2009年6月アーカイブ

森 悦子日誌No.24

鹿児島平和行進4日目。


知覧平和公園から行進。6月24日に鹿児島に着いた後、鴨池生協クリニックの松下先生が行進の時は見れないだろうと知覧平和会館へ連れて行ってくださったので大変嬉しく勉強となりました。


出発式には、生協病院事務長、町づくり委員会、新婦人、全法務、コープ労組、日本共産党など参加。いざ、行進。


F1000266.jpg

▲川辺医療生協病院組合委員の皆さんです。素敵でしょ。


途中、要請団は南九州市役所へ行きました。市長、副市長共に不在。署名は、おふたりからいただきました。


私は、先日平和会館を見学した感想を述べました。約1時間、残された写真や手紙を読んで涙が止まらなかった。とくに明日は死んでいく17、18歳の青年の姿を想像すると、なぜ死を恐れず向かっていけたのだろう。残念に思う。頭のいい青年ばかり。戦争は、二度としてはいけないと思う。


会館に続く石灯籠は、ひとつひとつに仏様が彫られて大好きな息子の供養を願い、建てられたと思う。沢山の観光バスが見学にやってくるようですが、世界に向け、本当の意味で戦争反対を発信してほしいと思います。


10時、市議会事務局長にも会い、署名を受け取りました。市役所として、毎年全国から知覧を訪れた人々に募集し、スピーチコンテストを開催しています。要請団は7人。


10時20分、豊玉姫神社で合流。水車で動かすからくり人形、今年は、「うらしまたろう」作品づくりを見せてもらい、また行進しゅっぱーつ。田植えの終わったばかりの田んぼを眺めながら。急に雨が降ってきてカッパが間に合わずびしょぬれ!川辺生協病院まで4回もどしゃぶり。少しおさまってまた、惜しみなく降ってました。


昼食は、組合委員さんの手づくり。とてもおいしいかったです。


F1000268.jpg

▲鹿児島医療生協川辺医療生協病院組合委員の皆さんが作ってくれました。ご馳走さまでした。


13時から「森 悦子さんを囲む会」でした。松本先生は、30年ぶりの平和行進でした。「被爆二世です。小さな小さな運動の積み上げで、20世紀は安心して暮らせる世の中が来るよう、オバマさんの発言を支持し、日本政府が核兵器廃絶を発信すべきときです。ひとりひとり一歩づつ歩いて行きましょう」。たった5分のスピーチ。


さあ、私の番。生い立ちから、父の仕事は火葬場でした。許可書を持って依頼に来るため、子ども心に恥ずかしく友達も呼べない。現金がなく、学校へ順番でしか持っていけないのが悲しい。なぜ貧乏があるのか両親を嫌い、高校を卒業したら家を飛び出した。これまで生きてきたこと。平和行進は、多くの人々と共有したいと思います。15分も話しました。


また、行進しゅっぱーつ。南さつま市役所訪問。副市長から署名を受けました。20人参加。今日の歩数は、18,000歩。

栖原秀夫日誌No.27

昨夜は美浜町のビジネスホテル西郷に齋藤事務局長と高教組の書記の方と泊まりました。その方は50歳で、風貌を含め横浜市従の本田さんに似ていました。青森の出身で、青森を出て福井県の女性と知り合い、こちらに住むように成ったとか。言葉の端々に奥様に対する強い愛情を感じました。


今朝はJR三方駅に集まり、若狭町三方庁舎まで25人位で行進、副町長と議長に迎えられました。それぞれから激励の言葉を受け、ペナントと賛助金を頂きました。二人とも三方庁舎からの行進に参加して一緒に歩いてくれました。議長さんは車移動の所まで歩いてくれました。


若狭町上中庁舎まで車移動。女性職員が沢山迎えてくれました。参加者から「ここは福祉関係のみが全て集められていて、三方に住むもんは、ここまで来るのは大変だ」と、市町村合併への不満を聞きました。


私と横断幕を持っている方の家で、休憩し、手厚い接待を受けました。


車に乗ったり、行進したりして、昼に小浜市役所に着きました。昼は「かねまつ」で850円の刺身定食を食べ、とても満足しました。


13時から小浜市役所前で出発集会を行いました。市長と議長から激励され、ペナントと賛助金を頂きました。


25人位で行進再開。行進と車移動でおおい町名田庄総合事務所に到着。所長の手厚い接待を受け、名田庄をぐるっと行進しました。


車移動と行進で、16時40分頃到着。町長と10人の職員が出迎えてくれました。町長から激励の言葉とペナントと寸志を頂きました。


今日の平和行進は、全体として33人が参加し、千円の街頭募金を頂きました。明日は、京都に入ります。


米山幸子さんが横須賀から来るとのこと。街頭に人が居ない時、一緒に歩く人を励ますため太鼓を持って来てとメールする。了解の電話あり。嬉しい。


F1010085.jpg

▲福井県平和行進実行委員会の吉田一夫代表と「派遣切り」でパナソニックと裁判闘争を闘っている河本猛さん

松本英治日記No.56

平和行進56日目。曇り時々小雨。


奈良の宿を10時出発。午前中は行進はなく、引継ぎの移動のみ!


大阪柏原市役所へ11時半着、市役所の食堂で昼食。隣の市民会館の喫茶でコーヒーブレイク。


大阪のうたごえの西さん、武さん登場、握手を交わす。タスキに記名を!


12時45分、市役所前の大和川河川敷で出発集会。


奈良からの引継ぎは無い。主催者挨拶、来賓挨拶、柏原市長代理の挨拶をうけ、通し行進者4人紹介、和歌山市民生協の西田さんが新たに参加、大阪府内行進の6人も!


和歌山市民生協の、愛知を歩いた、宮下さん、岐阜を歩いた竜崎さんと再会、握手をかわす。激励と見送りに大勢で!


宮本たけし元議員も参加、オバマ仮面を被り、身長体重同じだとご満悦!激励挨拶!


1時15分出発、大阪のうたごえの皆さんと歌いながら。集会前も歌う。うたごえ仲間10人ほど参加、タスキに記名。


生協のおかあさんの持つ、中河内市民平和行進の横断幕先頭に、私たちの国民平和大行進の横断幕が続きます、歌を歌いシュプレヒコールを響かせ元気に行進、八尾市役所までの河内路を、2時間休み無く歩く。延々と長い道のり、途中コープさんのお茶の差し入れ、ありがたい!


3時20分、八尾市役所で歓迎集会、市長代理の挨拶を受け名刺を。河内音頭の本場、町舎前に銅像が。河内音頭祭りのポスターも!


市内を、アピ-ルしながら行進、東大阪めざしひたすら歩く、旧街道の細い通りや、繁華街を元気に。途中から断続的に降る雨にも負けず。


汗と雨でぐっしょり。5時20分遅れて集結地の公園着、雨のため集会も手短に!


車で宿の河内長野荘(天然温泉)へ!7時過ぎ到着、温泉で疲れを癒す。

松浦宜孝日誌No.7

今日は高鍋町、川南町、都農町の出発式とその周辺の行進、そしてコープ高鍋店頭でのアピール署名活動でした。


27日、西都市での岩元勝也団長の挨拶原稿をいただきましたので紹介します。

みなさん、こんにちは!


私は昨年の今頃、こういう所に立ってお話をするなど考えもしませんでした。米軍200人を宿泊させる宿舎作りと、C17大型輸送機を発着させる滑走路作りです。


私は新田原を作り変えないでと、本当にそう思いました。それで平和委員会に参加させてもらいました。今、何が行われようとしているのか、気がついた者が発信していかなければならない!そういう思いでこの一年かけぬけて来ました。


私たちは小学生の頃、「原爆の子」とか「ひろしま」などの映画を、学校から西都に連れて行ってもらい見ました。原爆の、人を焼き尽くし、すべてを破壊した映像は鮮烈なものでした。核の恐ろしさは忘れられないものとなっています。


その恐怖の兵器を何度も実験で繰り返す北朝鮮。人類に何を残そうというのでしょうか。そしてまた、それに対峙する米軍を新田原に入れるなど未熟な政治家の感情的な対応に思えてなりません。


私はこの間、何度も新富町議会へ傍聴に行きました。町長さんは「施設は自衛隊のものだ、米軍のためではない」旨の答弁をされました。しかし、その指導をしてきた防衛省は最近どうしようもなくなって「米軍のC17を入れるため新田原の工事を始める」と公然といい始めました。


出来るだけ教えず、隠し切れなくなると本音が出る!そういうやり方が今、核兵器の海峡通過のことでもわかり始めています。宗谷や津軽海峡など5つの海峡で領海幅を3カイリに狭め、米軍の核の通過を優先していたことが、外務次官経験者数人の証言によって明らかにされています。


昨年は「米兵の犯罪の裁判権を米軍に移す」密約が明らかになりました。


日本政府は、日本の誇りを次々にかなぐり捨て、アメリカに従属してきたのです。今回の新田原の工事も、環境アセスメントをやらないなど、米軍の強力な圧力でことが急がれている。そう思われてなりません。


最近、平和遺族会の方の「硫黄島の報告」を聞きました。硫黄島ではまだ1万人近くの遺骨がアスファルトの下に眠っていると言います。とても悲しいことが今も続いています。私も叔父と従兄弟をあの戦争で亡くしています。米軍を入れる今回の工事に,私たちの税金が90億円も使われます。戦死された方々は絶対に許さない!私はそう思います。


イラクの悲惨な戦争を見ていてもわかるのは「戦争は憎しみだけふくれあがらせ問題は何も解決していない!」ということです。


私は今、二つの大きな願いがあります。ひとつは戦争をする国づくりはもう止めてください!ということ。


もう一つの願いは、教え子を戦場に送らないで下さい!ということ。


この平和行進がこれらの願いを吸収し、世界の平和を大きく前進させられることを期待し私のあいさつとします。

 

2009063009020001.jpg

森 悦子日誌No.23

鹿児島平和行進3日目。


午前9時、市役所駐車場にて出発式。7団体参加。医療生協指宿支部を結成して4年目。「かわいそうなぞう」をやったが子どもが寄って来なかったな。消費税をなくす会で活動。政府は、侵略国家としての反省がない。全法務は、県内通しを頑張っている。


市役所訪問。副市長ほか3人が応対。市長の署名は無し。現時点ではどうかな、動向を見ながら検討したい。他への影響があるとのこと。


私のあいさつの後、九条の会から発言、非核都市宣言の文章を市民の多くは知らないので広報に載せてほしい。8月号はこれから企画の段階なので前向きに検討します。平成18年9月に合併してすぐ3ヶ所に看板が建っているが、指宿駅前にも建ててください。と要望しました。


その後、指宿駅に向け行進。駅前で署名行動、鹿児島生協労組委員長がオバマのお面をつけて訴え、千円持って走って署名してくれた女性がいました。


F1000259.jpg

▲指宿市役所から駅まで行進。快晴。


F1000261.jpg▲お面がよーく見えるかな。鹿児島医療生協労組委員長が訴えています。静かな駅前でさわやかな風となりました。


11時30分、また市役所まで行進を終え、車で枕崎へ移動、そして遅い昼食となりました。出る時宣伝カーが後ろの車に接触事故となり、ひとまず先に枕崎市民会館に向かいました。


13時30分、行進の始まる時間になっても宣伝カーが来ませーん。仕方なく音無しで行進が始まりました。枕崎市副市長訪問の時間になっても来ませーん。参加された皆さんに助けてもらいなんとか終わりました。どんな話をしたかも覚えていません。外に出てやっと宣伝カーが到着。市内を行進。


市役所で終わりですが、市議会議長訪問を忘れていて、また庁舎へ。署名していただきました。その時解ったのですが、おふたりが市議でした。女性の市議さんと宿泊先に移動。なんとなくどーんと疲れが。もうすぐ100年になるという古民家へ。合併して4票差で落選した友人、福島出身、以前は、酪農家でした。修学旅行で田舎暮らし体験の受け入れで乾燥機購入や献立などの苦労があります。


週刊枕崎民報第1694号はきっと平和行進特集よ。送ってくださるようです。楽しみです。今日の歩行距離は、10キロでした。


F1000265.jpg▲枕崎行進。この町は、鰹節の生産が多い。おいしいんだよ。2千円のカンパもありました。

栖原秀夫日誌No.26

元県議の吉田一夫さんの案内で初めて事務局長の齋藤先生と油平旅館に泊まりました。


今朝も吉田さんが8時に迎えにいらっしゃいました。男女共同参画センターに集まりました。


石川県で歩いた中西さんと井上さんが現れました。中西さんは「栖原さんが他県の行進に参加すると勉強になるよ、と言ったから」と。井上さんは「栖原さんの追っかけです」と。私としては感激です。


9時に25人位で、敦賀市役所に向かう。1km以上行進し到着。総務部長から激励を受け、市長と議長のペナントを頂きました。


生協つるが診療所まで行進し、激励と接待を受けました。少し休憩し、私は参加者と交流しました。敦賀パナソニックに4年以上勤めて「派遣切り」となり、裁判で闘っている河本猛さんと話しました。今年大会が開かれる長崎の近くの香焼町の出身だそうです。


その診療所を医療生協の若い仲間も加わって30人位で出発。予定より遅れて12時半近くに美浜町の佐田公民館に到着。みんなで楽しくお弁当を食べました。私は食後の昼寝をし、その間は外は大雨だったとか?


F1010084.jpg

▲石川県から参加した井上さん(左)と中西さん(左から2番目)。生協つるが診療所前の出発時。


13時半に出発しましたが雨はほとんど降っていません。美浜町役場に到着。教育長から激励を受け、町長と議長のペナントを頂きました。


若狭町に入る頃から雨が激しくなり、民医連や高教組の若い参加者もいますが、80歳以上の参加者もいて、厳しい行進となりました。


途中、車移動もしたため、JR三方駅には予定の17時より早く到着。雨のため、終結集会で参加者の感想が聞けなかった事が残念でした。

松本英治日記No.55

平和行進55日目。曇り時々小雨。


昨日は休養日で自宅に。帰りに神戸で「井上由子さん ドイツ留学(3年間)壮行会」に参加し激励を!神戸市役所センター合唱団の専属ピアニスト。


池辺晋一郎先生も激励に来られていました。終了後奈良へ!


9時、斑鳩町役場で出発集会、奈良街道(大阪~奈良)を大阪方面へ行進、奈良蟻の会の皆さんが6人、タスキに名前を!


太鼓を叩き歌いながら行進、途中竜田川を渡る、万葉集で有名な!古人の思いを感じつつ!


平群(へぐり)町へ町内行進、平群の名物女性稲月さん登場!スーパーメガホンにインカム(無線の頭に付けるマイク)で、元気に、アナウンス、コール、歌と大活躍です。


これが、ほんまの平和行進だと!30人位で、生駒山(大阪奈良の境の山)を望みながら行進。


私も、インカムで歌いました、平和の歌(大きな歌の替え歌で平群バージョン)


1、平和の歌だよ あの山の向こうから 聞こえてくるだろ 平和のうただよ
2、憲法九条 皆で守ろう 世界に輝かそう へぐりの里から
3、九条大好き 戦争はしないよ 戦車や戦闘機で 平和は守れない
4、平和な未来を 子供らに残そう 力を合わせて 平和を守ろうよ


と、「夾竹桃のうた」を久しぶりに歌いました。稲月さん手作りの平和歌集(7曲)には、行進アピ-ルも!


平群町役場で岩崎町長の挨拶を受けました。町職員が大勢でお出迎え!感激!


三郷町内行進、町長代理の挨拶を受け行進、町会議員の神埼さんは、蟻の会の団員さん、タスキに名前を!宣伝カーでアナウンス、コール、歌も歌っていただきました。


終着の王寺町へ行進、平和の鐘のなる街(時計塔)町舎の大きく非核平和宣言の街と(正面に懸垂幕)!


大勢ほぼ全員か?の職員が出迎え、大感激!町長代理の歓迎挨拶、議長さんも!


馬場功(元うたごえ事務局)さん登場!お久しぶり、差し入れいただく、私が青年部長の頃、馬場宅(天理教の教会)で交流会を!


通し行進の若者の宿を、忘れてました。


若者たちにカンパがたくされました。

松浦宜孝日誌No.6

今日の出発式は将棋盤、碁盤のカヤ材の産地綾町と国富町だった。綾町はこの地名を消したくないとの思いで合併を退けており、また農協も単独で頑張っている地域です。東京など都会から農業、工芸で移住して来る人が多く、あまり人口が減ってない町です。


いずれの町でも町職員の出発式への参加が多く、今年の流れになっているようです。私の挨拶はそれにともない西本あつしさんの平和行進にふれ、その流れの中に今年の平和行進があり、11コースと連帯して行進を進めようというものでした。


通し行進者にとって嬉しいことのひとつが観光・名産案内であり、新しい人との出会いや旧知の人との再開です。この間鵜戸神宮、西都原古墳、そして今日の平和台公園を案内していただきました。


一時平和の塔という名前に変えていたのが、また八紘一宇の塔に戻されています。


2009062912260000.jpg

▲「八紘一宇の塔」⇒「平和の塔」⇒「八紘一宇の塔」と変えられた


この塔の素材の石は世界から寄贈ということになっていますが、軍の力でぶんどってきた物だそうです。


37年ぶりに元コープこうべの友人に会いました。宮崎市役所からの行進に参加した長崎さん(旧姓相田)は、北海道出身で当時の灘神戸生協に就職、結婚で宮崎に引っ越していた人です。顔は変わっていましたが性格の豪快さは同じでした。歓迎会にも出席していただき、旧交を温めました。

クリックするとダウンロードできます↓
Gunma_09Course.pdf


地図
Gunma_map_09Course.pdf

森 悦子日誌No.22

今日は、移動日。鴨池クリニックの松下先生がマラソン大会の予選会を終えてから昼食に誘ってくださいました。


鹿児島医療生協の青年医師3人と奥さまと一緒。生野菜中心に切り替え5キロ体重が減って風邪をひかないし、体も軽く仕事もはずむそうです。アジアのお店でとても美味しいものでした。


朝からどしゃ降りで鹿児島中央駅まで送っていただきました。JRは、不通。1時間待ってバスで指宿へ向かいました。温泉で「びわの葉入り砂むし」に挑戦。温泉に3回も入って満足満足!!

浅田健司日誌(6月28日)

午前11時過ぎ、東洋町白浜農協前広場に集合、約20人。水床トンネル前まで平和行進。


途中、民家の多い所で署名行動に入り、10筆程度集まる。


午後1時前、水床トンネルを通り、徳島県に入る。


1時過ぎより、高知から徳島への引継式を開催。その後、約2時間平和行進。20人程度の参加であった。

栖原秀夫日誌No.25

越前市役所に8時30分に集合し、8時50分に出発集会を行う。


総務部次長が市長のメッセージを読み上げ、賛助金とペナントを。議会事務局長から議長名のペナントと議会名の賛助金を。9時過ぎに25人で行進開始。街頭署名・カンパ活動を展開しながら、南越前町役場まで約6kmを行進し、署名18筆、募金7700円を集めました。


南越前町役場では、休みにもかかわらず町長と町議会議長が出迎えてくれました。町長から激励の挨拶とペナント、賛助金、国際署名、非核日本署名などを頂きました。議長さんからも同様に頂きました。


南條地区公民館で昼食と休憩。13時に南越前町役場前を11人で出発。今庄駅まで、6km位行進する。募金は3000円集める。終結集会を持ち、全員で感想を出し合う。


自動車で敦賀北小学校に行く。17時20分に出発集会を行い、30人以上の参加者で行進を開始。行進中に何人かの人が隊列に加わる。津内三丁目会館まで2km位を歩きました。


会館で私や県内通し行進者の齋藤さんからのメッセージがあり、ビデオ「ヒロシマ・母たちの祈り」が上映されました。参加者は被爆者の実相について初めて触れる人が多かったようで、とても意義ある集会でした。


F1010083.jpg

▲敦賀市津内三丁目会館での平和集会

【徳島】高知県から引継ぎ

四国⇒広島コースは28日、甲浦で高知県から徳島県に引継がれました。


徳島県コース出発式では小学校5年・乃一春奈ちゃんが「事件で死ぬ人をなくしてほしい、戦争で亡くなる人がないように平和な社会を望みます」と訴えました。


甲浦には、高知県行進団の11人が参加。和田忠明高知県原水協代表理事・平和行進実行委員会代表委員が、「34市町村すべての首長から『核兵器のない世界を』に署名してもらった。核兵器廃絶への世論が大きく動いていることを感じました」と3週間の行進の成功を語り、世界大会・NPTに向けた決意を表明。次いで四国⇒広島コース通し行進の浅田健司さんが、オバマ米大統領の発言にふれ、行進に寄せる四国住民の高まりを紹介しました。


徳島県行進団(21人)から原龍一副実行委員長が、「徳島県内を元気に歩き、広島、長崎の大会へとつなげたい」と7月12日までの行進を成功させると力強く挨拶しました。


出発に当たって、建労の栗山正支部長、労連の森口英昭事務局長、そして乃一春名ちゃんが「平和な社会を」と訴えました。


行進団は「道の駅」宍喰まで行進。


平和委員会の神野美昭代表理事と和田弘治常任理事は、宍喰漁協や竹ヶ島、JA宍喰青果場など8団体を訪問して署名用紙を預けました。

松浦宜孝日誌No.5

昨日の願いが通じたのか雨バージョンで出かけましたが、行進の間は一滴の雨も降らず行進日和となりました。


今日は宮崎市役所から宮崎神宮まで3キロ、約300人の行進で小学生4人が横断幕を持ってくれました。


残念ながら写真を取れていません。写真は特別参加のオバマさん?です。


2009062810120000.jpg


2009062810090000.jpg


私の挨拶は51年前の西本あつしさんが歩きはじめた歴史とそれの流れとしての今年の11基幹コースと連帯したこの行進をみんなで歩きましょうと訴えました。


今日も午後から署名活動を行いました。例の如くホテルに到着すると雨が降り始め、メールを打っている今、雷も聞こえます。

森 悦子日誌No.21

鹿児島平和行進2日目。


市電谷山行き終点に7時に着くとすぐお迎えに。8時15分から、かごしま医療生活協同病院医局の朝礼であいさつさせてもらいました。病院は、6月にリニューアルして226床から306床になり、異動などで職員は少し減ってみんな忙しい。私の見たかごしま医療生協は平和運動に積極的で頼もしい。昨年の世界大会の壇上での発言は、素晴らしく輝いていました。帰省後いろいろ議論になったようですが、次につなげるためのもの。今年の世界大会への参加も期待します。


玄関では、すでに80人ぐらい集まってうたごえのみなさんが歌っていました。出発式には病院から、民商、共産党、コープ労組、かごしま生協労組代表からこの病院が行進の出発になって20年、黙っていては認めてしまうこと、行動することが大事です。オバマさんは、自信がないので自分が生きているうちはと、言っている。連れて来ていっしょに歩こう。そしてオバマさんのお面を頭に着けて。みんなから(笑)


歩き始めて10時20分ごろ、頑張ってくださーいと数人の声が、見上げると窓を開けて手を振ってくれる応援に会いました。嬉しかったですね。


谷山電停で休憩、京都から鹿児島に就職したという23歳の青年から声をかけられました。シュプレヒコールは、やらないのですか?と聞かれました。


23歳の青年は、前川さんが頑張ってくださいって言っていました。ありがとう。彼に私は平和行進にはシュプレヒコールは、そぐわないと思う、3月1日ビキニデーの分科会でも強調しました。


沖縄の平和行進は、沢山シュプレヒコールしました。今もなお米軍基地に生活と生命を脅かされ、日本政府は、アメリカべったりです。闘いがある以上黙っているわけにはいきません。そのことを伝えて宣伝カーに乗ってもらいました。結果はどうだったでしょうね。


F1000255.jpg▲10時半すぎ、休憩終えて市電のそばを歩いています。京都出身の青年がシュプレヒコールが始まるところです。


11時半、宇宿福祉館に着き、昼食。交流、学習、日本共産党鹿児島県議員まつざき真琴さんが講師。昨日と同じく世界大会のパンフを紙芝居にまとめながらお話しでした。私も今度作ってみようと思います。


F1000257.jpg


F1000258.jpg

▲まつざき真琴さんは、厚紙B4で作った紙芝居でお話ししました。


午後は、鹿児島医療生協労組の女性ふたりと先頭を歩きました。1日の距離は、17キロでした。


17時から「市内行進ご苦労様会&通し行進者との交流会」があり、10人で楽しく飲みました。ありがとうございました。

栖原秀夫日誌No.24

8時33分、福井市内のベル西口で出発集会を行う。


本コースは、鯖江市神明公民館まで徒歩で行進する。私は池田町役場と越前町役場に自動車で、福井県原水協の齋藤さん、末永さん、石川さんと民医連の佐伯さんと向かう。


池田町で、石川さん(国労OB)の国鉄時代の友人堀田幸雄さん宅を訪問する。堀田さんは脳梗塞の後遺症でお身体がご不自由に。柱や梁や囲炉裏が素晴らしいお家でした。でも、ご主人が倒れた為、民宿が運営できなくなり、今は民宿はやられていません。民宿再開を願います。


池田町では、総務課長からペナントと町長の非核日本宣言の呼びかけ署名を頂きました。


越前町役場では副市長と議会事務局長の激励あいさつを受けました。越前町は副市長と議会事務局長からペナントと激励金が、市長から非核日本宣言よびかけ署名を頂きました。


鯖江市婦人会館前駐車場で、本隊を待つ。11時40分に行進団到着。カンパ隊の頑張りで、1万2435円を集めました。行進団は33人でした。


13時に23人で行進再開。鯖江市に入る。鯖江市では副市長から市長メッセージとペナントと激励金、議会事務局長からペナントと激励金を頂きました。


17時過ぎに越前市役所に着きました。午後からの行進距離は約8.5kmでした。


F1010082.jpg

▲頑張った子どもたちと越前市役所前で撮る

浅田健司日誌(6月27日)

午前中、馬路村役場前から村内住民への呼びかけ、署名協力の訴え、高知県平和委員会の和田事務局長と二人で行う。


午後、北川村役場から村内一周


夕方5時より室戸市役所前で集会後、市内を行進し、署名活動にも取り組む。参加者11人 署名14筆 募金1580円、ペナント協力2000円であった。

松浦宜孝日誌No.4

天気予報では曇りのち雨で何時から降りだすか、朝から雨の日バージョンの靴、上着、帽子で出発はしましたが、行進、署名活動が終わるまで持ってくれました。


さすがに晴れ男?ゴルフの時もカッパを着るのは20回に1回以下、今日もホテルに着いてから本降りになりました。願わくは明日の行進出発の時にはあがって欲しいものです。


さて、今日は新田原基地のある地域のコースです。団長もそのことに触れた挨拶でした。正確をきすため後日原稿を頂いて報告します。


2009062712030000.jpg

松本英治日記No.53

平和行進53日目。快晴。


9時、奈良市役所へ、平和のモニュメント、金色で手を合わせた上にとんぼが!非核平和都市宣言の石碑も!前庭に!


出発集会で挨拶「元気にアピールしながら歩きましょう」


土曜日だが、参加者少なめ(50人くらいか?)掛川さんはじめ4人の奈良蟻の会仲間が!


市内を歌いながら元気に行進、朱雀門を通る、来年が遷都1300年!そう言えば、歴史で習った(710年)平城京!


行進はデモ申請なので、車道を歩くが、警察官の指示で歩道を歩く?


いたるところに古都奈良の佇まいが!ゆっくり散策したい!


金魚の街大和郡山へ、いたるところに、飼育池が、さすが、金魚の街!


子供の頃炭住に天秤棒担いで金魚売りが「きんぎょえ~えぇ!きんぎょ!」と!


高校の同級生が森精機(大和郡山)に就職したのを思い出す、陸上部の同輩!同クラス!どうしているやら?


市役所で歓迎セレモニー、市長代理がメッセージを!副議長さんも、閉庁日なのにありがたい!


昼食休憩、城下町の佇まいが!前池には錦鯉が、太鼓の音に反応!寄って来ます!口を開けて!


出発集会で、通し行進5人各自が自己紹介、若者たちにカンパの訴えも!


市内を歌い訴えて行進。掛川さんミニハンドマイクと、ミニアンプも!うたごえが響きます!


まほろばの里斑鳩へ、法臨寺で休憩時、太鼓の音で副住職さんが、日本山妙法寺のうちわ太鼓かと!沖縄のエイサーのパーランクですと!


夢殿の横を通り、法隆寺前で休憩、中学の修学旅行で来ました、45年前、ゆっくり散策したい!


斑鳩町役場で終結集会、町長代理と議長の挨拶を受ける!通し行進の若者が、カンパのお礼を!成長しています!


明日行進休養日なので、自宅へ!

