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原水協通信

毎月発行している日本原水協の機関誌です。国内外の反核平和運動についての情報が満載です。 日本原水協のウェブサイト→ http://www.antiatom.org/

「核兵器の全面禁止を!」

核兵器禁止条約交渉「国連会議」ハイレベル会合におけるアレクサンダー・マーシックオーストリア大使・政治担当副大臣の演説全文<仮訳>

核兵器禁止条約を交渉する国連会議(第1会期)初日の3月27日、ハイレベル会合におけるアレクサンダー・マーシックオーストリア大使・政治担当副大臣の演説全文を紹介します。(仮訳:日本原水協国際部)


<仮訳> オーストリア アレクサンダー・マーシック大使・政治担当副大臣の発言

2017年3月27日

議長、代表、友人のみなさん、

この何十年の間に国際社会は、不必要な苦痛を引き起こす、化学・生物兵器、地雷、クラスター爆弾などの兵器を違法化してきた。これらの兵器は、その帰結が倫理的に非人道的であると考えられたために禁止されたのだ。

われわれは、核兵器が引き起こす結末を知っている。

われわれは、広島、長崎の写真を見て、被爆者の話を聞いた。

なぜ化学・生物兵器の禁止、地雷やクラスター爆弾に適用された論理が、それらよりはるかに有害で、この世の命あるものすべてを一掃してしまう兵器である核兵器に適用されないのだろうか。

2014年、オーストリアは、この問題の回答を追求するためにウィーンで会議を開催した。核兵器の危険要素と危険そのものを、入手しうる最新の情報に基づいて検討し、討論するために専門家を招いた。

何人かは今朝この場にもおられるが、ほとんどの出席者にとって、会議は、今日、核兵器に関わる現実の危険について、目を覚まさせる警鐘であった。

・ われわれは、核兵器爆発の短期的・中期的・長期的影響が、これまで理解されていたよりもずっと重大であることを知った。

・ 爆発後に汚染地域となる可能性のある地理的範囲が、以前に予想されていたよりもはるかに広いことを知った。

・ われわれは、コンピューターの誤作動やミス、貯蔵施設での事故によって、核事故に至りかねない事件が数えきれないほどあったことを知った。

・ 危険性を算定する数学者からは、核戦争の結末の重大さのゆえに、統計的にはわれわれの子どもたちが車の事故で死亡する以上に、核爆発の結果死亡する可能性のほうが高いことを学んだ。

・ 要するにわれわれは、核兵器に関わる危険性について非常に大きな過小評価をしているということを学んだのだ。

2014年のウィーン会議は、核兵器が、それらのいわゆる利益なるものとは到底引き合うものでない危険性を持っていることを、驚くほど明白に示したのである。われわれは、それらの危険性を減らさなければならないこと、そしてそれを減らす唯一の道は、そのような兵器を法的拘束力を持つ文書によって禁止することであることを確信して会議を終えた。

こうして、われわれの多くは、今日この場に集う旅へと導かれたのである。

そして本当にたくさんの、かくも多くの国々が今朝、この会場に集まっているのを目の当たりにし、誇らしく感じるとともに、身の引き締まる思いがする。

核兵器の禁止への広範で世界的な支持があることがここに示されている。

議長、

かくも多くの国が今日、ここに集まっていることを喜ぶ一方で、なおいくつかの国が欠席していることは残念なことである。まだ、すべての国がわれわれのイニシアチブに確信を持っているわけではない。いくつかの重要なパートナー、とりわけ核兵器国は懸念を持っている。

われわれはこれらの懸念を真摯に受け止め、積極的にそれらにとりくまなければならない。なぜなら、われわれは、パートナーたちに、われわれが正しいことを納得させる、説得力のある議論を持っているからである。そしてもし成功を望み、核兵器の危険性をゼロにしようとするのであれば、すべての国々がこのイニシアチブに加わることが必要であるからだ。

だから、ごく手短に、これらの懸念のうちのいくつかに答えたい。

1) 核兵器はすでに存在するのであり、核兵器を発明以前に戻すことは不可能だと言う人々がいる。だが、核兵器を発明以前に戻す必要はないのだ。禁止すれば十分なのだ。われわれは他の兵器禁止条約から、厳格な検証管理の条約体制を創ることができることを知っている。核の分野では、NPT(核不拡散条約)体制と包括的共同作業計画(JCPOA)とが、土台となり拡大することのできる複合的な検証メカニズムを確立した。独立した専門家たちは、高度に精緻な包括的安全保証措置の青写真を作り上げている。

そして、禁止条約はたんに一つの要素であって、核兵器の完全廃絶を達成するために追加的な一連の包括的な追加的措置によって補完されねばならないが、最初の必要なステップだということを忘れてはならない。

われわれは、それには時間がかかることを知っている。だが、それはわれわれを止めるものであってはならない。そのプロセスの目標、つまり核兵器の法的禁止を明確に示すことによって、最初の一歩を踏み出すべきなのだ。

2) もう一つの懸念は、核兵器の禁止は安全保障を低減させる、というものだ。

はっきり言いたい。この会場にいるものは誰一人として、核兵器国であれ非核兵器国であれ、どの国にたいしてもどの個人に対しても、安全の度合いを引き下げることなど望んでいない。

実際、核兵器を持つ国がなくなれば、すべての核兵器国、すべての「核の傘」の国を含め、どの国もどの国の国民も、より安全になる。これは重要な議論だ。なぜなら、核兵器のない世界というわれわれの最終目標は、核兵器国が参加してのみ達成できるものだからだ。核武装の解除ができるのは彼らだけだ。われわれにはできないのだ。

