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原水協通信

毎月発行している日本原水協の機関誌です。国内外の反核平和運動についての情報が満載です。 日本原水協のウェブサイト→ http://www.antiatom.org/

「核兵器の全面禁止を!」

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【愛知】国連軍縮週間宣伝行動(10/21)11人で98筆

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【愛知】国連軍縮週間にむけて各地で6・9行動

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【愛知】ききプロin守山を開催

愛知県平和委員会青年・学生部は5月12日、被爆者の証言を映像記録としてDVDに残す取り組み「被爆体験聞き撮りプロジェクト」(愛称「ききプロ」)の13回目を名古屋市守山区で行い、堀三郎さんと金本弘さんから体験を聞きました。

「愛知県平和委員会 青年・学生部ニュース」第16号から紹介します。

被爆体験と原発事故重ねて

堀さんは広島で17歳の時に爆心地から4km離れた三菱の工場内で被爆。ピカっと光って数秒後、ドーンと工場が壊れるかと思うくらいの衝撃があったそうです。

2時間後、建物疎開のために市内に入っていた仲間を捜すことと、けが人を三菱の工場などに運び、うちわであおいだり、ウジを取ったり、赤チン(なくなると塩水で代用した)を傷口に塗ったりして看護したそうです。

市内から無傷で戻ってきた仲間も4、5日で亡くなり、自分もいつかはそうなるのではと恐怖を感じたことや、15年経って白血球の減少が起こり、結核、心筋梗塞、肝臓に良性腫瘍が見つかるなど病気のことも聞かせていただきました。

福島の原発事故で被曝者を出してしまったショックやこれから放射能被害が出るのではと危惧されていると力を込めて訴えられ、原発と原爆のつながりと自分たちのすべきことを再確認しました。

被爆者の実感なかった

金本さんは、広島に生まれ、9ヶ月の時に叔母と一緒に爆心地から2kmの己斐駅で被爆しました。ガラスの破片などが口の中に入り、近くにいた兵隊に用水路で口をすすいでもらい九死に一生を得たそうです。

24歳になり、広島から愛知に教員として就職し、平和教育として被爆体験を話してほしいと頼まれるまで、自分が被爆者だとの実感はなかったそうです。

実家では、原爆のことや8月6日のことは黙殺されていて、話題が出なかったため、金本さんも自分がどこで被爆したかは、24歳の時に叔母に話を聞くまでは知らなかったそうです。現在、94歳でご健在であるお母さんは、原爆のことは一切話されないとのことでした。当時15歳だった叔母の腕に火傷があり、夏でも長袖を着ていたことや、金本さん自身もずっと病弱だったこと、血液検査で白血球や赤血球の値が異常に低く、医者に「60歳まで無事に仕事ができたのはラッキー」と言われたこと、それらが原爆のせいだと思い当たったそうです。

継承の姿勢を考えた

原爆が家族、親戚の間に悲しく、苦しく、やるせない思いをもたらし、沈黙を選択せざるを得なかったという金本さんのお話から、被爆体験の継承への難しさや課題、聞き撮る側の姿勢も問われてくると改めて思いました。

また、堀さんの救護活動で同世代の少年少女の悲惨な状態を目の当たりにして、こんなことは二度と起こしてはだめだと思ったことが平和活動の原点だったというお話に、核兵器廃絶の強い思いを感じ、その思いも含めて受け継がなければと感じたききプロでした。

【愛知】スーパー前で買い物に行き交う人々に署名よびかけ

愛知県原水協は、2月から月2回の6・9行動に取り組んでいます。

1回は、以前同様名古屋市内の繁華街で署名宣伝行動を行い、もう1回は各地域原水協の6・9行動に出かけていきます。

4月9日は、県原水協から緑原水協の6・9行動に出かけて行きました。

緑区内のスーパー前でのぼりを立て、新「原爆と人間」パネルを展示し、横断幕やポスターを掲げながら、署名宣伝行動を行いました。

気持ちよくさわやかな春風に誘われて、ゆっくりと買い物に行き交う人々に「世界から核兵器をなくしましょう」「ウィーンで原爆展示をします」などと訴えると、わざわざ自転車を止めて署名してくれる人が非常に多く、若者の一人は「核兵器はやっぱなくさなかんですよ~」と言ってくれたり、一緒にいた友だちにもすすめてくれたりと署名が広がりました。

1時間の行動には新日本婦人の会・年金者組合・民主商工会・共産党・反核医師の会などから13人が参加し、88筆を集めました。

【愛知】被爆者裁判第一回口頭弁論開催“この苦しみは私たちのせいではない!”