6月28日(日)
11:30 道の駅宍喰に集合、甲浦で引継ぎ
12:00 海陽町行進


6月29日(月)
10:00 海陽町役場、訪問・行進
11:30 牟岐町、訪問・行進
14:00 美波町役場、訪問・行進


6月30日(火)
10:00 那賀町役場に集合、行進
13:00 那賀町役場訪問


7月1日(水)
10:00 阿南市役所訪問⇒富岡⇒那賀川⇒羽ノ浦、行進


7月2日(木)
09:30 勝浦町役場訪問⇒行進


7月3日(金)
09:00 石井町役場訪問
10:20 神山町、訪問・行進
11:30 佐那河内村役場訪問
13:00 上勝町役場訪問


7月4日(土)
09:30 小松島市福祉センター集合・行進


7月5日(日)
①徳島市内行進
A)民商担当
09:30 中鮎喰橋河川敷に集合
09:45 スタート


B)建労担当
09:30 文化の森河川敷集合
09:45 スタート


C)健生担当
09:30 吉野川南詰河川敷集合
09:45 スタート


②板野郡行進
09:30 藍住町役場に集合


③石井町行進
09:00 石井町役場


7月6日(月)
10:00 徳島市役所
11:00 県庁
13:00 小松島市役所訪問


7月7日(火)
10:00 吉野川市役所訪問・行進
13:30 阿波市役所訪問・行進


7月8日(水)
10:00 美馬市役所訪問・行進
13:00 つるぎ町役場訪問・行進


7月9日(木)
10:00 東みよし町訪問・行進
13:00 三好市役所訪問・行進


7月10日(金)
10:00 鳴門市役所訪問


7月11日(土)
10:00 霊山寺~行進


7月12日(日)
12:00 徳島~兵庫県加古川市引継ぎ(予定)

◎「核兵器のない世界を」署名と返信用封筒=訪問先をはじめ行進参加者に渡しご協力を訴えます。

五十嵐成臣日記 6月19日~6月26日

6月19日


新津を行進後、田上町⇒加茂市を訪問。市長は元防衛庁長官で新潟九条の会代表世話人とのこと。最近の自衛隊は田母神などの右傾化が目にあまる。注意が必要と話していた。


平和行進には、議会の時間を1時間遅らせて待っていてくれる。


6月20日


新潟大より行進。出発前に新大の職員・学生による「核廃絶についての意見書」(47人の署名入り)を投函。


午後は新潟市役所より160人以上の参加で行進。夕方、亀田駅前より行進後、終了。


6月21日


新潟より再度、三条に戻り行進。田植えの終わった田園地帯を終日歩く。この日は30℃を超える、今までで最高気温と晴天だった。


0621.jpg


6月22日


終日自治体訪問。魚沼市、南魚沼市、湯沢町、津南町、十日町市、川口町。各自治体の対応は良かったが、十日町市のみ、市長の代理として出席したのは教育委員会の係長。名刺も持たず、名札を見せるのみ。募金、署名は受け付けず、ペナント購入のみだった。


6月23日


小千谷市、長岡市を訪問後、平塚公園より行進。途中、外に出て手を振る人、お盆の灯篭を並べ行進を迎える人などがあった。


車移動で刈羽村へ。村長が対応し、原発についても意見を交換した。


その後、柏崎へ向かい、市内を行進してこの日は終了。


0624.jpg


6月25日


柏崎市に訪問。保守系議員の中に反核に対するアレルギーがあるようで、核兵器の廃絶と反原発がイコールになって反発が強いようだ。


Kashiwazaki1.jpg

▲柏崎市長と懇談


市長は核兵器の廃絶という点には前向きだが、議会で話し合ってとのこと。


Kashiwazaki2.jpg

▲「核兵器のない世界を」署名をいただく


刈羽村も村長は前向き。柏崎を置いてきぼりにはできないが、事務方に検討をさせているとのこと。


0625.jpg


06252.jpg


6月26日


上越市、妙高市を訪問後、妙高高原に向け山の中(集落もある)を行進。県境で長野へ。


引継ぎ集会には県境の町、信濃町長も参加していただいた。

森 悦子日誌No.20

鹿児島平和行進1日目。


みなと大通りに着くと合唱団「風」のみなさんが集まっていて、「青い空は」「原爆許すまじ」を歌う。


風のみなさんとは6月24日「うたのひろば」におじゃまして心ゆくまで歌わせてもらいました。月一回の歌声喫茶が開かれ、男性も多い素敵なステンカラージンも最高?!余談コーナーでした。


テレビ局数社が来ていました。9時に出発式。実行委員長の溝口さんから「戦争する準備が進んでいます。さわやかな確固たる風を吹かせよう」とあいさつ。


民医連の代表から「鹿児島、奄美から署名が1万1千筆集まっている。さらに3万筆をめざそう。反核医師の会が11月に開かれます」。


全商連の代表からは「64年前、私は中学2年生、長崎佐世保の軍需工場で働いていた。貨物列車に白いシーツがかぶされ、真っ黒などくろなど見えた。焼けただれた姿、何が何だか解らず呆然としていた。慌てて上官が『貴様らいいか、見たことしゃべったらいかん』と怒鳴られ、悲惨な光景は忘れられない」。


新婦人の会の代表は「オバマさんの発言を受けてアメリカ大使館に要請行動しました」。


日本共産党から、山口ひろのぶさんがあいさつしました。鴨池クリニックまで行進しました。


昼食後の交流会は、いつもは30人ぐらいなのに50人参加でお弁当もイスも足りなかった。


はじめに国民平和大行進鹿児島市実行委員長 鴨池生活協同組合クリニック小児科 松下賢治氏から今年のパンフレットを読みながらお話されました。自分の関わりや動機からわかりいいお話でした。


交流では、行進する人がひとつになれる。3年ぶりの通し行進者がいてとても元気をもらった。おじぎをしてくれた。憲法の署名をしてくれた。鹿児島市長や市議会議長が署名した。谷山9条の会のパンフレットを埼玉の平和行進で20冊注文があった。


F1000270.jpg▲お昼学習会で紹介されたもの。10問10答形式。2009年5月3日発行


九州ブロック組合委員交流会にいくのに元気が出た。昨年は杖をついていたが歩いている。孫やひ孫に核兵器のない世界を、歩くって楽しい。年金者組合全国大会で組合員を増やし、表彰された。公務交共一般や全運輸など、書ききれない参加がありました。私の足での歩行距離は、14キロでした。

松浦宜孝日誌No.3

今日の団長は気象庁OBの橋村さん。串間市役所までの車中で気象庁の職員がどんどん削減され予算も700億円と押さえられ、正確な予報や地震速報に支障が起きていることを話していただきました。


自治体の器具を流用したときメンテナンスがされてなく、時には階段に地震計が置いてあり、人が歩くと針が振れるとか、機種が異なるためそのままのデータが使えず修正を加える必要があるとか。また回線が少なく専用回線でもないため速報が遅くなるそうです。グアム移転思いやり予算の1割です。国民の命を守ることに使って欲しいです。


今日のコースは串間と日南市でした。串間では25人の職員の参加も得て出発式が行われました。


日南市役所の玄関を入ると名産の杉を使ったベンチ、書棚、手作りの時計など、ロビー一杯の丸太を利用した職員の作成したオブジェ、それに笑顔の総合案内係が場を柔らかくしていました。


2009062611180000.jpg


▲名産の杉を使った手作り時計


午後にはスーパー前でのアピール署名活動を行いました。

浅田健司日誌(6月26日)

午前10時田野町役場訪問。町長や議長不在で総務課長に要請。


午前11時に訪問した北川村でも同様であった。


午後1時東洋町役場訪問、町長、議長に要請、署名、ペナントに協力してくれる。


午後4時に到着した奈半利町でも斎藤町長と木下議長が応対、署名・ペナント募金に協力してもらえた。


夕方5時半、安田町役場前で出発集会。初めは10人前後であったが、最終時の参加者26人、ペナント募金7000円。


なお、これまで寄せられたペナントを全部宣伝カーにつるして数えると253本であった。


今日は上記のとおり5ヶ所の市町村を訪問したが、距離も遠く、海岸沿いや山中を車で移動、美しい緑の山に室戸岬や羽根岬ビロー樹や漁港など美しい景色が多かった。

松本英治日記No.52

平和行進52日目。快晴。


昨夜、京都駅前のホテルでうたごえ喫茶に招待していただきました。


楽しい一時を過ごしました。京都引継ぎ集会で歌ってお迎えしていただいた皆さんの名前をタスキに書いていただきました。


今年のうたごえ祭典を控え、盛り上がっています、多くの参加者で楽しみました、新聞の取材で遅れてきた、通し行進の若者たちにカンパもいただきました。


沿線のうたごえの皆さんの温かさを感じながら歩き続けています。


本日は、京都6日間最後の日です。お世話になった小杉さん(京都府原水協事務局長)の車で、7時半宿を出て、精華町役場へ。


9時から出発集会、町長さんが激励の挨拶に、名刺を渡しお礼を!


町内を元気に歌い訴えながら行進、本日も沓脱佳音利さんが!ありがたい!(奮闘に拍手です!)


奈良に向かって、古い町並みをひたすら歩く、木津川市役所で市長代理の挨拶を受け、名刺を交換し御礼を!


市坂のいずみホールで小休憩、冷たい飲み物で一息入れ、奈良県を目指す。


途中、人家の切れた所で、歌をと要望され先導の宣伝カーに沓脱さんが乗り込み歌ってくれました、「青い空は」「たんぽぽ」「野に咲く花のように」など一緒に歌いながら県境の峠を越えて、奈良県へ!


般若寺で奈良県との引継ぎ集会に、奈良のうたごえの皆さんが歌いながら迎えてくれました。早速タスキに記名を!今さん、掛川さん他8人で、一村さんも!


慌しく引継ぎ集会、京都の皆さん6日間お世話になりました、奈良の皆さんこんにちは!よろしくお願いいたします。


途中岐阜から行進を始めた2人の若者たちの激励に、カンパとタスキを携えて!愛知から3人の方が応援に!


奈良のうたごえの皆さんからもカンパをいただき、彼らに託しました。ありがとうございました!奈良名物「柿の葉寿司」とお弁当で慌しく昼食!


出発集会で自己紹介と挨拶それぞれが!県内通し行進は全印総連の浅野さんのみ!奈良市内を元気に歌いながら、訴えながらの行進です。県庁で知事代理の挨拶を受け、名刺を交換!


市役所まで元気に行進。オバママスクで子供たちにアピールしながら!大人気です。


市役所で、市長代理の挨拶を受け、名刺交換!集結集会!


宿に入り、シャワーを浴び、浅野さんの知り合いの店で食事。交流しました。

栖原秀夫日誌No.23

9時30分に大野市役所前で、大野市内平和行進の出発集会を約60人で行う。副市長と市議会議長から激励を受ける。大野市内を約4km位、30人以上で元気良く行進する。


郊外の大きな書店前の駐車場で休み、勝山市のローソンに車で移動。ローソンから行進を再開。勝山市役所まで、約1kmを元気に行進。勝山市役所で昼食休憩とする。


地元の責任者の方に連れられ、「八助そば」に行く。当然、おろしそばを2枚注文する。待って居る間に、「久保差し物店」という個性的な家具屋さんの話を聞く。家に帰ったらインターネットで調べて見よう。


13時から勝山市役所で勝山市内平和行進の出発集会を行う。総務部長さんが市長メッセージを読み上げ、市議会議長からは激励の言葉を頂きました。その後、すこやか健康センターまで1km以上を20人位で歩きました。


永平寺町の志比堺の広場まで車で移動。永平寺町役場まで約1km位を再び歩き始めました。永平寺町内平和行進の出発集会を役場の前で行いました。副市長が市長メッセージ
を読み上げ、ペナントと協賛金を頂きました。議会は事務局長からペナントと協賛金を頂きました。その後、町内を1km位ですが、暑い西日を受けて頑張って歩きました。

松本英治日記No.51

平和行進51日目。快晴。


京都駅南の宿を7時半出発、最南端の南山城村へ車で1時間半。


1時間前に着き、村内散策、古びた村舎の前に、立派な文化ホールがデンと!


宇治茶の産地、抹茶入りのお茶と抹茶こんぶ飴を買いました。


写真に収め、10時に手仲村長と懇談、真摯に対応していただきました、署名とペナント、賛同金をいただき名刺を交換、激励されました。


村内行進、全国通し行進者が来たのは初めてで歴史に残る日です。


元気にアピールしながら行進しました、空気がおいしい!沓脱佳音利さんが!


車移動で笠置町へ、温泉のある街、町役場に表敬訪問、松本町長と石田春子議長と懇談、真摯に対応していただき、署名と、ペナント、賛同金をいただき、町長自ら横断幕を持ち歩いていただきました。


風光明媚な温泉町を町内行進。歌いながらアピールしました。関西線の沿線。昼食にうな丼を。丸々一匹入り、安くて美味しい!関西と関東ではさばき方が違うらしい!栄養付け過ぎ!


車移動で、宇治茶の産地、和束町へ、テレビの入った議会中で面談できませんでしたが、元議員さんの戦争体験をきかせていただき、感動!


町内を歌いアピールしながら行進しました。至る所に茶畑が!扇風機が付けてあり、質問。霜よけだそうです。静岡でも気になっていて、疑問解消!


車移動で宇治田原町へ、途中下校中の小学生にオバマ仮面をかざし、誰だ?にこやかにオバマさんと!写真に!


早く着き、町内散策、ローカル紙の記者とさっきの小学生に遭遇、庁舎前で、横断幕広げて記念撮影!3年生の女の子3人に名刺と署名用紙を渡しました。


3時半から会議室で、総務課長と懇談、真摯に対応していただき、名刺を交換、核廃絶のチャンスを生かしましょう!町長さんによろしく!


町内を歌いながらアピールし、文化会館まで、歩き平和の鐘を撞きました。豪華な文化会館と体育館が併設!


今西久美子町議と名刺交換、地元の太鼓チームの方で話が弾む、パーランクたたいていると、エイサーも今年取り組んだと!太鼓祭りも毎年開催とのこと!

森 悦子日誌No.19

いよいよ鹿児島上陸。


フェリーは 大揺れ、座っていられないのでずっと眠っていました。


数人の方とお話しして朝食を共にしましょとさそってくださった渡さんと出会いました。


奄美から鹿児島に住まいを移し保健所の指導員ボランティアです。私が糖尿病でインシュリンを打っていることを心配して、長生き出来ることを一番に考えなさいと何度も言われました。嬉しかったですね。


25日に会うことを約束しました。25日は桜島のすぐそばまで歩いて、医労連池田さんの連絡で慌てて戻ることに。渡さんは、私のために温かいおにぎりを作ってくださっていたのです。


午後13時から鹿児島市訪問。市長不在、核兵器廃絶署名記入と多額の賛助金を頂きました。また鹿児島市議会議長さんも同じです。ありがとうございます。


15時から鹿児島県庁訪問。知事不在。お話するだけでした。


15時30分記者会見、一社のみ来ていました。やるぞと意気込んでいたのにがっかり。


夜は鹿児島医療生協労組の「DVD上映会&ビアパーティ」に参加させてもらいました。

クリックするとダウンロードできます↓
OSAKA_09Course.pdf

矢部常次日記 第51日目

今日は、京都府でだだひとつの村、南山城村と3つの町を行進する。そのために車での移動で、行進しては次の行進先に移りながらの期待できるパレードだ。


南山城村は、府内唯一の村、京都府の東南端に位置し滋賀県・三重県・奈良県にそれぞれ隣接して、村の中央に流れる木津川。人口3974人の村で村役場には、「とうとうと流れる水面に映える山々の緑・山腹に落ちる大小の滝は、見るものの心をひきつけて止みません。また木津川の古称"いずみ川"の名による広域観光園"いずみ路"の起点であります。本村のシンボル高山ダムの周辺になだらかに広がる茶畑、太陽をいっぱいうけたお茶の味、香りは宇治茶の生産地の一つとなっています、今後も都市近郊の農村として、リゾート・観光農業を導入した新しい村づくりを目指しています」と記されており「ともに暮らしを高め、心豊かなふる里をめざそう」の村紹介の表示板が目に入った。


村と言えば、過疎化で生活するにも大変と思うが、私には村紹介の表示板に記載されたように心豊かな地だと感じた。


笠置町では、要請行動(懇談)の後、村内行進、思いがけなく町役場出発の時、町長さんが先頭に立って全国通し行進の横断幕を持って行進してくださり参加者全員感動。


行進する前にポーズを取り楽しむ若者2人、そして行進中に石垣の横に飛び出した石の階段を上る中平くん、町並みに楽しんでいるようだ。


和束町庁舎では、議会中であり町内に知らせるため、今カメラが入っているので対応できず、代わりに元日本共産党の町会議員・大西さんが戦争体験を熱く語り私たちを激励(熱が入り語りが、行進スタートの時間を少し食い込み実行委員の方が中断するよう合図する)。


宇治田原町を行進中には、下校中の小学生とすれちがう、子供たちは手を振って私たちを激励してくれ、役場に到着したら、途中で会った女の子3人が歩いていたので聞くと、田原小学校:藤田梨乃ちゃん・高田じゅなちゃん・湊真唯ちゃんと名前を教えてくれ写真を一緒に撮り帰って行った。その後、町に作られている平和の鐘をみんなで撞き町を後にした。

浅田健司日誌(6月25日)

馬路村役場まで車で約1時間、この地の名物「ゆず」など縁いっぱいの山中道路。右側に安田川が流れ「清流キャンプ場」等あり、川の流れの中でアユ釣りをしている姿も多かった。


馬路村役場では村長など不在、山崎総務課長に要請、後日、署名用紙の郵送を約束。


続いて訪問した安田町でも総務の課長代理に要請内容を伝える。


安芸市では、松本市長が快く迎えてくれ、署名・ペナント等に協力、握手など激励してもらえた。


夕方5時半頃から安芸市内、海岸沿いの美しい公園で平和行進の出発集会を開催。市長から激励メッセージも届けられた。


この公園には美しい時計台があり、時報とあわせ、その塔に備えられた小さな扉が開き、人形の踊りと共に可愛い童謡が聞こえてくるようになっている。


海側の個所には長大な防波堤が築かれ「日本一高い防波堤」"海面より16m高い"との表示があった。


また、公園から遠く離れた所であるが、明治20年に建てられたという「野良時計」も見ることができた。


この時計は、島中源馬という人物が建てたという八角形の掛時計で、今は動いていないが、地元の人々は大切にしている。夕方からの平和行進には、安芸市9条の会の旗を掲げた人など36人が参加。署名37筆 ペナント協力8000円、募金4949円であった。

栖原秀夫日誌No.22

JR森田駅前に8時30分に集まり30人以上で行進を始める。車椅子の年金者組合の方も参加される。行進に合わせ、街頭カンパ活動を展開する。


休憩予定の県立博物館は休館日、隣の公園で休む。福井大学教職員会館に行き、歓迎交流が行われる。


次に光陽生協病院まで行き、みどり薬局でみんなでカレーを食べる。私は此処で血糖値を計る医療器具を買う。


13時に光陽生協病院前公園で、80人以上の集会を行う。60人以上で福井市役所に向かって出発。


F1010081.jpg

▲光陽生協クリニック前公園にて


福井市役所は課長が市長のメッセージを代読し、市長と市議会からペナントと激励金を渡される。市役所から新たに沢山の人が行進に加わり、90人以上での行進となる。


ベル西口まで、朝から20km位行進し、街頭募金も約14000円も集まりました。

松浦宜孝日誌No.2

昨日の出発式のことが地元の宮崎日日新聞に掲載されました。


2009062509080000.jpg


また、今日はケーブルテレビが取材に来ていました。マスコミに取り上げられることが運動の発展と署名の取りやすさにつながるのではと思います。これも地元の人たちの努力の積み重ねでは。


今日の出発式は都城市市役所前でおこなわれ、最近まで日本一若い市長だった長嶺市長が挨拶されました。同市では今までは代理で、初めてのこととか。また平和市長会議にも入ったことが報告されました。


2009062510080002.jpg


11時からは三股町前での集会と行進を行いました。私は昨年5月末に退職し、今までやりたくても出来なかった平和行進通し行進を決意し兵庫県下を歩きました。その体験と昨年東京-広島コースの通し行進者の助言で今年の全国通しを決意したことを話しました。


午後からはコープ都北店前でのアピール署名にオバマ大統領のガンマスクを付けて参加しました。

※1 6月19日現在、幹線コースのみです。
※2 内容は予告なく変更される可能性があります。


7月7日(火)
17:20 茨城県⇒香取市役所・駐車場にて歓迎集会


7月8日(水)【香取⇒成田】
09:00 香取市役所 集合、出発式
09:30 出発⇒仲河岸踏切⇒佐原信金左折⇒小堀屋別⇒旧風月堂前右折⇒千葉銀行⇒大川みどりづけ前⇒佐原駅前⇒旧ポポ十字路⇒水源橋⇒セブンイレブン・休憩
11:30 バスで神崎町駅
12:00 神崎町役場(昼食)
13:00 出発⇒商店街⇒神崎神宿⇒バス⇒大和田コミュニティーセンター
15:00 成田市役所下総支所 成田市へ引継ぎ


7月9日(木)【成田⇒佐倉】
09:00 成田市役所 集合、出発式
09:20 出発
11:15 公津の杜駅前⇒バス
11:30 酒々井ナリタヤ
11:45 中央公民館(昼食)
13:00 出発⇒東酒々井⇒ふじき野
14:00 JR酒々井駅前⇒バス⇒印旛支庁
15:00 JR佐倉駅前 佐倉市へ引継ぎ


7月10日(金)【佐倉⇒四街道】
09:00 佐倉市役所 集合、出発式
09:30 出発⇒栄町商店街⇒京成佐倉駅⇒佐倉新町郵便⇒佐倉市民体育館
11:30 表町区民センター(昼食)
12:30 出発⇒JR佐倉駅⇒スーパーライフ前⇒寺崎小学校⇒佐倉南高等学校⇒山王小学校
14:30 JR物井駅 四街道へ引継ぎ


7月11日(土)【四街道⇒千葉】
09:00 四街道駅北口広場 集合、出発式
09:30 出発⇒市役所・被爆アオギリ二世⇒平和母子像・宣言碑
11:00 地区コミュニティセンター(昼食)
12:30 出発⇒大日交差点⇒四街道西中⇒さつきヶ丘調整池⇒四街道小⇒四街道十字路⇒自衛隊⇒麻生さん農地⇒みつわ台病院
15:30 みつわ台第二公園 千葉市へ引継ぎ集会


7月12日(日)【千葉⇒八千代】
09:00 中央公園 集合、出発式
09:30 出発⇒市民会館前⇒椿森陸橋左折⇒国道16号線⇒作草部斉藤輪業右折
10:50 千草台団地ショッピングセンター前⇒中央病院前⇒16号線
11:40 あやめ台自治会館(昼食)
12:40 出発⇒16号線長沼町信号左折⇒宮野木スポーツセンター(休憩)
14:00 出発
15:00 花見川団地自治会(休憩)
15:30 出発⇒花見川小学校手前⇒京成八千代台駅前
16:30 東南自治会館前公園 八千代市へ引継ぎ


7月13日(月)【八千代⇒習志野】
09:00 八千代市役所 集合、出発式
09:30 出発⇒出口左折⇒労働金庫前信号右折⇒京葉銀行左折⇒マルエツスーパー左折⇒魚次前信号左折⇒八千代霊園前左折⇒大多喜ガス前⇒国道296号右折⇒高津入口信号左折⇒八千代牛乳前⇒スバル自動車展示場左折⇒県道幕張八千代線右折⇒八千代台子どもの森(休憩20分)⇒北本通り左折⇒東町踏切左折
12:00 八千代台東第四公園(各自昼食)
13:00 八千代台自治会館3F(交流会)
14:00 終了・移動
14:10 八千代台駅西口⇒北本通り⇒八千代リハビリステーション病院左折⇒八千代台小学校左折⇒パートナー八千代台西パーキング左折⇒西本通り⇒地下道⇒八千代台駅東口⇒エルム前⇒WAKOガーデン右折⇒八千代台南3-11右折⇒県道幕張八千代線左折⇒和食さと前交差点右折⇒かねよし刃物店前交差点左折⇒東習志野5丁目7番地先交差点右折⇒実籾交番前左折⇒チェリー駐車場
15:30 実籾1号公園着 習志野市へ引継ぎ


7月14日(火)【習志野⇒船橋】
09:00 実籾1号公園 集合、出発式
09:30 出発⇒実籾小前経由
10:30 八幡公園(休憩)
10:50 出発⇒大久保商店街⇒マラソン道路⇒習志野警察署先左折
12:00 習志野市役所(昼食)
13:00 出発⇒津田沼商店街⇒袖ヶ浦団地⇒ふれあい橋
14:00 秋津平和公園(休憩)
14:30 出発⇒南消防署前⇒津田沼高校⇒干潟
15:00 谷津パークタウン(休憩)
15:30 出発⇒京成谷津駅(南口~北口)⇒谷津小学校
16:00 JR津田沼駅南口着 船橋市へ引継ぎ


7月15日(水)【船橋⇒鎌ヶ谷】
08:30 高根公団駅 集合、出発式
09:00 出発
09:40 高根木戸公園⇒高根台中交差点⇒習志野台幼稚園
10:45 北習志野近隣公園(休憩)
11:15 出発⇒NTT⇒新京成習志野駅前マルエツ
12:05 土建船橋支部会館(昼食)
13:05 出発⇒西友薬円台店角
13:40 薬円台GS
14:05 飯山満小・大宮神社前
14:35 飯山満児童ホーム(休憩)
14:55 出発
16:10 東船橋駅⇒電車移動
16:30 船橋駅⇒船橋駅北口⇒勤労市民センター前⇒本町通⇒本町通りスクランブル交差点左折⇒湊町2丁目交差点右折⇒国道14号線⇒船橋市役所入口交差点左折
17:30 船橋市役所玄関前・地下食堂着 鎌ヶ谷市へ引継ぎ
18:00 解散


7月16日(木)【鎌ヶ谷⇒我孫子】
08:30 鎌ヶ谷福祉保健センター 集合、出発式
09:00 出発⇒イオン通過⇒新京成踏切渡り左折⇒マルヤ右折⇒稲荷三叉路直進⇒丸山交差点直進⇒丸山3丁目ふれあいの森
10:45 鎌ヶ谷コープ(休憩)
11:15 出発⇒鎌ヶ谷駅⇒ふじみや前右折⇒交差点左折⇒パークサイド右折⇒貝殻山公園⇒きょうとう右折⇒3・5・12号線
12:00 市役所 閉会集会


7月17日(金)【我孫子⇒柏】
08:40 湖北駅南口 集合、出発式
09:20 出発⇒湖北台団地
10:10 我孫子第2小学校(休憩)
10:25 出発⇒富士見橋手前信号右折⇒すし屋左折⇒天王台駅南口
11:20 天王台公園(休憩)
11:35 出発⇒泉地区⇒船取線左折⇒356・船取線交差点⇒我孫子市役所
12:00 高野山小体育館(昼食)
13:10 出発⇒我孫子駅前手賀沼通り⇒我孫子駅前十字路左折⇒国道6号線歩道橋横断
14:30 つくしの公園着 柏市へ引継ぎ集会


7月18日(土)【柏⇒流山】
09:00 柏市役所平和記念碑前 集合、出発式
09:30 出発⇒JR柏駅⇒豊四季団地
11:30 向原公園(休憩)
12:10 旭町近隣センター(昼食)
13:00 出発⇒柏駅南跨線橋⇒旧水戸街道横断⇒第三小通り右折⇒信号左折⇒信号右折
14:00 常盤台土建柏支部(休憩)⇒東武線横断左折⇒信号右折⇒旧水戸街道左折⇒JR跨線橋⇒南柏駅西口
15:20 南柏児童公園着 流山市へ引継ぎ


7月19日(日)【流山⇒松戸】
09:00 東武鉄道江戸川台駅西口ロータリー 集合、出発式
09:30 出発⇒江戸川台西3丁目踏切⇒西初石1丁目サイゼリア前⇒東武鉄道初石駅入口千葉銀行前信号

10:15 西初石ふれあいの森初石公民館隣(休憩)

10:30 出発⇒流山郵便局前交差点左折⇒流山自動車学校前⇒流山警察署前⇒大黒屋前⇒流山消防署前信号右折
11:25 東葛病院7F作業療法室(昼食・交流集会)
13:10 出発⇒かごや商店前⇒流山広小路三叉信号左折⇒流山街道流山一丁目信号直進
13:40 流山市役所平和の像前(激励集会)⇒市役所臨時駐車場⇒JAとうかつ中央流山支店前右折⇒流山電鉄平和台駅前⇒金子製作所前信号左折⇒フォルクス南流山店前T字路左折⇒はじめの十字路(信号付)左折⇒コーポ南流山前
14:50 いちご公園(休憩)

15:20 出発⇒ちばコープ南流山店先で左折

15:40 カエル公園着 松戸市へ引継ぎ


7月20日(月)【松戸⇒市川】
09:00 松戸市役所 集合、出発式
09:30 出発
09:45 松戸駅東口で宣伝
10:30 終了・出発⇒胡録台商店街
11:10 野菊野団地(休憩)
12:00 美野里公園(昼食)
13:00 出発
13:30 矢切神社(休憩)
14:10 北総鉄道・矢切駅前広場 市川市へ引継ぎ式


7月21日(火)【市川⇒東京】
08:20 本中山・小栗原児童遊園 集合
08:30 出発⇒国道14号
09:00 市川市役所駐車場 出発集会
09:30 出発⇒国道14号⇒八幡藪知らず角左折⇒本八幡西友前右折⇒JR本八幡南口ロータリー前一周⇒サンハーティ長崎屋⇒市川南八幡交番右折⇒三栄商店街(大和田・平田)⇒新田3-13、サンドラック角右折
10:30 新田南公園東側入口(休憩)
11:00 出発⇒公園西口⇒一方通行路を南に⇒マンション・アシブ市川(新田3-12)角左折⇒マンション・ロブレ市川(新田3-11)角右折
11:20 大州防炎公園(昼食・交流)
12:30 出発⇒大州1-14角左折⇒スパーワイズマート⇒新田4丁目角右折・ゆうゆうロード⇒JR総武線錦高架下⇒市川第4駐車場角左折
13:00 市川駅北口・署名行動~14:15
14:30 出発⇒国道14号⇒市川橋
15:00 江戸川河川敷 東京への引継ぎ集会

矢部常次日記 第50日目

宇治市役所に着くと、平和の鐘と平和の像のモニュメントが目に入った。私はそくさま全国通し行進の横断幕を平和の鐘のまえに並べ写真を撮る。


朝8時過ぎだから、市役所に働く職員さん、そして市役所前を通る学生・サラリーマンが私たちを横目に見て職場・学校に急ぐ。


「平和の鐘ー祈りー演奏曲名・6月1日~7月31日8時から19時まで・沖縄の日(6月23日」」と書いてあったがメンテナンス中で鐘は聞けなかった。モニュメントには、宇治市の要請に応えて、沖縄戦で被災した首里城公園の石・被爆した広島市役所旧庁舎の敷石・被爆当時爆心地(長崎)の側を流れる下の川の護岸に使われていた石が贈られ展示されていた。贈られ展示された日(平成16年8月15日)が書かれており、今は亡き伊藤一長市長さんの署名がありイタイタしく感じた。


「核兵器廃絶平和都市宣言・昭和62年10月8日決議・10月16日告示」のモニュメントには誰が見ても判り、自冶体の姿勢が見える。


松本さんと久永さん(県内通し行進者)は、久我山町への要請行動に出かけ、大久保という市内で合流。


市内を行進して城陽市役所に着くなり市への要請行動、そして昼食(要請行動参加者の昼食はオアズケだったが時間に余裕であり、私はオアズケの方が美味しく食べられた)。


市内を行進して京田辺3kmの標識の橋で、歩道橋を歩くように警備の警官が指示した時、地元の方が「なぜ車道でないのか(これまでは車道を行進していたのだろう)」と少し口論、私は交通量を考えれば警官が指示したのは正しいと思い、先頭にいたので少し口をはさむ(警官の指示は他の県では当たり前と)。


行進にはいろいろある、学校帰りの子供たちの声援を受ける(オバママスクの効果もあり)、しかし子供たちは反対側の歩道を歩いているので、なかなか行進と声援する子供たちを同じ写真に入れるのが撮れなく残念だ。


京田辺市役所に約1km強の所で、昨年まで行進に参加していたが今年は歩けず、家の前で行進団を待っているとの事を聞き、行進より先に私と中平・鶴田くんが急ぐ。そうしたら道路まで出て待っていた被爆者の小野さん夫婦、「国民平和大行進歓迎の詞」の手紙を受け取り固い握手。私も感動したが、それ以上に若者は感動したようだ。手紙は京田辺市役所でのまとめ集会で読み上げられ、小野さんの気持ちが参加者全員に伝わった(私は、実行委員の人にお願いして手紙をお借りして、宿で写真に収めた)。

浅田健司日誌(6月24日)

高知県芸西村役場訪問、村長不在で副村長・安岡千晶さん(女性)が応対、署名など、後日郵送を約束。


夕方5時40分より集会を開催。会場は村役場からかなり離れた海岸沿いの広場で、芸西村職員組合が観光バスで参加してくれた。行進参加者36人、ペナント協力3000円 募金額2450円であった。

森 悦子日誌No.18

奄美の平和行進実行委員会委員長は、荒田 まゆみさんといいます。長い間奄美や鹿児島医療生活協同組合で医療の基礎づくりされた方です。自治体訪問も彼女なしではうまくいきません。


23日午前中私を「金作原(きんさくぱる)」原生林へ連れてもらいました。海だけが美しいのでなく、山、原生林があるからだよ。そして自然を壊そうとする勢力との闘いも必要だと話しておがみ山にトンネルを掘る計画に終戦後住み続けたおばぁたちと住民運動を始めた話を、そしてその山に連れて行ってくれました。


奄美の復帰について学ぶため県立図書館へ。1952年7月、講和条約第3条撤廃署名録 署名99パーセントをはじめとする記録を見せられました。荒田さんのパワーあふれる行動に驚くばかり。


奄美の穴井さん、川上さんありがとう。22日の3回の行進後、ビアパーティを開いてくれ、奄美中央病院の医師4人も参加。


午後の行進には、院長先生も歩いていました。まさに奄美平和行進は、医療生活協同組合が大きな柱です。あっぱれ!

