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2014年原水爆禁止国民平和大行進<北海道−東京コース(太平洋側)>山口逸郎さんの行進日記(5月29日〜6月17日)

5月29日(木)曇り後晴れ 豊浦町、長万部町

山田議員が迎えに来て町役場へ。車を駐車場に止めて、2人で横断幕を手に町役場入口までの200mを「原水爆禁止平和行進です。豊浦町を歩いています」と大声で呼びかけて歩きました。山田議員が昨夜私の訴えに応えてくれたのです。大変嬉しかったです。その足で町長、議長、教育長を訪問。副町長とそれぞれの代理の方が対応して下さり協賛金、ペナントを受け取りました。町長を支持する山田町議が与党の立場であることから話が弾みました。

午後1時30分の迎えまで旅館で待機。書き残した日記を書きます。休むヒマなし。そこに山田議員が当地特産のイチゴを差し入れに来てくれました。入れ違いに立野洞爺湖町議員が交流会の写真を届けに来てくれました。両議員さん有難うございました。1時30分に高橋さんがご夫婦で迎えに来て下さり、長万部町に向かいました。車の中で「温泉に行きましたか」と聞かれ、前日の打ち合わせの時に言われていた行動予定ではなく、旅館みねで休憩していたと答えました。どうも高橋さんと山田町議とは打ち合わせ不十分の様子です。2人から聞く時間もいつも違っていました。私としては日記の整理が出来て良かったですが。

北海道は町といっても広く、50分後の2時20分に長万部町の温泉旅館大成館に着きましたが、引き継ぎなしで高橋さんは帰っていきました。残された私は旅館で待機していましたが誰からも連絡がありません。連絡表には93歳の佐藤弘さんの名と電話番号のみ。93歳と書いてあるので連絡せずに待っていましたが音沙汰なし。業を煮やした私はたまらずに佐藤さんに連絡すると、6時に迎えに行くまでそこで待ってくれとのことでした。両者の引き継ぎが?です。

5時30分前に急に迎えが来ました。聞くと行進は6時出発とのこと。あわてて仕度をして宿を出ました。車の中で明日の予定など聞くと佐藤さんに聞いてくれと言われました。どうも93歳の佐藤さんが仕切っているようです。出発地点近くには既に地元の横断幕と各団体の旗が数本立てられてありましたが人は誰もいません。私も横断幕を取りつけていると、ハンドマイクのスピーカーから声が聞こえてきました。ちょっと離れた出発地点で93歳の佐藤さんが街の人に呼びかけ訴えている声でした。参加者が次々と来てくれます。なかには6時半ではなかったのかと言う人もいました。参加者一人ひとりと感謝の握手をし、最後に私より10歳年上の佐藤さんに敬意を表して握手をしました。

2年前の10数日間、カンパ活動をしながら平和行進に参加した静岡県の91歳の高橋さんを思い出しました。行進参加14回の竹田昭彦さんから昨年京都で100歳になる元校長先生が3日間歩いたことも聞きました。皆さん、平和行進を生きがいとして頑張っている姿に頭がさがる想いです。私も負けずにガンバラネバ。

ハンドマイクを車の屋根に取りつけ6時に行進出発。原水協代表で僧侶の三浦さんと並んで横断幕を持ち先頭を歩きます。後ろには69回と書かれた地元の横断幕が続き、各団体旗を持った人たち約10人の行進団。佐藤さんは車に乗り、ハンドマイクで街の人に呼びかける声はハリのある93歳とは思えない声です。人通りは少ないですが、私も両手を振りながら大声で車や通行者に向かって呼びかけました。ここもシャッター通りです。1km30分の行進でした。病院前の広場で終結集会。佐藤さんの司会で三浦会長の挨拶後、私も皆さんと行進する喜びを話しました。佐藤さんから明日の行動予定を言われ終了。唯一参加した婦人から種々の品が入った袋をプレゼントされました。有難うございました。参加者一人ひとりにお礼の握手をして解散。

