松浦宜孝日誌No.12

昨夕、散策に出かけた。目的地なしにホテルを後に、川沿いに進んでいくと見覚えのあるところ、行進ルートに出た。行進休憩時に寄れなかったお城に登る途中、防空壕を見つけた。このような歴史遺産にも戦争の傷跡を残していた。この近くが八町大路で土曜夜店が開かれていた。


この町には可児醤油(かにしょうゆ)が西暦1600年(慶長5年)江戸時代初期から409年続く老舗で味噌、醤油を作っている。さっそく味噌アイスクリームを注文した。店には板垣退助からの「板垣死すとも自由は死なず」自筆の手紙も飾ってあった。


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▲板垣退助自筆の手紙


一本の通りだけ昔の面影を残した町はよくあるが、この町は横丁、裏通りにも歴史が息づいていた。


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▲路地に入っても美しい


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▲八町大路


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▲午前中の行進


さて今日はあの姉妹は?小学校2年生、4年生も加わって4姉妹になって戻ってきた。他の家族の親子参加もあり、5歳から87歳までの多彩な参加者でにぎやかに臼杵市役所を出発、途中スーパーマルショクで休憩の後、熊崎駅までのべ22人で歩いた。


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▲4姉妹


昼食休憩の後、大分市一尺屋Aコープ跡地で引き継ぎを行い、佐賀関までの6.5キロを休憩をはさみながら行進しました。


途中から降り出した雨は白木の休憩に入った途端に本降りとなったが、ここでは恒例になっているという元町議宅の冷たいスイカ、甘いとうもろこしの接待があり、疲れた体に心地よかった。


5歳の女の子も昨日の5キロ、今日の10キロ強を歩き切りました。

2010年2月

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このブログ記事について

このページは、Maekawaが2009年7月 5日 20:08に書いたブログ記事です。

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