森 悦子日誌No.17

奄美行進3日目。


瀬戸内コースで18時からの行進ですが、14時に中央病院を出発して瀬戸内に向かって走りました。


沖縄高江のブロッコリーの森と同じ森だと気づいて嬉しい。マングローブに寄り、自然の美しさにうっとり。波で石が丸くなって、海水は、生暖かいです。


Mangrove.jpg

▲マングローブ


F1000245.jpg

▲午後6時30分から行進。7時に終わり、慌てて記念写真です。

栖原秀夫日誌No.21

芦原温泉駅を9時に15人で出発。


9時15分に芦原市役所に。副市長の出迎えを受け、ペナントを頂く。障害者施設「ハスの実」の仲間たち15人が待っている。「ハスの実」の仲間と坂井市役所に向かう。


坂井市役所では副市長と議長から激励の挨拶を受ける。坂井市は昨年から原爆の実相を伝えるパネル展を行っているとのこと。ミニデイホーム「しんじょうよりあい」に向かい、昼食の「接待」を受ける。カレーの付け合わせのラッキョウが個性的で美味しかった。行進をしてきた人とデイ利用者で歌を歌い、デイ利用者から沢山の折り鶴を頂きました。


F1010080.jpg

▲「しんじょうよりあい」で利用者から折り鶴を送られる。


13時30分に「ハスの実」の仲間と別れ、丸岡総合支所に15人で向かう。丸岡総合支所では、支所長が迎えてくれる。20人位の参加者が合流。春江総合支所に向かう。


春江の街には伝統の縮緬が今でも元気である。支所では支所長の激励を受ける。本日の歩行距離は12km位か?参加者は全体として70人弱か?

松本英治日記No.50

平和行進50日目。曇り後晴れ。


7時半宿出発、連泊はありがたいが、移動距離が長く朝早いのに閉口!


8時半宇治市役所着、本隊から離れて、久御山コース(久御山町役場)で表敬訪問、総務課長他と懇談、平和都市宣言20周年で記念事業「平和祈念『折り鶴』」6月17日~7月16日まで募集、7月23日出発の「平和のための小・中学生広島派遣事業」に託されます。平和行政推進に敬意と感謝、被爆の実相を広げ、オバマ発言の現実化のために、国民1割の1200万署名の協力を要請、来年のNPT再検討会議に積み上げましょう。


9時50分、町内行進出発地へ、集会後10時に10数人で行進開始、40分の行進途中、大久保陸上自衛隊駐屯地通過、広大な敷地が自動車学校の様。うたごえを響かせ行進。


大久保で本隊と合流し200人の行進に、城陽市役所まで、元気に歌いながら賑やかに行進。表敬訪問、人事課長他と懇談。平和行政の推進に敬意と感謝し、核廃絶のチャンス、協力を要請。昼食休憩!


12時40分、出発集会、沓脱さんタスキに署名、ご夫婦で参加うたごえを!


綴喜郡に引継ぎ休憩、お茶とアイスクリームがありがたい!きゅうりも!


京田辺市へ、歌いアピ-ルしながら元気に行進、途中被爆者の小田さんが手書きのゼッケンを着け出迎え、手書きのメッセージを託され、通し行進団と握手、特に若者たちに期待が!


3時半、京田辺市着、集結集会で、市長のメッセージと議長の挨拶を受け、通し行進者紹介と挨拶、若者たちに物心両面の支援を要請。


集会後、表敬訪問し、総務部長他と懇談、平和行政に敬意と感謝し、核廃絶のチャンスを生かしましょう。協力を要請!宿へ!本隊は、井手町へ要請と町内行進へ。

松浦宜孝日誌No.1

昨夜までの雷雨が一転、気温の上昇を心配するほどの好天となりました。


えびの市役所前で午前10時から出発式が行われ、池ノ上団長、柳田市長代行等の挨拶があり、オバマ大統領のプラハでの演説が紹介され今年の平和行進の意義が強調されました。


その後、小林市、野尻町、高原町を訪問しました。野尻町、高原町では町の職員いずれも20人以上が、役所前での集会に参加しており、取り組みの高さが示されていました。


今日から長崎到着の8月6日まで頑張って歩きます。


MIYAZAKI.jpg

クリックするとダウンロードできます↓
Ibaragi_09Course.pdf

矢部常次日記 第49日目

中平くん・鶴田くんは、昨日作った名刺を表敬訪問(長岡京市役所)で初めて名刺交換。対応した方も受け取るなりビックリだ。・・・名刺にもいろいろある、写真を入れたもの・地元の良さをアピールしたもの・観光アピールするもの、そして自分の肩書だけ記入したもの等あるが、こんな名刺など私も見たことない。私も、貰い写真に撮った。・・・


今日もビックリすることがあった、午後からの長岡京市役所から大山町役場までの一時間以上の国民平和大行進に、体格の良い青年がオバマのマスクを見て「これ被れるのですか・私被ります」と言うので目の位置を合わせるためにタオルと一緒に渡し「一昨日も被った人がいたが、無理をしないように・タオルで汗を拭いて良いから」と声をかけた。


日中は暑く歩いているだけで汗がにじみ出るくらいなのに、たいした我慢だ、途中1回マスクを外したが到着の大山崎町役場まで被り続け、返してもらった時にはタオルは絞ると汗がにじみ出るくらいだった。・・・御苦労さまでした。・・・


行進中、遠くの駐車場にいた若いギャルが、そのオバマ姿を見つけてこちらに指をさし何か言っている。すかさず中平くんが、ビラを渡しに行き何か話す(どんな話をしたのか聞けなかったが、中平くんは、丁寧に説明したのだろう、ギャル3人はどう感じたのか。・・・)


中平くん・鶴田くんは、何時から沿道での宣伝活動をやり始めたのか私は覚えていないが、ビラを渡し、会話する姿は様になってきたように思い、私は全国通し行進の横断幕を持っているので、カメラを向けるがなかなか気に入るシャッターチャンスがない。(・・・誰か撮っていたら貰いたい。・・・)


ビラを渡そうとしても受け取ってくれない事もあり、彼達にはどう感じているのだろう、私は、一昨年東京から神奈川県内を行進した時、ビラ宣伝をした時を思い出す。その時は「私関係ありません」と言葉にしないが避けてすれちがう人もいたからだ。


私たちと10数人で車で移動して、網の目行進が行われる八幡市内に行き、15時から16時30分位まで行進とまとめの集会を行い、すべてが終わったのは17時位となった。ここでも地元の方が中心で生協関係の参加者が多く、平和に対する歴史もあり、まさに市民ピースパレードだ。

森 悦子日誌No.16

奄美行進2日目。


午後6時、公園から出発。女性ふたりの素敵なお店でお茶して時間ギリギリに到着。はじめの出会いがありました。夢の島の出発式でいつもご一緒する方の妹さんご夫婦にお会いしたのです。74歳でした。涙があふれて言葉が出ません。行進のはじめに記念写真です。


Amami2.jpg

栖原秀夫日誌No.20

富山から歩き始めて20日目、石川県から福井県に入ります。


加賀市役所に8時45分に行く。加賀市役所の部長が市長のメッセージを伝えて、職員の署名・カンパを頂きました。


20人位で歩き始めました。石川県で一緒に取り組んだ人たちと歩くのはこれが最後だと思うと、私らしくない話ですが、周りの景色に目が行って、声があまり出ませんでした。


晴れて蒸し暑い中、何回か休み、約6km位歩き、蓮如上人の吉崎に11時20分に着きました。


福井県への引き継ぎ集会を行いました。福井県の参加者は60人以上。


F1010075.jpg

▲石川県をいつも一緒に取り組んだ人たちを福井県への引き継ぎ式で撮る


昼食後、出発式を行い、行進を25人位で始めました。民医連の若い看護師さんが大半です。


北陸地方の特徴でしょうか?民家の無いところを車で移動するなどして、芦原温泉街を抜けて、坂井市三国総合支所まで、行進した距離は7km位。役所からは支所長が歓迎してくれました。

松本英治日記No.49

平和行進49日目。曇り後晴れ。


昨日は、初めての休養日で50日ぶりに自宅に、2歳の孫がキョトンとして誰やろと言う感じで。直ぐ馴染みましたが!


やはり、自宅は落ち着く!ゆっくりする間もなく3時半の電車で京都へ、6時からのJMIUの京滋・大阪地本の激励会に30分遅れで参加、8時から場所を変えて、生協労組の歓迎会に、ダブルヘッダーでお腹もお酒も満杯、ありがたい話です、何がメタボ解消や!そら、太るわ!


自宅で、かみさんが、快適な生活!との事、まさしく「亭主元気で留守がいい!」ご迷惑をおかけしています!反省!自由気ままに生きてます!平和行進「ええで~!」の意味が!


本日は、ゆっくり朝食を取り、忘れていた林学さんの追悼文を書きメールで!


9時過ぎにお迎えが、向日市役所へ、9時半から、出発集会前のうたう会で沓脱さんはじめ、うた協の仲間がアコもありがたい!


私は向日市に表敬訪問、市長代理と面談し、平和行政に敬意!名刺を交換!行進に短時間でも参加の首長さんもと!


40分出発集会、挨拶を受け、「本日は、沖縄戦終結の慰霊の日、日米安保発効の日」との事。


通し行進者の紹介、私が挨拶しました。


11時出発、ここからは西国街道を一路西へ、150人の行進、歌を歌い、コールを繰り返し賑やかに!歌は、京都のうたごえの仲間に任せて、太鼓をたたきながら先導!


長岡京市役所で表敬訪問、会議室で懇談、平和行政に敬意を!経験のため、通し行進の若者たちも参加!そのまま、会議室をお借りして昼食。


出発集会で、挨拶を受け、行進者紹介、若者たちに募金のお願い!


市内を元気に行進、途中見覚えある建物が、日うた京都祭典の和太鼓と民舞の祭りの会場でした。今年も京都で日本のうたごえ祭典です。


行進歌集に宣伝も抜かりなく、挨拶の中でも訴えました。


西国街道を大山崎町へ、天下分け目の天王山の麓の町、「非核平和宣言の町」のモニュメントが庁舎の前にドンと!


表敬訪問、平和行政に敬意と感謝。名刺を交換!


車で淀川対岸の八幡市内行進へ、生協のおかあさんたちが仮装とうたごえで賑やかに行進!沓脱さん頑張る、伴奏のCDカセットを活用、私も「森熊行進バージョン」「ねがい」「さんぽ行進バージョン」を歌いながら元気に、東高野街道を八幡市役所へ。


集結集会で生協の皆さんに誉めていただきました。


若者たちにカンパをお願い!地元愛知では、大騒動になっているとのことです。若者たちの奮闘に答えるために!

浅田健司日誌(6月23日)

香南市役所は市長不在で市議会議長のみ話し合えました。要請に応えていただき、署名、ペナント、募金にも協力してくれました。


その後、雨でしたが、和田氏(高知平和委員会)と現在建設中の自衛隊宿舎や射撃訓練場などの予定地になっているという広大な山林を見に行きました。


午後5時過ぎ、香南市役所前広場集合。雨にもかかわらず、22人が集まってくれました。その後、赤岡支所前まで平和行進。22筆の署名と810円の募金が寄せられました。

【京都】平和行進ニュースNo.2

クリックするとダウンロードできます↓
KYOTO_News_2.pdf

矢部常次日記 第48日目

今日は、昼過ぎ14時より表敬訪問(地元では、要請と懇談としており歴史ある行動である。毎年少しずつ成果をあげており、これまでの京都府内の各自冶体での平和の取り組み施策が整理され誰が見ても判るようにパンフになっている)である。


松本さんは、兵庫知事選挙の為自宅に帰り、若者2人は一日休養日として、訪問は私と実行委員会関係者10人程度で行う。


府庁では、府庁そのものが歴史ある建物であり、私たちが案内された会議室も歴史を感じる。私は、自己紹介して名刺を渡し、全国通し行進者・松本さんのこと、そして若者2人(愛知県知多市在住)が広島まで行進することを話し、懇談では、「京都府にある舞鶴港を『神戸方式』(市議会でアメリカ艦船が核兵器を搭載していない事の証明書を提出すれば入港を認める市議会決議)を決議するように、議会と府知事に伝えて欲しい」と話した。


・・・松本さんが言うには、神戸では決議してから33年間、一度もアメリカ艦船は入港しておらず、その反面、姫路港には3回アメリカ艦船が入港して、神戸方式を無し崩そうとしていると話す・・・


京都市では、プレハブの建物(庁舎がいっぱいで会議室が用意できないのか)の会議室に案内された(冷房は効いていた)。


当然対応する方(職員)は違うのだから、同じ事を話してもよいのだが、少しでも理解して市長に伝えやすいように、自分の平和への取り組みをしようと思った訳、なぜ国民平和大行進に参加したかを話す。 夕方には、JMIU(全日本金属情報機器労働組合)の歓迎会、その後生協労組歓迎・交流会を開いて頂き、交流が出来ました。


・・・中平・鶴田両君は、1枚の紙に2人の名前と住所そして22歳・21歳を強調した手作りの名刺(A4用紙を4分割した)を今日の中で準備して、大切そうにしてJMIUの歓迎会のお店に早く着いたのでお店の人からハサミを借り、お店の前で切っていた。・・・

森 悦子日誌No.15

奄美平和行進1日目。


午前8時10分、事務局長の迎えで中央病院の朝礼に参加し、あいさつさせていただき恐縮しました。


駐車場に集合して宣伝カーと先頭車の二台で出発。


9時43分、大和村大棚に到着しました。はじめに大和村村民の江崎定信さんからのあいさつ。今も原爆の数十倍の核兵器があり、人類にとっての脅威です。


政府は2、3年前に米があまりすぎたといい、汚染米を押し付け、給付金と言ってばらまき、消費税は値上げを言い出し、すべて軍事費に回してしまう。世界情勢が核兵器廃絶に向かっているのに日本だけが変わっていない。持ち場、持ち場で平和を訴えたい。みんな畑に出ていて、人影はない。でも歩きました。


10時40分、大和村訪問。事務局で打ち合わせして臨んだので良くできました。小玉三郎さんが退職時、一時間の平和教育を行った経験を話しました。伺っておくといいながら同和教育にも力を入れていると言う。


11時50分海岸べりで休憩。冷たく冷えたスイカを食べ、珊瑚礁で海の色が変わっていて素晴らしい。でも埋め立てが過ぎ悲しくなりました。


奄美は水不足もないのにダム建設が行われ、77億8千万円も使われました。現在用水がにごり、臭くて飲料水として使用不可の状態。なんという無駄遣い。


埋め立てて養殖エビのため池を作ったが2度の倒産で放置のまま、ヘドロがたまっていました。必要以外に埋め立て、木を伐採してチップの工場があり、パルプの原料だそうです。


この部落にはそれぞれ土建屋がいて常にお金や物を配って村民をアメで釣っていて選挙になると寝返ってしまうといいます。


15時、奄美文化センターから行進出発。


16時から奄美市長を訪問しましたが不在でした。名瀬市と合併した奄美市は、平成18年6月に非核平和宣言しました。実行委員会として大和村同様に要請しましたが、宣言を制定しているのでそれなりのことは実行するよう努力するというお返事でした。


Amamishi.jpg

▲奄美市を訪問して要請

栖原秀夫日誌No.19

動橋駅前に8時50分に着く。駅であの中西さんが待っている。今日は月曜日だけど娘さんは居ない。雨が酷いんだもの、当然です。


雨のため、参加者は私、内藤事務局長、県内通し行進者の藤田さんと南さん、中西さん、寺井病院の若い女性、加賀の平和委員会の方の7人で雨の中を歩き出す。


雨が酷いため、街頭や水田にはあまり人が居ない。対向車の窓は閉まっており、演技力を発揮しなければと、手振りと笑顔に気を集中する。偶に人が居ると、嬉しくて大声を出すが、偶に出す声に艶は無い。


加賀温泉駅で休む。加賀市内のジャスコから再出発。加賀市役所まで行進する。雨という悪い条件の中で頑張っているためか、対向車や街頭の人の反応はとても良い。行進した距離は5km位かな。


終わって6人で昼食を食べる。私は電車で帰る中西さんが電車に乗るまで駅で話し相手になる。中西さんがホームに行ってしまっても、チェックインには時間があるので、大聖寺付近を散歩する。九谷焼と歴史の街でした。


口笛を吹いて川沿いの道を歩いていたら、下校中の小学生の女の子に声を掛けられた。岩手で見かけた川に似ていたので、私は「この川には河童はいないの?」と尋ねました。「テレビで見たけど、きもい。此処では見ないよ」と。そんな話をしていたら、百名山の深田記念館に着き、見たいので別れる。入り口に立ち、中を見たら、迷子になっている自分に気付き入りたくなくなり、早足で賑やかな方向に向かい歩き出しました。

浅田健司日誌(6月22日)

午前10時、高知市役所を訪問。議会開催中で、市長、市議会議長も応対できず、市長公室課長から、署名用紙、ペナントを受け取りました。


午後、南国市役所で、橋詰市長と西山市議会議長、香美市役所で門脇市長と中澤市議会議長それぞれすでに署名、募金を用意。ペナント協力も快くしてもらえました。


夕方5時過ぎ、香美市山田小学校前に集合。現地周辺の人々に署名、カンパを訴え、市内を平和行進。参加者は30人を上回りました。


今日の署名は42筆、5370円の募金、商店街の人から缶ジュースも寄せられました。

矢部常次日記 第47日目

滋賀県は今日半日行進して京都府に入る。朝早く起き(日課となってきた)、日誌をまとめながらホテルの部屋から見える琵琶湖をみて滋賀県内の行進を思い起こす。


出発の大津市役所前では、昨日泊めて頂いた家からギターを頂いてきたと、送って頂いた車から降りる鶴田君は車酔いをすると言い、少し眠そうだが若者2人は元気で、カメラを向けるとポーズをとる。


大津市役所前の駅からJMIU中央の山本副委員長が手を振りながら私のそばにきて固い握手「元気かい、顔を見れば判るけど」と心温まる言葉。


行進は、宣伝カーが先頭で行進団がそれに続く、しかし運転手の方は地理は知っていても、車と歩くでは勝手が違い、行進責任者に行き先を聞く、責任者が行進の先頭に常時いなく、地元の人たちがそのたびに「こっちだ、あっちだ」と話すので行進は一時中断。


京都府に近い県境の峠では、交通量も多いが行進には気持ちが良い。峠を超えたところで40分の休憩「時間は早いが此処で昼食」と責任者が言う。近くのお店が1軒あったが日曜の為開いておらず、飲み物を買った。私たちは昼食の準備など聞いておらず唖然とする、中平・鶴田両君は泊めて頂いた家から弁当を持たされ、皆に気にして離れた場所で弁当を食べており、嫌な気持ちにさせたなーと近寄らなかった。


自動販売機でお茶を買い飲みながら歩くと、大津警察署藤尾交番・逢坂山検問所と書かれた交番、パトカーと乗用車が1台、その中に2人の警官(私は、警官と知らず何時もの様に平和行進の事を話す)。その後、行進責任者が話をしており警察官が「京都府の方へいつ行進が通過するかを連絡しておきます」と話す(滋賀県では、行進団の警備など誰もせずで京都では警備の警察官が多く出るとの事・・・変だなー・・・)。


また、引き継ぎの日に雨が降り、休憩中だったので行進には影響なし、行進スタートしたら閉まっていたはずのお店が開いており、地元の人が買い物する姿。・・・本当に憑いていない。・・・


京都では警備の警官も多いが行進参加者も多くなり、何処から来ているのか観光客の姿・街の人で一杯で行進団も活気で沿道にアピールする。


祇園石段下では、ピースパレードの行進団と合流、700人近くに膨れ上がった行進団だ。


京都市役所前のまとめの集会が合同で行われ、通し行進の私たちと若者2人も発言。22歳・21歳と話す2人に大きな拍手。・・・若いということはいいなー、私も若い時があったのに・・・


京都に入りおじさんが、オバマのマスクを見て「被れるのか貸してくれ」と話し、暑いにもかかわらず汗だくになりながら被り、行進最後まで歩いてくれた。そしてピースパレードの行進団の中にもオバマのマスクを被り、ピエロの様に盛装したオバマの姿、お互いに固い握手。・・・考えることは同じだなーと感じる。・・・


夕方は、京都生協の招待で交流会に参加、冷酒をのみ楽しく交流、美味しく楽しい時間で少し飲みすぎた。いろいろあった長い1日が終わりホテルに帰りすぐ寝てしまった。

森 悦子日誌No.14

朝5時に起き、不安な気持ちを仕方無く重いリュックをしょい、フェリーに乗りました。


午後4時20分、徳之島に一時下船。奄美医療生活協同組合徳之島診療所の看護師長さんをはじめ出迎えてくださいました。


F1000226.jpg


沖縄のこと、原爆症認定のこと、お話しました。みなさんうちわを掲げ答えてくれました。


乗船する人も少なく慌ててお別れしてしまったと後悔しています。おいしいトウモロコシをありがとう。


そして8時20分、名瀬に到着。4人の出迎えを受けました。船から見えた日の入りをぼっーと眺めていました。私は奄美は、はじめてです。

松本英治日記No.47

平和行進47日目。曇天後小雨後晴れ。


8時15分タクシーを呼ぶが、来たのが25分、考えられない?市役所へ。


9時から出発集会、日曜日にもかかわらず、市職員が来て頂き市長代理の挨拶を受け名刺を交換し市長さんによろしくと!通し行進者が紹介され、私が挨拶「50年の重み、オバマ発言の実行、非核神戸方式」。


県内通しの服部さんが奥さんの急病で欠席、お見舞いの電話をすると、県庁から参加との事、大津市内を賑やかに、コールとうたごえを響かせ歩きました。


日曜日で子供連れの参加者150人で!途中服部さんの元気な姿が!


県庁で知事代理の挨拶を受け名刺を交換、オバマ効果か、自治体の対応が良い!矢部氏が挨拶。大津息吹の奥村さん今日も!


旧東海道を一路京都へ、峠を越え元気に行進、途中お昼ごろ軽食休憩、近くに店無し、日曜日で休みに、そういう事なら食事の用意するのに!連絡無し!毎年苦情の出るコースらしい?


京都府に入り山科の引継ぎ集会のラクト山科公園まで、三条通りを西へ元気に!引継ぎ集会に滋賀の倍以上の人が出迎え、京都のうたごえの仲間も歌って出迎え、穀田衆議院議員も!


激励を受ける、滋賀県側の挨拶、京都府側の挨拶、被爆者のご挨拶、通し行進者の挨拶それぞれ、「滋賀の皆さん6日間ありがとう。お世話になりました、京都の皆さんよろしく!」別れを惜しむ間もなく出発!若者2人に宿とカンパを訴えました。


450人のまさしく平和大行進となりました。私は横断幕を持ち太鼓を叩きながら先導、うたごえ隊は後方で元気にうたごえを響かせています。


途中、昼食を取ってなく、腹が減りコンビニでパンを買い、休憩時間に食べる、2時を回っていました。


山科から京都市内へ元気に!滋賀県では、警察官が付かなかったが、京都に入ると大勢でサポ-トありがたい!


三条から四条へ円山公園、八坂神社の前で生協のピースパレード(250人)と合流、オバママスク登場2人に!


市役所へ市内を元気にアピ-ルしながら700人の大行進団に!4時着市役所で集結集会。市役所と府庁は明日表敬訪問!


明日は行進初めての休養日です、生協さんの歓迎パーティに参加し交流、お礼に姫路の民謡(木場の舟唄)と、森のくまさん(行進バージョン)を披露し一緒に歌いました。


集会後帰省のため京都駅へ、新幹線が出たばかりで45分待ち、在来線で9時半、50日ぶりに自宅へ!

浅田健司日誌(6月21日)

早朝、本格的な雨降り模様。天気予報もそうだったので、気になっていましたが、午前9時頃、高知市役所前集合の時には雨も上がり、傘を持って参加してくれた人たちも全然傘をささず行進することができました。


今日の行進には、教組や公務員などの若い人たち20人余の参加でした。


高知市内は車も人通りも多く、有名な、はりまや橋あたりでは観光客も多いようで、みんな元気良く行進。沿道の人たちも、良く手を振ってこたえてくれました。


午後3時、鹿思神社前出発。南国市役所到着までの約2時間の行進にも28人の参加で最後まで元気に歩き、23筆の署名、6548円のカンパが寄せられました。

栖原秀夫日誌No.18

9時30分に金沢市内の小高い丘、卯辰山の玉兎ヶ丘原爆碑「平和の子ら」像前広場に行きました。


F1010074.jpg

 

▲金沢市卯辰山玉兎ヶ丘原爆碑「平和の子ら」像


10時から「折り鶴」など何曲か歌い、集会を持ちました。20人位が参加しました。


終了後、元気良く行進をしました。対向車に乗っている沢山の人たちから激励されました。


丘を降りた天神橋周辺で、署名・カンパ活動を25分間行いました。37筆、2300円が集まりました。


賑やかな街を大きな声で核廃絶をアピールして歩きました。金沢市役所まで、2.5km位かな。


市役所前で散会し、金沢大和のレストランで昼食を取り、石川県教育会館のホールに行きました。核戦争を防止する石川医師の会主催の映画祭「夕凪の街 桜の国」を見ました。


被爆の残酷なシーンは絵画で表現し、被爆者の思いは主人公たちが語ったり、表情で表したりして、作品のメッセージを伝えてました。私は途中から泣き通しでした。被爆者への理解を深めるため、いわれなき差別を無くすために、是非沢山の人に見て貰いたいと感じました。

森 悦子日誌No.13

フェリーの中で横になっていると全身マッサージを受けているような心良い気分です。


次は、徳之島です。昨夜は、布団の中で感動溢れ涙が止まりませんでした。


高江ヘリパッドで出会い話した女性2人が行進に来て歩いてくれました。一晩少し話しただけでしたが、行進ははじめて。お互いに手を握り締め再会を喜びました。国際通りでの出会い、ずっとうるうる。どんな人にも熱く語る大切を学びました。


沖縄行進7日間を終えました。


なんといっても行進に10人の通し行進者がいたことは驚きでした。事前の打ち合わせもなく1日目の夕食の時初顔合わせ。沖縄の3青年が部長を引き受け、6回のニュース発行も協力しあってやってくれました。


通し行進者の内4人は、大阪の60代70代で、それぞれ頼もしい方々でした。7回目、2回目参加と沖縄行進で元気を貰っていると言われ、常にリードしてくださいました。写真専門の前田さんは本当に楽しく、1000枚撮っています。高江の佐久間さんは、へリパッドいらない座り込みのお礼を言いたいと行進に参加。ずーっとサンダルで歩いて大きな声で「平和行進でーす。一歩でも二歩でも歩きましょう」と元気いっぱいでした。彼は座り込み参加の仲間が平和行進を支えている姿に感動していたと思います。


最終日は、叫びながら訴える姿が焼きついています。私は晴れたカンカン照りを体験していないので予行練習かな、また参加したいと思います。

6月20日(土)午後1時から核兵器廃絶平和行進出発集会が新潟市内で開かれ、160人が参加しました。


1958年に第1回平和行進が全国から広島を目指して開始されてから今年で51回目の平和行進です。


5月6日に北海道礼文島を出発した日本海コースは、東京の五十嵐成臣さんが各市町村に核兵器廃絶の訴えをしながら行進を続けています。


新潟県には6月15日(月)県境の鼠ケ崎で山形県から行進が引き継がれ、新潟県内通し行進者の佐々木隆さん(新潟市江南区)が合流して行進を続け、20日に新潟市に入りました。


6月20日は朝9時に新潟大学前に65人が集まりました。新潟大学の教授、職員、学生47人が連名でアメリカのオバマ大統領に核兵器廃絶の手紙を投函して出発しました。


新潟大学では、核兵器廃絶と憲法9条を守ろうと学内でのアピール署名に取りくんでいます。


行進はその後、新潟市役所前に午後1時到着。集会を開き、日本海コースの通し行進者の五十嵐成臣さん、県内通し行進者の佐々木隆さんが連日の行進の疲れも見せず元気にあいさつをしました。


Niigata1.jpg

▲あいさつする五十嵐さん


Niigata2.jpg


五十嵐さんは「自治体訪問ではどこでも丁寧な応対で核兵器廃絶の世論の広がりを感じた。中には議会を1時間遅らせて議長も参加して歓迎をしてくれた。元気に東京まで歩き続ける」と報告。


佐々木さんは「今年定年を迎え長年の夢が実現した。オバマ大統領の発言は核兵器廃絶の運動を大きく後押しするものだ。県内行進を通じて沿道から県民に訴えて行きたい」とさいさつしました。


その後1時半から歌声合唱団「樹」のリードによる合唱をして行進をしました。行進は亀田まで進み、夕方4時半に到着しました。


Niigata3.jpg


行進には、篠田昭新潟市長からメッセージと募金も寄せられ当日集会で披露されました。新潟市は非核平和都市宣言をした後、昨年平和市長会議に加盟しています。

森 悦子日誌No.12

行進7日目。沖縄最終日です。


昨日から今日のことを思うと別れが悲しくなる。もう一日同じホテルに泊まれることになりました。なんとなく嬉しく思いました。


8時5分、豊見城市役所到着。市長代理からのあいさつ「いまわしい沖縄戦から64年、忘れてはならない歴史です。北朝鮮の核実験は、今すぐ核を使わせる状況にあることを示してします。恒久平和を願い2001年非核平和宣言、2009年平和市長会議に加盟しました。さらに平和への事業をすすめていきます」。


F1000219.jpg

▲出発式 沖縄生活協同組合各支部旗がずらり!


