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反核ゼミ

1.ミクロの世界への誘い(1)
2.ミクロの世界への誘い(2)
3.ミクロの世界への誘い(3)
4.ミクロの世界への誘い(4)
5.アインシュタインの手紙 
6.英国生まれの原爆原理 
7.原爆1発分の濃縮ウラン 
8.プルトニウム原爆の可能性
9.危険なプルトニウムの製造
10.爆縮式プルトニウム原爆
11.米国の戦略に未来はない
12.原爆を手にした警察官
13.核帝国主義のルーツ
14.原爆と科学者
15.最初の原爆の投下目標

16.核政策のルーツを探る(1)
17.核政策のルーツを探る(2)
18.核政策のルーツを探る(3)
19.核政策のルーツを探る(4)
20.
原爆投下(その1)
21.
原爆投下(その2)
22. 原爆投下(その3)
23.
原爆投下(その4)
24.
原爆投下(その5)
25.原爆投下(その6)
26.原爆被害の隠ぺい(1)
27.原爆被害の隠ぺい(2)
28.原爆被害の隠ぺい(3)

 

核兵器をなくす
『反核ゼミ』12
原爆を手にした二人の警察官

 去る2月14日、国連の安全保障理事会で、15カ国中12カ国がイラクの大量破壊兵器問題の平和的解決をめざして査察の継続を主張し、イラクへの戦争の道を開こうとするアメリカとイギリスは孤立しました。アメリカが、国際法を無視し、核兵器を先制使用してでもイラクのフセイン政権を転覆させようとする核・軍事帝国主義への道に、何時踏み出すようになったのでしょうか。そして、このようなアメリカにイギリスが追従する関係は何時始まったのでしょうか。

戦後の世界秩序構想

 1941年8月に、アメリカ大統領ルーズベルトとイギリスの首相チャーチルが、大西洋上で会談し、枢軸国の侵略に反対して戦うとともに、戦後は侵略国を非武装化し、武力行使の世界的放棄を戦後の世界秩序の目標とする「大西洋憲章」を作成しました。その背景には、米、英,ソ、中の「4人の警察官」が力を合わせれば、いかなる侵略者も挑戦できないような強力な武力集団になり、世界のあらゆるその他の国家が道徳的理由のみならず現実的理由によっても武力行使を放棄するようにならなければならないという考えがありました。この「大西洋憲章」を基礎としてファシズム打倒のための連合国宣言が米、英、ソ、中の4カ国によって発表され、22カ国が加わって反ファッショ連合が結成されました。この米、英,ソ、中の「4人の警察官」にフランスを加えた五大国がいわば「5人の警察官」となって世界平和の維持に当たるという戦後の国連と国連憲章の基礎になりました。

原爆独占計画 

 しかし、ルーズベルトは戦後構想において平和を維持するには、第一次世界大戦後に作られた「国際連盟」のような国際組織よりも、米英2国が国際警察力として機能することの方がはるかに効果的だと考えていました。この考えは、原爆開発が進む中で、ソ連に対してチャーチルが抱いていた恐怖に同調することによってさらに強まっていきました。ルーズベルトはソ連の野心に対しては、チャーチルほどではなかったにせよ、原爆情報をソ連に渡すまいという決意の固さにおいてはチャーチルに劣りませんでした。警察官は4人いてもいいが、原爆を持つ警察官は2人に限っておきたいとルーズベルトは考えるようになりました。

ケベック協定

 1943年8月、ルーズベルトとチャーチルはケベック協定と呼ばれる秘密協定を結びました。その内容は、原爆をお互いに対しては使わない、双方の同意がない限り原爆を第3国に使用しない、双方の同意がない限り原爆情報を第3国に与えない、イギリス首相はアメリカ大統領が公正と考える範囲を越えて戦後の原子力の工業的および商業的利益追求はしない、両国間で完全な情報交換をおこなう、という5項目を含むものでした。このケベック協定は、イギリスがアメリカに従属する関係の始まりとなりました。

ボーアの先見性

 若い頃、深遠な原子の構造の秘密を解き明かしていったニールス・ボーアはさらに原子核の構造の理論的研究の基礎を築きました。彼がデンマークのコペンハーゲンに作った理論物理学研究所は、1930年代には国籍を問わず世界中の若い科学者に開放し、ファシズムから逃れてくる亡命科学者の天国になっていました。このようにボーアは国際的な科学協力を通じて平和を進める努力をしてきました。

 しかし、1943年8月ナチスがデンマークを再占領してユダヤ人逮捕を始めたとき、ボーアは彼らがスウェーデンに逃れるのを助けた後、自らもスウェーデン経由でイギリスに逃れました。イギリスで、ボーアは米英が協力して原爆計画を進めていることを知りました。その後、アメリカに渡ってロスアラモスに着くと、ボーアの想像を絶する巨大なマンハッタン計画によって原爆開発が進められているのを見ることになったのです。原爆の完成が近づいていることを知って、ボーアは、核軍拡競争によって世界が恐ろしく不安定になることを危惧しました。彼は、原爆が作られさらに水爆がつくられるようになった時には、国際関係を従来の枠組ではなく、原子力の国際管理という、開かれた新しい国際秩序を形成することが必要になると考えました。そして、原子力国際管理のための協定は、原爆が完成する前に、ソ連を参加させることによってしか達成できないと確信するようになりました。

無視されたボーア

 ボーアはイギリスにもどってチャーチルに彼の考えを伝えようとしました。ボーアに会ったチャーチルは「新爆弾は現在の爆弾よりも大きなものになるだけのことだ。戦争の原理を変えるようなものではない」と答えただけでした。ボーアはすっかり失望しました。そして、今度はルーズベルトに「このように手に負えない性格の兵器についての、将来予想される恐るべき国家間競争は、本当の信頼関係で全世界に通じる合意によってのみ回避できる、ということがますます明らかになります」と手紙を書いてルーズベルトに会いました。しかし、ボーアの提案を受け入れたかのように見えたルーズベルトは、9月下旬のチャーチルとのハイドパークでの会談で、ボーアの提案を拒絶し、チャーチルの作文した秘密の覚書「ハイドパーク協定」をむすびました。この協定は、原爆の最初の使用を日本に向けるはじめての記録となりました。

 以来半世紀以上を経て、枢軸国→共産主義国→ならず者国家とテロと相手が変わっても、アメリカは先制核攻撃を含め、敵視する政権を転覆させようとする核・軍事帝国主義への道を突き進んできました。今、「二人の警察官」は世界世論によって孤立しはじめています。

「原水協通信」2003年3月号(第709号)掲載


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