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原水協通信

毎月発行している日本原水協の機関誌です。国内外の反核平和運動についての情報が満載です。 日本原水協のウェブサイト→ http://www.antiatom.org/

「核兵器の全面禁止を!」

第36回東京国際映画祭 『雪豹』が東京グランプリ受賞!

2023年10月23日から11月1日まで、第36回東京国際映画祭が開催されました。

上映動員数/上映作品数は「7万4841人/219本(10日間)」(第35回:「5万9541人/169本[10日間])」、上映作品における女性監督の比率(男女共同監督作品を含む)は「22.4%(219本中38本)」(第35回「14.8%(169本中25本)」)となりました。

今年のコンペティション部門には、114の国と地域から1942本(第35回:107の国と地域から1695本)の応募があり、15作品が正式出品。最高賞にあたる東京グランプリ/東京都知事賞は、中国の『雪豹』が受賞しました。審査委員長を務めたヴィム・ヴェンダース監督は「満場一致でした」とコメント。圧倒的な評価だったことを明かしました。

全受賞結果は下記の通りです。

コンペティション部門▼東京グランプリ/東京都知事賞:『雪豹』(ペマ・ツェテン監督)▼審査員特別賞:『タタミ』(ザル・アミール/ガイ・ナッティヴ監督)▼最優秀監督賞:岸善幸監督『正欲』▼最優秀女優賞:ザル・アミール『タタミ』▼最優秀男優賞:ヤスナ・ミルターマスブ『ロクサナ』▼最優秀芸術貢献賞:『ロングショット』(ガオ・ポン監督)▼観客賞:『正欲』(岸善幸監督)

アジアの未来部門作品賞『マリア』(メヘディ・アスガリ・アズガディ監督)

Amazon Prime Video▼テイクワン賞:『Gone with the wind』ヤン・リーピン監督▼特別審査員賞:『ビー・プリペアード』安村栄美監督

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沈黙の閃光  / セツコ・サーロー

いまから40年前の1945年8月6日、アメリカは広島に原爆を投下しました。当時、私は広島女学院に通う13歳の生徒でした。この一発の爆弾でおよそ14万の人々が命を失いました。私は生き残った者のひとりです。その後の人生の大半を、あのとき目の当たりにした恐怖と被害を二度とくり返させないために生きてきました。廃墟から這い出てきた私たちは、いま世界を脅かしている核の破局を垣間見ました。私のことをお話しするのは同情を得るためではありません。警告なのです。

被爆以前の私の生活は、日本の若い女の子としては例外的なものでした。家族は武士階級の家系でした。侍といっても、封建的な特権はずっと以前になくなっていたのですが、それでも武士の家系にははっきりとした社会的な格式が残っていました。私たちの住む広島の大きな家の門には、武士の家系であることを示す家紋が刻まれていました。

西洋の知識という点でも私たちは例外でした。戦前、私の父はドイツ人のパートナーと「西部フルーツ会社」を起こし、カリフォルニアで果実の商売を営んでいました。6人の兄弟姉妹のうち何人かはそこで生まれました。家族は、ゴルフとかスキーとか、西洋の中流の人たちが楽しむ娯楽にも親しんでいました。ほとんどの日本人にとって、習いたいとは思っていたかも知れませんが、何の知識ももっていないような活動でした。

私は、1932年1月3日、中村節子として広島に生まれました。兄弟姉妹のほとんどはすでに成人年齢に達していました。だから私は大人の世界で一人っ子のようにおませで、甘やかされて育ったわけです。たくさんの楽しい時間がありました。けれど戦争はいつも影を落としていました。ラジオで日米開戦の報道を聞いたことも覚えています。9歳のときでした。勇ましい軍歌に続いて、陸や海戦での勝利が伝えられました。しかし太平洋戦争のなかで年とともに音楽は暗いものへと変わっていきました。大敗の報道が続くようになり、天皇陛下への忠誠が強調されました。状況は悪化の一途をたどりました。なにもかも配給に変わりました。着るものも、とりわけ食べるものも。ごはんに押し麦や、さらには食べられるものなら何でも混ぜるようになりました。砂糖はほとんど手に入らなくなりました。

