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原水協通信

毎月発行している日本原水協の機関誌です。国内外の反核平和運動についての情報が満載です。 日本原水協のウェブサイト→ http://www.antiatom.org/

「核兵器の全面禁止を!」

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マラヤ・ファブロスさんの行進日誌20日目

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平和行進二十日目:静岡常盤公園から大井川

今朝は常盤公園から行進を開始しました。今朝はここ数日と比べるとすこし涼しかったです。あだちふみかさんと私がみなさんに紹介されました。彼女が今日の通訳さんです。彼女は英語の先生で平和行進を歩くのは初めてだそうです。市長からのメッセージが開会式では読み上げられふみかさんが私に内容を伝えてくれました。市長さんは平和行進が平和な世界を実現するための活動に大きく貢献しているとメッセージを寄せてくれたそうです。私はどこの自治体でも市長さんご本人の口からメッセージを聞ければなといつも思います。でもそれはもしかしたら贅沢過ぎる要望なのかもしれません。

いつも通り朝はコールの練習を行いました。何人か若い人も今日の行進には参加していました。そのうちの一人はかわいらしい女性でしろう君と文ちゃんの友達だと言っていました。名前を覚えてられなくてすみません。。。被爆者のリーダーの方も挨拶されました。彼の奥さんも被爆者です。

今日はとりわけ良い日でした。というのも、沿道で何枚か平和行進のポスターを見かけました。その上あるおそば屋さんを通りかかると素敵な折り鶴で飾られた大きな横断幕を店主の方が作ってくれていました。歩いている時ふみかさんが私の名前も横断幕に載っていると教えてくれました。とっても嬉しい励ましです!そこで村田さんとふみかさんと私は道を渡って直接おそば屋さんにお礼を言いに行きました。ありのみわこさんという女性と彼女のご主人がこの横断幕を準備してくれたそうです。彼らは今年は平和行進に参加できませんでしたが、みわこさんは5年前は同じコースを行進したそうです。彼女も新婦人の会員さんでした。出会えて本当に良かったです。

さらに歩いて安倍川にかかる橋を渡りました。私はふみかさんにこの川は今の首相と関係あるのと冗談で聞いて笑い合いました。平和行進に参加している皆さんには安倍首相は平和憲法を変えようとしているのであんまり人気がないみたいです。

また赤い前掛けをした小さな仏像が並んでいるお寺の前も通りました。ある方がこの小さい仏像は「ハッピーブッダ」と呼ばれていると教えてくれました(訳者注:お地蔵さんの事でしょうか?)。彼らは幸せをはこんでくるとされているそうです。

瑞穂区の公園で一旦行進を終えました。そこでお年寄りの皆さんがゲートボールをされているのを見ました。ゲートボールという物を見るのは初めてでした。これは芝生がない場所でのゴルフみたいに見えました。

この場所から焼津市に向けて車に乗り込みました。

焼津に着いたところでさらに何体かのお地蔵さんを見つけました。とっても可愛いお地蔵さんでした!お昼前には焼津に到着し、高徳寺というお寺の中に案内されました。中でお昼を食べる前にある女性がお寺の祭壇について教えてくれました。その祭壇の上には大きくてカラフルな男性の頭くらいの像が置かれていました。それはダルマという物だそうです。ダルマは2月の地元のお祭りで売られる伝統的な願い事を叶える人形です。いろんな大きさのものがあります。大きければ大きいほど願いも叶うと言われています。ここにあったのは一番大きなサイズでした。多分平和への願いが強いからでしょう。政治家も選挙中はこのダルマを買うそうです。

お昼ごはんの後でお寺の中でなるべさんを講師に勉強会を行いました。焼津市は江戸時代から漁業が盛んだったそうです。現在の人口は14万人。お米や野菜などの農業も盛んですが、一番の産業は鰹とまぐろ漁鵜です。私の1日目のブログでも書きましたが、焼津は第五福竜丸の母港でした。第五福竜丸はビキニ環礁で被爆した漁船です。平和行進者にとってもこの場所はとても重要です。なぜならここで(2週間の沈黙を破って)漁師達は自分たちの目撃した事を語り、専門家の助けを求めたからです。

このお寺には久保山愛吉さんのお墓もあります。彼は第五福竜丸の船長で、最初に放射能で命を落とした漁師でした。彼は広島でも被爆しています。だから彼はビキニ環礁での実験を目撃したとき、それに見覚えがあったのです。彼の兄弟は第二次世界大戦中に亡くなっていますがやはりこのお寺に埋葬されています。

なるべさんは焼津の前の市長はとても熱心に平和活動を応援していたと話してくれました。しかし今の新しい市長はそこまで熱心かは分からないと言っていました。平和行進はこれから市役所で集会を予定しており、市長の賛同が得られれば良いと皆さん話しておられました。

学習会の後は久保山さんのお墓参りをし、お花を供えました。彼のお墓はユニークな形をしていました。ふみかさんからこれは彼がビキニ環礁で目撃した爆発を表していると教えてもらいました。両側に広島と長崎からの植物が植樹されていました。

焼津港まで歩く前にお寺の横の広場で短い集会を行いました。私たちはたくさんのお花や果実のついた枝を持ったまま閑静な住宅街を歩いて行きました。それから浅く幅の広い川にかかっている橋をわたりました。この川は人工的なものか、護岸工事された物なのかは分かりませんでした。男性が川の真ん中に立っていました。一人で釣りをしているみたいでした。この川は駿河湾に繋がっており、太平洋へと流れ込みます。川から湾へ流れ込むとき突然水の色が変わりました。

大通りを焼津港へと向かいました。ある人が船が着いたのはこの辺りだと教えてくれました。40年以上が経過し、この辺りもずいぶんと変わってしまっているようです。この地域の建物は少し老朽化しているようでしたが、漁業が活発な様子が見て取れました。大きな魚屋さんがありました。このお店は間口が広く、1階はすべて店舗のようでした。マグロの刺身と大トロのイメージが私の脳裏によみがえりました。村田さんが私に何日か前に大トロの刺身の写真を見せてくれていたのです。大トロは脂がのっていて、食べると口中に旨味がひろがるマグロの腹の部分です。日本にいる間に是非食べたい一品です。

食べ物の話はさておき、私は第五福竜丸が焼津港に到着した時の事を想像してみました。どんな風に彼らは最初迎えられたのか?地元の人たちに放射能のニュースはどんな風に伝わっていたのか?漁師達はどんな扱いを受けたのか?漁師達は疎外感を感じたかもしれません。もしかしたら家族と一緒にいても。長い航海の後で、きっと家族が恋しかったに違いありません。でも状況を考えれば家族との幸せな時間はそれほど続かなかったでしょう。自分たちのせいではないのに人生を変えてしまうような不幸な出来事が起こったのです。

船は最終的には除染され、実習船として使用されました。

焼津の街を歩いていると歓迎の横断幕が用意され、たくさんの方々がカンパを寄せてくださいました。街それぞれにカンパの袋も違うデザインです。前にもらったカンパの封筒には可愛いお花が印刷されていました。今回は平和行進の旗を持った楽しそうな人が描かれています。

焼津の歴史民族博物館近くの公園に向かう途中で何人かの子どもたちも行進に参加してくれました。ここで私たちは休憩を取りました。今日はいつもより暑かったので冷たい飲み物はホッとしました。

行進を歩いていてよく聞く言葉のひとつが「大丈夫」です。「大丈夫ですか?」はその丁寧な言い方です。カジュアルに「大丈夫?」と聞く場合もあります。私たちは行進しながらお互いに「大丈夫ですか?」と確認し合います。

他によく聞くフレーズは「お疲れさまでした」です。これは大変な仕事などをしたあとで労をねぎらう言葉です。

私がたくや君に「大丈夫?」と聞いたら彼は笑いながら「大丈夫じゃない!」と答えました(笑)「じゃない」は否定する言葉だという事も覚えました。文章の最後に付けると否定形になります。

今日は本当に暑かった!このまま暑くなっていったら真夏の広島はどんな風だろうと気になり始めています。

私たちは原発の近くの地域でもう1回短い休憩を取りました。大きなお花をたくさんつけた横断幕で、若い男性の一団が私たちを迎えてくれました。とっても素敵!

ここから自衛隊の基地へと向かい、その近くにある小さい公園で閉会式になりました。

大井川地域はたくさんの田んぼやグリーンハウスがあります。平和行進に参加している地元の人々はこの地域の自衛隊基地には反対していました。飛行訓練中の騒音被害がその理由の一つです。航空ショーが明日予定されているみたいで広告を見かけました。この地域の皆さんにとっては明日もうるさい一日になりそうです。

(日本語訳=三宅朋子)

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マラヤ・ファブロスさんの行進日誌19日目

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平和行進十九日目:清水区役所から静岡常盤公園

今朝は朝食を終えるとすぐに清水区役所に向かいました。そこで太陽のようなピカピカ笑顔の82歳の被爆者あんまさんに会いました。彼は長年地元の平和行進に参加されている方だと思います。とてもつばの広い帽子をかぶっていました。そしてその帽子を指差しながら日本語で何か私に話しかけてくれていました。きっと行進が終わったら彼のその帽子を私にくれると言っているのだと思いました。

左上の写真から時計回りに

1)素敵な笑顔のあんまさんです

2)清水区役所前に集まる行進参加者のみなさん

3)カンパを下さっている女性

4)最初の休憩所で私たちを出迎えてくれるコープ職員の皆さん

開会式は9時から始まりました。副市長が市長のメッセージを読み上げ、Uコープ、新婦人、市会議員の方の挨拶がありました。暑い中でしたが、私たちは行進をスタートさせました。行進初日から続けている「いいね」と「今でしょ」コールは今やアナウンサーのセリフも私は丸暗記し始めています。

