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【日本政府に核兵器禁止条約への参加・署名・批准を求める意見書決議】長野県下諏訪町議会が採択して367自治体に

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367自治体(2019年3月21日現在)

【基準】 日本政府の禁止条約への署名、批准など、条約への参加を求めているもの ※趣旨採択(2自治体)を含む。

【都道府県別リスト】 ■北海道(40):赤平市議会、網走市議会、旭川市議会、芦別市議会、帯広市議会、北広島市議会、釧路市議会、士別市議会、根室市議会、函館市議会、富良野市議会、美唄市議会、三笠市議会、夕張市議会、留萌市議会、浦河町議会、音更町議会、上川町議会、上砂川町議会、釧路町議会、知内町議会、斜里町議会、新ひだか町議会、豊浦町議会、長沼町議会、仁木町議会、東川町議会、日高町議会、美深町議会、広尾町議会、別海町議会、本別町議会、幕別町議会、むかわ町議会、芽室町議会、余市町議会、陸別町議会、和寒町議会、赤井川村議会、占冠村議会

■青森県(10):十和田市議会、大間町議会、五戸町議会、三戸町議会、七戸町議会、外ヶ浜町議会、東北町議会、南部町議会、佐井村議会、西目屋村議会

■秋田県(22):大館市議会、男鹿市議会、潟上市議会、鹿角市議会、北秋田市議会、仙北市議会、大仙市議会、由利本荘市議会、にかほ市議会、能代市議会、井川町議会、羽後町議会、小坂町議会、五城目町議会、八郎潟町議会、八峰町議会、藤里町議会、三種町議会、美郷町議会、大潟村議会、上小阿仁村議会、東成瀬村議会

■岩手県(33):岩手県議会、盛岡市議会、滝沢市議会、花巻市議会、奥州市議会、一関市議会、北上市議会、久慈市議会、遠野市議会、二戸市議会、八幡平市議会、宮古市議会、陸前高田市議会、釜石市議会、一戸町議会、岩泉町議会、岩手町議会、大槌町議会、金ヶ崎町議会、軽米町議会、葛巻町議会、雫石町議会、紫波町議会、住田町議会、西和賀町議会、平泉町議会、洋野町議会、矢巾町議会、山田町議会、九戸村議会、田野畑村議会、野田村議会、普代村議会

■宮城県(15):塩竈市議会、白石市議会、気仙沼市議会、多賀城市議会、登米市議会、大郷町議会、蔵王町議会、松島町議会、美里町議会、南三陸町議会、色麻町議会、七ヶ浜町議会、柴田町議会、涌谷町議会、大衡村議会

■山形県(3):山形市議会、新庄市議会、天童市議会

■福島県(11):福島市議会、会津若松市議会、喜多方市議会、白河市議会、伊達市議会、川俣町議会、国見町議会(*趣旨採択)、桑折町議会、只見町議会、三春町議会、天栄村議会

■茨城県(5):つくばみらい市議会、土浦市議会、常陸大宮市議会、守谷市議会、大洗町議会

■栃木県(1):日光市議会

■群馬県(4):甘楽町議会、下仁田町議会、川場村議会、南牧村議会

■東京都(5):小金井市議会、狛江市議会、調布市議会、三鷹市議会、武蔵野市議会

■埼玉県(13):上尾市議会、桶川市議会、川口市議会、北本市議会、行田市議会、草加市議会、新座市議会、東松山市議会、富士見市議会、吉川市議会、伊奈町議会、杉戸町議会、宮代町議会

■千葉県(1):我孫子市議会

■神奈川県(6):相模原市議会、座間市議会、逗子市議会、南足柄市議会、大和市議会、葉山町議会

■新潟県(20):新潟市議会、魚沼市議会、小千谷市議会、五泉市議会、佐渡市議会、三条市議会、新発田市議会、上越市議会、胎内市議会、十日町市議会、長岡市議会、南魚沼市議会、妙高市議会、村上市議会、阿賀町議会、津南町議会、聖篭町議会、湯沢町議会、粟島浦村議会、関川村議会

