5年連続開催をふり返ってまとめを掲載します。
2005-10YouthRallyFinalStatement.pdf
これをもって、このブログの更新も終了します。なお、「核兵器なくそう」という青年の行動は、今後原水爆禁止日本協議会(日本原水協)のML(http://groups.yahoo.co.jp/group/antiatom55/)や原水協通信ブログ(http://www.antiatom.org/Gpress/)などでフォローしていきます。
「核兵器なくそう・世界青年のつどい」という企画は「つどいinニューヨーク」をもって終了し、6月の早い時期に新しいイベント名の実行委員会が立ち上がる予定です。
ドイツ:カタリーナ・ベルグマン(核兵器遺産プロジェクト)
英語
speech_youthrally_katharina_English.pdf
日本語
speech_youthrally_katharina_Japanese.pdf
イタリア:ジョルジョ・アルバ(核兵器禁止世代=BANg)
英語
speech_youthrally_Giorgio_English.pdf
日本語
speech_youthrally_Giorgio_Japanese.pdf
アメリカ:ジェニファー・ノードストロム(シンク・アウトサイド・ザ・ボム)
英語
speech_youthrally_Jennifer_English.pdf
日本語
speech_youthrally_Jennifer_Japanese.pdf
フランス:ドミニク・モリエール(平和市長協会<アランド市長>)
英語
speech_youthrally_Dominique_English.pdf
日本語
speech_youthrally_Dominique_Japanese.pdf
4日間かけて県内を2コースで一周し、反核平和の「輪」をつくります。
毎年、独自ポスター、Tシャツを作成しています。デザインは青年組合員の手によるものです。
最近では、Tシャツに「名文句」の英文を印刷しています。
今年は「 There never was a good war or bad peace 」(「善き戦争のありしことなく 悪しき平和のありしことなし」 ベンジャミン・フランクリン)です。
ポスターデザイン↓クリック!
100601-04_Iwate.pdf
快晴の下、全国から5200人が参加したメイン集会の前に開かれた分科会では、テントに敷かれたブルーシートに入りきらず、立ち見、座り見が続出。のべ400人以上の参加がありました。
「核兵器なくそう・世界青年のつどいin静岡」でも決意を語ってもらった焼津代表の下村真琴さんを皮切りに、愛知、岡山、神奈川、秋田、佐賀など全国を網羅する報告者がマイクを握りました。
参加者からも活発な質問やコメントが出され、なんでも自分の意見を言い合える場になっていました。
この日のために準備した「つどい通信」号外や、核兵器ゼロにかけてドーナツを配ったBang-Europeのドイツ青年たちに連帯してバウムクーヘンを配ったことも好評でした。
集会後のアピールウォークでは、兵庫や熊本の青年がニューヨークで配布した青年ステッカーをプラスターにしたものを持って歩きました。
このブースでは、原爆被害展示組写真やNPT再検討会議日本原水協ニューヨーク行動の特徴的な写真を展示しながら、代表団として参加した青年たちに感想と今年の夏、広島と長崎で開かれる原水爆禁止世界大会へ向けた想いを語ってもらいます。
ニューヨークに行った方はもちろん、全国のみなさんの参加をお待ちしています。
「核兵器なくそう・世界青年のつどい」にご挨拶を送ることは、私にとって喜びです。核軍縮という共通の関心をもつ多くの国の青年が多数あつまることは、この困難の多い世界において、数少ない励まされることの一つです。
国連は人道につくす青年に門戸を大きく開いています。国連の軍縮における最優先課題は、すべての核兵器と大量破壊兵器の廃絶です。今私はこの歴史的目標をめざすエネルギーとビジョンをもつ新しい世代に呼びかけます。
しばしば世界規模の核軍縮は非現実的な夢であると耳にします。しばしばこのような主張によって、核兵器廃絶の目標は勝ち取る責任が私たちの子や孫の世代に先送りされようとしています。