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【愛知】2012反核平和ニュースNo.1

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【愛知】「非核平和都市宣言のまち」尾張旭市ー平和事業がすすむ

今年3月3日に尾張旭市が「非核平和都市宣言」をしてから、市の平和事業がすすめられています。

6月には「非核平和都市宣言のまち」と書かれた看板が庁舎の正面玄関上と名鉄瀬戸線線路側に面した庁舎3階の2ヶ所に設置されました。7月には平和市長会議の加盟が認定されました。同じ7月、非核平和都市宣言文を載せたクリアファイルが市内中学生に配布され、また、市内各公共施設に宣言文を載せたプレートが順次設置されています。

8月24日には、市内の中学生代表が市長、議長とともに広島へ行き、約1万羽の折り鶴を「原爆の子の像」にささげ、平和を祈念しました。

長い間、毎年「非核平和都市宣言をしてください」と要請してきたことが実現し、その後も次々と平和施策が施され、尾張旭市民として誇らしく思います。

今年から年間を通して継続することになった「平和行進尾張旭実行委員会」を充実させ、学習会や原爆展、署名が推進できるよう、みんなで頑張りたいと思います。(尾張旭市 藤崎俊子)

 

[尾張旭市非核平和都市宣言文]←クリック!

 

【愛知】ジョゼフ・ガーソンさんが豊橋駅前で署名を訴え

8月12日、豊橋では恒例の「反核・平和 草の根国際交流のつどい」が開かれました。

各報道機関には「世界大会終了後の海外代表は、帰国までの短い時間、全国の草の根と交流をおこなっています。今年は、ジョゼフ・ガーソンさん(アメリカフレンズ奉仕委員会)、4回目の豊橋来訪です!」との案内と協力依頼を出しました。

ガーソンさん、4回目ともなると、桜丘高校の「原爆の火」見学と、夜の「交流のつどい」は、はずせないにしても、従来やってきた自治体訪問とは違う、何か新しい企画をと考えました。そこで思いついたのが、「ガーソンさんに豊橋駅前で署名に立ってもらおう」ということでした。しかも、「ガーソンさんに演説をしてもらうが、それは短時間にして、多くの時間は、署名板を持って、直接市民と対話し、署名をもらってもらおう」ということになりました。ガーソンさんの通訳は沢田昭二愛知県原水協理事長が急きょ駆けつけてくださり、駅前は、反核平和運動の世界的活動家の2人が立つということになったのです。

もちろん、約1時間のこの行動で、過去最高の103筆(原発署名98筆)が集まったことは言うまでもありません。『朝日新聞』『中日新聞』『東愛知新聞』『しんぶん赤旗』各紙が写真入りで報道し、世論形成に協力してくれました。(田原市原水協 安間 慎)

 

【愛知】浜岡原発の永久停止・廃炉を求める静岡県大集会「7.23 ひまわり集会に参加して」横江厚子

愛知県から2000人、静岡県等から3000人計5000人が静岡市「駿府公園」に集まりました。

集会呼びかけ人の代表が「福島原発の悲惨な事故は人ごとではない。浜岡原発で事故が起きれば、静岡はもとより首都圏にも被害が及ぶ。廃炉に向け太く強い世論をつくろう」と呼びかけ「“絶対安全”は原発がなくなるまでない、浜岡原発の廃炉から全国の原発の廃炉へ頑張ろう」など、次々と決意表明がありました。最後に

☆地域や職場に「浜岡原発の永久停止・廃炉」の思いを束ね、繋ぎあう会を無数に作りましょう

☆署名を大きく広げましょう

☆被災地・避難地でがんばる東北の人々と心を通い合わせながら、「浜岡原発の永久停止・廃炉」への思いをまわりに広げて、年内にまた浜岡に集まりましょうと集会宣言をし、3つのコースに分かれてこの思いをアピールしながらパレードをしました。

この後、浜岡原発を見学しました。浜岡原発は青い海と空の下に広がる白い建物で、緑に囲まれた美しい所にあります。

しかしこの下には 活発で大規模な活断層南海トラフ(海溝)が走り、東海・東南海地震の震源域と予想されていて、大きな危険を内包しています。

もはや安全神話は通用しません。

原発を全てなくすまで長い道のりですが、頑張らなくてはと思いました。署名などできることから行動していきましょう。

 

【愛知】飯舘村、南相馬市など放射能汚染調査 浜岡原発なくす決意あらたに

5月19日、福島第一原発事故による放射能汚染測定調査を行った愛知県原水協の佐竹康行事務局長による感想を紹介します。

5月19日朝、高速道路上、福島に向かうにつれ、線量計のゲージが動き始めます。地震によって崩壊した道路上の壁、道路自体も陥没しているところもいくつもあり、惨状の一端を示していました。高速道路上でも、2マイクロシーベルトをこえる数値。

▲JRバス東北「渡利唐沢」バス停にて測定。アスファルトで1.3マイクロシーベルト(以下、μSv)、草の上に置いたところ、2μSvを記録。

飯舘村へ向かう途中、畑の中、道の駅、道ばた、わき水の流れている付近など所々で、放射線量を計測。2マイクロシーベルトにアラームをセットしてありましたが、飯舘村に近づくにつれ、度々鳴り続きます。雨水が流れる付近はやはり線量が高い。

▲県道12号線で飯舘村に入った直後、二枚橋のたんぼで測定。約2μSvを記録。車内は0.08μSv程度。

飯舘村役場で、線量調査をしていると、ある村の方が「1や2(マイクロシーベルト)なんてたいしたことない」との反応。役場に置いてあった、「広報いいたて」を見て納得。3月15日には44.7マイクロシーベルトの測定値が書かれていました。