■山梨県(2):南アルプス市議会、市川三郷町議会

■長野県(36):長野県議会、安曇野市議会、伊那市議会、大町市議会、駒ヶ根市議会、小諸市議会、中野市議会、須坂市議会、飯山市議会、松本市議会、阿南町議会、池田町議会、上松町議会、木曽町議会、小海町議会、坂城町議会、佐久穂町議会、下諏訪町議会、長和町議会、箕輪町議会、御代田町議会、青木村議会、王滝村議会、大桑村議会、大鹿村議会、木祖村議会、小谷村議会、下条村議会、喬木村議会、豊丘村議会、中川村議会、野沢温泉村議会、白馬村議会、南牧村議会、南箕輪村議会、宮田村議会

■静岡県(2):藤枝市議会、焼津市議会

■愛知県(2):岩倉市議会、設楽町議会

■岐阜県(6):関市議会、多治見市議会、池田町議会、神戸町議会、坂祝町議会、関ヶ原町議会

■三重県(5):三重県議会、亀山市議会、鳥羽市議会、紀北町議会、菰野町議会

■石川県(1):白山市議会

■滋賀県(3):甲賀市議会、愛荘町議会、甲良町議会

■京都府(6):綾部市議会、亀岡市議会、京田辺市議会、木津川市議会、向日市議会、精華町議会

■大阪府(6):和泉市議会、泉佐野市議会、摂津市議会、高石市議会、富田林市議会、河南町議会

■奈良県(8):生駒市議会、香芝市議会、橿原市議会、王寺町議会、広陵町議会、三郷町議会、平群町議会、山添村議会

■和歌山県(6):橋本市議会、かつらぎ町議会、串本町議会、九度山町議会、みなべ町議会、日高町議会

■兵庫県(2):高砂市議会、播磨町議会

■鳥取県(7):鳥取県議会(*趣旨採択)、境港市議会、琴浦町議会、南部町議会、日野町議会、北栄町議会、湯梨浜町議会

■島根県(3):雲南市議会、津和野町議会、美郷町議会

■岡山県(17):井原市議会、倉敷市議会、瀬戸内市議会、総社市議会、新見市議会、真庭市議会、美作市議会、鏡野町議会、吉備中央町議会、久米南町議会、勝央町議会、里庄町議会、奈義町議会、早島町議会、美咲町議会、和気町議会、新庄村議会

■広島県(16):広島市議会、安芸高田市議会、江田島市議会、尾道市議会、庄原市議会、廿日市市議会、東広島市議会、福山市議会、府中市議会、三次市議会、安芸太田町議会、海田町議会、北広島町議会、坂町議会、神石高原町議会、府中町議会

■高知県(14):安芸市議会、香南市議会、香美市議会、四万十市議会、須崎市議会、南国市議会、いの町議会、大月町議会、大豊町議会、佐川町議会、四万十町議会、本山町議会、芸西村議会、日高村議会

■愛媛県(3):愛南町議会、上島町議会、砥部町議会

■徳島県(5):吉野川市議会、石井町議会、板野町議会、那賀町議会、牟岐町議会

■福岡県(6):飯塚市議会、嘉麻市議会、直方市議会、苅田町議会、鞍手町議会、小竹町議会

■長崎県(7):長崎市議会、雲仙市議会、五島市議会、西海市議会、対馬市議会、長与町議会、東彼杵町議会

■大分県(1):豊後高田市議会

■熊本県(2):上天草市議会、苓北町議会

■宮崎県(4):宮崎市議会、串間市議会、都城市議会、日向市議会

■鹿児島県(6):出水市議会、垂水市議会、西之表市議会、東串良町議会、南種子町議会、屋久島町議会

■沖縄県(2):沖縄県議会、石垣市議会

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【広島】オーストラリア人観光客の夫婦2組が快く「ヒバクシャ国際署名」に応じる

広島県原水協は2月6日、広島市内で6・9行動を行いました。

オーストラリアから旅行中の2組の夫婦が快く署名してくれました。「以前にもう署名した」という男性は、安倍首相の国会答弁を見て、「安倍をやめさせる署名ならいくらでもやってやる」と怒りをぶちまけていました。

