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原水協通信

毎月発行している日本原水協の機関誌です。国内外の反核平和運動についての情報が満載です。 日本原水協のウェブサイト→ http://www.antiatom.org/

「核兵器の全面禁止を!」

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【2018年原水爆禁止国民平和大行進】北海道→東京コース(内陸)通し行進者:栖原秀夫日誌 5/3-6/11

5月3日、嵐のような天候に飛行機が飛ぶか不安を感じつつ出発。羽田に着いたら、空には明るい白い雲が流れていた。少し飛行機が遅れ、飛び立つ時と千歳に降りる時に揺れたが、無事に北海道に着いた。余談だが、札幌までの電車や札幌の地下鉄でSuicaが使えるのに感激した。

北海道原水協は北区のどろんこクラブの2階にあった。嶋田千津子事務局長と日本海コース通し行進者の山口逸郎さんと県内通し行進の小川さんがすでに来ていた。後から太平洋コース通し行進者の山内金久さんが来た。山内さんとは初対面だった。事務所で県内通し行進の平岡さんと北海道実行委員会の石岡委員長と打ち合わせをした。

終了後、恒例とのことだが、どろんこクラブの入口前で集合写真を撮った。打ち合わせの緊張で、私は笑顔で写ることに精一杯で、私の携帯で写真撮るのを忘れていた。

その後、サッポロビールの赤レンガ倉庫跡で会食。山口さん、山内さん、小川さん、平岡さん、皆さんの輝かしい活動の話を聞き、恥ずかしくなった。4日は山口さんと釧路に移動する。山口さんのお話が聞けるのが楽しみ。早く寝る。

5月4日、山口逸郎さんに付いて札幌から釧路に特急おおぞらで移動した。電車ではなく、ディーゼル車だったので、特急汽車で停まる駅は少ないのだが、単線により、対向車とのすれ違いの待機でたくさん停まった。車窓からは、桜、コブシ、白樺、清流、牧場、原生林、大雪山や日高には雪が見られた。

釧路は大きな都会だった。駅では民医連の吉田岳彦さんが迎えてくれた。吉田さんの案内で矢臼別の演習場の中にある、反対闘争の基地を見学。写真は学習したり、交流したりする宿泊施設。屋根に描かれているのは、広大な演習場の地図。山口さんは映画を作るために来たことがあり、闘ってきた方々との交流も深く、乳幼児が興味を持った物を見つけたように、嬉々として歩き回り写真を撮っていた。山口さんの元気は、経験で培われた知識を栄養にして、たくさん感動しているからかな。ボケッと生きていてはいけないと思った。釧路から矢臼別まで遠く、案内してくれた吉田さんありがとうございました。

北海道→東京コース(日本海)通し行進者の山口逸郎さんが作ったシナリオの題材となった川瀬氾二(かわせ・はんじ)んのお墓にお参りし、写真を撮る山口さん。


5月7日、早起きして網走刑務所まで散歩した。塀の中の蝦夷山桜は開花したばかり。松浦網走市議に案内され、網走市役所を訪問。教育長、市議会、総務課に行き、ペナントを書いてもらう。

次に女満別空港に近い大空町役場総務課に行き、ペナントを書いてもらい、賛助金をいただく。

次に美幌町役場に向かい、大江町議の案内で町長室横の応接間に通され、町長不在と総務部長が対応。ペナントは後日町長が自筆したいとのことで預けていく。

北見市に向かう。北見原水協の佐々木副理事長に案内が引き継がれる。北見市教育委員会に行き、学校教育部長に会う。ペナントを書いてもらう。

続けて訓子府町役場に向かう。総務課で町長不在とのことで、メッセージが書いてある封筒で賛助金をいただく。平和首長会議のメンバーとして、広島と長崎に行きたいと書いてある。実現していただきたい。ペナントは町長の意思で預かり、後日自筆して送りたいと。

次に置戸町役場に向かう。町長不在と和田副町長が対応。学校給食や町の独自の木工品について話を聞く。ペナントは町長が自筆すると言うので、預ける。

北見市に向かう。市役所の市民環境部長に会い、ペナントを書いてもらう。平和事業について説明を受ける。北見市議会に行く。事務局が議長の意思として、反原発は全議員の考えでないので、ペナントは書けないが、「ヒバクシャ国際署名」は全議員の意思なので議長名で提出する。

17時40分から北見中央公園で集会をおこなう。参加者は7団体で40人。民医連や福祉保育労の若い人5人に国際青年リレーのタスキをしてもらう。実行委員長挨拶の後、私が紹介され、署名と世界大会への代表派遣を訴え、参加団体の代表が挨拶。行進は宣伝カーを先頭にみんなでシュプレヒコールを上げて、繁華街を2キロほど歩く。


5月8日、北見から佐々木副理事長の運転で佐呂間町役場に向かう。高教組の奥山さんや日本共産党町議に引き継ぐ。高教組の青年役員と9条の会会員も一緒に佐呂間町副町長に会う。「ヒバクシャ国際署名」を受け取る。核兵器廃絶は日本国民の願いなどのご意見をいただく。ペナントを書いてもらう。賛助金をいただく。高教組の青年に国際青年リレーのタスキを掛けてもらう。佐呂間町役場の周辺を行進。町議さんと9条の会の女性と食堂で懇談。コーヒーとサロマ豚丼をご馳走になる。佐呂間町図書館で遠軽の方に引き継ぐ。

遠軽の方の運転で湧別町役場に。高教組の方が待っていて、一緒に副町長に会い、要請。核兵器廃絶はみんなの願いなど懇談し、ペナントと賛助金をいただく。思いきって、私の主治医の祖父、庄田萬里さんのことを尋ねると、郷土の名士として会議室に掲げてある名誉町民肖像画を見せていただいた。高教組の方からも庄田萬里さんの伝説を聞きながら、建てた病院の跡地に立つ石像を見学した。病院は遠軽の厚生病院に引き継がれたとのこと。

遠軽に向かう。遠軽の名勝に案内していただく。硬い岩山でアイヌ語で見張り台という意味で遠軽の起源とのこと。遠軽町役場に行き、高教組、年金者組合、新婦人など5団体11人の方が集まり、副町長に会う。私の決意と平和行進としての要請をおこない、副町長からはペナントと賛助金をいただく。庁舎前で集合写真を撮り、庁舎周辺を元気に行進。駅にも近く繁華街や国道なので、人通りも多く、笑顔で挨拶してくれる人も。ただ、商店街の愛称なるものが連隊通りというのには、町の発展のためもっと自衛隊に来て欲しいという考え方からだと思うが、戦前のような響きに違和感を感じないのかなと驚く。


5月9日は遠軽の小笹さんに上川町役場まで送ってもらう。元町議の沢田さんに引き継ぐ。上川町役場の企画課に行き、久保課長補佐と会う。議会も教育委員会も併せて対応しますと、町長、議長、教育長のペナントを書いてくれて、それぞれ個別にと賛助金をいただく。

その後、町長室に行き、町長と懇談。その後、沢田さんの奥さんと一緒に日本一美味いと言われている上川ラーメンをいただく。沢田さん夫婦に愛別町役場に連れていってもらう。愛別町役場の駐車場で道北原水協の守屋代表理事と霜野事務局長に引き継ぐ。愛別町役場では、山中総務企画課長に案内され、前佛町長に要請。ペナントを書いてもらい、賛助金もいただく。

ついで、当麻町役場に向かう。庁舎前で、加藤町議と待ち合わせて、加藤町議について行く。庁舎は新しく、木造で高い木の香りが。鈴木総務課長を訪ね、町長室で菊川町長に要請。ペナントを書いてもらい、賛助金もいただく。

鷹栖町役場に向かう。比布町議の遠藤さんが役場の駐車場に来て、一緒に谷町長との懇談に。町長は発展している町の状況を熱心に話し、ペナントを書いてもらい、賛助金をいただいた。


5月11日、道北原水協の霜野事務局長の運転で比布町役場に向かう。

一昨日、鷹栖町役場に来て頂いた遠藤比布町議に案内され、村中町長に要請する。新しい町長で「ヒバクシャ国際署名」と賛助金をいただく。ペナントも書いていただく。比布スキー場や莓の話をしてくれる。

