松浦宜孝日誌No.35

佐賀市議会は今年6月、全会一致で「非核日本宣言」を求める意見書を採択しています。その意見書を入手しましたので紹介します

     

「非核日本宣言」を求める意見書


 核兵器のない平和な世界を実現するため、いま国内外で大きな努力が求められている。かけがえのない地球を守り、子どもたちにも引き継ぐために、佐賀市議会でも「非核・平和都市佐賀市を宣言する決議」を制定している。


 2000年5月、核保有国5カ国政府は「自国の核兵器の完全廃棄」を「明確な約束」として受け入れたが、それ以後「約束」の実行の道筋はつかぬまま、今なお、世界には膨大な核兵器が維持・配備され、核使用を示唆する発言が繰り返されている。また、新時代の核兵器開発が行われる一方、北朝鮮の核実験に見られるように拡散の危険も払拭されていない。

 しかし、去る4月5日に、米国のオバマ大統領がプラハで行った「核兵器のない世界をめざす」とした演説は、最大の核保有国が歴史上初めて「核兵器のない世界」を国家目標にすると宣言し、かつて核兵器を使用した事のある唯一の国として行動する道義的責任がある、と明確に述べ、世界に向けて「核兵器のない世界」の実現への協力を呼びかけたという点で、画期をなしている。

 こうした状況をさらに進めるために、2010年にせまった核兵器不拡散条約(NPT)の再検討会議に向けて、日本政府は広島・長崎の被爆を体験した国として、核兵器の廃絶の努力を世界に呼びかけ、促進する責務がある。
 また、その努力を実らせるためには、自らもその証として「核兵器を持たず、作らず、持ち込ませず」の非核三原則を順守し、世界の模範としなければならない。

 
 私たちは、日本政府が「核兵器廃絶の提唱・促進」と「非核三原則の順守」をあらためて国連総会や国会など内外で宣言し、「非核日本宣言」を行い、各国政府に通知し、核兵器のない世界のため共同の努力を呼びかけるよう求める。
 以上、地方自治法第99条の規定により意見書を提出する。

平成21年6月25日
佐賀市議会
衆議院議長
参議院議長 宛
内閣総理大臣
外務大臣

また、佐賀市は市教育委員会と「佐賀市平和展」を8月6日から9日まで佐賀市立図書館で開催します。


 内容は
・水木しげるの戦争展
・豊田直巳写真展「パレスチナの子供たち」
・豊田直巳スライドトーク イラク・パレスチナ報告会
・映画上映会「はだしのゲン」「レインボー RAINBOW 」
・その他  絵本の読み聞かせ 戦時中の食体験 平和の折鶴 平和の絵手紙 等々
です。


佐賀県庁の出発式では総括本部の池田課長が核廃絶は道半ばであり、転換のときです、皆さんの活動で核兵器が廃絶できるよう祈っています、と挨拶。


通し行進者代表挨拶は竹田さん。彼は昭和15年生まれでお父さんの面影を知らない世代、一番下の弟はお父さんの戦死後に生まれた。このようなことが戦争末期にはたくさんあり、戦争はいやだなと思い生きてきた。戦争もない核兵器もない世界を作るためこの運動を続けている、というものでした。


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▲挨拶中の竹田さん


行進は嘉瀬町高橋の神社、野球場のある森林公園、祇園社の休憩を挟んで小城市役所へ。


小城市役所前では日本山妙法寺の僧侶3人が太鼓をたたきながら出迎えてくれる。


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▲あいさつする僧侶


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▲小城市役所到着後、日本山妙法寺僧侶の挨拶を聞く


また「文明とは」の一文を読み上げていただく。


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▲あいさつで紹介された「文明とは」


休憩中にいきさつを聞くと、松尾市会議員が日本山妙法寺の行事に幾度か参加しており親交があった。今回、5月6日の東京夢の島での出発式に本山の僧侶が出席しており、それを報じた赤旗の記事を示して今日の平和行進で迎えを依頼していたのです。


午後の出発式の通し行進者代表挨拶は私の順番でした。3人の僧侶も立ち会っていたため、第1回平和行進は日本山妙法寺の僧侶だった西本あつしというたった一人の通し行進から始まった、出発式は盛大に行われたが峠に差し掛かるとたった一人になった、竹原で二人に、徐々に増えて最終は述べ100万人の行進になった。国民平和大行進はその流れを汲む物であり、今は全都道府県を通り、基幹11コースに8人の通し行進者が歩いている、等を話した。


午後の行進では二人で最後尾で歩いていただけるという。新しい参加者にわれわれも張り切って歩いた。マイクで「われわれは国民平和大行進です。・・・・日本山妙法寺の僧侶も一緒に歩いています」と訴える声も晴れやかで誇らしげに聞こえた。


途中でわれわれの集団と離れがちになっていることに気付き、歩調をあわせることに、78歳、80歳で太鼓をたたきながらの行進は大変だと思う。


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▲遠景山の中腹に日本山妙法寺の仏舎利塔


仏舎利塔のふもと近くの交差点で3人目の僧侶が車の近くで太鼓をたたきながら、出迎えてくれた。当初なぜ3人で行進しないのか、と思っていたが回答が待っていた。車を移動してきてここからお寺に帰るのだ。


全医労は看護師さんが多く、スピーカーの音に合わせて、ハミング、歌声タンバリンの音にぎやかに行進していて距離を感じさせなかった。

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▲江北町非核平和宣言ー全文を表の道路から見えるよう掲げているのは珍しい

2010年2月

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このページは、Maekawaが2009年7月29日 22:53に書いたブログ記事です。

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