松浦宜孝日誌No.32

今日も雨の中での筑紫野市役所からの9時前出発です。靴が2足とも濡れていて、よりましなゴルフシューズを履いていましたが、5分もたたないうちにソックスが湿ってきて、10分後には水深7~8センチの水たまりに上から入りました。


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▲あちこちで排水溝からの逆流


豪雨の中を天気予報で言っていた時間雨量80ミリはこれぐらいの雨なのかと道路に落ちた雨粒で出来る「王冠」の大きさと量の変化を話しながら一気に旧3号線をエフコープ筑紫野支所まで歩きました。


ここで接待とトイレ休憩の後歓迎集会をおこない、エフコープのあいさつでは、「伝えてください明日へ・・・・」という聞き書きによる被爆体験証言集を毎年発行していて、店舗等でほしい人に配布しています。


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▲エフコープ筑紫野支所での接待


また、職員中心に平和市長会議が呼びかけ人となり国際連合に提出する要請書と、エフコープが呼びかけ人となり福岡県下の各市町村に「ヒロシマナガサキ議定書」への賛同を求める要請書の2つの署名に取り組んでいることが紹介されました。早速、署名用紙と証言集をいただきました。


休憩の間にJRの運転見合わせや、止めてきた駐車場が浸水でタイヤ半分まで浸かっているなどの情報も入りましたが、とにかく次の目的地基山町役場まで行こうと「帰りはどないしよう」との不安を抱えながら出発しました。


休憩無しの予定でしたが、女性のトイレ休憩の要望でヤマダ電機に立ち寄ることになりました。休憩前後も雨脚は衰えず、排水の悪い登り坂の下部は急流になってT字型交差点を横切る時には長靴の人でも水が入る状態でした。


基山町役場では沖縄からのコースとの合流、佐賀県への引継ぎ式がありました。

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▲引継ぎ式ーレンズも曇り気味


通し行進の森さんとは5月7日以来の再会です、長崎まで通し行進者4人で歩くことになりました。


昼食時、その4人と事務局で午後の行進を中止もふくめ再検討することになり、論議の結果、雨も上がっており途中でも中止できる体制(随行車の確保)で弥生が丘駅をめざすことになりました。


駅直前で黒い雲が空を覆いましたが、休憩中には小降りになり田代神社、さらに鳥栖市役所まで進み、無事到着しました。

2010年2月

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このページは、Maekawaが2009年7月26日 21:36に書いたブログ記事です。

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