旭川市役所に。道北原水協の阿部代表理事と石川市議に案内され、和田市民生活部長、飯森市民活動課長、嘉屋秘書課長に要請。阿部さんから、旭川市は平和都市宣言、学童の広島派遣などおこなっており、議会は核兵器禁止条約賛同決議をおこない、市長も「ヒバクシャ国際署名」をして、とても心強いと伝える。併せて、昨年イトーヨーカ堂で原爆展を見かけたが、是非とも続けてほしいと言う。そばにいた川渕市民活動係長から、反対側に立っていた鈴木係員が担当で今年も8月におこなうと。ペナントを書いてもらう。旭川市内のそば処和香亭で昼食。鰊そばはとても旨かった。

午後からは勤医協の宮越書記長が付き添ってくれる。東川町役場で鶴間町議と待ち合わせ、松岡町長に会う。写真の国の首都だと町長は町を紹介。要請には、ペナントを書き、賛助金で応えてくれる。町議会は「戦争法」反対決議をあげるなど平和を大切にする町。

東神楽町に向かう。生出町議と待ち合わせる。生出さんと明日一緒に旭川市を行進する全国通し行進者の山内さんとは、お米を通じた知り合いとのこと。山内さんは生出さんの作ったお米が美味しくて、送ってもらっているとのこと。山本町長に会う。要請に応え、ペナントを書き、賛助金をいただく。山本町長は昨年の道内通し行進者の山本幸子さんの息子さんとのこと。私たちの前の来客は、梅光軒のオーナーで、今年、横浜駅東口のベイエリアでビアガーデンを出すので、町の協力を要請に来たとのこと。昨夜、私は梅光軒の醤油ラーメンに堪能したと話すと、ラーメン談義に。

次に美瑛町に。道脇に咲くチューリップの色が鮮やか。山々の雪が少し霞んで見える。今までに見たことない景色。美瑛では杉山副議長の案内で鈴木総務課長に要請。ペナントを書いてもらい、賛助金をいただいた。


5月12日、9時半に旭川市の花咲公園に集合。10時に行進は出発。自衛隊旭川駐屯地前を、「こんにちは」「平和行進です」「核兵器をなくしましょう」とシュプレヒコールをあげて、元気に行進。護国神社の前も、「日本のどこにも米軍基地は要らない」「改竄、隠蔽、セクハラは許さないぞ」「安倍は、辞めろ」などのシュプレヒコール。

ロータリーを9条通りへ、9丁目で曲がって市役所前の広場に11時に着き、集結集会を開く。参加は、20団体70人。道北原水協の山本常任理事の司会で、道北原水協の阿部代表理事が主催者挨拶。日本共産党の真下道議と北海道原水協の嶋田事務局長が、激励の挨拶。通し行進者の山内さんと私が挨拶。最後に、道北原水協の霜野事務局長が、これまでの経過の報告と今後のとりくみについて連絡し、閉会挨拶。

旭川市の行進と集会に続き、11時半から平和通買い物公園2条近辺で、「ヒバクシャ国際署名」宣伝行動をおこなう。マイクでの訴えを真下道議以下原水協の役員がリレーでおこなう。参加は、9団体19人で、40分程のとりくみであったが、50筆も集まった。


5月13日9時、旭川のホテルに霜野事務局長が迎えに来る。山内さん、山本さん、嶋田さんと深川市役所に向かう。

10時に市役所の駐車場で旭川から深川への引き継ぎ式を深川原水協の兎本事務局長の司会でおこなう。写真は引き継ぎ式でトランペットを演奏する北海道→東京(太平洋)コース通し行進者の山内金久さん。参加は5団体20人。歓迎会をおこなうふれあい会館までの1.5kmを、山内さんのトランペット、兎本さんのスピーチ、私の団扇太鼓で元気に市民に訴えて行進。2階のおばあさんが奥から窓辺にやって来て、ニコニコと手を振る。励まされる。小学生がはにかみながら手を振る。こちらも笑顔になる。車の中の人が会釈してくれたり、手を振る。こちらも手を振ったり、会釈する。

10時半からふれあい館で歓迎会。参加者は13人。核兵器廃絶や平和についてと私たち行進者への励ましの言葉が、全員からあった。特に印象に残ったのは、3000万署名が目標の100パーセント達成したとの報告。

12時過ぎに深川名物「深川そばメシ」をご馳走に。13時24分深川発の汽車に北海道原水協の嶋田事務局長と乗る。14時21分に留萌に。留萌原水協の小沼事務局長が迎えに来ている。雨が酷くなる。広見屋旅館に連れていってもらう。

16時半に留萌プラザ前に行く。留萌原水協の國京理事長、坂本留萌市議に会う。雨が酷いので署名宣伝行動は中止し、國京理事長の案内で新聞社訪問をおこなう。日刊留萌は不在。北海道新聞社留萌支局では高橋支局長に会い、挨拶ができた。國京理事長は顔がとても広いと感心した。


5月14日は、留萌原水協の小沼事務局長の運転で、國京理事長と留萌市役所に行く。坂本市議の案内で、中西市長や武田教育長や野崎議長に要請。1枚目の写真は私が中西市長に要請している場面。市長や教育長や議長に、ペナントと「ヒバクシャ国際署名」を書いてもらう。さらに賛助金を市長と教育長からいただく。

私と國京理事長が庁舎入り口で、市民から核兵器廃絶の願いを広島へ届けてもらおうと寄せられた千羽鶴の前で。

午後からは小沼事務局長と増毛町役場に行く。総務課を訪ね、町長室に案内され、堀町長に要請。ペナントも「ヒバクシャ国際署名」も書いてもらう。賛助金もいただく。小沼事務局長と沼田町役場に行き、橋場町議に会う。橋場町議に役場を案内してもらい、栗中副町長や浅野議会事務局長や吉田教育長に要請。みなさんにペナントと「ヒバクシャ国際署名」を書いていただき、賛助金もみなさんからいただいた。


5月15日、晴天。泊まった幌新温泉ほたる館の周りは、まだ雪がいっぱい積もっている。雪を見ながらの温泉入浴は、季節からは思いもよらず、感激した。

まず橋場町議の運転で、秩父別町役場に向かう。途中で車窓の右後方の山が、橋場さんの山菜などを採る「裏山」と。悲惨な原爆絵を表した丸木俊の実家に当たるお寺を教えていただく。役場駐車場で、北空知原水協の北名さんに会う。3人で総務課へ。議会開会中で、町長以下不在。岡田主査が対応。ペナントと賛助金をいただく。

北いぶき農業協同組合に行く。藤村管理部長が対応。ペナントと賛助金をいただく。教育委員会に行く。教育長不在。川尻主幹が対応。ペナントをいただく。秩父別町議会に行く。白木事務局長に会う。ペナントをいただく。北名さんの運転で北竜町役場に。総務課へ行く。中村総務課長が温かく迎えてくれる。ペナントと賛助金をいただく。議会事務局に行く。山田事務局長に会う。ペナントをいただく。

北名さんの運転で、雨竜町役場に向かう。1週間前に開庁した真新しい庁舎。総務課に向かう。西野町長に会う。ペナントと賛助金をいただく。雨竜町議会事務局に行く。源局長に会う。ペナントをいただく。

午後からも北名さんの運転で、新十津川町役場に向かう。役場の前で、元町議の樋坂さんに会い、一緒に総務課に。小林副町長が対応。ペナントと賛助金をいただく。

北名さんの運転で、本日泊まる、浦臼町のうらうす温泉に連れて行って貰う。宿の前に白鳥の形をした小舟が幾つも浮かぶ大きな池があり、明るいリゾート地のようである。温泉には、地域の人がたくさん来ているが、池の周りに人影はない。


5月16日8時50分、牧島浦臼町議が迎えに。浦臼町役場に向かう。役場で斎藤町長に要請。「ヒバクシャ国際署名」とペナントを書いていただき、賛助金もいただく。日本政府は核廃絶に後ろ向きで、北朝鮮問題でも遅れをとるとコメントをいただく。浦臼町教育委員会に向かう。浅岡教育長に要請。「ヒバクシャ国際署名」とペナントを書いていただく。「世界平和のために、核兵器の廃絶を!!」のメッセージをいただく。中学校の修学旅行で広島の原爆資料館に行き、大変良かったとコメントあり、続けて欲しいと要請する。