静岡で行進を始めてからはカンパも沿道から集められています。一日でこんなにたくさんのお金を集める事ができるなんて本当にすごいです。ある日なんて約8万円もカンパが集まりました!閑静な住宅街を歩いていると、誰かが家から出て来て玄関先でカンパの封筒を渡そうと待っていてくれる事もあります。こいう優しい気持ちに毎日出会えるのはとても嬉しいです。何度もこんな光景に出会えて私はラッキーです。

上原の駅近くで休憩を取りました。冷たい飲み物とおやつがコープの皆さんから振る舞われました。本当に助かります。最近はコープの店舗を見ると休憩時間かと思って嬉しくなってしまう程です(笑)

休憩中にあんまさんが私と村田さんを地元の小さなお店に連れて行ってくれました。そこで彼は私たちにもつば広の帽子を買ってくれました。それで今朝彼の言おうとしていた事が分かりました!これで私は日本原水協の親切な皆さんと安井さんに頂いた赤いキャップの他にもう一つ帽子を手に入れたことになります。通し行進をしていると、様々な街で皆さんからギフトを頂きます。この贈り物が次に待ち受ける事を教えてくれる事もあります。例えばアームプロテクターや顔を湿らせるもの、日焼け止め、そして足をリラックスさせるための冷たい湿布などをこれまで頂きました。ある時、とても親切な男性が私に虫除けローションをくれました。次の日蚊がたくさんいる庭で集まったとき、私はそれを使ったという訳です。

午前中の行進は草薙地区の自然公園で終了しました。通し行進者は数ブロック歩いて公民館に行き、昼食を取りました。お母さんたちが私たちのためにヘルシーな昼食を用意してくださっていました。その上私たちのために歓迎の横断幕まで作ってくれていました。すごく優しい皆さんです。お母さんのうちの何人かはがくじさんの英語の生徒さんでした。それで私たちは少し英会話の練習もできました。

午後から行進は音羽町の清水山公園へと向かいました。この公園は滝や、広い遊技場、いくつかの活動センターのある素敵な公園でした。でもここでの休憩は私たちにとってはとっても短いものになりました。と、言うのも安藤さんと私は大牧さんの車で静岡市役所まで行くことになったからです。最初は何のための移動なのか分かりませんでしたが、やっと理由が分かりました。私たち3人は市役所の中で市長の代理の方と面談しました。彼らから市長からのメッセージ、ペナント、そしてカンパを受け取りました。市議会議員さんたちのお部屋でも同じような面談が行われました。皆さん忙しくて市役所の敷地内で行われた短時間のセレモニーに参加してもらえなかったのはとても残念です。多分来年は参加してもらえるでしょう!

他の平和行進参加者の皆さんが静岡のダウンタウンのにぎやかな通りを歩いているところで私たちは合流する事ができました。行進は常盤公園で終了になりました。この公園もとても素敵です。大きな水場があり、近代的な鐘のなるタワーもありました。閉会式はとても楽しい雰囲気で皆さん笑顔でした。観光協会の会長の方も温かく出迎えてくれ、賛同の挨拶をしてくださいました。静岡の被爆者団体の代表の方も挨拶されました。このブログで私は何度もお伝えしていますが被爆者の方々の果たされている役割の重要性は語り尽くす事ができません。

通し行進者の私たちも一言を求められました。なんとか自己紹介の簡単な文章を日本語で出来るようになってきました(あいさつ、名前、年齢、出身)。でもまだ残りのスピーチはがくじさんの通訳に頼っています。今日は今年彼と一緒に歩ける最後の日でした。彼の楽しいおしゃべり聞けなくなるのは寂しいだろうなぁ。きっとまた再会したいです。

暑かったけど楽しい一日でした!これからが楽しみです。

左上から時計回りで

1)静岡市役所

2)静岡の町中を歩く平和行進者

3−4)常盤公園での閉会式

(日本語訳=三宅朋子)

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マラヤ・ファブロスさんの行進日誌18日目

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平和行進十八日目:静岡の新蒲原駅から鉄舟寺

今日の行進は、冒険しているみたいなコース、暑い気温、スイカ、そしていつもとはちょっと違う休憩の一日でした。 清水駅から今日の行進のスタート地点である新蒲原駅までは電車で向かいました。がくじさんが駅へ向かう道すがら歩道の芸術的なタイルを示してこれが東海道であることを思い出させてくれました。タイルには東海道のルートが描かれています。新蒲原駅は江戸時代に東海道のとても活気のある宿場だったそうです。 新蒲原近くを歩くと多くの伝統的なお屋敷がありました。この地域は桜えびが有名だそうです。お刺身で食べる事もできるそうです。これまで数日間見て来たシャッター通りと違ってこの辺は多くの地元のお店が新鮮な魚介類を売っていました。いろんな種類のミカンも買えます。ミカンや花の無人の販売所もありました。これは商品の値段が書かれており、お金を支払う小さい入れ物が置いてあるだけの売り場です。売り手の信頼と、買い手の正直さの上に成り立つ、とてもシンプルな自動販売機といったところです(笑) 最初の休憩は江戸時代の有名な宿場として使われていた場所を博物館にした場所で取りました。そこで地元産のミカンを食べました。がくじさんが私を大きな樽のある小さなお店に連れて行ってくれました。そこは伝統的な方法でお酒を作っている酒蔵だそうです。 平和行進は由比駅で一旦ストップしました。ここから行進参加者は電車で次の行進開始場所に向かい、通し行進者はバンで向かいました。この道中は海を見ながら細い山道があったり、ミカンや枇杷の木が連なる場所をバンが走って、まるで冒険しているみたいでした。どの木にも果樹がたわわに実っていてバンの両サイドに木の枝がバサバサと当たりました。まるでミカンと枇杷のテレビコマーシャルに出演している気分でした。ところで枇杷は桃と洋梨を合わせたような歯ごたえの果物で味はマンゴーよりも薄い感じです。 別の駅に到着して、そこから行進を再開しました。清水区にあるコミュニティーセンターまで歩き、近くにある印刷会社でお昼ごはんになりました。この会社の社長さんが私たちのために場所を提供してくれ、椅子やテーブルも貸してくれました。さのさんが平和ソングを歌ってくれ、印刷現場の皆さんのお仕事を横目に私たちはお昼ごはんを食べました。さのさんはギターで英語の歌も歌ってくれました。村田さんは自分のカラフルなバナーを取り出して印刷会社の社員の皆さんもバナーにサインと可愛いイラストまで描いてくれました。 午後は静岡市のあたりまで歩きました。ここはがくじさんの地元です。第二次世界大戦中にアメリカ軍のB29の空襲をこの街で経験したとがくじさんが言ったのでビックリしてしまいました。彼はものすごく若く見えます。それは広島と長崎に原爆が落とされたのと同じ1945年の6月の事だったそうです。街中がひどい空爆にあいました。がくじさんのお母さんと兄弟たちはがくじさんを抱っこして必死で逃げたそうです。その時彼はたったの1歳でした。約2000人の人たちがこの空襲で命を落とし、街は東京や平塚のように壊滅的に破壊されました。海岸沿いの街だった清水は、飛行機からの空襲の代わりに海から戦艦によって別の日にも攻撃されたそうです。 午後の休憩場所は川の近くの小さな公園でした。川沿いの並木道を小さい公園に向かって歩いて到着しました。今日はいつもより暑かったので木陰での休憩は本当にホッとしました。森林蒸発散ってすごい! 最後の休憩場所は鉄舟寺でした。コープの皆さんがスイカなどを用意して歓待してくれました(ヤッター!)集会は黙祷から始まりました。私たちはお線香の香りのなかで祈りました。司会の方がこの時期には富士山の周辺では多くの平和の取り組みが行われると話されました。静岡のオスプレイ配備に反対する運動もあるそうです。また元国会議員をされていた方が平和運動への賛同の挨拶をしました。他に静岡の平和行進を扱ったドキュメンタリー「歩く」と広島長崎の被爆の映像も見ました。最後に新婦人の会員さんがとても美しい手作りのバナーを披露されました。 がくじさんはお寺の中も少しだけ案内してくれました。畳の部屋には祈りのためのテーブルと大きなドラもありました。 静岡駅近くのホテルに戻る前に、午後の行進中に通った博物館に立ち寄りました。がくじさんがそこは地元の英雄、清水の次郎長の生まれた場所だと教えてくれました。清水の次郎長は日本のやくざと呼ばれるマフィアのメンバーでした。やくざについてはアクション映画でそのおかしな噂は聞いた事があります。背中一面に入れ墨をいれた男性たちで、なにか酷い裏切りをすると指を切り落とすというような話です。清水の次郎長は当時この地域に貢献したことで有名なようでした。村田さんは清水駅近くを歩きながらこの地元の英雄の石碑があると教えてくれました。 今夜の夕食は村田さんとたくやくんと一緒に港を一望できるレストランで食べました。清水にせっかくいるので村田さんは生の桜えびとシラスを注文しました。村田さんも桜えびを食べるのは初めてだそうです。私は海鮮丼を、たくやくんは鉄火丼を食べました。 このところ村田さんが言う事が少し分かるようになって来た気がします。少なくともニュアンスは掴めていると思います。彼は今や私の本当のお兄さんみたいです。文ちゃんは私たちは見た目も似て来たと言っていました!村田さんは65歳ですが40代前半くらいにしか見えません。 たくやくんはけいこちゃん同様に通訳ですごく私を助けてくれています。私がどれほど助かっているかたくやくんは分かってないだろうなぁ。いつもうまく通訳できなくてごめんと謝ってくれます。実際にはとてもうまく通訳してくれています。時々文学的な表現をするのはきっと数年前までシェークスピア文学を教えていたからだと思います。 夕食の時に私たちは日本とフィリピンの似ているところについて話しました。アルコール飲料やコンビニ、気候やファーストフードチェーン店など色々あります。村田さんは戦後今なおアメリカが強い影響力を持っており,日本にとっては良くないと思うと持論を語ってくれました。私はフィリピンも同じだと二人に伝えました。 このレストランの壁には壁画が描いてありました。一方は巨大なマグロの絵で、もう一つはマーメイドの絵でした。村田さんがどっちが好きかと聞いたのでマグロだと答えたら、日本人っぽくなってきたと笑われました(笑) (日本語訳=三宅朋子)

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マラヤ・ファブロスさんの行進日誌17日目

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平和行進十七日目:富士宮駅から富士市交流プラザ

今朝は少し早起きして富士山をまつっている神社に行って来ました。鳥居をくぐって木々の豊かな参道を歩き,大きな恐い顔をした神様の像が両側に立っている入口に向かいました。入口の前には手と口を清める場所がありました。この水は富士山の雪解け水だそうです。

この神社は境内がとっても広かったです。境内の左側にはアヒルのいる池があり、蓮の葉の下には鯉が泳いでいました。とってもリラックスできる場所です。池の水も富士山から来ており、橋もかかっている広い川のように造られた池でした。橋の上に行ってみると虹色のイワナが泳いで登って行くのが見えました!ちょっと見た感じは止まっているように見えるのに、水の流れに抗して少しずつイワナは前進してました。ワォ!

