矢部常次日記 第12日目

今日の行進は、4コースで前日の準備が大変。宣伝カーの手配から行進に使うプラカードやリレー行進の横断幕など仕分けを携帯電話で連絡を取りながらチェックする。実行委員の会話を聞くとまさしく口論しているようだ(行進参加者に不自由なく行進を成功させる為の口論、熱意が伝わる)。

 

朝インターネットで、すべてのコースの天気予報を調べた。私は参加しないがコースの一つに箱根マラソン(復路)の元箱根から出発して旧箱根街道から湯本駅を行進するコースがあるからだ。 雨が降れば、道路は川のようになるからだ(参加者は元気で歩くだろーとエールを送る)。

 

昼食休憩の大礒町役場に到着して、三好町長の歓迎と激励の挨拶では少し日がさし「行進日和・・・」と受け、このままだと一日雨は降らないかなーと期待。 しかし昼食終り、行進スタートの頃からポツポツ雨が落ちてきた、1時間半くらい歩いた国道一号線では本降りの雨、そして海岸と並行しているので雨風で横断幕・旗を持っての行進参加者は苦労。

 

今日の最終到着地の二宮町役場では、坂本町長の計らいで歓迎とまとめ集会は役場内のフロアーに100人くらいの参加者全員が濡れた合羽姿などなのに入れていただき始まった。

 

二宮町は、1945年(64年前)広島に原爆が落とされた1日前8月5日に、ここ(国鉄)ニ宮駅周辺で艦載機・B51の機銃掃射を受け、幾人かの尊い命が奪われた。目の前で父を失った12歳の少女が、その悲しみを乗り越えてけなげに生き抜く姿を描いた戦争体験記「ガラスのうさぎ」の像(昭和56年8月5日に町と住民の力で建てる)が駅南口にある。

 

映画にもなり「わずか12のわたしには 友の情が身に沁みる 天に召されたお父さん 守って下さいこの形見 ガラスのうさぎ 抱きしめる」と3番まである歌がある(ガラス工場で働くお父さんへの思い)。

 

建造から10年後から町をあげて墓参集会を続けている。 私たち行進者は、行進のまとめ集会終りに、1番:地元の方、2番:町長、3番:議会議長のリードで「ガラスのうさぎ」を合唱した。

 

また、JMIU労働組合中央執行委員の西さんが組合の用で近くまで来ていたので回り道して、二宮駅で出迎えてくれました(事前に連絡あったにせよ嬉しく、西さんはJMIU団体リレー旗・参加者の日誌をチェックしてくれました。・・・私は、特別扱いでJMIUのリレー旗だけを面倒見れないので)。 解散後、宿泊先まで宣伝カーで移動(今日で運転終わりになる、高松さんに激励を受け握手。そして車のキーを預かり明日に備える)。

2010年2月

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このブログ記事について

このページは、Maekawaが2009年5月17日 19:00に書いたブログ記事です。

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