行動には19人が参加し、39人分の「ヒバクシャ国際署名」、カンパ1000円が寄せられました。

(広島県原水協事務局長・古田文和)

【広島】東広島市原水協が新成人に「ヒバクシャ国際署名」を呼びかけると署名板を持って行き友人から集めてくれるなど過去最高数が集まる

東広島市原水協は1月14日、春を思わせるような温かい陽ざしの中、会場の東広島総合運動公園で式典を終え、友人・家族らとにぎやかに記念写真を撮っている新成人に「核兵器のない平和で公正な世界を実現しましょう。核兵器禁止条約を一日も早く発効させましょう!」「おめでとうございます。成人の日の記念にぜひ署名してください!」と「ヒバクシャ国際署名」を呼びかけました。

署名に応じてくれていた新成人に「この署名は国連に届けます」と話すと署名板を持って友だちのところに行き、署名を数筆集めてきてくれました。また成人式参加のお姉さんと一緒に来た小学生は、母親や姉が署名するのをじっと見つめていて、自分も書きたいと生まれてはじめての署名をしてくれました。

私たちは毎年市の教育委員会に署名許可を申し入れています。今年は会場入口から少し離れた場所になりましたが、少しでも目立つように工夫して横断幕、のぼりを立て、大型の折り鶴、広島・長崎原爆被害展示組写真も展示してアピールしました。

参加者14名、1時間ちょっとの行動で264人分の署名が集まりました。今までの最高の数でした。

(東広島市原水協・綿岡早苗)

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【広島】今年初の「6・9行動」 日本国民の過半数を目標にしていて、国連に出すと聞いた10代女性が驚いて署名

今年初の「6・9行動」は、24人が参加。約30分で「ヒバクシャ国際署名」62人分、カンパ1200円が寄せられました。

年配の男性がすっと寄ってきて署名し、「がんばってください」と激励してくれました。

また、10代の女性は、「この署名は、日本国民の過半数を目標にしていて、国連に出すんですよ」と説明すると、「えーっ そうなんですか」と驚きながら署名してくれました。

またこの日の午前中には、広島市原水協が「第450回座り込み学習会」を平和公園・記念碑前で行い、30人が参加しました。1981年に始まり、毎月1回継続してきたものです。

(広島県原水協事務局長・古田文和)

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【広島】呉原水協が豪雨災害の被災者にちひろカレンダー届け喜ばれる

思わぬ災害によって苦難の生活を余儀なくされ、元の生活に一日も早く戻ろうと頑張っておられる被災者に日本原水協が「ちひろカレンダー」を贈呈しているキャンペーンで、私たち広島県・呉原水協では、12月18日、呉市会議員に同行してもらい、呉市で最も死者が多かった天応地区の被災地を訪問しました。

7月6日の西日本豪雨災害では、岡山・広島県で大きな被害をもたらしましたが、呉市は広島県での死者・行方不明114名のうち25名が亡くなりました。家屋の被害も全壊115戸など800戸以上に及んでいます。呉から広島への交通網も、土砂崩れなどでJR、自動車道、国道が不通となり、しばらくの間「陸の孤島」になっていました。5ヶ月以上経過した今、交通事情は元に戻っています。

今回訪問した天応地区は、呉市では西部に位置し、広島市に最も近い地域です。未曾有の災害となった日、地域の中心部を流れる大屋川の氾濫によって家屋が埋まったり、浸水して市内死者の約半数の12名が亡くなっています。災害後、40戸が建設された仮設住宅と、浸水被害が大きかった天応宮町の被災宅を訪ね「東日本大震災から、被災した人が少しでも元気になってほしいと、ちひろカレンダーを届けている。一日も早く元の生活を取り戻すように私たちも応援しています」と励まし、「ヒバクシャ国際署名」のお願いもしました。カレンダーを受け取った被災者からは「立派なカレンダーで嬉しい、喜んで使わせてもらいます」と感謝の言葉をもらいました。被災者には、広島県災対連の協力で「庄原米」1キロとトイレットペーパー2巻も一緒に渡しました。同行した呉市議は、災害直後から毎日欠かさず被災地を訪問して、要望の聞き取り・対話活動を続けていて「カレンダー贈呈は本当に良かったですね」と感激していました。災害に強い街づくり、「核兵器のない世界」を改めて決意した一日でした。

(呉原水協・森 芳郎)

【広島】県原水協と被団協の代表が原爆被爆者養護ホームを訪問し300人分の年末見舞金を届けました!

