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原水協通信

毎月発行している日本原水協の機関誌です。国内外の反核平和運動についての情報が満載です。 日本原水協のウェブサイト→ http://www.antiatom.org/

「核兵器の全面禁止を!」

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【2018年原水爆禁止国民平和大行進】北海道→東京コース(太平洋)通し行進者:山内金久日誌 5/4-6/15

5月4日、札幌の夜明けは早く4時前に東の空は明るい!昨日の国民平和大行進北海道通し行進者打ち合わせ会では今年の平和行進の意義や道内の情勢、各自治体の対応の状況、そして各自の自己紹介等の後、恒例の揃っての記念撮影。道被爆者協会会長はじめコープ札幌会長、前札幌市長、元北大総長、JA道中央会長、高遠菜穂子さん等北海道民の会の呼びかけ人のポスターも撮影。

 

5月5日、予備日はバスで礼文島観光。金環日食記念碑、イワベンケイ、エゾエンゴサク、澄海岬、スコトン岬では道内通し行進者の山本さんの故夫さんの散骨で「原爆を許すまじ」「青い空は」「千の風になって」を献奏。バスの出発前に「上を向いて歩こう」を思わず演奏。映画「北のカナリアたち」のテーマパークで感動、その後の昼食はホッケのチャンチャン焼きに舌鼓!

夕方のフェリーで明日の礼文島出発式参加の日本医労連副委員長の鎌倉さんと「しんぶん赤旗」記者の熊林さんが到着。お出迎えし、被爆60年の際に記念植樹した公園で記念撮影、「折り鶴」を合唱。


5月6日、朝食後、利尻富士のシャッターチャンス逃さず!

そして2018年国民平和大行進礼文島出発式、宗谷教職員組合書記長の遠藤さんの司会、主催者嶋田さんの挨拶に続いて通し行進者としての私の決意表明。珍しく穏やかで晴天の中、平和行進出発前に「原爆を許すまじ」「青い空は」の合唱。

13時50分稚内港到着。総合文化センターにて集会後、南稚内駅まで平和大行進。団体旗がさっそうとたなびき、コールの合間にトランペットの伴奏で平和のうたごえ響かせ、沿道住民にアピール。子ども達が一緒に歌ってくれ、元気をもらった稚内行進だった。


5月7日、平和大行進2日目。稚内市役所を訪問し工藤広市長と表純一教育長からペナントに署名いただき中井議長とは懇談。

次いで豊富町訪問、工藤栄光町長からはペナントに署名いただき懇談の中で、アトピーに良く効く温泉で町興しのお話を伺いパンフレットをいただく。

3つ目に中川町を訪問し川口精雄町長、遠藤勉副町長揃ってペナントに署名をいただく。懇談の中で町長は、日本人ならみんな広島の原爆資料館を見るべきだ、百聞は一見に如かずと強調。意気投合、固い握手でツーショット。

今日の最後は音威子府村、中河内総務課長が応対し、ペナントは預かっていただいた。先の平昌オリンピックで活躍した地元出身の吉田圭伸選手が自慢とのこと。この地域は積雪が多く、今年は除雪費用が嵩み補正予算を組んだという苦労話が共通した話題。そして核兵器禁止条約と平和大行進への期待大だった。


5月8日、平和大行進3日目。宿泊の天塩川温泉で朝、「北海道新聞」1面に3段見だしで「日本製紙、勇払で最大級バイオ発電」 再生可能エネルギーの普及や地域林業の振興にも寄与したいという同社の意向も報道。

温泉ホテルで源泉蕎麦サラダをお昼にいただいた後訪問した美深町の懇談の中で話題になる。町長とは宗谷線の廃線も話題になり、私とも意見が一致。もちろん、ペナントに署名をいただいた。


5月9日、平和大行進4日目。午前は新婦人の学習懇談会で1時間、懇談と求められてトランペット演奏も。

午後は名寄原水協代表の大本隆雄さんの案内で名寄市を訪問。副市長、教育長、議長からペナントに署名をいただいた。みなさんから通し行進の労をねぎらっていただいた。

その後、スーパー前で宣伝・署名行動に参加、スピーチとトランペットで訴えた。

第4ラウンドは18時から集会と名寄市内平和大行進、23人の参加者で途中「青い空は」を歌いながらパレード。帰宅途中のドライバーからの手振りや、下校中の高校生が会釈して行くのに感激!その後有志で懇親会。商店街はシャッター通りで寂しかった。