『歩く』DVDは1本普及。あと3本です。

5月30日(金)晴れ 長万部町、八雲町

今朝の予定では9時に役場へ向かうのが、急に8時30分と早く、あわてて身支度し、佐藤さんと七尾公夫町議と共に町役場へ。議長、教育長、町長とお逢いし、それぞれ協賛金、ペナントを受け取り、元町議の佐藤さんは大先輩、皆さん敬意を表して歓談。あわただしい訪問でしたが無事終わりました。

佐藤さんの案内で平和祈念館へ。前庭には本郷新さんの彫刻「嵐の中の母子像」(1953年作)「わだつみのこえ」(1950年作)、「北の母子像」「鳥の碑」「鳥を抱く女」の5体と峠三吉さんの詩ふたつが設置されてありました。10時前でしたが管理、解説者で教育委員会の名平さんが館内を案内し、説明して下さいました。館内には井上長三郎、丸木位里・俊各氏の絵や本郷さんの裸婦像の他、日本、世界の各国の石造、石仏、隠れキリシタン等588点が展示されています。これらは建物も含めて、当地で開業医をされていた工藤豊吉氏が寄贈されたものです。「なんでも鑑定団」に値をつけてもらったら、総額何十億円にもなるのではないでしょうか。これだけの物を収集されていたことに驚きました。ただ残念なことは、これらの品を展示するにはもっと広い場所でゆっくりと観せてもらえればと思います。植木蒼悦記念館、郷土館を含めて解説してくれた名平さんは、4月から解説者となったとか。同行した佐藤さんは感心しきり。ほめたたえていました。名平さん有難うございました。

昼食後、車で八雲町へ移動。竹浜俟一さんに引き継いでもらいました。佐藤さん、有難うございました。今後もお元気でご活躍を。

町役場を佐藤智子議員の案内で町長、議長、いずれも代理と教育長から協賛金とペナントを頂きました。行進は6時からで、それまで宿で待機。5時に迎えに来てもらい出発地へ。早速、横断幕を柵に取りつけて、道ゆく人、車に向かって平和行進ですと呼びかけました。参加の皆さんが次々に現れます。国立病院・医労連の若い男女が中心で礼文島の平均年齢に次ぐ二番目に若い人たちの平和行進です。1km20分の行進を元気よく終わり、記念写真。交流会は焼き肉店でおこなわれました。18人の参加で一人ひとり自己紹介あり。美味しい焼肉を食べながら聞きました。若い人たちです。大皿の肉や野菜は次々になくなり追加注文。3000円会費が予算オーバー、4000円となりました。私はお礼を込めてカンパしました。全員で記念写真を撮りました。若い女性に囲まれての撮影は嬉しいです。

『歩く』DVDは3本普及。残りあと1本。森町参加の島田さんが原水協から送られた5本を持って来てくれることになっています。

5月31日(土)晴れ 森町、七飯町、函館市

佐藤議員が町民と朝8時から駅前の花壇の手入れ作業を終えて迎えに来てくれて森町に移動。嶋田事務局長は来ていて大越さんから送られてきた『歩く』DVDを受け取りました。森町の行進に佐藤議員も参加し、森町原水協の高橋さんがハンドマイクを肩にして先頭を歩きました。9人の行進隊です。通行中のご婦人に呼びかけたらカンパ1000円札を渡して下さいました。行進中のカンパは初めてです。有難うございました。行進距離を延長しての約50分の行進が終わりました。土曜日のため事前に町長、議長、教育長からの募金、ペナントを受け取っていたのを渡されました。佐藤議員は地元へ戻ります。参加者一人ひとりと感謝の握手をして高橋さんの車で七飯町の大沼公園へ。湖といってもいいような名のとおり大きな沼です。

