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原水協通信

毎月発行している日本原水協の機関誌です。国内外の反核平和運動についての情報が満載です。 日本原水協のウェブサイト→ http://www.antiatom.org/

「核兵器の全面禁止を!」

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マラヤ・ファブロスさんの行進日誌3日目

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平和行進三日目 川崎市役所から幸区そして中原区の新城公園へ

 

今日は川崎市役所からのスタートでした。笠木隆さんが司会をされてもう一度平和行進者を紹介してくれました。彼はこの平和行進の神奈川県の責任者で神奈川県原水協の事務局長です。私たちはこれから13日間、彼や他の神奈川県原水協の皆さんと一緒に歩きます。下の写真は川崎市役所の方が市長からのメッセージを伝えているところです。

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ところでこの開会集会が始まる前に日本原水協の梶原渉さん(かじやん)が私に充電式のワイファイルーターを手渡してくれました。とっても助かる!

 

今日のコースは大通りを通り、小さい通りも抜けて行くコースです。私たちの最初の休憩場所は幸区で、ここでも自治体職員の方に温かい歓迎を受けました。行進を再開しようとしたとき、笠木さんや他の神奈川県原水協の方から約5年程前、私の母も同じコースを歩いたと教えてもらいました!昼食前には川崎平和公園とミュージアムに到着しました。ここでまたトランペット奏者の松平晃さんに出迎えてもらいました。やっと彼に紹介してもらえました!彼は私に自分のCDをくれました。すごい!

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この場所は80年前に軍需工場があった場所だそうです。その後ここにあった米軍基地を川崎市民の強い反対で返還させたそうです。1975年には川崎市は完全な米軍基地の撤退を実現し、今その場所は公園、ミュージアム、そして高校に姿を変えています。

 

いまこの公園には平和を象徴する大きな彫刻が豊かな緑の中に点在しています。公園内には小さなステージ、遊技場、様々な活動センターが設けられています。公園の一画にはかなり大きなミュージアムがあります。そこには川崎市の歴史の資料が展示されています。この街の戦争の歴史がビデオ展示してあります。当時戦争がどうやって人々の生活に入り込み、子どもでさえ戦争に巻き込まれていったのか、たとえば空襲や軍需工場での勤労奉仕、軍事演習について展示で知る事ができます。

 

展示の最後は川崎市にかつてあった米軍基地を平和利用するプランが説明されており、もう二度と戦争に巻き込まれないという川崎市の決意が表明されています。

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これはとてもすばらしい基地返還後の平和利用の一例だと思います。フィリピンも国内にある全ての米軍基地を撤去させました。一番大きかった二つはクラーク基地とスービック基地です。今その場所は経済発展を進める商業/産業地域になっています。これも良いですがもっと良い平和利用方法もあるはず。

 

以下は昨年在フィリピン米軍基地撤去20周年を記念してローランド・シンブラン教授が語った内容の抜粋です:

 

農家や地元住民は依然として元米軍用地を使って農業をしたいという要求を認められていないし、フィリピン少数民族のアエタ族の場合はかつて先祖から受け継いだこの土地の使用を許されていない。元基地のあった場所は政府の農地改革計画から露骨に排除されており、現地の富裕層や外国投資家らにのみ、この肥沃な土地が富をもたらしている。土地を持たないフィリピンの農業従事者らはこれらの土地で農業に従事する事を拒まれている。従って本当の意味での”兵器から鋤(すき)へ”という基地の平和利用は行われていない。

 

わたしはいつも日本や韓国からの学者や活動家の代表団に我々のこの経験を伝えている。最初は基地の跡地利用をどうするのかという点で地元住民に開かれていた議論が次第に一部のエリート層の決定で国の経済政策に沿ったものにされていった。従って、依然として地元の人々の基地の跡地利用方法案とエリート中心の国の政策や制度との間には衝突がある。今日、基地跡地で行われている彼らの商業目的の利用によってもたらされる成長の可能性は、新自由主義経済システムの下でのポテンシャルなのだ。軍の施設や兵器庫は工場やオフィス、レクリエーション施設、フィリピン大学の一部を含む文教施設へと姿を変えた。アテネオ大学やその他の学校もクラークやスービックの中にある。民間空港、サファリパークなどの動物園、多くのホテルやレストランなども建てられた。結局のところ私が我々の米軍基地撤去の闘いに敬意を示してくれる日本や韓国の友人たちに伝えたいのは「米軍基地がなくなっても闘いは続く」という事だ。本当にフィリピンのためになる、貧しい人々のためになる経済政策へ、そして人々の発展につながる基地の跡地利用のためには粘り強い闘いが今も必要なのだ。

