竹田昭彦日誌(36)6月15日(日)

<高知から愛媛へ引き継ぐ>


今日は、高知県から愛媛県へ引き継ぐ日です。

 

夜半から雨が降りだし、日中は風雨になりました。10時半からはじまった宿毛市役所での出発集会は、玄関の軒下を借りて開きました。行進は、風雨で、ちゅうちょする声もありましたが、風雨に負けず市街地を一周しました。高知では、徳島から引き継いだ5月25日から今日まで、34市町村すべての役場を訪問し、すべての市町村で歩きました。そして、高知県にある16霊場すべてを訪問しました。


SUKUMO.jpg                   宿毛市役所玄関の軒先で出発集会


高知には、黒潮と山並みに育まれた風土と、楽天的なユーモアがあると感じました。例えば、馬路村の「おらがむら心臓やぶりフルマラソン」では、マラソンコースを「馬路村公認コース」とし、日本陸連公認云々にこだわっていません。また、特産の柚でつくった飲料水「ゴックン馬路村」を、「マラソン公認飲料水」と指定し、大会名のレッテルを貼り、配っています。北川村の「モネの庭」も面白い、既存のワイナリーの発展を考えるアイデアから、「ワインといえばフランス」で、「フランスならモネ」だ、そうです。


なお、その「モネの庭」は、本物の「モネの庭」から公認された世界第1号です。


3週間の滞在でしたが、多くの方と出会い行進し、色いろなことをお聞きし、見せてもらい、学び、平和へのエネルギーをいただきました。ありがたいことです。


引き継ぎ式は、正午から、山に囲まれた県境の路上で開かれました。参加総勢は、約60人で、両県代表の報告や、高知県9条の会の代表者から激励の挨拶がありました。私は、無事に引き継ぎできたお礼を言いました。


EHIME_t.jpg             高知県(宿毛市)から愛媛県(愛南町)へ入る平和行進


愛媛に入った行進は、原爆被爆写真を持って行進しました。


AINANCHO_t.jpg              原爆被爆写真を持った愛媛県(愛南町)の平和行進


行進後に、愛南町内で平和学習会があり、参加しました。内容は、宿毛港に入港した米軍のイージス艦をめぐる情勢についてでした。愛南町の隣が宿毛市なので、他県のことでは済みません。


宿毛では、飛行場誘致運動が、前々からあり、促進期成同盟の看板を何度も見ました。その一部の人の中で、戦闘機のタッチ・アンド・ゴー(連続離着陸訓練)ができる、軍民両用の飛行所として誘致する動きもあると、報告されました。


在日米軍再編強化の動きは、テンポが速いです。不景気や過疎化を口実に、速いテンポで軍事化するのが、為政者と資本家の常套手段です。


学習会では、県境を越えたピースネットワークを作って、軍事化を許さない平和運動をすすめることになりました。


今日の宿毛市の参加は20人前後で、2㎞歩きました。これまで、徳高知県で私が歩いた行進距離の合計は、76㎞です。


愛媛県側は、愛南町を25人前後で4.5㎞歩きました。

2010年2月

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このブログ記事について

このページは、Maekawaが2008年6月16日 13:41に書いたブログ記事です。

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