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原水協通信

毎月発行している日本原水協の機関誌です。国内外の反核平和運動についての情報が満載です。 日本原水協のウェブサイト→ http://www.antiatom.org/

「核兵器の全面禁止を!」

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【2014国際青年リレー行進】アーサー・タイマングロJr.さんの日誌(5月20日)

5.20(1)▲第五福竜丸の悲劇を描写した素晴らしい絵

今朝は、近くの町に集合して三島市庁舎へ向かいました。三島市は1959年に非核平和都市宣言をしました。市民にとってより安全な場所を作るために力を注いでいる多くの市長に敬意を表します。残念ながら私の母国であるグアムではこのようなことはありません。多くの市長が下院議員の提出した「リティディアン岬を射撃練習場として使用する」という法案に賛成しているからです。私の国のリーダーたちも、軍事増強がもたらすとされている経済開発を進めるのではなく、住民の人間性を認めるような意見を採択してくれたら、と願っています。

5.20(2)

私たちは三島市の市議会にあたたかく迎えられ、市はこれからも平和行進を支援することを表明しました。私はそこで自己紹介をし、グアムの軍事増強に関する社会問題について少し話しました。その短い挨拶の後、市からお弁当をいただきました。30分後に市庁舎の前で平和行進参加者が感謝を伝え、また行進に参加する仲間への激励の言葉をかけました。今日のコースがこんなに大変だとは思ってもみませんでした。何時間か行進をしましたが、とても急な登りでした。行進の途中、粕谷さんが行進のコールによく使う言葉を教えてくれました。その一つは「かくへいき」で、核兵器の廃絶をアピールするために「かくへいきをなくそう」と繰り返し呼びかけます。また、彼女は国際紛争を解決する手段として戦争を禁止した憲法9条の大切さも教えてくれました。一方で、この条項を傷つけ、日本の人たちの安全と安全保障に悪影響を及ぼそうとする人たちやグループがあることも教えてくれました。

5.20(3)▲すばらしい新婦人の女性達が私の旅費のために募金を集めてくれました。お礼の言葉もありません。

急な坂道を登り、やっと長泉町に到着しました。ここで初めて富士山を眺めました。みなさんの思いやりとあたたかいおもてなしには感謝しきれません。新婦人の女性たちが私の愛知への旅のために募金を集めてくれました。このことには言葉にできないほど感謝しています。新婦人の皆さんは本当にすばらしく、大きな激励を受けました。私がジャンベを演奏していることに気がついた地元の行進参加者の方が、自分で作った笛と、曲に合わせた吹き方の説明書をプレゼントしてくれました。楽器を持ったミュージシャンの方と出会うと私はいつも嬉しくなります。音楽家同士はお互いに自然に引き寄せられるようです。そして、彼らと一緒に演奏できるチャンスがあるととても嬉しくなります。音楽は真の共通言語です。私の日本語は片言ですが、音楽が行進に参加している人たちと知り合いになるのに確実に役立っています。行進の途中で、刺激をくれる人たちにいつも出会います。鈴木さんという方は私達たちとの行進を心待ちにしていました。現在82歳の彼女は、平和行進にここ数年間参加しています。彼女が平和行進の参加を決めたのは、彼女自身が戦争の影響を受け、何人かの兄弟を失っているからです。彼女に一緒に歩いてくれたことにお礼を言い、彼女の力強さを称えました。行進参加者の多くが年配の方々です。行進は肉体的にかなり疲れるのですが、彼らの信念が私を前に進ませ、疲れていることを忘れさせてくれます。7時間近く歩いてその日の目標の場所に到着し、みんなでお互いの努力と目標への献身をねぎらいあいました。

5.20(4)

解散した後に、わたなべ先生が私を含めて何人かを東富士射爆撃場へ連れて行ってくれました。富士山の眺めは息を呑むほどの美しさですが、その神聖さを汚す射爆撃場は例外でした。グループ写真を撮った後で、「不法侵入だからここから去るように」と自衛隊に言われました。この問題は身につまされました。というのも、グアムでも私達の土地が奪われ、軍事目的で商品化されているからです。夕飯の席で、わたなべ先生が この演習場でおこなわれている様々な訓練について私達に説明してくれました。そこでどれほど巨大な迫撃砲や戦車、大砲が使われているのかを聞き、耳を疑いました。先生が見せてくれた爆発の写真を見てぞっとしました。それは、その土地と、御殿場の人々の尊厳を真っ向から踏みにじるものでした。

5.20(5)▲粕谷さんと鈴木さん。粕谷さんはとても親切にしてくれました。

5.20(6)▲鈴木さんは82歳。美しい心の持ち主です。

5.20(7)▲富士山の前で

今日は本当に疲れましたが、多くのことを学ぶことができました。そして日々お互いの闘いを交流しあえるのはすばらしい経験です。いつか日本とグアムがくだらない軍事基地から開放され、当たり前の権利として自分たちの土地を享受することができる日がきてほしいと思っています。

(翻訳:大内 響)

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