大勢の七飯原水協の皆さんに出迎えを受けて、挨拶もほどほどで昼食に。お店は原水協会員とのこと。嶋田さんから聞いていたように、2015年のNPT再検討会議に向けて町民過半数の署名を国連に届けようととりくんでいる町、七飯町です。1万5000筆を目指して現在、8000筆だとの報告。これからが大変と思うので頑張ってください。ここでも車を乗り降りしての行進。私の隣で横断幕を持って歩く上野町議の肩書は理学博士と書かれてあります。宣伝カーの声を聞いてご婦人が家から出てきて5000円のカンパを下さいました。行進団からお礼の拍手。有難うございました。

役場前の歓迎集会には中宮町長も土曜日にもかかわらず参加しての挨拶。町長の名刺には「千の風になって」誕生の地と書かれてありました。知りませんでした。七飯町では平和行進への協賛金、ペナントの受け取りなし。どうしてなのか? 福島県相馬から3人が参加しました。七飯町の行進も終わり、北海道最後の行進地函館へ向かいました。大中山コミュニティセンターで引き継がれて五稜郭駅へ行進。駅前には大勢が出迎えてくれましたが、通し行進者の山内さんの姿が見えません。駅の待合室で待っていたとのこと。なんということか!私は真っ先に新婦人の皆さんに握手して廻り、参加者の皆さんにお礼を言いました。北海道の最後の行進は函館の街を歩きます。6時近くに終結地に到着し集会をおこないました。26日間の行進は、2人もあり、500人もあった北海道での行進を思い出しました。北海道の皆さん、お世話になりました。有難うございました。さぁ明日から青森を歩くのです。集会後、交流会に13人が参加しておこなわれ、最後となる美味しい北海道の魚を腹一杯頂きました。

『歩く』DVDは3本普及。北海道で合計45本を普及しました。

6月1日(日)晴れ 青森市

朝、前夜北海道原水協から通し行進者に依頼されていた種々を整理し、精算書とお金を嶋田さんに渡しました。函館駅ホームで横断幕を広げて全員の記念写真。そこへ江戸川区小岩に住むというご婦人が来て一緒に撮りました。8時6分発でいよいよ青森へ向かいます。青函トンネルを初めて通ります。

10時過ぎに青森駅に着き、2人の出迎えをうけて集合地の平和公園へ。平和の塔広場には大勢の参加者が来ていました。

11時10分、北海道から青森県への引き継ぎ集会。真夏のような暑さのなかで始まりました。「核兵器なくせ。亡くなった平和の戦士に対して」黙祷。平和の塔の鐘が鳴ります。市役所の職員が休日出勤で操作してくれました。女性合唱団の3曲の唄。山内さんもトランペットを吹きます。各代表の挨拶後、私も挨拶しましたが声をつまらせました。情けない。260人が参加との発表。

12時いよいよ本州第一歩の平和行進が出発です。声高らかにして街行く人に呼びかけて歩きます。約1時間の行進が終わると、昼食をかねての交流会に私たち6人、山内、嶋田、福島からの参加の3人と私が案内されたところは、柳町グリーンベルトで、原水爆禁止運動で植樹された原爆さくら並木。桜の花が葉に隠れるように残っています。記念の看板も建てられてあります。谷川俊太郎さんが無署名で送られた詩「原爆をつくるな」、つくるなら花をつくれ、つくるなら家をつくれ、つくるなら未来をつくれ、戦争力はかせない、だが平和のためなら!がキッカケで運動が始まったと記されてあります。料理、飲み物を中にして20人が囲んでの交流会。話は弾み、爽やかな風もあり、暑さ忘れるひと時。嶋田さんと福島県からの3人が退席。嶋田さんと再び涙の別れ、今度は広島で逢いましょうと。福島の3人の方からは福島でお待ちしていますと握手をして別れました。時間が経つのが忘れるほどの交流会、3時過ぎまでおこなう。ご馳走さまでした。

