矢部常次日記 第10日目

大きなキャリー付きバック(海外に行くような)を持って移動し、行進中は宣伝カーに乗せてもらうが、宿泊の手続きの時は「通し行進者」のタスキをして、あらかじめ予約してあるホテルにチックインする。ホテルの人や宿泊客からは、「何をなさっているのですか」と話しかけてくれる。8月6日に向け広島に90日間毎日歩いているんです、東京・夢の島から二人で、しかし毎日多くの人が歩くんです、また高齢になった被爆者の方も毎日多く参加します・・・と話すと、ビックリした顔で立ち話が進む。


私は、話すことは好きだし多くの人に会えることも楽しみだ。相手は「ごめんなさい、疲れておられるのに長くなって、頑張ってください」と話は終わり部屋に入る。


部屋に入って思うことは、話した相手は「平和のこと・原水爆禁止の私たちの取組み」をどう思い・賛同して貰えたかなと自分に問いかける。


朝の葉山町役場での出発集会では、町長さんが参加、通し行進者の松本さんと二人で、町長さんに挨拶し名刺を渡そうすると、「ごめんなさい、まだ集会まで時間があるから名刺を取ってきますから」と、わざわざ私たちのために町役場に入って行かれ、戻ってくるなり深々と頭を下げて名刺を渡して下さった。心の名刺を受取り、町民は素晴らしい町長さんを選んでいるなー・・・それだけではない、平和に対する心のこもった挨拶と激励と公用があるのに、時間ぎりぎりまで平和行進の先頭に立って歩いていただいた(葉山町の皆さん・森英二町長さん有難うございます。・・・元気を貰きました)。


鎌倉のパレードでは、八幡宮二の鳥居・三の鳥居そして北の踏切・鎌倉市役所と歩く、沿道は修学旅行の中学生・小学生、観光客が多く手を振って「頑張れ」の声も多く聞けた。また、外国人も関心を持ってくれ、見るなりカメラを向ける。


鎌倉市役所では、市からのメッセージを受け、パレードの雰囲気から一変して被爆者の生々しい被爆証言を聞き涙ぐんだ。


今日は2回の移動(私たちは車での移動だが)、最後は大船観音原爆慰霊碑(原爆の火・広島長崎の被爆した石を建立した碑がある)での懇談会集会である。現地の都合で一段上の大船観音の前での集まりとなった。都合をつけ駆けつけてくれたトランペッターの松平さんが(これで平和行進に6回目、静岡への引き継ぎの時も来ます、また念願の大船観音さん前での演奏といい2曲吹く。


その後、被爆者であり県内通し行進者の塩瀬さんの被爆証言を聞き、うたごえの仲間と全国通し行進者・松本さんのリードで参加者全員で「原爆を許すまじ」を歌った。

2010年2月

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このページは、Maekawaが2009年5月15日 19:43に書いたブログ記事です。

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