかで祈りました。司会の方がこの時期には富士山の周辺では多くの平和の取り組みが行われると話されました。静岡のオスプレイ配備に反対する運動もあるそうです。また元国会議員をされていた方が平和運動への賛同の挨拶をしました。他に静岡の平和行進を扱ったドキュメンタリー「歩く」と広島長崎の被爆の映像も見ました。最後に新婦人の会員さんがとても美しい手作りのバナーを披露されました。
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がくじさんはお寺の中も少しだけ案内してくれました。畳の部屋には祈りのためのテーブルと大きなドラもありました。
静岡駅近くのホテルに戻る前に、午後の行進中に通った博物館に立ち寄りました。がくじさんがそこは地元の英雄、清水の次郎長の生まれた場所だと教えてくれました。清水の次郎長は日本のやくざと呼ばれるマフィアのメンバーでした。やくざについてはアクション映画でそのおかしな噂は聞いた事があります。背中一面に入れ墨をいれた男性たちで、なにか酷い裏切りをすると指を切り落とすというような話です。清水の次郎長は当時この地域に貢献したことで有名なようでした。村田さんは清水駅近くを歩きながらこの地元の英雄の石碑があると教えてくれました。
今夜の夕食は村田さんとたくやくんと一緒に港を一望できるレストランで食べました。清水にせっかくいるので村田さんは生の桜えびとシラスを注文しました。村田さんも桜えびを食べるのは初めてだそうです。私は海鮮丼を、たくやくんは鉄火丼を食べました。
このところ村田さんが言う事が少し分かるようになって来た気がします。少なくともニュアンスは掴めていると思います。彼は今や私の本当のお兄さんみたいです。文ちゃんは私たちは見た目も似て来たと言っていました!村田さんは65歳ですが40代前半くらいにしか見えません。
たくやくんはけいこちゃん同様に通訳ですごく私を助けてくれています。私がどれほど助かっているかたくやくんは分かってないだろうなぁ。いつもうまく通訳できなくてごめんと謝ってくれます。実際にはとてもうまく通訳してくれています。時々文学的な表現をするのはきっと数年前までシェークスピア文学を教えていたからだと思います。
夕食の時に私たちは日本とフィリピンの似ているところについて話しました。アルコール飲料やコンビニ、気候やファーストフードチェーン店など色々あります。村田さんは戦後今なおアメリカが強い影響力を持っており,日本にとっては良くないと思うと持論を語ってくれました。私はフィリピンも同じだと二人に伝えました。
このレストランの壁には壁画が描いてありました。一方は巨大なマグロの絵で、もう一つはマーメイドの絵でした。村田さんがどっちが好きかと聞いたのでマグロだと答えたら、日本人っぽくなってきたと笑われました(笑)
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(日本語訳=三宅朋子)

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