牧島議員は農作業の為、月形町へは、奥様が送ってくれる。月形町役場ロビーで高橋月新(月形町・新篠津村)水道企業団監査委員と菊地新篠津村議に会う。一緒に総務課に向かう。町長は札沼線廃線について、テレビ会見するため、堀副町長が対応。副町長が「ヒバクシャ国際署名」とペナントを書いてくれる。名産品のトマトジュースをご馳走になる。月形町として、賛助金をいただく。教育委員会に行く。内藤教育次長が対応。「ヒバクシャ国際署名」とペナントを書いてくれる。月形町教育委員会として賛助金をいただく。今夜のお宿、月形温泉に高橋さんに送っていただく。私は宿に荷物を置いて、役場の横にある「月形樺戸博物館」に行く。写真はその入口。町の歴史を勉強した。


5月17日9時、月形温泉に高橋月形新篠津水道企業団監査委員が迎えに来る。高橋さんの運転で、新篠津村役場に向かう。役場で菊地新篠津村議に会い、一緒に荒谷教育長に会い、要請する。「ヒバクシャ国際署名」とペナントを書いてくれる。賛助金もいただく。次に、石塚村長に会い、要請する。写真は村長に要請する私。「ヒバクシャ国際署名」とペナントを書いてくれる。賛助金もいただく。次に、村議会事務局に行き、伊藤事務局長に会い、要請する。「ヒバクシャ国際署名」とペナントを書いてくれる。賛助金もいただく。

当別勤医協に行き、お昼のお弁当をいただく。13時から30分ほど、20人ぐらいで、私の歓迎会をしてくれる。核廃絶署名宣伝行動について報告があり、米朝会談についても質問される。写真は終了後、残った参加者で記念写真を撮ったもの。歓迎会に参加した鈴木当別町議と当別勤医協の分会長と書記長と一緒に当別町増輪副町長に会い、要請する。「ヒバクシャ国際署名」とペナントを書いていただく。今日は、早く宿に入る。のんびりしよう。


5月18日午前、当別町議の鈴木さんの運転で、石狩市役所に送っていただく。石狩市の蜂谷市議と長原市議に引き合わされる。2人に議会内の党事務所に案内され、三崎市議を紹介される。市議3人と石狩市総務課に行く。及川総務部長に要請。「ヒバクシャ国際署名」とペナントを市長名で書いていただく。合わせて、「ヒバクシャ国際署名」に部長名でも書いてほしいとお願いすると、気持ち良く書いていただける。合わせて、賛助金もいただく。

続けて、石狩市議会事務局に行き、日下部議長と丸山局長に要請。写真は日下部議長にペナントを書いてもらうため渡すところを丸山局長に撮っていただいた。議長からは「ヒバクシャ国際署名」とペナントを書いていただき、賛助金もいただく。長原市議に役所の食堂で担々麺をご馳走になり旨かった。

午後から小雨の中、石狩市内の札幌生協の前で、「ヒバクシャ国際署名」宣伝行動を5団体13人でおこなった。飛び入りで和田市議も参加。和田市議は花川北陽認定こども園園長とのこと。被爆者の願いを実現しようとの思いはどんどん広がっている。写真は横断幕を持っている人と和田市議。


5月19日10時に野幌森林公園に集まる。大粒の強い雨にも関わらず、50人近い人が集まる。江別市実行委員会から引き継ぎの挨拶があり、ついで、札幌市実行委員会の主催者挨拶、来賓として畠山元衆議院議員が激励の挨拶。激しくなる雨の中を平和行進は出発。私は団扇太鼓を叩き、大きな声で核兵器廃絶を訴えて歩く。歩いている人や運転している人、お店で食事している人も、会釈してくれる。訴えに応えてくれるのは嬉しい。途中から参加してくれる人もあり、隊列が大分長くなる。

11時半過ぎに大谷地神社に着く。お昼休憩。太鼓が雨に濡れて張がなくなり、音がとても悪くなる。私は地下鉄で別コースに移動する。

午後1時半、麻生北公園に40人ぐらいの人が参加して出発集会。実行委員会の方が主催者挨拶。参加した地域の新婦人がみんなで「青い空は」を手話の振り付けで歌った。私も元気に挨拶。市会議員も私と一緒に平和行進の横断幕を持ち歩き出す。宣伝カーの音響設備の不調のため、素敵な女性がハンドマイクでアピールやシュプレヒコールをして行進する。雨も上がり、私の団扇太鼓も叩いている内に乾いてきて、段々音が良くなる。美香保公園まで、90分近く、みんなで声を出して元気に行進。

午後3時頃に着くとたくさんの人が美香保公園で待っていた。歩いて来た人に飲み物の接待。宮川道議、太田市議、平岡市議が、私と一緒に平和行進の横断幕を持って行進した。宣伝カーが大型になり、明瞭で大きいシュプレヒコールが響き渡った。私は太鼓を叩いて、唱和した。私と一緒に歩く宮川道議はとても札幌で高名なようで、歩道を歩く人から宮川道議に親しげな挨拶が返ってきた。90分ほど歩き、札幌駅前に。

午後4時半、札幌駅前で、札幌市内を歩く3コースの平和行進が全て集結。道内通し行進者5人が揃って、札幌市内平和行進終結集会が開催された。札幌市実行委員会や宮川道議と一緒に、通し行進者5人がそれぞれ挨拶。


5月21日午前10時に札幌市役所を訪ね、日本共産党の田中市議の案内で、市民文化局地域振興部長の槙さんと同部区政課長の池田さんに要請。「核兵器廃絶はみんなの願い。引き続き、原爆展や広島、長崎、沖縄へ小中学生の代表派遣など、やれることはやっていきたい」と、意見表明あり。市長が書いたペナントをいただき、賛助金もいただく。ついで、市議会事務局に行く。神山総務課長と同課の小山秘書担当係長に要請。課長からは行進者へ激励の言葉がある。議長のペナントと賛助金をいただく。

12時頃にJR平和駅に着く。駅からの長い陸橋を、山口さん、山内さんと歩いていたら、声を掛けてきた人がいたので、平和行進の説明をしたところ、「ヒバクシャ国際署名」をしてくれた。がんにかかっているけど、歩くように心がけていて、今度スペインの山に登るとのこと。元気をもらう。陸橋を降りると目の前に、「ノーモア被爆者会館」。会館の2階の被爆のむごさを伝える展示物を見学。訴える力の強さに感動。北海道に暮らす被爆者は、およそ321人いて、被爆者協会の会員は、86人とのこと。高い組織率に驚く。素晴らしい活動をしている。会館の前の石碑の前で写真を撮る。


5月22日8時半に、北広島原水協の村上事務局長と北広島市役所を訪問。玄関で、北広島市議の山本さんと佐藤さん、北広島原水協の佐藤代表幹事ほか役員の方々に会った。ロビーには、広島の平和公園の「原爆の火」からいただいた「平和の灯」が大切に灯っていた。

山本市議の案内で、道塚副市長と教育委員会の千葉教育部長に要請。地元原水協からは、北広島市にとっては、今年は非核平和都市宣言30年、平和の灯を守る会創立20年、平和首長会議加盟10年の記念すべき年で、核廃絶に向けて大きな一歩を市は踏み出して欲しいと要請。「北朝鮮問題や核廃絶問題では、日本は遅れを取りそう」、「東広島市とは姉妹都市であり、小中学校の代表を毎年広島に派遣して、子どもたちに原爆と戦争の恐ろしさを伝えています」と話あり。私たち通し行進者に労いの言葉も。副市長と教育部長からペナントと賛助金をいただく。永井市議の案内で市議会に行き、佐藤議長と藤木事務局長に要請。「安倍首相は、言うこととやることが違う。国民もその辺りを分からなければ」と、心強い言葉が議長からあり。

10時30分、北広島市の平和の灯公園に集合。みんなのぼりや手作りの横断幕を持ち参加。

10時50分に、全国通し行進者の山口逸郎さんが訴えながらピース・マーチは出発。私は団扇太鼓を打ち鳴らし、「こんにちは!平和行進です」と大声で訴えて歩いた。北広島市役所前で折り返し、車に乗る人やマンションで洗濯物を干す人などが手を振り、励ましてくれた。元気になる。

