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原水協通信

毎月発行している日本原水協の機関誌です。国内外の反核平和運動についての情報が満載です。 日本原水協のウェブサイト→ http://www.antiatom.org/

「核兵器の全面禁止を!」

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【日本原水協】核兵器禁止条約交渉会議・第2会期開会にあたり安井正和事務局長が日本政府へ申し入れ

日本原水協は6月13日、核兵器禁止条約交渉会議・第2会期開会にあたり、日本政府への申し入れをおこないました。安井正和事務局長が外務省を訪れ、申し入れ書を手交しました。軍備管理軍縮課長の代理として、同課村本晶子外務事務官が応対しました。

申し入れ

内閣総理大臣 安倍晋三 殿

外務大臣 岸田文雄 殿

日本政府が核兵器への依存から脱却し、核兵器禁止条約の採択、調印、批准、核兵器のない世界の実現のために努力するよう求めます

6月15日から7月7日まで、国連は昨年12月に採択された総会決議に基づき、核兵器を禁止する法的拘束力をもつ文書を交渉する会議の第二会期を開催しようとしています。

周知のように3月下旬に開催された第一会期には、115か国を超える政府が出席し、国際組織や各国市民社会の代表とともに文書の前文、中心的禁止項目、制度的枠組みなどを討論しました。討論に基づいて5月に起草・配布された核兵器禁止条約の草案は、核兵器の使用はもちろん、開発、生産、取得、保有、貯蔵、実験(爆発)のすべてを明確に禁止しています。

核兵器の禁止・廃絶は、国連憲章の精神に立った総会第一号決議の「各国軍備からの原子兵器・大量破壊兵器の一掃」に沿うものであり、国際政治が第一に実現すべき死活的重要課題です。

また、この課題は、なによりも国民が唯一核兵器の使用が引き起こす非人道的破局的帰結を体験した日本政府が率先して世界に訴え、その実現のために先頭に立つべき課題です。

日本政府の代表は第一会期の初日、北朝鮮の核実験、ミサイル発射を理由に、会議そのものへの参加を事実上拒否し、いままた第二会期への出席も拒否しています。北朝鮮は、もちろん核実験もミサイル発射もやめ、国連安保理の決議を受け入れ、話し合いのテーブルにつくべきです。

しかし、このことは、日本政府が核兵器禁止条約を拒否する理由にはなりません。むしろ、こうした情勢だからこそ、唯一の被爆国の政府として核保有国を含むすべての国に核兵器の全面禁止をよびかけ、核兵器のない世界への共同の努力を促すべきです。

現にいま、核保有国と一部の同盟国を除くアジアと世界の圧倒的多数の国々はこうした方向をとり、核兵器の禁止に賛成し、条約案を討論し、7月7日、第二会期の最終日には、核兵器禁止条約が国連の場で採択されようとしています。

この歴史的機会に当たり、私たちは日本政府がこれまでの危険な「核の傘」への依存を見直し、核兵器禁止条約の成立に積極的に貢献し、その調印、批准、発効から、さらに核兵器のない世界の実現へと歩むべきことを強く主張するものです。

2017年6月13日 原水爆禁止日本協議会

【核兵器禁止条約】関連情報

第1会期(3/27-3/31)

日本原水協声明 土田弥生日本原水協事務局次長 セツコ・サーロー 藤森俊希日本被団協事務局次長

オーストリア インドネシア アイルランド 日本(抜粋) 日本原水協抗議文

キム・ウォンス国連軍縮担当上級代表と懇談 エレン・ホワイト国連会議議長と懇談

第2会期(6/15-7/7)

NEW! 核兵器禁止に関する条約草案(概要)

安井正和日本原水協事務局長談話 核兵器禁止女性行進(6/17) 核兵器なくそう!6・17おりづるパレード

核兵器廃絶日本NGO連絡会

[…]

【平和行進】北海道→東京(内陸)コース通し行進者 五十嵐成臣日誌3(5/18-6/1)