私たちは開会式にちょうど間に合う時間に富士宮駅に到着しました。そこでのり子さんとシンディ、そして他の平和行進参加者と合流しました。シンディは彼女の地元の平和行進に数年前から参加している若い女性です。彼女も御前中は私の通訳をしてくれます。平和行進に若い人が参加してくれるのは嬉しいですね!

私たちは富士宮市の沿道を市役所に向かって歩きました。11時半には市庁舎の正面玄関に到着しました。市役所の方が市長さんからの賛同メッセージとペナント、そしてカンパを下さいました。市議会の議員さんも参加してくださいました。私たちは市庁舎の最上階で昼食を取りました。

平和行進を始めてから時々私たちは市庁舎の最上階の喫茶店で昼食を取ります。たいていそういう場所はその街の様子を一望できるようになっています。もし街を一望したいと思ったら市役所の最上階か、お城の眺望デッキがお勧めかもしれません。試した訳じゃないですが。

お昼ごはんの後で1時半から2時まで平和コンサートを富士市役所の庭で行いました。歌の上手な人しかいないみたい!平和行進をしていると毎日新しい発見があります。

私たちは市長のメッセージを聞いた後で行進を再開しました。かしおさんが午後の通訳さんを紹介してくれました。彼女はプロの通訳さんで新婦人の会員さんだそうです。新婦人はNGOが日本に根付く前からの女性団体だそうです。

今日の行進は富士市交流プラザで終了しました。この建物は文化交流施設、図書館、そして文化ラウンジなどが入っています。素敵!

これはとても近代的な建築物で、もしかしたら建築関係の書籍で紹介されているかもしれません。特に入口の空間の使い方はとてもよく考えられていると思いました。前方にある公園は建物全体を引き立てる効果がありますし、隣接する子どもたちの遊び場に広がりを持たせています。その上、建物の中からの景観もとても素晴らしいものにしています。こういう緑化された正面玄関とそれに続く緑の存在(芝生、植物、樹木)が地面からの暑い日差しを和らげてもくれるでしょう。

実は私たちは予定よりも早くこの場所に到着しました。主催者の人から使用を許可されている時間まで、あと数分待つ必要があると言われました。そこで私と村田さんは子どもたちの遊んでいる場所に行って交流したり写真を撮ったりしました。この遊技場の一画には大きな時計の付いた平和都市宣言のモニュメントがありました。

私たちは今夜から清水駅近くのホテルに2泊する予定です。ロビーでおかだがくじさんという方に紹介されました。がくじさんは英語の先生でこれから数日間私の通訳をしてくださいます。彼から小倉豊文さんという方が書かれた「絶後の記録」という本について教えてもらいました。著者は被爆者で広島での被爆体験を綴った本だそうです。この本を読みたいと思いました。

追記・私の母から富士山の裾野で行われている日米軍事演習について宗教的側面からも問題だという事を教えてもらいました。富士山はいくつかの宗教の信仰の対象であり、山とその近隣の地域は神聖な場所と考えられています。このような神聖な場所で軍事演習を行う事は、教会の庭で手榴弾を投げる訓練をするようなものです。富士での演習は手榴弾よりもひどいと思います。

今日の写真をいくつか紹介します。

時計回りに

1)神社の外に願い事を書いた絵馬を吊るしておく場所があります。

2)村田さんが私にも絵馬を買ってくれました。私は平和への願いを書いて吊るしました。

3)神社の外側には大きな樽に入ったお酒がたくさん積んでありました。

4)小さな女の子が神社の境内で石畳の温かさを楽しんでいました。遠くで彼女のおばあちゃんがにっこり笑ってその様子を眺めていました。

これがシャッター通りです。それでも何人かの高齢者の方が手を振ってくれたりカンパをくれたりして励ましてくれました。

(日本語訳=三宅朋子)

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マラヤ・ファブロスさんの行進日誌16日目

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平和行進十六日目:キャンプ富士、御殿場市役所と駿河湾

このブログは駿河湾から富士宮市に向かうバンの中で書いています。たくや君から富士宮市は焼きそばが有名と聞いて興奮しています。今夜は正真正銘本物の焼きそばを食べるつもりです!

今朝は早めに用意して御殿場市にあるホテルのロビーでお迎えを待ちました。とても親切な男性が富士山の葉書をくれました。彼は昨日と今日私たちと一緒に行進する人でした。今日は晴れなので富士山を見られるかもしれないと教えてくれました。そう言われて初めて窓の外をみたら雲のかかっていない富士山が見えました!

ちょうど私の目の前に!ワォ!!

一台のシャトルカーが私たちのホテルまで来てくれ、富士山の裾野にある軍事基地キャンプ富士まで連れて行ってくれました。道すがら多くの参加者に出会いました。昨日この地域を簡単に見て回っていましたが、その時はかなり暗くなっていました(詳しいツアーの情報については前日のブログを参照してください)。今日このキャンプ富士に沿って行進してツーリスト情報センターまで歩きました。そこから御殿場市役所に向かうために再びシャトルに乗り込みました。

御殿場市役所の方が温かく私たちを迎えてくれました。今回初めて平和行進の参加者全員で集合写真を撮る事ができました。スロープになっているところをうまく利用しました。静岡の御殿場市の職員の皆さんも一緒に参加者全員で撮った写真がこれです!

次の休憩場所は沼津市役所でした。私たちは市の職員と市議会議員さんたちに出迎えてもらいました。彼らから沼津市の平和都市宣言は市役所の道沿いにある庭に設置されていると教えられました。珍しいと思ったのでプログラムの終了後に写真を撮りに行きました。道の両側に看板を見つけたので写真を撮りました。まさひろさんが青い方の制服を着た人の看板は自衛隊募集の看板だと教えてくれました。平和といっても解釈が違っていたようです。

東海道を歩いていると、みなさんが道沿いにある石碑を教えてくれます。まさひろくんがこれは江戸時代に旅行者(主にお侍さんたち)が距離を把握するために建てたものだと教えてくれました。彼らが休憩した茶屋や旅館の跡を示した石碑もあります。いくつかの小さな石で出来た建物も見かけました。

まさひろさんとたくや君が江戸時代の地域の蔵だったと教えてくれました。その地域で大切な物や食料を保管しておく場所です。

2時40分ころに小学校で午後の休憩を取りました。前方の建物は古く見えますが太陽光発電のパネルが設置されているという看板を見つけました。すごい!

またレトロな郵便ポストも鯉がいる小さな池の横に見つけました。3時には何人かの子どもたちが教室から出て来ました。全員が小さい白いヘルメットをかぶってクラッシックな鞄を背負っていました。とっても可愛い!ヘルメットが子どもたちの頭には大き過ぎるように見えてまさひろくんと私は笑ってしまいました。校門に向かって彼らが走るとすぐにヘルメットは脱げそうに見えましたが脱げません。きっと内側に分厚いクッションが入っているんでしょう。

 

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子どもの通学風景

これまで行進中にいくつかの小学校を通りました。私の見たところでは子どもたちは自分たちで家に帰っているみたいです。大人や親の同伴はないようです。道を渡り、橋も自分たちで渡ります。これってすごいことです。これは地域が安全で子どもたちの教育もちゃんとしているからできる事です。これまで感じているところでは、日本の道路は比較的安全で親が子どもたちを一人で帰宅させる事もできるようです。子どもたちも自立心があって(しかも運動にもなります)お友達同士で帰宅しています。歩く事は私にとってはまわりと繋がる方法でもあります。沿道で、ご近所さんと、地域全体で。これはどの年代にとっても良い社会活動になると思います。いつかフィリピンの子どもたちも親が心配する必要もない程安全に自分たちで家に帰れたら良いなと思います。

一方で、これは両親が学校に子どもたちを迎えに行けない程忙しい事も物語っています。私は東京で出会った2人の杉並区の議員さんの事を思い出しました。富田たくさんと原田あきらさんです。彼らは不況で働くお母さんたちが増えており、彼女たちを支援するために保育所を増やしてほしいと活動していました。

 

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今日の最後の場所は駿河湾の海岸でした。小学校を出て近隣を歩いてお墓を過ぎ、大きな道を渡って森の小道を歩き続けました。分厚い大きな壁(津波から守るためのものです)が続いていて、そこをよじ上って越えて海岸に集まりました。なんだか冒険でもしているみたいでした!