終戦間際のある日のことです。二階に行くと父がテーブルの前に座って、なにか外国の本を読んでいました。「それなに?」と聴くと、「英語の文法の本だよ」とのこと。驚きました。父は、「やがてこれが必要となる」と言いました。当時は、まだそれがどういうことなのかよくわかりませんでした。いまから思えば、父は日本の敗戦が近づいていたことを知っていたのです。米国に住んだことがあり、アメリカのすごい力をよく知っていたのですから。

その年の春から夏にかけて、米軍はサイパン、テニアン、硫黄島の空港を相次いで落とし、日本の都市を攻撃できるようになりました。広島を爆撃する前、米軍は東京はじめ、大きな都市を次々と爆撃しました。広島が攻撃されるのも時間の問題でした。37万人の人口と優れた港をもち、そこから軍人を船で太平洋の戦場に送り出していた広島は、主要な攻撃目標だったのです。

私たちも、備えを固めようとしました。市全体が班に分けられ、それぞれが民間防衛体制の責任者である班長の下に置かれました。女性のスカートやハイヒールは禁止です。実際、非常時に自由に動けるように、もんぺとよばれる機能的なだぶだぶのズボンをはいたわけです。外出するときは救急セットが入った布のバッグと炒った豆の袋とを持ち歩きました。もし取り残されても飢えることがないようにです。夜は敵機が家を標的にするのを防ぐため、窓という窓に覆いをつけました。毎晩、空襲警報で眠りを中断されました。いつでも防空壕に逃げ込めるよう、寝るときも服は着たままでした。

ふだんの授業は停止され、生徒たちには動員がかかりました。原爆が爆発したとき、7年生、8年生の生徒のほとんどにあたる6000人以上の生徒が市の中心付近で、建物疎開にあたっていました。爆撃の後、火災が広がるのを防ぐため防火帯をつくる作業です。そのためには家々を引き倒さなければなりません。志願していた大人に助けられながら、生徒たちは木材や瓦の片付けにあたったわけです。

私自身は、建物疎開の作業はしませんでした。同じ学校から行った30人くらいの女子生徒と、前線から届いたメッセージの暗号を解読する特別の訓練を受けていたのです。すばやく足し算、引き算をし、暗号表と照らし合わせなければならない複雑な作業です。成績が上位の生徒だけがこの仕事に撰びだされました。そんな重大な情報に13歳の女子生徒をあたらせるくらいですから、日本がどれほど絶望的な状態にあったかがよくわかります。アメリカはずっと前から日本の暗号を解読していたのですが、私たちはもちろんそんなことは知りませんでした。

夏が盛りになっても、懸念された広島の空襲はありませんでした。人々は次第にいらだって、アメリカは何か特別な計画をもっているのではないかと疑いはじめていました。

私の、正規の暗号解読助手としての第一日は、1945年8月6日月曜日、朝8時にはじまろうとしていました。市の上空で原爆が破裂した時間の正確に15分前です。前の晩、31歳の姉綾子と姉の4歳の子ども英治が田舎から広島に出てきました。医者に行ってものもらいを見てもらい、ついでに美容院でパーマをかけてもらおうと、出かけてきたのです。綾子の夫は戦地に出ており、彼女は、子どもを空襲から守るため広島を出て、田舎に疎開していました。

その晩はいつものように空襲警報が鳴り、よく眠れませんでした。しかし翌朝は警報解除が鳴り、人々はいつもの仕事を始めようとしていました。美しい夏の日で、青空がいっぱいに広がっていました。6時30分に布団から出て朝食をとりました。綾子と英治は医者と美容院へと出かけました。7時45分頃、私も家を出て、生徒たちのグループといっしょになるために駅へと歩きました。私が班長でした。隊列を組み、「速足進め!」の私の号令で、市の中心から1.8キロメートルのところにある第二総軍司令部へとむかいました。揃って入り口の歩哨に敬礼した隊員たちを、暗号作戦の責任者であった柳井少佐が待っていました。少佐は、二階の大きな部屋に集まった私たちを前に演説し、元気で、天皇陛下のために一生懸命に働くよう話しました。ちょうど、私らが「わかりました。最善を尽くします」と言ったときでした。窓全体が青白い閃光でいっぱいになったのです。