『歩く』DVDは1本普及。

6月6日(金)小雨のち曇り 八戸町、南部町、三戸町、田子町、階上町

八戸市役所訪問後、小雨が降り出したので、急いで雨ガッパを取り出して着ました。小雨ですが雨中行進は札幌以来です。札幌での寒かったことを想い出しますが、ここではカッパを着ると暑いですが、ガマンして行進しました。

前日に引き続いて南部町、三戸町、田子町、階上町へ役場訪問。各自治体とも議会中のため町長、議長とは会えませんでしたが、それぞれ秘書課が対応して下さいました。三戸町の各店には馬場のぼるさんのネコの絵入りの垂れ幕があり、町長室には「11匹のネコ」のマラソンの絵が飾られてありました。各町内で行進し、階上町の行進で今回の行動予定は無事終わる。

八戸に戻って5時30分から「原発イラナイ」金曜日行動に参加しました。太鼓、ギター、タンバリンなどの楽器を打ち鳴らしながらの行進。私もリュックから2年前に岐阜で貰った鳴子を取り出し、打ち鳴らしながら行進しました。県原水協の2人、八戸原水協の2人と私の5人で青森県最後の夕食会をしました。お世話になりました。

6月7日(土)晴れ 五戸町、新郷村、三戸町、岩手県二戸市

青森県最終日の行進です。土曜日のため役場への訪問はなく、約30人が6台の車で移動しながら、五戸町、新郷村、三戸町の街中を行進しました。谷崎会長がいつものように帽子を取り、頭を下げて訴えながら歩く姿に感動しながら、私も青森県内最後の行進を元気よく、力一杯の声を出して行進しました。

昼食に店の都合で時間を取りすぎてしまい、行進で岩手県側の集会地に行くのは取りやめて車で金田一温泉駅前広場に乗りつけることになりました。岩手県側の参加者は約30人を超える方々が出迎えてくれました。引き継ぎ集会は辛く悲しい。お世話になった青森県の人たちと別れるのは辛い。情けないですが、私は声をつまらせながら青森県の皆さんにお礼の言葉、岩手県の皆さんには9日間よろしくお願いしますと挨拶しました。集会後、青森県の皆さん一人ひとりと握手し、谷崎会長、猪俣事務局長、新岡八戸事務局長とは抱き合ってお礼を述べてから岩手県の行進団に加わり、岩手県第一歩の行進出発。見送る青森の方々に大きく手を振りながら歩きます。

行進中、リュックサックを青森の宣伝カーに置き忘れていたことに気付く。谷崎、猪俣両氏が車で追いかけてきて届けてくれました。申し訳ない。ハッピードラッグから久慈コースの行進団と合流し、二戸町の街中を行進し、石切所公民館前に到着。館内で集会を開きました。私は北海道、青森県内の行進や各自治体訪問の話や2年前の思い出などを話し、交流しました。

『歩く』DVDは4本普及。青森県で合計12本普及。岩手県2本久慈の方も、幸先よし。

6月8日(日)曇り 二戸市、一戸市(小島谷、小繋)、岩手町

岩手県2日目の行進開始は午後1時から。宿でたまった日誌を書きました。昼食は堀内泰治二戸市原水協事務局長と釜揚げうどんを食べました。行進出発地の石切所公民館前には12人の方々が集まり、二戸市内の行進をおこなった後、3台の車に分乗して一戸市、小鳥谷・小繋、岩手町へ。一戸市では2人のお子さんと共にご夫妻が参加。2人の子は私と一緒に横断幕を持って歩きました。終了時にお礼のハイタッチをして別れました。

宣伝カーのアナウンサーは町議の女性、さすが名調子で呼びかけます。時々82歳の私が先頭に歩いていると紹介されるたびに、私は内心嬉しく思いますが、照れくさい。小繋では車での移動で行進なし。宣伝カーから代わったご婦人が原稿なしでアナウンサー。車の移動にもかかわらず「北海道礼文島を出発し、82歳の山口さんを先頭に歩いている平和行進です」とのよびかけには、私は面映ゆい思いがしました。岩手町さわやかクリニック前には遠藤洋史事務局長の出迎えがあり、2日目の行進が終わりました。院内での歓迎集会では、遠藤さんの司会で約20人の参加者が団体ごとに自己紹介し、私と津村岩手県原水協事務局長が挨拶しました。

