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被爆地広島・長崎での開催
その熱気と国際会議の魅力
現地でしか味わえない魅力的な企画も

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ことしの世界大会は

原水爆禁止2023年世界大会開催も目前!

今年も多彩な海外代表とゲストスピーカーが参加し、ココでしか聞けない世界大会ならではの貴重な経験や情報がもりだくさんです。人間の尊厳を踏みにじる核兵器の非人道性、被爆者の声、被爆の実相を世界に届け、「核兵器のない世界」を求める世論と運動をひろげ、私たち市民社会と諸国政府の共同を大きく発展させます。被爆地から市民社会の「真の声」を発信する大会です。

世界大会参加を大きくよびかけ、ひろげましょう!

詳細は随時更新予定です詳細は随時更新予定です


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原水爆禁止世界大会とは

 1945年8月6日、9日-広島・長崎に原爆が投下され、2つの街が一瞬にして、「地獄」に突き落とされました。広島、長崎ではその年のうちに約21万人もの尊い命が奪われました。しかし、原爆を使用したアメリカは、広島・長崎への原爆被害が世界に伝わることを恐れ、厳しい報道管制をおこない、実態は日本国民にも、アメリカ国民をはじめ世界の人びとにも知らされませんでした。

 1954年3月1日、アメリカが太平洋ビキニ環礁でおこなった水爆実験によって日本国民は三度の原水爆による被害を受けました。ビキニ水爆被災事件をきっかけに、広島・長崎の被害、放射能による惨禍を広範な国民が知り、核兵器の廃絶を求める「原水爆禁止署名」が全国でとりくまれ、1年余で当時の有権者の過半数3400万に達しました。

 こうした原水爆禁止を求める大きな国民の声を背景に、1955年8月、広島で第1回原水爆禁止世界大会が、翌56年には、長崎で第2回原水爆禁止世界大会が開かれました。以来毎年、世界の人々と連帯して世界大会が開催されてきました。いまや核兵器廃絶は世界の大きな流れに発展しています。

過去の世界大会の記録

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