5月10日、平和大行進5日目は下川町を訪問し、武田浩喜副町長からペナントに署名していただき懇談。人口減少の中、町興しの苦労話をお聞きする。オリンピックのスキージャンプで大活躍の葛西紀明選手、伊藤姉妹など町の誇り、町中にジャンプ場があると自慢。

また町民参加で「万里の長城」築城。士別市の屯田兵最北の地想いを馳せる。

19時45分から国民平和大行進士別市内行進。寒い夕方だったが、宣伝カーからの先触れ、通し行進者の「こんにちは平和行進です、東京まで歩いて行きます」の声に応えて手振りが、通行人やドライバーから返って来るとやっぱり元気が出た。集結集会後記念撮影。


5月11日、平和大行進6日目。午前は士別市立博物館を見学し、厳寒零下30度以下、原野に本州各地から入植した人々に想いを馳せる。

1899年(明治32年)、最北の最後の屯田兵の兵屋と内部、脇に奉安殿。「奉安殿は大正4年旧川南小学校に設置されたもので、昭和23年、教育制度改革により取り壊しを命じられたものを、地域住民により移転された。戦前の天皇制教育を知る重要な資料」と記している。

士別公会堂は1915年(大正4年)建設、1989年市開基90周年を記念し復元。この歴史から何を学ぶか、少なくとも宗谷本線は国の責任で存続させるべきだと強く思う。

午後は自治体訪問。士別市、剣淵町、和寒町では市長、町長、議長、教育長等のみなさんからペナントに署名をいただき、懇談。どこでも「核兵器禁止条約」を喜び、南北朝鮮首脳会談の今後に期待を表明される。また人口減少の中、自治体の持っている資源活用で活性化に努力されている。この努力に応える国の責任が問われていることを痛感させられた。

剣淵町の「絵本の館」、和寒町の「塩狩峠記念館」など思いもよらぬ見学させていただいた。

自治体訪問で移動する車中から北海道の田植え直前の耕作農地を撮る。本州各地から入植し原野を開拓した先祖から現在、3~4代目という。この苦労に少しでも国の政治は応えていくべきだと思う。


5月12日、国民平和大行進旭川市内行進。真っ青な青空のもと、予想気温が22度という中を小学校5年生の男子を先頭に元気に行進。出発前に「原爆を許すまじ」「青い空は」を合唱、沿道の反応にも励まされる。

いつも美味しい大地の恵みを送っていただいている東神楽町議の生出栄さんとも握手。

署名行動でもトランペットを吹き、アピール。署名は9団体19人の参加で30分間に50筆。その内私は2筆、通算「ヒバクシャ国際署名」631筆、3000万人署名は263筆、合計894筆になった。


5月13日、国民平和大行進8日目。深川市役所前で出発集会後、1時間の市内行進は深川原水協事務局長の莵本さんのスポットの合間に、栖原さんの団扇太鼓と私のトランペットという鳴り物入りで、7人だったが賑々しく行進。日曜日の午前で人通りは少なかったがアピールできた。

なによりも参加者が励まされたと交流会で話された。交流会では新婦人の平和部の方が平和運動を続けることの大切さ、被爆や戦争体験者が少なくなっている中で実相を伝えることの大切さを実感するという話が出された。この深川では集会参加者20人ほどの中でなんと3人の方から、私を知っているとか、近所に住んでいたというので驚いた。


5月14日、国民平和大行進9日目。秩父別の善性寺丸木位里・俊美術館を見学し、改めて丸木夫妻の「原爆の図」から強烈な反核の意志をつかむ。案内してくれた兎本さんに感謝。平和大行進のルートに組み入れたらと思った。昼食はその兎本さんの自慢の手打ち蕎麦をいただいた。