5/18

岩見沢市に移動し市役所訪問、市の中心部で「ヒバクシャ国際署名」を集めた後で市内を行進。小選挙区候補の女鹿さんも参加。「この選挙区はJR北海道の廃止路線の半分がある。大変なところです」と。

5/19

江別市は2015年に「平和都市宣言」をおこない、「平和の碑」を作った(宣言文には、核兵器の禁止の文が入っている)。市役所、教育委員会の訪問後、ここは水道部を訪問(10年以上前より訪問しているとか)。主に話題は、原発事故の問題。「放射能が降ってきたら、水道事業は打撃を受ける」。一事業所では対応できない。

午後、行進と市民センターで激励会。

5/20

朝、札幌へ。野幌100年記念公園より札幌市内へ幹線コースの他、市内各地より6コースが札幌駅へ向けて行進。幹線コースでは、小学2年の男の子や5歳の幼児が「原爆ハンタイです。友達と仲良く遊びたいです!」などとコールした。大通公園では、いっせいに咲いた花を見る観光客や市民が集まり、平和行進に手を振る人、拍手する人など、注目の行進となった。行進にはのべ650人以上が参加した。

5/21

行進はお休み。市内散策。

5/22

札幌市を訪問。市長、議長、教育長(いずれも代理)に署名、ペナント等をもらう。

北海道平和行進の前半のまとめを道原水協事務所でおこなう。

5/23

北広島市へ。広島県東広島市の人たちが、明治に移住し開拓した地であり、東広島市とは姉妹都市を結んでいる。毎年、被爆者の方に市内の学校に語り部をしに来てもらうなど、平和教育に力を入れている。副市長、議長、教育長と懇談。「被爆国の日本が核兵器禁止に反対とは、認められない」と話していた。竹葉公園より行進し恵庭市へ。

夕方、激励会。昔、動労闘争で八王子に行き、JMIUの方にお世話になったと話す人も。激励される。

5/24

朝、恵庭市を訪問。秘書課主査と議会事務局主査と会い、募金、ペナントを受け取る。雨模様のため行進が中止になり千歳市へ。ここも秘書係長、議会事務局次長と会う。募金のみ。今、千歳市は市議選最中。地元の人の話によると、議会閉会直前に議席数を減らされ、自衛隊出身者(自民党)、公明党の現議席数以外の4議席を8人で争う激戦とのこと。

5/25

千歳市内の行進。保守無所属の市議候補者も行進団に手を振ってきた。選挙中のためか行進参加者も少な目。

午後、苫小牧市入り。勤医協苫小牧病院で院内集会の後、60人の参加で市内行進。終了後、苫小牧駅前で「ヒバクシャ国際署名」行動。下校してくる高校生も署名。

5/26

苫小牧市を訪問。市長、議長は出張中。代理の方に会い、募金、ペナント、「ヒバクシャ国際署名」を受け取る。市は毎年、小・中学生2人を広島に送って報告会や作文を書いてもらっている。

午後、白老町へ。行進参加者は10人。すれ違う車の中から手を振る人も。

登別市へ。ここも市長、議長は出張中。教育長も外出中のため、代理の人が対応。

5/27

雨の中、登別市を平和行進。かなりの雨で自動車の水しぶきがかかり大変だった。

登別市雨の行進

江別市も同じだが、市街の中心を通っていた道道のバイパスを作ったところ、バイパスに大型店舗ができ、旧市街の小さい店舗はシャッター通りに。車を持たないお年寄りは生活できなくなっている。若い人は大都市へ出て行き、街はどこでもお年寄りばかりに。