爆発音は聞きませんでした。市から何キロもはなれたところでは、落雷のような轟音がはっきりと聞こえました。しかし私は、爆心近くにいたほかのすべての被爆者と同じように何も耳にしなかったのです。静かな閃光だけがあったのです。それを見た瞬間、机の下に潜り込もうとしました。けれどなにか浮かび上がるような感じがしました。建物とともに、私の身体は落ちていったのです。

気がつくと、辺りは静かで真っ暗でした。瓦礫の下敷きになっていました。爆弾が頭上に落ちたのだと思いました。市民の誰もがそういう感じを持ったようです。

瓦礫の中に横になり、動くこともできず、このまま死ぬんだなと思いました。不思議なことに怯えはありませんでした。しばらくして、級友の声が聞こえてきました。弱々しい声で神様を呼んでいました。「神様、たすけて!」「おかあさん、たすけて!」 そのとき、だれかの手が私の左の肩に触れました。私の近くに埋まっているだれかでした。それから、その手が私の周りの木片を緩め始めました。真っ暗な中で男性の声がしました。「いいか、あきらめるな。進むんだ。動き続けるんだ。いま助けるから。かすかな陽の光が見えるだろう」。左側に光がぼんやりと差し込んでいました。その人は、「動くんだ。隙間から這い出るんだ!」と言います。私には彼が見えませんでしたが、こうして二人で闇の中から這い出したのです。そのとき、火はすでにその瓦礫となった建物にもまわりはじめていました。

私が着ていた服はぼろぼろになり、血に染まっていました。体中、切り傷やひっかき傷だらけでしたが、手足を失うことはありませんでした。辺りを見ると朝だったのに空は暗く、まるで夕暮れのようでした。そのとき、市の中心の方から、人々が足を引きずりながら歩いてくるのが見えました。体の一部を失った人、目が溶け出してしまった人、黒ずんだ皮膚、骨からはがれ、リボンのように垂れ下がった肉片、あたりを満たすひどい臭い、焼けた人の身体の悪臭。それは説明しようのない臭いでした。あえて言えば、魚を焼いたような臭いです。

一番不思議だったのは、あのときの静けさです。それは、私が感じたもっとも忘れることのできない記憶のひとつです。みなさんは、人々がパニックに襲われ、走り、叫びまわると思うかもしれません。ですが広島では、そうではなかったのです。無声映画の絵姿のようにゆっくりと動き、埃と煙の中を足を引き摺りながら歩いていたのです。何千人もの人が、「水、水をください」といってあえいでいました。多くの人がそうして崩れ落ち、死んでいったのです。

這い出すことができた2、3人の級友と一緒に、幽霊のような人の列に加わりました。1マイル(約1.6キロメートル)くらい歩いたでしょうか。非常の場合はそこへ逃げろといわれていた丘の斜面の方向です。丘の上で広島を見渡しました。何もかもが炎に包まれ、黒い煙と埃が空を覆い、ますます暗くなっていました。

丘のふもとには練兵場がありました。地面はすべて死体と瀕死の人々でいっぱいでした。何万もの人が呻き、水を求めていました。歩ける人は近づいて助けようとしました。だれもが水を欲しがっていました。熱と脱水症状による最悪の苦しみにあえいでいたのです。けれど、コップもなければ水を運ぶ水筒もありません。近くの小川に行き、ブラウスを脱いで水につけました。そうして急いで戻り、ぬれた布を死んでいく人たちの口にあてがったのです。人々は必死になって湿り気を吸いました。それが、私たちができた精一杯のことでした。

一日中、その仕事に追われました。夜が来て、私たちは丘に腰を下ろし、火が市全体をなめ尽くしているのを茫然と眺めていました。朝には、広島はまったいらになっていました。ふつうならずっと遠くに見えていたはずの市の背後の山が、すぐ近くに見えていました。私たちを襲ったものが通常爆弾以外のなにかであったことはあきらかでした。まるで突然、青空から地獄が降ってきたようでした。

