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原水協通信

毎月発行している日本原水協の機関誌です。国内外の反核平和運動についての情報が満載です。 日本原水協のウェブサイト→ http://www.antiatom.org/

「核兵器の全面禁止を!」

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マラヤ・ファブロスさんの行進日誌32日目

20130606-095010-pm

平和行進三十二日目:津島市役所、愛西市役所、稲沢市役所

戻って来れて嬉しいです!今朝早くにホテルを出発し、きみちゃんが私たちを津島市役所に車で連れて行ってくれました。平和行進の参加者の皆さんが市庁舎の正面に集まっておられました。そこで私は他の愛知県の通し行進者の皆さんに紹介されました。また恵子ちゃん、横江さん、佐竹さんとも会いました。彼らは会場の設営に忙しそうでした。

数分後に何人かの通し行進者が市役所の中に招き入れられました。私が次に何が始まるのか興味津々でいると、村田さんが私に日本語で静岡で病院に行くと思っていたら市役所に行くことになった時と同じ感じだねと言いました。彼の日本語が何故分かったかといえば「病院」や「同じ」などのキーワードが聞き取れたからです。経験は最良の師,ですね(笑)

中に入ると大きな会議室で副市長が待たれていました。また市長と市議会の代理の方もいらっしゃいました。彼らから賛同のメッセージをもらって、私たちはそれぞれ自己紹介をしました。それから印刷されたメッセージとペナント、そしてカンパをもらいました。比較的短い会談でその後入口の集会に戻りました。他の皆さんはすでに歌を歌っていました。とっても素敵でした。親切な副市長さんが外まで出て来てくれました。市議会の議員さんもお一人出て来てくれました。彼らは私たちが市庁舎の敷地を出るまで送ってくれました。今日はとても大勢の方が平和行進に参加していました。多分明日愛知平和行進のサイトをみれば何人が参加していたか分かるでしょう。

私たちは10時半には愛西市役所に到着して休憩を取りました。ここでも副市長さんと市議会議員さんが歓迎してくれました。彼らも私たちが市役所を後にするまで一緒に過ごしてくれました!今日は10日のブランクがあったのでこの時間で既に疲れを感じ始めていました。今日は私にとっては足慣らしの一日になるでしょう。多分これから3日間くらいはまた筋肉痛になります。東京と神奈川を歩いた最初の3日間も筋肉痛になりました。

お昼休憩のために稲沢市庁舎に向かいました。大勢の参加者は市庁舎の中にある大きなホールに案内されました。そこでお昼ごはんです。おにぎりに、甘辛いお魚、おでん、ほうれん草,コーンとポテトのパテ、ポテトサラダなどどれも美味しかったです。

そこから平和という名前の街を歩きました。平和というのはPEACEという意味です。平和病院もありました。一緒に歩いている方が平和行進が平和町の平和病院の前を歩いているねと嬉しそうに教えてくれました。すごい!

街の名前がほどこされたマンホールのフタもあるみたいです。これはそれぞれの街でデザインが異なっています。このマンホールは街のいたるところにあります。マンホールの下がどうなっているのか私にはちょっとわからないのですが。。。

2時頃に広場に到着しました。広場の端っこに平和のモニュメントがありました。愛知県の平和行進を組織している皆さんが私たちのためにおやつを用意して待っていてくれました。彼らは私たちが休憩のために止まる場所に先回りして準備してくれているみたいです。だから彼らの姿が見えると休憩時間だと分かります。愛知県原水協の皆さんいつもありがとうございます。

行進を再開する前に福祉関係の労働組合の方から私たちはたくさんの折り鶴を託されました。1000羽以上ありそうな折り鶴が一つにまとめられていました。かなりの重さです。すごい!

行進を再開してから愛知の平和行進の提灯を持って歩いてほしいと頼まれました。この提灯はつねに行進の先頭の人が持っており、これまではよしさんが持って歩いていました。よしさんからは提灯は熱いから気をつけてと言われました。提灯を持って歩くのは楽しかったですが、腕が疲れて何度かよしさんに替わってもらいました。

3時20分に稲沢市役所に到着し、式典の前に休憩を取りました。稲沢市は私のために通訳さんを用意してくださっていました。市長さん、市議会議長さんも式典に参加してくださったのはとても嬉しかった!メッセージ、ペナント、カンパを寄せてくれました。

市長さんはご本人が広島長崎の原爆投下と同じ1945年生まれだと話されました。稲沢市は核兵器廃絶都市宣言を行っており、核兵器の持ち込みを禁止している自治体です。平和のパネル展示も市役所のロビーで毎年8月15日の終戦記念日まで実施しています。今日の行進を締めくくるのにふさわしい力強いメッセージを寄せてくださいました。

市議会の議長も稲沢市は1985年には平和都市宣言を行ったと言われていました。彼は何度も世界唯一の被爆国として核兵器の恐ろしさを世界に伝える責任があるというような事を言われていました。また過去の過ちを繰り返さないために若い世代に被爆体験や平和への思いを継承していく事の大切さにも言及されていました。

今日の行進は稲沢市のJRの駅で終了になりました。この時を私は待ちわびていました。なぜって横江さんが昨日、今日の最後にはスイカが食べれると教えてくれていたからです。本当にスイカが食べられました!冷たいおしぼりも用意されていました。通し行進者のみなさんぞれぞれの短い挨拶を聞きながらのとても素敵な閉会式でした。

山口さんと私はきみちゃんと他の新婦人のお二人(なんと二人ともお名前は佐藤さん)と車に乗って名古屋に戻りました。というのも、名古屋で新婦人の皆さんがパーティを企画してくれていたからです。でも山口さんは頭痛が酷かったので先に休むことになりました。ゆっくり休めていると良いのだけれど。

そうそう山口さんは和歌山出身で平和行進をリレーしています。山東恵子ちゃんが東京と神奈川を歩き、たくや君が静岡を、山口さんが愛知県を歩いています。彼女はとっても可愛らしい若者です。彼女は愛知の平和行進のミューズです!明日も一緒に歩けるのが楽しみです。

私は新婦人の皆さんと楽しい時間を過ごしました。歌があり、美味しい食事があり、私への短い質問タイムもありました。通訳は佐藤るみこさんと高木としさんでした。お二人がいてとても心強かったです。としさんは誰かの通訳をするのはこれが初めてだけど楽しいと言っていました。良かった!

最後にパーティで歌っておられた方とギタリストの方が2年前にフィリピンに行った事があると教えてくれました。地元の平和団体が主催したピースフェスティバルで演奏したそうです。私は、母がとっても嬉しそうにその事を話してくれたのを覚えています。いろんな国々からたくさんのアーティストが集まったのです。なかでも日本からの参加者が一番多かったそうです!

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(日本語訳=三宅朋子)

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