JR北広島駅西口まで行進し、11時30分から通し行進者の山内金久さんのトランペットで、「ヒバクシャ国際署名」宣伝行動を開始。私は大声で署名を呼び掛けた。12時に終了。

障害者が働く喫茶店で昼食をいただく。コーヒーが飛び切り美味い。JR恵み野駅前まで送っていただく。恵庭原水協の沢田事務局長に引き継がれる。恵庭事件の現地などを案内していただく。夜は歓迎会をしてくれる。


5月23日午前9時半、恵庭市役所に行き、藤田市議の紹介で秘書課長に要請。ペナントと賛助金をいただく。その後恵庭市議会に行き、忙しいなか笹松議長が要請を受けてくれる。ペナントと賛助金をいただける。頑張ってと激励を受ける。最近受けてもらえていない教育委員会は当たってもらうが、断られたとのこと。賛助金がいただけなくても、要請することが大切なので、今後の接触を地元にお願いする。

10時、恵庭市役所前に集合。15人ぐらいで、宣伝カーを先頭に行進。若い市議に国際青年リレーのタスキを掛けてもらう。後ろにパトカーに付いてもらう。私は元気に団扇太鼓を叩き、大きな声で核廃絶を訴えて、サッポロビールの恵庭工場まで、およそ1時間歩いた。沿道や自動車からたくさんの励ましをいただいた。終結地点で山内さんがトランペットを吹き、これからも頑張りましょうと誓いあった。そして、千歳原水協に引き継がれた。

千歳原水協は、私たちを千歳市役所に連れて行き、佐藤元市議が議会事務局の青山係長を通じて、昼前に議会事務局の島局長と秘書課の中津川秘書係長に要請。核兵器廃絶や東アジアの非核化についてはうなずくが、賛助金のみで、ペナントや「ヒバクシャ国際署名」については、部内の調整ができていないと預かりになる。原水協の事務局長が支笏湖を案内してくれる。民芸品店「大和」のご主人に民族楽器のご指導を受ける。全くできないが、上手な人の演奏を聞くと実に素晴らしい。演奏者の絵葉書をいただく。

夜6時から歓迎会に参加。国稀の「鬼殺し」をいただき、懐かしい歌を歌いた。私は少し酔って、大きな声で歌い、とても楽しかった。山内さんと地元の合唱団の人たちに感謝。


5月24日、午前9時に千歳市教育文化会館駐車場から平和行進は出発。先頭に国民平和大行進の横断幕。宣伝カーは無く、ハンドマイクは忘れたらしい。私は、いつもどおり、団扇太鼓を叩き、大きな声で核廃絶を訴えて歩く。私の声に合わせて、みんなが声を出した。2列縦隊で歩道を行く。向かいから学生の一団が来た際は、お互いに一列縦隊にして会釈しながら歩く。町を歩く子どもやお店の人が、手を振ったり、会釈して応えてくれた。

自衛隊員募集事務所の先の公園が終結地点。山内さんがトランペットを吹き、千歳原水協の三浦会長がまとめの挨拶。最後に記念撮影をした。参加者は19人。

苫小牧原水協の松橋さんに案内され、12時に勤医協苫小牧病院に行き、職場集会に参加。苫小牧原水協の理事長篠原昌彦(苫小牧駒澤大学名誉教授)から挨拶と集会の意義について話があった。ついで、全国通し行進者の山内さんと私、道内通し行進者の小川さんから挨拶があり、宮崎有広院長から通し行進者へ激励の言葉が掛けられ、病院から熱中症に気を付けてと飲み物をいただいた。山内さんがトランペットで、「原爆を許すまじ」と「青い空は」を演奏。一緒に歌った。最後に、松橋さんが原水協のとりくみを提案し、参加を呼び掛けた。

午後2時に苫小牧市表町公園で集会をおこなった。参加者はおよそ60人。篠原昌彦苫小牧原水協理事長から生協からのメッセージが紹介された。

2時半から宣伝カーを先頭に平和行進スタート。宣伝カーのアナウンサーは若い男女で、元気なコールが響き渡った。私は宣伝カーのすぐ後ろで、平和行進の横断幕を持ち、団扇太鼓を叩き、大きな声で核廃絶を訴える。沿道を歩く人や働いている人と対話をしながら、歩いた。

午後3時、苫小牧駅前で「ヒバクシャ国際署名」宣伝行動に参加。苫小牧の新婦人と苫小牧原水協の松橋さんと通し行進者でリレー・トークで訴えた。


5月25日9時45分、苫小牧市役所で、苫小牧原水協の篠原理事長、松橋さん、新婦人の藤間さん、日本共産党の富岡市議と待ち合わせる。

9時50分に佐々木副市長に要請。核兵器を巡る世界の情勢と日本政府の有り様と、私たちのとりくみを伝え、画期的な苫小牧市の「非核平和都市条例」についてお尋ねする。副市長の説明を聞き、さらに市民への啓発をお願いする。ペナントへの署名と賛助金をいただく。

10時10分、市議会事務局に行き、園田事務局長に要請。ペナントへの署名と賛助金をいただく。

10時30分、和野教育長に要請。教育長は気さくな方だったので、市の事業である「平和の翼」について継続と拡充をお願いした。ペナントへの署名と賛助金をいただいた。

10時45分、市役所の記者クラブに行き、少し突っ込んだ話し合いをした。お互い理解が深まったと思う。


5月27日9時20分に、登別市の平安ホテルを出る。

10時に室蘭市中島小公園で、室蘭原水協の吉田さんに会う。国土交通省の若い労働者4人に、国際青年リレーのタスキを掛けてもらう。

10時20分に通し行進者の山内金久さんと私の歓迎集会を開始。山内さんと私が紹介され、挨拶。室蘭労連の沓沢議長が歓迎挨拶。ついで隊列の説明。出発まで時間があり、山内さんがトランペットを演奏する。

10時50分、宣伝カーを先頭にピース・マーチは出発。宣伝カーの後ろに、山内さんと沓沢労連議長と私の3人が、「国民平和大行進」の横断幕を持ち、私は団扇太鼓を叩き、大きな声で「こんにちは!平和行進です」と呼び掛けた。車を運転している人も、ハッとして会釈してきた。繁華街を回り、向陽公園で解散。参加は、7団体30人だった。

その後、近くの中島連合会館で、交流会を11人が参加しておこなった。ご夫婦の参加が2組あった。そして、運動を続けることの大切さを確認した。

終了後、室蘭原水協の広中事務局長と会食。会食後、広中さんに教わった「地球岬」に行った。天気が素晴らしく、360度の景色は感動。自前のアイヌの衣装で写真を撮るなど、この地の文化を理解する海外の方がたくさん来ていて、びっくりした。「世界はひとつ」と言うフレーズが、浮かんだ。


5月28日8時30分に室蘭地区労連の沓澤議長が迎えに来て、常磐井室蘭市議に会いに行った。常磐井市議の紹介で、総務課長と田中秘書課長が、市長に代わって対応。平和行進の意義と自己紹介を話し、「ヒバクシャ国際署名」の意義を訴え、是非、市長に署名を検討するよう強く要請した。ペナントと賛助金はいただいた。

次に市議会事務局に案内され、佐賀事務局長と岩間議事課長に会い、市長同様に「ヒバクシャ国際署名」を強く要請した。ペナントと賛助金はいただけた。

教育委員会に案内され、國枝教育長に会った。「ヒバクシャ国際署名」について、強く要請すると、書いて常磐井市議に渡す事となる。ペナントを書いていただき、ペナント代として千円いただいた。新任の教育長の例年にない対応に、深く感謝。それぞれの方から、励ましの言葉をいただいた。 

17時に伊達市役所前に集合し、17時30分に通し行進者歓迎集会が15人の参加でおこなわれる。山内さんのトランペットでみんなで「原爆を許すまじ」と「青い空は」を歌う。

18時から伊達市の市街地をピース・マーチ。新婦人のアビール・グッズは素晴らしい。私は団扇太鼓を叩き、大声で「核廃絶」を訴えて歩く。街頭の反応は良い。明日も頑張る。


5月29日9時過ぎに伊達市役所を訪れ、仁木副市長、坂元市議会事務局長、影山教育長に要請。平和宣言都市になるよう要請する。ペナントと賛助金をいただく。

10時30分に伊達市役所前から洞爺湖町役場までの平和行進が15人ぐらいで出発。山内さんは先頭で平和行進の横断幕を持ち、大きく手を振って呼び掛けて行く。私は団扇太鼓を叩き、大きな声で訴えて歩く。車や家の中からも会釈や手振りが返ってくる。嬉しい。頑張れるゾ!