被爆者が「原爆」という言葉を聞いたのはずっと後になってのことです。けれど、私はその言葉を、その日のうちに、丘の中腹に腰を下ろし市が焼けるのを見ているときに耳にしたのです。暗号解読本部で私たちのボスであった柳井少佐が傍らに立っていました。眼下に広がる破壊の跡を見下ろしながら彼は、「これは、アメリカが開発してきた新型爆弾に違いない。原子爆弾だ」といったのです。暗号解読の専門家として、彼は秘密情報を知っていました。彼の言葉は、もちろん、当時の私には何のことかわかりませんでした。10日ほどして、「広島は新型爆弾によって壊滅した」と書かれたポスターが電柱に張り出されはじめました。それには、初歩的な科学の解説が書かれていました。使われていた日本語は「高度曳光性新型爆弾」という言葉でした。

原爆が落ちたとき、父は瀬戸内海で、好きだった釣りをしていました。広島から10キロメートルほどのところで、ボートの上からきのこ雲が市の上空に立ち上がるのを見たといいます。すぐに岸にとって返し,急いで市内に歩いて戻りました。母は、爆発のとき、朝食の食器を片付けていました。つぶれた家の下敷きになりましたが、火がまわる前にのがれることができました。

家族の間では、もし何か起こったら、親戚が住む広島郊外の府中に逃げることになっていました。母はただちにそこに向かいましたが、父は別の郊外にある親戚の別荘に行きました。綾子と英治が生き延びたと聞き、そこへ行ったのです。両親がどうやってふたたび落ち合ったのか判りません。たぶん翌朝、別荘で落ち合ったのでしょう。同じ朝、父は私を探しに出ました。私が働いていた陸軍本部の人たちが丘に逃げたと聞いていたのです。兵隊さんが、「中村節子!」と、私の名前をよぶので、「はい、ここです」と答えました。そこに父が居たのです。父はひとこと「よかった!」といいました。「ありがたい、おまえは生きていた!」という意味です。その後しばらく、言うべき言葉もありませんでした。

父と私は、母、綾子、英治と別荘で一緒になりました。姉と英治は生きてはいましたがひどい状態でした。

爆発のとき、ふたりは医師のところへ行こうと橋をわたっていました。爆心では摂氏6000度にものぼった、焼き尽くすような熱線を遮蔽するものは何もありませんでした。多くの人々がただただ、蒸発したといいます。姉と子どもは爆心地よりは離れていましたが、ひどいやけどを負いました。綾子はどうにか、息子を背負って、崩れ落ちた私たちの家までたどり着きました。隣の人は、姉が廃墟を掘り起こしているのを見たといいます。そこから彼女は食用油を掘り出していました。やけどに塗って和らげようとしたのでしょう。姉は隣の人に、親戚の別荘へ連れて行ってくれるよう、助けを求めました。隣の人は、瀕死の英治を運び、姉は腕に食用油を抱え、這うようにして来たのです。翌朝会ったとき、二人の身体は二倍もの大きさに腫れ上がっていました。皮膚は溶け、火ぶくれからの体液に覆われていました。

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日本原水協協力で動画を作成しました。ー憲法連続学習シリーズ「被爆者・プーチン・ウクライナ」

画像をクリックするとYouTubeが開きます。

6月20日、日本原水協の協力のもと憲法共同センターが作成した憲法連続学習シリーズ「被爆者・プーチン・ウクライナ」がYouTube上で公開されました。

ぜひご覧ください。そして多くおの方に試聴をひろげてください。

ネット署名 https://chng.it/nmhgR4LQyD

「唯一の戦争被爆国 日本政府は核兵器禁止条約に署名・批准してください!」

紙の署名のダウンロードや資料はこちら 日本原水協 http://antiatom.org/

<ご協力いただいた方>

日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協) https://www.ne.jp/asahi/hidankyo/nihon/ 日本被団協事務局次長 児玉三智子氏 <資料> 「あたらしい憲法のはなし」復刻版 日本平和委員会発行 http://j-peace.org/2011/pamphlet_dvd….