核兵器独自の危険性と、遵守に高い基準を作る必要があるため、核軍縮はそれ自体が大きな事業であり、勝ち取ることは容易ではありません。しかし、それらは人間性のために行動を起こさないことの理由にはなりません。
今日みなさんは、核兵器廃絶のため、みなさんの連帯をより強固なものにするために集っています。国連のインターネットサイト「サイバースクールバス」にアクセスして、軍縮分野での様々な分野での努力について、Facebook、ツイッター、マイスペースや電子メールのネットワークを通じて、国連の「廃絶せよ!大量破壊兵器」のキャンペーンに参加していることでしょう。署名を広げ、サインを集めていることでしょう。国連の軍縮・不拡散プログラムに影響された学校教育プログラムで学んでいることでしょう。
核軍縮という偉大な大義にはみなさんの支持が欠かせません。国際連合は皆さんの支援を必要としているのです。そしていつの日か、みなさんの子どもや孫の世代がみなさんのリーダーシップを振り返ることでしょう。ですから、みなさんの軍縮分野の関心に感謝し、これから直面するであろう困難にもめげないでください。未来は本当にみなさんの手にあります。みなさんの集会の成功を祈念しています。
メッセージPDF版
Message by UNODA High Representative.pdf
冒頭、高草木博日本原水協事務局長が核兵器をタバコに例えてわかりやすく説明しながら、核兵器のない世界はどうすれば実現できるのかを講演。
「現にある核兵器の危険、アフガニスタンへの攻撃、環境破壊、経済格差などはすべて人間の活動によって引き起こされているので、人びとが動くことでそれらを止めることはできる」と指摘し、そのことをもっとも体現している原水爆禁止運動に参加した若いみなさんがニューヨークで大きくアピールして、広島・長崎につなげてほしいと期待を語りました。
準備委員会から、ニューヨーク滞在中の青年行動スケジュールの説明があり、参加する16人の代表が決意表明を行いました。
「学内で折り鶴と署名を集めている。予想以上にメッセージを書いてくれるし、頑張ってくださいと言われて元気をもらっている」、「昨年12月にデンマークで行われたCOP15に参加し、若者の力で世界をリードしていることを見てきた。若者のパワーで会議をする人たちに伝えて動かしたい」、「バイト先の塾でニューヨークに行くと言ってスタッフに署名を書いてもらっている。埼玉の戦争展でニューヨーク行動のパネルを創ることになっているので、帰ってきてからも報告会などで広げていきたい」、「人生初のカンパ活動をやり、お年寄りから応援されたことがすごく嬉しかった。10人の外国人青年と平和について語ることが目標」、「初海外で語学もあまりできないけど体当たりで『核兵器はどんな兵器だと思いますか?』などアメリカ人にアンケートしたい」、「学生時代にこういう経験ができるのは光栄。歴史を動かしてきたのは人びとの行動なので、その一翼を担えたらいいなと思う」、「庭師なので公園に興味がある。セントラルパークでiPodを聞きながら散歩して、出会う人に署名をもらいたい。(準備委員会がグッズとして用意するシールの色が)ジャパンブルーということで、ぼくらは核兵器廃絶の日本代表なのだと思った」など次つぎと思いが語られました。
最後に松山友幸全労連青年部長から「ニューヨークに1500人行くということの重みももちろんだが、みんなが帰ってきてさらに大きく広げることが大事。核兵器のない世界を実現させるために日本の青年、世界の青年と一緒に力を合わせよう」と提起がありました。
ニューヨーク行動青年スケジュール(予定)
◆4月30日(金) イベント@ニュースクール(※詳細は照会中)
主催:TOTB(アメリカ)参加対象:Aコースの青年
◆5月2日(日) バーモント州の学生との交流(※詳細は照会中)
主催:ジョゼフ・ガインザ(アメリカ)参加対象:学生代表
◆5月2日(日) 14:00~ 核兵器のない世界のための国際行動デー集会・パレード@タイムズスクエア
参加対象:全員 世界中の青年が青色を身につけてパレードに参加することになっています。
◆5月3日(月) 8:00~12:00 集会&パフォーマンス@国連前