海岸ですこし学習を行いました。実は私たちの立っている場所はアメリカ軍基地で海上は軍事演習に使用されているそうです。講師の方は数年前にはこの海岸には金属製のプレートがたくさんあったと言われていました。基地が在るがゆえの不安が多く語られました。そのうちの2人はオスプレイと軍事演習中の騒音について話されていました。いろんな問題の中でもオスプレイと騒音の問題は軍事基地の周辺に住む住民の共通した苦しみです。

夕食は日本の庶民的な料理であるやきそばやお好み焼き、そして枝豆のあるお店に行きました!他にも豚のホルモンのようなものや醤油味で味付けされた牛肉、甘じょっぱい魚の干物のような物も食べました。どれもとってもビールに合いました!

夕食にはスペシャルゲストの方も来てくれました。北川さんが数日前、私にあるフィリピン人女性が平和行進者に会いたがっていると教えてくれました。彼女の名前はやまもとのりこさんです。彼女はフィリピンで日本人男性と出会い結婚した方です。今は日本国籍を持っておられて、もう20年以上日本に住んで幼稚園の先生をされています。彼女は平和行進のビラをみて、そこに私がフィリピンから来て平和行進を歩くという短いメッセージを載せていたのを見てくれたそうです。それで多分喜んでくれたのか団体に連絡して来てくれて、今回の出会いとなりました。彼女は富士宮での平和活動にも関心を示してくれました。すごい!

日本でフィリピンの人と過ごすのは実はこれが初めてでした。だからこの夜は私にとっても特別な夜になりました。彼女が夕食を一緒に食べてくれて嬉しかった!明日も楽しみです。彼女はお昼まで一緒に平和行進を歩いてくれます。

お開きになる前にのり子さんや他の平和行進の参加者の皆さんが村田さんのバナーにサインをしてくれました。このバナーはすごく長くって村田さんは平和行進の間中も素敵な絵を描き足しています。これが広島の世界大会でお披露目できるのがとても楽しみです。

最後に今日私たちが出会った、手を振ってくれたみなさんです。

(日本語訳=三宅朋子)

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マラヤ・ファブロスさんの行進日誌15日目

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平和行進十五日目:静岡県の三島市役所から裾野市役所

今日は雨の中で行進が始まりました。伊豆での開会式はみんなレインコートを着ていました。フィリピンでは雨は天の恵みと考えられていて、今朝はとってもラッキーだという事を私は皆さんに伝えました。

今日は本当にラッキーだったと思います。というのも、行進参加者は三島市長と副市長さんの計らいで市役所の中に入れてもらえたからです。三島市は平和のイベントにも力を入れており、特に8月は活発な活動が行われているそうです。たくさんの高校生を毎年8月6日には広島に送っているそうです。三島市は1959年にはすでに核兵器廃絶平和都市宣言を採択しました。日本全国のなかで二番目の早さだったそうです。

行進参加者の集まりが市庁舎の中でさせてもらえたのはこれが初めてだと思います。雨の日だったので本当にラッキ-でした。市の職員の方が市長からのメッセージを伝え、ペナントとカンパを下さいました。また、市の平和都市宣言が印刷された可愛いお手拭きパックも下さいました。三島市原水協の代表のきゅうじさんもおられ、毎年平和行進者は市庁舎の中で部屋を使わせてもらえると言っていました。これって本当にとっても親切なもてなしだと思います。

市庁舎の中で労働組合事務所があり、そちらで昼食を頂きました。行政がこんなに立派な部屋を組合に使わせてくれていることに驚きました。フィリピンでは余りないことじゃないかと思います。

たか子さんが私にいしいまさひろさんを紹介してくれました。まさひろさんはたか子さんが仕事をしている今日の午後と明日は彼女の代わりに私の通訳をしてくれます。また80代の男性にもお会いしました。彼はみんなからとても尊敬されているようでした。彼は若い頃この市で平和都市宣言が採択されるために精力的に活動された方でした。すごい!私たちは彼とも一緒に写真を撮りました。

それが上の写真です。

昨日と同様に私たちはシャッター通りに沿って歩きました。このシャッター通りの物悲しさを払拭してくれたのは小さな公園に集まっておられたお年寄りの皆さんでした。彼らはにっこり笑って手を振ってくれました。今日は実際に沿道からのカンパがどのように集められるのかを見る事ができました。私たちが通過しようとすると家の扉が開いて、女性が出てこられました。彼女はカンパの入った小さい封筒を行進者に手渡してくれました。行進者は彼女に「ありがとうございます!」と言っていました。素敵!

今日の午後の休憩はコープで取らせてもらいました。ある男性が私に手品を披露してくれました。ゴムを使って彼の人差し指から小さいロボットの人形が飛び出したりひっこんだりする手品でした。はははッ!

裾野市役所の近くの公園で今日の行進は終了しました。多くの被爆者の方が参加され,何人かの方が私に富士山の写真を下さいました。まさひろさんの大学の教授にも紹介してもらい、彼が私たちを閉会式の後で富士山の裾野にある軍事演習場に連れて行ってくれました。

この見学ツアーではまず自衛隊の駒門駐屯地に立ち寄りました。近くに自動車の教習所があり、富士山のふもとの軍事演習場まではそこから特別な道になっていました。この自動車教習場も戦車の運転免許を取るためのコースもあるとの事です。

次にさらに富士山に向かって車で進みました。教授は私たちを勾配のある広大な場所へと連れて行ってくれました。ここで日本の自衛隊と米軍が共同演習を行うそうです。そこから富士山のビジターセンター樹空の森に連れて行ってもらいましたが、その時間には閉まっていました。この辺の施設は午前中に私たちが通り過ぎたシャッター通りに比べるととても新しく思えました。樹空の森には温泉、ミニゴルフ場、アクティビティーセンターにヘリコプターの飛行場もありました。

帰る時に私たちは富士の米軍基地の近くを通りました。明日の朝この基地に沿って行進する予定です。教授の車と平和行進のバンはしばらくその場所に停車しました。フェンスには大きな看板があり、私は写真を撮る事ができました。それが以下の写真です。

最後に私たちは広大な庭のある大きなお家の建ち並ぶ一画を通りました。教授からこの一画が軍事演習場に土地を貸している地主さんたちの土地だと聞くまで私はその光景を楽しんでいました。日本の自衛隊と米軍は富士山の裾野の土地を個人所有者から共同演習場として借りているそうです。これはとても興味深い状況です。教授によれば、それによって利益を得ている民間の人々がいるために反対運動はさらに難しくなっているそうです。

見学ツアーの後は明日の行進に備えて御殿場市にあるビジネスホテルにチェックインしました。夕食は美味しいお寿司でした。一人あたり12貫以上あったと思います。お腹が減りすぎて写真を撮るのを忘れました。富士山は今日は曇っていて見えなかったけど、お寿司はすばらしく美味しかったです!

教授は富士山ツアーの前に事前に説明をしてくれたのですが、その時に富士山のパンフレットをくれました。残念ながらそのパンフレットは日本語でしたがまさひろさんが私に伝えてくれたメモからいくつか紹介します。

1)このキャンプ富士は日本で3番目に大きな米軍基地であり8.915ヘクタールの面積を有しています。

2)日本の自衛隊と米軍が共同演習の為に使用しており、これらの演習は日米地位協定と呼ばれる協定の下で行われています。フィリピンにも同様の協定が存在しています。

3)教授からは白リン弾や爆弾が演習中に爆発している写真も見せてもらいました。

4)また教授は富士の頂上付近の氷が溶け出した天然水もあると教えてくれました。これは日本版エビアンですね!

5)彼は簡単にオスプレイについても説明してくれました。この軍用機はこの地域の上空も飛んでいるそうです。

眠る前に私はコインランドリーが終わるのを待ちながら前日の行進についてブログを書きました。たくやくんも洗濯をしています。このところコインランドリーが使えています!

(日本語訳=三宅朋子)

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マラヤ・ファブロスさんの行進日誌14日目

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平和行進十四日目;引き継ぎ式 神奈川県から静岡県へ

 

今日は神奈川での平和行進の最終日でした。静岡に行けるのは嬉しいけど、神奈川のみなさんとお別れするのはちょっぴり寂しい気持ちです。ほんとに皆さんは家族のような存在でした。

朝食後、私たちは湯河原の観光センターに行きました。ラッキーな事にそこでは朝市が行われていました。

この市は朝の6時から9時まで行われているそうです。毎週、約15のお店が出店し、魚介類、野菜、植物や手作り品など地元の特産品を販売しています。この市は29年も前から行われているそうです。すごい!

広場の片隅には上に向かう階段があり、トンネルがありました。そこでは写真も撮れたので村田さん、福島さん,そして私はこのブースで写真も撮ってみました。ヘへへ。

数分後に好奇心を抑えきれずトンネルを通ってみました。トンネルを抜けると奇麗な滝がありました。これが今朝のもう一つの素敵な出来事です。

それから開会式を9時頃から行いました。今日は神奈川県原水協の代表の片野憲二さんが挨拶しました。被団協の事務局長の中村雄子さんも挨拶されました。彼女は数日前に鎌倉の神社で被爆体験が書かれた本を代読された方です。歌声をされているグループの方も挨拶されました。こういう場所で音楽の生演奏があるのはいいなといつも思います。

神奈川県と静岡県の県境まで向かいました。ちかさんと彼女の子どもたちが行進に参加してくれました。にっこり笑ったり、手を振ってくれたり、うなずいてくださる方が沿道にたくさんいました。歩いていると毎日こういう反応に出会えます。コールで想いを伝えながら歩くのに加えて、平和行進って暖かい笑顔、振られる手、そして賛同の気持ちを込めたうなずきが織りなす平和のパレードだなと最近思います。

神奈川最後の休憩は公園でした。市長さん、市議会議員さん、そして被爆者の方のあいさつの後で歌声のグループのみなさんが歌ってくれました。歌の後には大熊啓さんが南京玉すだれも披露してくれました。大熊さんは「歩いていこう」という歌の歌詞を作られた人でもあります。

お昼を少し過ぎた頃に私たちは神奈川と静岡を繋ぐ橋の近くの小さな公園に到着しました。静岡の行進参加者の皆さんが私たちを出迎えてくれました。とってもたくさんおられました。

広い芝生のある場所で引き継ぎ式が行われ、左側に静岡の皆さんが集まっていました。右側が神奈川の皆さんでした。二つのグループの間にはすこしスペースがありました。挨拶と歌の後で私たち通し行進者は神奈川グループから静岡グループへと場所を移しました。私たちは神奈川の皆さんにさよならを言いました。横断幕や旗も静岡の皆さんに引き継がれます。この引き継ぎ式はとても感動的でした。ちょっと胸が一杯になって涙ぐんでしまいました。。。

けいこちゃんが泣きながら私のところにきてくれて私たちはお別れを惜しみました。彼女は13日間私の妹みたいに一緒に過ごしたのでほんとに寂しい。けいこちゃんは和歌山市民生協の職員ですが東京ー神奈川間だけ歩く行進者でした。彼女は中野たくやさんに行進を引き継ぎます。彼は26歳でやっぱり和歌山市民生協の職員です。私たちは静岡を一緒に歩くことになります。妹の次は弟ができるって訳です!村田さんはこの行進の間はずっと私のおっきなお兄ちゃんです!

