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原水協通信

毎月発行している日本原水協の機関誌です。国内外の反核平和運動についての情報が満載です。 日本原水協のウェブサイト→ http://www.antiatom.org/

「核兵器の全面禁止を!」

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【2014国際青年リレー行進】マギティング・ファブロスさんの日誌(5月15日)

5.15(1)

葉山から鎌倉

今朝もまた雨が降ってひんやりした朝でした。私たちは葉山町役場には早めに着いたので準備する余裕がありました。田中さんは常に何枚かの絵はがきを持っています。観光地でその場所の写真の載った絵葉書を購入して大切な人に送る、昔からの方法があります。毎日田中さんは郵便ポストを探しては絵はがきを投函しています。多分切手もたくさん持ち歩いているのだと思います。絵はがきを投函して彼はいつもにっこり笑います。田中さんが平和行進の期間中、日々の経験をどれほど大事にしているかがわかる瞬間です。

5.15(2)

私はちょっと電話ボックスでも遊んでみました。というのも、扉がジムのトレーニング機械のようになっていたからです。ハンドルを引っ張るとウエイトが上がって、ハンドルを離すとウエイトが下りてくる仕組みでした。シンプルですがとても効率的な仕組みだと思います。

葉山町は相模湾に近く、天候も温暖です。特産品は葉山牛と椎茸だそうです。

朝の式では92歳の被爆者が紹介されました。山梨崇仁(やまなし・たかひと)さんという若い町長さんが歓迎してくれました。お話しする機会があり、彼は英語が話せました。以前にフィリピンに行ったことがあると言われていました。ウィンドサーフィンをしにセブ島に行ったそうです。セブは美しい街だと彼は言ってくれました。

5.15(3)

雨脚が強くなって来たので時間通りに歩き終えるためにもすぐに歩き始めました。これは日本のみなさんの時間に対する考え方をよく表していると思います。以前私はアメリカ人の上司の下で働いていたことがあります。彼はいつも「時間は金だ」と言っていました。日本で私は「時間は他者への敬意の表れだ」と教わっています。できるだけ時間を守ることは、同じく時間を守ろうとする別の人の努力に敬意を表することなのです。

フィリピンには「フィリピンタイム」があります。みんな遅れるから結局全体の時間がずれ込むことをからかった言い方です。もしかしたら「なんでもあり」でリラックスしたライフスタイルのせいかもしれません。日本で会議に参加すると常に決まった時間に始まって、決まった時間に終わります。私は毎朝ホテルのロビーに集合時間に遅れずに行くように気をつけています。だって時々1−2分遅れただけでも竹田さんはホテルのフロントに部屋に電話してくれるように頼んでいるからです。

今日はトンネルを抜けて山の方へ向かいました。日本を旅していると、本当にたくさんのトンネルがあります。すごいのはこのトンネルが山ひとつ全てを貫通していることです。200メートルのトンネルもあり、雨の日にはこのトンネルが救いになります。車は少しスピードを落として通って行きます。なぜなら車用に一車線と歩行者用の狭い道があるだけだからです。

トンネルの出口に近づくと逗子市の標識が見えて来ました。トンネルを出る頃には空は曇っていましたが雨はやんでいました。アリガトウゴザイマス!

5.15(4)

逗子の市長さんも暖かく出迎えてくれました。また逗子市在住の被爆者の方も待っていてくれました。逗子も葉山同様に人気のある海岸リゾート地です。そして東京や神奈川に通勤する人々が多く住んでいるベッドタウンでもあります。

今日の行程をあまり知らなかったので日本とアメリカの旗が両方たなびいている光景を見て驚きました。私たちは池子ハイツ米軍住宅に近づいて行きました。池子は元々日本軍の弾薬庫だった場所で、現在は横須賀基地の一部として使用されています。この基地は主に兵隊とその家族のための住宅になっています。驚いたことにここではフェンスに囲まれた中に鉄道の線路まで引かれていました。その線路はトンネルの向こう側まで続いていました。

5.15(5)

今日は通行人と会うことの少ない行程でした。もしかしたら雨のせいもあるかもしれません。ひょっとして人々は日中は街の外に働きに行っていることもあるのかもしれません。池子の前で午前中の行進を終え、小さく集会を持ちました。笠木さんが基地の前で演説をしました。

5.15(6)

お昼を食べた後で鎌倉まで歩きました。そこで私は福島よしてるさんに会いました。彼はマラヤともここで一緒に歩いたそうです。彼は英語が話せるので何度か助けてもらいました。9人の被爆者の方々が私たちと一緒に歩いてくれました。彼らが歩く姿はとても感動的です。高齢にも関わらず、私たちと一緒に歩こうとしてくれるその姿に励まされました。

5.15(7)

鎌倉の被爆者団体の議長が短いスピーチをされました。彼は4歳の時に多くの犠牲者を目の当たりにしたそうです。その多くが水を求めていたと語っていました。これはやけどを負った人の典型的な症状です。水を飲む、もしくは身体にかけたがるのです。

鶴岡八幡宮の入口には大きな鳥居がありました。多くの人が写真を撮っていたので私たちも注目を集めました。このあたりはとてもリラックスできます。緑や自然が多いからかもしれません。ユネスコの文化遺産にも登録されています。

私たちは鎌倉駅に到着しました。この駅は独特のデザインで駅には見えません。近くの商店街まで歩いて行くと通行人の皆さんが手を振ってくれました。そこから鎌倉神社のところまで上り坂を歩きました。

それから巨大な白い像には本当に驚きました。大船観音というそうです。1920年代に建立が開始され、1960年代に完成したそうです。仏像の一部には広島と長崎の瓦礫の一部が原爆犠牲者の追悼の意味で使われているそうです。この大仏は全て手作りでコンクリートポンプ車などは使っていません。

折り鶴をお供えする台座と広島の火を灯したモニュメント、広島・長崎の建物からの瓦礫もありました。

福島さんが「今日は神社が行程に入っている特別な日」だと言いました。わたしは広島の平和のモニュメントやサダコ像を見た時と同じ気持ちになりました。こういう場所に立つと被爆者の苦悩が胸に迫ります。

ここでも集会を持ちました。4人の女性が被爆者の証言の朗読をおこないました。内容はよく分からなかったけど、彼女たちの読み方は心に響きました。これまで読んで来たもの、原爆資料館で見て来た映像や写真などが思い出され、原爆や水爆が爆発した後の人々の苦しみが繰り返しよみがえってきました。

松平晃さんがトランペットの演奏をしてくれました。彼はどこでも登場して、すごく格好良いです!

多くの団体も参加していました。コープの皆さんもです。佐藤良生さんという被爆者の方も来られていてニコニコされていました。

今日はコープの皆さんの招待を受けました。たかしさんとなかやまさんというパルコープシステムの方々です。ネットなどで注文するとドアの前まで商品を届けてくれる配送システムだそうです。

コープのあさみさん、笠木さん、片野さん、そして矢部さんと私たち3人の通し行進者は一緒に夕食を囲みました。焼き鳥とビールをごちそうになりました。竹田さんは電気技師だということが分かりました。矢部さんもエンジニアだそうです。どういうエンジニアかまでは分かりませんでした。フィリピンでも空港内で仕事をされていて、飛行機の整備などもされていたそうです。

その夜はホテルまで電車で帰って来ました。

(翻訳:三宅朋子)

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