5/28

室蘭市で平和行進。20人が参加。

5/29

室蘭市役所を訪問して伊達市へ。

夕方、伊達市内を平和行進。参加者20人。伊達市は噴火湾に面して周りは山に囲まれ冷たい風が入りにくく暖かいところ。稲作や野菜、いちごが作られ農業が盛ん。

伊達市の行進参加者と

5/30

伊達市役所を訪問。市長、議長、教育長は急用のため、代理の方が対応。募金、「ヒバクシャ国際署名」、ペナントを受け取る。午前10時より洞爺湖町に向けて行進。

伊達市。思いのこもった手作り弁当

洞爺湖町役場で伊達町との引き継ぎ。町長などと面談。「強い者が弱い者を支配するのは許されない」「核兵器はなくさねば」と真屋町長。

この後、一昨年まで行進団の引き継ぎがおこなわれていた北海道虻田高校を表敬訪問。校長先生との面談の後、この高校が約25年前移転した時に作られた「平和の鳩」のモニュメントを見学。当時の高教組の先生たちの平和と反核の想いを伝えている。 fz-5.com/blond/

虻田高校の平和と反核のモニュメント。鳩のデザインは原水協が使ったものと高教組の先生は言っていたが?

 

5/31

壮瞥(そうべつ)町を訪問。ここは幹線コースに入っていないため、今まで一度も行進団が訪問しなかった町。今回初めて訪問し、国民平和大行進について説明。来年から訪問を快諾してくれた。佐藤町長も「アメリカが核兵器で脅すから、北朝鮮も持とうとする。核兵器はなくすべき」と。

平和行進が初めて訪問した壮瞥町の佐藤秀敏町長との握手

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【岡山】ヒバクシャ署名の成功を 県原水協総会ひらく

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【広島】首相・外相に「核兵器禁止条約交渉会議(第二会期)への不参加表明に対し、強く抗議するとともに、同会議に参加し、被爆国政府として、核兵器廃絶のために真摯に協議に応ずることを求める」抗議文を送る

広島県原水協は5月27日、前日の26日に核兵器禁止条約交渉会議第2会期(6/15-7/7)に参加しないことを表明した岸田外相と安倍首相に対し、「核兵器禁止条約交渉会議(第二会期)への不参加表明に対し、強く抗議するとともに、同会議に参加し、被爆国政府として、核兵器廃絶のために真摯に協議に応ずることを求める」抗議文を出しました。

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【岡山】動き始めた核兵器禁止の世界-核兵器禁止条約実現へ、私たちの運動のめざすもの- 5/27県原水協定期総会

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核兵器なくそう!6・17おりづるパレード

チラシ表

チラシ裏

「核兵器なくそう! 6・17おりづるパレード」 実施要項(案)

【日時】 2017年6月17日(土)13時半~14時半 (13時集合)

【集合】 新宿区西新宿 柏木公園

【主催】 6・17おりづるパレード準備会

【趣旨】

2017年6月17日(土)、核兵器禁止条約交渉会議(第二会期)が開かれているニューヨークで、「核兵器を禁止する女性行進」がとりくまれます。日本からも被爆者を先頭に100人近くが参加し、行進が集結する国連本部前のハマーショルド広場では、日本被団協の代表から会議議長へ「ヒバクシャ国際署名」が提出される予定です。

核兵器禁止条約に反対する核保有国とその同盟国を中心に、女性行進に連帯する市民の行動が呼びかけられており、とりわけ被爆国日本での行動は世界も注目しています。

首都東京で、日本政府が核兵器禁止条約の実現に被爆国として貢献するよう、被爆者と市民が声をあげることは大きな意義があります。

【参加対象】

パレードの趣旨に賛同する団体・個人であれば誰でも参加できる。

パレードは非暴力で、参加団体・個人を誹謗中傷しないことを前提にとりくまれます。

【パレードのイメージ】

被爆者を先頭に 「核兵器を禁止する女性行進」との連帯が分かるように レッドアクションの赤、国連の青を全体のイメージに 日本政府に向けたメッセージを明確に 若い男女のMCを配置し、沿道へのアピール、コール、うたごえなど楽しくパレード 規模は400人程度 医療班・救護カーを手配

