松浦宜孝日誌No.39

今日の送迎は宿泊しているかわはら旅館のご主人でした。昨日帰りにも送っていただきながら農作業着に変身し、旅館の倉庫からでてきた人と夜になって同一人物だと気付いたのです。その川原民主商工会副会長に集合時間までの寸暇を利用して「特攻殉国の碑」を案内していただきました。


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▲「特攻殉国の碑」


ここ川棚町は戦争末期、海軍の若者たちが「必中撃沈」の猛訓練をしていた場所でした。万策尽きながら、ベニヤ板製の艇長5.1メートルの小型高速モーターボートの艦首に250キロの爆弾を抱え突撃しようとしていたのです。それが、「震洋艇」でした。


大分県日出町の特攻潜水艇「回天」基地、鹿児島のゼロ戦特攻知覧基地、そして、ここ川棚町の臨時魚雷艇訓練所と魚雷発射場、九州にそろっている、命を軽く見た戦前の軍国主義の爪あとをみると二度と戦争はいやだ、こりごりだと思わずにはいられない。


新谷郷のリック駐車場(魚雷訓練所のころは通用門だった場所)を借りて出発集会が行われ、行進は出発した。今日は日曜日のため各自治体の挨拶やペナント贈与もなく、役所へも寄らないため、午前午後とも国道沿いの淡々とした行進になった。


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11時半に川棚駅に到着した後、30分間世界大会のチラシ配布と募金集めで商店街などを手分けして回ったが、商店街の休みが多く成果は少なかった。午後の大渡商店をお借りしての休憩では冷茶や試食品など大変お世話になりました。

2010年2月

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このページは、Maekawaが2009年8月 2日 20:05に書いたブログ記事です。

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