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原水協通信

毎月発行している日本原水協の機関誌です。国内外の反核平和運動についての情報が満載です。 日本原水協のウェブサイト→ http://www.antiatom.org/

「核兵器の全面禁止を!」

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【2014国際青年リレー行進】マラヤ・ファブロスさんの日誌(6月26日)

6.26(1)

2014年6月26日 京都から奈良へ引継ぎ

みなさんこんにちは!おひさしぶりです!

私はマラヤ・ファブロスです。2014年の平和行進のブログに投稿します。原水協が核兵器廃絶の平和行進の一環として国際青年リレーを組織するというチャレンジを引き受けてくれたので、リレー行進者として平和行進にフィリピン、グアム、インド、アメリカそして日本などさまざまな国の青年が参加することになりました。

私もリレー行進者の一人として奈良県内を4日間歩きます。それに加えて大阪を2日間、ニーニョ・デシエルトさんという、フィリピンのミンダナオ島(フィリピン南部の地域)からのリレー行進者の青年と一緒に歩く予定です。

これまでのところ、このブログの最後の投稿者は西田ちひろさんです。彼女は5日間かけて滋賀県内を行進し、京都の星琢磨さんにリレーを引継ぎました。それから、星さんが京都を歩き、国際青年リレー行進の旗を私に引き継ぎました。星さんも京都の平和行進の報告を書いてくれるので、そのうちブログに掲載します。

以下、6月26日の京都から奈良へのリレー行進の引渡しの様子を報告します。

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6月24日の夜、フィリピンから奈良に到着しました。翌日、新婦人の女性の方が奈良市郊外にある法隆寺を少し案内してくださいました。このお寺は日本最古のお寺で、釘を使わずに建てられています。午後は新婦人の事務所で少し休憩をしてから、とても親切な湯沢さん夫婦とご友人と一緒に夕ご飯を食べました。

6月26日の正午に奈良県原水協事務局長の梅林さんが、五十嵐さんと一緒にホテルに迎えに来ました。五十嵐さんは、今年の平和行進通し行進者のお一人で、和歌山-広島コースを歩いています。東京-広島コースと和歌山-広島コース(全国で約10の異なるコースがあります)は4日間一緒に奈良県を歩くことになっています。

五十嵐さんと再会できてとても嬉しかったです。昨年は東京と広島(平和行進の出発と終結)でお会いしました。五十嵐さんが私のことを覚えていてくださってとても嬉しかったです。今回は旅の前に日本語の単語を覚えるように努力をしてきたので、彼の言っていることを少し理解することが出来ました。(大体前よりも10パーセント増しくらい)(^-^)

お昼の前に、梅林さんが般若寺に連れて行ってくださいました。そこで岡谷さんとお会いしました。二人が午後、私が言葉の壁を乗り越えるお手伝いをしてくれます。お寺のすぐそばにある屋根つきのベンチでみんなで昼食をとりました。梅林さんがそれぞれに特大のお弁当を渡してくれました。JR職員の人たちのお弁当でたった400円だと教えてくれました。値段に比べてすごい量です! 半分も食べきることができず、残りはバックにしまいました。

6.26(2)

京都からの行進者の方々を待っている間に、お寺の中を回りました。境内には広島の火を灯し続けている塔があります。岡谷さんが、ある広島の人が、原爆が投下されてからずっと後まで火を灯し続けていたと説明してくれました。やがてその火がこの塔に、真の平和と正義のための不滅の祈りのシンボルとして届けられました。また、この火は世界から全ての核兵器が廃絶されるまで灯され続けるのだそうです。

原爆の火のほかに、塔には平和の祈りの際にも鳴らされるとても古い鐘がありました。第二次大戦中も守られた古い鐘の一つです。第二次大戦中、多くの鐘や貴重な金属は溶かして武器や弾薬を製造するために供出されました。岐阜県と滋賀県でも供出を免れた鐘を見ることが出来るところがあります。

般若寺は季節によっていろんな色彩や花が見られる庭園でも有名です。この日の午後は、たくさんのコスモスの花が私たちを出迎えてくれました。心が和む眺めでした。

午後1時ごろに京都から平和行が到着しました。彼らの到着は大勢で力強く、元気の良い音楽と拍手で迎えられました。東京-広島の通し行進者の竹田さんと田中さんにお会いしました。また、星琢磨さんとも初めて会いました。彼は私たちの国際青年リレーの京都行進者です。「ほし」というのは星の意味だと説明してくれたので、彼の名前はきっと覚えられると思います。「星のほしたくまさん」と思うことにします。星さんは親切で優しい人に見えました。彼も行進を楽しんだことと思います。星さんから青年リレーの旗を引き渡され、次は私が毎日これを掲げて歩く番です。

6.26(3)

星さん、お疲れ様でした!