あいさつが続いて、最後に小禄にお住まいの3人による三線「戦場を恨む母」の演奏でした。語り言葉で解らないところがありました。だけど涙が止まりませんでした。ありがとう。真っ青な空、あざやかな木々、心地よい風に満足満足。


ワンポイント学習は、佐事事務局長から核兵器廃絶をめざしての署名行動の説明と行動提起です。14時15分に与犠公園に着きました。13日行進前夜祭に参加してくださった仲本さんからゴーヤジュースと冷たいタオルの差し入れが。うれしかったです。

矢部常次日記 第46日目

東京・夢の島をスタートして46日目、多くの方にお会いして感動・激励。しかし行進中に、車の中から行進団に対して「罵声」をかけて通り去る人も数人いた。いろいろ考えがあっても良いが罵声に対しては気分が悪い。


昨日、網の目行進(高島市コース)から本コースの草津市役所に車で送って頂き合流して、高島市コースの内容を終結集会で報告。その後、草津駅にて署名(核兵器のない世界を)宣伝行動を草津原水協の人達と1時間くらい実施。行進終了後であり皆久しぶりの歩きで疲れており日中も暑かった事と駅まで徒歩で10分程度かかった。・・・みんなは署名・宣伝行動の意義は判ると思うが自主参加と言う事もあって参加者は少ない・・・結果として、8人参加・50分間の署名・宣伝行動であったが、行動の中で素晴らしい出会いがあった。


高校生の宮本尚子さんと政川咲樹さんが、私たちの所に来て「署名させて下さい、こんな活動どこかの学校でやっていますか・・・」と真剣に会話、お互いに握手して去って行った。


地元の方に、近県または全国の学生の活動を調べ連絡して頂くようお願いし、署名は28筆の結果であった(多くない出会いかもしれないが、これだから署名・宣伝行動は病みつきになる。・・・みんなも参加すれば感動得られたのに・・・)。


昨日の感動で気持ちも清々しくホテルを出発。草津市役所~瀬田唐橋・旧東海道を歩き滋賀県庁に到着、私の気持ちがそうなのか、行進参加者の人達の顔が明るい。


気に入ったのは、ひとつの横断幕だ。『2010年NPT再検討会議にむけて 核兵器のない世界 Appeal for a Weapon-Free World 国際署名にご協力を』と書いてあり、布地も良いがバランス・色彩が良い。


この横断幕を先頭にして、その後に全国の通し行進の横断幕が行進。


私は思う、平和大行進はパレードであり参加者も楽しく、沿道にどう訴えるかだ。若者2人が行進に参加した次の日から、こんな工夫もした(横断幕に持ってきた洗たくばさみを付け、3人または4人で同じ位置に取り付ける、そうすれば風のないときなどは両手があき、沿道に手を振ることも出来るし、写真も撮れる)。


2人が加わった事で平均年齢も下がったが、4人が持つ横断幕は、団子4兄弟みたい(多少無理かな)。

松本英治日記No.46

平和行進46日目。曇り後晴れ。


宿で朝食後、隣のスターバックスでモーニングコーヒーを。


8時10分、お迎えの車に荷物を積み、徒歩で草津市役所へ、土曜なのに、市職員がお出迎え、9時前から出発集会、市長代理の挨拶を受け、支援金とペナントを市長と議長からいただく。


歓迎のお礼を言い、9時に出発、土曜日で50人ほどの参加者。


大津息吹合唱団の奥村氏と京都ひまわり合唱団の西田氏が参加タスキに記名を!


旧東海道を元気に行進、太鼓を叩き、シュプレでアピ-ルしながら、途中歌ってと言われ、お答えしました「青い空は、折鶴、ねがい、大きな歌、森のくまさん(行進バージョン)など」歌詞コールしながらアカペラで。


行進中、携帯で22日が行進休養日で帰省の予定を、京都の原水協とうたごえの竹内君に報告しました。


大津に入り瀬田の唐橋を渡り青年会館で昼食休憩、赤旗新聞と滋賀民報の取材を受けました。


オバマ発言効果か参加者も増加、市民の反応も上々、平和行進50年の歴史と共に、継続の力強さと、被爆者の皆さんの命を掛けた闘いが、実りつつあること、飛び入りの若者の参加などを報告!


定食の鰹のたたきとハヤシパスタをいただきました。美味しかった!


交通量の多い大津市内をアピ-ルしながら行進、旧東海道の町並みを見ながら、膳所(ぜぜ)神社で休憩、旧膳所城の城門が、神社の門に移築されていました。


膳所医療生協のご接待は、冷たい飲み物とアイスキャンデー!ありがたい!


民宿させていただき、別コースを歩いた若者たち合流!にぎやかに!歌とシュプレを交互にしながら、滋賀県庁を目指して一路西へ!


オバマ効果か自治体の反応良好、表敬訪問した高島町では、行進団50人に、町長、議長はじめ110人の町職員全員のお出迎え!など。集結集会で報告されました。


本日も若者たちにカンパのお願いと民宿のお願いが!


滋賀県内行進参加者500人に!明日日曜日で、京都引継ぎの参加要請を!


滋賀県最後の夜で、お世話になった、井本県原水協事務局長と県内通しの服部さん(来年の通し行進か?)と4人で慰労会を開いていただきました。


50年の歴史を踏まえたうえで、来年からの行進者のための提言もさせていただきました。


若者たちふくめ多くの人に歩いてほしい!毎日感動のドラマが!

栖原秀夫日誌No.17

小松市の橋本市議が8時15分に迎えに来る。小松市は基地の街、保守系市議は自衛隊出身者も多いとか、数日後には非核都市宣言の縦幕が、自衛官募集に変わるとか。


「平和行進の出発式が、市役所で行われる事を守りたい」と、言う市議の言葉に厳しい状況を感じました。


9時30分に小松市役所を出発。私的には、平和行進としては久しぶり、労働運動をやってきた私的には懐かしい、シュプレヒコールをあげて進む行進を行いました。


20人位の高齢の参加者が、2駅先の動橋駅まで(12km)頑張って行進しました。60歳前の私から見ると、命懸けに見えて、頭が下がりました。

浅田健司日誌(6月20日)

午前10時前、大豊町役場前集合でしたが、3人で出発。1人が宣伝カーなので、2人で横断幕を持ち、元気にアピール。有名な「大杉の苑」(樹齢3000年、日本一の大杉)に到着し、署名運動と宣伝カーからの訴えを行い、11筆の署名と2000円の募金が寄せられました。


午後は高知市能菜山から高知市役所まで行進。土曜日で官公庁休日もあり、国公労連、教組、自治労連などから若い人たちが参加。雨の中元気に行進しました。


夕方5時頃、高知市役所に到着。この日は他のコースからも市役所に到着、合流することになっており、終結集会には100人を超えていたと思われます。

栖原秀夫日誌No.16

本日は09国民平和大行進小松実行委員会の企画で午後からの行動となりました。ついては午前中は1時間半程、「こまつの寺院めぐり」をしました。


本蓮寺、称名寺、勝光寺、勧帰寺、本覚寺、本光寺などを見学しました。どの寺にも一向一揆など農民と僧侶が一緒になって、領主や侵略者と戦った歴史がありました。


最後に本折日吉神社に寄り、末社の稲荷神社には食事(生命の安全)を、大黒様には交通安全を祈願しました。途中で和菓子屋「御朱印」で上生菓子を買い、店先で食べさせて貰いました。結果、お茶のサービス付き。


昼食はじっくり検討し、「食房まりもり」の800円のランチ。大正解でした。早速お稲荷様の御利益あり。「夕飯も」と思い夕方の開店時間を店員に聞くが、「6時から」と聞き、今夜は6時15分に待ち合わせなので、諦める。


13時30分に橋本市議の「旦那様」が迎えに来る。小松みなみ診療所の職員の方々に30分程時間を頂いて訴える。次いで、「デイ」の利用者と30分程話し合う。夜の予定まで時間があるので、宿所に近い芦城温泉(料金420円)に浸かり、湯船の中で軽いストレッチ。夕飯はダイエットの為に小松だいわのレストランでヘルシー定食に。


6時15分に橋本市議が迎えに来る。再び診療所へ。オカリナ演奏と被爆者西本多美子さんを囲んで、平和のつどいが25人以上の参加で行われました。


主催者として、実行委員長の牧野さんは、「原水禁運動は、今年はニコニコしてしまうような年。今夜は楽しく歌いましょう」と挨拶されました。


まず、オカリナで懐かしい歌が合奏され、みんなで歌いました。次いで、西本さんが被爆体験や被爆者運動について語られました。参加者の多くは初めて被爆の実相を聞いたようでした。


私はまとめの発言を依頼され、面食らいましたが、「もっと被爆の実相を語る場を作り、被爆者援護充実と核廃絶をめざしましょう」と訴えました。


帰り道、橋本市議に送って貰いながら、被爆者の方々の運動の前進と幸せを願わざるを得ませんでした。


F1010073.jpg

▲北本さん、藤本さん、西野さんの演奏に合わせて歌う参加者

松本英治日記No.45

平和行進45日目。快晴。


8時20分宿を出、徒歩で野洲市役所へ、9時出発集会で主催者、山仲市長の挨拶を受け、名刺を交換。


本日2コースのため、私が挨拶、「オバマ発言の実行と、行進50年の重み」野洲市に歓待のお礼を言って出発。


岐阜から飛び入り参加した中平、鶴田両君に、行進実行委員会からの通達(広島まで歩けるよう援助を!と、私たちも助言しました。彼らの思いを大切に!)


県原水協の方からうたごえ新聞の宣伝紙を受け取る、早速、自己紹介代わりに手渡す。
野洲市内を元気に太鼓の音と、シュプレヒコールで訴えながら行進、中山道を守山市へ、市役所で市長代理の挨拶を受け私も答礼!「核兵器の無い世界を!」市内行進しながら栗東市役所を目指しコールしながら行進。


近江富士に見守られながら、元気に!栗東市役所に12時半着、歓迎セレモニーで、市長代理の挨拶を受け、名刺を!職員食堂で昼食580円の日替わり定食(一口カツと小鉢2冷奴とおから、ご飯と味噌汁、漬物付)安くて美味かった!役所で休憩中、栗東市の姉妹都市や、産業の展示物を拝見。


1時40分出発し、本日の終着地、草津市役所を目指しコールでアピ-ルしながらの行進です、休憩時、女性の参加者から歌をとハンドマイクかついで、持参の平和歌集を買っていただき歌いました。「青い空は」、「折鶴」、「さんぽ(行進バージョン)」、「森のくまさん(行進バージョン)」歌詞コールするため、しんどく追っかけ歌が中心に。


旧中山道から分かれて、旧東海道に合流し草津市役所へ!


草津駅前で署名行動に参加、8人で約1時間の行動。28筆の署名が、滋賀県は、住民の1割14万筆が目標、コープさんが半分集めると!「核兵器なくせ署名」を広げ、来年のNPT再検討会議に!国民の1割1200万筆を!

矢部常次日記 第45日目

今日は、本コースから離れ、網の目コースの高島市コースの為、昨日移動して熊谷さん宅に泊めて頂く。


滋賀県は、琵琶湖を囲んで広がり県庁の大津市・雪の多く降る米原市・城跡地彦根市・そして長浜市、草津市があり、琵琶湖の対岸に高島市がある。


移動の車の中で、熊谷さんは言う「滋賀県は東西南北で大きく気候が違い、植物などは品種も多い。その自然を壊する、饗庭野演習場が高島市側にある(饗庭野演習場は中部方面隊の最大の演習場で富山・愛知~山口・四国から演習に来る)。


家に到着するなり、1本のビデオを見せて頂いた。熊谷さんが自ら撮影したビデオでそこには、一般訓練・ヘリコプター訓練・都市型訓練(ゲリラ・テロ対策で基地内にレストラン・銀行など本物そっくりの建物を作っての訓練)そして市街地徒歩訓練の様子が、7分程度にまとめられており編集があまり良くされていないので、更に不気味さを感じた(市街地徒歩訓練については、愛知県での小牧基地での訓練と同様、訓練が県下全域へ広がり、住民生活に大きな障害と自然破壊が進んでいるとビデオを見ながら思った)・・・災害時での自衛隊の活動には理解できるがこんな事が必要なのだろうか・アメリカ基地の撤去・廃止と同時に自衛隊基地についても考え直す時でもあり、憲法(特に憲法9条)に照らし検討すべきと私は強く思う。・・・


熊谷さん宅付近は、田園が広がり道路には消雪パイプが埋められており、私の田舎と同じく、帰省した様に感じ煙草を吸いながら散歩し、美味しい食事をいただき良い思い出となった。


高島市では、職員全員の出迎え(100人以上)を頂き、西川市長さん、渡邊議長さんの歓迎・激励、そして、非核都市宣言の朗読(市職員:馬場智美さん『昨年までは、行進実行委員会で朗読していたとのことで、こころ良く引き受けて頂いたとの事』)


非核都市宣言もすごい、宣言作成には子供から大人まで幅広く論議され2006年3月30日に決められ高島市と記載されていることだ。・・・行進してきた市町村では、××議会と記載されているのが大半だからだ。・・・


金曜日とあって行進参加者が55人と少なかったが、これまでに取り組みを進めてこられた市民のみなさんの努力に感激。

森 悦子日誌No.11

行進6日目。


摩文仁から出発して晴れていたのに雨が降りだし、署名行動は中止となりました。ガラス村まで2kmノンストップで歩きます。


途中、高校生の沖縄平和ツアーと出会い歓迎を受けてうるうる。


F1000214.jpg

▲平和記念館にて 糸満市出発式


昨日の終結には陸軍病院第20号壕を見学し、今日は、地上戦最後の地を歩いて二度と戦争を起こしてはいけない決意を新たにしました。


F1000210.jpg

▲南風副市長さんと記念撮影

浅田健司日誌(6月19日)

今日は4カ所の自治体を訪問。宣伝カーで山から山を越えるとき、美しい水流の川、緑いっぱいの山林は絶景でした。


大きなダムを眺めたことも心に残っていますが、何よりも米軍戦闘機の墜落現場に行った時のことは忘れられません。1994年10月14日、米軍の空母艦載機A6Eイントルーダー攻撃機が高度120~150mを時速500kmで超低空飛行し、90度近い急旋回を行ったため、パイロットが失神して墜落。2人が即死亡しました。周辺に散開した状況と、異様な臭気は、いつまでも残ったとのこと。その100m先には保育所や学校があったのです。


その現場、大川村「早明減湖」の前に、1997年10月14日付で高知県平和委員会。嶺地平和委員会が作成した大きな看板が当時の状況を語ってくれていました。


その後、訪問した4カ所の自治体、大豊町、本山町、土佐町、そして大川村と、それぞれ快く署名、募金に協力していただけました。


署名行動では、民家が山中にあって困難でしたが、87筆。行進も4人の時や10人のところなど様々でしたが、元気にアピール(今も超低空飛行訓練が続けられているのです)。日本一人口が少ない大川村(470人)でも21筆集まりました。

五十嵐成臣日記 6月10日~6月18日

6月10日


秋田市・県⇒自治体訪問後、由利本荘に引き継ぎ、本荘駅近くを行進。地元の原水協が行進地域に独自の案内チラシを配ってあったので、外に出たり、窓を開けたりして手を振る人が多い。


秋田県原水協事務局も、山形への引継ぎのため、本荘へ来る。


6月11日


朝から雨。西目―にかほ市などを訪問。街宣をしながら引継ぎ地、三崎公園へ。引継ぎ集会には50人以上参加。その後、国道まで行進し、各方面を回りながら酒田市へ。


6月12日


この日は生協病院などを訪問後、署名行動。人通り少ない。


午後、市内行進。生協病院や、国公の人を中心に50人くらい。


6月13日


朝、鶴岡・田川地区へ引継ぎ(庄内町役場)。副町長、議長など歓迎の挨拶の後、行進(一部車移動で)三川町へ。副議長司会で歓迎の集会。町長あいさつがあった。


6月14日


三川町より鶴岡市に向かう途中、農村地帯の集落を行進。ほとんど人影が見られない。各集落で地元の人が数人の出迎えがあった。


鶴岡市内行進では、店の外に出て手を振る人があった。


6月15日


鶴岡より新潟に向かう途中、温道庁舎で歓迎のあいさつを受け、いくつかの集落を行進しながら新潟の引継ぎ地、鼠ヶ崎ビーチセンターで引継ぎ。新潟側100人位の出迎えの後、山北支所で歓迎集会⇒町内行進⇒朝日支所で街宣⇒村上市、片町より市役所まで行進。店から出てきて手を振る人も多い。


0615_Niigata.jpg

▲引継ぎ集会であいさつする西潟昇新潟県原水協事務局長


6月16日


村上市役所を訪問。市長、議長と会う。その中で、議長より、6月議会で「非核平和都市村上宣言」を可決して、村上市長はそれを受けて、9月議会に「非核平和都市村上宣言」を提案すると話があった。


村上市内を行進や街宣し、関川村(村長の歓迎あいさつを受ける)、胎内市より新発田市へ行進。


0616_Shibata.jpg

▲新発田市内を行進


6月17日


新発田市訪問後、阿賀野市へ行進、市役所訪問⇒新潟の奥、会津との堺の阿賀町へ向かう。


6月18日


阿賀町訪問後、町内にある原爆模擬爆弾が落とされた場所を見学(資料館と改地)しました。原爆模擬爆弾は、阿賀町、柏崎など新潟の3カ所に落とされたとのこと(7月25日)。


また、阿賀野川公害訴訟の昭和電工の工場を山の上から見学し、五泉市へ。行進後、新津市へ引継ぎし、この日は終了。

【三重】みえ平和行進ニュースNo.6

クリックするとダウンロードできます↓
MIE_News_0006.pdf

矢部常次日記 第44日目

行進スタート場所も色々ある。今日は、安土駅前で駅裏側の安土城敦資料館横の広場でホームから見えるが少し判りずらい(出発集会を始めようとしたら十数人が、あちらの方で待っていたと集まって来た。そして中平・鶴田くんも電車の為、少し遅れたが出発には間に合った)。


広場には「織田信長」の桃太郎旗が並び相撲やぐらがある。(説明の立て看板には『安土町は、近代相撲の発祥の地です。この相撲やぐらはその伝統を受け継いでいくために建てられました。』と書いてありました)。


この安土町は、隣市の近江八幡市との合併問題があり反対・賛成との意見があり今問題がくすぶっていると聞いた。行進して安土町役場に着き、津村孝司町長さんをはじめ多くの方の出迎え、そして歓迎と激励を受けペナント(町長さん・議会のサイン2本)を頂いた(名刺を渡しお礼の挨拶したが名刺は頂けなかった)。


Art211.JPG

▲安土町の津村町長より署名・ペナント・賛同金を頂く


行進スタートまで時間があったので、安土町役場周辺を見ていたら、平和都市宣言のモニュメントを見つけた。そのモニュメントには「平和でありたいということは、人類すべての共通の願いである。私たちの安土町は、美しい自然と豊富な歴史・文化遺産にはぐくまれた平和の町である。この平和を恒久のものとするため、世界で唯一の被爆国の国民として、その惨禍と戦争の悲劇を再び繰り返さないため、全世界の人々に核兵器の怒ろしさと、平和の尊さを訴えなければならない。安土町は、我が国の基本方針である非核三原則を堅持し核保有国はもちろんすべての国に対し、核兵器廃絶と平和を守ることを強く訴え、ここに平和都市であることを宣言する 平成6年12月20日 安土町議会」とあった。


Art210.JPG

▲安土町の平和都市宣言


合併には、安土町という地名がなくなることなど問題があり良くは判らないが、この宣言と平和施策は堅持して残して欲しいと感じた(今回の平和行進の中で、合併によりこのような宣言が失なわれ、結果的に住民サービスまで低下した市町村の話を聞いたからである)。


行進は、近江八幡市・京海道を通り小さな町を通過して野洲市役所に到着。市役所での歓迎は、市役所の職員の方などは多く参加して頂くが、沿道での反応は、イマイチではと思う・・・。

松本英治日記No.44

平和行進44日目。快晴。


8時半に宿を出、安土駅に織田信長の博物館と幟が、相撲を奨励したようで、立派な相撲やぐらが駅前にデンと!


10人あまりで、町内を元気に行進し、町役場で町長の挨拶を受け、名刺を渡し、通し行進者の紹介と私も挨拶「核兵器廃絶と非核神戸方式を!」


朝鮮人街道(朝鮮通信使が行き来し文化を運んだ道)を西へ安土町内から近江八幡市内へ、太鼓でリズムを取りながらアピールしながら元気に、84歳のおばあさんも歩かれ、歩く速度に気遣いながら歩く、ついつい速くなる!


近江八幡市で昼食休憩、兵庫県原水協の梶本さんから電話、兵庫での宿泊の確認(自宅に何日泊まるか?7月12、13の2日のみ、6月22日は休養日なので21日に帰省)。


出発集会で市長代理の挨拶を受け名刺交換、城下町の風情の残る町並みを行進し、旧中山道の宿場街を一路西へ、アピ-ルしながら元気に、横断幕は、通し行進者が交互に持ち私は太鼓を打ちながら!、オバマ仮面健在!子供たちに大人気!


行進中近江牛や、鮒寿司の看板が目に付く、赤こんにゃく、丁稚羊羹(丁稚奉公してる者が薮入りのおみやげにご主人様に!丁稚が買える値段の蒸し羊羹)が名物。近江商人の発祥の地!


野洲市役所めざし、田植え、麦かりの済んだ田園地帯近江米の産地を近江富士を眺めながら元気に西へ、家々の玄関に「信楽焼きの狸」が目に付く!さすが滋賀県!


4時過ぎ野洲市役所到着。20キロの行進でした。

浅田健司日誌(6月18日)

土佐市役所を訪問すると、板原啓文市長が私たちの到着を待っていてくれていたようで、すでに用意した署名用紙、ペナント、募金を、そして議長不在ということで、議長の分も、市長から手渡されました。


その後、時間的余裕もあり、地元役員の徳弘嘉孝氏が、奥さんとともに市内を案内。ジョン万次郎が出航したという浜辺や、美しい「あじさい街道」約2kmも見ることができました。


夕方5時半から、土佐市公民館前広場で出発集会を開催。22人の参加で平和行進を行いました。その途上、寄せられた署名9筆、募金が2600円でした。

森 悦子日誌No.10

行進5日目。担当は、実行委員会。コープ沖縄常務理事新垣さんのあいさつ「慰霊の日には組合員とともにファミリーウォークで5キロ歩きます」。


議会の合間を見つけ日本共産党議員4人が駆けつけてくださいました。2回休憩をとり、西原町中央公民館到着。軒下でお弁当。


15分から「内部被曝について」ワンポイント学習。熊本裁判で証言された矢ヶ崎弁護士。全員に資料を配っていただいた。手元にあります。


次に上間町長さんのあいさつ「あいにくの天候の中ご苦労さまです。平和行進を迎えることができ嬉しく思います。核兵器廃絶の願いは世界中で、オバマ大統領の発言にしめされるように、活動の成果と感謝しています。沖縄の地上戦で67パーセント5100人の生命が犠牲になりました。1985年被核平和宣言、1992年平和条例を制定」。


午後は、晴れ間もみえ、南風原黄金森公園までシュプレヒコールして歩きました。

栖原秀夫日誌No.15

9時30分に能美市立辰口図書館前で出発式を行う。地元の民医連の人たちが来てくれる。20人位で行進を始める。


周りの水田の稲は富山の朝日町辺りの稲と比べ、丈で2倍以上、太さでは5倍以上に成長している。この成長の早さでは、8月に広島に入る頃には、刈り入れが見られそうである。雨の予報のせいか、水田に出ている人は昨日より少ない。


辰口児童館付近で署名・カンパ活動に入る。とても反応の良い地域で、断られる家が少ない。55筆、3,400円集まりました。


11時15分頃に能美市役所寺井庁舎に到着。4km位歩いたかな。


13時に能美市役所寺井庁舎で出発式を行いました。寺井病院を中心に民医連からの参加者が50人、見送りの市職員が30人、盛大な式典になりました。総務部長から市長メッセージとペナントと「国際署名」とカンパを頂きました。


行進は、民医連の若い女性が10人位で縦笛を合奏し、車椅子に乗られた高齢者も参加していました。


寺井病院前では、30人位の人たちが励ましてくれました。高齢の参加者はここまでで、後は若い鼓笛隊を中心に20人で、小松市役所までの5kmを行進しました。「鼓笛隊」を見ていると、横浜憲法劇の若い人と同じ魅力を感じました。


F1010071.jpg

▲行進している若い民医連の仲間たち

森 悦子日誌No.9

行進4日目。今日も雨。出発点は、コザ通り。真っすぐ行くと嘉手納基地だ。ミュージックタウン前。沖縄市は、「音楽によるまちづくりを推進しています」。市長代理メッセージで、県民4人に1人犠牲となり、焦土と化し、地上戦となった。


F1000198.jpg

▲沖縄市副市長があいさつのあと少しだけ一緒に歩いてくださった。

松本英治日記No.43

平和行進43日目。快晴。


8時半宿を出、徒歩で彦根市役所へ、9時から出発集会。市長代理の歓迎挨拶を受け、名刺交換。通し行進者の紹介、本日は宿の都合で若者2人は途中から合流、私が挨拶「行進で世論を喚起しオバマ発言の実行を!元気に歩きましょう!」


西沢甲良町議の奥さんが昨年の日本のうたごえ60周年祭典に有明コロシアムにこられたそうです、今年も夫婦で京都祭典に来てくださいます。近いもの!


甲良町役場で町議の西沢さん他と山崎町長(民主党)と懇談、核廃絶はもとより、憲法9条の遵守が大切と歓待されました。


豊郷町役場で本体と合流、歴史的建造物の小学校の取り潰しで有名になった町。全国からの要望で現存しています、旧中山道をひたすら西へ!


荘町役場へ、途中旧郡役場の古い木造建築の保存運動が、我が母校筑豊工業高校(旧鉱山学校)の校舎と同じ様な造りで懐かしい!現存していない。


愛荘町役場で町長以下全ての町議会議員が出迎え、村西町長と議長が歓迎挨拶!昼食休憩に。町内行進し愛知川駅へ。


近江鉄道は米原から近江八幡、貴生川へ水口にお囃子を習いに、信楽にも行った事が。
愛知川駅で中山道の写真展が江戸から京都までの宿場の絵と共に、伝統工芸のびん細工手まりを販売していた。


電車移動で河辺の森駅へ、近江平野の田んぼの中の駅、待ちかまえた、地元の人と、合流し33人で歩く、去年は10人だったとの事、オバマ効果か!


うたごえの人歌ってと言われハンドマイクも伴奏も無いなか、元気に歌いました。「青い空は」「折鶴」「青い地球を」などを!