主催:Bang 参加対象:希望者 NPT再検討会議開会日。世界中が注目する中で世界の青年たち「核兵器No!」の声を国連にアピールします。
◆5月4日(火) 15:30~18:00 核兵器なくそう・世界青年のつどいinニューヨーク@SEIU1199オーディトリウム(つどい終了後、同所でアフターパーティ―あり。軽飲食つき交流会。参加費$10。)
※このほか、原爆被害展示組写真を学校に届ける訪問行動や街頭署名行動も予定されています。
※行動は変更になる可能性があります。
開催日時:4月20日(火)19:00~20:45 (18:30開場)
開催場所:平和と労働センター・全労連会館3階会議室
(JR「御茶ノ水」駅徒歩7分、東京メトロ丸ノ内線「御茶ノ水」駅徒歩5分)
地図 http://www.zenrouren-kaikan.jp/image/kaikan_acsess_map_large.jpg
ふるってご参加ください。
メッセージ
「核兵器なくそう・世界青年のつどい2010inニューヨーク」が開催されるに当たり、メッセージをお送りいたします。
ヒロシマは、65年前の被爆体験を原点に、核兵器廃絶と世界恒久平和の実現を訴え続けてきましたが、その努力はようやく世界的な動きにまで発展してきました。
昨年4月のオバマ大統領によるプラハでの「核兵器のない世界」に向けた演説以降、世界は今正に核兵器廃絶に向けて大きく動き出しています。このようなリーダーが活躍し始めた時代に生きる私たちは力を結集して、核兵器廃絶に向け全力を尽くさなければなりません。
本市は、全世界の約3,800都市が加盟する平和市長会議やこれら加盟都市の市民、世界のNGO等と連携して、2020年までの核兵器廃絶を目指し「2020ビジョン」を展開しています。2020年が大切なのは、一人でも多くの被爆者と共に核兵器の廃絶される日を迎えたいからであり、また、私たちの世代が核兵器を廃絶しなければ、次の世代への最低限の責任さえ果たしたことにはならないからです。
私たちは、現在開催されているNPT(核不拡散条約)再検討会議において、2020年までの核兵器廃絶への具体的道筋を示した「ヒロシマ・ナガサキ議定書」の採択や議定書の趣旨を踏まえた国際合意が得られるよう、全力で取り組んでいます。
核兵器のない世界の実現は、人類史上、特筆すべき出来事になります。本市は、2020年の核兵器廃絶実現を記念する「平和の祭典」として、2020年オリンピック招致を検討しています。
21世紀は、都市や市民の力で問題を解決できる時代です。対人地雷の禁止、グラミン銀行による貧困からの解放、温暖化の防止等、大多数の世界市民の意思を尊重し市民の力で問題を解決する地球規模の民主主義が発芽しつつあります。その芽を伸ばし、核兵器廃絶というさらに大きな問題を解決するためにも、平和を願う「核兵器なくそう・世界青年のつどい2010inニューヨーク」が開催されますことは誠に意義深く、その取組に対し深く敬意を表します。
皆様には、今後とも、核兵器廃絶とオリンピック開催という二つの夢の実現に向け私たちと共に力を尽くし、行動して下さることを心から期待いたします。
終わりに、「核兵器なくそう・世界青年のつどい2010inニューヨーク」の御成功と御参加の皆様の今後ますますの御健勝と御多幸をお祈りいたします。
藤本さんは昨秋、反核医師の会・医学生部会の2期目の代表になり、できたばかりの医学生部会の活動のきっかけを作りたいと思い、まず現地で実際に学んで、学生どうし交流しようと呼びかけました。
当日は藤本さんの他に福岡大学の医学生、藤本さんの地元の友人で広島の大学に通う看護学生と工学部生、春から大学生になる藤本さんの妹さんの4人が参加。
初日は本通りや平和公園の遺跡・碑巡りをした後、広島県被爆者団体協議会(被団協)事務所で被爆者の矢野美耶子さん、吉岡幸雄さんから被爆体験を、県被団協事務局次長の大中伸一さんから原爆とは何かについて話を聞きました。
碑めぐりでは、アンデルセン(ベーカリー)、福屋デパート、レストハウス、原爆ドームなどを歩きながら、当時の広島の街は軍事・商業都市としてとても繁栄していて、豪華でおしゃれな建物もあったこと、たくさんの人が集まり生活していた街の上に原爆が落とされたことなどの説明を聞き、人びとや建物の被爆前から現在、そして未来に思いを馳せました。