#核共有より核兵器禁止を #憲法改正 #非核三原則

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P5(核保有国)の核戦争と軍備競争を回避するための共同声明(日本原水協国際部訳)

中華人民共和国、フランス共和国、ロシア連邦、英国および北アイルランド連合王国、およびアメリカ合衆国は、核兵器国間の戦争の回避と戦略的リスクの削減を、われわれがとるべき最も重要な責任と見なしている。 核戦争に勝者はなく、決して戦ってはならないことを断言する。核の使用は広範囲に及ぶ結末をもたらすため。核兵器は存在し続ける限り、防衛のためのものであり、攻撃の抑止、戦争の防止のためのものであるべきことも確認する。 われわれは、そのような兵器のさらなる拡散を防がねばならないと確信している。 われわれは、核の脅威に対処することの重要性を再確認し、二国間および多国間の不拡散、軍縮、および軍備管理の合意と約束を維持し、遵守することの重要性を強調する。 われわれは、「核軍備競争の早期停止と核軍備撤廃に関連する効果的な措置と、厳格かつ効果的な国際管理の下での全面完全軍備撤廃に関する条約について、誠実に交渉を進める」という第6条の義務を含む、核不拡散条約(NPT)の義務に引き続きコミットする。 われわれはそれぞれ、核兵器の許可のないまたは意図しない使用を防ぐための国内措置を維持し、さらに強化するつもりだ。 われわれは、われわれの核兵器のいずれもが互いにまたは他のいかなる国をも標的にしないと再確認した照準解除に関する過去の声明は有効であることを再確認する。 われわれは、すべての国家と協力して、万人の安全が損なわれない核兵器のない世界という究極の目標を掲げて、軍縮により資する安全保障環境を構築したいと願っていることを強調する。 われわれは、軍事的対立を回避し、安定性と予測可能性を強化し、相互理解と信頼を高め、誰にも利益をもたらさず万人を危険にさらす軍備競争を防ぐために、二国間および多国間外交アプローチを引き続き追求するつもりだ。 われわれは、互いの安全保障上の利益と懸念を相互に尊重し、認めながら建設的な対話を追求することを決意している。 (日本原水協国際部訳)

武本匡弘さん資料@原水爆禁止2021年世界大会-ヒロシマデー集会

210806_武本匡弘さん資料ダウンロード

安斎育郎さん資料@原水爆禁止2021年世界大会-ナガサキデー集会

原水爆禁止2021年世界大会-ナガサキデー集会主催者報告【安斎育郎】ダウンロード

イデオロギーの違いを超えて日本政府に核兵器禁止条約への署名・批准を求める意見書を全会一致で採択

静岡県富士宮市議会は議長が公明党、副議長が自民党議員ですが、3月17日の2月議会の最終日、とても格調高い文章が全会一致で採択されました。

富士宮市議会意見書ダウンロード

核兵器禁止条約の批准国が46か国になった段階で、いよいよ50か国が見えてきたので市議会で意見書をあげるべきということになりました。

37年前に非核平和都市宣言を決議したことをきっかけに結成した富士宮市反核市民のつどい実行委員会、静岡県被爆2世の会、富士宮市平和行進実行委員会の3団体の名前で2月議会に陳情を出しました。

陳情を出すに当たり、元市長、元副市長、地元の名士ら205人の賛同を募りました。保守の方からの「私は自民党員だが、核廃絶のことなら一致すべきだ」との声や、創価学会員からも賛同が得られました。

2月15日の陳情の趣旨説明の時には、市内在住の被爆者の方が被爆体験を語りながら訴えました。総務文教委員会(7人)で討議した際、「全会一致だね」との声。それに先立って、自民党の最古参の大物議員から共産党議員に「今回は全会一致でいいのでは」と連絡がありました。

約20人で傍聴に駆けつけた3月17日の2月議会本会議では、共産党議員が賛成討論に立っただけで反対する声もなく、総務文教委員長が全文を読み上げて「全会一致で採択すべきもの」と報告。そのまま全会一致で採択されました。

富士宮市反核市民のつどい実行委員会は市から助成金を得ており、30年間、市民を広島に送るバスツアーをやってきました。2019年には中学生17人を広島に派遣し、とても良かったということで、今年も継続することになって予算を組んでいます。そういった下地が今回の結果に繋がっていると思います。

(北川照子)