私たちは般若寺を午後1:20頃に離れ、奈良県庁へ続く大通りを歩きました。県庁の大きな建物の反対側には緑の芝生の上を歩き回る鹿で有名な奈良公園があります。

6.26(4)

私たちは県庁の皆さんに迎えられました。彼らの歓迎はあたたかく、県知事のメッセージを読みあげ、平和行進への支援としてペナントと募金をくださいました。岡谷さんは私に、今の県知事はとても保守的なことで有名なので、私たちの今日の行動に参加があるとはとても思えなかった、と教えてくれました。私も県知事のメッセージがどんな内容だったかはよくわかりません。

6.26(5)

10~20分の休憩の後、奈良市役所に向かって歩き続けました。ある新婦人の女性が淹れたてのコーヒーを一杯くれました。飲むときがくるまでわかりませんでしたが、後でとても役に立ちました。

両側にお店が立ち並び混雑した通りを歩くころには、雨がとても激しくなっていました。3時近くになっており、仕事や学校から家に帰る人々で道路が混みはじめました。

雨がかなり激しく降り注ぐので、屋根のあるバス停で雨宿りして雨がおさまるのを待つことにしました。手にしたカップ一杯のコーヒーが体温を保ってくれてとても助かりました。(昨年、平和行進でいただくものが、いかにして後に起きることを示すものになるのかを書いたことを思い出しました。このコーヒーもその一例なのでしょう)

6.26(6)

私たちは20分ほど待ちましたが、雨がいっこうにおさまらないので、団は行進を中止し、今日の終わりの集会をする奈良市役所まで車で直接行くことに決めました。田中さん、竹田さん、五十嵐さん、そして私は平和行進カーに乗って20分ほどで奈良市役所に到着しました。行進しなかったので集会には到着が早すぎ、車のなかで4時過ぎまで待ちました。

待っている間、今回のブログの文章を書くことができました。竹田さん、田中さん、五十嵐さんはみなすでによく日に焼けていました。そして私はもともと色黒なのでみんなとちょうどよく合います。 竹田さんと田中さんは寝ています。おそらく疲れからでしょう。どんな機会でも逃さず回復の時間にしてしまうのは賢い方法です。きっととても疲れていた違いありません。

午後4:30ごろ、行進の参加者たちが再び奈良市役所に集まってきました。市長代理や市議会議員の皆さんが歓迎してくれました。市長と市議会からの行進への賛同メッセージを読み上げ、ペナントと募金を下さいました。奈良市として平和行進を歓迎すると表明しました。また、広島と長崎への原爆投下を思い起こさせるために、毎年8月6日と9日に奈良県内の大きな鐘をすべて同時に鳴らしていると述べました。

地域の平和行進実行委員会の方も、奈良市に対するあいさつをされました。平和行進は、市に対して核兵器廃絶へさらに具体的に取り組むよう呼びかける機会なのです。主な要求のひとつは、安倍首相に平和憲法9条(つまり憲法9条)を変えないよう市からも要請してほしいということです。

6.26(7)

閉会集会後、通し行進者は着替えをするためにホテルに戻りました。夕食の時間までに地域の行進者の梅林さんと大阪平和委員会の加藤さん、かわとうさんと、むーちゃん(居酒屋のようなもので労働者に人気のようです)で会い、お刺身やお酒をいただきながら交流しました。梅林さんは一人ひとりに竹でできたカニの母娘をプレゼントしてくれました。とても素敵!

行進者や梅林さんのエネルギーには本当に元気づけられます。この元気を必ず明日の本当に長い行進に生かします。また明日ね!

(翻訳:大内 響 ・ 国吉綾乃)

6.26(8)

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