原爆ドームのすぐ近くにある墓地では、墓石に昭和二十年、二十一年と刻まれているものの多さに、いかに大勢の人が原爆で殺されたのかと胸が痛くなった。家族をことごとく奪われながら「原爆」「原爆症」と刻んだ方の無念の思いを感じたといいます。
碑めぐりを終えた藤本さんは「平和公園だけでなく、広島にある公園には多くの碑があることに気づいた。また、占領下のプレスコードの下、初期の碑には『原爆』という字を書けなかったことも知った」と語りました。
・矢野美耶子さんのお話
当時14歳。体調を崩して建物疎開の作業を休み、爆心地から4キロの自宅で被爆。「真面目に動員にいって働いていた者が死んでなまけたものが生き残った」と同級生の家族に言われるなど、生き残った負い目。外傷は負っていなかったが、貧血や体のだるさ、病院に行っても「4キロも離れていたなら原爆症でない」と言われる。
20代で上の全部の歯が抜けて入れ歯に。人前に出ることができないで年月を過ごした。
近所の人から新日本婦人の会に誘われ、(被爆者の手記集)『木の葉のように焼かれて』を読み、「無知だった」「ひきこもって取り返しのつかない19年間を過ごした」と思い、それから被爆者の体験を聞き手記にまとめる活動や、被爆体験を証言したり碑めぐりなどの運動に。その運動について周囲や親族から非難を浴びるなど、「真実を伝えるのは勇気のいることだなと思った」、しかし「分かったら言っていかなきゃいけない」。
・吉岡幸雄さんのお話
当時16歳。建物疎開の動員にクラスは8月5、6日が割り当てられ、爆心地から800mの県庁へ行くことになった。クラスを2班に分け、級長と副級長がじゃんけんをして動員日を決め、勝った吉岡さんの班は5日を選択した。6日に負けた班の二十数人は県庁に出かけて三分の二が即死し、それ以外の人も一週間以内に全員が死亡。じゃんけんで同級生の生と死が決められたことが生涯の重荷になってきた。
吉岡さん自身は父親と爆心地から1.7キロの鶴見橋付近で被爆。目のくらむような閃光を感じて気を失う。焼けて垂れ下がった額の肉を縄で縛り上げ、無我夢中で家まで逃げる。背中三分の二、右足三分の一、両腕関節のやけどは化膿しウジがわいた。半年後にはやけどは癒えたが、右足関節がくの字に曲がって歩けない。引き延ばす治療の度に肉が裂け、血が噴き出した痛さは忘れられない。
復学、就職したが、以前の根性や積極性は失せ、自分の殻に閉じこもる毎日。体はいつもだるく、何をするにも意欲がわかない(「原爆ぶらぶら病」)。行く末を思い悩んで何度も自殺を図る。宗教にも救いを求めたが、「自分には懺悔する何があるのか」とかえって絶望感に襲われた。朝鮮戦争の時、トルーマンが「原爆投下に良心の呵責は感じない。戦争には原爆が使われるだろう」と公言したことに激しいショックを受け、三日三晩かけて英語の抗議文を作り、送った。そうせざるを得ない何かが心の中に突き上げてきた。多くの被爆者があの戦争で加害も被害も体験した。多数の犠牲者、被爆者をつくり出した戦争は、国による最大の暴力、犯罪。人権も生存権も心の自由も無茶苦茶に破壊したのが戦争。戦争も核兵器も、悲劇を繰り返させてはならない。これが被爆者の真の願い。
夜、感想を交流すると、広島の学生は「広島に生まれてこれからも広島で生きていこうと思っている。原爆のことを学ばなきゃと思った」などと話していました。この学生は、2日目に解散した後も、一人でもういちど資料館を見学しました。
2日目は大中さんのナビゲートで平和祈念資料館を見学し、原水爆禁止日本協議会(日本原水協)代表理事の沢田昭二さんの講演会「原爆被害はどんなものか」に参加して学びました。
広島出身の藤本さんは、大学に入って日本民主青年同盟の仲間に出会い、原水爆禁止世界大会にも参加をする中で原水爆禁止運動に興味を持ったといいます。
藤本さんが大学に入学し広島を離れたと同時期に被団協の碑巡りガイドを始めたお母さんの協力も得て、今回とりくんでみた感想は・・・。
「以前までよくは分かっていなかった碑めぐりの意味を知ることができました。ガイドを勉強して、友だちと広島を歩くときには、少しでも話したい」。その思いから、春休み最後の日にも、『ガイドブック ヒロシマ -被爆の跡を歩く-』(新日本出版社)を手に、一日かけて原爆遺跡を歩いてめぐり、広島の街をあらためて見つめたと言います。
