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反核ゼミ

1.ミクロの世界への誘い(1)
2.ミクロの世界への誘い(2)
3.ミクロの世界への誘い(3)
4.ミクロの世界への誘い(4)
5.アインシュタインの手紙 
6.英国生まれの原爆原理 
7.原爆1発分の濃縮ウラン 
8.プルトニウム原爆の可能性
9.危険なプルトニウムの製造
10.爆縮式プルトニウム原爆
11.米国の戦略に未来はない
12.原爆を手にした警察官
13.核帝国主義のルーツ
14.原爆と科学者
15.最初の原爆の投下目標

16.核政策のルーツを探る(1)
17.核政策のルーツを探る(2)
18.核政策のルーツを探る(3)
19.核政策のルーツを探る(4)
20.
原爆投下(その1)
21.
原爆投下(その2)
22. 原爆投下(その3)
23.
原爆投下(その4)
24.
原爆投下(その5)
25.原爆投下(その6)
26.原爆被害の隠ぺい(1)
27.原爆被害の隠ぺい(2)
28.原爆被害の隠ぺい(3)

 


第9回 危険なプルトニウムの製造

 シカゴ・パイル1号で天然ウランの連鎖反応に成功しましたが、エネルギーの出力は最大200ワットにおさえられました。100ワットの電球わずか2個分です。この実験は原子炉を臨界状態にしてみることが目的で、これ以上出力をあげると、放射能による人体への影響が懸念されたからです。

 原子炉を運転してプルトニウム239を1`c生産するためには、1`cのウラン238に中性子を吸収させなければなりません。ウラン235の原子核1個の核分裂で放出される中性子数が平均2・5個とすると、そのうちの1個はウラン235の原子核に吸収されて連鎖反応を維持します。残りの1個をウラン238の原子核が吸収してプルトニウム239になるとすれば、1`cのプルトニウム239を生産するためには1`cのウラン235の核分裂を起こす必要があります。1`cのウラン235の核分裂は広島原爆を上まわるエネルギーを放出します。このウラン235の核分裂を原子炉でゆっくり連鎖反応させるとしても、これは何十万キロワットというばく大な出力です。この出力による原子炉の温度上昇を防ぐためには、大量の水で冷やさなくてはなりません。それにウラン235の核分裂によって生じた大量の核分裂生成物の強い放射線の危険も問題です。

 マンハッタン計画の責任者グローブス将軍は、ウラン濃縮工場をつくる予定のテネッシー州のオークリッジに、プルトニウム239を製造するX―10と呼ばれた小規模の空冷式の原子炉とプルトニウム分離工場を試験的につくりました。しかし、オークリッジに大規模なプルトニウム製造工場をつくることは、オークリッジの東約50`bにテネッシー大学のあるノックスビルという町があり、放射能汚染の危険を避けるために断念せざるをえませんでした。

ハンフォードのプルトニウム工場
 代わりに選ばれたのが太平洋から400`bあまりコロラド川をさかのぼったワシントン州のハンフォードでした。ここは人口がまばらで、大量の水をコロンビア川から採り入れ、原子炉を冷却して放出できるという理由でした。

 プルトニウム239を製造する原子炉は放射線を遮蔽するために窓のない厚いコンクリートの建物の中に作られました。天然ウランを原子炉から出し入れしやすくするために、積み重ねられた黒鉛の穴にアルミニウムの管を横方向から差し込み、200dの天然ウランをスラッグ(筒状の塊)にしてアルミニウムの管に次々に押し込む方式が採用されました。原子炉を100日くらい運転してスラッグに中性子を照射した後でスラッグを取り出します。新しいスラッグをアルミ管に差し込むと、中性子に照射されたスラッグは、押し出されて放射能を遮蔽する純水のプールに落下します。こうしてプルトニウムを含んだスラッグはプールの中に約60日間置かれて、放射能が弱くなってからつり上げられて分離工場に運ばれました。

 現在の原子炉の冷却水は蒸気発生器または復水器まで循環し、直接河川や海水に流れ込まないようになっています。当時のハンフォードでは、25万`hの原子炉を冷却するために、川からポンプで取り入れた水を毎分284d、アルミニウムの管と黒鉛の穴の間を流すようにし、その水はそのままコロンビア川に放流されていました。いくらアルミニウム管で覆われているとはいえ、かなり放射性物質で汚染された水が下流に流れていったことになります。

 分離工場に運ばれたスラッグはなお強い放射能を帯びています。化学的にプルトニウムを分離する作業も危険きわまるもので、遠隔操作でおこなわれました。このプルトニウムの分離作業で生ずる放射性物質はそのまま大気中に放出されました。

 1945年春までにハンフォードには、安全のためにそれぞれ約10`b離れた3つの原子炉と3つの分離工場が建設されて生産を開始し、ネバダの核実験と長崎に投下された原爆のプルトニウムとなったのです。

世界大会で報告された深刻な放射線被害
 戦後まもなくプルトニウム工場は解体されましたが、半世紀を経た今日、周辺住民の放射線被害が深刻な問題になっています。

 一昨年と今年の原水爆禁止世界大会にハンフォード風下地域の農民のトム・ベイリーさんが参加し、放射能汚染の深刻な現状を報告してくれました。彼の母と妹、22才の甥もガンになっていました。彼の母の最初の子どもは死産で奇形だったそうです。彼の祖父母は全員ガンで亡くなり、父も肝臓ガンで死にました。ベイリーさんが幼い頃、体が麻痺して何度も入退院を繰り返し、髪の毛が2度も抜け落ちました。牧場では、頭が2つだったり、足が6、7本もあるもの、目玉がないものなど、さまざまな奇形の子牛や子羊が生まれたそうです。宇宙服のようなものを着た政府の役人が来て、ミルクや井戸水のサンプルを採り、学校ではボディカウンターで体の放射線を測られました。

 1986年になって、ベイリーさんの農場の5`b風上のハンフォードのプルトニウム工場から大量の放射性物質が放出され、空気や水、食べ物を汚染したことをアメリカ政府はやっと認めました。1991年に約5000人のハンフォード風下住民が工場を経営していたデュポン社を相手取って賠償金を求める訴訟を起こしました。一審で負けたため現在控訴審で争っています。さらに最近、エネルギー省はハンフォード工場跡地にある放射性廃棄物の貯蔵タンクに、他の州から放射性廃棄物を持ち込もうとしています。これに対し、図のようにコロンビア川下流のオレゴン州ポートランド市に本拠を置く「ハンフォード・ウオッチ」が反対運動を展開しています。

 ベイリーさんは世界大会で「長崎原爆のプルトニウムをつくる過程で、ハンフォードはヒロシマやナガサキと同じようにアメリカ人のヒバクシャをつくったのです」と訴えました。
 

「原水協通信」2002年12月号(第706号)掲載

 

               

 

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