午後は妹背牛町を訪問し町長、議長からペナントに署名をいただき記念撮影。「非核平和の町」、「水稲発祥の地」の碑を撮る。

午後の休憩時間に国会中継を見ても宮本、田村両共産党議員の鋭い論戦に拍手。夕方、気温が急に下がる中、元気に町内行進。


5月15日、国民平和大行進10日目は昼前に滝川市役所前で署名行動。人通りは多くなかったが、6人で30分行動して23筆。内私は2筆、累計898筆。

午後は滝川市長、議長、教育長を表敬訪問。名刺交換し懇談の中で、平和行進をねぎらい、平和都市宣言や毎年の原爆パネル展開催など平和施策を紹介し朝鮮半島の非核化と北東アジアへの波及に期待を表明。しかし、ペナントへの署名は例年通り拒まれた。

ここでも思いがけない出会いに感激する。私と同じマンションに住むOさんとかつて同じ職場で仕事の同僚だったというHさん、話をする中でわかり記念のツーショット。すぐOさんに電話、こんなことも平和大行進にはあるんだと奇遇に驚く。

夕方は市内自動車パレード、西願寺で集会。


5月16日、国民平和大行進11日目は午前、根室コースから合流した山口逸郎さんと砂川市を訪問。市長、議長、教育長、2年目となる商工会議所、今年初めてというJA新すながわからそれぞれペナントに署名をいただく。開拓されていてとても素晴らしいと思った。市長は懇談の中で、平和都市宣言は1959年に道内一番乗りでしたと紹介してくれた。

午後は奈井江町を訪問し町長、議長、教育長からペナントに署名をいただく。今朝からの北朝鮮の米韓軍事演習への反応を心配する声も町長さん達から出された。奈井江町行進では下校中の小学校2年の女子が自宅前まで歩いてくれて行進団に元気をくれた。美唄市の市内行進でも沿道住民やドライバーからの手振りに元気をもらった。


5月17日、国民平和大行進12日目。午前は美唄市内で募金活動、私は行政関係に加え市職労、商工会議所、ホテルなどからも協賛金をいただく。5班に分かれての活動は寺社7軒、個人宅14軒で合計9万9000円、広島大会へ代表派遣できると成果を確認。

午後は岩見沢市へ移動し商店街で宣伝署名行動、私は2筆、これで通算900筆到達。市内行進、交流会、市役所訪問。

夕食懇親会では旧国労、動労の争議団の話しで盛り上がり、私も若き頃感動した「鳴らせ!号笛」を執筆した山岸一章と寝食を共にしたという。


5月18日、国民平和大行進13日目。江別市を訪問し市の幹部と懇談、ペナントに署名をいただき、「水道発祥の地」、当時の桶を撮影。

4年前の8月15日市長が平和都市宣言、その碑の前で小雨の降り出したなか出発集会。初めて副市長が歓迎と激励の挨拶、「継続は力」と握手し記念撮影。「北海道新聞」の取材を受ける。

小雨のなかでもドライバーや通行人、店内からも手振りが多く励まされる。

本降りになる前に野幌公民館に到着し、江別原水協総会の後、平和大行進歓迎交流会。4年前もお会いした元杉並区役所職員だった山田さんと再会し、今度もまた彼のギターと2人で伴奏を務め合唱。「広島へ長崎へ」の作曲者はここ江別市出身だという。


5月19日、朝の「しんぶん赤旗」の北海道・東北の欄の「てくてく日記」に私の「行く先々での出会い格別」の投稿が掲載。また昨日、「北海道新聞」に取材を受けた江別市内行進も写真入りで掲載され、嬉しかったo(^-^)o。

国民平和大行進14日目は道内最長コース。あいにくの冷たい雨の降るなか、2度目の通し行進で4年前も雨だった。「雨の日も風の日も続けている平和大行進60周年です」と挨拶。畠山前衆院議員と先頭を行進。途中小学校4年生の男子も元気に行進、お母さんが今年の広島大会に連れていきたいと話すので是非、と応える。万生公園から恒例となっているこどもコール、沿道からの反応も違った。

札幌駅南口広場の集結集会では作詞された鈴木たけしさんと再会、彼のリードで「広島へ長崎へ」の大合唱。感激!