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第33回東京国際映画祭 コロナ禍の中でも有観客で開催

第33回東京国際映画祭(TIFF)が10月31日から11月9日まで開かれました。

新型コロナウイルス感染拡大のため、開催自体が危ぶまれましたが、10日間で138本が上映され、4万533人の観客が来場しました。

リアルイベントの動員数は7272人、オンラインイベント動員数は84万7873人、共催/提携企画動員数は約3万3000人に。また、公式上映作品における女性監督の比率(男女共同監督作品を含む)は16.7%(138本中23本)となりました。

9日、東京・TOHOシネマズ六本木ヒルズで行われたクロージング・セレモニーでは、今年初めて「インターナショナル・コンペティション」「アジアの未来」「日本映画スプラッシュ」の3部門を統合した「TOKYOプレミア2020」部門の上映作品32本から観客賞/東京都知事賞が選ばれ、大九明子監督が芥川賞作家・綿矢りさ氏の著作を映画化した新作『私をくいとめて』が受賞しました。

2017年の第30回TIFFのコンペティション部門でも綿矢氏の原作を映画化した『勝手にふるえてろ』で観客賞を受賞している大九監督は、「3年前に受賞した時とは、世界が全く異なる状況ですし、この映画祭も全く違う形になりました」「東京国際映画祭は、実際にお客様をお入れして、同じ劇場、同じ時間、一緒にスクリーンへ向き合うということを実現させました。これは素晴らしいことだと思います。まだまだ出歩くことに不安を抱きながらも、チケットをとって劇場に足を運んでいただき、映画をご覧になって点数を入れて頂いた。おひとりおひとりの1票が、私共に賞をくださったこと、いつも以上に感慨ひとしおです」と語りました。

同作品で主演を務めた俳優ののんさんは「毎年設けられている賞だとは思いますが、今年は“唯一の賞”。とても嬉しく思っています。私事ではありますが、何年ぶりかの主演映画に参加させていただき、本当に本当に心から喜びでいっぱいです」「映画というのは観客の皆さんに見ていただき完成するものだと思います。今回この賞を大切に受け止めたいです。この映画は12月18日に全国公開。見て頂いた皆さんと一緒に、この映画を盛り上げていけるように頑張りたい。面白いと思った方は、是非是非SNSに感想をあげたり、お友達や家族におすすめしてくれると嬉しいです」とアピールしていました。

安藤裕康チェアマンは「新型コロナウイルスの厳しい状況のなか、ゴールまでたどり着くことができるのかと、毎日心配しておりました。しかし、今日こうしてフィナーレを飾ることができたこと、胸がいっぱいです。シェイクスピアが言ったように『終わりよければ全てよし』でございます」と振り返り、「厳しい状況にもかかわらず、劇場に足を運んでいただいた。今年の映画祭の主役は、観客の皆さんでした」と感謝の言葉を語っていました。

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核兵器禁止条約の批准50か国にあたっての談話

核兵器禁止条約の批准50か国にあたっての談話(PDF)ダウンロード

核兵器禁止条約の批准50か国にあたっての談話

1、本日、核兵器禁止条約の発効に必要な批准国が50か国となった。条約は90日後の2021年1月22日に発効する。条約の発効により核兵器は違法化され、国際社会の規範として核兵器の使用を含むあらゆる活動が禁止される。核兵器禁止条約は核兵器廃絶への重要な一歩である。これは、核兵器の禁止・廃絶を求めてきた被爆者や世界と日本の運動、諸国政府とその共同の努力の大きな成果である。

2、核兵器禁止条約の成立と発効は、国際政治の主人公が少数の大国ではなく、多数の国ぐにの政府と草の根の市民社会であることを示している。核保有国と核依存国はなお、核兵器=安全の保障という虚構にしがみついているが、核兵器禁止条約の発効によってその道理のなさはいっそう明らかとならざるを得ない。核保有国や「核の傘」依存国で活動する世界の反核平和運動、市民運動に、禁止条約への自国の参加を求める連帯した行動の強化をよびかける。

核兵器禁止条約の発効を力に、核兵器の完全廃絶を迫る国際世論の発展へ、被爆国の運動として先頭にたって奮闘する。

3、日本政府は、唯一の戦争被爆国として、世界の努力の先頭に立つべきである。「橋渡し」などと言いながら、実際には米国の核兵器に依存し続ける態度は、被爆者からも世界からも失望を買っている。日本政府に対して核兵器禁止条約を直ちに署名・批准するよう要求する。