▲線量を測定する横江副会長

別の方は、「政府のことは信じていない。でも、避難しろというので仕方なく避難する」と怒りを露わに。

▲通りすがりのおじいさんが「(5月末までに出て行けと言われて)みんなピリピリしとる」と話してくれました。

測定器は常時役場前に置かれており、どことなく緊張感があります。でも、村の中で一番賑わっているのが、引っ越し業者が並んでいる役場前というのはとてもつらい。自家用車は家々にあるにもかかわらず、人気がなく、とても寂しい村となっています。

▲役場の入口には佐川急便の他に、引越しのサカイの受付窓口が設けられていました。

役場を後にして、南相馬市の境界線まで出かけました。

▲福島第一原発から半径20km圏内のため「原子力災害特別措置法」により立入禁止となった南相馬市の境界線

北海道警の若い警官がマスクだけで警備。

▲警備していた北海道警察の警官は、何時間で交替するのかと質問すると「勤務状況については答えられない」とのことでした。

やはりその近くが一番高い数値で5マイクロシーベルト。「気をつけてね」と警官にも声をかけるすがら、白装束にマスク姿の自衛隊員がトラックで出入りしていました。

▲警官の格好に比べて、封鎖されている方向からどんどん出てくる自衛隊車に乗っている隊員は全員白い防護服で完全防備でした。

すてきな村だと感じた村々が、人災で、こんな惨状になるのを目の当たりにして、被災地への支援をもっと強めようと思いつつ、「地元の浜岡は無くさんといかん」ととても強く感じました。

 

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【愛知】2011年5月被爆者支援ニュース

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【愛知】反核平和ニュースNo.7

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【愛知】原発問題愛知県連絡センター緊急学習会の案内

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【愛知】2010反核平和ニュースNo.6

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【愛知】「相談ロールプレイ」でシミュレーション―「被爆者支援のための学習会」を開催

愛知県原水協被爆者連帯部は9月23日、名古屋市東区内にある愛知民主会館2階会議室で「被爆者支援のための学習会」を開催しました。今回のテーマは、今秋の愛知県原水爆被災者の会(愛友会)主催の「被爆者相談会」へのサポート活動です。学習会には、愛友会の役員3人が参加しました。

はじめに愛友会副理事長の堀三郎さんが認定申請の現状と会の相談活動の様子などを報告。勝訴してきた司法の水準と厚労省との間での乖離の深刻な現状や、9月21日に厚労省が情報開示した却下被爆者の問題は深刻で、愛知でも80~90%が却下されていること、さらに、少なくない被爆者が申請してから随分経つのに音沙汰がないことなど、まさに待ったなしの課題となっています。

メイン企画である、被爆者相談会の実体験講座「相談ロールプレイ」は、水野秋恵さん(春日井市在住被爆者、愛友会事務局次長)と大村義則さん(県原水協代表委員、被爆2世)にお願いしました。水野さんは実際に相談を受けた被爆者を例にして、次のように大村さんに相談しました。

▲「相談ロールプレイ」を行う大村さん(左から2人目)と水野さん(同3人目)

大村 こんにちは。

水野 こんにちは。

大村 まず、お名前、お住まい、年齢、被爆地など教えていただけますか。

水野 はい、名前は○○、住まいは江南市、年齢は74歳、被爆地は長崎で1・8キロメートルです。

大村 今回はどんな相談でお見えになりましたか?

水野 書類を出したいので。

大村 手帳申請ですか?認定の申請ですか?

水野 認定を受けたくて来ました。

大村 そうですか。被爆した当時の様子を教えてください。

水野 はい、7歳の時、家が壊れて柱の下敷きになったため、手足にしびれがあり、首にも異常があり、仕事ができなくなったんです。原爆のせいだと思います。

大村 病歴はどうですか。

水野 子宮筋腫、ぜんそく、高血圧などいろいろあります。…

学習の努力と一体に援護連帯活動を展開

○○さんは申請後却下され、異議申請をしていましたが、今年3月に棄却通知が来てとても落胆していました。直接相談を受けていた水野さんは、納得できなければ訴訟するか、もしくは仕事が出来ない生活状態なら生活保護を申請するか、提案をしました。結局、○○さんの場合は、訴訟をせず、生活保護の申請援助を行い、現在支給されるようになりました。

こうしたやりとりの後、参加者で意見交換をしました。実際に相談会に参加し、被爆者を前にしたときに、何を聞き出し、どうこたえたらいいのか、簡単なマニュアルをつくることにしました。また、相談会はあくまで入口であり、その後の相談活動に活かすためには、住所連絡先をきちんと聞き、可能なら非会員には愛友会に加入していただくように進めることを確認しました。4回ある相談会には、被爆者支援サポーターとして、3人程度は組織することも確認し、参加者のうち、のべ6人が参加することを表明しました。

今後、学習会は講座形式にすることを目標に、当面、学習の努力と一体に相談会への参加を強めながら、計画される全自治体要請行動(被爆者行脚)の提案にも積極的にこたえつつ、とりくみを強めることを全体で確認しあい閉会しました。

(愛知県原水協事務局長・佐竹康行)

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