橋に向かって歩く時、神奈川の行進者のみなさんが温かく送り出してくれました。日本のみなさんについて私が後になって思い出す一番大好きな記憶は、旅人を送り出す時の姿だと思います。姿が見えなくなるまでずっと手を降り続けてくれるのです。とってもジーンとします。

橋を渡った後はいくつかの上り坂がありました。左手に海、右手に山を見ながら歩くのはとっても素敵でした。行進には何人かのお坊さんもお経を上げながら参加してくれました。一緒に歩くおまわりさんの数は少なかったです。

しばらく行くと2台のバスが私たちを待っていてくれました。このバスにのって熱海駅まで向かいました。昼下がりには熱海に到着しました。粕谷たか子さんが今日の私の通訳をしてくれました。とっても親切な方で熱海や静岡について色々と教えてくれました。熱海はたくさん温泉があるとても人気の観光地だそうです。でも不景気で以前程は活気がないみたい。

たくさんのお店が閉まっていました。たか子さんはこういう商店街をシャッター通りと言うと教えてくれました。

それに多くの地元の商店は郊外にある大型ショッピングモールとの競争に勝てなくて商売を辞めているそうです。こういう場所を歩くのはすこし気持ちが暗くなりましたが、暖かく応援してくれる皆さんにも会えたのは嬉しかったです。

今夜は静岡の通し行進者のみなさんと一緒に旅館に泊まりました。伝統的な日本の旅館に泊まるということは3つの事を意味します。

1)普通より豪華な朝食と夕食が頂けます

2)伝統的な日本のお部屋で(畳の上で布団を敷いて)眠れます

3)通常コインランドリーはありません

私は食事が美味しくって洗濯がラクチンなのが一番嬉しい、しかも建築家なので、旅館に泊まれるのはとっても嬉しいです!

夕食をとりながらみんなで簡単にミーティングをしました。静岡県原水協事務局長の大牧正孝さんが、簡単に静岡のコースについて説明してくれました。静岡の大部分が富士山を囲んでいるので、今後数日間は富士の裾野を歩くことになります。大牧さんは富士山の裾野には大きな米軍基地があることも教えてくれました。また私たちは第五福竜丸がビキニ環礁での核実験を目撃したあと最初に立ち寄った焼津港にも行くことになります。

神奈川県同様に静岡でもメインコースとは別の小規模なコースもあります。私たちは東海道を通過するメインコースを歩くことになります。東海道とは東京から京都まで江戸時代にお侍さんたちが通った歴史的な道です。

大牧さんはまた、日本の平和運動は1963年にソ連に対する立場の違いから分裂することになったとも話されました。この問題については私はほとんど理解できませんでしたが、また別の機会にでももっと探求したほうが良さそうです。大牧さんは昔分裂が起こったにも関わらず、静岡県の平和運動は団結して頑張ったとお話しされていました。地域の原水協、被爆者の皆さん、コープ、そして宗教団体でさえ強い協力関係にあるとの事です。今日の午後、私は大野ゆうこさんという静岡の様々な宗教団体のリーダーともお会いしました。

大牧さんはまた、静岡県の首長の6割が核兵器廃絶署名に署名しており、平和市長会議の会員だとも話されていました。

静岡の平和行進のもう一つの特徴は行進中にカンパを訴える事です。賛同者は通りを私たちが歩いている時にカンパをくれます。毎日カンパ集めの係を決めるそうです。大牧さんはこのやり方で静岡県が一番カンパを集めると言っていました。過去には100万円ものカンパを集めたこともあるそうです。このカンパの大部分は被爆者支援に使われたり、また他団体と分けるそうです。

これが夕食の時に撮った写真と旅館の部屋の写真です。

(日本語訳=三宅朋子)

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マラヤ・ファブロスさんの行進日誌13日目

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平和行進十三日目:小田原市の鴨宮駅から足利将軍の地、真鶴町

箱根の山田さんのおうちでお世話になった夜はとても素敵なひと時でした。出発前にみなさんの写真を撮りました。

今日の平和行進は鴨宮駅からスタートでした。あきこさんがきてくれて私たちにプレゼントをくれました。そして英語に翻訳した重要な文書を下さいました。また時間のある時にこのブログでもその内容を紹介したいと思います。

最初の休憩は小田原市役所でした。市長からの賛同メッセージを市役所の方が代読してくれました。被爆者の方も平和への願いを語られました。彼女は朝からずっと私たちと一緒に行進に参加してくれていました。3歳の時に長崎で被爆されたそうです。その時何が起こったか小さすぎたし必死だったので分からなかったと言っていました。現在彼女はニューヨーク在住だけれど今日の行進に参加したと言っていました。彼女の挨拶の後で少しお話ができて、今年の平和行進に参加してくれてありがとうと言ってもらえました。ワォ!

そこから私たちは小田原駅まで歩いて、そこで休憩を取りました(小田原駅は新幹線の止まる駅でもあります)。今日新たにお会いした皆さんと一緒に写真を撮りました。横断幕を持っていた男性が私に新しい鯉のぼりを下さいました。彼の名前は「くさやなぎたかゆき」さんです。彼は鯉のぼりに自分の名前と連絡先を書いてくれました。鯉のぼりの名刺みたいです。私が前に鎌倉のお寺でもらった鯉のぼりは小さい子にあげてしまっていました。その子は鯉のぼりの中に入っているあめ玉が欲しかったみたい。可愛い!

ビンク色のハッピをきた男性は、父親がフィリピンのルソン島で第二次世界大戦中に命を落としたと言っておられました。戦時中の事を私に謝ってくれました。私は何と言っていいか分からなくなって彼とハグをしました。

真鶴町民センターから行進を再開しました。出発時間は2時だったのでセンターのロビーにあるマッサージチェアで短時間のお昼寝ができてラッキーでした。3台のマッサージチェアがあったので村田さん、けいこちゃん、私はそれぞれお昼寝をしました。たぶんけいこちゃんのものだけ電源が入ったみたいでしたが、そんな事は気になりませんでした。たとえ電源が入っていなくてもお昼寝にはぴったりの椅子でした。町民センターだし、私いびきをかいてないといいなぁ(笑)

午後は被爆者の方の代わりに真鶴の民主的な団体の代表の方がご挨拶されました。彼は被爆者ではありませんが、戦争体験はあるそうです。真鶴生まれの彼は当時14歳だったそうです。彼は戦争体験を通じて二度と戦争を起こしてはならないと決意されたそうです。彼はまた彼の義理の娘さんの父親が広島の被爆者だと言っていました。お嫁さんは放射能の影響で欠損遺伝子を受け継いでおり、子どもができなかったと言っていました。また彼は安倍首相が憲法96条を変えようとしている事について反対だと言っておられました。

真鶴町で良かったのは町長さんが自ら土曜日だったにも関わらず賛同の挨拶をしてくれた事です。宇賀一章(うが・かずあき)さんというこの町長さんの日本語の挨拶は全部は分かりませんでしたが、とても力強いご挨拶だった気がします。福島さんがあとで彼の挨拶を少し説明してくれました。彼は核兵器に反対しており、各国は核兵器ではなく外交努力をすべきだとお話しされていたそうです。そのうえこの町長さんは「いいね」とジェスチャー付きでやってくれながら一緒に歩いてくれました。

今日は真鶴駅で3時に行進は終了しました。やったー!!このところ結構遅くまで歩く事が多かったのでこれは嬉しい休息になりました。ここ数日はずっと4時半かそれよりも遅くなっていたのでこれは嬉しい驚きでした!

今日で神奈川県での行進は最後でした。そこで現地の原水協のみなさんと通し行進者で舞鶴市内にある伝統的な日本の旅館,城山別館で夕食を食べました。

明日村田さんと私はお昼まで神奈川の皆さんと歩いて、午後から行進は静岡チームに引き継がれます。とっても寂しくなります。

皆さんは家族みたいな存在でした!

今日の夕食もすばらしかったです。お刺身、天ぷら、紙を敷いたお鍋で調理されたエビやお野菜ほか美味しい物がいっぱいでした。こんな感じです。

他にも何枚か写真をご紹介します。

(左上)途中で何度かこの写真みたいな海抜が書かれた看板をみました。これは多分津波対策だと思います。このコースは太平洋に向かう相模湾のコースです。

(中段右)小学生たちが野球の練習をしている横を通りました。彼らは手を振ってくれました!

(下)私たちを朝の集会で紹介してくれる笠木さん。前に写っているのはけいこちゃんです。

(左上)村田さんとけいこちゃんがお互いを探してすれ違った瞬間。面白かったです!