岡本さんに見舞金を贈呈する高橋代表理事

広島県原水協の高橋信雄代表理事と広島県被団協の佐久間邦彦理事長ら4人が、12月19日午後、原爆被爆者養護ホーム「舟入むつみ園」と「矢野おりづる園」を訪問し、全国から寄せられた被爆者への「見舞金」あわせて300人分を届けました。

「舟入むつみ園」では、県原水協の高橋代表理事が、入所者代表の岡本五百子(いほこ)さん(81歳)に、「原水爆禁止運動のなかで全国から寄せられた募金です。『核兵器禁止条約』がつくられましたが、早く発効させるため、来年は頑張ります」と挨拶し、見舞金を贈呈しました。岡本さんは、自身でつくった紙製の船などのキーホルダーを4人にプレゼントしてくださいました。

これに先立ち、同園の大知裕園長は、入所者が作成した紙製の小物入れとパタパタ鳩(伝書鳩=伝承鳩)を4人に手渡してくださいました。

橋本さんと石本さんに見舞金を手渡す佐久間理事長

また、「矢野おりづる園」では、県被団協の佐久間理事長が、入所者代表の橋本翔子さん(93歳)と、石本美代子さん(86歳)に見舞金を手渡しました。橋本さんは被爆当時20歳で、妊娠中。爆心から約1kmの羽衣町で被爆し、吹き飛ばされたショックで9日に早産した子どもを翌日亡くしたこと、当時女学生だった石本さんは、宮島で避難してきた人を救護した体験を語ってくださいました。

2人とも「核兵器は絶対なくさなければいけません」と強調しておられました。

NHKとテレビ新広島が取材し、テレビ・ラジオの昼と夕方のローカルニュースで放送しました。

20日には、安佐北区原水協の松本真筆頭代表理事らが、同区内にある「倉掛のぞみ園」を訪問し、300人分の見舞金を贈呈する予定です。

(広島県原水協事務局長・古田文和)

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【広島】県災対連のメンバーと一緒に坂町の仮設住宅にちひろカレンダーを届ける

12月8日に県災対連が行った2回目の坂町の仮設住宅訪問行動に、神部県労連議長など県災対連の5人とともに原水協から私(古田)が参加しました。

11月23日以来、2度目の訪問となるこの日は、この冬一番の冷え込みとなり、2人ずつ3組に分かれて「ちひろカレンダー」、お米、トイレットペーパー、ティシュ—ペーパーなどをセットした袋を渡しながら訪問しました。あまりに寒いため、玄関先での長話はできませんでしたが、どのお宅でも「ちひろカレンダー」は大変喜んでくださいました。小学生2人の子どものいるお母さんは、「仮設は狭いので子どもたちが—-」とおっしゃっていました。

仮設住宅訪問をすませた後、もっとも被害のひどかった小屋浦地域へ移動して訪問しました。家を修理中の方もおられましたが、大半が家の中に土砂が入ったなどで避難したままの方が多く、写真のようにほとんど手つかずの状態でした。

2時間余りの行動で、40軒を訪問できましたが、元の状態に戻るにはまだまだ時間がかかります。もうここへは戻らない、という方もいらっしゃいます。

(広島県原水協事務局長・古田文和)

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【広島】冷たい雨の中、今年最後の6・9行動 新しい「募金箱」も活用して被爆者援護・連帯募金も呼びかけ