5月20日、休養日。道委員会へホテルの自転車借りて「しんぶん赤旗」を買いに行き、帰路は第60回というライラックまつりの吹奏楽音楽祭に立ちよりおにぎり昼食。


5月21日、国民平和大行進は札幌市を訪問。ペナントに署名をいただき記念撮影。なんとここでも思いがけない出会い、板橋区議の同期同郷故田中順一さんの兄の子で市議の田中啓介さんと市要請行動で同席したのだ。休憩時間に順ちゃんの奥さんにもちろん電話をかけた。

午後は北海道ノーモアヒバクシャ会館を訪ね、2階の展示室を見学し会の役員と名刺交換して記念撮影。峠三吉の「よびかけ」、ジョ-・オネダルが被爆直後の9月に長崎で撮った「焼き場に立つ少年」の写真パネルが心を打つ。市庁舎から恵庭岳遠望。



5月22日、国民平和大行進17日目。北広島市役所訪問し副市長、教育部長、議長を表敬訪問しペナントへの署名をいただき懇談。小中学校代表を広島へ毎年派遣し平和学習を実施。特に議長は、安倍さんは言うことが違うので困ってしまうと本音を吐露。意気投合し握手、記念撮影。

広島から分火した火があるのはここだけという。

平和公園での出発前集会では「原爆を許すまじ」「青い空は」を参加者で合唱、天気もいいので手振りが多く励まされる。

北広島駅前広場に到着し、行進参加のご夫婦に「辺野古でトランペットを吹いている方ではないですか?」と声をかけられて、びっくり!今年4回、去年は7回辺野古へ通い詰めているので何度か見られているのだろう、平和大行進が終わったらまた沖縄に行きます、お会いするのが楽しみです(v^-゚)と握手。北の国北海道で南の沖縄のたたかいと連帯!これも平和大行進の嬉しいo(^-^)o出会い、です(v^-゚)


5月23日、国民平和大行進18日目。恵庭市役所を訪問し市長、議長にペナントに署名をいただく。恵庭事件の現場を案内され説明していただく。

市内行進後、千歳市役所に移動し市長、議長から賛助金をいただく。約10万人の人口に自衛隊員と家族は26%というなかでの宣伝署名の取り組みをお聞きした。

午後は支笏湖を案内いただきビジターセンターを見学、「アイヌ芸術伝統民芸品店大和」ではアイヌの楽器ムックリの鳴らし方を教わる。

「アウニ桂の森」での歓迎交流会はオーナーの渡辺さんのギターとのコラボや参加者全員の合唱、「北の鬼ころし」をいただき、鋭気を養った。


5月24日、国民平和大行進19日目。千歳市内平和大行進は快晴のなか20人で元気に出発。千歳原水協副会長平井さんの案内でウトナイ湖で休憩。

午後は勤医協苫小牧病院で歓迎交流集会、ここで苫小牧原水協理事長の苫小牧駒沢大学名誉教授篠原昌彦さんが国会前希望のエリアの金曜行動で何度かお会いしていますね、と声をかけてくれ、びっくり!よくよくお顔を見るとスピーチされている姿を思い出した。ヤ-!ここでも思いがけない出会いがあった。篠原さんは出発集会の挨拶で30年ぶりにコープ札幌から平和大行進へ連帯のメッセージがあり、今年は中高校生14人広島大会へ派遣すること、「ヒバクシャ国際署名」は32万筆に到達したことを紹介し、大拍手。60人で市内行進。

その後、新婦人苫小牧支部のみなさんと苫小牧駅前で宣伝署名行動、約30分で28筆、私は1筆だった。

終了後、松橋ちはるさんに案内され、1898年、小林多喜二の伯父さんが創業された「三星」でコーヒータイム。苫小牧市非核平和条例制定15周年を迎えるというお話を聞かせていただいた。


5月25日、国民平和大行進20日目。苫小牧市役所を訪問し副市長と懇談、ペナントに署名をいただき記念撮影。小中学校生徒4人を市の事業「平和の翼」で毎年広島へ派遣しているとのこと、若い世代に継承していく思いが共有できた。