(右上)神奈川の行進者の皆さんにお礼状を書いているけいこちゃん。とっても上手なイラストを書いています。村田さんとけいこちゃん、ふたりともすごいアーティスト!

(左下)女性陣のお部屋にはスイーツが。透明の箱には寒天で固めたアンコの和菓子がはいっています。これは乳製品もコレステロールも入ってない!黄色い箱には小さい一口サイズのチーズケーキがはいっています。

(右下)このお料理には感動しました。野菜やエビを紙をしいて煮詰めるのです。小さいコンロみたいでした。でも紙が焼け落ちたりはしないんです!不思議!

(日本語訳=三宅朋子)

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マラヤ・ファブロスさんの行進日誌12日目

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平和行進十二日目:平塚市中央図書館ー大磯町役場ー二宮町役場

 

今日の行進はとても大きな一団になりました。神奈川県での行進の中では一番参加者が多かったのではないかと思います。平塚市の方が市長の賛同メッセージを読み上げてくれました。

一人の被爆者の方が被爆体験を集会で語ってくれました。19歳で被爆されたそうです。明日は彼のお友達の命日とのこと。彼の年代の方々が高齢化し、多くが亡くなっていっているという事をお話しされていたのだと思います。

今日はうたごえのグループの皆さんが参加してくれていました。一緒に「青い空は」を歌いました。こういう集まりに音楽が加わるととてもいい感じです。なので今日はいつものコールの練習に加えてコーラスも練習しました。

お昼前には大磯町役場に到着しました。副町長が町長の賛同メッセージを代読してくれました。この町役場に着く前にチラッと海の見える場所を通りました。今日のお昼はお弁当だったので、村田さんが私たちを町役場のすぐ裏にある海岸に連れて行ってくれ、そこで食べました。日本語では「ウミ」と言うのですね。やべさんも一緒に来ておにぎりをちょっとだけ食べました。

これは太平洋だということを教えてもらって知りました!私は太平洋を見るのは生まれて初めてだし、見ながらお昼を食べるのも初めてでした。道の近くの海岸沿いには写真のような形のテトラポットがありました。この形状は景観に配慮した物であるだけでなく構造面、安全面も考慮されているみたいです。

お昼の後は二宮駅まで歩きました。途中で大磯自然歩道の入口があり、バードウォッチングをする人やハイキングをする人がいました。ここでちょっとした交流ができました。彼女たちは「こんにちは」と手を振ってくれ、平和行進がどこへ向かっているのかと聞いてくれました。誰かが「東京から広島まで」と答えると一人の女性が「ええぇ!」とビックリしていました。彼女があんまり驚いたので彼女も私たちも笑ってしまいました。それから彼女たちは何回も「頑張ってください」と言ってくれました。

二宮駅ではガラスのうさぎ像を抱いた女性の彫刻の前に集まりました。ガラスのうさぎのお話は私はよく分かりませんでしたが、どうもこの地域の人々の平和への願いと深い関わりがあるようでした。

それから二宮町役場まで歩きました。町長さんが8月6日は広島の原爆慰霊の集会がガラスのウサギ像の前で行われると説明してくれました。多くの千羽鶴を真の平和を願って飾るそうです。

ほかにも森さんという方がご挨拶されました。彼は3歳の時に長崎で被爆した方です。私たち通し行進者も紹介され短い挨拶をさせてもらいました。集会の最後には町役場で行われている平和展示の紹介もありました。ビキニ環礁での核実験や広島・長崎での核兵器の投下とその影響、被爆者の方々の現状など、何枚かのパネルが展示されていました。

二宮町役場まではかなりしんどい上り坂でしたが、役場からは街が一望できてこの場所はとても素敵でした。町長さんが私たちと一緒にマイクで歌ってくれたから余計にここが好きになったのかも。とっても良い声でした!

今夜は私たち3人(村田さん、けいこさん、私)にとっては特別な夜になりました。と、いうのも箱根にある山田さんという方のお宅に泊めてもらったからです。大磯から車で30分程のところでした。気温はバギオ市くらい、もしくはドバイの冬といった感じで少し涼しかったです。箱根は特別な木目細工で有名な地域です。山田さんは曲がりくねった山道を運転しながら毎年その道で行われる箱根駅伝の事を教えてくれました。普通の駅伝よりも長い距離だそうです。ワオ!

彼らはとても素敵で居心地よくリフォームされたお家にお住まいでした。元々の家は築100年以上の古民家です。彼は日本では自分でリフォームするなら古民家は無料で手に入ると教えてくれました。ただしこういう古いお家をリフォームするのは新築を買うよりもかなり高くなるそうです。古民家再生をおこなうJMRIという団体のパンフレットを見せてもらいました。山田さんは他の再生された古民家のパンフレットも見せてくれました。築200年のおうちまでありました。ワァオ!!

山田さん邸は古い建物と新しい建物が混在した設計でした。大工さんは家の元々の構造を生かしてリフォームします。古い木枠はそのままに、補強部分にだけ新しい木材を使用します。家は二階建てで一階は昔ながらのいろりがある広い入口のお部屋、和室に台所、ダイニングにトイレとお風呂です。二階は2部屋とトイレ、山田さんの書斎、そして入口部分とダイニングを見通せるリビングとダイニングがあります。私たちは二階のお部屋に泊めてもらいました。

さらにこのお家が素敵なのは大量の本と可愛いおもちゃがたくさんあったことです。小さなおもちゃたちはまるで自分たちの居場所が分かっているみたいにぴったりの場所に、くつろいだ感じで置かれていました。彼らのご挨拶で毎日笑顔になっちゃいます。

夕食の前に近所を散策しました。近くに小学校があり、ある家族が校庭で野球をしていました。とても良いチームワークでした。

山の向こうから白い煙が出ているのが見えました。それは温泉みたいでした。またある山の頂上部分は更地になっている所もありました。山並みをみている時、山田さんがある山を指差してそこが米軍と日本の自衛隊の共同演習場所だと教えてくれました。そこは山田さんのおうちから約50キロくらいの場所でした。時々訓練中の砲弾の音が聞こえてくるそうです。

ところで山田さんは英語の先生です。彼は翌日は私の通訳として一緒に歩いてくれる予定です。奥さんは市会議員をされています。もう何期も議員をされているそうです。

山田さんのお家を私はとっても気に入りました。美味しい空気に美しい景色。街の中心部まで30分程かかりますが、こんな場所に住めるならその甲斐もあると思います。ドバイでは通勤に自宅から地下鉄かプライベートシャトルで45分かかりました。フィリピンでは家からマカティのビジネス街まで1時間かかっていました(交通渋滞がなければ30分で到着できますが、それはキリスト教のホーリーウィーク<聖週>か、フィリピンのボクシングチャンピオンのマニー・パッキャオが生放送のテレビで試合をしている時くらいです)。

(日本語訳=三宅朋子)

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マラヤ・ファブロスさんの行進日誌11日目

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平和行進十一日目:藤沢市役所から平塚市役所

今朝は藤沢市役所からスタートしました。お昼には茅ヶ崎市を抜け午後に平塚市中央図書館に到着しました。

ある茅ヶ崎市の被爆者の方が、戦争孤児が一番可愛そうな戦争の犠牲者だという話をしてくれました。彼は2歳の時に被爆したそうです。兄弟姉妹たちは叔父さんに引き取られたそうです。一緒に暮らせなかった事が不幸だったと語ってくれました。平和行進は彼にとってとても意味のある事だとも言われていました。彼は現在70歳で平和行進を歩くのはこれが7回目だそうです。

今日チカに再会できたのもとても嬉しかったです!彼女は再び私のために通訳をしてくれました。他にも若い人に今日は会いました。彼女の名前はアッコです。フルネームはわたなべあきこさんで、茅ヶ崎の民主的な若者のグループで熱心に活動しています。彼女の名前はすぐに覚えられました。なぜってフィリピンで有名な水泳選手にあきこトンプソンという選手がいるからです。彼女も私のために通訳をしてくれました。彼女は茅ヶ崎が地元なので街の事をたくさん教えてくれて大助かりでした。

また、アッコは茅ヶ崎が海岸とサーフィンで有名な街だという事も教えてくれました。歩いていていくつかのサーフィンショップを見かけたのも納得です。日本に再び来る機会があれば是非ビーチにも行ってみたいです。

アッコはまた近隣の地域に比べると平塚市は道も広く、地形も平坦だと言っていました。これは平塚が第二次世界大戦中に東京と同じように絨毯爆撃を受けたからだそうです。

最後に今日の行進はスペシャルゲストがいました。それは黄色い帽子に黄色いシャツを着た幼稚園児の子どもたちです。彼らのシャツの背中には9の数字が付けられていました。9の数字には自分たちで色を塗ったみたいでした。みんなすっごく可愛かった!

私は自分の鯉のぼりを小さい男の子に貸してあげました。それで彼らはもっと行進を楽しめたみたい。子どもたちも堂々と「いいね!」「今でしょ!」コールを叫びながら行進してくれました。その小さな男の子は最後にはこの鯉のぼりを欲しがりました。だって棒の中には飴が入っていて、食べたくなったのだと思います。

ところで鯉のぼりとは鯉の絵の書いてある飾りです。通常年に一度の男の子の節句の時期に飾られる物です。

平和の灯の横に立つアッコ、村田さん、恵子ちゃん、そして私です

彼らが今日の特別ゲストです!