東近江市で職員の歓迎を受け、市長代理の挨拶、名刺を渡し、市長さんによろしくと!終結集会が3時に終了。


車で宿の近江八幡市へ!お風呂に入り洗濯をし、ゆっくりくつろぐ!矢部氏に行進の写真の処理をお願いしました。

矢部常次日記 第43日目

彦根市役所に集合して市内を行進。電車(近江鉄道)での移動が2回あるので、新婦人の団体から「ウォーキング・ハイキングフリーきっぷ21.6.17」と書かれた名刺サイズ半分の切符がプレゼントされた。


宿泊先の関係で若者2人(中平くん・鶴田くん)は彦根口駅で合流、無人駅であり切符が買えない。そうしたら、新婦人の人が用意していてくれたのか「フリーきっぷ」を若者にプレゼントしてくれ、ひとまず安心。


豊郷町役場では「恒久平和宣言の町 豊郷町」のモニュメントがあり、町の平和の施策がどうなっており、具体的取り組みはどうか期待、町長さんの歓迎・激励のメッセージを受ける。


中山道愛知川宿を行進、かやぶき屋根をトタンで覆った屋根の家が目立つ。ロープが張られ保存される「旧愛知郡役所」の前を通り、愛荘町役場愛知川庁舎前で愛荘町・村西俊雄町長さんから歓迎・激励を受けた後名刺交換(久しぶりに町長さんから名刺をいただく)。


町内を行進して愛知川駅から電車移動、駅は「愛知川駅コミュニティハウス」と書かれており、小さなギャラリーがあり「いっぷくしもって中山道 宿場町のとっっておきの祭」と題して写真と町の名産品の飾りが並べてあった、そのひと隅に旅人の記録帳があったので「2009原水爆禁止国民平和大行進・東京~広島90日間歩く・インターネットで『平和行進2009』を見てね」と日時・名前を記帳して電車に乗る(電車はワンマンカーであり、バスみたいに乗る時、乗車きっぷを取り、行き先場所ごとに乗車金額が光る表示板があった)。


河辺の森駅で電車を降り、田園地帯(家はポツポツあり遠くに町並みが見える)の道をひたすら歩き、東近江市役所で解散。

浅田健司日誌(6月17日)

「いの町」を訪問、塩田町長は町長室から外出前であったが、快く私達を迎え、署名・募金に協力してくれました。議会義務局に行きましたが、議長・副議長とも不在、協力要請を行いました。


「いの町」一周の平和行進には15人が参加、1歳半の幼児を連れた女性も最後まで行進してくれました。行進途上、36筆の署名、1812円の募金が寄せられました。

栖原秀夫日誌No.14

9時30分、白山市役所前駐車場で出発式を行う。市から総務部次長さんが市長さんのメッセージを読む。市長以下職員の署名とカンパを頂く。


川北町役場までのおよそ5.5kmの道を15人位で行進する。天気は良く、左手の遠くに白山などの山が連なり、周りは田んぼと集落で、農作業などで働いている人々が居ましたので、大きく手を振り、大声でアピールしながら歩きました。参加者の皆さんも、私のように手を振り大声でアピールしていました。


参加者からは「ゆっくりな歩き方だけど、時間の経つのが解らず、楽しかった」と、感想がありました。私は「手を振ると応えくれるのが楽しいですね」と答えました。


川北町役場では副町長から激励の挨拶を貰いました。ふと気が付くと、この5日間、私といつも歩いている人が2人居ました。石川県原水協の内藤事務局長と中西さんという女性です。事実上の県内通し行進者です。皆さんに紹介するために、明日は写真を撮りましょう。

矢部常次日記 第42日目

これまで行進して来たが、歓迎集会・昼食は「歓迎 国民大行進」と書かれた中山道・垂井宿で垂井関ヶ原実行委員会の方々に温かく迎えられた。

 

旧旅籠で「垂井宿・お休み処旅籠 長井屋 」と看板がある。聞くと200年以上前に建造され地元の人により大切に手入れされている(昔、旅人が休んだ風情が目に映る・・・)。

 

そして、出迎えの方々の中に垂井町・中川満也町長さん、町議会・衣斐弘修議長さんが待っていてくださり歓迎と激励を頂いた。名刺には「中山道 垂井宿」「竹中氏陣屋跡 やさしさと活気あふれる快適環境都市」と写真があり住民と一緒に旅籠を保存していく姿勢が見られた(最近地方財政が緊迫しているのか、私たちが名刺を渡しても「今持っていませんから・席に戻れはあるのですが」と貰えない市町村が半数)。

 

昼食は、岐阜県内を通し行進してきた鈴木和子さん(新婦人岐阜支部)が野菜サラダと冷やした枇杷を行進者全員分を用意して持ってきて下さった。(本当に美味しかったです・・・有難うございます。・・・)

 

これで2回目、引き継ぎ(岐阜県・滋賀県)の前に雨となり、少しの時間降って止む(にわか雨だが、松本さんが言う「誰かがいると雨が降る」と笑う・・・1回「東京都・神奈川県」は、ずっと雨であり、もう1回は、私が居なかったからだ...お互いに笑い顔を見合う)。

 

にわか雨も関ヶ原を通り抜けた時から人家が多くなる近くで止んだ。

 

県引き継ぎは、関ヶ原中央公民館で行われ、屋内という事もあって、団体リレー旗は車に納め、皆が会場に入り行われた。

 

車で移動して県境を通過して滋賀県に入り米原市役所・行進そしてまた車で移動して長浜市を行進。

 

追加、関ヶ原の休憩場所で変な表札を見かけました。「大切にしましょう 水準点(赤文字)建設省国土地理院」とあり連絡先の電話番号が書いてあった(暇の時でも聞いてみよう・・・)。

浅田健司日誌(6月16日)

日高村役場を訪問、戸梶眞幸村長と戸梶昭澄村議会議長と面談、約30分話し合い、署名・ペナント・募金の協力を得た。村長議長が同姓ではあるが、親族であるわけでもなく、この村では同姓が多いとの事であった。


午後12時半頃より高知市役所前広場で「海賊対処新法」に反対する緊急集会とデモ行進があり参加してきました。参加者数は約50人。


夕方5時半より約1時間平和行進。参加者6人、38筆の賛同署名3267円の募金があった。

松本英治日記No.42

平和行進42日目。晴れ後雷雨後晴れ。


岐阜県最後の日、8時宿を出、大垣公園城西広場へ、8時20分出発集会。トランペッターの水上さんが!


大垣城の横の公園です、名古屋城、犬山城、岐阜城と戦国武将の群雄割拠の地、本日は天下分け目の関が原で滋賀県に引継ぎです。


あっと言う間の6日間でした、岐阜の皆さんありがとうございました。出会いとドラマを感じた日々でした。


出発セレモニーで挨拶「ヒロシマ、ナガサキの心を広げオバマ発言を実行させよう!」と!


大垣城下を元気に歌いながら行進、芭蕉にゆかりの街で至る所に碑が!


本日は、引継ぎ後の日程が判らず、岐阜県の日程では、15時10分引き継ぎ集会とのみ、滋賀県の情報無し!


旧中山道を一路西へ、途中湯上さん登場、トランペットとギターの弾き語りの豪華競演です。


途中便意をもよおし、苦労しました。


垂井町内の旧中山道の町並みや宿場を通り旅がらす気分でした。


昼食休憩は、ふれあいプラザ夢の屋、長浜屋(中山道の旅籠)住民が自主管理!


歓迎集会で、垂井町の町長さんと議長さんがご挨拶に、名刺を交換しお礼を!


私の挨拶は、「古き良きものは、残す努力をしないと、残りません!皆さんの努力で後世に!青く輝く地球も!子や孫たちのために!」


岐阜県内通し行進者の方が、新鮮なサラダと、枇杷の差し入れを!ありがたい!


旧街道の旅籠での弁当は格別!また、ゆっくり来たいです。徳川家康初陣の地なども!
引継ぎの1時間前、また雨が!名残の雨か?犬山(愛知~岐阜)でも!


雨の中を、湯上さんの歌が響きます。孤軍奮闘の湯上さんに置き土産!昨日のうたごえ新聞読者を!今月で21人目だと!


天下分け目の関が原で、引継ぎ集会!岐阜県の皆さんありがとう!滋賀県の皆さんこんにちは、よろしくお願いします。


岐阜県の通し行進者の皆さんとは、宿を共にしなかったので、ゆっくりお話できず残念でした。ありがとうございました。握手を!


滋賀県に入り、車移動で、米原へ。山東支所で歓迎セレモニー市長代理の挨拶を受け、多くの職員がお出迎え!市内行進し、アピ-ル、伊吹山の雄姿が!


長浜市役所へ車移動、5時半から出発集会で市長代理の挨拶を受け名刺を!通し行進者5人(私ら2人、若者2人、滋賀県内通し1人)の紹介!


黒壁の街、昔の風情残る湖北の城下を市内行進!一周し市役所で集結集会、若者たちに、カンパの訴えが、心優しい皆さんの思いが!

栖原秀夫日誌No.13

昨夜の金沢市繁華街の行進は250人も参加し、宣伝カーの訴えだけでなく、参加者のアピールと共に、タンバリンや歌声が街に響き渡っていました。


今朝は昨夜の終結地近くの有松・貴船神社に9時30分に集合し、10人ぐらいで出発。4kmぐらい歩いて野々市町役場に11時30分に到着。参加に遅れた方が自転車で追いかけて来ているとの情報だが、まだ追いついていない。


私は石川県原水協の内藤事務局長の自宅で昼食を頂く。昼食後、野々市町役場に戻る。時間があるので、庁舎を見学。モダンでオープンスペースで受付はカウンターになっている。またインターネットを利用出来るスペースがあり、子どもたちにも親しみ易いようになっている。


行進の出発に際し、町長自ら激励の挨拶をしてくれました。今までに無かったことだそうです。情勢を反映しているのでしょうか。15人ぐらいで出発。追いかけて来た方も合流できました。


F1010070.jpg


▲野々市町役場に集まった参加者


若宮公園でさらに参加者が加わり20人以上になり、白山市役所まで行進しました。4.5kmぐらいかな。


参加者からの「いつもより、手を振ってくれる人、多いかな」の声に、大声でアピールしている私としては、とても嬉しかったです。

森 悦子日誌No.8

3日目、一日中雨が降り続いて大変な行進でした。終結集会は中部協同病院で行われました。スイカ、メロン、パイン他ごちそうになりました。


F1000183.jpg

宮崎県都農(つの)町役場総務課が発行している週報「つの」No.357(6月11日発行)のトップに国民平和大行進への呼びかけが掲載されています。

以下、全文紹介します。

 

平成21年原水爆禁止国民平和大行進に参加しよう!

 1958年に開始された原水爆禁止国民平和大行進は今年で51周年を迎えます。この半世紀、行進は核兵器廃絶を願う人が誰でも参加できる行動として発展し、今日では、10万人の人々が参加する国民的行動となっています。

 平成21年原水爆禁止国民平和大行進東九州コースは、6月24日にえびの市役所を出発し、大分県、福岡県を経て8月6日の長崎到着をめざし取り組まれます。

 都農町での出発集会は、下記のとおりとなっています。

 

 日 時   平成21年6月30日(火)午前11時40分から

 場 所   都濃町役場玄関前

 

 問合せ先 総務課  25-5710

矢部常次日記 第41日目

このコースは、昨年の国民平和大行進50周年(51回目)の時に地元の人たちの努力により新たに計画され大成功した網の目行進(本コースとは違い支線コース)である。


県によっては、1日のコースが5つから最大、愛知県の様に14コースも計画されている。運動の高まりによって網の目行進がされており、各々歴史とロマンがある。


本日このコースを行進出来ることは光栄であり、どんな出会いがあるのかと大きな期待を持って、長良川スポーツプラザを出発(行進スタート時点が違うので、松本さんとは朝食を一緒にした後、私は少し早く出る)。


行進するとお寺が多く鐘桜が目立つ。実行委員の方が2枚のコピー(カラーだが当時の写真は白黒)を見せてくれた。内容は、『鐘は1里(4km)四方に届くようにと、この地方では最大級の物が作られた。ところが太平洋戦争になると金属不足から鐘まで兵器にする為、どこのお寺からも荷車に乗せられ供出された。戦争が終わり、運が良かったのか池野東教会の鐘だけは無事に戻ってきたのです。皆の喜びと有難い涙の中、元の鐘桜に吊り下げられ、今も幸せと平和を願う昔通りの音色を響かせている』と『150年の歴史を持つ下八幡正圓寺の梵鐘(ぼんしょう)には赤タスキがかけられ、喚鐘(かんしょう)も一緒に大勢の人々にの見送りを受けながら荷車にのせられ、国旗と共に出征して行き、帰らぬものとなった写真』である。


また、今年の6月10日岐阜新聞に掲載された「戦争体験、後世に。神戸町・長久寺が初の『語る会』元兵士の門徒4人が、非戦訴え」のコピーを渡してくれその場で読みました。


真教寺では平和の鐘を行進者・参加者を代表して鉦を撞かせて頂き、「原爆犠牲者・親父を含め戦争犠牲者に黙とうして、核兵器廃絶と真の平和を希求」し2回撞きました。


Art206.JPG

▲平和の鐘をつく


行進コース2回目で月曜日とあって参加者が少なくなると思っていたが、昨年より多く初めて会う方、飛び入りもあり成功、来年以降も若い人の参加をさらに増やし続けなければと話す小倉さん(実行委員の一人、JMIU愛知地本執行副委員長)。


Art207.JPG

▲小倉さんとJMIU組合員


Art208.JPG

▲初めて行進に参加した人たちと


前日貰った「第4回網の目平和大行進実行委員会」の議事録を見ると分単位のスケジュールと役割分担・昼食準備・記録、そして雨の場合の対策など参加者に不自由をかけない日程が話され、成功したんだと確信(私などには、まねの出来ないことであり敬意・・・)。


Art209.JPG

▲ブラジル労働者:吉田・熊谷さん

森 悦子日誌No.7

2日目はキャンプハンセン第2ゲートからの出発。医労連の担当。雨降り続いています。


4回のワンポイント学習会があり、沖縄の闘いについて生々しく聞くことがてきました。金武町伊芸区米軍実弾墜落を認めないため、軍用地の契約をしない決議を決めました。基地の闘いは、ますます重要です。


沖縄通し行進者は10人。大阪から4人、東京から2人、のこりは沖縄の人です。

【三重】みえ平和行進ニュースNo.5

クリックするとダウンロードできます↓
MIE_News_0005.pdf

栖原秀夫日誌No.12

10時30分に森本駅に集合し、東金沢駅に向かって歩き出す。


神谷内交差点付近で署名・カンパ活動を14人で行い、48筆、1220円を集めました。


東金沢駅口交差点で休憩し、城北クリニックに向かいました。


13時に到着し、集会を行いました。行進距離およそ3km。


17時30分から18時まで香林坊で署名や募金などの回収に取り組みました。


事前に配布したビラや鶴の折り紙を出して来るお店や私の説明を聞き、署名を改めてして大きな1コインを持って追いかけてくる店長さんなど、とても感動しました。


18時30分に金沢市役所前を出発し、香林坊などの繁華街を3kmぐらい行進しました。署名は40筆位かな。

浅田健司日誌(6月15日)

高知県平和委員会の和田事務局長と二人で、午前10時○崎市を訪問したが、議会会期中ということで面談できず、事前に要請していた署名用紙をいただく。


午後、仁淀町役場を訪問、藤崎町長、安井事務局長が応対、署名・ペナントに協力,町内で見かけた見事な桜の樹について話すと、あればバラ科のもので「ひょうたん桜」と言って、町のシンボルとなり、別に「ひがん桜」と言うのもあって県の天然記念物になっている、など話してもらえた。


その後、越知町役場も訪問したが不在。署名協力は用意してくれていて総務課長が対応してくれた。


午後4時、佐川町を訪問し榎並谷哲夫佐川町長と面談,快く署名などに協力、この町には茶畑が多いこと、世帯数6200、人口14000人余など、話がはずみ、1時間近く話しあった。(今までは、長くても10分程度)この町長は牧野富太郎博士の甥にあたるそうです。その後、佐川町役場前から町内一周の平和行進には40人程度の参加、募金額8512円であった。

松本英治日記No.41

平和行進41日目。快晴。


9時宿を出発、新婦人の事務局長の宇留津さんが車で集合場所へ、彼女は同郷の福岡県筑後の出身で、25年目だと聞く。懐かしい!珍しい苗字!うたごえ新聞の宣伝紙をお土産に!


美江寺公園で9時40分出発集会、主催者挨拶等あり、私も「行進50年の重みを感じ、オバマ発言の実行を!元気に歩きましょう!」


岐阜市内をアピ-ルしながら行進、市役所と離れた郊外に県庁が!県知事代理(市民参画部長)の歓迎挨拶を駐車場で受け、職員食堂で昼食、瑞穂市を表敬訪問、会議室で市長代理と議長代理の挨拶を受け、署名とペナントを預かる。


国道21号線(片道3車線)を一路西へ、近くに民家もなく、単調に歩くのみ、行進団を励ます歌やシュプレヒコールを繰りかえしながら歩く歩く早足で!ひたすら大垣目指して。車にアピ-ルしながら!


21号線を離れ、大垣市内へ旧城下町のたたずまいの中を、歌を歌い、コールをしながら歩く。


大垣公園城西広場で表敬訪問(網の目コース)の皆さんが盛大にお出迎え!集結集会。


本日も20キロ以上の行進でした。


地元のJMIU(全日本金属情報機器労働組合)の皆さん日系ブラジル人(3人他)労働者とブラジル料理店(一階はブラジル商品のスーパー)で交流会、肉中心の料理で950円で食べ放題、日本人には、安いが、不況で仕事が無く、めったに来れないと!生活保護申請中の方も!


20年以上日本で生活し子供も日本語で育ち、行政は、不況でブラジルに帰そうとする(帰国旅費30万円出る)が、帰れる状態ではないと、言っておられました。


浜松から西の東海地方には、大量の外国人労働者が!安い賃金で働かされています。大垣のJMIUに170人のブラジル人組合員が!


宇留津さんに電話、お世話になったお礼と、新聞の勧誘、読者になっていただきました。うれしい!岐阜の湯上さんに託します。


明日は5日間の岐阜県最後で、滋賀県へ!

医療生協ニュース-第5報

クリックするとダウンロードできます↓
MIYAZAKI_09Course.pdf

クリックするとダウンロードできます↓
KYOTO_09Course.pdf

クリックするとダウンロードできます↓
NIIGATA_09Course.pdf

矢部常次日記 第40日目

関市ワークプラザを行進団がスタートとしてすぐに、大きな登山用バッグを背おう若者2人が、行進に加わってきて行進を始める。


休憩時点で話を聞くと、広島まで行進して行くと言う、バッグを宣伝カーに詰め込み身軽にして行進。


愛知県知多から来た、中平猛(22歳)、鶴田伸治(21歳)の先輩と後輩と言う友達同士だ。


中平君が携帯片手に私の写真を見せてくれた。(どこで撮られたのか覚えていなかったが)そして話す「お母さんの名刺を貰っていると思うがその息子です」と言う。そう言われれば、少し記憶が戻ってきた。


知多市会議員の中平ますみさんの息子さんだと判った、名刺を貰った時、激励と同時に息子が平和行進に合流して広島まで歩くと話されていた(私がよく聞いていなかったのか『何処の場所から参加する』かは知らなかった)。


全国通し行進者が4人になり平均年齢も大きく若返った。そうなると行進団は元気が出る、休憩の時などは「このお茶を飲みな・持ってきた冷えたオレンジを食べな」と地元の行進参加者の方が親切にしてくれ、行進のみんなと交流しなじむ。


みどり病院で昼食、午後からは長良川リバーサイド有料道路(自転車・歩行は通行無料)の川沿いのハイキングコースの行進だ、日差しは暑いが川沿いであり緑も多く歩きやすい(河原では日曜日とあってキャンプや泳いでいたり、ジェットモーターボートでエンジンを最大にふかし楽しみ転覆する人の姿もあり、楽しむ人が多く羨ましく感じた。・・・俺たちは歩いて行進しているのに・・・)。


昼から、昨日も行進参加したお父さんと一緒の中洞ほのかちゃん(小学4年生)が行進参加していた「先頭で横断幕を一緒に持って歩かない?」と話すと喜んで歩いてくれた。(昨日は、お父さんがハイキングに行こうと誘い、ついて来たのだそうだが、昨日・本日と歩いて平和行進をどう感じたのだろう・・・数年経ってから感想を聞きたいと感じた)。

【三重】みえ平和行進ニュースNo.4

クリックするとダウンロードできます↓
MIE_News_0004.pdf

【京都】平和行進ニュースNo.1

クリックするとダウンロードできます↓
KYOTO_News_1.pdf

松本英治日記No.40

平和行進40日目。快晴。


8時半宿を出、関市ワークプラザ(勤労会館)へ、9時出発集会、主催者挨拶、地区労の挨拶、市長のメッセージ代読、通し行進者の紹介と挨拶では私が「トムソンの事、オバマ発言の実行、「非核神戸方式」の宣伝」!


9時半、岐阜までの20キロ以上の長丁場出発、パーランクを叩きながら元気に市内行進、土日と長良川水サミット開催中で一部通行止め!


うだつの上がった旧街道の町並みをシュプレヒコールでアピ-ルしながら50人以上の行進です。


名鉄の廃線の道、赤茶けたバラスと電柱だけ残り異様な光景を長い距離通る。


民医連の大きな「みどり病院」で昼食休憩、午前中職員さんが参加!近くの店でうなぎ丼をいただく。


出発集会で病院の先生から挨拶を受け出発!


昼から歌いながら行進、一杯歌いました、ハンドマイクでアカペラで!長良川沿いの歩道を、日曜日で家族連れで川遊びの皆さんと車にアピ-ルしながら!


元気に昨日の午前中と、本日昼からお父さんと参加した中洞ほのかちゃん(4年生)が横断幕を持ち歩きました。


岐阜市内に入り、湯上さん登場、トランペッターの水上学さん(松平さんの知り合い)も参加で賑やかに!


金華山の麓を歩き、市内の繁華街をアピールしながら元気に!


美江寺公園での岐阜市歓迎集会では湯上さんが歌ってお迎え、岐阜市民と役所の方も、市長からの歓迎メッセージの代読、名刺交換、通し行進者の紹介と挨拶。


本日から広島まで通し行進する愛知(知多)の若者二人(中平君、鶴田君)が紹介され決意表明、仕事が退職になり、歩く決意を!


明日からが楽しみです、60のおじさんコンビと、20代コンビの珍道中の始まりです。地元の方々に焼肉店での交流をしていただき、宿へ!


本日岐阜市内行進は150人で!

栖原秀夫日誌No.11

石川県に入って2日目、9時30分に津幡駅前で出発集会を行って、金沢市に向かって出発。


途中、花園小学校付近で署名・募金活動を行う。署名23筆、募金500円が集まりました。


12時頃に森本駅に到着し、解散しました。16人の参加で、およそ6kmを行進しました。


民医連から参加した若い人からは「初めて参加しました。署名を頼む大変さ(苦労)がよく解りました」と、感想が出されました。

浅田健司日誌(6月14日)

日曜日で自治体訪問はなく、仁淀町役場前で平和行進出発等会、古くからの町役場を眺めていると、大きな柿のところにツバメの巣が二つありました。形が違うので現地の人に聞いてみるとツバメの喉の色が白色のものと黄色の喉をしたものとに分かれているとの事を教えてくれました。集会には8人が参加、町内を一周。


沿道の人に手を振ると、よくこたえてくれました。行進者のところに募金を届けてくれた人もありました。


午後の行進までの時間、この日は高い山頂まで行くと恒例の祭りがあると言うことで、坂道を登る途上、道の両脇に美しい「あじさい」が満開でどこまでの続いています。山の中腹に「第5回日の浦あじさい祭り」と書かれたアドバルーンが上っています。


この坂道は、「あじさい街道」と呼ばれ、その長さは2.5kmという事です。頂上には神社広場があり、黒石小学校の児童が餅つきをしていました。その後越知市を平和行進、15人の参加で9599円の募金がよせられました。

森 悦子日誌No.6

沖縄行進1日目。


朝7時、高江を出発し、8時過ぎに辺野古に到着しました。11日からずっと雨、どしゃぶり、カッパを着て参加です。


出発集会には200人参加。赤嶺政賢議員のあいさつは参加者全員が励まされました。車椅子のおじぃの言葉で「皆さんいい顔している。辺野古や高江の闘いに負けない自信に満ちている」-感動的でした。

矢部常次日記 第39日目

朝、別のコースを行進している松本さんから電話「昨日は、久しぶりに市内を行進した所・初めて行進が計画された地域と楽しく皆さんの接待も良かったよ、地元も『全国通し行進者が来てくれる』とあってはりきり元気だ・・・本日の午後は合流して関市歓迎集会に参加、お互いにガンバローとエール。」


昨日旅館に着いたとき、おかみさんが「もう一人の方は、東京から来るので夜の8時半過ぎに来るとの事ですよ・予約されているが名前は今はっきりしていない」」というので明日の出発時間を知らせるため「来られたら、私の部屋に連絡してください」と伝言し、夕食後町並みを見て回った。


この美濃市は、「うだつの上がる町なみ案内」と看板があちらこちらにあり、大きな財を得て建てた大きく立派な家並みが続く、あまりのものすごさに路地を回りすぎて、自分が泊まっている旅館が判らなくなった、夕方なのでジョギングする人もあり「こんばんは」と声を掛け合うが昨日の郡上八幡の市内と雰囲気が違う。


東京から来たと言う人は、全印総連の菅野さんだった。菅野さんとは、5月27日に静岡県で行進を一緒にやり話もして親しかったので、話は早い。


全印総連はリレー旗を県や地区を担当を決めて組合員で広島まで行進する。行進も22年間も継続され歴史の重みを感じる。この岐阜県では、宿泊は全国通し行進者と同じで地元の実行委員会の人の対応は違う。出発集会・歓迎集会などで、全国通し行進者が紹介され挨拶そして全印総連の参加者が紹介・挨拶する、その後県内通し行進者が紹介され時間があれば挨拶する。


良い取り組みと思うことは、他の県でも行っているが、参加団体・個人そして初めての参加者に手を挙げてもらい紹介していることだ。(JMIUの組合も紹介され今年で15回リレー旗を継いでいるのにと思い、JMIU組合員として少し全印総連がうらやましい)。


市内を行進して感じたことは、昨夜町並みを見た時感じたことと同じく、家には人がいる気配はするがあまり行進を見る姿がない、そして道で会う人のオバママスクへの反応もいまいちだ。


行進参加者とも話すが、毎年参加している方も同じ感想で、シュプレヒコール・平和の歌など歌い行進し参加者は元気だが町の反応が気になる。・・・地域性なのか・・・。


午後は、岐阜市内に移動して折り鶴平和行進にピースウォークの方・市民と市内を行進、人数が多いと元気で皆の顔も明るい。

【三重】みえ平和行進ニュースNo.3

クリックするとダウンロードできます↓
MIE_News_0003.pdf

栖原秀夫日誌No.10

富山県から石川県にリレーされる日です。


小矢部市役所を出発し、小矢部商工センター入口付近で、署名・募金活動をし、近くの石動高校の先生が合流し持ち込んだのを合わせて、120筆・1万8698円集まりました。


F1010068.jpg


▲小矢部市役所前で荒木兄妹と再会し一緒に横断幕を持つ。周りにはお世話になった方々


倶利伽羅トンネル石川県側出口付近の広場で引き継ぎ集会を行いました。ここまでで歩いた距離は3kmぐらいかな。


富山県の平和行進の到達点は、参加者899人、署名1666筆、募金20万3312円でした。


石川県の行進は倶利伽羅から越中坂のJAで昼食を取り、中津幡駅付近で10分間署名を6組程で取り組み、47筆を集めました。私は在宅の家で断られる事はありませんでした。事前ビラ配布などの取り組みがあったとの事です。


津幡町役場まで歩き、副町長から激励を受けました。

浅田健司日誌(6月13日)

9時30分、中土佐町久礼駅前で出発集会。18人参加で町内一周。


午後12時より梼原町を平和行進。


15時30分より津野町姫野々から山崎まで行進後、署名行動に入り、70筆近く集める。


18時から約45分間平和行進(須崎市役所前から高岡教育会館まで)。


夕方からの行進にはたくさんの折り鶴を持って高齢の婦人が来てくれる。年齢を訪ねると「この地に嫁に来て65年になります。今年で91歳になりました」と言う。


この折り鶴を一人で毎日作ったとのことに驚き、「必ず広島、長崎、そしてニューヨークに届ける」と言うと、「それならまだ沢山ありますので」と言って大きな紙袋に入れた折り鶴を手渡してくれた。

松本英治日記No.39

平和行進39日目。曇り後晴れ。


8時宿を出、8時45分美濃加茂市役所で出発集会、通し行進者を迎えて初めての網の目平和行進ですと主催者挨拶、私も挨拶「オバマ発言の実行と非核神戸方式を広げ、元気にアピールしながら歩きましょう」


40人の参加でシュプレヒコールを繰り返しながら1時間市内を行進しました。9条犬も登場、乳母車に乗った1歳から80代まで参加されました。


車で関市に移動、美濃市~関市コースに合流し、関市若草プラザで歓迎集会。主催者挨拶、被爆者の挨拶、関市長のメッセージ代読、通し行進者2人の挨拶「美濃市にある、日本トムソンの姫路工場で昨年まで働き、第二組合が姫路には、未来が無いので皆で岐阜に行くか辞めるかの二者択一を計り姫路を脱出、私たちの組合の力で姫路工場を存続させ、派遣切りと闘っています」と挨拶!浜崎氏の話題が出され、夜電話しました。


車で岐阜市へ移動、昼食のおにぎりを食べながら、岐阜市内折り鶴平和行進の出発集会が岐阜市金公園で湯上氏が音響を用意し準備、握手を!