北海道新聞苫小牧支社も訪問し懇談。昨日の市内平和行進取材に感謝。

次いで白老町訪問。晴れ上がった中、元気に行進、役場前で行進参加者と、副町長とも記念撮影。

登別市役所の訪問では副市長と懇談し記念撮影。どこでも米朝首脳会談の成り行きに心配、会談成功を願う声をお聞きする。

夜は日本共産党登別市委員会で歓迎懇親会、大いに盛り上がる。隣の北区滝野川に7年前まで住んでいた旧国労争議団のご夫婦や秩父市でご両親が療養しているという渡辺勉市議など、ここでも思いがけない出会いがあり、日本は狭い?ね「。通し行進やろうと思っていたができずにうらやましい」と言われ恐縮することしきり。


5月26日、国民平和大行進21日目は登別市内行進。特養ホーム入所者2人、93歳の佐々木さんと88歳の女性も約2kmを元気に完歩しみんなで拍手。私は「折り鶴」と「ふるさと」を伴奏。

昼食は名物のカレーラーメン。午後は「原発やめよう登別九条の会」の5月企画、室蘭工高教諭松本徹さんの「招魂碑から登別に生まれた若人の声を聞く」講演会に誘われ参加。松本さんが作成した招魂碑に刻まれた登別の284人の日露戦争以降の死亡年月日、死亡場所の一欄表では、ノモンハンで5人、ガダルカナルで4人、アッツ島で全く同日に6人、ビキニ環礁で4人、硫黄島で2人、沖縄では27人。調査して解ったことは登別の若人が先の大戦で最前線で亡くなっていたこと、約5割が太平洋区域になっていたこと、そして2004年のイラクには室蘭から自衛隊員が派兵されたのだ、ここから何を考えるか、と講演。その後、私に平和大行進通し行進者としての挨拶を求められたので、この15年戦争が沖縄地上戦、広島、長崎への原爆投下ーーーー60周年を迎えた国民平和大行進、核兵器禁止条約の話と自らの思いを語り、「原爆を許すまじ」「アメイジング・グレイス」をトランペット演奏させていただいた。

その後、渡辺勉市議の案内で登別温泉、登別大橋から240m落差の地獄谷。


5月27日、平和行進22日目は室蘭市内行進。中島小公園で出発集会、新婦人室蘭支部のみなさんが素敵な手作り横断幕でアピール、出発前に快晴のもと「原爆を許すまじ」「青い空は」そして「広島へ長崎へ」を参加者で合唱。私は伴奏を勤めさせていただいた。7団体、30人で平和大行進し、その後交流集会。

なお、昨日付の「しんぶん赤旗」北海道東北版に苫小牧合流集会と市内行進の記事が掲載された。


5月28日、国民平和大行進23日目は室蘭市役所へ要請行動。道内で「ヒバクシャ国際署名」をしていない数少ない市。今回も市長自身の応対はなく、ペナント署名と協賛金はいただいた。去年までペナント署名をしなかった教育長は、今年はしてくれて記念撮影。

1972年の日中国交回復を記念し建立された中国人殉難烈士慰霊碑、中国人強制連行は全国で38,000人、道内で16,000人、室蘭では1,800人のうち約3割の560人が死亡。悲惨な戦争犠牲者に合掌する。

時間があったので洞爺湖、地球岬、昭和新山を廻り、かつて登った羊蹄山の勇姿も見る。観光客や店員に「ヒバクシャ国際署名」をお願いし3筆もらった。

夕方、伊達市の歓迎集会と市内行進では通行人や店内、2階の窓から家族揃っての手振りなど元気が出た。


5月29日、国民平和大行進24日目は伊達市を訪問し副市長、議会事務局長、教育長と面談。市三役のペナント署名をいただく。

10時半から洞爺湖町へ平和大行進、出発前に七宝焼きの9条バッジと昼の手作り特製弁当をいただき記念撮影。行進中、通行人やドライバー、家の中から、バイクのツーリング、郵便配達員などから手振りが多く励まされる。

伊達市善光寺自然公園で昼食休憩。

14時、洞爺湖町原水協に引き継ぎ集会。伊達のみなさんが、今年は通し行進者の団扇太鼓とトランペットに励まされ楽しい行進だったと言ってもらった。伊達市は市の施設に「ヒバクシャ国際署名」用紙を置いてもらい来庁舎の署名をいただいているという。