『歩く』DVDは2本普及。合計60本を越えて61本となりました。

6月9日(月)曇り時々雨 岩手町、滝沢市、盛岡市

10時30分に岩手町役場へ副町長、議会事務局長と労組事務所も訪ねて協賛金、ペナントを受け取りました。早い昼食のため食欲がなかったので、ホットケーキとコーヒーを注文し、腹ごしらえしました。腕の日焼けが痒いのでさわやかクリニックで診てもらい、二種類の薬を受け取り塗りました。

雨が降り出し、出発集会は雨の中でおこないました。院長先生も診察を終えて挨拶して下さいました。梅雨に入ったのか、岩手県からは曇り空でした。終了近くにいわて沼宮内駅で雨があがりましたが、横断幕はビッショリ濡れていました。クリニック職員と別れを告げて車で移動。途中にある岩手町出身で戦争中移動演劇「さくら隊」にて丸山定夫さんと共に広島で被爆した園井啓子さんの記念碑に立ち寄り合掌。石河啄木記念館前から行進し、チャグチャグ馬っこの行進出発地点の滝沢市へ。村から市になったばかりの滝沢市役所では市長、副市長の皆さんと懇談し協賛金、ペナント、アピール署名を頂きました。外されてある「滝沢村」と書かれた看板をバックに市長とともにペナントをかざして記念写真を撮りました。いよいよ県庁のある盛岡市へ向かいます。

盛岡市の出発地点には160人の参加者で道路は一杯となっていました。直ちに行進の準備をし、全員がゼッケンを胸につけ、団体旗が手渡されて行進を開始しました。街の中を張り切って行進する私たちの呼びかけに応えて、道往く人やドライバーから手が振られ、嬉しく思いながら歩きました。行進団の後方ではアコーディオンの伴奏で歌を唄いながら行進しています。公会堂前に到着し、集会をおこない、市長、議長からメッセージが寄せられていることも報告されました。

『歩く』DVDは2本普及。

6月10日(火)晴れ・曇り時々雨 盛岡市、仙北町、矢巾町、紫波町

午前中は県庁、市役所を訪問。いずれも代理の方から協賛金、ペナントを受け取りました。出発前に取材に来ていた岩手朝日テレビからインタビューされました。放送されますように。12時10分からの盛岡出発集会には被爆者の会代表が挨拶して下さいました。市内行進が始まったら大粒の雨が降り出しました。土砂降りの雨です。急いで宣伝カーから傘を出して参加者に渡し、私は雨ガッパを着ました。宣伝カーからは「雨の中でも、暑いなかでも歩く平和行進」の声が流れます。雨中の行進が続きましたが、雨もあがり、太陽が顔を出し照りつけて暑くなり、濡れた横断幕も乾き出しました。行進第1ラウンドの終着地、川久保病院玄関前には病院長をはじめ、若い看護師さん、職員の皆さん100人近くが出迎えてくれました。歓迎集会では院長の挨拶から始まり、広島への世界大会に代表参加する3人の若き女性が紹介され決意を述べました。頼もしいです。終了後、参加者が多いのでハイタッチして廻りました。病院の若き男女も参加しての行進が続けられた後、2台の車に分乗した12人は次の地、矢巾町へ走りました。