そして核兵器国は、自分たちがさらに安全の保障を得られると感じたときのみ、そうするであろう。だからわれわれは、このイニシアチブに参加することによってさらに多くの安全を得ることが可能になるということを、はっきりと示して見せなければならない。

どの核兵器国も一方的に武装解除するよう求められているのでないということを説明しなければならない。われわれが求めているのは、全般的な法的禁止であって、ひとたびそれが得られれば、われわれは核兵器国と一緒に、核兵器廃絶のシステムを構築するのである。

この文脈でもう一点あげたい。核兵器は安全保障に欠かせないという議論は、NPTの文脈でなされた多くの誓約に逆行する。もし核兵器が本当に安全の保障を提供する上で欠かせないのなら、どうしてすべての国家がこの利点から利益を得てはならないのか? 核兵器は世界をより安全にするという議論に従えば、より多くの国々がより多くの核兵器を持ったほうがよいということを意味することにならないだろうか? われわれはそういう議論を信じない。

明らかに、核兵器が少ない方が、そして核兵器がない方が、われわれはより安全になるのだ。それのみが、誰をもより安全にするのである。

3) もう一つの懸念は、禁止条約とNPTとの関連である。

2015年、われわれはまたまたNPT体制の屈辱的な失敗を目の当たりにした。にもかかわらず、NPTはわれわれが持っている核の安全についての最善のシステムとして、また国際核不拡散・軍縮体制の土台として維持されている。

だからわれわれはNPTを守り、強化しなければならない。

それこそが、われわれの禁止条約がおこなおうとしていることである。それはNPTと完全に両立するだけでなく、第6条の上につくられ、その履行に貢献する。

したがって、それはNPTを弱めるのでなく、全くその逆で、強めることになる。

4) 最後に、われわれはしばしば、今はそのようなイニシアチブにとって適切な時期でないということを耳にする。われわれは1997年以来、核軍縮の前進を待ち望んできた。この20年間、軍縮会議(CD)は作業プログラムに合意できないできた。2010年のNPT再検討会議で核兵器国を含めすべての締約国が合意した核軍縮の行動計画も、いまだ履行を待っている状態だ。

尋ねるたびにわれわれは、いまは核軍縮に適した時期ではないと言われた。時期が適している場合には、その必要はないと言われた。また別の時には、選挙があるとか金融危機だとか、地政学的緊張があるとかで難しいというのである。

率直に言って、適切な時などは、決して訪れないようだ。

歴史を振り返ってみれば、核軍縮は冷戦の間や、戦後の平和のときに起こってきたことがわかる。歴史が教えているのは、政治指導部が前進を達成しようと決意した時に、核軍縮が実現したということだ。

今日、国際安全保障環境は厳しいかもしれないが、それを口実に使うべきではない。冷戦の頂点のときでも米ソの指導者は、2か国間の核軍縮会談をおこない、戦略核削減条約(START)や中距離核ミサイル削減条約(INF)を実現した。

また、われわれが追求しているのは、厳密にいえば「軍縮条約」ではないということも忘れないようにしよう。これは、巨大な危険性を帯び、もし爆発すれば膨大な人的被害を引き起こす、一つの種類の兵器を禁止するプロセスなのだ。

そのために、「悪い時期」など存在しないのだ。

そして、ごくあけすけに言うが、もしあなた方が危険性に目を向けるのなら、それに代わる案は何なのか? 何もしない方が、よりましな戦略だというのか?

ある人たちは、「なぜ、わざわざ、こんな厄介なことをやろうとするのか?」と言う。ただのんきに構えて核事故が起こるのを待てばよい、テロリストによる爆発を待てばよい、そうすれば国々が一致して核兵器を禁止するようになる、と言うのだ。

私はそんなことを決して受け入れない。惨事が起こるのを待つのは戦略ではない。

それは過去と未来の核兵器の犠牲者に対する冒涜だ。

核兵器を禁止するプロセスを始めるのに適切な時期は存在する。それは今なのだ。

議長、

お許しいただければ、一つの動議を出したい。

核兵器を禁止するために何年も、何十年も活動してきた市民社会のメンバーに感謝したい。

あなた方の献身的な努力や専門的知識、忍耐力によって、今、われわれはここに集まっているのだ。みなさんとともに活動するのは、われわれにとって名誉であり、喜びである。

また、国連事務局のみなさんや包括的核実験禁止条約機構(CTBTO)など国際機関のたくさんの仲間や、世界中の軍備管理部門で活動する政府代表のみなさんにも感謝したい。

だが、私はまた、この部屋に集まったすべての友人にお願いしたいことがある。これは、われわれが歴史を創ることのできる極めてまれな機会の一つである。

われわれはつまずく、あるいは機会を逸するかもしれない。高望みし過ぎる危険もある。道を外れ、目標を見失う危険もある。個々の国の政治課題を満たそうとする危険もある。 誰にとっても国益というものがある。誰にでもこのプロセスを難しくすることも、容易にすることもできる。 親愛な友人のみなさん、みなさんへの私のお願いは、どうか、この一つの、狭く、明確な、「核兵器の禁止」という目的のもとに、一緒に進んでほしいということだ。

自制心を持ち、共通の目標を国家的課題に優先させて初めて、われわれは成功できる。他のすべてのことは後回しにしてかまわない。成功するのなら、すべては後で必ずできる。 しかし今ここでは、われわれはただ一つの目標に集中せねばならない。核兵器の禁止だ。

もしそうしないなら、あるいはもし誘惑に負け、それぞれの国家的優先課題にがんじがらめになってしまえば、われわれはほぼ間違いなく失敗するだろう。

それが世界の終わりというわけではないかもしれない。しかし、核兵器が関わってくれば、実際そうなるかもしれないのだ。

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