竹田昭彦日誌(40)6月19日(木)

<第1回世界大会へ参加した内子の人達>


今日は、大洲市、伊方町、内子町の役場訪問と、大洲市、内子町の行進です。


0619OSU_t.jpg

                        大洲市を平和行進


大洲市役所訪問では、お遍路さんのことが話題となりました。私は、この平和行進が第1番霊山寺から出発したことや、行進と並行して八十八ヶ所を訪問し、住職さんに署名をお願いしていることなど話しました。こういう話題は、要請の具体的な話しあいを、スムースにしてくれます。


次に訪問した伊方町は、幹部不在で、後日の対応となりました。内子町では、町議会開催中とのことで、係員の対応でした。その後、町内行進が終わって役場に着くと、歓迎集会が開かれ、町長さん(代行)からの募金が渡されました。


0619UCHIKO_t.jpg                        内子町を平和行進


夜は、内子町内の内山原水協(旧内子町、旧五十崎町地域)の、平和行進歓迎夕食会が開かれました。13人が出席され、賑やかな交流会となりました。


0619YUSYOKUKAI_t.jpg                内子町の平和行進歓迎夕食会=内子町大瀬


自己紹介をかねて、原水爆禁止運動の思い出話がだされました。第2回原水爆禁止世界大会へ参加したご婦人がおられ、当時の話を聞きました。


内子から50人が大洲の長浜港へ行き、漁船をチャーターして広島に渡ったそうです。漁船チャーターの手立ては、長浜の青年団の人たちが協力され、長浜の小学校で壮行会をしてもらったといいます。そのご婦人は、そのとき作った白のブラウスが気に入り、ほころびを繕ってまでも、長く着ていたとそうです。当時の平和運動の情熱と誇りが、目に浮かぶようでした。


徳島県の海部郡でも、第1回原水爆禁止世界大会へ参加した歴史を聞きました。四国では、幾つかの地域から、漁船で瀬戸内海を渡って広島へ行っています。その一つに、内子がありました。内子は、木材の搬出や櫨の木から作る木蝋や和紙の産出や、絹などで栄えた町です。新進の気風があるようです。


ここ数年、内子から原水爆禁止世界大会へ、参加者を派遣していないそうです。今年は、若い人を派遣すると、内山原水協の佐伯淳会長さんは言っていました。


霊場訪問は、番外十ヶ夜橋永徳寺を訪問しました。住職さんにお会いしました。原水爆禁止運動の歴史を話し、すみやか署名を頂きました。詳しい資料が欲しいと話され、パンフレットを差し上げました。それを見られ、丁重な励ましをいただきました。このお寺は、日が暮れて弘法大師が泊る宿がなく、橋の下に野宿したと伝えられる場所です。1夜が10夜に感じられたそうです。


今晩の宿は、内子町にある旧大瀬村役場を改装した「大瀬の館」です。その直ぐ前に、「9条の会」の提唱者大江健三郎さん(ノーベル賞受賞作家)の生家がありました。


今日の行進は、大洲市役所から伊予大洲駅まで、参加者20人で1.5㎞歩きました。そして、内子町を参加者約40人で4.5㎞を歩きました。大洲市長さんと内子町長さんからは、募金とペナントを頂きました。大洲市議長さんからは、募金を頂きました。

2010年2月

  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28            

アーカイブ

ウェブページ

平和行進のひとこま

  • 0809rentai.jpg
  • 0809kodomo.jpg
  • 0809seikyo.jpg
  • 0809hi.jpg
  • 0808marason2.jpg
  • 0808marasonn1.jpg
  • 0808bunnkakai.jpg
  • P1000212.jpg
  • P1000207.jpg
  • 0807tokushima.jpg

このブログ記事について

このページは、Maekawaが2008年6月20日 17:31に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「080619志谷泰雄日誌」です。

次のブログ記事は「竹田昭彦日誌(41)6月20日(金)」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。