15時、洞爺湖町三役と懇談、町長はこの町は観光の町なので平和でなければ町経済も立ち行かない、核兵器禁止条約には大賛成、政府の姿勢を厳しく批判。意気投合し記念撮影。


5月30日、朝霧の中早朝ウォーキング。ホテルの彫刻をパチリ。羊蹄山、中島そして鴎。

洞爺湖町とうや・水の駅で宣伝署名行動、10人参加で30分で26筆。私は1筆。

昼休みには町労連と懇談、執行委員長のペナント署名をいただいた。

午後、ひまわり団地での交流集会では去年より参加者が多く、これからも頑張って行こうという声が相次ぐ。集会最初に「折り鶴」を、最後に「青い空は」を合唱。

市内行進では団扇太鼓のリズムに合わせ元気にアピールできた。


5月31日、国民平和大行進26日目は豊浦町を訪問し町長、議会事務局長、教育長らと懇談。昨年からは中学生20数名を修学旅行で広島原爆資料館もコースに入れ、被爆者を招き生徒にお話もしてもらっていると聞き、北海道でここまでの施策は他になかった。平成の大合併を住民投票実施し7割の反対で阻止したと聞き、嬉しかったo(^-^)o揃って記念撮影。

午後は長万部町を訪問し、町立病院の碑、本郷新の彫刻や丸木位里・俊夫妻の「原爆の図・母子像」のある平和記念館、植木蒼悦記念館を見学した。

夕方から10人で市内行進、96歳の佐藤さんの張りのある行進アナウンスと通し行進者栖原さんの団扇太鼓で元気に2km歩く。長万部駅前で「原爆を許すまじ」「青い空は」をトランペット演奏。


6月1日、国民平和大行進27日目、快晴が続き長万部町役場訪問。副町長、議長、教育長らと懇談しペナントに署名をいただき、記念撮影。議長は懇談後立ち話で、「うちもそろそろ宣言しなければ」と言う、チャンス!

その後、国宝のシャクシャイン古戦場跡碑を訪ね、いにしえに思いを馳せる。昼食は有名な長万部かにめし駅弁に舌鼓。

午後は八雲町訪問、三役揃っての応対は珍しいとのこと、町長は「原発も核兵器も駄目だ、安心安全な食料生産と自然再生エネルギー、医療・福祉、雇用確保で自立できる町を目指す」と力強い決意を披瀝。教育長は4つの中学校代表を毎年広島に送り、帰ってきてから報告集会とパネル展も公民館で開催しているという。記念撮影し握手。

夕方6時から25人で元気に市内の平和行進。


6月2日、国民平和大行進28日目は北海道最終日。森町を駒ヶ岳を背に10人で行進、団扇太鼓とトランペットの音に元気づけられ88歳の女性は来年も歩きたい、何十年ぶりに歩いた方も来年も、と語りよかった(v^-゚)。

七飯町では町長が「是非一度、原水爆禁止世界大会に参加したい」と表明、小学校代表6人を広島に今年も派遣するという。

街道百選の赤松街道を行進。

さて、函館市に入る。15団体100人で市内行進、沿道の声援がさすがに多く励まされる。


6月3日、国民平和大行進29日日、本州青森県に入る。青森市平和公園で引き継ぎ集会は250人、気温も24度と夏日近い中で熱の入った谷崎県原水協会長の挨拶、私は通し行進者としてまずは津軽弁で「なんぼぬぐいば」(暑い)と切りだし、北海道28日間で30自治体訪問し62本のペナント、たくさんの協賛金をお預かりして激励されて来たことを報告し東京、そして広島までみなさんの核兵器廃絶、原発再稼働阻止の願いをお届けすることをお誓いした。