広島県原水協は12月6日、冷たい雨の中、広島市内の金座街で今年最後の6・9行動を行いました。新しい「募金箱」も活用し、被爆者援護・連帯募金も呼びかけました。

神部・高橋両代表理事がハンドマイクで、今年最後の金座街での署名行動であることや、募金は年末の被爆者へのお見舞に使われることなどを訴えました。行動には13人が参加し、30分で28人分の「ヒバクシャ国際署名」、550円のカンパが寄せられました。いつもより人通りが少なかったのが残念です。

(広島県原水協事務局長・古田文和)

【広島】ヒバクシャ国際署名県推進連絡会が平和公園入口の元安橋で署名行動

ヒバクシャ国際署名広島県推進連絡会による「ヒバクシャ国際署名」が11月20日、12時半から13時まで、平和公園入口の元安橋で行われました。

15団体から31人が参加し、310人分の署名が寄せられました。

最初に二つの県被団協の佐久間理事長、箕牧理事長がそれぞれ挨拶し、観光客や市民に広くアピールして署名を集め、核兵器廃絶の世論を大きくしようと訴えました。

広島県原爆被害者団体協議会(県被団協)の吉岡幸雄副理事長は、外国人観光客に足のケロイドを示して、原爆被害のすさまじさを強調していました。

足のケロイドを見せて原爆の被害を説明する吉岡副理事長

また、滋賀県大津市から来た修学旅行の小学生が、集団で署名してくれました。

(広島県原水協事務局長・古田文和)

【広島】元安橋で米臨界前核実験に抗議しながら「ヒバクシャ国際署名」行動 30人のイタリア人観光客団体のほとんど全員が署名

広島県原水協は10月13日、元安橋で米臨界前核実験に抗議しながら「ヒバクシャ国際署名」を行いました。

県原水協・被団協・新婦人などからおよそ30人が参加しました。

イタリアのトリノから来た30人ほどの団体にガイドさんがよく説明してくれたことで、ほとんど全員が署名してくれました。

行動の最後に、原爆ドームをバックにして「米の臨界前核実験に断固抗議!」と書いた紙を掲げアピール。外国人観光客が「何事か」と写真に収めていました。

45分間の行動で、272人分の署名が寄せられました。

(広島県原水協事務局長・古田文和)

【広島】両親とも被爆者の被爆2世が不安な胸の内を語る

広島県原水協は10月9日、市内で6・9行動を行いました。6日が台風接近のため、急遽変更して実施したものです。11人が参加して、35人分の「ヒバクシャ国際署名」が寄せられました。

両親とも被爆者という女性は、「父親が中学生のときに動員で市役所にいて被爆。袋町小学校で治療を受けている様子が写真に撮られ、資料館にその写真が展示されている」と話しました。父親は74歳でがんのため亡くなり、母親も最近がんで亡くなったということで、「被爆2世の自分には何の医療的支援もなく、とても不安だ」と語っていました。

(広島県原水協事務局長・古田文和)

【広島】県内各地で核兵器廃絶国際デーに呼応して「ヒバクシャ国際署名」行動

広島県原水協は9月26日、八丁堀交差点で核兵器廃絶デーに呼応した「ヒバクシャ国際署名」宣伝行動を行い13人が参加、30分で署名39人分、カンパ400円が寄せられました。

神部泰、高橋信雄両県原水協代表理事がハンドマイクで、今日が核兵器廃絶国際デ—であることや、核兵器禁止条約の署名国・批准国が徐々に増えていることを説明し、一日も早い発効へ世論を盛り上げようと訴えました。

60代の女性は、以前呉市で労働組合の活動をしており、その頃のことを思い出す、と署名し、カンパもしてくださいました。市民の反応がいまいちだったのは、広島カープが優勝目前で足踏みしているせいでしょうか?(笑)

また、福山市原水協は22日(土)、福山駅前で原爆パネルを並べて「ヒバクシャ国際署名」をよびかけ、9人が参加して、1時間で72人分の署名が寄せられました。写真を並べたことで、ビラをゆっくり読む人や「ヤバい」と声を上げる高校生など、これまでに反応がありました。

さらに、呉市原水協は19日、呉駅前で5人が参加して「ヒバクシャ国際署名」を行い、40分間で39人分が寄せられました。

(広島県原水協事務局長・古田文和)