役場の玄関前に車をつけると、岩手県被団協の下村次弘事務局長や地元の行進参加者と市長、議長(共に議会中)の代理の職員と労組役員が出迎えてくれました。集会後、職員5人と共に平和行進をおこない、私たち行進団は職員の方々と別れを告げて街の中の行進へと歩みをすすめました。終了地、JR矢巾駅前は開発計画の工事中。種々の問題点など聞きました。喫茶店で休憩後、今日最後の地、銭形平次のふるさと作家野村胡堂さんのうまれたところである紫波町古舘へ。10人ほどの人たちが待っていました。私たち5人と共に行進をおこない、紫波町役場の一室を借りての歓迎集会には約30人が参加しておこないました。5時を過ぎていましたが、副町長も参加して挨拶されました。最後はアコーディオン伴奏で「原爆をゆるすまじ」の全員合唱。アコーディオンのテンポが早く残念でした。

『歩く』DVDは5本普及。合計68本の手持ちは完売でした。

6月11日(水)雨のち曇り 紫波町、花巻市

昼近くになってから雨が降り出しました。12時10~20分に迎えにくるとの約束の時間になっても来ません。津村事務局長に連絡すると、手違いでとのこと。12時40分の出発集会の時間を遅らせてしまいましたが、集会中に雨はあがり行進を開始しました。20人の参加で街の中を歩きます。人影は少ないですが大声で訴えました。花巻市への引き継ぎには安藤まこと理事長と高橋範生事務局長の2人だけ。石鳥谷支所、大迫支所に立ち寄り、JR花巻空港駅前で署名活動。手分けして駅前と商店街へ。宮沢賢治の母校花巻農業高校の生徒が次々と下校してきます。呼びかけると署名してくれ、30分程の活動で33筆、2000円(1人が1000円、2人から500円)のカンパがありました。

沿岸コースとの合流集会地のなはんプラザ広場へ行く道は延々と続く登る坂道を歩きました。広場に私たちが先に着き、集会を始めようとしたところに宮古、釜石、遠野の沿岸コースの皆さんが車で到着。なんと神奈川の米山幸子さんと愛知の田中詔子さんの2人が車から降りてきました。びっくりしながら、しっかりと手を握り合いました。米山さんは沖縄の行進を終えて、震災被害地を田中さんと共に行進して来たといいます。私に続いて2人も挨拶しました。『歩く』DVDは郵便局から受け取ることができず手元にないので普及できず。関係者にチラシを渡すのみ。宿は3人とも花巻温泉の松田屋旅館になり、食事をしながらの歓談は弾みました。

6月12日(木)雨 花巻市、北上市

朝から雨が降り続いています。行進は午後からなので安藤まこと理事長が高村光太郎山荘記念館へ案内してくれました。この山荘は、高村光太郎が昭和20年4月13日の東京大空襲でアトリエが炎上し、5月に花巻町の宮沢清六方に疎開しますが、8月に宮沢家も戦災にあい、太田村山口の小屋に移り、農村自炊の生活を7年間送ったところです。山荘といってもこの小屋で冬の雪深い生活はさぞ大変なことだったろうと思います。

午後1時から出発集会に雨の中約20人が参加し、90歳の斉藤政一県被団協名誉会長が杖を持って参加し、挨拶してくださいました。頭が下がる思いです。15人が雨中の行動をした後、北上市堤ヶ丘の住宅地へ署名活動をしました。私は安藤理事長と共に宣伝カーを走らせながら署名の協力を呼びかけます。次の常盤台でも署名活動をおこない、65筆が寄せられました。

北上市大曲公民館へ行進し、公民館内で歓迎集会。会場は座敷です。雨でズブ濡れになったズボンの裾をまくり、靴下を脱いで素足になり席に着きました。30人以上の参加者で満員。挨拶後、3種の炊き込みご飯、山菜などが次々と廻ってきます。いずれも大変美味しくいただきます。ご馳走さまでした。今日は、アルコール抜きの休肝日にしようとホテルに行きましたが、夜の食事がフランス料理、前菜を見てついつい生ビール(ワインがなく)を注文し、休肝日にならず。

『歩く』DVDは2本普及。

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【国民平和大行進】被災地連帯 陸前高田で震災後3年ぶりの平和行進

130617_平和行進交流ニュースNo.9

 