会前に「青い空は」と「折鶴」を一緒に歌いました。


主催者挨拶は、生協さん、被爆者の挨拶、通し行進者の挨拶2人ともと和歌山市民生協の竜崎さんも挨拶、県内通し行進者3人の紹介、共作連の皆さん(10人)が南中ソーランで盛り上げてくれ、一緒に歩きました。


湯上さんが行進中も素敵な声でギターを弾きながら歌ってくれました、私はパーランクで伴奏しながら、先導しました。


岐阜の繁華街を歌いながら、シュプレヒコールを繰り返し1時間20分の行進で、150人が元気に歩きました。


宿の関市に戻り、明日また関市~岐阜市まで歩きます、この変則コースは、国民平和行進と市民平和行進(生協中心)の統一のなごりだそうです。

森 悦子日誌No.5

高江へりパッド座り込みテント前で沖縄原水協佐事さんと原水協代表弁護士芳澤さんと6月10日ベトナムで開かれた弁護士協会で決議された文書を読み合わせしました。辺野古、高江の闘い支援の決議です。


F1000158.jpg

矢部常次日記 第38日目

本日の私の郡上コースは、14時から行進スタートする。松本さんは、土岐市~多治見市~可児市コースで9時30分出発、そして今年初めて計画されたコースもあり楽しみと地元のすごい歓迎だろう と思う。


郡上は32夜踊り続ける「郡上八幡踊り」で有名であり、一度は来てみたい観光地のひとつだ。


いくら観光客が多いにせよ「7月11日からあちこちの町内で32夜踊り続け、8月13日から16日がクライマックスで宿など取れない」と地元の人が話す。この地域にそんなパワーがどこにあるのかと午前中は、旅館の自転車を借り見て回る、「JMIUの腕章を付け写真を撮る」ので「あんた何処の新聞社なのか」と声をかけられ話し込む(東京~広島コース通し行進者:矢部の名刺をホルダーにして首に掛けているのでそれを見てもらう)


すると、家に戻り写真とコピーを持ってきてこの場所(柳のある小川の橋)と同じ風景が神奈川の下田にあると言い、雑誌からコピーした写真でよく似ている(時間がなかったが、いろいろ話し最後に「広島まで頑張りな、いい会社に勤めているのだから」と激励を受ける)。


またもやハプニング、郡上八幡駅まで行き12時に旅館に戻り、連絡あった市役所にタクシーで行き待ち合わせ場所に行くが誰もおられず20分待ち、あまりにも腹がへったので近くの喫茶店に行く(2時間前の待ち合わせで変だなと思ったが?・・・実は市長室に12時30分に来て欲しいとの事で、議会中だからこの昼しか時間が取れず市長さん・議長さんが表敬訪問を待って頂いていたとのこと)。


『私は何も聞いておらず』連絡の不手際だった、私は失礼な事をしたことを謝り、2枚の名刺を議員さんに渡し陳謝してもらうよう依頼。


もう一つは良いことがあった、旅館で都合悪く夕食が作れないとの事で昨夜行った店で会ったお客さんが市役所・教育委員会庁舎前で「矢部さん」と呼ぶ、市の職員だったのと聞くと「保育園で働き用で来たのよ、昨日は楽しかったしママも喜んでいたよ」と話し、近くにいた行進参加の人達を驚かせた。

昨日は、どんな話をしたのかはあまり覚えてたいないが、確かに楽しかった。覚えているのは、「今年の郡上八幡踊りに来な、泊まるところはお店でもよいし・自宅でも泊まれるよ」と言ってくれ名刺を貰ったことだ。


この温かさは、市内を行進しても判った。「こんにちは、国民平和大行進です」と言うと家の玄関を大きく開き、出迎えてくれ笑顔だ(これだったら、ドロボーや事件など無いだろう、そして防火にも各町名ごとしっかりしている)。


行進終了後、明日のスタート時点の美濃市に車で送ってもらう。

松本英治日記No.38

平和行進38日目。快晴。


8時半宿を出発、お迎えで土岐市役所へ、網の目行進ですが、全国通し行進者が来ると奮闘していただきました。


表敬訪問では総務部長と秘書課長に会う。総務部長の加藤さん個人としてペナントをいただく。議長さんとも会うが、趣旨は賛成だがだめ!「オバマ発言の実行をと自治体に協力要請、行進に参加される首長、議長も」と!名刺を交換。市長さんによろしくと!


9時半、出発集会で市長のメッセ-ジ代読!、主催者、被爆者の挨拶の後、私も、一人なので、じっくり挨拶させていただきました。「誕生日、オバマ効果、非核神戸方式」と、土岐は久しぶりの行進で42人の参加者で元気に市内行進(30分)を行いアピ-ルしました。


車移動で多治見市へ、両市とも焼き物の街、じっくり見学したいが、無理!


11時から産業文化センターで出発集会、会館前で警備の警察官が「ご苦労様!東京から歩いてと!」と激励されました。歓迎ムード。多治見も久しぶりで全国通し参加効果です。


主催者、副市長の木俣さんが、市長のメッセージを代読、被爆者の挨拶を受け、私も土岐市と同様にじっくり挨拶させていただきました。


11時半、市内をパーランクを打ちながら行進、シュプレヒコールでアピールも。こちらも、30分の元気な行進で40人が参加されました。


交通整理の警官が、毎年してくださいと、主催者に、私に頑張ってと握手を求められました。素敵な光景で、昼食休憩中話題になりました。


多治見名物のスパゲティ(卵敷き)をご馳走になりました。おいしかった~!大繁盛のお店でした。


車移動で可児市へ、駅前で2時から出発集会、こちらは、毎年歩かれているそうで、主催者、被爆者、私の挨拶、ここも、じっくり訴えさせていただきました。


今夜宿泊の美濃加茂からお迎えの方も歩かれました。ローカルな行進も素敵です。こうして、網の目で草の根で本行進に繋がれます。


2時半、市内をシュプレヒコールでアピールしながら、約1時間半行進しました。20数人の行進でしたが、元気に歩きました。市役所で市長のメッセ-ジを受け解散しました。


宿泊の美濃加茂市へ車移動、宿に4時半着、久しぶりにゆっくり休養させていただきさした。8時に就寝!

栖原秀夫日誌No.9

明日は石川県に入ります。午前中は国宝の瑞龍寺や立山の山並みが美しい雨晴展望台に連れて行って貰いました。


13時15分に福岡町中央公民館で出発集会。宣伝カーのエンジンがオーバーヒートし、横断幕・旗・ゼッケン・署名用紙・ビラもありません。荒木さん(生協労組)が宣伝カーが駆け込んだガソリンスタンドに行き、取ってきてくれました。少し遅れて、手短に集会を行い、宣伝カーなしで行進を始めました。


福岡町中央通り北銀前周辺と小矢部市中央児童公園前周辺で署名・募金活動を行いました。小林さん(富山県原水協事務局長)が富山民商の宣伝カーを持ってきました。自転車に乗った婦人が途中から行進に加わりました。終点の小矢部市役所まで来てくれたので感激し声を掛けました。彼女も感激しているようで、大きな目が潤んでいました。


小矢部市からは平和都市宣言の中で新たに核廃絶を文言として入れたいとの考えが示されました。参加者からは「長年の要求が実現した」と喜びの声が沸き起こりました。本日の参加者は27人、戸別訪問で署名は59筆、募金は7,100円集まりました。


小矢部市の市長と議長からペナント、激励金、市長以下職員の署名57筆、募金2,000円を頂きました。夕飯は地元の割烹「ゆず」で堀内先生と肝っ玉母さんの太田さんと会食しました。御馳走様でした。

森 悦子日誌No.4

会見終わってまた高江に戻る途中で雨に降られて4時半過ぎに着きました。


座り込みに参加する人は、県内の他、インターネットで知った人も多くいろんな旅人もやって来て座り込みをして、夜は音楽を楽しんでいます。青い家は、すごいです。誰でも受け入れています。驚いています。


この日も高尾山で知り合った4人が来ました。今日は、滝のような雨でも一日中座り込みしていました。私は携帯でメールを送っていました。


ヘリパッドの座り込みは、朝7時から夕方5時まで当番制を取り入れ、非暴力後は本人次第です。ずっと降り続いています。行進中雨かも?

「県網の目平和行進」が11日、吉野郡で始まりました。30日まで県内全市町村が参加し、核兵器廃絶を訴えて行進します。


下市町からは教職員や住民ら約50人が「核兵器をなくせ」などとシュプレヒコールをあげながら大淀町まで約1時間歩きました。黒滝、天川両村の住民らも参加、吉野町上市で行進したメンバー約30人も合流しました。


県での活動は20年目。下市、大淀両町では、役場前での集会に幹部職員も出席、主催者から反戦平和と核兵器廃絶へ取り組みを進める要望書が各町長に手渡されました。


参加者は「北朝鮮で地下核実験が行われるなど情勢は緊迫している。平和なときにこそ平和の大切さを考えたい」などとアピールしました。26日には奈良市の般若寺から県庁前を通り、奈良市役所まで行進します。

浅田健司日誌(6月12日)

津野町役場を訪問するが町長不在。議会事務局長、総務課長が応対。町長に署名用紙、ペナント等手渡すことを約束。


その後、梼原町役場及び中土佐町役場を訪問したが、同じく不在。


17時30分より中土佐町役場から平和行進で市内一周(26人参加)。

【愛知】09あいち平和行進-あるくNo.12

クリックするとダウンロードできます↓

09.6.11.pdf

栖原秀夫日誌No.8

6月11日、富山に入り8日目。いつもお世話頂く富山県原水協の小林事務局長の案内で、南砺市の3つの行政センター(利賀・平村・上平村)を訪問し、「国際署名」を窓口に置いて頂き、ポスターを掲示して頂く事を依頼致しました。どちらでも快諾して頂けました。


運転手は、ほとんど毎日サポートカーなどで大活躍の荒木さん、4日目の平和行進で感動を頂いた兄妹のお父さんでした。とても楽しい道中でした。

松本英治日記No.37

平和行進37日目。曇り後晴れ


愛知最後の日、7時荷物を持ち宿出発、江南市民文化会館に行く時に渋滞に巻き込まれ、8時半到着、すぐ出発集会。


江南市の挨拶を受け、通し行進者の挨拶は、「12日間お世話になりました。愛知の力強さを感じました、ありがとうごさいました。ナガサキで会いましょう」


江南市内を歌いながら行進、脇谷君がギターとうた新持参、早速県内通しの早川さんが読者に、脇谷君におみやげ!浜島さんから、おみやげ戴く。気配りがありがたい!頑張ります!


柏森駅から犬山へ電車移動、愛知最後のお礼を込めて、うたごえ隊に、途中から、アコの加藤さん、武藤さんも合流賑やかに。


犬山の城下町は昔の町並が、雲行きが怪しくなり突然の豪雨に!愛知名残の雨か?木曾川を渡り岐阜県へ、各務原市民プール横で引継ぎ集会。


「愛知の皆さん12日間お世話になりました、岐阜の皆さんよろしく!」愛知の行進参加者6400人、署名4000筆、カンパ36万5314円、ペナント230本、折鶴5万羽以上。


岐阜の湯上さんにうたごえ旗を、愛知の皆さんにうたごえ新聞と愛知の申込書を渡す、お礼を込めて!読者になって!


バス移動で各務原市内へ、広大な市民公園で、出発集会。5日間よろしくと挨拶、市内行進でギターを弾きながら歌う湯上さん元気!市内を1時間の行進、市民公園で終結集会。明日2コースのため、矢部氏は郡上へ、私は、土岐市へ宿のルートインへ、土岐は久しぶりの行進で、通し行進者が来ると、歓迎され、革新懇の中島さんと、議員のおぜきさんと食事をしながら懇談、出来ることは何でもしますと、出発集会で得意の民謡を!

矢部常次日記 第37日目

12日間の愛知県の国民平和行進も、早いもので今日半日行進で木曾川を渡れば岐阜県になる。


私は、組合の用で静岡県・愛知県の引き継ぎには参加できなく、後で松本さん(全国通しの行進者)に引き継ぎの感想・愛知県での半日の行進について聞くと参加できず残念(組合の方も、私のJMIU川崎支部の結成40周年の記念行事であり、私は今委員長であるので、元気な姿を皆に見てもらいたいし、行進に送りだしてくれた組合員・友人に感謝したかったから大切だ)。


それだけに愛知県のあと半日を大切にしたく少し力が入り江南市民文化会館を行進スタートする(しかし行進スタート前に、江南市役所に表敬訪問することだったが車の移動で道路が混み、訪問は地元の県内通し行進者を中心でやって頂くよう携帯で連絡、また宣伝カーも遅れ準備も大変)。


またもハプニングだ、天気予報では、曇りで一日大丈夫と思っていたら木曾川を渡る1km弱手前で、スコールみたいな雨を受け行進一時中断、少し大きな広場でお店もあるところで、軒下でカッパなど雨具をあわてて身に着ける。実行委員会の方でビニールのカッパも用意されており、それを借りて着る人も多数。警備して頂く警察の方は準備していなかったのか雨に濡れ、早く行進をスタートして岐阜県に引き渡し任務を完了させたいと思ったのでは。ご苦労様でした、私たちのために。


木曾川を渡るころには、雨も小降りになり雨具も必要ないくらいだ。木曾川から見る犬山城は素晴らしい、初めての私に「横断幕は皆が持つから、カメラで撮りな、この場所がいいよ」などと言ってくれる。


親しい多くの仲間に囲まれ幸せ者だ。橋の上では、県内通し行進者の方が沢田昭二さん(原水爆禁止日本協議会代表理事・名古屋大学名誉教授)を紹介して頂いた、御名前は知ってはいるがお会いするのは初めて、「愛知県に入った時、君は居なかったからな」と名刺を頂き写真を一緒に撮らせてもらう。


引き継ぎも感動の場面だ、県内を行進の先頭を歩いた「原爆の火」に誓いをこめ灯した火を消して、全国の団体リレー旗を各自引き渡す(東京~神奈川~静岡での引き渡し場面と雰囲気は違う)。


岐阜では、引き継ぎ集会後用意されたバスに乗り、各務原市市民公園で出発集会そして市内を行進、行進後は松本さんと別れ明日のスタートの地に向かう。私は、郡上市に自家用車で送ってもらい岐阜県の工程を詳しく車の中で聞く。


愛知県内通し行進者(16人)の方、また県内実行委員会の方、ご苦労様でした。県内行進参加者6400人・4000筆の署名・36万5314円のカンパ、そして市町村の首長さんからの賛同のペナントを含め230本と愛知県での取り組みのすごさに歴史を感じる。有難うございました、長崎でお会いしましょう(和歌山から参加の宮下さんご苦労さまでした。岐阜県での参加の竜崎さんと楽しく行進します、どこかで会えれば嬉しいですね)。

浅田健司日誌(6月11日)

午後、黒潮町役場訪問。「下村正直町長」が署名、募金、ペナントに協力。


午後17:30より黒潮町田の口より平和行進。参加者5人程度で署名を訴えながら元気よく行進。20筆程度の協力を得る。

森 悦子日誌No.3

今日は、午後県庁にて記者会見があります。那覇市に帰宅する新婦人常任委員会棚原さんに同乗させてもらいました。

 

午後13時から県庁記者クラブでおこなわれました。沖縄タイムス社、琉球新報社、沖縄テレビの3社です。初めに沖縄原水協の佐事さんが平和行進の説明をされ、私は昨年歩いたこと、今、高江ヘリパッド座り込みに参加していて、知らされていないことばかりです。見たこと聞いたこと共有したいと思う。原爆症認定裁判の全員救済を、日米安保条約解消、基地のない沖縄を返してほしいです。と訴えました。

 

14日からの行進には、9人の通し行進者がいます。

クリックするとダウンロードできます↓

NAGASAKI_09Course.pdf

※日程、集合場所、集合時刻、コースなど、変わる可能性があります。

6月6日(土)小雨の降る中、51回目の平和行進北海道-東京コース・太平洋側が二戸市で青森県から岩手県に引き継がれました。

 

6月7日(日)時折霧雨が降り気温12度ほどと寒い中の行進となりました。この日は二戸市~岩手町までの行進でした。

 

090607_01.jpg

 

6月8日(月)に平和行進は県庁所在地の盛岡市に入り、市内行進には昨年を上回る150人が参加しました。盛岡市内の行進には盛岡大学と岩手大学の大学生協学生委員会のメンバー15人が手作りのタペストリーを持って参加しました。


090608_01.jpg

 

岩手県内では、普代村で村長が出発集会に参加して参加者を激励したり、野田村で被爆者があいさつをして行進にも参加したりするなど、共同が広がっています。


盛岡市の岩手県公会堂前での歓迎集会で、原水爆禁止岩手県協議会の渥美健三代表理事は、オバマ大統領のプラハ演説で情勢は大きく変わったと強調し、「平和大行進のゴールが見え始めている。核兵器廃絶の国際的合意に少しでも近づくように、歩いていこう」とのべました。


手作りの横断幕を持って参加した盛岡大学と岩手大学の学生らが「初めて参加したが、平和の活動に興味がわいてきた」「(核兵器廃絶は)人ごとじゃなくて、自分たちで何とかしていきたい」などと参加した思いと決意を一言ずつ話しました。そのなかの一人の男子学生が「血を流す戦いを作り出す核兵器をなくすために、僕たちは血を流さない闘いを広げていきたい!」と話してくれました。いわて労連の鈴木露通議長が連帯のあいさつをしました。

 

090608_02.jpg


6月9日(火)は盛岡を出発して、矢巾町を経由して紫波町までの行進でした。盛岡市内にある医療生協川久保病院からは今年も多くの若い職員が行進に参加し全体で100人ほどが歩きました。


矢巾町役場と紫波町役場での到着歓迎集会では、それぞれ副町長があいさつをしてくれました。

県内4つの支線コースが合流する幹線コースの行進は、14日に宮城県に引き継がれます。

矢部常次日記 第36日目

朝の新聞で「東京高裁、政府上告断念 原爆症認定集団訴訟、いよいよ大詰め!」の記事を読んだ。そして、舛添厚生労動大臣が被爆者・原告と面談をしたという。連日による厚労省前での座り込みを継続してのやっとのことだ。


一宮市役所前の出発集会で、昨日東京に原告として行動した原爆被災者の2人の方の姿があった。


挨拶で、愛知の原告の森敏夫さん「私は、2年前の名古屋地裁の判決で原爆症と認められませんでした。中村てる子さんとともに大変悔しい思いをし、名古屋高裁で勝訴できるよう頑張っています。全国の皆さんが、私たち敗訴した者を含めて原告全員の救済を求めていただいていることに感謝します。名古屋地裁は、私の病気がよく判らないとの理由で原爆症と認めませんでしたが、私の受けた病気については、専門的な研究が最近進んだばかりで被爆してから後、私は長い間、理由の判らない疲労・倦怠感など経験してきました。原爆ブラブラ病です、原爆が健康にどのような影響をあたえるかがすべて判っているわけではないのです。ですから被爆との関係が疑われる病気のすべての被爆者を広く救済していただきたいと思います・・・」と、だいぶ大きい文字で印刷したレポート用紙2枚を手を震わせながら話す。


Art202.jpg

▲原告の森さん


被災者の中村さんは娘さんと一緒に参加しており「この子供をどうしてくれるのか・・・」と怒りを込め、昨日舛添厚生労動大臣と面談した一人として生の声を話された(麻生総理・鳩山民主党代表はべつだが、舛添さんはお母さんの介護のことを事を自慢げに話す場面を見たことがあり、世襲問題よりも、原爆被災者・核兵器廃絶など、国としてやるべき事が沢山あるのではと思う、それに労働者派遣法の抜本的改善、一部の経営者の方ばかり見ず、ポーズでなく国民の方を見よと叫びたい)。


Art201.jpg

▲中村さんと娘さん


64年を超えても今なお苦しみ続け、殺され続ける被爆の実相と核兵器の恐ろしさ、政府の対応に新たな怒りを感じ胸が痛み涙ぐみました。


木曽川庁舎でのまとめの集会で、県内通し行進者で地元在住の早川さん「楽しくて仕方がない、来年も歩く...」とうれしい報告。


Art203.jpg

▲オバマさんより黒く日焼け(オバママスク活躍)

浅田健司日誌(6月10日)

午前、行進なしにつき、宿泊地の部屋で活動記録等、残務整理。


午後、四万十市を訪問。「田中金」四万十市長が応対。快く署名、募金、ペナントに協力、市政運営や環境問題等話が弾み、市長応接室で45分程度会談した。


四万十市議会議長、岡村剛承(よしつぐ)氏も署名、募金、ペナント作成に協力。以前大阪にいたこともあるとのことで、大阪市内や堺の模様なども話し合った。


四万十市は美しく整備されており、雄大な川の流れは格別であった。「名水百選の認定」が昭和60年7月22日、黒導川は平成20年6月25日となっている。


午後5時から署名行動に入り、20人程度の参加で60~70筆程度の成果を上げた。

【愛知】09あいち平和行進-あるくNo.11

クリックするとダウンロードできます↓
09.06.10.pdf

松本英治日記No.36

平和行進36日目。曇天後雨。


7時20分宿を出、一宮市役所で9時出発集会。連泊で助かるが、移動距離と朝の早さに閉口!毎日お迎えありがとうございます。


ホテルの朝食は7時からバイキングですが、本日7時20分出発でバタバタ!


9時から一宮市役所で出発集会、市長代理と議長の挨拶を受ける。


移動時間に新聞に目を通し社会情勢を、昨日被爆者訴訟上告断念の記事、全ての被爆者の皆さんに国家補償を!


出発集会での被爆者の挨拶に感銘!被爆され、お子さんが障害を持って生まれ、親子で挨拶に、「よろしくお願いします」と手を握り締められました。


平和行進通し行進者の重い使命を感じます、自治体の首長さんや多くの皆さんから託された思いを抱いてヒロシマ・ナガサキに届けます。たくさんの千羽鶴も!


本日、左右木愛ちゃん(東三河青年合唱団)ギターを抱えて参加、脇谷さんと2台で伴奏、ありがたい!


歌い手が少なく、私も歌いましたよ!


一宮は、繊維産業の街、のこぎり屋根の工場がいたるところに!明り取りの効果が!女工哀史をも思い出す!


尾西庁舎で昼食休憩、弁当いろいろ、うなぎ弁当を!おいしかった~!


市内を歌いながらの行進です、木曽川庁舎で休憩、挨拶で「平和行進50年の積み重ねと、被爆者の皆さんの命を掛けたたたかいを胸に楽しく元気に歩いています。毎日が楽しく、出会いと感動の日々です」と!


疲れより、使命の重さを感じた行進でした!


初めて参加された、皆さんの感想に、感銘!こうして広がり新しい担い手が育ちます。素晴らしい運動です。


カンパ隊に初めて参加した若者の感想は、「ありがとう」と言われ感動!「来年も歩きます!」と!


平和行進の素晴らしさを日々感じて、歩いています。

栖原秀夫日誌No.7

今日は休養日となりました。黒部峡谷のトロッコ電車に乗りに行きました。


宇奈月湖の碧翠色の湖面に掛かる橋の赤色の美しさは本当に素晴らしかったです。自然が作り出した仏石や梟木には自然の不思議と人の願いを感じます。


発電所の職員などがトロッコ電車が運行しなくなる冬季に通う「冬季歩道」という人一人がかがみながら歩くような小さな施設は宇奈月温泉から欅平まで21km以上もあり、この地方の自然の厳しさと暮らす人たちの過酷さと力強さを感じました。

平和行進北海道-東京コース日本海側が秋田市入りした9日夕、秋田市中通2丁目の買い物広場で、通し行進者の五十嵐成臣さんを迎えての秋田中央集会が開かれました。労働組合や団体のリレー旗を持って約100人が参加しました。


主催者を代表して挨拶した斉藤重一・県原水協理事長は、「プラハでのオバマ演説は世界中の人に希望を与えた。核兵器禁止の運動をさらに広げ強めていかなければならないと決意している。われわれの平和への強い意志を示していこう」と訴えました。


県原水協によると、県内25市町村中、10日現在で、11自治体の長と議長が核兵器廃絶国際署名を寄せました。県原水協は「これからも到着するだろう」と話します。


参加者らは「核兵器を廃絶しよう」などと唱和しながら同市中央街区を行進しました。ギターを担いだ男女2人ずつの青年4人は『憲法9条守ろう』だって。こういうのっていいね」と話し合っていました。


同行進日本海コースは11日に、内陸コースは13日にそれぞれ山形県に引き継がれます。

五十嵐成臣日記 5月31日~6月9日

5/31 早朝7:00 北海道原水協の岩渕さん、道内通し行進者の小川さんに見送られ、北海道(函館)をあとに青函トンネルを通り青森へ。


11:30より平和公園で引継集会。250人を超える参加者。医労連、国公、民医連など若い人が多く、ノボリも多く活気のある行進。


6/1からは自治体訪問をしながら津軽半島を1周(蓬田村、外ヶ浜町、平舘村、今別町)。竜飛岬まで行き、五所川原へ。


途中の村々では、ほとんど人が歩いていなく、行進のスピーカーの声だけが響いている⇒五所川原で引き継ぎ集会。


6/2 五所川原市役所より行進(つがる市木造駅、鶴岡駅、板柳駅)⇒浪岡支庁舎まで
通る町々はシャッター通りになっている。郊外には大きなショッピングモールがある。


6/3 元浪岡役場前を出発(常盤村、藤崎村、田舎館村)。それぞれの村を通り、各村々での参加者(その村の行進のみに参加)も加わり、黒石市へ。黒石市もメイン通りはシャッターの閉まった店が目立つ。


平川市を通り弘前市へ、市役所前で引継集会のあと市内を行進。


6/4 弘前市役所を出発。勤医協、国公、生健会、新婦人、コープ会員など80人以上が参加。途中、移動はバス(大型、中型)を使い、大鰐町へ。駅前より古い温泉町の中を行進。知り合いもいるのか、あちらこちらで声をかけ合っての行進となった。


IMG_0001.jpg


この先は碇ヶ関を通り、秋田との引継の矢立峠へ。引継の後、大館市内を市役所まで行進。


IMG_0002.jpg


6/5 大館市役所へ表敬訪問し、副市長と懇談。「核の廃絶は国民の悲願。頑張ってください」と励まされ、北秋田市役所への行進。途中、小林多喜二生誕の地、下川沿を通り、記念碑生家(今は無い)の前にある多喜二が遊んだといわれる一位の古木を見ながら行進。


IMG_0003.jpg


北秋田市役所前で引継。林業の村へ表敬訪問し、副村長と懇談し、この日は終了。


6/6 北秋田市より太鼓の館-北秋田空港を見学。能代との引継のきみまち坂へ。この日は朝から雨。


能代市内まで各町を宣伝カーで行進をする。能代駅より市役所まで行進。雨は小雨になり、公園内で集会。生健会、新婦人、共産党などより挨拶があったが、健保労組から、「能代社会保健病院の存続のため、能代市や自治会と共に運動することになった」との報告。この日はここで終了。


6/7 能代より高速バスで秋田市へ。署名活動に参加。660筆集まったとのこと。高校生の署名が目立つ。


6/8 早朝再び能代に戻り、能代市、八峰町、三種町など自治体訪問のあと、秋田市、土崎地区で平和行進。


IMG_0004.jpg

古い港町で昔は栄えた町だったが、今は人通りも少ない町になったとのこと。


6/9 男鹿市、大潟村などを訪問。男鹿市は漁業以外に産業がないとのことで、募金を断られた。


夕方、秋田駅前で秋田中央集会と平和行進。核廃絶のアピールとシュプレヒコールの声を響かせました。

【愛知】09あいち平和行進-あるくNo.10

クリックするとダウンロードできます↓

09.6.9.pdf

栖原秀夫日誌No.6

氷見市内の平和行進に参加しました。氷見市民会館に集まり、出発集会を行い、まず周辺の家に署名・募金活動。その後、市役所を訪問しながら商店街などを行進しました。


伏木本町広場に集まり、周辺に署名・募金活動に入りました。その後、伏木駅前まで行進しました。参加者は16人。42筆、2,400円が集まりました。歩いた距離は3kmぐらいかな。


昼に富山に戻り、全国的なブランドラーメン店「大喜西町本店」でラーメンを食べました。チャーシューがたっぷり。汁は真っ黒で塩辛く、ライスを取って、一緒に食べると良さそうです。労働者のラーメンかな。


夕方には、富山駅前地下道の「6・9行動」に参加しました。パネルを沢山並べ、タペストリーを掲げて「国際署名」を肉声で呼びかけました。声は地下道に響き渡り、パネルに見入る人、激励の声を掛けて通る人も居ました。終了後、富山県原水協の小林さんの音頭で歓迎会を行って頂きました。

森 悦子日誌No.2

ヘリパッド反対の会DVDを見せてもらい、感動した私です。赤旗で知るぐらいの情報しかなく知らないことばかりです。


反対座り込みはもう少しで2年になります。国は、東村高江の住民に対する通行妨害禁止仮処分命令の申し立てをしており、裁判が続いています。


ヘリパッドの工事は、やられていません。7月には、またやってくるだろうと予測しています。今日座り込み現場に木製のオスプレイの手作り模型が届きました。

 

F1000146.jpg

松本英治日記No.35

平和行進35日目。曇天。


宿を7時半、津島市役所に8時半到着、出発準備をし、8時45分から表敬訪問、市長と議長に面会、9時から議会があり、短時間だが、会っていただくありがたい!メッセージ、ペナント、支援金全て両氏から戴く。


挨拶のみ代理。市役所前のモニュメントに非核平和宣言都市と部落差別撤廃都市と明記、感動!矢部さんが見つけ挨拶に取り入れ!兵庫の八鹿高校事件(新婚時代駆けつけた、1990年神戸祭典で合唱構成「広く深き流れに」)を思い出す。


市内を元気に行進、本日うたごえ隊手薄のため、私も歌って参加、休憩の愛西市佐織公民館までアカペラで!愛西市の副市長と議長の挨拶を受け、名刺交換。両氏が行進にも参加してくださいました。


市内を賑やかに歌いながら、アピールしながら行進、武藤(昌)さんがギター抱えて登場、うたごえが響きます。途中、平和の文字が町中に何と平和町でした!稲沢市平和支所で昼食休憩、平和町が合併で稲沢市に!


出発集会で挨拶、「64年苦しみ続ける被爆者の皆さんがご存命の間にオバマ発言を実行に!」ご挨拶いただいた富田さん(88歳)愛知県原水爆被災者の会(愛友会)広島で被爆。と握手をしていただき、名刺を交換、新たな決意を!


稲沢市内を元気に行進、うたごえ新聞読者の方々に、声を掛けていただきました。「お待ちしてました、元気に頑張ってと」ありがたいです。毎週楽しみに読んでますと!元気が出ます。


市役所で市長と議長の挨拶を受け、行進にも参加していただく。姿勢の素晴らしい首長さんたち!感銘!市内をアピ-ルしながら、歌いながら(滝田さん(フリー)と大森さん(名青)のうたごえが)楽しく行進!


稲沢駅までの道のり、旧街道の町並みが、残り写真に!本日20キロの長丁場、5時半到着、よく冷えたスイカがお出迎え、毎年新婦人の皆さんの差し入れ、名物に!


