竹田昭彦日誌(08)5月18日(日)

<「小松島港への米艦艇寄港を拒否する決議」を採択>


今日は日曜で、徳島市を集中行進する日です。
行進は、吉野川河川敷の3ヶ所から出発し、徳島駅前の新町川沿いの「藍場浜公園」に終結します。母なる吉野川を起点とするのは、徳島にふさわしいと思いました。

 

 

Aコースは「鮎喰橋河川敷」から、Bコースは「文化の森河川敷」から、Cコースは「吉野川橋南詰河川敷」からです。私は、Cコースに参加しました。


集合場所へ15分前に着くと、数十人が集まっていました。出発式に入ると、70人ほどになりました。行進に移ると、80人に増えました。子ども連れの家族もあります。天気は、やや曇りで、暑くもなく・寒くもなく行進日和です。


新日本婦人の会の人たちが持って行進した横断幕には、150人ほどから布片に託された「平和へのメッセージ」が輝いていました(写真)。


TAPE_t.jpg

託された「平和へのメッセージ」の横断幕を持って行進=助任川河岸緑地


集結場所の「藍場浜園」には、Cコースが最初に着きました。20分ほどして、BコースとAコースが着きました。


総勢200人規模となり、終結集会が開かれました。終結集会の話しは、当然と小松島港に入港しようとしている、米軍艦船の入港阻止の訴えとなりました。


KETSUGI_t.jpg

終結集会で「小松島港への米艦艇寄港を拒否する決議」を採択=藍場浜公園


参集者の総意で、「小松島港への米艦艇寄港を拒否する決議」を採択しました。


米海軍第7艦隊の横須賀港母港化は、1973年からはじまります。当時、日本政府は、3年間だけだと言っていました。それが反古にされ、ずるずると引き伸ばされ、既に35年間も続いています。米国に甘いところを見せれば、「思いやり」をどんどん要求されます。米国は「思いやり」を既得権に、日本全土を米軍基地化するのでしょうか。小松島港への寄港を認めれば、更にエスカレートするでしょう。


徳島県は、米政府発行の非核証明のない艦艇の入港は認めないと、踏ん張るべきです。この方式には前例があります。神戸市やニュージーランドが行っています。「神戸方式」と呼ばれ、米国が1番イヤがっています。


横須賀港をフリーパスで出入りしている米艦船が、徳島県の小松島港に寄るからといって、「事前協議」云々などと、日本政府の「非核」のお墨付きを信用したところで、県民の安心、安全が守れるでしょうか。あるいは、「気休め」になるのでしょうか。


一方、日本以外の国は、米国が「事前協議」の提起をしないから、「核の持ち込みがないことに疑いはない」と、みなしているのでしょうか。そのような「思いやり」の国は、あるのでしょうか。


今日のCコースの参加者は80人で、4.5㎞歩きました。


なお、今日は、徳島市内の行進の他に、県下の網の目行進として石井町内のコースもありました。

2010年2月

  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28            

アーカイブ

ウェブページ

平和行進のひとこま

  • 0809rentai.jpg
  • 0809kodomo.jpg
  • 0809seikyo.jpg
  • 0809hi.jpg
  • 0808marason2.jpg
  • 0808marasonn1.jpg
  • 0808bunnkakai.jpg
  • P1000212.jpg
  • P1000207.jpg
  • 0807tokushima.jpg

このブログ記事について

このページは、Maekawaが2008年5月19日 10:02に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「0518米山幸子日誌」です。

次のブログ記事は「080518志谷泰雄日誌」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。