【広島】県原水協・被団協が原爆ドーム前と元安橋で核兵器禁止条約調印・批准開始1周年の記念集会と「ヒバクシャ国際署名」行動

広島県原水協と同県被団協は9月15日10時から、核兵器禁止条約調印・批准開始1周年の記念集会と「ヒバクシャ国際署名」行動を原爆ドーム前と元安橋で行いました。

断続的に降り続いていた雨が、開始30分ほど前から止み、開始後は薄陽も照るようになりました。

集会では、広島県被団協の佐久間理事長、新日本婦人の会県本部の森会長、民主青年同盟広島県委員会の弘中県委員長が、それぞれ「ヒバクシャ国際署名」の目標達成へ向けて決意表明。拍手で「アピール」を採択しました。集会の最後に、原爆ドームをバックに「核兵器禁止条約の早期発効を!」と書いた紙を参加者全員で掲げるパフォーマンスを行いました。 その後、元安橋へ移動し、約30分間「ヒバクシャ国際署名」を集めました。

集会には70人、署名行動には36人が参加、「ヒバクシャ国際署名」は106人分が寄せられました。被爆者の吉岡幸雄さんは、2人連れの外国人に足のケロイドを示しながら、原爆による熱線の影響などを懸命に説明しつつ、署名への協力を訴えていました。

マスコミは、NHK、広島ホームテレビ、「朝日新聞」、「産経新聞」が取材しました。

(広島県原水協事務局長・古田文和)

【「原水爆禁止2018年世界大会の記録」9/1発刊 】協同の力で核兵器禁止条約の早期発効・廃絶実現を!

クリックすると申込書(PDF)がダウンロードできます

被爆73年を迎えた8月2日から9日まで広島と長崎で開催された原水爆禁止2018年世界大会には海外22か国91人をはじめ、広島大会に6000人、長崎大会に1500人の代表が参加し、核兵器禁止条約の早期発効から廃絶を実現する決意を新たにしました。

昨年7月7日に国連で採択された核兵器禁止条約は8月24日現在、調印60か国・批准14か国です。世界は超大国の力による支配から、平和でより公正な秩序を望む圧倒的多数の政府が市民社会の運動と力を合わせて未来を切り開く新しい時代へと変化する中で開かれました。

核兵器禁止条約の交渉で中心的な役割を果たしたアイルランドとオーストリアの政府代表が大会に参加され、フォーラム「核兵器禁止・廃絶へ、政府とNGOの対話」で発言された内容の全文を読むことができます。

また、ことしの大会は、南北首脳会談、米朝首脳会談と、北東アジアにおける核兵器と軍事対立の危険から、非核と平和体制の構築への大きな変化が生まれる中で韓国から被爆者の皆さんを含め、たくさんの代表が参加しました。韓国・参与連帯の代表の国際会議の発言から最新の情勢を知り、日本が果たすべき役割を考えることができるでしょう。

話題になった開会総会での戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会共同代表の福山真劫さんの連帯あいさつや、辺野古に新基地を造らせないという決意を語ったオール沖縄会議事務局長の山本隆司さんのスピーチも全文収録。「ヒバクシャ国際署名」の協同へのヒントもたっぷり詰まって秋の行動から今後1年間の原水爆禁止運動にとって必携の1冊です。学習会などで大いにご活用ください。

●原水爆禁止2018年世界大会の記録 (B5版 182ページ) 頒価 1,500円(送料込) 編集・発行 原水爆禁止世界大会実行委員会

ご注文は、あなたの街の原水協へ

【問合先】 原水爆禁止日本協議会(日本原水協) 〒113-8464 東京都文京区湯島2-4-4 平和と労働センター6階 Tel:03-5842-6031 Fax:03-5842-6033 E-mail : antiatom55☆hotmail.com (メール送信時、☆を@に変えてください。)

【証言】「私の被爆体験」松本秀子さん(広島被爆)

証言する松本秀子さん(2016年8月6日、広島)

