0512米山幸子日誌

<5月12日>  横浜の西冨さんの話を聞きました。

今日のコースは港北区役所を出発して区内を歩き、コープ末吉店(昼食)
午後鶴見駅周辺を回り、鶴見区役所, 本町~入船公園~安善駅を経由して米軍鶴見貯油基地。

昼食後、横浜港北区に在住の西冨さん(横浜被災者の会、<浜友の会会員>)の話をききました。広島市で被災された彼女は当時軍で仕事をしていて、そこの事務所で被災。爆心地からは距離があり、直接的にやけどなどはしなかったが、自身の目に原爆の爆発を見た。


軍の事務所では窓を開け放って仕事中だったので、真っ赤な太陽!と思えるような丸い火が見え、それがきれいな色だった事を今も覚えている。


その後防空壕へ避難しようと外へ出たところでものすごい暑さを背中に感じた。猛烈な風が吹いてきて周りにあったものが天井の<ハリ>(当時は今の天井板ははずして梁がむき出しにしてあった)の上に吹き上げられてしまった。


壕の中で暫くいたが、その日は家に帰る事も出来ず、心配しながら(家族の事など)事務所で過ごした。翌日歩いて家に帰ったが、そこで見たものは、いろいろ語られ、描かれたりしている通り。建物など全くない!まさに<一望 千里> 歩いて行く所に死体が転がり、下を見ないように前だけを見て歩くようにしたが、死体がはっきりしている人たちの顔は丸く腫れ上っていたこと、(後に原爆の熱のための現象ということを知った)が何故か不思議に思えた。


いつ思い出しても目を背けたい景色だった。やっと家に帰り着き家族の無事は確認したが、父親は高熱を出して寝込み、15日後になくなった。(私の記録が此処で終わっている???)


西冨さんの話の前に私が横須賀の原子力空母の条例直接請求の署名活動や全国行進の話を20分ほどさせていただきました。


毎年このコースでは お昼休みを使って、今日のような学習会をしているという事でした。