【宮城】東日本大震災被災者へ全国の募金でいわさきちひろカレンダーを贈呈

12月4日、仙台の友人と南山陸町へちひろカレンダーを届けに行きました。志津川保育所と伊里前保育所にそれぞれ6本ずつ、5つの教室と職員室に使っていただくことにしました。毎年、カレンダーをお配りしている方々は、それぞれ高台移転して新居で暮らしているということで、自宅でカキ養殖と産直販売をしている人、独居の老婦人、ワカメ養殖加工をしている人、食生活改善推進員など地域の仕事で忙しく過ごしている人、保健師、養護教諭、志津川病院の看護師などに30本をお配りしました。近況を聞かせていただきながら、「ヒバクシャ国際署名」にも快く応えていただきました。みなさんは本当に苦労しながら現在のところに移り住んで、助け合って、とにかく前を向いて生活しているということでした。

その方々の多くが檀家になっている歌津にあるお寺も津波の被害を受けました。人柄が良いことで評判の住職は、震災後も地域の人のために尽力されていましたが、震災の年の12月に自殺してしまいました。急きょ息子さんが住職になるため帰ってきましたが、分からないことだらけで大変だったそうです。数年して母親も脳出血で急死してしまいました。若い住職の落胆はどれほどか、察するにあまりあります。それでも少しずつ落ち着き、横浜に別居していた妻と震災のころ生まれた子どもを呼び寄せ、600軒の檀家を持つお寺の仕事をこなしてきました。全国からの支援と檀家の皆さんのコツコツとした助力で、今年春には本堂が落成しました。檀家の皆さんとは庭の掃除や昼食懇談会など日常的に行き来があるそうです。

また、12月5日は石巻子育て支援センターに2本、病院や人がたくさん集まる場所に6本配りました。

最後にどうしても報告したいことがあります。仙台市のホームレス支援をしていた三浦さんという男性の話です。ホームレスから脱却して支援活動を続け、震災後も炊き出しなどに参加していました。3年前、ちひろカレンダーを持って行ったら、「オレ、ちひろ大好きだ!」とがっちりつかんで持ち帰ってしまいました。しかし、間もなく進行性のがんが見つかり、入退院を繰り返し、その年のうちに亡くなりました。日増しに弱っていく状態でも家族は誰も見舞いに来なくて、心細く寂しい思いでいたはずです。そんな時、どんな思いでちひろの絵を見ていたのだろうか。そのことが今でも私の意識から離れません。仙台市では毎年のように路上死する人がいます。三浦さんはまだましと言えるかもしれません。しかし・・・・あの時、偶然にもちひろカレンダーを渡すことができて、本当に良かったと思っています。

全国のみなさんの募金で託されたちひろカレンダーのおかげで、たくさんの方々とかかわりを続けてくることができました。多くの貴重な体験をさせていただきました。心よりお礼を申し上げます。

(宮城県登米市・小野寺恒子)

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