初めて参加した、医療生協の若者たちが、カンパ隊で活躍、(靴擦れで引きずりながら)初々しい感想を、「いい経験をしました、また参加しますと!」50年の積みかさねと、新たな広がりを感じた行進でした。

浅田健司日誌(6月9日)

午前中、時間的に余裕があり、高知県平和委員会の和田事務局長が平和行進宣伝カーで土佐清水の海岸沿い道路を一巡案内してくれました。


日本列島で最初に黒潮が打ち寄せるという四国最南端の足摺岬・遊歩道の入口に建立されたジョン万次郎の銅像、亜熱帯植物の代表格と言われるアコウの大樹、第2次世界大戦の悲惨さを無言で語る「旧海軍特攻隊の基地跡」など見ることができました。


もう一つ、特に忘れられないのは、この地に「上庄先生を憶う」と表示された「上田庄三郎像が1983・11・10付で建てられていたことでした。


午後、土佐清水市を訪問しましたが、市長不在で総務課長と議会事務局長が応対。非核行政の今日的意義と被爆者問題の実態等、要請行動を行いました。


17時30分からの平和行進には、丈夫な板で手作りのプラカード10枚を用意した全運輸の人たちや、医療生協、新婦人など30人近い人たちが元気に行進しました。

矢部常次日記 第35日目

今日のスタート地点、津島市役所に到着。「おはようございます」と皆明るい。


宮下さん(わかやま市民生協から参加の県内通し行進者)が、津島市は、「セッタ」の生産で日本の過半数を占めている所だよと携帯で調べたことを教えてくれた。セッタ(相撲さんが履く草履)と言っても宮下さんには、なじみ無いのか余りよく知らないみたい。


いつものことだが、私は時間がある限りスタート時点がどんな所か見て回る。そしたら「核兵器廃絶宣言都市 昭和57年3月23日」と「部落差別撤廃宣言都市」の看板(実行委員でいろいろ世話をしてくれる岩倉市議会議員の横江さんがあとで教えてくれたのだが、看板の事を「啓発看板」と言うそうだ)を目にした、私の疑問は「部落差別撤廃宣言都市」に日時が無くいつ宣言されたのか書いていないことだ。


地元の参加者の人に聞くが誰も判らず、激励をいただくため待っていた市職員の方に聞いた。その場で判らず時間があるので、わざわざ庁舎に戻り調べて頂いた。


結果は、「平成5年7月6日に宣言した」とのことである。少し皮肉を言えば、啓発活動であるならば、宣言日時やその経過などがあるといいのになーと感じた。「核兵器廃絶宣言都市」も同様だが市民にどう知らせ活かすかは、行政であり市の財政にあまり負担でなければ付け加えてはと思う。


毎日聞いても良くならない交通安全もそうだが(行政は市民に知らせる努力は、毎年やっていると思うが)。


国民平和行進も愛知県内はあと、今日を含め2日半だ。愛知県ではカンパ隊の取り組みだ、沿道でのカンパと署名を訴え会話することだ、なかなか出来ないことだが1回やると病みつきになると参加者は言う、私は一昨年に東京・神奈川県を通し行進した時カンパ隊(ビラ配布の宣伝が主)をやったが大変だった。


これまでカンパ隊で頑張った皆さんに「ありがとう・御苦労さま」と思い、全国通し行進の横断幕(国民平和大行進)を持って大きな声で沿道に訴え行進。

【三重】みえ平和行進ニュースNo.2

クリックするとダウンロードできます↓
MIE_News_0002.pdf

【三重】みえ平和行進ニュースNo.1

クリックするとダウンロードできます↓

MIE_News_0001.pdf

【愛知】09あいち平和行進-あるくNo.9

クリックするとダウンロードできます↓

09.6.8.pdf

栖原秀夫日誌No.5

高岡市役所での出発集会は雨でしたが、歩き出すと雨は上がりました。

 

泉が丘団地と西高岡駅付近と福岡町の八幡神社付近で署名・募金活動を取り組み、76筆・6,546円を集め、福岡町の中央公民館で到着集会を行いました。

 

およそ15kmぐらいを核兵器廃絶を訴えて、元気に歩きました。参加者は47人、神奈川と比べて教員や生協労組員や国公労組員が多いようです。晴れて良かった。

松本英治日記No.34

平和行進34日目。快晴。


7時半宿を出、瀬戸市へ、宮川モールで9時から出発集会、さすが焼き物の町、いろんな物が、焼き物で!案内板も陶板です。じっくり散策したいが、だめ!


本日も加藤さんアコを担いで、県内通しの藤山さんと、早川さんと、武藤(昌)さんが歌って行進、私は、パーランクで!無くなっていた、バチは他の車で発見。市内を賑やかに行進し、瀬戸市役所へ、河川敷で太鼓演奏でお出迎え(ばたばたしてチーム名聞けず)!


私は市に表敬訪問、議長さんがペナントを、市は無し、市町代理がメッセージを!名刺を渡す。尾張旭市へ歌いながら、コールしながら行進しました、市民会館で歌でお出迎え、ハリバ山耕平氏ギターで演奏、松原、高見さんも歌って、タスキに名前を!


昼食は市民会館で、食事をしながら交流会も、通し行進で挨拶!市内を賑やかに行進し、市民にアピール!大森東島公園で休憩、新婦人のフラダンスでお出迎え、心が和みました。


守山市内を元気に行進、95歳のおばあさん(長沼よしえさん)が元気に行進。上空を自衛隊の真っ黒な輸送機や、ジェット機が飛び交います。異様な風景!守山自衛隊前で牛歩で被爆パネルを掲げて抗議、要請も!


近くの守山生涯学習センターで終結集会、地上8階地下1階の馬鹿でかい建物が、血税で!演習として、通勤時間帯に装甲車や、戦車が、街中を、通勤も迷彩服で、市街戦訓練用の施設も建設、海外派兵の臨時施設も!愛知で一番募金の集まるコースで、カンパ隊活躍、544筆の署名と、8万4162円の募金が集まり記録を更新しました。


守山医療生協のコーラス(14人で折鶴と青い空は)を入江(名古屋青年合唱団)さんのアコ伴奏で会場の皆でうたいました。参加者全員に、(平和のお手玉、おばあちゃんの手仕事)が配られました。


集会後、武藤(いくら)さんの手配と、入江さんの車で、林学さんの自宅にお線香を上げに!名古屋で会う約束をして、4月28日にお見舞いしたのに残念です。自宅を記念館にと言う話も?ここでたくさんの優しい曲が生まれたのですね!約束を果たして、お別れしてきました。

矢部常次日記 第34日目

瀬戸市は焼き物の街である、宮川モールに着くなり時間があるので、近くを見て回った。

近くに、川があり橋の欄干には焼き物のタイルが貼られ時代を感じる。またこの地は平和行進の財政の一部になるピースグッズ(核兵器をなくそうのピースウォークの小旗など)がここで作られ、全国で売られ活用されている。地元出身の県内通し行進者、田中詔子さん(めいきん生協)は、行進スタート・休憩時間には、休む時間もなくグッズのお店を出し「今年は、このグッズが人気よ」と行進参加者に宣伝して買ってもらう(まるで笑いを誘う「男はつらいよの寅さんみたい」・・・)。


行進に対する地元の歓迎もいろいろ工夫され、行進の疲れを癒してくれる。河原が道路をはさむ瀬戸市役所では、河原で地元のサークルのメンバーが元気のよい太鼓の演奏で出迎えてくれ、大森東島公園では、ブルーシートを敷き新婦人の小組(7人と子供1人)のみなさんがフラダンスで歓迎(参加者からは『アンコールの声』・・・)。


瀬戸市役所から行進に加わった、平和行進に参加初めての病院に務めるという加藤さん「昨年、何かの行事で平和行進を知り、夫婦でよく旅行はするがこんな行進に参加してみたいと思っていた。今年初めて旦那が務めなので朝の用をすべてやり、地元の知り合いがいないが、思い切って参加しました」と私の隣で歩き話をした。


尾張旭市民会館の昼食後、出発集会で司会者の方に頼み加藤さんにマイクを渡し初めて参加の感想を話して頂いた(少し強引だったのでビックリしたようだったが、その前に一人初めて参加の感想を話した事もあって、感想をとくとくと話してくれた。・・・その後、私に感謝して「うまく話せなかったが話せてよかった。良い友達もできそう、これからも毎年参加したい」と言って頂き、私の強引な行動に安堵し終結場所まで歩いた。


もうひとつ感動することがあった、それは95歳の長沼ヨシエさんが大森東島公園から守山自衛隊前、そして終結場所(守山生涯学習センター)まで行進、最初は行進の先頭だったが一歩二歩と遅れるその横を県内通し行進者の遠藤錦子さんが手を差し添えて一緒に歩く姿があった。


終結集会の終わりに平和歌集を全員で歌い、おばあちゃんも歌集を見て口ずさんでいた、そして参加者全員に「平和のお手玉 おばあちゃんの手仕事」のおみやげをもらい解散。

森 悦子日誌No.1

沖縄⇒長崎コースを通し行進する森悦子さんは6月8日から沖縄入りしました。日記を紹介していきます。

 

朝9時発の飛行機で着きました。高江のへりパッド反対の座り込みに参加しました。空港から遠く離れており、驚きました。今晩から青い家にお泊まりです。その様子は明日のお楽しみに。

浅田健司日誌(6月8日)

午前9時30分、高知県平和委員会・和田事務局長とともに三原村役場を訪問。久保知章村長、川村議長、木戸議会事務局長が応対。私たちの要請に応え、ペナント、署名、募金(5000円)に協力を得ました。


午前11時、宿毛市に到着。市長不在、議会事務局長、寺田市議会議長、企画課長他、2人の職員が応対。私たちの要請内容については、別途検討する旨表明するのみで、署名や募金協力は得られなかった。


その後、2006年及び、2008年の2度にわたり、イージス艦が入港したという宿毛港を見に行く。港を見下ろせる山の中ほどに、昔の日本軍の貯油庫や弾薬庫、魚雷等の入っていたという古いトンネル跡が数ヶ所にあった。


午後2時、大月町役場に到着。町長が応対。署名、ペナント、募金にも協力してくれる。大月町ではすでに住民過半数の署名協力があったという。


その後、「おおつき九条の会」事務局長であたご館(本田地区「ふれあいサロン」)館長の安田勝氏宅に着き、あたご館開きの話など聞く。


午後5時40分より大月町内を平和行進。29人の参加、沿道募金2500円が寄せられました。

クリックするとダウンロードできます↓

KAGOSHIMA_09Course.pdf

クリックするとダウンロードできます↓

MIE_09Course.pdf

矢部常次日記 第33日目

人間は勝手だ、快晴だと気持ち良いが、雨や梅雨時などは歩きたくなくなり文句の一つを言う。


今の時期は、良い気候だし日曜日、行進参加者も多くなることに期待。


本日は、名古屋市内の14コースから出発して市内中心部に12時30分から13時30分に若宮広場へ合流する。平和大好きマラソンもあり毎年盛り上がりもすごく、今年初めてのコースもある。


私たちは、本コースの中村公園(豊臣秀吉を祭る公園)に参加、健康散策園路があり散歩やジョギングに利用下さいと看板があり広い。参加者が集まってくるその中に「おにぎりの会」と言う大きい桃太郎旗を持った数人の姿があった。(旗には、中村区役所前炊き出しボランティア)と書いてあり、話すと彼達は、派遣村で相談活動をするなかで相談してきた派遣で働く労働者だ、そして多くの仲間のためと、中村区役所前炊き出しボランティアをやる若い青年・・・いっしよに写真を撮ろうと言うが恥ずかしそうになかなか入らない。・・・しかしカンパ隊など初めてと思うが繁華街の沿道で署名とカンパを訴える・・・。


中村公園を行進スタートの時は気付かなかったが少し歩いた時、沿道で私たち行進者を見ながら歩く小学4年生の子供がバッグを肩にかけている。「いっしょに歩かないか」と話すと隊列に加わり通し行進の横断幕を持って私の隣を歩く。誰もがどこの子だかわからなく、どこまでもヤンチャに歩くので心配で話すと「去年も歩いたよ・みんなのあとで後ろを歩くのってつまらない・歩くなら先頭がおもしろい、そして一番聞きたかった事を最後に、お父さんは後ろにいるよ」と恥ずかしそうに話す言葉を聞き安心。


途中の休憩場所(茶の木島公園)で、バックを持ってもらい昼食の西柳公園まで行進。茶の木島公園でもう一人、お父さんと歩く小学4年生位の子供がいたが「先頭は恥ずかしい」と、お父さんと行進。


若宮広場に私たち行進団が到着した時は、「2009 ピースアクション」は始まっており、和太鼓(熱田区のグループ「宮っ鼓」)の競演に迎えられ、すこし経って平和大好きマラソンのメンバーが入ってきて来て大きな拍手。最後の行進団が来た時はさらに大きい声援となった。


参加者は、2000人、本日だけの国際核廃絶の署名907筆・カンパ3万9750円との報告で広がりの大きさに驚きだ。愛知県原水爆被災者の方も10人椅子に座り、参加者はコンクリートの広場に座る。全国・県内通し行進者は前列に横断幕を並べそこに座る。各行進の報告と通し行進者の紹介と短い時間だが松本さん・私そしてわかやま市民生協から参加の宮下さんが発言の機会を頂き、参加者の笑いと真剣に聞く視線を受け話させていただいた。


17時から青年主催の交流会に向かう為公園から歩く、そしたら別の公園でミニコンサートをして、今終わりあとかたづけするグループに会い責任者の野田さん、「最近屋外でコンサートをやる個所がなくて困っている」と話しかけられ、私がタスキとオバママスクを持っているので、「どんな事をやっているのか?」と聞かれ「国民平和大行進の事」を話し、横断幕を持つ松本さんと私の写真を撮ってくれ、自分たちのブログに入れると話してくれ名刺交換。(ブログの内容を見てみたい・・・)


青年交流会後、うたごえとJMIUの仲間数人で二次会。ここでも隣の席にいた若者にも声をかけられた「何の目的で歩くのか」と言い国民平和大行進のことを話すと「俺もそんなことやってみたい」と飲んいるけど真剣、「明日参加しては」と話すと「月曜で休めない」と言う。・・・インターネットを見て来年参加をと会話、最後に「広島まで頑張って元気で歩いて下さい」と激励を受ける。

【愛知】09あいち平和行進-あるくNo.8

クリックするとダウンロードできます↓
09.6.7.pdf

【愛媛】高知へ引継ぎ

栖原秀夫日誌No.4

富山県庁前から出発し、射水市を通り、高岡市まで、5箇所で署名活動し、188筆、26,151円を、181人で集めました。12kmぐらいの平和行進でした。街中を行進したので、沢山の人々に声を掛けることができました。

 

0607_TOYAMA.jpg

▲途中から行進が速くなり妹を背負って歩いた兄妹愛に感激し、3ショットを撮る。

松本英治日記No.33

和行進33日目。快晴。
 
 
本日は11コースと平和大好きマラソンが名古屋市内で繰り広げられました。
 
 
私たちは、宿を8時に出発し地下鉄で中村公園へ、豊臣秀吉(日吉丸)生誕の地で秀吉が祭神の神社が中村神社です。
 
 
9時から出発集会、日曜日で多くのコース設定ですが、うたごえはここに集中、ギター2台(脇谷・山岡)アコ(加藤)シンガー(武藤<イクラ>、山崎、中山)で9時半歌いながら賑やかに市内行進。
 
 
休憩の名古屋駅前の西柳公園で西北コース2が合流、地下街で昼食、念願のラーメンを!(宿の近くで夜食にもとんこつ、今日はカレー、旅をしてると弁当や定食が多く、らーめんやカレーが食べたくなります)。
 
 
京都生協の沓脱さん(奥さんはうたごえ、東京の出発集会も)が新人さんの若い女性を連れて、平和行進追っかけ参加。握手を!
 
 
集結地で2009ピースアクションのある若宮ひろばまで、繁華街をアピ-ルしながら賑やかに楽しく行進!
 
 
1時半のオープニングには、間に合わず、歓迎演奏の宮っ鼓(熱田区のグループ、女性中心)の和太鼓演奏から参加。舟橋さん登場握手!
 
 
通し行進者の紹介で挨拶「被爆者の皆さんの命を掛けた闘いと、50年に及ぶ平和行進の草の根の力がオバマ発言を!実現させましょう、生きてる間に!非核神戸方式も」
 
 
矢部さんも!県内通しの皆さんも!被爆者の訴えと原爆訴訟原告の皆さんと「いのちをかけて」と「HOPEヒロシマ・ナガサキから」、を名古屋青年合唱団の皆さんと一緒に歌う!
 
 
参加団体の訴えの後、折鶴平和行進へ、一番の繁華街・栄へ、うたごえの皆さんと歌いながら歩く!
 
 
流れ解散で、青年交流会の民主会館へ、日本福祉大と民青同盟の若者とうたごえとJMIUとの交流会で、私たちの若かりし頃を語り、今の若者たちの真摯な考えに共通点を見出し感動。社会変革の立場で交流出来て、貴重な時間を!

浅田健司日誌(6月7日)

午前10時より、えひめ南農協御荘支所前で出発集会。参加者20人弱。小学3年生の孫を連れた80歳近い人も見送りに来てくれました。


集会後、愛媛、高知の県境まで行進。11時40分頃到着。


午後12時より引継式を開催。高知県側を代表して県平和委員会事務局長の和田忠明氏、新婦人代表等より挨拶。


引き継ぎ式終了後、愛媛の参加者に別れを告げ、高知県内行進をスタート。


午後2時すぎ、三原村役場に到着。昼食後署名行動に入る。その後平和行進で村内一周。

松本英治日記No.32

平和行進32日目。曇り後晴れ。


7時40分宿を出、小牧空港を見学、自衛隊の輸送機3機見学、地域の活性化のために、ブルーインパルス(曲芸飛行)の配備が計画されていて反対運動が!騒音と墜落事故が心配!騒音の花が?


本日5コース同時出発で、小牧市役所へ、9時から出発集会。市の関係者の挨拶を受け名刺渡す。


市内を歌いながら行進。昨日雨のため、太鼓は叩かず宣伝カーに積んでいましたが、本日バチが見つからず、音なし行進となりました。県内通し行進のの早川成子さんと、藤山さんが歌ってくれます、私にもマイクが、伴奏無しでアカペラ歌いながら行進しました。


小牧基地の手前で2コース合流、代表団を作り基地に要請行動、正門前に2重のバリケードが!名刺を出し柵越しに要請書を手渡し、要請文を読み上げ当直の三佐が対応するも、名前も名乗らず!国家権力の姿勢を見た思い!無礼千万!


美濃町公民館で昼食休憩、お弁当の他に、サラダ、フルーツが!ありがたい、心のこもった接待に感謝!太鼓を出し、桜の枯れ枝で簡易バチに!摺り鉦でリズムを取る人が、楽しく合わせて歩きました。


途中で1コース合流、歌い手が少なく私も!行進参加者よく歌ってくれます。JR勝川駅前で2コース合流、休憩時、太鼓の歓迎演奏が!中学生と大人のチームでした。七尾の豊年ばやしでお出迎え。休憩時3曲演奏(ぶちあわせ太鼓、屋台ばやし、太鼓ばやし)うずうず!名刺を渡しお礼を言って行進に!


春日井市役所ロビーで終結集会、市長代理と議長代理の挨拶を受け、お礼に名刺を!広瀬まりさんの歌とアコの伴奏で歓迎演奏、名刺を渡し、タスキに名前を!所属は無く、ソロのシンガーで、愛知北エフエムのパーソナリティでした。手話を入れて素敵な演奏でした。「折鶴」を!


コープ春日井店で歓迎交流会、挨拶の合間に、先ほどのアコとまりさんも参加で大うたう会を武藤(昌)が担当、行進中昼からギターを弾きながら参加してくれました。私もマイクで一緒にうたいました。お礼に「木遣り」唄を披露しました。先ほどの太鼓チームの指導者の先生も!英語の先生がオバママスクを被り、英語でプラハでの演説を!感動!楽しい交流会でした。

【愛知】09あいち平和行進-あるくNo.7

クリックするとダウンロードできます↓
09.6.6.pdf

栖原秀夫日誌No.3

滑川市役所から富山市役所まで167人の参加者で平和行進(約11km)し、署名357筆、募金51,648円を集めました。

 

目立ちたがり屋の私は、人の多い市街地での行進が一番気持ち良くできました。

 

TOYAMA.jpg

▲6月6日富山市生協北部センターにて

矢部常次日記 第32日目

昨日と変わって朝から晴れた。本日の行進は、5コースで昼過ぎの14時頃すべて合流して行進する感動的な平和行進になった。


高蔵寺弾薬庫前を通るコース、西山駐屯地を通るコース、小牧東部の桃花台コース、豊山町役場から出発するコース、そして、本コースの小牧市役所を出発して小牧基地を行進するコースだ。


私と松本さんは、本コースに参加(少し言わせていただくが、5コースが計画され、これまでの地元や実行委員の皆さんの努力で築かれた、あいち平和行進だと思う、2人一緒のコース参加はもったいないと感じた。ケースバイケースがあり、愛知県の事をもっと知り話さなかった自分に反省、表面だけしか見れないので)。


仕事で自衛隊基地にも入ることがあり、小牧基地について多少仕事関連で知っている。最近はそうではないが、自分がこの仕事に従事していた約30年前に1回、自分に浴びせられた防衛省(旧防衛庁)の失礼な攻撃に今でも怒りを感じ収まらない。ついそのことを話し、知り得たこと(大したことではないにせよ)話しまいそうでなので、朝の全国通し行進者の挨拶は松本さんにやって頂いた。


しかし小牧基地への「核兵器廃絶2009年あいち平和行進における航空自衛隊小牧基地への申し入れ」での対応に更に怒りを感じた(これまでも自衛隊の人と話しても良い人が多く親切なのに)。


任務がそうさせるのだろう、ゲートは2重で警備は奥のゲートだ。私たちの申し入れに対して、奥から若い隊員が来て上司を呼んだが、その方は申し入れ書と松本さんの名刺を出したが、受け取らず私の1枚のみ受け取り参加者全員が名前を話したが、名前を言わず階級はと聞くと「見れば判るでしょう」と最後まで沈黙。地元自冶体の反対決議や住民の心配に真剣に検討して回答または実施するか、それより、この申し入れが机の上に積まれる事になるのではと感じた。


1、小牧基地の機能強化を行わず、アメリカ軍に使用させないこと。
2、海外に派兵している自衛隊を、すみやかに撤退させること。
3、空中給油輸送機及び機動衛生隊を小牧基地に配備しないこと。
4、ブルーインパルスの展示(曲芸)飛行は行わないこと。
5、名古屋空港の管制を国土交通省が行うよう防衛省など関係機関に進言すること。


申し入れはこの5点の内容だ。基地を抱える住民は事故が起きたら安全など死活問題と思う...俺には関係ないと思う最近の人は「申し入れ」にどう思うのだろう、やはり関係ないと思うのかな?...「1点でも賛成できないのか」と問いたい。...マ二アは喜ぶが...


一日の終わりに、ピースフェスタ春日井・愛知平和行進小牧共同連絡会の共催でステーション上八田店で店長の歓迎挨拶で交流会が行われ、私は焼酎のお湯割り・手作りの料理とすいとんで、楽しい時間を過ごさせて頂き幸せ。


ここでもオバマのマスクが活躍、オバマ発言を高校の英語の先生がマスクをつけ「プラハでの発言の要点をスピーチ」をする(当然、通訳を同席させてのスピーチ...会場は、盛り上がる)。

【青森】三八地区を3日間で199人が行進

平和行進三日目の6月6日、例年と違って五戸町と新郷村の行進を実施しました。雨は落ちていましたが、横断幕とリレー旗、胸のゼッケンで核兵器廃絶を訴えました。行進団20人程度に移動用の車列が続きました。五戸町では赤坂町議、新郷村では山岸村議で行進に加わりました。


GONOHE.jpg

▲五戸町での平和行進


三戸町役場で、青森・八戸からの参加者と合流して行進しました。


MITOMACHI.jpg

▲出発前に三戸町役場前で


金田一温泉駅前には予定より早く到着したのですが、岩手県側がすでに待っていたので、そのまま行進し、13時50分に引き継ぎました。


KINDAICHI.jpg

▲金田一温泉駅に向かう青森県行進団


引継集会では、内田県原水協代表理事が三八での行進と非核都市宣言や非核日本宣言の取り組みを紹介、岩手県側からは市町村合併後の取り組みで県内全ての自治体で非核都市体宣言を採択していることが紹介されました。参加者は青森県側は30人余、岩手県側は40人余でした。子どもたちも平和行進に参加しているのが印象的でした。


三八地区の平和行進は、今年の目標は「三日間で200人を超える参加者を」でしたが、事務局の集計では199人、目標は達成されたと考えていいと思います。参加のみなさん、お疲れ様でした。

浅田健司日誌(6月6日)

今日の予定は行進ではなく、現地実行委員会の「署名行動日」として位置づけられていましたが、署名行動予定地までの(主要駅頭ターミナル)車の往復配置が困難とのことで(片道2時間弱)現地実行委員会の方たちとの交流会のみとなりました。


私たち通し行進者(野口、浅田)を含め8人の参加で、行進の経験談などを語り合いました。

栖原秀夫日誌No.2

黒部市役所前を出発し、平和行進(約12km)と署名集め(4回)を行いながら魚津市、滑川市と進みました。

 

魚津市役所では澤崎義敬市長と山本弘吉議長が出迎えてくれました。市長は「今年は平和市長会議を代表して世界大会に参加する」と表明し、参加者は強く励まされました。

 

市役所や公民館に置かれて集まった署名246筆と341筆の職員の署名も頂きました。

 

戸別訪問では、121筆と19,023円が集まりました。

【青森】南部町と三戸町で町長が署名

今日は、市庁から司法センターまで、南部町・孔明荘あたりから役場まで、三戸町入り口の橋のあたりから町役場までを歩きました。全部で7㎞くらいです。雨はたいしたことがありませんでした。


南部町ではペナントに町長直筆の署名をいただきました。南部町は全国に3町あるので「青森県南部町」と記入したと話していました。署名はいち早く、昨年末に送っていただきました。三戸町では、町長さんから「核兵器のない世界を」署名もいただきました。


田子町は宣伝カーだけの訪問で行進は行いませんでした。3町それぞれで、賛助金の協力をいただきました。

【愛媛】愛南、津島行進

矢部常次日記 第31日目

朝から久しぶりの激しい雨だ。(しかし30日間で5日くらいしか雨に降られていないのでついている)。


雨だから準備は大変だ、毎日の行進ニュースを配布・宣伝カーに平和行進の横断幕の取り付け、そして全国通し行進のリレー旗を車から降ろし並べて参加者を待つ。


出発集会が始まる(市役所前の広場を借りているのだから仕方がないが、警備の人が使用許可を取っているのか・ここの範囲で場所をと規制、煙草は敷地外でと注意する・・・そう言えば名古屋市は市長が新しく選ばれたばかりで、理解ある市長だと思っていたが、そうではなさそうだ・・・)。


行進スタートとなると、松本さんは数人で市長・県庁に表敬訪問、そして私は清須市・春日(はるひ)町・豊山町へと表敬訪問のため車で出かける(松本さん、2人とも行進から離れるので「全国の国民平和大行進の横断幕」を誰が持ってくれるのかと心配する)。


道が混み、また市長村の合併で市役所の場所が支所もあるので間違え、約束の時間から大きく遅れ清須市役所に到着。しかし清須市役所では、今年初めて副市長さん・副議長さんが待ってくださり、私たちを温かく迎えて頂いた、瀬尾副市長さんは歓迎・激励の中で「小学生の時、広島へ行き原爆資料館を観てのショックと胸に刻んだ思い」を語り私たちを励まして下さった。


連絡してあるとのことだが心配しながら春日町役場に到着。議会中だが議会を休憩して会って頂くとのことだったが、歴代の町長さんの写真のある町長室に案内された。すると、はつらつと体格の良い品格のある河合幹雄町長さんと後藤町議会議長さんそして加藤町議会議員さんが部屋に入ってこられた。


名刺を交換して挨拶、予定の時間を私たちの勝手の都合で変更したことをお詫びすると、町長さんは、この場の緊張を解き放すように「平和行進ご苦労様です、皆さんの要請については、本日の議会で、加藤議員の一般質問で、私も同感であり『すべて賛成して実行する』と答弁したばかりです」と堅苦しい挨拶・52回目の平和行進の歴史、そして今オバマ発言で大きく情勢が変化していることを私たちが話すより先に話され、和やかで温かい表敬訪問でした。


私に対しては、「90日間歩くのだから、トライアスロンなど何かスポーツやっているのか・足や体は大丈夫ですか」と温かく激励して頂いた。


今年の10月1日に清須市と合併するが、春日町は全国で一番小さな面積の町(村を入れても3番目)で合併しても春日町の良さを残し、議員歳費の浮いた分は福祉と平和施策に使う事を条件で合併する。私は失職するが、農業をして町の事はボランティアで援助する。自信と確信を持って話される町長さんの言葉に感動し、こんな方が、名古屋市・愛知県のトップいや国会議員になって頂きたいと思い、固い握手と写真を撮らせて頂いた。


3ヵ所の表敬訪問を終わり行進に合流して「こんにちは、平和行進です」と大きな声で沿道に呼びかける。

松本英治日記No.31

平和行進31日目。雨。


朝から雨、宿を7時20分発、8時10分名古屋市役所で出発集会、武藤(イクラ)ちゃん登場、引継ぎ集会でも歌われた、被爆者集団訴訟を支援して「いのちをかけて」武藤昌代・藤村記一郎詩曲、を雨の中ギターの弾き語りで二人で演奏、心がこもり素敵!


私も挨拶、オバマ発言に対する被爆者の皆さんの涙雨です、実現させましょう、非核神戸方式を!


行進団に横断幕を託し、名古屋市と、愛知県に表敬訪問、市は、例年通りの回答で、市長が変わったのに変化もなし、失望!沿線の自治体の対応と、非核神戸方式を宣伝。県も紋切り型の回答で、平和市長会議の要請も、担当者が認識していない始末に、叱責!各担当部署の関係者が出てきたがお粗末!首長に伝えるよう確認して、行進へ!