昼頃、伊達市善光寺自然公園で、行進者全員が、ブルーシートを敷いたりして、昼食を楽しく食べた。

私たち通し行進者は伊達市の83歳の歩行の難しい婦人が、歩く代わりにと、心を込めて作ってくれた、見て美しく、食べても、焼き魚も煮物もお米も美味しい弁当をいただいた。感謝。

14時、洞爺湖町役場の会議室で伊達市から洞爺湖町への平和行進の引き継ぎ式がおこなわれた。伊達市の方々から「山内さんのトランペットと私の太鼓に、元気付けられた」と感想が出された。嬉しい! 

洞爺湖町の立野議員の紹介で真屋町長、佐々木議長、遠藤教育長に要請。私たち通し行進者が挨拶をして、市民から市民の要求で洞爺湖町主催の「戦争と人間展」がおこなわれるようになり、感謝していると伝える。併せて、非核平和都市宣言10周年になるので、記念行事をお願いした。真屋町長からは謙虚で誠実な回答があった。ペナントと賛助金をいただいた。別れ際に、町長から「同い年です。最後まで頑張って下さい」と、励まされた。役場を出る時、平和宣言を決めた元町長と会い、挨拶。元町長も町長も議長も教育長も、私たちが見えなくなるまで、役場の玄関で見送ってくれた。こんなことは初めてで、とても恐縮した。

次に、虻田高校に行った。茂木教頭と懇談。挨拶を通して、平和行進について説明し、平和を守るためには、子どもに伝えていかなければならないことなどを話した。聞いていただけたようだ。


5月30日午前中に洞爺湖畔「水の駅」で署名宣伝行動。立野議員の宣伝カーに平和行進の横断幕を付け、日本共産党の「9条守れ」などののぼりを立てて、立野議員と通し行進者と地域実行委員会の方が、リレートーク。山内さんのトランペット演奏もあり、30分で26筆も集まった。人通りも少ないのに、ビックリだ。

 

昼すぎ、洞爺湖町役場で、自治労洞爺湖町職の兼村執行委員長と書記長と懇談。通し行進者の挨拶や「ヒバクシャ国際署名」のお願いをした。併せて、非核平和都市宣言10周年の記念事業について、市民団体と一緒に考えて欲しいなども要請した。世界大会のペナントを1000円で買っていただき、単組名を書いていただいた。

13時30分にひまわり団地集会所に20人以上が参加して集会がおこなわれた。最初に山内さんがトランペットで「折り鶴」を演奏。松本実行委員会代表が挨拶。実行委員会事務局員の金子さんが司会で進められた。通し行進者が挨拶をして、立野議員が経過報告をし、参加者から感想や質問が出た。

14時40分に、ピースマーチは15人ぐらいで、豊浦に向かってひまわり団地を出発。山内さんは2人の町会議員と平和行進の横断幕を先頭で持ち、大きな声で呼び掛けて歩いた。私は団扇太鼓を叩き、大きな声で「 こんにちは!平和行進です」と、呼び掛けて歩いた。小学生が、色とりどりの風船を求めて、近づいて来た。行進に合わせて、左右の家にポスティングしている仲間が、走り回って頑張って胃た。私も頑張ろうと思った。


5月31日、昨夜は豊浦温泉しおさいに宿泊。夕食は食べたことがないような、とても手の込んだ立派なもので、ビックリした。改めて、妻と来たいと思った。

朝、8時30分過ぎに、豊浦町町議の山田さんが迎えに来た。山田町議に、豊浦町役場に案内していただいた。山田町議から「3年前に非核平和都市宣言を町も議会もし、非核平和都市に相応しい懸垂幕を掲げたい」と、気持ちを聞いた。私も「掲げられたら良いな」と、思った。

山田町議の紹介で、豊浦町の村井町長と澁谷議会事務局長と野橋教育長に要請した。「非核平和都市宣言をし、どのような取り組みをしているか」と、尋ねると、「昨年から、町も援助して、中学の修学旅行で、広島に行くようになりました。生徒も『良かった』と、言ってます。帰って来て、町民に報告会をおこなっています」と、答えられたので、平和行進者として、「それは、素晴らしいことです。是非続けて、発展させて下さい」と、応じた。3人からペナントを頂いた(写真参照)。豊浦町と豊浦町議会から賛助金をいただいた。町長は、私たちを玄関まで見送ってくれた。山田町議に、長万部で、私たちが泊まる「民宿シャマンの里」に送ってもらった。

長万部では夕方から歓迎集会と平和行進をおこなうそうで楽しみだ。時間があるので、「平和館」など見学に行った。「平和館」には、「峠三吉」の詩がたくさんあった。

18時、静狩国道と大沼国道が交差する辺りから、ピースマーチは出発。私と山内さんが、平和行進の横断幕を持ち、私は団扇太鼓を叩き、大きな声で「こんにちは!平和行進です」「核兵器をなくしましょう」と訴えて、本町通りを進んだ。

長万部原水協の佐藤元事務局長(90歳以上)が車に乗り、ハンドマイクで行進の意義を訴えて行った。高齢の方が、それぞれ長い棒に横断幕を付け、高く掲げて歩いた。長万部平和委員会の大きな旗を高く掲げて歩く人も。総勢12人。長万部駅前で、山内さんがトランペットの演奏をした(写真参照)。

途中で大変強い風が吹き、高く掲げた旗や横断幕を持つのが大変だったが、町立病院前まで元気に行進した。

町立病院前で通し行進者歓迎集会をおこない、長万部原水協の三浦代表理事(僧侶)が歓迎の挨拶をした。なお、私たちが泊まる宿のご主人、山口さんは、長万部原水協の事務局長だった。


6月1日9時、宿のご主人、山内長万部原水協事務局長と三浦長万部原水協代表理事の案内で長万部町役場に。三浦代表理事の紹介で、佐々木副町長と辻議長と近藤教育長に要請。ペナントを書いていただいた。3人揃って役場の玄関まで来て、見送っていただいた。感謝。

午後2時10分に、竹浜元八雲町議と佐藤町議に連れられて、八雲町役場に。役場のロビーで、黒島副議長と横田町議に会う。黒島副議長は、議長が不在なので私たちに対応するために来庁したとの事。感謝。町長室の隣の会議室に招かれる。岩村町長と黒島副議長と田中教育長に要請。自己紹介後、山内さんが平和行進への自治体からの長年の協力に感謝を述べ、核廃絶への引き続きの協力を依頼。私からは、広島の被爆の実相を子どもたちに伝承して欲しいと話す。教育長から、「町では毎年、4校から代表を広島に送って、報告会をおこなっている」と。町長からは、戦争反対と原発を含め放射能の怖さを熱く話した。和やかにペナントに署名し、賛助金をそれぞれからいただいた。玄関まで見送ってくれた。お忙しいのに、時間を取っていただき、本当にありがとうございました。

夕方の6時、北海道勤医協八雲病院前に、勤医協、医労連、新婦人、年金者組合、日本共産党など25人が集まり、平和行進の出発式。司会は、実行委員会事務局長の佐藤町議。まず、実行委員長の竹浜元町議が主催者挨拶。ついで、通し行進者の山内さんが挨拶し、行進の意義を訴えた。そして、トランペットで、「原爆を許すまじ」と「青い空は 」の2曲を演奏。半分以上の参加者が歌っていた。ついで、私が東京まで歩く決意を話した。

6時20分出発。6時50分に東部生活館。八雲の駅周辺を練り歩いた。山内さんは先頭で横断幕を持ち、手を振って歩いた。私は後方で、団扇太鼓を叩き、大きな声で「こんにちは!平和行進です」と、訴えて歩いた。たくさんの町の方に会釈され、とても励まされた。


6月2日8時30分、八雲駅前の桜庭旅館に佐藤町議が迎えに来た。森町のピースマーチに向かう。「烏賊飯駅弁」で有名な森駅前で、北海道原水協の嶋田事務局長も待っていた。森町の実行委員会に引き継がれる。町並みの奥に駒ヶ岳が見える所で、10人ぐらいで出発式をおこなった。