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【岩手】パンフを使い学習を広げ、平和行進、世界大会への代表派遣をすすめよう 2013年岩手県原水協学校と平和行進実行委員会総会で確認

130511_岩手県原水協学校1

岩手県原水協は5月11日、盛岡市内で「2013年岩手県原水協学校」が開催されました。参加者は、県団体・盛岡市内団体と地域原水協から25人。日本原水協の田中章史さんが第一講座でパンフをもとに講演を行い、午後は第二講座で「東京電力福島第一原発事故の今。原発からの撤退を」と題して日本科学者会議岩手支部の松田和彦さんが、特別講座として、「岩手にもあったビキニ被災漁船」をテーマに岩手県平和委員会の吉田栄一さんがお話しされました。

田中さんは、原水爆禁止2013年世界大会について、2015年NPT再検討会議に向けた世界的な行動をスタートさせること、非核と9条輝く日本を実現することを主要なテーマにして開かれる。パンフをもとにした学習をすすめ、地域・職場で原爆展や署名行動をとりくみ、平和行進をすすめながら世界大会へ代表を送りだそうと訴えました。中でも北朝鮮核問題のこと、自民党の憲法改正草案は“国民が国家の行動を縛る”という立憲主義の立場を否定していること、そしてパンフには4人の自治体首長が登場し、いまも情勢にかみ合う発言をされていることなどについても触れました。

参加者からは、①パンフを使った学習会の大事さがわかった。原発ゼロと憲法のことなど今後の活動を考えるともっと議論が必要だ。②田中さんの憲法の話で、政権を縛る役割など触発された。などの感想が出されました。

活動交流では、2月の提起総会で確認した、署名目標10万筆、全ての市町村での原爆展の開催、世界大会に50人を目標とすることなどが提起され、確認した目標をやり遂げるため、平和行進の成功、世界大会への代表派遣に向けて地域や団体でとりくみを強めようとの決意が語られました。

また学校終了後には平和行進実行委員会総会も開催されました。今年は被災した沿岸地域で、一歩でも歩けるようにしたいなどの提案を受けて討論し、日程などを確認しました。

その後、原水協学校に参加した60歳代の男性が県内通し行進者として歩きたいと決意され名乗り出てくれました。

コットンマフラーWakabaの評判もよく、用意した10本は完売。県原水協代表理事で新婦人県本部会長の渋谷さんもマフラーを捲いて閉会のあいさつをしました。

【岩手】北上・和賀地区原水協が成人式行動で北上市長はじめ324人から署名集める

原水爆禁止北上・和賀地区協議会は1月8日、北上市のさくらホールでの成人式後に、6・9行動を行いました。

この日の式前のアトラクションに出演した高校生、式に参列した北上市長さんから、付き添いで一緒にいた父母の皆さんも快く協力していました。

この行動には10人が参加し、1時間半の行動で324人から署名が寄せられました。

福島に現在住んでいる成人の方は、「福島では原発の問題もあり、関連して核兵器は反対だ」と決意も込めて署名しました。

【岩手】久慈地区原水協が音楽イベントで原爆パネル展。「核兵器全面禁止のアピール」署名120人から集める

原水爆禁止久慈地区協議会が後援している「peace wave jamm実行委員会」は12月4日、岩手県久慈市文化会館 アンバーホールで「PEACE WAVE JAMM 2011 ~世界平和を願うコンサート~」を行いました。

今年は、1990年から始めて16回目を迎えました。参加した16バンドが持ち時間いっぱいに音楽を発表、曲と曲の合間に平和の思いを語りました。特別ゲストに北上市出身のマンドリンシンガー清心(きよみ)さんが登場しました。

会場ロビーには、原爆パネルが展示され、来場者から核兵器全面禁止のアピール署名が120筆ほど集まりました。また、今年の原水爆禁止世界大会の記録DVDを活用しました。

(久慈地区原水協・外里事務局長)