北名古屋市文化勤労会館で合流、昼食休憩。雨の中歌いながらの行進です、ポンチョの中でエレキギターを弾き伴奏、武藤(昌)のうたごえが響く、3時半岩倉市へ到着、庁舎に「非核平和宣言のまち」の懸垂幕がよく目立つ!会議室で、表敬訪問、副市長と議長と懇談、真摯で適切な対応の敬服!県、名古屋市との違い明確、支援金、ペナント、署名を預かり、集結集会でも挨拶していただきました、宣言に恥じない平和行政を展開されています。小学生の広島・長崎での平和学習などなど!沿線の自治体の対応の違い、進んだ所を紹介し、非核神戸方式を宣伝!オバマ発言の影響か?自治体の対応に変化が!


通し行進者の仕事を果たしています。岩倉の年金者組合との交流会に!諸先輩の貴重な体験を聞く。町長をされた、大長さんの話は、ぴか一!自治体交渉の典型!県内通し行進者の、募金集めの経験は、署名を勧め、カンパをお願いし、ご苦労様ですと言って頂くと募金も集まると!80歳位のおばあさんが3千円の募金を、千円だけいただいた話に感動!毎日、素敵な出会いとドラマが!

【愛知】09あいち平和行進-あるくNo.6

クリックするとダウンロードできます↓
09.6.5.pdf

浅田健司日誌(6月5日)

宿泊地から愛南町まで約1時間半、自治労連の車で宇和島を走りました。小高い山が多く、トンネルを通り抜けるとすぐ目の前に美しい港が広がります。真珠の養殖も多いそうです。


"日本一の漁港"と言うだけあって、数多い漁船に驚きました。目の前を観光バスが走っていましたが、私たちの車からは平和行進を大きく呼びかけながら進み、沿岸で働く人々も良く手を振って応えてくれました。


愛南町役場では、清水雅文町長が応対。私たちの要請に応え、署名やペナントに協力。募金も5000円用意してくれていました。


夕方6時から津島市所の隣、岩松公民館前で集会を開催。雨の中でしたが、20人近くの人たちが参加。約1時間余り元気に行進しました。

青森県三八地区の平和行進(太平洋コース)の様子です。


 

Koushin.jpg

▲上十三代表と合同の市内行進

6月4日、上十三地区からの平和行進が八戸に到着しました。例年通り三八教育会館で待ち、すぐ市内行進を行いました。今年は昨年よりも参加者が増え、行進の列が長くなりました。顔見知りの市民劇場のひとが、知ってる人が多いので一緒に歩いていきますと列に加わりました。仕事を終えて合流する人もいて、引き継ぎ会場到着時は130人を超えていました。

 

HIKITSUGI.jpg

▲八戸市庁前で引き継ぎ集会

市民広場の引き継ぎ集会では、リレー旗やのぼりを引き継いだ後、上十三地区・苫米地氏が通過市町村の首長・議長から「核兵器のない世界を」署名が寄せられたことを紹介しました。三八地区・内田氏は、三八地区では非核日本宣言の取り組み(5市町村で意見書が採択されている)がすすんでいることを紹介しました。


市長、議長のメッセージが読み上げられ、最後にうみねこ合唱団のリードで原爆を許すまじをみんなで歌いました。なお、議長からは「核兵器のない世界を」署名もいただきました。


雨の中の行進、集会でしたので事務局担当として頭が下がる思いです。医療生協&八医労は50人を超える参加でした。職安分会、年金者組合、新婦人、全法務のみなさんも多数の参加でした。

矢部常次日記 第30日目

本日で歩き始めて30日だ、今日歩けば30日になり行程の3分の1になる。嬉しい事が出来、多くの人に会い沢山の励まし、それに託された願いに足取りも軽い。


常滑市役所は、すぐ近くに中部国際空港がある(仕事の関係で職場の仲間は空港に来ているが、私は来たことはなく、又別の用事で名古屋には来ても常滑市には来ていない)。思わず、全運輸中部航空支部中部空港分会の行進参加の皆さんと写真をいっしよに撮らせて頂きまた、始業前の職場に携帯電話。


全国通し行進者も大変である、松本さんと2人なので交代だが各自冶体に表敬訪問をする。


県内通し行進者、原水協・平和委員会の人、それに地元の人などでチームをつくり訪問(あらかじめアポをとり、事前にお願いしてあった市町村への5点に渡る「あいち平和行進」としての行政へのお願いに対する回答と挨拶・懇談である)。


私はこれまでの行政の対応は良く知らないので、失礼のないよう少しは考え、52回目の国民平和大行進の重み、とりわけ今年の核廃絶についてのオバマ発言での世の中の動き、それに30日間の自冶体の取組の特徴など話す(私は、組合でいろいろの会社経営者の方とお会いすることもあるのだが緊張する。・・・あとで短時間にせよ表敬訪問したメンバーで話し合うので少しずつ慣れる)。


本日は、東郷町・日進市に表敬訪問。今6月議会で大変忙しい中対応して頂く、しかし行政毎に対応はまちまちである。非核都市宣言を決め取り組んでいる所、それとも財政難・他の県内行政の動向を見てから施策に入れるなど様々(住民はどう感じているのだろう、平和は大事と思っているのでは)。


昨日は、KATCHという、知立市を中心とした地元のケーブルテレビ局が取材にきており、今日の朝まで数回放映される(タイトルは知らないが『核兵器のない平和で公正な世界を』についての国民平和大行進は、どんな反響だったのだろう)。その他、地方の新聞社からの取材もある。


時間は遅くなったが、甥(東京に住む姉の子供で5年前転勤で愛知に努める勤続10年)と東海市太田川駅近くで、松本さんと3人で食事をした。彼いわく「何で90日も歩くようになったのか」との疑問、インターネットで「平和行進2009」を見てくれと話すと少し見たと回答。ホテルに帰って姉に電話・・・。

北山村平和行進 村長さん熱烈な拍手
6月3日、曇り時々雨。新婦人のUさんとふたりで、余裕を持って教育会館を宣伝カーで出発。紀宝町に入り、船田にさしかかると、工事のため通行止め。警備会社の人が迂回路を指示。仕方なしに狭い道へ。その後、アクシデント?に出会う。何てことだ。その後はゆっくり北山村へ。


午後5時には奥田村長も出てこられたが、地元の人はまだ誰も...心配していたが、定刻5時15分になると、20人の役場職員や焼酎の先生が参加。玉石晃久氏の地元代表挨拶から始まり、奥田村長の熱いメッセージ、いつものように集会が進んで、平和行進に移る。


村長さんの熱烈な拍手に見送られながら、10人あまりの平和行進が静かな北山村を元気に歩き続けた。村長からの賛助金、沿道募金は千円でした。


串本町平和行進 今年は歴史的な年に
6月4日、曇り時々雨。午後3時40分、文化会館に集合し、平和行進用の風船を30セット作る。


午後5時15分、90人の参加者で串本町役場前から平和行進がスタート。串本町原水協の藤田勝彦代表は、「今年は歴史的な年になる予感がする。アメリカのオバマ大統領の演説は感動的だった」「今年の世界大会の成功が、来年の核不拡散条約再検討会議に強力なメッセージとなる」と挨拶。


町長、議長メッセージの代読、共産党の国重氏から連帯の挨拶と続く。この後、強風の吹きすさぶ串本町を、たくさんの風船を揺らしながら平和行進。町長・議長から協賛金を頂、沿道募金は1万7千円を超えました。和教組女性組合員の奮闘はすごい!

【愛知】09あいち平和行進-あるくNo.5

クリックするとダウンロードできます↓
09.6.4.pdf

松本英治日記No.30

平和行進30日目。曇り後晴れ。


7時10分宿出発。車で常滑市役所へ、中部国際空港近くの広い駐車場で出発集会。市町代理の挨拶を受け、ペナントと募金戴く。被爆者の挨拶「原爆症認定裁判18連勝だが、厚労省は、上告期限の11日の後に面談すると言う。被爆者の皆さんの命を掛けた闘いに終止符を!」私も挨拶、「東京を出発し30日。やっと三分の一、元気に歩きます」


今日も加藤さん(OH人生男性合唱団)アコ抱えて!歌いながら市内行進、休憩時歌ってもらった武藤ちゃんと「コール東海」の小林、松本「合唱団知多」の大西、竹内さんにタスキにサイン!他に富田(OH)柴田さんも!多くのうたごえの仲間の参加で心強くありがたい!名鉄大野町駅まで歌いコールしながら歩く。


常滑は、焼き物の町、ゆっくり見たかった、残念!電車移動で知多市役所へ、市民会館の和室で昼食休憩、助六弁当、目先が変わりありがたい、美味しかった。


知多市の挨拶を受け、歌いながら市内行進。私もマイクを持ち「ねがい」「大きなうた」「たんぽぽ」を歌いながら歩きました。途中アコの調子がわるくなり、修理しながら何とか東海市役所に3時に到着、市役所のホールで集結集会、150人の行進でした。


通し行進者の自己紹介、表敬訪問に行ってる(矢部他)2人を除き初めて紹介されました、県内通しは16人で時間が無く、いつも省かれてました。1歳の幼子を抱いたお父さんが挨拶「この子のためにも平和を」拍手に包まれました。比較的楽な行程でした、終了後、矢部氏と甥っ子さんと待ち合わせて食事に!9時半に宿へ!

浅田健司日誌(6月4日)

午後12時、宇和島市吉田支所前で出発集会。行進に入る。13~15人程度であったが、みんな元気で沿道から手を振ってくれる人も多かった。


行進参加で私たちを待っていてくれた人の中に、以前、大阪原水協・大阪平和委員会で頑張っていて、この地に移られた方が先頭に立って案内してくれた。


松野町、鬼北町、宇和島市を訪問。募金協力各5000円、ペナント、支持署名に協力してもらえた。

【愛知】09あいち平和行進-あるくNo.4

クリックするとダウンロードできます↓
09.6.3.pdf

浅田健司日誌(6月3日)

午前10時過ぎ、自治労連事務所(松山)より車で西宇和本庁へ。11時半頃到着。それまでの間、約1時間20分、新緑に溢れ澄み切ったドライブコースの景色は抜群でした。


しかし長い歴史の中で守られてきた日本の農業が破壊されてきた中での、ハイウェイドライブコースにどれほどの道路予算が注がれただろうか。美しい山の中腹にまた新しい道路建設計画の美しい大きな看板がさらに出されている。


午後0時前、本庁前で出発集会。小雨の中、新婦人代表が折り鶴を届けてくれた。副市長より、市長不在につき後日署名やペナントを届けるとのこと。


その後、西予市(13:30)、八幡浜市(15:30)を訪問。どちらも4人の職員、部・課長が応対。5000円の募金協力、署名・ペナントを書いてもらえた。


午後6時、西予野村総合支所前より約1時間の平和行進。雨の中、40人余の参加で元気に行進した。

松本英治日記No.29

平和行進29日目。曇天。


8時10分宿へお迎え、9時に知立市役所併設の文化会館ロビーで「原爆と人間展」開催中。会議室で清水副市長と副議長(共産)と懇談、市長のメッセージをいただく、非核平和都市宣言の審議中との事、被爆体験を小学生に!


出発集会で挨拶を受け、市民から託された折鶴800羽預かる。今日も、西三河青年合唱団「歓迎」横断幕で参加、携帯アンプでギター伴奏と、マイク2本で準備万端、市内を歌いながら、コールしながら、楽しく行進しました。


野田公園で昼食休憩、手作りの食事(豆ごはん、赤飯、おにぎり、肉じゃが、サラダ、から揚げ、など心のこもったおもてなしに感激!10年来続けられているそうで、なお感激!


本日の行進責任者は地元の藤山さん(トヨタ労働者合唱団)です。同団の加冶佐さんから激励の寸志をいただく感激!


昼休みに、西三河とトヨタ合同で歌う会を!行進中もうたごえが響き渡りました。私は昼から別行動で高浜市と碧南市へ表敬訪問、高浜市では、議長さんが議会で図ってないので、個人的にペナントに署名!市も懇談し、お願いしましたが、だめでした。


行進沿線の市町の対応をはなし、非核神戸方式の宣伝も!碧南市も会議室で市町代理、議会事務局と懇談、成果は有りませんでしたが、反対ではないので市民の要望があれば、との事でした。運動を盛り上げ、世論の力で行政も国も動かしましょう。オバマ発言を、被爆者のご存命の間に実現させるために!


集結集会では、4歳の子連れのお母さんが、挨拶。行進中に麦畑と田植えの済んだ田んぼに、風がそよぎ、行進日和でした。本日から宿がメルパルクに変わりました。

矢部常次日記 第29日目

朝、実行委員会の方が宿泊先まで車で迎えに来て頂き、出発場所の知立市役所に向う。


愛知県では、2日目から10泊すべて同じ場所に宿泊して、送り迎えはすべて車での移動だ。県内のすべての自冶体を訪問・行進するため車移動も時間がかかる。実行委員会は、私たち全国通し行進者の宿泊先近くで拠点(愛知原水協事務所)を置き毎日の行進ニュース(2009あいち平和行進「あるく」)を発行している。ニュース発行も県単位でいろいろやり方が違い事務局の1日の作業は大変だ。行進が終わってからと翌日の行進コースの連絡と体制確認、ニュース作成そして全国通し行進者の送り迎えまで、作業はこれだけでないだろう、疲れを見せず元気で私たちを世話して頂く(眠る時間はあるのだろうか、私などの健康よりも心配。・・・これまで52回の平和行進でいろいろあったのだろうが、特に自分には、これまでも言いたい事を話し、判ってもらう様な性格であり、職場の仲間からは「ストレスを感じないだろう」とよく言われるくらいだから、実行委員会の方は、あまり心配しないで欲しいと思い、感謝)。


1日の予定が終わってからレポートをまとめたり洗濯などやることも多い、連泊となると旅館では、落ち着かなく過ごしづらい(私は、仕事で何カ月も出張することも多く、それなりの宿泊先を選び、環境を整えてきた)。そんなこともあって、宿泊先をビジネスホテルに変えてもらうようお願いし変えてもらった(私だけの思いでなく、共に行動する松本さんも同じ思いでは・・・)。


嬉しいことに知立市役所では、「原爆と人間展」が庁内に展示されている中央公民館前での出発集会、市長は公務で出張中とのことで清水副市長さんが、市民の手で折られた約800羽の折り鶴を行進団に託され、市長のメッセージと同時に副市長の立場で歓迎と激励の挨拶そして行進の先頭を歩いて頂いた(聞くところによれば、昨年は50メートルくらい今年は150メートルだと言う。私にとっては、神奈川県葉山町で森町長さんが行進して頂いてから、2回目の感動)。


恒例となっている願行寺に行き、旧米軍依佐美基地によって感電事故で亡くなった小学2年生宇都秀樹さんの地蔵「受難の像」に対し行進参加者全員で線香。


刈谷市役所では、反戦地主としてご奮闘された高齢の長谷川さんが当時を語り挨拶。


お昼ご飯は、地元新婦人からの豪華な差し入れに、聞いていたにせよビックリ、美味しく頂き、腹いっぱいになり、あまり食べない私にとっては昼からの行進に影響しそうだ。

太地町平和行進=北朝鮮への抗議採択=

6月1日、爽やかな快晴に恵まれた平和行進。事務局では40部しかアピール文を用意していなかったのですが、町職員もたくさん参加してくれ、60人の参加者で出発集会。

 

太地ともしび会代表・中川治氏の挨拶の後、太地副町長の魚野氏が町長メッセージを代読。続いて、三原町会議長からの激励挨拶。通し行進者のわかやま市民生協・伊藤氏の決意表明。そして、集会アピール、北朝鮮への核実験に対する抗議と要請文を採択し、郵送することを拍手で確認しました。

 

五月晴れの潮風かおる太地の町並みを、元気良く行進しました。沿道募金は1800円となりました。町長からも協賛金をいただきました。

 

那智勝浦町平和行進=北朝鮮への抗議採択=

町職員の参加もあり、60人の出発集会。地元を代表して、下里の平澤康男氏が挨拶。副町長が町長メッセージを代読。続いて、昨年世界大会に参加した藪本理恵氏が大会に参加した感想と、こつこつと地道に行う平和運動の大切さを語った後、集会アピールを読み上げ、大きな拍手を受けました。

 

北朝鮮の核実験の抗議と要請文も採択し、平和行進へ。集会から参加しているワンちゃん(犬)3匹も行進に参加。沿道カンパは、7632円が寄せられ、勝浦観光会館まで行進。町長・議長からも協賛金をいただきました。

【愛知】09あいち平和行進-あるくNo.3

クリックするとダウンロードできます↓
09.6.2.pdf

【愛媛】大洲、伊方、内子を行進

浅田健司日誌(6月2日)

午前11時過ぎ、大洲市役所に要請行動。副市長応対(総務課からも2人)。ペナント、署名に協力。募金額5000円。

 

午後2時、伊方町役場訪問。総務課長と議会関係の職員2人が応対。議長及び町長からの募金額5000円とペナント、署名簿はすでに用意していた。

 

午後4時、内子町役場訪問。副町長、総務課長が署名、ペナント、募金5000円を用意してくれていた。町役場の近くの山林で山火事があり、消防活動がまだ完了していないので、行進参加はできないが、目的地までの行進成功を期待しているとの激励あり。

 

内子町は大江健三郎の出身地でもあり、できる限りの協力は続けたいとのことであった。

松本英治日記No.28

平和行進28日目。晴れ。


鶴舞駅前の鶴舞旅館を7時25分出発し、岡崎公園へ。


8時半から代表5人で岡崎市を表敬訪問、会議室で、市長代理の武田公室長他3人と懇談、10年に渡り、挨拶もペナントも募金も無かったが、今年原爆組写真を購入していただきお礼と、私の経験から、ペナントは、「各自治体の首長さん、議長さん、各種団体と今年から、個人も書いていただき、世界大会に掲示し、お土産として、海外代表に託されます、来年国連でのNPT再検討会議にも持っていかれますのでとご検討ください」と、募金は被爆者援護募金として使われます、と説明し、理解を求めました。名刺を交換し、柴田岡崎市長さんの名刺もいただき、よろしくお伝えくださいと!


公園に戻り出発集会へ、「松本英治さん歓迎 西三河青年合唱団」の横断幕が、感激!4人と固い握手!木村京子団長と名刺交換、加藤さんもアコで。「青い空は」を皆さんで歌って出発!


市内をうたごえとピースコールを響かせて行進、徳川家康の岡崎城も、行進中、うたごえ隊に混じり太鼓で伴奏、私にマイクが「青い地球を」と「ねがい」を歌いました。マイク2本で歌詞コールしながら歌いあるきます。


白山神社で昼食休憩、昼休みうたう会も!楽しく、1時50分歌って出発、安城市役所へ、山田副市長さんの挨拶を受け、市長と議長のペナントと募金が、少しですが、と先導で歩いていただきました(4人の市職員さんと)。


歌いながら市内行進し、コープ安城よこやま店のくすのきハウスで交流会、パン、おにぎり、そーめん、みそしる(名古屋名産八丁味噌)で疲れが吹っ飛ぶ!ご挨拶で、心のこもったご接待で、皆さんの思いを広島・長崎に届けます!


車で豊田市役所へ移動、6時から出発集会、うたごえ「パレット」の皆さんが、アコ、クラリネット、ジャンベ、タンバリンで演奏、歌も素敵!薄暮の市内を歌いコールしながら行進、共産党の事務所で歓迎夕食会ありがたい!豊田の闘いを詳しく聞きたかったが、残念!電車で宿へ、9時半着。長い充実した一日でした。

矢部常次日記 第28日目

毎日晴れが続く、東京出発の3日間と静岡で1日雨で、後は1日くらい雨がパラッと降っただけで行進中は、降られていない(広島まで一緒に歩く松本さんは、私とコースが違ったとき、雨風で行進が大変の時があった)。


・・・23日目の静岡・天竜川を行進した時、松本さんからの携帯「雨風で飛ばされそう、まともに旗など持っていられない、そちらはどうか?」とのこと、私の居るところは、多少風はあったが、AM9時過ぎには雨あがる。・・・私はついているのか、それとも要領いいのか???


したがって、ポンチョは何時も持っているが必要ない。


本日は、行進距離短いという(昨日のように距離が長い所は、熱い日差しの中だけに1時間に1回10分くらい休憩が欲しい・・・場所選定に実行委員会は苦労するだろうが)。


私は、新潟の田舎育ち、道を尋ねると地元の人は「すぐそこ」と言うが距離は長い。昨日歩いた豊橋市内は田舎とは違う。・・・都会に長く住んでいるので、そう感じるのかも・・・。


岡崎市役所・出発集会の時、参加登録を全員に書いてもらう。出発にあたり参加団体・個人が全員紹介される(時間的に制限あるが、この事はみんながまとまり親しみ交流しやすい。行進中よく見る光景、団体同士ひとかたまりで歩き私語が多い≪久しぶりに会うからかも・・・≫これでは、友達がいなく話嫌いの一般市民は参加しづらいのではと思う。(私の考え)


感動することが今日もふたつあった。昨年初めて行進に参加した若いお母さん、今年は、1歳になる村井あつむ(男子)・まつり(女子)のふた子のあかちゃんを連れての参加。乳母車もあるが、参加者が家族の様に世話をする光景だ(私は、休憩のときオバマのマスクで話しかける。女の子はじっと見ているが、男の子が最初はじっと見ていたが泣かせてしまった。ごめんね、大きくなって嫌わないでね・・・)。


半日歩いたのだが病気にならないのか心配、あのお母さんと多くの親しい人がいるので良い子で育つと安心だ(白山神社で参加の感想を疲れも見せずマイクで話してくれた)。


もう一つは、川崎で親しくして頂いた山本さんが、25歳くらいの娘さんと参加していたのだ。もう何年たつのか覚えていなかったが名前で呼び合い、この地にいるなんて不思議でびっくり。


岡崎市・豊田市を地元の方と私で、表敬訪問と市の核廃絶・平和施策をお聞きでき懇談。

医療生協ニュース-第4報

【愛媛】松前、伊予を行進

浅田健司日誌(6月1日)

午後、伊予郡松前町役場に要請行動。参加者11人。町側からは議会事務局長、総務課長等3人が応対。ペナントや署名に協力、募金額5000円であった。その後、町内を行進。

 

午後4時過ぎ、伊予市役所訪問。参加者17人。総務部長、課長等4人が応対。松前町と同じく、5000円の募金とペナント、署名に協力。要請行動参加者から映画の上映(原爆問題)やパネル展などに取り組んでほしいとの発言が続いた。

 

参加者の中に、今年7月の誕生日で90歳になるという女性もいて、平和行進も最前列で最後まで歩いた。

矢部常次日記 第27日目

昨日夜8時10分ころ豊橋駅に着き、あらかじめ聞いていたホテルに向かう。ホテルに着くなり、もしや駅で出迎えてくれて待っていたのに会えなかったかもと思い、フロントから愛知の実行委員の佐竹さんに電話、留守電だ。そしたらホテル・フロントの女性のいわく、「いま2階のフロアであいち平和行進の方が食事と打ち合わせをやっておられますよ」と話す。


2階では20人くらいで打ち合わせ中、私の夕食も準備されていた。松本さんも参加しており、わかやま市民生協の宮下さん他、愛知県内通し行進者は16人であることなど、これから県内12日間の日程の資料を受け取る、自己紹介して食事を頂く。


私が遅く参加したので21時30分から松本さんと2人で、これからの宿泊のこと・愛知での平和行進実行委員会の討議結果について詳しく説明を西岡さん(春日井平和委員会:事務局長)から受ける。


25日目のレポートなどまとめていなかったので、いろいろやっていたら12時を過ぎた。明日が大変と途中でやめ寝ることにした。


マイクロバスで豊橋市役所に行き、豊川稲荷公園からの行進スタートのため松本さん・宮下さんと数人がスタート時点に向かう。


小坂井町役場で感激の合流。町役場の手前の木陰で、先に到着していた豊川稲荷公園からの行進団が出迎えてくれ、合流して小坂井町役場に全員で平和大行進。


25km行進するという日程だ、昨日の事もあって少し眠い、休憩が楽しみ(煙草を吸うことができるからだ・・・)。


終結集会・その場での交流会で、カンパ隊で頑張った方が紹介されカンパ金額・「核兵器のない世界を」国際署名の沿道署名累計と感想を話す、後藤麻里さん(みかわ市民生活協同組合に入協して3ヵ月、休みだったので参加した若い女性)は『午前中はカンパゼロ円・署名ゼロ筆だったが午後からは頑張りました、楽しかったです・・・次の言葉が出ず少し詰まる・・・』感動したのだろう、参加者から「言いたいこと判ったよ!」と大きな拍手。交流会では、行進の交通整理を初めてやったという21歳の青年が感想を話す。・・・若いということはいいなと思い、自分はどうだったのかと思い起こす。

【愛知】09あいち平和行進-あるくNo.2

クリックするとダウンロードできます↓

09.6.1.pdf

松本英治日記No.27

平和行進27日目。快晴。


8時15分豊橋市役所集合、午前中2コースのため、私は、車で豊川稲荷公園へ、海軍工廠戦没者供養塔前で8時45分出発集会、県内通し3人同行、セレモニーで挨拶、「毎日の行進で市民に訴え、オバマ発言を実行させましょう!非核神戸方式を!」コープさんや、民主団体から、千羽鶴を託されました。


9時半出発。50人で元気に豊川市内行進です、歌集の準備はされていましたが、歌のリーダーを任され、2人でコールしながら、歌いながらの行進です。「青い空は」「青い地球を」他を、歌い続けました。ピースコールを交えながら!


11時に小坂井町役場の手前で2コースが合流し250人の隊列に、名古屋青年合唱団、西三河青年合唱団など愛知のうたごえの皆さん多数参加でアコ(加藤)とギター(脇谷)の伴奏で、賑やかに歩きました。


小坂井町役場でのセレモニーは、町長と議長の挨拶を受け、名刺を渡す。


休憩後、町内を歌いながら行進、御津生涯学習センターで昼食休憩。出発セレモニー後、町内行進トヨタうたう会の藤山さん(県内通し行進本日参加)と握手、行進中、私にもマイクが、「大きなうた」と「ねがい」を歌って行進、後はお任せし、太鼓でリズムを!三河湾沿いの潮風に吹かれての楽しい行進でした。蒲郡市役所までの長丁場でした。愛知で一番長い行進だそうで、23キロ歩きました。


集結集会で市長と議長代理の挨拶を受け、名刺交換。カンパ・署名隊の感想も、初めて参加したコープの若者男女(入協2ヶ月の女性と2年の青年)は初々しく素直な感想に拍手!延べ20人のカンパ隊(267筆の署名、39944円のカンパ)ご奮闘に拍手!民青同盟の21歳の委員長は交通整理で走り回って、好印象でした。昨日の桜丘の高校生といい、若者たちの奮闘に、未来を感じた行進でした。


鶴舞駅前の旅館に連泊です。うたごえの参加者に通し行進タスキの裏に神奈川からうたごえの皆さんの名前を書いていただいています、静岡、愛知と名前の数が増えます。東京の皆さんや参加したのに書けてない方ごめんなさい!皆さんの思いを背負って歩きます。

【北海道】道内112首長が署名

国内外で核兵器廃絶に向かう新たな機運が高まるもとで、2009年国民平和大行進の人たちが行く先々で呼びかけた「核兵器のない世界を」国際署名に道内の市町村長や議長らが「核兵器をなくすために頑張ってほしい」と続々賛同し反響を呼んでいます。


通し行進者らの自治体訪問は今回、道内149市町村です。


道原水協によれば、署名に応じたのは道内180市町村のうち62%に当たる13市、86町、13村の首長112人です。副市町村長15人、議会議長61人、副議長5人、教育長51人も「核兵器をなくせ」とペンを取りました。さらに、総務部長や教育部長、議会事務局長ら35人、農協組合長6人、商工会代表や連合加盟の職員労働組合でも賛同署名が広がりました。


5月6日に礼文島を出発した行進は同30日に函館市に到着しました。中間点の札幌市で開かれた5月17日の道原水協総会では、通し行進者とともに自治体を訪問した参加者から「長年、この運動をしてきましたが、首長の対応が例年とはまったく違っていました」「『あなた方とは考えが違う』といって、昨年まで署名を拒んでいた町長が署名をしました。オバマ米大統領の演説と日本共産党の志位和夫委員長の書簡で核兵器廃絶の大きなうねりが広がっていると感じました」との発言が相次ぎました。


通し行進者の小川基弘さん(57)は「多くの自治体で『あなたが来るのを待っていました』と歓迎してくれました。私は、まるで旧友と再会したような気持ちになりました。『長崎原爆資料館を見学し、涙が出ました』と署名した議長もいます』と話しました。


余市町の上野盛町長は「北朝鮮問題で議論が起きていますが、国際社会は核兵器のない世界に変わっていきます。日本が核兵器廃絶のイニシアチブを取るべきだという志位委員長の提案はその通りです」と語りました。


「日本国民が毎年、実施している草の根の運動が核兵器のない世界を実現する一歩一歩になってきました」と話すのは、道原水協の岩淵尚事務局長です。


「どの訪問先でも、オバマ演説を歓迎するとともに、核兵器廃絶を訴え続けてきた国民平和大行進への期待が語られました。原水爆禁止世界大会の成功、来年5月のNPT(核不拡散条約)再検討会議への世論と運動を盛り上げていくうえで貴重な成果です」。

2010年2月

  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28            

アーカイブ

ウェブページ

平和行進のひとこま

  • 2009062912260000.jpg
  • CIMG8617.jpg
  • CIMG84142.jpg
  • CIMG8414.jpg
  • CIMG8386.jpg
  • CIMG8366.jpg
  • CIMG8338.jpg
  • CIMG8297.jpg
  • CIMG8119.jpg
  • CIMG8103.jpg

このアーカイブについて

このページには、2009年6月に書かれたブログ記事が新しい順に公開されています。

前のアーカイブは2009年5月です。

次のアーカイブは2009年7月です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。