竹田昭彦日誌No.30

< 「特攻殉国の碑」を見学 >


川棚町、東彼杵町の行進です。


行進出発地点の川棚町新谷郷に「特攻殉国の碑」があり、見学しました。


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▲石碑の4面に死没者名が刻まれた「特攻殉国の碑」=川棚町新谷郷


この地域は、大村湾の北部に位置した波静かな入り江(小串湾)で、ハウステンボスの近くです。


ここには、旧海軍の川棚臨時「魚雷艇」訓練所があったのです。


魚雷艇とは、「震洋」と呼ばれるベニヤ板製の1~2人乗りの小型高速モーターボート(長さ5~7m)で、艇首に爆薬(250~300kg)を装備した特攻兵器です。山口県の平生町で見た「回天」と同じく、人間を全く否定した自爆兵器です。


「特攻殉国の碑」には、碑の4面全体に特攻兵器の訓練や実戦で死没した特攻兵士、3511人の名が刻んでありました。そのうち、魚雷艇「震洋」で亡くなったのは、約2500人です。


行進は、大村湾に面した国道205号線(平戸街道)を歩きました。人家や歩道の無いところも多くありました。行き交う車が、渋滞気味になると、多くの車窓から手が振られました。車のスピードが落ちると、平和行進だと分かりやすいからです。元気をもらい、アップダウンの続く道を、よい気分で歩きました。


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▲出発式で挨拶する東彼地区平和行進実行委員長(右)=川棚町新谷郷


川棚町で泊まった宿の夕食で、珍しいご飯をいただきました。


宿(旅館川原)のご主人が、平和行進に参加しており、旅館業のかたわら稲作をしていました。そこで収穫した赤米と黒米のご飯です。


赤米は、小豆のあんを入れた、おはぎ風にしたもので、黒米は酢を入れた、すし風のものでした。黒米に酢を入れると赤色になるようです。


見た目も、食べても、美味しい、創作ご飯の絶品です。


夕食を一緒にした森悦子さん、松浦宣孝さんと、美食談義が延々と続き、美味しさ倍増でした。


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▲夕食で美味しくいただいた赤米のおはぎ(左)と黒米のすし(右)


今日の行進距離は、区間により参加者40~50人で11km歩きました。


沿道募金は、3560円いただきました。

2010年2月

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このページは、Maekawaが2009年8月 2日 21:27に書いたブログ記事です。

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