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【長崎】「被爆者自らが姿を見せていかないといけない」宮田隆さん 「署名に協力するのは当然」と自治体が回覧板を回す

雲仙島原九条の会代表を務める宮田隆さんは、島原半島の3市(島原市、雲仙市、南島原市、総人口15万人)で5万人を目標に「ヒバクシャ国際署名」を集めています。

今年1月17日、「『ヒバクシャ国際署名』をすすめる長崎県民の会」の朝長万佐男共同代表らと一緒に3市を訪問しました。雲仙市では二期目の就任直後のご多忙中にもかかわらず、金澤秀三郎市長との面会が実現。金澤市長はその場で署名し、「市の本庁、総合支所(6町)や図書館に署名用紙を置くとともに、自治会の関係機関と協議のうえ進めたい」と大変積極的な回答がありました。

その後、島原市と南島原市では、それぞれ福祉保健部長・金子忠教氏と副市長・山口周一氏と懇談。両氏とも要請の趣旨を市長に伝え、今後の協力を約束していただきました。

3市では今年度から回覧板に署名をつけて自治会単位で回し、現在1万人分が集まっています。

宮田さんは5歳の時に2.4kmの地点で被爆。「金毘羅山の東側だったおかげで助かった。B29も見ているし、計測機も見ている。叔父と叔母は浦上で即死だったと父親から聞かされた。長崎大学医学部のお嬢さんが髪の毛がチリチリになり、白い看護婦姿のまま、『水をください』と言ってきたので、母親が飲ませようとした途端に亡くなった。夜は月が真っ赤に燃えているようだった。1週間後、芋の茎を食べながら生きながらえた。50km離れた両親の実家まで歩いて避難した」など被爆体験は強烈な印象として残り、自分の原水爆禁止運動の原点だと語ります。

高校卒業後、東京で勤めていた宮田さんは2012年に退職して島原半島に戻ってきてからは、国内外で積極的に講演活動を始めます。木材で長崎に落とされたプルトニウム型原爆「ファットマン」の実物大模型を作り、長崎県内の高校を回っています。

「被爆者自らが姿を見せていかないといけない」と語る宮田さんは、月に一度は必ず島原鉄道の駅頭に立って署名を呼びかけています。そんな宮田さんの思いが核兵器禁止条約の交渉会議が6月15日から始まり、22日には条約草案が公表されたということに関しては「タイムリーなのでアクセルを踏むべき」と話していました。

宮田さんが「一番熱心に署名を送ってくれる」と紹介してくれた南島原市企画振興部政策企画班の隈部副参事は、最初に日本非核宣言自治体協議会から市長へ署名賛同の依頼があり、今年1月17日に「県民の会」が訪問された時に副市長と一緒に要請を受けた。その後、市長が賛同したのでどのように市民の中に周知するかを考えて、4月から自治会の回覧板で回していると経緯を話してくれました。

南島原市は2017年4月現在、人口47,468人、19,037世帯のうち1100人分の「ヒバクシャ国際署名」を宮田さんに送り、手元には100人分ほど残っているといいます。「私は生まれも育ちも長崎なので、小4の時に授業で原爆資料館に行き、被爆者から講話を聞いてきたので、署名に協力するのは当然という気持ちです」と隈部副参事は語ってくれました。

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