「資料館には何度も行ったことがあるし、昨年の原水爆禁止世界大会にも参加していたが、まだまだ知らないことがたくさんあったと気づきました。被爆や戦争を体験した人が少なくなるなか、ヒロシマの人たちがどんな思いをしてきたのか、感じとることができたと思います。高齢の被爆者の方が、元気に活動なさっている姿に、若い世代に託されている、平和な世界をつくっていってほしいという思いを受けとりました。人を幸せにする生き方や仕事をしたい、これからもっと勉強しなくっちゃーと思いました」。
また、「教科書に書かれない、資料館でも分かりにくい真実をもっと知りたい、そこに現在につながる問題がありそうだと思いました」と、戦前戦後の社会や政治についても学んでいきたいと言います。
「つながりのある学生に声をかけると、学んでみたいという反響が大きかったし、人数は少なかったけど、いっしょに思いを話し、交流しながら、しっかり学べたことがとても良かったです。自分たちだけでなく、現地で平和をまもる活動をされている方々に出会えたことが大きかったと思います。今回得たことをきっかけに、さらに学びを広げたい」。
フィールドワークの前日、泊まりに来ていた妹さんの友人3人に『核兵器のない世界を』国際署名と『学費負担軽減と高等教育予算増額を求める請願署名』を見せ、良かったら書いてと言ったところ、「書きますよ!」と快く応じてくれたことがうれしかったと話す藤本さんは、核兵器廃絶を早く実現させるために今回学んだことを生かして、NPT再検討会議までにもっと署名を集めたいと話しています。
フィールドワークに参加させていただいて
広島県原爆被害者団体協議会(広島県被団協)平和学習部長 大中伸一
私たち被団協は、平和学習として、①被爆者の体験を聞く、②平和公園の碑めぐりをする、③数は少ないものの原爆遺跡をめぐる、④資料館を見学する、の4点を中心に考えていますが、すべてを行われた藤本さんの活動はすばらしいと思います。特に、体験を聞く機会は被爆者の高齢化で大変厳しくなります。碑めぐりも、碑やモニュメントは、作られた意図、背景、訴えたい内容などは、専門的にやっている平和学習講師に聞かないと通り過ぎるだけになります。1~2回めぐればガイドブックもあるので、自習してもらって、今度は自分で語れるようになります。その学習の手伝いはいくらでもやりたいと思っています。私たちも平和学習講師(私たちは「ピースナビゲーター養成講座」と呼んでいます)要請を行い、被爆の体験、被爆の実相を「継承したい」、「新しい活動の担い手を育てたい」と考えています。
それでは、「被爆体験継承」をどう進めたらいいのでしょうか。被爆者以外は「実体験」はありません。しかし、人間は、碑や遺跡を通して、また被爆者の体験を聞いて、「被爆者と同じ気持ちを共有できる」=被爆を「追体験」し、学び取ることが出来ます。これは被爆していなくても広島に住んでいなくても出来ます。その「追体験」を今度は、「自分の言葉にして」、次の世代への「追体験」になるように語っていく、こうする以外に被爆者亡き後の「被爆の体験を継承する」のは難しいのではないでしょうか。それが「核兵器廃絶への大きな力と人類が生き残るための警鐘」になるのではないでしょうか。
また、「被爆体験を継承する」「もっと多くの隠された真実や被爆の実相を知りたい」「学びたい」という、若い世代・青年の持つ特性が生かされるのが、今回のようなフィールドワークではないでしょうか。私たち被団協も、直接被爆を体験した世代から、被爆2世が運動を引き継がなければならない事態は目前です。数県の被団協が解散しているいま、早急に全国的な運動展開が重要です。そのために私もがんばりたいと思っています。
私も案内をさせていただいて、青年の運動に勇気づけられたし、なによりも被爆体験を語った矢野さん、吉岡さんが激励されたと思っています。私たちの碑めぐりや体験を聞いてもらう活動は修学旅行が中心ですが、今回のように、少人数でも対応しています。ぜひ、全国の青年が広島を訪問し「被爆の実相を学び、被爆体験を継承する平和学習」をしてほしいと思っています。