森町原水協の高橋会長を中心に、通し行進者も挨拶。山内さんはトランペットを演奏した。小柄で足を引きずって歩く高齢の女性が「今年、歩けるかな。途中までかも知れないが、頑張ってみよう」と言っていた。高橋会長の指示で、ピースマーチを始めた。山内さんは先頭で横断幕を持ち、大きく手を振って、町の人に呼び掛けて歩いた。私は後方で団扇太鼓を叩き、大きな声で 「こんにちは!平和行進です」と、呼び掛けて歩いた。大きく格式ありそうなお寺がたくさんある町だった。あの高齢女性が、頑張って坂を登って行った。たくさんの町の人が、私たちの呼び掛けに応えてくれた。励みになる。

森駅前に戻り、高橋会長の提案で、参加者全員から感想を話した。感想の中で、「歩けるか不安だったけど、今年は、久しぶりに楽しかった。音があると賑やかで良い」と、あの足の不自由そうに見えた高齢女性が言った。隣の私より少し若そうな女性から「来年は、町に古くから伝わる鳴り物を使おう」と、提案があった。楽しみだ。高橋会長が七飯町の実行委員会と待ち合わせる大沼公園駅前まで送ってくれた。

昼頃、大沼公園駅前で、森町から七飯町の実行委員会に引き継がれた。13時に大沼公園駅前で出発式をおこなった。七飯原水協の舟見代表理事や石渡事務局長の指示により、ピースマーチをおこなった。私は山内さんと一緒に横断幕を持ち、宣伝カーのすぐ後ろに付いて団扇太鼓を叩き、「こんにちは!平和行進です。世界中の核兵器をなくしましょう」と大きな声で呼び掛けて歩いた。七飯町の上野町議も加わり、七飯町役場に。役場では、大勢の町民と大太鼓の演奏で迎えられ、通し行進者への歓迎集会がおこなわれた。素晴らしい七飯町新婦人のタペストリー。町長の格調高いメッセージを釣谷総務部長が代読し、非核平和都市宣言のモニュメントをさらに増やす町長の意向も示された。大きな隊列で七飯町役場を出発し、函館の手前まで行進。沿道の人に励まされ、力を貰った。

夕方5時頃に、山内さんと北海道原水協の嶋田さんとピースマーチの出発地に行くと山口逸郎さんが来ていた。札幌以来の再会。参加者も札幌に次ぐ大勢だ。それぞれが、平和への思いを知恵と時間を使って表現していた。若い人の参加も多く、「国際青年リレー」のタスキをお願いした。山口さんと山内さんは、先頭で「国民平和大行進」の横断幕を持ち、大きく手を振って、沿道の人や、お店の人や、車に乗っている人に、「平和行進」や「核廃絶」を訴えていた。私は行進の真ん中辺りで、女性2人に横断幕を一緒に持ってもらい、団扇太鼓を叩き、大きな声で「こんにちは!平和行進です」と、呼び掛けて歩いた。沿道の方から、会釈や手振りを受け、元気に歩けた。およそ1時間ぐらい行進した。

北海道の終結集会は、函館の駅に程近い、暗渠の上の公園でおこなわれた。函館地方労働組合会議の岩瀬事務局長の司会で進められ、函館の実行委員会の代表として函館地方労働組合会議議長、北海道原水協の嶋田事務局長、函館新婦人の代表など挨拶が続き、通し行進者も紹介され、挨拶した。山内さんはトランペットも演奏した。私は北海道の方に申し訳けないと思うが、北海道の思い出に浸る余裕がない。東京まで体力や気力を維持できるか?通し行進2回目、ベテランではなく、初めてでもない、なまじ少し体験していることからくる不安の予見から、これからも大声を出し続けられたら良いなとのこの先への思いが強い。お世話になった北海道の方々には、大変申し訳ありません。


6月3日、北海道原水協の嶋田事務局長に引率いただき、函館駅から新函館北斗駅に。新幹線で新青森駅に。「国民平和大行進」の看板を4面全てに付けた車に乗り、北海道から青森に引き継ぐ会場(青森市平和公園・平和の塔広場)に向かう。

式典は私たちを待つことなく、もう始まっていた。私たちもやっていることを無視するように、山内さんはトランペットを演奏し、私は団扇太鼓を叩き、山口さんと私は、「こんにちは!平和行進です」と大声で呼び掛けて入場、すると、会場は拍手が沸き起こった。嶋田さんの演出は、大成功。

青森県原水協の谷崎会長が私たちを誘導。式典は始まったばかりだった。谷崎会長が開会宣言、合唱団のセレモニー(1枚目の写真)、被爆者への黙祷、北海道行進団への歓迎の言葉、被爆者の会と青森市長からのメッセージ、平和都市宣言朗読、北海道原水協の嶋田事務局長の挨拶、通し行進者3人の決意表明、旗やのぼりの引き継ぎ、山内さんのトランペットも加わり全員合唱、閉会宣言が若者からおこなわれた。

12時にピースマーチは平和公園を出発。参加者は250人。小学生も先頭で横断幕を持ち、明るく楽しい行進に、新町通りの沿道から声援もあった。県庁の近くまで歩いた。


6月4日9時、青森県教育会館前に集合。30人ほどの参加者。9時10分から出発集会をおこなう。青森市原水協の泉沢事務局長の司会。青森県原水協の谷崎会長の挨拶。通し行進者3人が決意表明。山内さんが、トランペットを演奏した。最後に集合写真を撮り、津軽半島に向かって出発した。

10時、蓬田村JAつがる蓬田支店からピースマーチをする。山口さんと先頭で平和行進の横断幕を持つ。団扇太鼓を叩きながら、大きな声で 「こんにちは!平和行進です」と訴えて歩く。私の声のが大きいのだが、一緒に歩く山口さんの一所懸命な熱い姿に負けてしまう。頭が下がる。歩みも一歩下がってしまう。沿道の2階からじーっと見て、軽く会釈する人もいた。

蓬田村役場を訪問する。久慈村長に要請。ペナントを達筆に書いていただき、賛助金もいただいた。山口さんがお誘いし、久慈村長と一緒に、役場前を数歩だが、歩いた。

11時、蟹田駅前に20人以上が集まり、宣伝カーを先頭に、谷崎会長と山口さんが横断幕を持ち、国道を北に向かって歩き出す。谷崎会長は「県内通し行進者」のタスキを掛け、車に乗った人、一人ひとりに帽子を取って頭を下げて歩く。それには、ほとんどの人が会釈を返してきた。

橋の手前でピースマーチを中断し、国道から少し山の方に入った、外ヶ浜町役場に向かう。役場では町長不在のため、宮本副町長に要請。ペナントを書いてくださり、賛助金もいただいた。山口さんが「ペナントを持っていただいて、写真を撮りたい」と副町長に頼んだら快く受けてくれた。

11時40分、JAつがる平館支店前を平館支所に向けて出発し国道を北上。山口さんは元気にぐんぐんと歩く。見かけた人に「東京、広島まで歩く平和行進です」と、呼び掛ける。「不老長寿温泉」の標識の所で国道を右折。ゆるやかに坂を上り、山の方へ。平館支所に着き、支所の職員に、谷崎会長、山口さん、私の3人が平和行進者として訴えをした。そして、各自、昼休み休憩に入った。

13時40分、今別町西部漁協前に20人以上が集まり、今別町役場に向かって行進。町の人に元気に「核廃絶」を訴えて行く。

今別町役場では、職員に訴えて行くこととなる。とても反応が良く、私たちはとても励まされた。

14時20分、三厩村役場跡地から20人以上で出発。三厩支所までまた元気に行進。町の反応は良い。

三厩支所では、秋田支所長から職員への訴えを進められ、通し行進者3人が話をする。

16時、津軽中里駅前で、西北五原水協の水島事務局長に会う。水島事務局長の指揮で、津軽中里駅前から津軽中里郵便局まで、ピースマーチをおこなう。短い距離だったが、20人ぐらいの参加者全員が、大きな声で 「核廃絶」を訴えた。

その後、水島事務局長の案内で中泊町役場に。中泊町の総務課の職員から、「町長は不在です。町長からは、署名もペナントも賛助金も断るよう言われた」とのこと。とても残念だ。