 

今日もうひとつ書いておきたいのはおやつの事です。厳密に言えば何を食べて飲んだかという事ではなく、誰が休憩時間に私たちにおやつを提供してくれたかという事。正式名称は生活協同組合、コープの皆さんが準備してくれました。神奈川にはコープのお店が約100店舗あるそうです。そのうち6件が川崎市にあります。コープは会員さんたちに高品質の地元の食品を安価な価格で提供します。このシステムはまた地域の産業と製品を生産者として支えます。すごい!コープの店舗はとっても大きくて青果コーナーはとっても広かった。これもまたすごい!

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またコープは多くの人々を雇用しています。その中の一人が私たちと一緒に歩いているコープ和歌山の山東恵子さんです。山東さんは東京から神奈川まで一緒に歩いています。彼女は最近コープに就職し、配達を担当しています。わたしは彼女からコープが地域の中で配達もしていると教えられました。買い手はグループでネットか注文書で注文し、商品は各家庭まで届けられます。

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今日は中原区の新城公園で4時半頃に少し早めにゴールしました。現地の原水協の方が近くにあるとても家庭的な中華料理屋さんに連れて行ってくれました。ここはたぶん彼の行きつけのお店だと思います。だって彼はこのお店のご主人と顔見知りのようでした。このご主人はすべてを一人でこなします。注文をとり、料理し、配膳も彼でした。料理が一皿ずつ並べられ、まるでご主人のお家にお邪魔しているような気分で食事が出来ました。とっても良かったです。これまでの3日間ずっと夕食は中華料理です。どこでもデザートの前に〆として白ご飯が出てくるみたい。これは日中の長時間におよぶ有酸素運動の後ではとっても良いと思う。

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夕食中に行進者らは明日の予定について話し合います。明日は起伏に富んだコースみたいなので頑張らないと。私と一緒に明日歩いてくれる行進者は村田さん、金子さん、伊藤さん、鈴木さん、福島さん、そして山東さんです。

 

村田さんは私同様に広島までの通し行進者です。私たちはこれから約3ヶ月一緒に歩きます。彼は最近退職したばかりですが、在職中はずっとの熱心な組合活動家でした。

 

金子さん(80歳)と伊藤さん(81歳)は親友でスキー仲間でもあるみたい。伊藤さんはこれまで20年間、神奈川の平和行進に参加しています。すごい!

 

金子さんはとっても面白い人でいっつも冗談を言っています。福島さんは彼のジョークで笑いすぎて目に涙を溜めていました。福島さんは英語のインストラクターで通訳で私を助けてくれます。彼は帰り道に私に日本語で1から10までの数え方も教えてくれました。

 

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左から:山東さん、福島さん、矢部さん、村田さん、金子さん、伊藤さん

 

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「私も一緒に歩くわ」という感じ

 

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子どもたちも応援してくれます

 

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この男の子は熱心に私たちの今でしょコールを玄関のところで笑いながら聞いてくれていました。そしてひょうきんに「今でしょ?」と叫び返してくれました。ハハハハ!

 

今でしょは「今しかないんじゃない?」という意味みたい。

 

今でしょコールはこんな感じ

 

いつ核兵器廃絶の交渉を開始するの?

今でしょ

 

核兵器いつなくすの?

今でしょ

 

核保有国はいつ約束を守るの?

今でしょ

 

核廃絶,いつから真剣にやるの?

今でしょ

 

沖縄の基地返還はいつ実現するの?

今でしょ

 

原発事故の責任を政府はとって。いつ原発なくすの?

今でしょ

 

平和で公正な世界。いつ実現するの?

今でしょ

 

(日本語訳=三宅朋子)

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