【岩手】日本原水協から宮古地区原水協へお見舞い金「世界大会代表派遣に使います」

宮古市内平和行進が行われた12日、日本原水協から宮古地区原水協へお見舞い金が送られました。日本原水協の前川史郎事務局員が「被災地から全国、世界へ核兵器廃絶の願いを発信してください」と話すと、木村事務局長は「世界大会代表派遣に役立たせていただきます」と答えました。

110426_被災3県特別報告

2011年4月26日に開かれた日本原水協第295回常任理事会で発言した被災3県(岩手、宮城、福島)原水協の代表の特別報告です。

【岩手】「元ちとせも賛同してるなんてビックリ」と女子高生が署名

原水爆禁止岩手県協議会は2月28日、盛岡市の野村証券前で新署名「核兵器全面禁止のアピール」開始盛岡行動を行い、11人が参加。いわて労連の鈴木露通議長(知事候補)がマイクを握り、参加者らが署名への協力を訴えました。

 

 

鈴木氏は「新しい署名は世界で唯一の被爆国の運動として、すべての国の政府に核兵器全面禁止条約の交渉に踏み切るように呼びかけるものです。毎年すべてが国連に届けられます」とのべました。

冷え込むなか、42人が署名を寄せ、女子高校生は「歌手の元ちとせも署名に賛同しているなんて、びっくりです」と話していました。

【岩手】第25回反核平和マラソン、釜石をスタート

「平和の願いこめ、気持ちよく走れました」

澄み切った青空が広がる6月1日の朝、岩手自治労連青年部(山﨑公生青年部長)が主催する第25回県内一周反核平和マラソンの出発式が釜石市役所で開催されました。

▲釜石市役所前を県北・県南のランナーが元気にスタート

 

出発式では渡辺孝文岩手自治労連書記長が「反核平和マラソンの歴史は四半世紀になる。昨年のオバマ米大統領の核廃絶の演説、そして先のNPT再検討会議での『合意文書』の確認など着実に前進している。これまでのみんなのちいさな一歩が世論を変えてきた」と強調。また、主催者を代表して山﨑青年部長が、5月のニューヨーク共同行動に参加した感想を述べながら「みんなで取り組んだ核廃絶署名を渡し、思いを伝えてきた」とあいさつ。地元釜石市職労の前川和久委員長代行が「釜石も過去に艦砲射撃で大きな被害を受けた。あらためて平和の大切さを感じる」と歓迎あいさつの後、野田武則釜石市長からもメッセージが寄せられました。

スタート前に渡辺書記長と山崎青年部長からランナーにタスキと千羽鶴が引き渡され、ランナーを代表して釜石市職労青年部の大澤翔さんが「平和と憲法を守るために最後まで走り続けます」と元気に決意表明。号砲とともに約30人のランナーが南北2コースに分かれてスタートしました。

▲渡辺書記長から折鶴の引渡し

 

釜石市から山田町までリレーしながら走った釜石市職労の3人の新入職員は、「天気も良く気持ちよく走れて満足です。核兵器問題についてあらためて考えさせられました」(大澤翔さん)、「合計3.5キロほど走りました。核兵器や平和問題は他国の問題だと思っていましたが、やはり自分たちの問題だと関心を持たなければだめですね」(澤口なつ美さん)、「海からの風で気持ちが良かったですね。オバマ大統領の『核廃絶』の演説を見ると世界も変わりつつあるのかなと思います。『核兵器はいらない』と思いを込め走りました」(佐々木慶太さん)と感想を述べてくれました。

出発式には自治労連本部青年部、岩手県原水協、岩手県被爆者団体協議会、非核の政府をつくる岩手の会などからメッセージが寄せられました。

反核平和マラソンはのべ800人のランナーがタスキをリレーしながら4日間をかけて広い県内を一周し、6月4日夕方、盛岡市役所前にゴールします。

▲山田町から宮古市に向かう大槌町職のランナー

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【岩手】県医労NPT代表派遣ニュース第3号

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