17時30分、五所川原市役所駐車場で、青森市原水協から西北五原水協への引き継ぎ集会が、50人ぐらいの参加でおこなわれる。

最後に、市役所の東側の『非核平和都市宣言』の記念碑の前で、集合写真を撮った。


6月5日8時55分、西北五原水爆禁止の会の神会長(五所川原市職労)の紹介で、五所川原市役所に要請に行く。県内通し行進者の谷崎県原水協会長と山口さんについて行く。市長不在のため総務課長が対応。神会長の紹介で3人の通し行進者が挨拶し、要請する。ペナントを書き、賛助金をいただいた。退出したら、階段で三上副市長に会ったので挨拶してお礼を言い、握手をする。

10時から五所川原市役所駐車場で、西北五原水爆禁止の会の水島事務局長の司会で出発式をおこなった。青森生協五所川原店からの参加者で、「ゴレンジャー」のモモレンジャーの衣装を着ていた人がいた。山口さんと一緒に、通し行進への決意を元気に話した。

10時10分、県内通し行進者の谷崎青森県原水協会長と一緒に、西北五原水爆禁止の会の水島事務局長の運転で五所川原市役所を深浦町役場に向かった。西北五原水爆禁止の会の方、3人が別の車で行動を共にした。

11時45分、深浦駅から深浦町民4人と私たちを合わせて10人でピースパレードを元気良くおこなった。人数は少ないが勢いがあった。向かいから来る車の運転手が会釈を返してきた。

深浦町役場まで歩き、深浦町の吉田町長に要請。吉田町長は、行進者全員を町長室に招き、車座に座って、懇談した。私をはじめみんなの意見を受けとめてくれて、ペナントを書いて、賛助金を従来の2倍の金額を出してくれた。私たちは思わず「えーっ!」と。すると吉田町長は「みんなが、汗をいっぱいかいて来てくれたので」と。行進団全員がニコニコしてしまった。最後に私に「気を付けて。頑張って」と励ましてくれた。

次に鰺ヶ沢駅に行き、6人で元気良く鰺ヶ沢町役場まで歩いた。町の人は、私たちの呼び掛けにびっくりしているようだった。町役場では、総務課に行ったが、町長の対応は全くなく、署名を含め全て「致しません」の対応を総務課長らしい人からされた。とても残念だ。

15時半頃、浪岡駅を出発した山口さんたち本線コースと県道の交差点で合流。山口さんとハイタッチをして、再会を喜ぶ。浪岡支所までの短い距離を、50人以上の参加者で元気に行進。

浪岡支所の駐車場のシロツメグサの咲く所の近くで、西北五(西北部津軽・五所川原)原水爆禁止協議会から原水爆禁止南黒(南部津軽・黒石)連絡協議会への引き継ぎ集会をおこなう。司会は南黒協議会の佐藤事務局長で、しめやかに進められた。

最後に、恒例と思われる「原爆を許すまじ」と「青い空は」の大合唱。歌詞を筆で書いた横断幕が掲げられ、原水禁南黒連絡協の斎藤会長による迫力あるアコーディオン演奏と歌唱指導には圧倒され、写真も撮れずに見ていた。


6月6日9時に浪岡支所を出発。団扇太鼓を斎藤会長が貸してと言うので、昨日のアコーディオンの迫力ある演奏もあり、どんなリズムで叩いてくれるか興味を持って、貸した。宣伝カーの後ろに、山口さんと谷崎会長と一緒に、2km弱、3人の大声の競演で歩いた。

9時30分、旅館サンライズ駐車場に着き、5~6台の車に乗り、藤崎町第一水木団地前に。地域からの参加者が数人増える。約1kmぐらい行進。斎藤会長は、地域のお祭りのお囃子のリズムで、団扇太鼓を叩く。参加者に大ウケだった。

9時55分、奥羽本線北常盤駅に着き、地域からの参加者とさよならする。車に分乗して、藤崎町役場まで移動。役場では、新たな地域からの参加者が10人以上待っていた。青年3人に国際青年リレーのタスキをお願いした。山口さんと佐藤事務局長は地元の女性数人と藤崎町に要請に行った。

10時10分、藤崎町役場を出発し、1km弱の距離を行進。斎藤会長は、私たちの訴えに、少し低いバリトンで間(あい)の手を入れて来る。声楽家のような、声量ある素敵な声だ。何人かの地元の人と別れる。

再び、車移動。青森銀行藤崎支店前から歩き出す。数人の地元の人が、新たに加わる。約2km程、また大きな声で訴えて歩く。また、地元の数人と別れる。

田舎館除雪センターまで、車移動。常に5台ぐらいは輸送で動いている。1.5kmぐらい歩き、田舎館村役場に。10人以上の地元の人が待っている。山口さんと佐藤事務局長が地元の人と町役場に要請に行った。戻って来るのを待って、昼食休憩をする黒石診療所に車移動した。

お昼に、黒石診療所で地産の食材を使ったお弁当をご馳走になった。山内さんは「フライなどのない、私には食べやすいお弁当で、とても嬉しい」と懇談の中でお礼を言っていた。懇談は斎藤会長がリードして進められ、山口さんから、平和行進で出会った感動が語られた。私は少ない経験で、感性が鈍いので、あまりないが、一つふたつ、話した。

昼食休憩後、黒石診療所の前での、ピースパレード出発集会をおこない、黒石市役所に車で向かう。山口さんは佐藤事務局長と地元の人と黒石市役所へ要請に行った。私は県原水協の谷崎会長と国民平和大行進の横断幕を持ち、黒石市内を2km以上歩いた。古い町並みと2軒の酒蔵の異なる佇まいが素敵で、遊びで訪れたいスポットだった。

平川市尾上分庁舎に車移動。平川市内の町並みを、1kmほどピースパレードした。やはり、町の反応は良い。足取りも気持ちも軽くなる。

次に、平川市文化センターまで車移動。やはりそこから、平川市役所までの1kmほどをピースパレード。山口さんは、佐藤事務局長と地元の方数名と平川市役所に車で要請に向かった。私は、谷崎会長と平和行進の横断幕を持ち、2人で大きな声で訴えて歩いた。沿道の人が少し少なく、炎天下のためか、私の気持ちが少しめげてくる。

平川市役所に着き、山口さんから市役所の良くない反応を聞き、私は市役所の窓ガラスの向こうから見ている職員に、「みんなの力で核兵器をなくしましょう」と、叫び、元気になった。引き続き平賀駅までの1km未満をその元気さで歩き、平賀駅から弘前の市民中央広場に車で向かった。

15時過ぎ、弘前市の市民中央広場に到着。到着後、少しずつ集まって来ていたとき、新婦人の方のタペストリー風の横断幕が4つも競いあっていたので、写真を撮った。

15時半、「定刻主義」の弘前原水協の方の司会で、時間通りに始められた。南黒原水協の斎藤会長は身振り手振りを交え、谷崎県原水協会長を含め、私たち3人の通し行進者の活躍と斎藤会長が私の団扇太鼓を使っての町の反応など、上手な話術で楽しく話した。「定刻主義」の司会は、何回も腕時計を見ているのが、私にはさらに愉快だった。参加者は、新婦人や民医連や生協労組や年金者組合など、250人以上だった。最後に、弘前の元郵産労の方が指揮をして、南黒の斎藤会長が力強いパフォーマンスでアコーディオンを演奏し、「原爆を許すまじ」と「青い空は」を歌った。途中で、50年以上も使ってきたアコーディオンの鍵盤が、斎藤会長の迫力で初めて取れてしまった。

16時に弘前市内行進に行く時に、斎藤会長から団扇太鼓を返してもらい、固い握手をした。行進は、3kmほど。私はまた、団扇太鼓を元気に叩き、大きな声で訴えて歩いた。沿道は人も多く、たくさんの激励をいただいた。

夜は、地元の人と居酒屋「つがる」で交流した。弘前原水協の代表の神田弘前大学名誉教授や司会をされた元高教組の事務局長や新婦人の方や引き継ぎ集会で合唱の指揮をされた方や事務局長の後輩の労組役員の方などと、楽しいひとときを過ごした。


6月7日9時半、弘前市役所前で出発集会。参加者は100人ぐらいだろうか?神田弘前大学名誉教授が、参加者に「平和行進の意義」と「情勢」について話した。山口さんと私は、決意を語った。市長メッセージを読み上げ終わり、拍手している時に、ちょうど弘前市長が登庁して来たのはおもしろかった。

