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原水協通信

毎月発行している日本原水協の機関誌です。国内外の反核平和運動についての情報が満載です。 日本原水協のウェブサイト→ http://www.antiatom.org/

「核兵器の全面禁止を!」

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【2014国際青年リレー行進】マギティング・ファブロスさんの日誌(5月16日)

5.16(1)

藤沢から平塚

この日は快晴の朝で始まりました。風はあまりないのにまだひんやりしています。平和行進者たちは藤沢駅近くの市役所に集合し、そこで日本共産党(JCP)に勤務しているわたなべ・あきこさんと落ち合いました。彼女は私の日本語も助けてくださいました。以前カナダにいらしたので英語が非常に堪能です。

私たちは藤沢市役所からスタートしました。出発式が始まる前に、急いで後をついてくるようにと矢部さんに言われ、着いた先には平和の火のモニュメントがありました。これは広島の平和の火からとったものです。

5.16(2)

最初の休憩地点では、近隣の保育園の園児たちが合流しました。ここの園児たちは毎年参加していて、まるで園児たちの歩行練習のようでした。園児たちは自分たちで描いたお絵描きの工作を服の前後に貼り付けてもいました。ある子の背中には憲法9条も貼られていて、これも楽しい出来事のひとつとなりました。子ども達は横断幕の後ろで勇敢なポーズをとってくれました。この保育園の先生のご主人も日本共産党の方です。

歩き続けていると多くの工場の前を通り過ぎました。ホテルでは「湘南ライフスタイル」と描かれた宣伝広告を目にしました。湘南とは相模海岸に広がる地域です。ここでの「ライフスタイル」とはサーフィンやサイクリング等をする浜辺近くの生活を意味するのでしょう。

行き交う車に乗っている多くの方々が、行進に園児たちが一緒に歩いているのを見て微笑みかけてくれました。園児の母親たちも沿道から声援を送っていました。

5.16(3)

私たちはかつて大工場があった広い跡地にある公園で休憩しました。地方自治体がこの跡地を商業ビルや市立病院へと転換したのです。
休憩中の私たちのところに、友人とスケートボードを抱えたとてもかっこいい青年が合流しました。彼はNo Nukesのシンボル入りTシャツを着ていました。園児たちもまるでピクニックでもしているようにスナック菓子を食べて楽しいひとときを過ごしていました。一緒にいた園児の母親達はわが子が平和行進に参加したことをとても誇りにしていました。

5.16(4)

古着を売ることもできるリサイクルショップが多く建ち並ぶ茅ヶ崎市に到着しました。この市はビーチやサーフィンで非常に有名です。茅ヶ崎駅そばのスポーツセンターで昼食をとりました。市の職員の方々や日本共産党員の女性に温かく迎え入れていただきました。彼女は非常にカラフルな服を着ていました。

平塚市に向かう途中、相模川に架かる馬入橋を渡りました。この川は相模湾に流れています。平塚市にはかつて日本帝国軍の弾薬庫と軍用機工場がありました。重要な戦略的拠点であり幅広い海岸を有していました。それが第二次世界大戦でこの地がひどく破壊された理由です。

あきこさんがこの市の道幅が近隣の市より広いのは戦後復興の際に道幅の広い道路を作るか否かの選択肢を与えられたからだと教えてくれました。現在改修工事中の平塚市役所を過ぎました。この日の行進は平塚図書館で終了です。

5.16(5)

私たちの行進の指揮者に指名された山崎さんは、この数日間、行進の隊列の先頭で平和行進のワゴン車を運転して下さいました。山崎さんの奥さんは、米軍基地の外で泥酔した米兵に殴打され、亡くなったそうです。その兵士は彼女から15000円を奪おうとしたのですが彼女が抵抗したのです。泥酔し、殺しの訓練を受けた米兵が命の値段をつけるなんて、想像を絶するし、無分別極まりないことです。山崎さんが平和行進に指揮者として参加し、生涯をかけて米軍基地と戦う誓いを立てたのはそのためです。

神奈川の道路に明るい東さんと山崎さんは非常に頼もしく、私たちを助けてくれました。

いつも私たちの前を歩いて一緒にいて下さり、いつ終わるとも知れない私とのおしゃべりにずっと付き合って下さったあきこさんもありがたかったです。私の平和行進の仲間たちは、私がやっと一日中話ができる人と出会えたことを喜んでくれました。勉強して少しでも日本語を話せるようになる必要がありますね。

(翻訳:白石亜子)

5.16(6)

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