私の被爆体験 松本秀子

私は昭和20年の8月6日まで(人類最初の核爆弾が投下された日)広島市材木町に10人家族で住んでいました。その材木町は今の平和記念公園の中心あたりにありました。今は材木町という町名すら残っていませんが、そこにはひと抱えほどの自然石に【材木町跡】と刻まれた石碑が説明板と並べて建てられています。

最近でも時折「原爆が落ちたのが誰も住んでいない公園でよかったね」という声を耳にします。とんでもないです。今でこそ広い静かな公園になっていますが、広島で一番にぎやかな場所で、大きな商店が軒を並べ、たくさんの人が暮らす繁華街だったのです。そこへ原爆が投下され、中島地区一帯は廃墟と化したのです。そして復興の過程でこの広い祈りの場ができたのです。

爆心地から1㎞圏内には、南に広島県庁があり、北に広島城が高くそびえ、広島は日清戦争の頃には大本営が置かれる軍都だったのです。

昭和20年頃にはアメリカ軍の空襲を受けるようになりました。

空襲火災の延焼を防ぐため、建物強制疎開が急ピッチで行われ、その後片づけに市内中の中学生男女1、2年生全員と、近郊の人達も動員されて作業にとりかかろうとしたその時・・・。

私はいつものように朝7時頃、母の作ってくれたお弁当を持って「行ってきまーす!」と家から3㎞南の翠町にある女学校へ行きました。これが家族との今生の別れになるとも知らず、校舎の2階で友達とお話をしていました。

すると、突然、本当に突然、何の前触れもなく、世の中がオレンジ色に包まれ、とっさに机の下にもぐり込みました。それから静寂の5〜6秒、今のうちにと立ち上がった瞬間、ものすごい爆風と爆圧に圧迫され、粉々になったガラスを右側面の顔、肩、腕に受け、血を流しながら校庭の防空壕まで走り込みました。

そのあと、何の動きもなく、学校からの指示もなく「市街地が大変なことになっている」との情報があり、家に帰ることにしました。お昼頃、御幸橋の上には今のものすごい閃光に身を焼かれ、火煙の中から逃れて来た人達が倒れ込み、座り込む人、髪は逆立ち、皮膚は引き裂かれて垂れ下がり、次から次へと足を引きずりながら避難して来る人、人、人。どうしてあげることもできず、声も出ません。地獄でもこれ程ではないであろう程の惨状です。

この人達はつい先程まで、セーラー服姿の可愛い少女や、ゲートル姿の凛々しい男子中学生でした。やがて軍隊のトラックで江田島や、鉄輪島に収容されたようです。

その日は我が家には帰れず、大混雑の中、材木町の近所のおばさんのご実家に誘われてお世話になりました。その晩、広島が燃える真っ赤な夜空に誰も一睡もせず、翌7日早朝我が家を目指すも、まだまだ火が残っていて入れず、8日やっとあの我が家が・・・あの材木町が・・・見渡す限りの地球が私の足下に崩れ落ち、どことも知らない荒野にひとりポツンと立っている感覚、そのうち体が小刻みに震え、だんだん大きくなり、泣いていました。その声はまわりの不気味な静寂の中に吸い込まれていきました。

ようやく変わり果てた我が家に入りました。我が家の玄関と台所辺りにきれいな白骨が2体ありました。「ああ、お母ちゃんだろうか?」・・・「お姉ちゃんだろうか?」・・・見覚えのあるお茶の缶に拾いました。カラカラと鳴りました。

我が家の周りには炭のように変わり果てた、4〜5体の物体が・・・「これは弟の衛君ではないか」・・・「妹の記子ちゃんでは?」・・・と思いましたが、私はどうすることもできませんでした。

放心状態で歩いていると爆圧で両目が2〜3㎝も飛び出した遺体にもあいました。炭化したお母さんとまだへその緒でつながった赤ちゃん親子の遺体に思わず手を合わせました。南無阿弥陀仏。

空襲火災の延焼を防ぐため防火帯をつくろうと、建物疎開の後片付けに動員されたまだ12、3歳の男女中学生が、火傷の体を必死で支えながら親の迎えを待っていました。中にはすでに命尽きた人も・・・。

