03.通し行進者の最近のブログ記事

0613浅田健司日誌

【6月13日(金)】


午後、福岡町中央公民館で出発集会。参加者22人。最初から最後まで行進の先頭に立って、マイクを握り、集会の司会進行から宣伝カーのアナウンス嬢までこなした今年82歳になるという女性が、小矢部平和委員会の大田さんという人であることに驚きました。彼女は大阪の茨木市出身であることなど聞きました。私たちのコースの署名数90、募金9600円でした。今日の最終地点、小矢部市役所でいただいた署名数118筆でした。

080612小田正日誌

6月12日(木)晴れ


自治体訪問(秋田県にかほ市、山形県遊佐町、酒田市)

0612浅田健司日誌

【6月12日(木)】


午前9時半より氷見市民会館前で出発集会。氷見市議会事務局長が市長のメッセージを代読。出発前に署名・募金活動を行う。

080611小田正日誌

6月11日(水)晴れ


自治体訪問(秋田市、秋田県、由利本荘市)


080610小田正日誌

6月10日(火)晴れ


自治体訪問(潟上市、男鹿市、大潟村、八郎潟町、五城目町)


080609小田正日誌

6月9日(月)晴れ


自治体訪問(能代市、八峰町、三種町、井川町)


0609浅田健司日誌

【6月9日(月)】


平日なので、平和行進には高齢者、ご婦人が中心。高岡市役所前の出発集会には、高教組、全教、民医連、生協、新婦人、国公労連、全労働などの旗がひるがえりました。


080608小田正日誌

6月8日(日)晴れときどき曇り


休息日ということなので、能代市原水協の方の案内で藤里町在住の切り絵作家・平野庄司氏(80歳)の自宅を訪問し、作品を見せてもらい、さらに道の駅に展示してある作品も見学してきました。

0608浅田健司日誌

【6月8日(日)】


午前8時半より富山県庁前公園で出発集会。参加者はこの4日間で最高、120~130人が参加しました。

0607浅田健司日誌

【6月7日(土)】


滑川市の出発集会から元気に出発。参加は30人前後。医療生協の人たちが中心のようです。


行進途上、全員で署名・募金行動に取組み、午前中の集約で150筆、19111円の募金が集まりました。

0606浅田健司日誌

【6月6日(金)】


黒部市役所で出発集会。今朝のトップニュース、原爆認定訴訟でついに国を敗訴に追い込み、原爆症認定判決を勝ち取ったことを一番に取り上げ大きな拍手。

0605浅田健司日誌

【6月5日(木)】


富山・朝日町役場前で出発集会を開催。50人の参加で元気に出発。途中、署名・募金活動にとりくみながら、入善町に到着。昼食の時、高齢な方(男性)が参加しておられたのでお年を尋ねると87歳とのこと。戦中は通信活動や暗号帳で苦労され、昭和22年に帰国してから北陸電力に入って労組・青年部活動に取り組んだことなど聞かせて頂いた。

080523小田正日誌

5月23日(金)


4自治体を訪問(共和町、岩内町、泊村、神恵内村)

080522小田正日誌

5月22日(木)晴れ


5自治体を訪問(仁木町、赤井川村、余市町、古平町、積丹町)


080521小田正日誌

5月21日(水)晴れ


9:15 札幌のホテルを出て駅へ向かう。道原水協事務局長岩淵氏と一緒に小樽市へ。時間が早く着いたので、新婦人の和田さんの車で小林多喜二の石碑や小樽運河などを見てまわりました。


午後2時に市役所へ。秘書課のS氏がサミットへの要請文に代筆で市長名を記入。議会事務局と教育委員会では責任者が留守であることを理由に断るような態度だったのできちんと趣旨を伝えてほしいと強く要請してきました。


夕方6時には集会と行進。約80人が参加しました。


若い人も多数見られうれしい行進となりました。

080520小田正日誌

5月20日(火)雨


北広島で役所訪問と平和行進の予定が、雨と強風のため行進は中止とし、自動車で市内をスピーカーで街宣。


10時からの市役所では、広島市とつながりが深いこともあって平和行事に積極的にとりくんでいる姿がよくわかりました。


庁舎の前面に「恒久平和は市民の願い、平和都市宣言のまち」の大きな垂れ幕が下がっていました。

080519小田正日誌

5月19日(月)くもり


朝10時、北海道原爆訴訟の裁判を傍聴。判決が聞けるものと思っていた人も多くいたのに、やり直しのような形で終わってしまい残念です。

報告会を兼ねた記者会見での原告被爆者の発言は胸が熱くなりました。


午後、札幌市役所訪問。「平和事業担当係」が4月に新設され、独自に平和問題の仕事をしていることを聞き、驚きました。

080518小田正日誌

5月18日(日)晴れ


午後から北海道原水協の総会に通し行進者の森さん、小川さんとともに出席し、あいさつ。会議を傍聴しました。


各地域代表、団体の活動ぶりはすばらしいもので、参考になりました。

080517小田正日誌

5月17日(土)晴れ


朝からよく晴れて気分爽快。早朝5時30分石狩市の宿周辺を約1時間半散歩に出かける。

080512小田正日誌

5月12日(月)
留萌市役所、増毛町役場、沼田町役場を訪問。

080511小田正日誌

5月11日(日)晴れのちくもり
留萌市へ。ここで道内行進者の小川氏と引き継ぐ。

080510小田正日誌

5月10日(土)晴れ
午前10時、旭川市内の行進開始。120人17団体でよく晴れた市内目抜き通りを元気にシュプレヒコールしながら沿道の人たちに訴えました。


集結集会後は「買物広場」で署名行動。約30分で73筆が集まりました。

080509小田正日誌

5月9日(金)くもり
朝5時に起きて士別市内をウォーキング。外は寒く、気温が1.1℃。雪がちらついてきたのにはびっくり。

080508小田正日誌

5月8日(木)晴れのちくもり
朝10時、名寄市役所を訪問。ここでは毎年「平和音楽大行進」をやっているとのことでした。

080507小田正日誌

5月7日(水)晴れのちくもり
朝9時、稚内市役所へ我々5人は斉藤稚内市議と共に市長に会う。原爆写真展などできないかと打診したら、「資料があればやってもよい」と快諾してくれました。