出発前の全員合唱「原爆を許すまじ」では青森センター合唱団にトランペットで加わった。

行進では沿道の声援も大きく小学生の姉弟、友達も一緒に歩き元気づけられた。


6月4日、国民平和大行進日本海コース出発式、「青い空は」の合唱で送り出す。

その後、時間をいただいたので墓参、津軽農業青年会議訪問、中学校同級・同窓生と昼食。

農業青年会議のメンバーである弘前市自由が丘のりんご園を訪問し、樹齢100年以上というりんごの木の前で87歳の斎藤さんをはさんで記念撮影。脚立をお借りし、りんご園と岩木山をパチリ。


6月6日、国民平和大行進32日目、いよいよ太平洋コースの出発。青森県原爆被害者の会副会長の田中正司さんの激励の挨拶をいただき、「青い空は」を合唱し出発。

浅虫市内行進、平内町役場を訪問し町内行進、六ヶ所村役場を訪問し村内行進、横浜町役場を訪問し町内行進。ここでは元町議の杉山節子さんとお会いし、かつて日本共産党板橋区後援会の財政活動のホタテを斡旋していただいたことにお礼を述べることができた。想定外のこと。

尾駮沼(おぶちぬま)で珍しいケアラシ現象を見た。

野辺地町役場を訪問し町内行進、3月議会で政府に核兵器禁止条約に批准することを求める意見書を全会一致で採択、県内トップの快挙。

2004年に建立された「核兵器廃絶平和自治体宣言碑」の前で参加者の記念撮影。


6月7日、国民平和大行進33日目。七戸町、東北町各役場訪問と中心街を行進。東北町では町長と懇談。十和田市、三沢市、おいらせ町を訪問、六戸町では初めてペナントに署名をもらう。

八戸市内合同行進は約180人で堂々たる行進。引き継ぎ集会では県原爆被害者の会の藤田会長が激励、市長、副市長、教育長はじめ職員が1650人署名し、市のホームページでも「ヒバクシャ国際署名」の呼びかけをしていると聞いて驚く。

ここでも思いがけない出会いがあった。板橋に住んでいて奥さんが陽光保育園の保育士をしていたという党三八地区委員長の松橋さん、板橋の凸版印刷で働いていた畠山さん。ほんとにびっくり!


6月8日、国民平和大行進34日目。八戸市内行進2日目は30人で3km60分、通行人、トラックのドライバー、バスの乗客などたくさんの手振りに元気が出る。私が「東京まで歩いて行きます」と言うと「信じられない」と真顔で言葉が返る。さもありなん。

南部町では耳慣れない「鍋条例」、町長曰く、鍋料理で一家団欒の家庭は明るいし町の生産する野菜の消費にも繋がるというので毎月22日、またはその前後の金曜日に設定し職員はノー残業にしているという。拍手!

三戸町では町長、教育長が「ヒバクシャ国際署名」にサイン。田子町、階上町でもペナントに署名をいただく。

夕方の原発再稼働反対の八戸金曜行動に参加し、連帯の挨拶とトランペット演奏。


6月9日、国民平和大行進35日目は青森県最終日。小学2年、3年、4年生の姉弟が横断幕を携え先頭で五戸町、新郷村を行進し、金田一温泉駅前広場で引き継ぎ集会。

青森県行進団に7日間のお礼を述べ、広島の原水爆禁止世界大会にみなさんの思いを届ける決意を表明。

うみねこ合唱団の十日市広志のアコーディオンと一緒に「原爆を許すまじ」、「青い空は」の合唱の伴奏。

途中で久慈コースの小林和江さんと合流、握手を交わす。

二戸市石切所公民館で歓迎集会、記念撮影。


6月10日、今朝の岩手日報に昨日の二戸市平和大行進が、しんぶん赤旗には7日の八戸市役所前集会が掲載されていた。

午前、二戸市の九戸城跡見学し、午後は二戸市、岩手町を行進、途中4歳の男子が先頭で行進。

民医連さわやかクリニックで歓迎集会。気持ち良く「アメイジング・グレイス」を演奏。「青い空は」を合唱。


6月11日、国民平和大行進37日目。岩手町川口を行進し岩手町副町長、議長、職員組合を表敬訪問し激励される。

石川啄木記念館で集会、滝沢市役所では市長が激励、ゴアテックス着用の私を見て登山されるのかと聞かれ一時山の話になる。一昨日チャグチャグ馬子まつりだったというので記念写真。

盛岡市内に入り、夕顔瀬橋手前で金曜行動国会前希望のエリアの同志、橋本さんご夫婦が合流し元気をもらう。盛岡大学生協の青年が先頭、120人の行進団に沿道の声援大し!