コープでの休憩で私たちを出迎えてくださった皆さん

相模川の上の橋を渡る平和行進

「いいね!」と叫ぶ女性たち

(日本語訳=三宅朋子)

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マラヤ・ファブロスさんの行進日誌10日目

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平和行進十日目:葉山町ー逗子市ー鎌倉市ー大船観音

今日、葉山町役場でこれまでお会いした中では最年長の被爆者の方と会いました。彼は今92歳で24歳の時に広島で被爆されたそうです。確かお名前は井口さんと言われたと思います。大変な経験をされてきた井口さんですがお医者さんからは今とても健康だと太鼓判を押されているそうです。とても長い距離を私たちと一緒に歩いてくださいました。被爆者のみなさんはたいてい行進の先頭を歩かれます。

そしてこちらは葉山町の町長さんで、これまでに直接挨拶に来てくださった首長さんのなかで一番若い方だと思います。彼はみなさんと一緒に行進にも参加してくれました。みなさんにこにこ笑っていてすごく楽しそうでした!行進に若い人が参加してくれるのを見るといつも嬉しくなります。

ラッキーな事に今日は風があったので暑くてもそれほど疲れませんでした。いつも団扇を持って歩いています。今日もたくさんの皆さんからうなずいたり手を振り返してもらったりしました。一人の女性なんてたまたま外に出て来て私たちの行進を見つけ、飛び入りで歩いてくれました。ハハハ。彼女は途中で行進からは抜けましたが、また戻って来て私たちから平和行進のキャンペーン団扇を購入してくれました。歩いていてこういう瞬間があるととても元気づけられます。

最初の休憩は逗子市役所で取りました。ここでも市長自身が挨拶してくれました。別の被爆者の方もご挨拶されました。今日はたくさんの被爆者の方が歩いてくれていました。最初は7人の被爆者の方が一緒に歩いていて、午後にはさらに多くの方が参加されました。

休憩後には米軍池子住宅地区の正面玄関のところまで歩きました。これは米海軍の基地施設の一部で軍人とその家族の住宅です。現在新しい住宅建設もすでに計画されているそうです。私たちが正面玄関の写真を撮っている時、兵士たちも同じように遠くから私たちの写真を撮っていました。私はにっこり笑いました。彼らも笑ってくれていると良いのだけれど。

ここでグループごとにお昼休憩を取り、源頼朝にちなんだ場所で再集合しました。けいこさんが鶴岡八幡宮について教えてくれましたがよく思い出せません(ごめんなさい!)

ここは中心に神社のある人気の観光スポットです。ここが最初の武家政治の始まった場所だと福島さんが教えてくれました。小さな公園を抜けるともう一つ小さな神社がありました。ここはとってもにぎやかなショッピングストリートです。

お昼ごはんにはシラス丼を食べました。シラスはとっても小さい魚でこのシーズンだけに獲れます。だからみんなはこれを食べるととっても嬉しいみたい。

お昼にシラス丼を食べたと話すとみなさん「すごい!」とか「良かった」と言ってくれました。シラス丼はどんぶりご飯の上にしらすを乗せた物です。それにのりと錦糸卵もトッピングされています。とっても美味しかった!こんな感じです。

私たちはショッピングストリートを行進し、鎌倉市役所へ向かいました。そこでさらに多くの被爆者の方と会いました。そして皆さんと一緒に写真を撮る事もできました。挨拶で被爆者のよしだこうじさんは鎌倉市には200人の被爆者の方が暮らしていると話されていました。彼は今82歳で長崎で被爆されたそうです。今日の午後にお会いした被爆者の皆さんは広島で被爆された方、長崎で被爆された方と両方おられました。

今日の最後の場所である大船観音寺まで行進を続けました。福島さんから事前に今日はとても特別な日だと教えてもらいました。私たちは大船観音寺に行き、そこで集会を行いました。ある被爆者の方がこの神社の事が書かれているパンフレットを下さいました。

集会である女性が別の被爆者の方が書いた本から一部を代読しました。長崎の爆心地から50メートルの場所での被爆体験でした。著者の方は長い間探し続けた後に大船観音寺で彼の母親の遺骨を見つける事ができました。でもお父さんの遺骨は見つかっていません。彼は時々目を閉じると父親が自分を呼んでいる声が聞こえると言います。そしていつも母親の姿が胸にあると(福島さん訳してくれてありがとう!)。

今日の午後は素敵なトランペット奏者の松平晃さんも一緒に歩いてくれました。ここでも2曲演奏してくれました。多くの皆さんが最後の歌を一緒に歌われました。とっても感動的でした。

新鮮なわさびと刺身です。小さな木製のおろし器でわさびをすりおろします。

大船観音寺の近くにあった大きな仏像

(日本語訳=三宅朋子)

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マラヤ・ファブロスさんの行進日誌9日目

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平和行進九日目:三浦市役所から横須賀市のヴェルニー公園(臨海公園)

今日は三浦市役所からスタートでした。これまでの日記でおわかりでしょうが、私たちは毎日開会式と閉会式を行っています。その街に住む被爆者の方々からのメッセージや地域の原水協、そして地方自治体の職員の方々の挨拶、時々はいろんな団体のリーダーの方からも一言があります。

通し行進者(県の通し行進者とコース全体の通し行進者)も紹介されて、時々短いスピーチを求められたりします。その後その日の行進を仕切るリーダー/司会者が紹介されます。司会者か笠木さんが行進の前にコールの練習をウォームアップのために参加者と一緒にやります。「いいね」と「今でしょ」コールを教えられると参加者の皆さんはたいてい笑って和やかになります。この2つのフレーズは今日本でとても人気があるみたい。これは練習中の皆さんの一枚です。

大通りに沿って坂道を上っていくと下の写真にある建物が見えてきました。

一緒に歩いている行進者の方が私に、「あの屋根に大きなオレンジのでっぱりがある建物の場所がビキニ環礁で被爆した原爆マグロが埋められた場所だ」と教えてくれました。今ここには3棟のマンションが建っています。

今日夕食を食べている時にある男性が私たちに話しかけてきました。彼は今日この建物の近くを運転していて私たちの平和行進を見かけたそうです。その時彼は原爆マグロの事を思い出したと話してくれました。彼は思い出させてくれてありがとうと私たちに感謝していました。

3時半までには横須賀市に到着しました。一人の若い被爆者の方が挨拶されました。彼は75歳か76歳だったと思います。現在横須賀市には231人の被爆者の方が暮らされており、その内6人の方が今日の午後は私たちと一緒に歩いてくださいました。

今日のゴール地点に行く前に私たちは横須賀の米軍基地の横を通りました。道の反対側に集まって「今でしょ」と「いいね」コールを行いました。これまでの基地前の行動と違って今日は変わった(リアルな)傍観者がいました。エレベーターの影に隠れて私たちの横断幕に書いてある事を書き取っている兵士の姿さえ私は見つけました。

今日の行進は横須賀市の臨海公園で終了でした。そこで笠木さんが山崎正則さんを紹介してくれました。山崎さんは奥さんを亡くされています。2006年1月3日、山崎さんのの56歳の奥さんであった佐藤好重(よしえ)さんは酔っぱらったアメリカ兵に殴り殺されました。その米兵は奥さんの財布から1万5千円を奪おうとしたそうです。好重さんは内出血で亡くなりました。そのアメリカ兵の名前はウィリアム・オリバー・リースというそうです。

他にも酔っぱらった米兵が学校のガラスを割って校内に侵入し、眠り込んでいるところを朝登校した生徒に発見されるという事件もあったと聞きました。学校で酔いつぶれた米兵を見るというのは歓迎できる光景だとは言いがたいです。

日本中で有名になった事件に1995年に沖縄で起こった3人の米兵による12歳の少女暴行事件もあります。日本中で抗議の声がわき起こり、航空基地は沖縄の人口密集地から別の場所に移転せざるを得なくなりました。

私はネットでウィリアム・オリバー・リースについても調べてみました。以下は私がこの事件について見つけた多くの記事の中の一つです。

ニュージャージー州出身で空母キティーホークの乗組員だったリースは地元のバーで飲み明かした後に佐藤好重さん(56)を殺害した事を認めた。彼は路上で佐藤さんを呼び止め、近くの横須賀海軍基地の場所を尋ね、それから財布をひったくろうとした。 佐藤さんが抵抗し、「助けて」と叫んだので、リースは近くの建物の入り口に彼女を引きずり込み、11分間殴り続けた。「コンクリートの壁に彼女を打ち付け、足で彼女の腹部を何度も何度も踏みつけた」と小倉正三裁判長は法廷で語った。 「彼女の殴られ方をみれば、リースが人の命に対してまったく顧みる気持ちがなかった事が分かる。破裂した内蔵など身体の損傷がこの犯行が極めて残忍なものであったことを物語っている」と小倉裁判長は重ねて語っている。 リースは佐藤さんの財布から1万5千円、約130ドルを奪い、コンビニに立ち寄った後で基地に戻った。その日遅くに横須賀市内の病院で佐藤さんは死亡した。

行進の後で、いしざわひでおさんが私たちを横須賀海軍基地が一望できる小さな公園に連れて行ってくれました。ひでおさんは昨年11月の米軍基地返還20周年の時期にフィリピンの元米軍基地へスタディーツアーに来られたそうです。多くの日本や韓国の方々はこのフィリピンの闘いに敬意を表してくれます。今回は彼が日本の基地についてミニスタディーツアーをしてくれました。

彼は米国と日本の軍事施設の場所を示した地図を見せてくれました。大きな外側のエリアが米軍の所有地であり、小さい内側の部分が日本の所有地です。私たちは日本の所有地側に立っていました。

下の写真がその場所からの眺めです。写真の手前側にある複数の船は日本の軍事施設で私たちの立っている陸地に繋がっています。山を含む向こう側は米軍の施設です。ひでおさんは約6万人の日本人が基地内で働いており、賃金は日本政府から支払われていると話してくれました。基地内の人たちのための住宅建設などの仕事で基地内で働いている人たちもいます。

ひでおさんが横須賀にある米海軍基地について私たちに説明しています。ひでおさんの横には神奈川の通し行進者の塩瀬康雄さんがいます。彼は5年前に私の母とも一緒に神奈川県を歩いたそうです。彼は東京の出発からの通し行進者でした。今年は全国通し行進する事はお医者さんから止められてしまったそうですが、東京から神奈川の区間と広島で再び私たちと一緒に歩いてくださいます。とても精力的な方です!