「日本の禁止条約への参加」の一点で、さまざまな意見や立場の違いをこえて、国民的行動を前進させるために全力を尽くす決意を表明する。

2020年10月25日 原水爆禁止日本協議会

事務局長 安井正和

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原水爆禁止2020年世界大会と被爆75年「平和の波」行動の記録集を活用ください

2020世界大会と平和の波の記録申込書ダウンロード

ことしの世界大会は、「被爆者とともに、核兵器のない平和で公正な世界を―人類と地球の未来のために」をテーマに、8月2日国際会議、6日広島デー、9日長崎デー、 3〜5日特別集会(4テーマ)が開催されました。

大会は、新型コロナウイルスのパンデミックのもとで、はじめてのオンライン開催でしたが、中満泉国連軍縮問題担当上級代表、オーストリア、メキシコ、マレーシアの各国政府代表、アメリカ、ヨーロッパ、アジア・太平洋から世界の反核平和運動の代表、国内から市民連合、原自連など市民団体の代表、女性、青年労働者、高校生の代表が参加し、被爆者の訴えに耳を傾け、 核兵器のない平和で公正な世界をめざす国際的な共同と連帯を築き、大きな成功をおさめました。

また、オンライン世界大会とともにとりくまれた被爆75年「平和の波」行動は、世界24か国、国内ではすべての都道府県で多彩にとりくまれ、新たな行動の出発点となりました。

「核兵器のない世界」の実現、未来への希望をしめした2020年世界大会の貴重な記録です。その感動的な内容と成果を学び、今後の活動の力にしていただけましたら幸いです。

『原水爆禁止2020年世界大会の記録・被爆75年「平和の波」行動の記録』(A4版 本文109ページ、カラー56ページ)頒価 1500円(送料込)編集・発行 原水爆禁止世界大会実行委員会9月7日(月)刊行

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【動画あり】オンライン原水爆禁止世界大会ニューヨーク:報告、主催者発表の声明

発言者・司会・通訳・スタッフの集合写真

オンライン世界大会核兵器廃絶、気候危機の阻止と反転、社会的経済的正義のために

【動画】オリジナル言語

【動画】日本語同時通訳(*通訳内容は公式訳ではありません)

2020年4月25日(土)午前9-11時:ニューヨーク/ボストン/ワシントン午後3-5時:中央ヨーロッパ時間午後10時-12時:東京

オンライン原水爆禁止世界大会NY・プログラム

パネル1:核兵器、廃絶のためのたたかいと現局面

和田 征子(日本被団協)発言

カルロス・ウマーニャ博士(IPPNW・コスタリカ)発言

シエ・バスティダ(未来のための金曜日・アメリカ)発言

高草木 博(日本原水協)発言

ジョゼフ・ガーソン(AFSC/CPDC)発言

パネル2:行動と優先課題

リズ・テオハリス(貧しい人々のキャンペーン・アメリカ)発言(仮訳)

イマド・キヤエイ(イラン)発言(仮訳)

シャラン・バロー(ITUC・オーストラリア)発言

ライナー・ブラウン(IPB)発言

田中 煕巳(日本被団協):「ヒバクシャ国際署名」運動の報告*接続不具合のため文書発言

中満 泉(国連軍縮担当上級代表)発言

主催者発表の声明

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第32回東京国際映画祭 盛大に開催

第32回東京国際映画祭(TIFF)が10月28日から11月5日まで開かれ、大盛況のうちに閉幕しました。

東京国際フォーラムで11月5日に行われたクロージング・セレモニーで各賞が発表され、最高賞にあたる東京グランプリは、デンマーク映画『わたしの叔父さん』(フラレ・ピーダセン監督)が受賞しました。