【ヒバクシャ国際署名】

パレード参加者に署名をよびかけるとともに、並行して署名隊が歩道で「ヒバクシャ国際署名」行動にとりくむ。

【出発集会のプログラム・案】

主催者あいさつ(被爆者) ニューヨーク現地の声、著名人のメッセージ紹介 参加者の一言 ピースコールの練習ほか

【参加のよびかけ、組織】

案内チラシの作成 SNSでの発信(ハッシュタグ「#0617orizuru」「#PeaceWave2017」) マスコミ各社への案内と事前記事依頼 広範な団体へのよびかけ

チラシ(PDF)

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【平和行進】北海道→東京(内陸)コース通し行進者 五十嵐成臣日誌2(5/12-5/17)

5/12

士幌町を訪問。町長出張中のため、総務課長と面会。「平和のために長いこと活動されていることに頭が下がります」と。この街は、明治時代に屯田兵が入植した極寒で最北の地で、他の屯田兵の部隊は、より条件のいい地に移って行ったが、この部隊は日露戦争に出兵したため移る機会を失ったとのこと。「冬は天井のすき間から雪が舞い込み、布団の上に雪が積もった」とか。

夕方に旭川に入り、引き継ぎの共産党事務所へ。

5/13

花咲スポーツ公園(陸上自衛隊旭川駐屯地の前)より平和行進が出発。バス停で待っている人や車の中から手を振る人も。国際青年リレー行進タスキは医労連の青年とそのお子さんが掛けてくれる。参加団体18、参加者約100人。

終了後、旭川駅前の買い物通りで署名行動。約40分間で28人分の「ヒバクシャ国際署名」が寄せられた。一本駅寄りの通りでは、新婦人などの「共同行動委」の人たちが「共謀罪」法案反対の署名を集めていた。

5/14

朝、深川市に行き、市役所前から行進。参加者約20人。「商店の人も店の前に出てきて手を振る人が増えた」そうだが、核兵器禁止条約ができることが関係しているのかな。

深川の周辺は、米の産地。田んぼには水が張られ、早いところは苗を植えられたところも少しあった。水が張られると、1〜2度気温が下がるとか。菜の花も産地。ここは油を取るための花。手入れが大変とか。あと1〜2で満開。

午後は共産党女性講演会のつどいに参加。講師は大阪の清水ただし衆議院議員。なにわ弁の大変面白い話に大笑い。

深川市内の平和行進で手を振る五十嵐さん(左から2人目=5月14日)

5/15

深川市役所を訪問、副市長が対応。「核兵器をなくすためのたゆみない運動が必要」とペナントに署名。市議会議長代理もペナントに署名。深川市内の7割の寺院が核兵器廃絶に理解し募金に応じているのは、「先輩たちの努力によるもの。これは守り続けなくては」と。

午後、妹背牛町へ。「モセウシ」とはアイヌ語のイラクサの茂ったところの意。「町長出張のため副町長が対応。この町は米の生産が中心。田んぼも大きい農家では5〜6町歩。作付けは大型の機械で大変なようだ!!菜の花の生産もしており、菜種油の生産も盛ん、菜の花は咲き始めていた。

5/16

午前中、滝川市役所で「ヒバクシャ国際署名」をおこなう。人通りの少ない場所で8人分あまり。募金は通りがかりと思われる人が1000円を。100円だけ募金の人も。

午後は市役所を訪問。市長、議長、教育長の3人とも不在。「ヒバクシャ国際署名」のみ後日送ることを約束。

夕方、砂川市内を行進(自動車パレード)。前住職で九条の会会長の西川壮一さん(88)の寺、西願寺までパレードの後、交流会。

5/17

午前中、砂川市役所を訪問後、砂川商工会議所を訪問し、専務理事に面会。ペナントと「ヒバクシャ国際署名」をお願いし、快諾を得た。

午後、奈井江町で町長と面会。「核兵器廃絶の運動は継続が大切。そしてぶれずに続けてきたこと」と激励を受ける。8年前に奈井江商業高校に訪問した時、来年閉校すると聞いていたが、「新しい制服になります」とのポスターが貼ってあった。運動で閉校はなくなったとのこと。町内を行進後、美唄市へ。