惨いことに土橋辺りでは、たくさんの亡くなった人を兵隊さんが1か所に積み上げて荼毘にふしておられました。

私の同級生もお父様や、可愛がっていた弟さんを自分の手で荼毘にふしましたと、同窓会の時に話しておられました(その時彼女らは15歳の子どもでした)。

9日朝早く町の要所に書き出してある救護者名簿のおかげで父と鉄輪島で会う事ができました。父は中広町辺りの知人の家で建物の下敷きになりましたが、幸い大きな外傷はなく目を痛めていました。

鉄輪島にも大けがや火傷をした男女学生さんが、バラックの兵舎に収容されて看護を受けていましたが、次々に亡くなっていき、肉親の声をひと目、ひと声聞くこともなく裏の山に葬られていきました。

その間にも、空襲警報のサイレンに身を潜めながらの生活です。鉄輪島で二晩お世話になり、音戸へ行くべく市内を歩いていましたら、天満川のほとりで妹の喜久ちゃんの服の切れ端が私の目に留まりました。母の着物を仕立て直して私とお揃いを作ったのです。

あの日の朝、13歳の妹は土橋へ疎開の後片付けに行くと言っていました。閃光を浴びてくすぶる服を脱ぎ捨てながら天満川に入って行ったのでしょうか。7日の日に私はあのそばを通ったのに、見つけてあげることができませんでした。胸が痛みます。一生忘れることはできません。

17歳の姉は当時流川に在った「中国新聞」本社に勤めていましたが、消息もわかりません。母はあの時、家の下敷きになりながらも、とっさに私達子どもを両手に抱きかかえてくれたのだと思います。今も平和公園の下には、たくさんのお骨や暮らしていた街が埋まっています。2〜3年前、若い女性が「この辺りはそっと歩いてほしい」と静かな祈るような口調でインタビューに答えておられました。

慰霊碑の北西に直径10m位の丸い土まんじゅう形の原爆犠牲者供養塔があります。ここには国籍、宗教を問わず、約7万人のお骨と慈母観音像が納められています。私の家族、当時40歳の母、17歳の姉、13歳の妹、小学1年生になったばかりの元気な弟勉君6歳、4歳の妹記子ちゃん、2歳の弟衛君もこの供養塔に納められています。私にとって大切なお墓です。材木町に来たら必ずお参りに来ます。父と私は音戸に行き、疎開していた弟妹達も音戸で親戚のご好意で生きてきました。

父は、妻と子どもの6人と生活の基盤一切を一度に奪われ、その上、ひどい原爆症に痛めつけられ、髪の毛は抜け落ち、体中パンパンに腫れ上がり、口中の肉は溶け、歯は勿論のこと上顎の骨まで溶け落ちてしまいました。それを見てみんなで放射能の恐ろしさに震え上りました。42歳の壮年の父がいっぺんに100歳のおじいさんに変貌してしまいました。原爆症に痛めつけられ、その上がんを併発して父は58歳の若さで亡くなりました。

この戦争は何のための戦争だったのか?あの恐ろしい原爆は何をするための爆弾だったのか?犠牲になった人達に、お父さんに、お姉ちゃんに、妹達に何と報告すればいいですか。もうすぐみんなに逢いますけど・・・。

私は広島に行くのがイヤでした。当分行けませんでした。我が家を土足で踏みにじられているような気がして、今でも数字の8と6が並んでいるのを見ると体が緊張します。でも今は年齢も重ね、歌の好きな私は素晴らしい先生のご指導のもと、お仲間と一緒にコーラスを楽しんでいます。これも平和な世であればこそです。

戦争のない、核兵器のない世の中を願って世界中からこの広島に大勢の人が集います。この願いがあの人と、この人とハイタッチでつなげられたら素晴らしいと思います。つなげましょう。

「ピカドンが落ちたら 昼が夜になり 人がお化けになる」

被爆間もない頃、「中国新聞」に掲載されていた児童の句です。

原爆資料館の東側記念館に原爆投下直後の様子を被爆者が描いた絵が展示されています。シリーズごとに入れ替え展示されます。是非ご覧ください。