全受賞結果は以下の通りです。

コンペティション部門▼東京グランプリ:『わたしの叔父さん』(フラレ・ピーダセン監督)▼最優秀監督賞:サイード・ルスタイ監督(『ジャスト 6.5』)▼最優秀男優賞:ナビド・モハマドザデー(『ジャスト 6.5』)▼最優秀女優賞:ナディア・テレスツィエンキービッツ(『動物だけが知っている』)▼最優秀脚本賞:『喜劇 愛妻物語』(脚本:足立紳)▼最優秀芸術貢献賞:『チャクトゥとサルラ』(ワン・ルイ監督)▼審査員特別賞:『アトランティス』(バレンチン・バシャノビチ監督)▼観客賞:『動物だけが知っている』(ドミニク・モル監督)

日本映画スプラッシュ部門▼作品賞:『i 新聞記者ドキュメント』(森達也監督)▼監督賞:渡辺紘文監督(『叫び声』)

アジアの未来部門▼国際交流基金アジアセンター特別賞:レザ・ジャマリ監督(『死神の来ない村』)▼作品賞:『夏の夜の騎士』(ヨウ・シン監督)

東京ジェムストーン賞▼吉名莉瑠(『テイクオーバーゾーン』)、伊藤沙莉(『タイトル、拒絶』)、佐久間由衣(『“隠れビッチ”やってました。』)、ヨセフィン・フリーダ(『ディスコ』)

アメリカン航空アウォード 大学対抗ショートフィルムコンテスト▼グランプリ:『Down Zone』奥井琢登監督(大阪芸術大学)

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【熊本】国連軍縮週間(10/24~30)連帯の原爆展in天草を開催

191031_天草原水協通信「国連軍縮週間連帯の原爆展」ダウンロード

2019年国連軍縮週間行動 全国一覧リスト

中央行動

「軍縮週間」街頭宣伝行動 ・12:00~13:00 JR新宿駅西口・小田急百貨店前 日本政府に核兵器禁止条約への調印、 批准を求める院内集会 ・15:00~17:00 衆院第2議員会館・第1会議室 初鹿明博衆議院議員(立憲民主党) 塩村文夏参議院議員(立憲民主党) 本村伸子衆議院議員(日本共産党) 濱住治郎(日本原水爆被害者団体協議会事務局次長) 広渡清吾(「市民連合」呼びかけ人・東京大学名誉教授) 安井正和(原水爆禁止日本協議会事務局長)

北海道

■署名宣伝行動10 月19 日(土)11:00~12:00 JR札幌駅南口ヒバクシャ国際署名を進める北海道民の会と一緒に。■国連軍縮週間原爆パネル展10 月22 日(火)~24 日(木)札幌市地下街オーロラコーナー■北海道原水協学校 講師/土田弥生(原水爆禁止日本協議会事務局次長&国際部長) 「2020 年核兵器禁止・廃絶への転機の年に」 @札幌 10 月26 日(土)13:40~ 札幌市教育文化会館 @旭川 10 月27 日(日)13:30~ 旭川市ときわ市民ホール

■Peace Wave SAPPORO すすきの Halloween Jack10月25日(金)18:30〜19:30 すすきのビル前

岩手

10月28日(月)16:00〜17:00 岩手県立盛岡第四高等学校 正門前

埼玉

10月24日(木)12:00~ JR浦和駅東口 「ヒバクシャ国際署名」宣伝行動

山梨

10月24日(木)~30日(水) JR甲府駅北口 原爆展・原爆の絵展

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【長崎】県民の会の要請で市議会から3会派5人の議員が参加し署名行動

ヒバクシャ国際署名長崎県民の会は9月26日、市内ハマクロス前で署名行動を行いました。

今回は核兵器廃絶国際デーということで、被爆者と共に長崎市議会議長に、〇署名行動への参加、〇10月13日の県民の会2周年の集いへの参加の要請を行いました。また、市議会各会派を訪問して同様の要請をしたこともあり、市議会から3会派5人の議員が参加しました。これは、県民の会事務局団体会議で自治体首長の次は議会との共同を広げようとの議論が具体化されたものです。

1時間の行動には38人が参加し、252人分の「ヒバクシャ国際署名」が寄せられました。うたごえの演奏に加わった高校生が大きな声で歌を歌い、署名行動を大きく盛り上げました。テレビの取材も入りました。被爆者も頑張っています。

(長崎県原水協事務局長・佐藤澄人)