美唄市内を行進した後、交流会に参加。新日本婦人の会の活動が話され、市内のほとんどの保育園を回り、「ヒバクシャ国際署名」を頼み(消防署にも)これから回収にまわらなくてはと・・・。

【平和行進】国際青年リレー日誌「小さな町から海軍基地の町へ」(ケイラ・ウォーリー 9日目)

小さな町から海軍基地の町へ(ケイラ・ウォーリー 9日目)

神奈川県三浦市―横須賀市、5月14日、5.6マイル

昨夜は、小さな三浦市にある日本の伝統的な宿泊施設の民宿に泊まりました。上の写真は、三浦市が平和都市宣言をした日本初の町であることを伝える平和記念碑です。行進の最中、何年も前にビキニ水爆実験で放射能を浴びたマグロを埋めたとされる地域(現在は住宅地)を通りました。

それから横須賀市に向かいました。東アジアで最大の米軍基地がある街です。街にいるアメリカ人の数(この1-2週間のなかで最も多くのアメリカ人を目にしました)で基地の存在が理解できました。米兵や彼らの家族の目を見つめ、微笑みながら「ノー・モア・ウォー!」と言う時、運動に賛成しない人々の中で抗議の声を上げることの難しさを感じました。

この数日間いくつもの軍事基地を見てきたので、当然のことながら私は、日本にある基地の役割、影響、評判などについて質問してきました。米兵による犯罪の増加が原因で、一般的には基地は否定的に見られているようです。なのになぜまだ基地があるのか?との疑問が自然に浮かびました。

アメリカによる日本の占領は1950年代に終わりましたが、日本政府は冷戦時代に危険な隣国からの防衛を求めて米軍基地を維持することを決めました(日本の憲法は自国の軍隊を著しく制限しているため)。

しかし冷戦が終結した今、日本にある米軍基地の存続について議論が起きています。北朝鮮は未だ脅威であり、特別な防衛が必要だと言う人がいます。しかし今日私が話した人々の説明は説得力がありました。北朝鮮が発射する核弾頭はほんの数分で日本に到達するため、日本にいる米軍にすら行動する猶予を与えないだろう、というのです。一方、いわゆる「核の傘」のもとアメリカが日本を援護するという形の威嚇は、核攻撃を「抑止する」のに充分だと言う人もいます。しかしこれも、今日どなたかが言われたように、日本の隣国による核備蓄の増加や近代化を阻むことにはなりません。なので長期的にはほとんど効果のないやり方です。何よりも、日本政府は現在、憲法を改正して軍隊を強化しようとしています。しかしこれによって近隣諸国との緊張が高まるのは必至で、彼らの核兵器開発の緊急性を高めることにもなるでしょう。

これは明らかに複雑な問題です。最良の解決法も分からないのに、自分がアメリカに帰ってから一体何ができるのかと、この数日間考え続けています。今日ある人が、まもなく国連で開催される平和会議(核兵器禁止条約交渉会議)の素晴らしさについて話してくれたのが、私の疑問に対する答えにもなりました。この会議は具体的なステップではないかもしれないけれど、核兵器は非人道的で悪の兵器であるという考え方を確立し、これを規範とするためのものだと言うのです。すべてについて具体的な答えを持たなくても、この問題に対する世界の考え方を変えることができれば、核兵器のない世界を実現する最良の方法についてのより多くの考察が可能になるでしょう。

(翻訳:中村みずき)

【岡山】「核兵器は絶対にいりません!」と署名 5月度6・9行動を行いました。 「笠岡市 すすめる会」が宣伝・署名行動

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【岡山】廃絶への扉を開く核兵器禁止条約実現へ 歴史的状況にふさわしい運動を確認 日本原水協常任理事会開く