(日本語訳=三宅朋子)

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マラヤ・ファブロスさんの行進日誌8日目

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平和行進八日目:上大岡駅から横浜市金沢区の泥亀公園へ

 

今朝は港南区上大岡にあるコープ(編集部注:イトーヨーカ堂)で開会式を行いました。朝の参加者は100人ほどで、午後にはもっと人数が増えました。

地域の被爆者の方、地域の原水協の方、そしてコープの方からのあいさつがありました。

今日の天気はとても気持ち良かったです。カラっとしていて日差しも快適でした。しかもあるコープの店舗での短い休憩ではよく冷えたスイカまで!これは本当に美味しかった!

福島さんが私にウォーターメロンは日本語でスイカということを教えてくれました。電車のカードのSuicaはこのスイカから由来したネーミングなのかと彼に聞いたら笑って違うと言われました。ははは。

ここで日本に関する豆知識です。Suicaというのは日本の多くの公共交通機関でお金を入金しておいて繰り返し使えるカードです。ドバイにもあるNolカードとよく似ていますが、このカードは東京のいくつかのお店ではデビットカードとしても使えます。私はこのカードを今回の平和行進のために母から借りました。母は2001年からこのカードを使っています。

杉田駅でお昼休憩を終えました。午後からの行進は金沢区にある地域の公園から再開しました。連帯のあいさつを地域の9条の会のリーダーの方がされました(彼は日本で有名な俳優さんの息子さんだそうです)。また新婦人の代表の方もあいさつされました。

私たちの歩く町々で公園や遊技場がたくさんあるのはとても助かります。こういう場所で行進参加者が集まったり、休憩を取ったりします。お母さんと子どもたちがよく遊具で遊んでいたりして素敵です。こういう公園は日本ではコミュニティーによくある設備のようです。たいていはトイレが併設されていますが、無い場合も近くにコンビニエンスストアがあって、トイレが使えます。私は将来フィリピンにもこういう小さい公園がもっと増えたら良いなぁと思います。

今夜は神奈川県の通し行進者のみなさんと一緒に伝統的な日本の旅館に泊まりました。これは初めての体験です。この三浦市にある出口荘は富士山と海が一望できます。女性陣はみんなで天井の高い大きな畳のお部屋で眠りました。男性陣は私たちの隣の部屋でした。

夕食は海の幸が満載でした。一晩でプロテインがいっぱいとれたと思います。こんな感じです。

夕食後は神奈川の通し行進者のみなさん(かのけさん、いとうさん、ふくしまさん、鈴木ちゃん)が村田さんの大きな横断幕にサインをしてくれました。村田さんはとても絵をかくのが上手です。 自分で横断幕のデザインも考えたそうです。すごい!

(日本語訳=三宅朋子)

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マラヤ・ファブロスさんの行進日誌7日目

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平和行進七日目:天王町公園から保土ヶ谷区、上大岡駅

 

今日は横浜の街をさらに歩き続けました。横浜市は港町でこの街の中心部は多くの建物がヨーロッパ風です。

佐藤良生さんという被爆者の方が今日はご挨拶されました。彼は14歳の時に被爆しました。1ヶ月後にお母さんが亡くなり、またその半年後に妹さんも亡くなったそうです。彼は現在の政府が日本国憲法96条を変えようとしていることについて強い反対を表明されました(憲法96条と9条の事はまた詳しく書きたいと思います)。

96条は日本の憲法の改正要件が書いてあります。今の首相は憲法9条を変えたがっており、この平和条項を変えやすくするために96条を変えようとしています。

 

日本の憲法9条は戦争を放棄しています。

以下の写真は、みずきちゃんが私に平和行進で着てとくれたものですが、背中に憲法9条がプリントされています。

 

私はもっと若い時に同じようなTシャツを持っていました。その時から憲法9条を知っていましたが、その後9年が経って今この平和条項のありがたさがより一層分かります。

憲法9条は日本の平和運動にとってだけでなく、日本の人みんなの宝だと思います。これからの平和行進でもっと多くの9条グッズがご紹介できると思います。

これはそういうグッズの一部です。

 

昼食の後は横浜港の近くの横浜県庁に向かいました。市長の林文子氏の代理の方から賛同のメッセージをいただきました。神奈川県には5000人の被爆者の方が暮らされており、横浜市にはそのうち2000人が生活されています。

今日もまたトランペット奏者の松平晃さんが参加してくれました。彼は日本で人気のある曲を一曲演奏し、みんなはそれに合わせてハミングしていました。とても素敵なメロディーでした。福島さんが私に「一本の鉛筆」という歌だと教えてくれました。

 

午後に私が短い挨拶を日本語でしている時、ぶんちゃんが行進に参加しているのを見つけてビックリしました。ぶんちゃんは日本原水協の平和行進スペシャリストみたいです。

ぶんちゃん、佐竹さん、そして安井さん他の日本原水協のみなさんが、各地の原水協の方々と一緒に私をサポートしてくれています。

 

上大岡駅で今日の行進は終了しました。他に面白かったのは、今日はちょっと観光客モードにもなれた事です。私たちは少し観光をするために横浜港に行きました。 bitcoin casino

また横浜タワーの近くの公園でも少しゆっくりしました。

これがその時の写真です。

(日本語訳=三宅朋子)

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マラヤ・ファブロスさんの行進日誌6日目

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平和行進六日目:海老名市から横浜へ

 

今日のニホンゴ:雨(あめ)

 

今日は一日中雨でした。午後にはかなりの土砂降りになりました。

行進は海老名市役所からスタート。海老名市役所の方が挨拶してくれました。賛同を表明してくれただけでなく、海老名市役所の正面に植えてある記念樹についてもその方はお話ししてくれました(最初に載せている写真です)。この小さな木は広島にある木から枝分けされたものだそうです。この木ははじめ市役所の別の場所に植えられていたそうですが、正面に移されたそうです。今日の行進のまとめ役は海老名市議会の議員の方です。彼はとっても若く見えました。

 

行進を始めた頃にパラパラと小雨が降り始めました。皆さんがカッパを持って来ていて良かったです。私も初めて自分の透明のカッパを使いました。これは透明なので私たちが肩からかけているオレンジ色のたすきを見せる事ができます。通し行進者の村田さんと私はこの東京から広島まで歩いている事を明記したオレンジのたすきを行進中は毎日身につけます。でも実は私はビザの関係で一週間のお休みを5月27日から6月5日までいただく事になっています。日本に滞在する外国人は最大3ヶ月の滞在しか許可されないからです。だから私はその一週間の間に一度フィリピンに帰って改めてビザを取らなければなりません。

 

昨日いただいた本の事ですが、福島さんが一部を翻訳してくれました。著者の方はトラックの運転手さんを退職された後で平和行進を歩かれたそうです。彼は現在75歳です。

 

区役所で休憩した時には市議会議員の皆さんが揃って出迎えてくださいました。市議会議長の方が自ら賛同の挨拶をしてくれたのはとってもすごいことです。

それから私たちは厚木航空基地まで歩きました。コールしながら基地の入り口のところまで塀にそって進みました。入り口近くではコールの一部を英語で車のマイクから行いました。この基地にはオスプレイも配備されていると聞きました。オスプレイの墜落で数名の近隣住民が亡くなる事故が起こったそうです。

 

オスプレイとは何か?

新婦人(新日本婦人の会)にインタビューされた時に、平野恵美子さんからオスプレイがヘリと飛行機の性能を兼ね備えたものである事を教えてもらいました。オスプレイは地面から垂直に離陸することができ、飛行機のように多くの荷物を搭載して早く飛ぶ事もできるそうです。オスプレイがヘリから飛行機のモードに切り替わる際(もしくはその逆の時に)、とりわけ強風の場合などに事故が起こりやすいそうです。

 

オスプレイは米国では多くの街で飛行が禁止されて来ました。しかし日本では沖縄の住居地の上空をそれは飛び回っています。日本にある米軍基地の70%が沖縄にあります。沖縄の土地の半分が米軍基地で占められているのです。

 

今日は雨と上り坂が多かったのでかなり大変な一日でした。でも雨でも多くの人が笑ってうなずいてくれたり、手を振ってくれました。自転車に乗った男の子たちが「いいね!」や「今でしょ!」コールを飛び入りで一緒にやってくれたりもしました。とっても楽しかった!

またあるフィリピン人の家族ともすれ違いました。彼らは最初私をみてビックリしていましたがすぐにニッコリ笑い返してくれました。

 

午後は大和公園と、あるコープの支部との2回の休憩がありました。雨が小降りになるのを待ってコープではいつもより長めの休憩を取りました。それから今日の最終目的地に向かって歩きました。

 

千羽鶴の話

一人の親切な女性が大和公園で私たちを待ってくれていて折り鶴を2束手渡してくださいました。1束に千羽の鶴が折られていました。彼女はこれを2年で折り上げたそうです。私たちはこの折り鶴を広島まで持って行きます。日本では千羽の鶴を折ると願いが叶うと信じられています。

 

折り鶴は平和への強い願いを示すものでもあります。この折り鶴と平和運動の繋がりは、サダコちゃんという若い被爆者のお話が始まりだと思います。サダコちゃんは広島の被爆者でした。原爆で傷を負った訳でもないのに、彼女は放射能によって最後には病気になってしまいます。彼女は病気が治る事を願って千羽の鶴を折りました。彼女は若くして亡くなってしまうのですが、彼女に起こったような事を二度と繰り返さないという願いを込めて多くの人が折り鶴を折る事でその思いを伝え続けています。

 

彼女の物語は広島の平和記念館でも取り上げられています。

 

今日は写真が少なくてすいません。また写真をすぐに載せますね。

(日本語訳=三宅朋子)