岩手県公会堂での集会では斎藤県議、三田県被爆者団体協議会副会長から激励の挨拶、私は通し行進者として報告し、最後に合唱団と参加者全員で「原爆を許すまじ」「青い空は」を歌う。


6月12日、国民平和大行進38日目。岩手県庁訪問、副知事が応対し懇談。非核三原則を守り恒久平和を貫くべきだと副知事が強調、さすが真っ先に「ヒバクシャ国際署名」をした県知事の岩手だと感動!

盛岡市役所の市民休憩室に立派な篇額をパチリ。

市役所では総務部長らが対応。

午後、県公会堂前で出発集会。

昨日平和大行進に東京から来て合流された橋本さんご夫婦から託された「そめきちのてぬぐい」を首にかけて記念写真。

行進途中の川久保病院では大歓迎集会。励まされる。

矢巾町でも副町長、議長、職員組合委員長の歓迎と激励。応える気持ちも込め「原爆を許すまじ」と「北国の春」、議長、副町長も歌っていただいたので嬉しかった。

その後、役場敷地内を一緒に横断幕携え平和大行進!

矢巾駅待合室での休憩中に女子高生に「ヒバクシャ国際署名」をしていただきよかった。

最後の行進中に下校中の小学5年男子が行進団に加わりにぎやかだった。


6月13日、国民平和大行進39日目。早めに宿を出て「野村胡堂・あらえびす」記念館を訪ねる。日本の原風景を目の当たりにする。早苗の成長が早い!

紫波町役場を表敬訪問し副町長から激励をいただく。

途中珍しいギンガジュームという花をパチリ。

石鳥谷の名木「杉生桜」の脇を行進。

昨年、宿場町おおはさま400年を記念し清水寺森清範貫主揮毫の「迫」。

花巻空港駅前通りで「ヒバクシャ国際署名」活動、約40分、8人で52筆、私は8筆だった。

花巻市での合流歓迎集会でなんと11年前に遠野市に引っ越しているという板橋区民だったKさんと出会い握手。照井明子市議が挨拶、市長の歓迎メッセージを代読。昨年「核兵器禁止条約」の批准を政府に求める意見書を1票差で可決、来月の市議選では2から3議席にしたいと決意表明し、大きな拍手!


6月14日、国民平和大行進40日目。花巻市役所訪問、市長、総務部長、議長から平和大行進への激励を受け、打ち解けた懇談で元気づけられる。

外務省NPT国連特命非核大使・県被爆者団体協議会名誉会長で95歳の齋藤政一さんからの、昨年ノルウェー・オスロ市でICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)のノーベル平和賞授賞式に同席された話に感動した。

食後、宮沢賢治記念館を見学、賢治はベートーベンが好きだったそうだ。

花巻市を俯瞰、残念ながら岩手山は頂上が雲の中。

北上市内で「ヒバクシャ国際署名」活動、6組で40分、55筆。私は11筆(累計946筆)。


6月15日、国民平和大行進41日目。「岩手日日」に昨日の花巻市内行進、市長、議長表敬訪問の記事が掲載。

12時30分、非核平和都市宣言の北上市役所出発式。

行進途中、「ヒバクシャ国際署名」活動、34筆、うち私は5筆。

金ヶ崎町役場訪問、副町長、議会事務局長が応対しペナント署名をもらい懇談、記念撮影。

「胆江日日」の取材を受ける。

奥州市でも署名活動、73筆中、私は9筆で累計960筆に到達。

休憩時、55年前の今日が全米ヒットチャートで「上を向いて歩こう」が1位に輝いたというのでトランペット演奏し行進参加者に合唱してもらう。

午後の行進では下校中の4年生が横断幕携え先頭を数百m行進、楽しかった。

後藤伯記念館で歓迎集会、奥州市おだき小学校から千羽鶴を托され、お礼に「青い空は」と「アンパンマン・マーチ」を演奏。


 

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