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【岡山】笠岡市 住民過半数の署名めざす 「ヒバクシャ国際署名」市民ぐるみの運動開始

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平和行進創始者西本敦さんの墓前で今年の行進成功を誓う

2017年原水爆禁止国民平和大行進・北海道→東京(内陸)コース通し行進者の五十嵐成臣さん、同富山→広島コース通し行進者の山口逸郎さん、横須賀市原水協の米山幸子さん、2015年原水爆禁止国民平和大行進ドキュメンタリーDVD「一歩でも二歩でも」監督の有原誠治さんは4月16日、群馬県伊勢崎市国定にある養寿寺に西本敦さんのお墓参りをおこないました。

養寿寺の少し手前からは、今年初めての平和行進を敢行。

1958年に広島から東京へ、たった一人で歩き始めた西本さんの墓前で今年の平和行進の成功を誓いました。

途中、2017年原水爆禁止国民平和大行進群馬県実行委員会にお邪魔し、あいさつをさせていただきました。

お墓参りの後の昼食会では、群馬県原水協の滝沢俊治代表理事、古沢孝一事務局長、丹羽政文事務局次長、そして飛び入り参加の上村早苗さんと一緒に和気あいあいと交流しました。

(中央実行委員会事務局・前川史郎)

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【徳島】休憩場所の喫茶店で県知事に「ヒバクシャ国際署名」をお願いし快く賛同いただく

徳島県原水協は4月6日、そごうエスカレーター前で宣伝・署名行動をおこない、5人で14人分の署名が寄せられました。

署名をしてくださった方は、「日本政府の交渉会議不参加の態度は唯一の被爆国として恥ずかしい」「日本政府は圧力があっても、命が一番と考えて欲しい」と語りました。

この日はお天気が悪く途中から大雨になり、やむなく中止しました。

飯泉県知事から喫茶店で署名に賛同いただく

いつでもどこでも署名を集める米沢事務局長(手前左)

毎日署名にとりくむ平和委員会の米沢正博事務局長は一人で3,315人分の署名を集めています。

4月8日もコツコツ集めていましたが、休憩していた喫茶店になんと飯泉嘉門(いいずみ・かもん)県知事がいたではありませんか・・・さっそく「原水協です、署名お願いします」と声を掛けると、「原水協がしている署名ですね」と快く署名をしてくれたそうです。

 

【青森】6・9行動で被爆者が渾身の訴え 「平和大使復活して」と活動している中高生も参加

青森県原水協は4月6日、青森市の新町・さくら野前に21人が集まり、6・9行動を賑やかにおこなうことができました。

最初にマイクを握った県原爆被害者の会の義之栄光さんは、持ってきた野球ボールを高く掲げて「このくらいの大きさの核兵器1発で広島の街は焼き尽くされ、人間だけでなく、鳥も虫も生きている命が一瞬にして奪われてしまった」と原爆の恐ろしさを語り、「私はもう90歳です。どれくらい生きられるかわかりません。被爆した時から今までずっと被爆者として苦しんで生きています。核兵器は絶対になくさなければいけない。そして戦争を起こさないことが何より大事です」と訴えました。

その後、県原水協会長や新婦人青森支部事務局長らが次々にマイクを握り、国連で核兵器禁止条約の交渉会議が始まったこと、しかし日本政府の代表は不参加を表明して退席したことなどを紹介し、「ヒバクシャ国際署名」への協力を呼びかけました。

「平和大使復活して」と活動している中学生、高校生も参加

また、この日の署名行動には,青森市の中学生を平和大使として長崎に派遣する事業の復活を求めて活動している中学生、高校生3人が春休みを利用して参加してくれました。初参加の高校生は「署名運動をしてみたかった。こんなに協力してくれる人が少ないものかと思ったが、進んで署名してくれた人がいて、1筆でも署名をもらえて、とてもうれしかった」と話していました。30分の行動で、48人分の署名が集まりました。

十和田市では4人で行動、6人分の署名協力がありました。