竹田昭彦日誌No.25

< 長崎街道を行く>


吉野ヶ里町、神埼市、佐賀市の行進です。


福岡県の門司から、国道3号線沿いに歩いてきた行進コースは、昨日、鳥栖市で3号線から別れ、国道34号線(起点鳥栖市)に変わりました。


昨日歩いた34号線は、九州自動車道が土砂崩れで交通止めになったことから、迂回する大型トラックがどんどん通り、たいへん危険でした。


佐賀県の行進には、お巡りさんが付かないので、安全をとって歩道を歩きました。


今日の34号線は、迂回路から外れたので、車道を歩きました。


34号線の終点は長崎市です。長崎街道とも呼ばれ、34号線に入り組んで旧長崎街道の一部が所々に残っています。


午前に歩いた神埼市の神崎宿あたりは、旧街道の標識と名所旧跡の案内が、至る所にありました。立ち止まって見ることはできないので、なるほど、なるほどと、眺めながら歩きました。


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▲蓮の花を見ながら国道34号線を行進=神埼市姉川


佐賀県の行進は、行進責任者が日替わりで、県単位で構成した団体があたります。今日は、新日本婦人の会佐賀県本部でした。宣伝カーと救護車の運転手も、婦人でした。平和行進の隊列の最後につく救護車には、後部に「私たちは、国民平和大行進です。お先にどうぞ」と、矢印を書いた紙が貼ってありました。後方から追いついて来た車両には、何をしている車かが分かり、よい方法だと思いました。


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▲救護車の後ろに貼り付けた「お先にどうぞ」


午後の後半、佐賀市の市街地に入ると、陽射しが強くなったことと、混み出した対向車のスピードが遅くなったことから、行進団が「平和行進でーす」と手を振ると、多くの車窓から手が振られました。


ここ数日、雨天続きで、車窓や沿道の人から手が振られるのが少なかったので、嬉しかったです。平和行進は、人と人との繋がりです。


今日の行進距離は、区間により参加者25~35人で16.5km歩きました。


神埼市役所訪問では、お願いしてあった「核兵器のない世界を」の署名、74筆をいただきました。


沿道署名は募金は、3150円をいただきました。


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▲佐賀市役所での歓迎式で挨拶する副市長(右)

2010年2月

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このページは、Maekawaが2009年7月28日 22:05に書いたブログ記事です。

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