栖原秀夫日誌No.51

9時に斐川生協病院を7人で出発。志谷さんの計らいで病院にお勤めの若い女性2人と先頭で横断幕を持つ。いつも通り私は大きな声で元気に手を振り行進しました。


途中から出雲市の新婦人の方が1人参加。2km位行進して、今在家親水公園で休憩。10時に再出発したら、昨日ご一緒した自治労連の石田さんから松江保健生協の田辺さんに電話あり。「10時に病院に来たが、行進団はどこに居るのか」と。田辺さんは行き先などを連絡。暫くして、石田さんと国公労連の方3人と合流。段々増え、石田さんにもまた会えて、本当によかった。


10時50分に共栄町公民館前に到着。休憩地点から2km位。午前の取り組みは終了。


13時に斐川町役場前に。13時30分、出発集会を25人の参加者で行う。総務課長から町長メッセージが読み上げられ、激励して頂く。町長と議長からのペナントも頂く。


F1010104.jpg▲斐川町役場での出発集会で島根県通し行進の志谷さん。庁舎に「非核宣言の町・斐川町」のスローガン。


10人位で斐川生協病院に向かって、薬剤師の方と青年と一緒に横断幕を持って元気に行進。雨の中の行進でしたが、付いてくれた中年の警察官の方が、とても一所懸命にやられていて、本当に感謝します。


終結地の斐川病院には2.5km位行進し、14時30分に着きました。


車で出雲市大津コミュニティセンターに移動。17時に出発集会を60人位で行う。私は、「核廃絶」と「非核3原則を守ろう」を訴えました。


17時30分に70人位で出発。又、実行委員会の配慮で、若い女性2人と横断幕を持つ。私はいつも通り大声で手を振り行進。一緒の女性は、ビックリしたようで、腰が引けてました。


沢山の警官が一所懸命に交通整理をしてくれました。本当に有り難いです。1時間位で出雲市役所に着き、解散しました。

2010年2月

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このブログ記事について

このページは、Maekawaが2009年7月24日 20:36に書いたブログ記事です。

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