9時45分、ピースパレードは、弘前市役所から市内を練り歩く。民医連の若者などが50人ぐらい参加している。国際青年リレーのタスキが足りない。ほとんどが秋田に引き継ぐ「矢立峠」まで行くとのこと。松森町ふれあい広場まで60分ほど歩く。若い人が多いとパレードが明るい。私は、青森県議の安藤はるみさんと横断幕を持って歩く。谷崎県原水協会長が団扇太鼓を叩きたいと言うので預ける。楽しそうに叩いて沿道の人に訴えている。

松森町ふれあい広場で15分ほど休憩をする。再び30分近くパレードする。そこで、安藤県議と別れる。大型バスやマイクロバスや数台の乗用車に分乗して、JA津軽石川に移動し、弘前市役所石川出張所までパレード。

再び大鰐駅前まで車で移動。そこから「若松会館」まで大鰐温泉街をパレード。「若松会館」では、弘大生協のお弁当をいただいた。

地元の元町議の案内で弘前原水協事務局長と谷崎県原水協会長と山口さんと私で山田大鰐町長に要請に行くと、とても友好的に懇談できた。預かったペナントを真ん中に写真を撮る。

13時10分、私は大鰐温泉街を一人で散歩にでる。ワニの石像の口から高熱の湯が出て、少し温めの足湯がある所に、温泉の云われを刻んだ石碑が立っていた。薬師如来のお告げで発見された温泉で、眼病に効くそうだ。私は、足湯のベンチに座り、暫し目を瞑り、自分の身体の声に耳をすました。

パレードが始まる前に、若松会館に戻った。アコーディオンの伴奏で「青い空は」を合唱していた。見上げると、歌と同じ「青い空」が広がっていた。

13時50分に、若松会館から大鰐警察署までパレード。そこから古懸バス停まで、みんなで車移動し、「道の駅・碇ヶ関」までパレードした。

碇ヶ関の道の駅では、参加者の半数ぐらいが、300円の美味しいソフトクリームを食べていた。車で、青森から秋田への引き継ぎ集会をおこなう矢立峠に移動する前に集合写真を撮った。

15時30分、矢立峠で、青森から秋田への引き継ぎ集会が、弘前原水協の「定刻主義」の事務局長の司会で進められた。

青森県の人にお礼と、秋田県の人への挨拶をする山口逸郎さん

谷崎青森県原水協会長が団扇太鼓を私に返して来て、挨拶した。青森では、県内通し行進者として、私とずっと一緒だったので、人柄も良く解り、別れるのが少し寂しい感じになった。また、団扇太鼓繋がりで、南黒原水協の斎藤会長のパワフルなアコーディオン演奏が思い出された。青森の皆さんと広島で再開できたら良いなと思った。

秋田県の渡部事務局長と、大館市へ車移動し、大館市内をピースパレード。元気に歩いた。この2日間は、続けて2万5千歩以上歩いて、体調好調。


6月8日9時、大館市役所に要請に行った。名村副市長が対応。ペナントと賛助金をいただく。

大館市役所からピースパレードをおこなう。山口さんと一緒に横断幕を持ち、団扇太鼓を鳴らし、「こんにちは!平和行進です」「世界中から核兵器をなくしましょう」と呼び掛けて歩いた。沿道からの会釈に励まされた。

奥羽本線の下川沿駅周辺(駅前に小林多喜二生誕の地の石碑:写真、生家は今は駅になっている)や、早口駅周辺や綴子周辺をパレードした。

鷹巣に車で移動し、北秋田市役所前までパレードした。北秋田市の若い職員が10人くらい参加したので国際青年リレーのタスキをお願いした。

12時半頃、北秋田市の若い職員10人含め、30人くらいが参加して、北秋田市役所前で大館から北秋田への引き継ぎ集会が、北秋田の笹代さんの司会でおこなわれた。北秋田市議は、三浦さんと板垣さんが参加していた。山口さんは大館のみなさんにお礼と北秋田の方には自己紹介の挨拶をした。私は、挨拶をした。若い方がたくさん参加して、とても明るい集会だった。

14時半、上小阿仁村を訪問。村長が多忙とのことで、教育長が村長室で対応。途中、村長が来て、「本当に申し訳ない」と詫びにだけ来て、また、出て行った。教育長とは和やかに懇談した。

15時過ぎに、北秋田市役所に要請に行った。市長には会えず、秘書課の職員が極めて事務的に対応した。

夜は、地元の役員の方と懇談した。北秋田は地域労連(市職、秋北新聞労組、高教組、年金者組合)が平和行進を担っているとのこと。


6月9日午後から、北秋田地域労連の米澤議長(秋北新聞労働組合執行委員長)の運転で、宣伝カーを使い、西鷹巣、大野台、米内沢、川井、八幡岱新田、木戸石、麻生を街頭宣伝する。

14時に、二ツ井の「きみまち坂公園駐車場」に。能代の人を待つ。私は、水分補給のため、近くのコンビニに向かう。お茶を購入し、道の駅に行く。私の平和行進のタスキに人々の視線を感じる。「リフレトイレ」なるものに興味を持つ。入りと正面が『郷土歴史館』への入り口、右が女性用、左が男性用。男性用に入る。中央に泉があるが手を洗うためではなく、モニュメント。その証拠に右手前にいくつかの洗面施設あり。奥に小便小僧のイラストのあるコーナーがあり、便器は無いが囲いと溝がある。立ち小便コーナーである。面白い。カメラを持った若い研究者のような人が、じーっと見ていた。駐車場に戻り、能代・山本原水協の塚本事務局長に聞くと、竹下首相の「ふるさと創成」の1億円で作ったとのこと。

引き継ぎ式は、北秋田の笹代さんの司会でおこなわれた。無事引き継がれ、私たちは、北川能代・山本地域労連議長のアナウンスで藤里町を街宣し、藤里町役場に行き、賛助金とペナントを受け取った。山口さんは、平和行進の横断幕を窓から掲げ、私は、窓を開けて、手振りと挨拶を続けた。

次いで、二ツ井地域を街宣。私は手が冷たくなり、網走で参加者からいただいた白い手袋を引っ張り出して装着した。能代地域を街宣し、能代市役所に近い、平和行進の出発地に到着。

17時半に、能代市さくら園公園に集まり、ピースパレードをおこなった。先頭で、秋田県原爆被害者団体協議会の佐藤力美さんと全国通し行進者の山口逸郎さんと新婦人の大山さん(青年劇場の大山秋の母)と能代年金者組合の浅野さんが『国民平和大行進』の横断幕を持って行進。私は団扇太鼓を鳴らし、「核兵器をなくしましょう 」と、元気に呼び掛けて後方を歩いた。


6月11日9時、能代市役所に行き、総務課に要請。行政係兼行政改革推進室の堀井係長が被爆者行政の担当者と2人で対応。被団協の佐藤さんが、日本被団協から原爆パネルを購入したことへの感謝を話し、市主催で原爆展をおこなっていることにお礼を述べた。能代・山本原水協の塚本事務局長からは、自分達も原爆展をPRするので、開催が決まったら早めに連絡するよう依頼した。

市への要請の後、引き続いて、議会事務局に要請に行った。被団協の佐藤さんから、日本政府に核兵器禁止条約への調印、批准を求める意見書決議を強く要請した。

10時過ぎに八峰町役場を訪問。森田町長と日沼副町長に要請。ペナントと賛助金をいただく。11時の庁舎前での集会参加をお願いすると、快諾していただく。

次いで、門脇議長を訪ねて要請。ペナントと賛助金をいただく。集会に出てほしいとお願いしたら、快諾していただいた。

庁舎前には、地域の方も5~6人が集まり、短時間だが、町長・議長・副町長も参加して、国民平和大行進の八峰町庁舎前集会をおこなった。最後に、山口逸郎さんが呼び掛けて、町長さんたちと通し行進者で国民平和大行進の横断幕を持って、行進の先頭に立って歩いた。数歩だったが、八峰町の町長や議長と平和行進ができてとても嬉しかった。

13時半、三種町役場を訪問。田川町長に要請。ペナントと助成金をいただく。

次いで、金子議長に要請しペナントと賛助金をいただいた。

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