080506小田正日誌

今朝の礼文島は寒かったが、天気は夜中の雨もすっかり晴れて、スタートの日を祝うかのようでした。

080505小田正日誌

通し行進者(私を含め3人)、北海道内行進者2人と北海道原水協の嶋田さんの計6人は4日夕方、礼文島に渡りました。

① 小田 正(おだ ただし、62歳・新発田社会進歩の会、新潟県原水協)
北海道→東京コース(日本海側・長野→群馬→埼玉→東京)

毎年の平和行進の際、通し行進者の活動に感動しており、いつか自分も(全く自信はなかったが)と思っていた。この2年半の間に妻、実兄、義弟の相次ぐ病死により、気持ちの整理がつかないこともあったが、62年の人生とこれまでの活動を今一度見つめなおし、自分自身を鍛え前進できる機会としたい。

核兵器廃絶の運動は全人類共通の願いであり、誰からも支援される運動であること、すべての運動の原点であると思います。ここに確信をもって頑張りたいと思っています。


② 森 悦子(もり えつこ、60歳・東京ほくと医療生活協同組合、東京原水協)
北海道→東京コース(太平洋側)

 時々足立の行進に参加していました。三多摩原水協の事務局を神尾さんがやっておられるのを知って、三多摩行進や山梨の最後の行進に参加しました.昨年は北区からと足立から上野まで参加しました。
 労働組合の青年婦人部常任の頃、ひざかけを送ろうと取り組みました。広島には2回、まだ統一集会の時、そして生協の虹のひろばです。医療生協のくらしの活動委員会に属し、平和・くらし・憲法を守るたたかいを取り組んでいます。北足立生協診療所は開設5周年、待合室にパンフ(原爆)を置き、折り紙を置いて「折り鶴」のお願いをしています。母と子で折っている姿があります。3月退職を前にして、1月から鶴をつなげる「折り鶴の会」を発足。退職を機に、通し行進に参加したいと思います。「一歩でも二歩でも」と訴えることに共感しています。一緒に歩き続けることによって、全国の原爆被害者を励まし、自分もたくさん学びたい。

③ 渡邉 正郎(わたなべ まさお、60歳・東京原水協)
北海道→東京コース(日本海側・長野→山梨→東京)

毎年、東京・福生~立川間の平和行進に参加。
 アメリカのイラク侵攻や核開発の拡大、国内においては自衛隊の軍事増強、さらに改憲策動など、ただならぬ情況と認識しています。子やまごになんとしても平和な社会を手渡したいという一念から、私自身何ができるのかと・・・、そして60歳定年退職を待って平和行進をしたいと以前から思っていました。行進中は「地球上から核兵器をなくそう」「平和を守ろう」「憲法改悪反対!9条を守ろう!」など、私なりに精一杯アピールしながら行進する決意です。

④ 米山幸子(よねやま さちこ、66歳・神奈川みなみ医療生協、神奈川県実行委員会)
東京→広島コース
2007年神奈川県内通し行進

 平和への願いを身体を通して表現と考えている。いつか歩いてみたいと長年願いを温めてきたが、年齢的にも先が縮んで来たので実行し得ないままで終わりそうなので、50年という節目という事もあり実行を決めた。昨年県内を歩き、要領が分かってきた。

⑤ 志谷泰雄(したに やすお、67歳・島根県原水協)
東京→広島コース
2005年富山→広島コース、06、07年県内通し行進

平和行進で自治体、沿線の方々に平和を訴え、憲法9条を守り、被爆者救援を訴えていきます。

⑥ 浅田健司(あさだ けんじ、65歳・大阪平和委員会)
富山→広島コース
2002年和歌山→広島コース、03年東京・神奈川・大阪、04年静岡・愛知・大阪、05年岐阜・滋賀・京都・大阪、06年沖縄→広島コース、07年北海道→東京コース

通し行進に挑戦して今年で7年目。全コース貫徹めざし今年も頑張ります。

⑦ 竹田昭彦(たけだ あきひこ、67歳・平和を願い戦争に反対する戦没者遺族の会)
四国→広島コース
2001年北海道→東京コース(太平洋コース)、02年北海道→東京コース(内陸コース)、03年富山→広島コース、04年長崎→広島コース、05年沖縄→広島コース、06年宮崎→広島コース、07年東京→広島コース

 私が3歳半のときに父が徴兵され、9ヵ月後に中国で戦死しました。私は父の面影を知りません。残された母と4人の姉弟は、住居を転々としながら食べ物がない悲惨な生活を強いられました。母は、「戦争さえなかったら」「お父さん生きていたら」と口癖のように言っていました。私は「戦争はいやだ」「悲惨な暮らしはいやだ」との思いを強く持って生きてきました。戦争をなくすには、核兵器の廃絶が根源だと思います。日本国民の粘り強い核兵器廃絶運動とともに、世界の平和運動の高まりに確信を持ち、核兵器も戦争もない平和な世界をめざして頑張ります。

2009年4月

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