今は、こちらに来ていただいて、平和学習講師の「手配師?」が私の主な任務ですが、できれば全国各地に「出前」で講演や「体験を聞く会」を開いていただいて、そこに、「平和学習講師」を派遣する、そんな手配や仕事をするのが「私の夢」です。
問い合わせ
広島県原爆被害者団体協議会(広島県被団協)
〒730-0853 広島市中区堺町1-2-9 貴志ビル203号
電話 082-296-0040 FAX 082-503-2755
Eメール peacenave@adagio.ocn.ne.jp
平和学習部 担当 大中伸一
原水爆禁止広島県協議会(広島県原水協)
〒732-0052 広島市東区光町2-9-24
電話 082-568-5530 FAX 082-568-5536
▲田上富久長崎市長
世界から多くの青年の皆様のご参加のもと、「核兵器なくそう・世界青年のつどい2010 inニューヨーク」が開催されるにあたり、長崎市民を代表してご挨拶を申し上げます。
長崎に原爆が投下されてから今年で65周年が経過します。まちは廃墟の中から復興し、国際平和文化都市として繁栄するものの、心と身体に生涯癒えることのない深い傷をおった多くの被爆者が、今日もなお原爆の後遺症に苦しんでおります。
「核のない世界の実現」をめざす、オバマ米国大統領の核軍縮への積極的な姿勢をうけ、関係各国もようやく核兵器廃絶にむけて一歩を踏み出だしました。さらに、この好機を応援し、核兵器廃絶を求める世界の人々のうねりも急激に高まっております。
本年5月に開催されるNPT(核不拡散条約)再検討会議は、今後の核兵器廃絶の鍵を握る大変重要な会議であり、私達の活動をとおして少しでも貢献できればと考えております。
核兵器のない未来の実現のためには、世代や国境を超えて連帯することが必要です。「核兵器なくそう・世界青年のつどい2010 inニューヨーク」を通して、多くの人々が戦争の愚かさや核兵器の非人道性について理解を深め、核兵器廃絶を目指して力を尽くしていただくことを期待いたします。
最後になりましたが、今回の催しのご成功と皆様のご活躍、ご健勝を心から祈念申し上げます。
お気に入り登録、応援よろしくお願いします。
大越さんの決意・メッセージ
これまでは平和活動に自分が参加することで終わっていたのですが、戦争を体験した先輩方の「声をあげられなかった僕らは加害者の意識を持っている。だからこそ二度と同じ過ちは繰り返したくないし、若い人達にもっと自分のこととして感じてもらいたい。あきらめないでほしい」と行動する姿や、被爆者の方々の命をかけて闘う姿に私自身が動かなきゃ!と思いました。
どんな理由があろうとも、武力の行使を認めることは、人の命を奪うことと同じだと思います。遠まわりでも対話できる世の中を求めて!
高校生たちは、4月の1ヶ月間、原宿での署名活動を次のような日程で計画しています。
4月6日(火)午後2時から
4月7日(水)未定
4月10日(土)午後2時から
4月11日(日)午後
4月18日(日)午後1時30分から
4月24日(土)午後1時から
4月25日(日)午前10時30分~12時、午後2時から「NPT参加者激励会」
高校生の積極的な取り組みへ応援する意味も込めてこの署名活動へのご協力をお願いします。もし可能な方がいらっしゃいましたら、下記メールまでぜひご連絡をお願いします。
東京高校生平和ゼミ連絡会HP http://www.geocities.jp/tokyo_khs/
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駅前宣伝では、NPT参加メンバー全員(神奈川学生2人&高校生1人&社会人3人)がハンドマイクで、リレートークで花見に向かう人たちに署名を呼びかけたところ、急ぎ足の中でも足を止めて署名をしてくれる人がいました。
「こういった活動は大事ですね」「NPTのことは知りませんでした」といった人ともたくさん、対話ができました。署名は22人から寄せられ、2人からメッセージをもらい、12100円の募金がよせられました。
終わった後は署名を呼びかけた著名人の顔写真が載った大判幕を桜の木に吊り下げてお花見。「折鶴おりませんか?」とさりげなくアピールしながら鶴を折り、大きく注目を集めました。
西南ニュース(PDF)
seinan.pdf ←クリック!
3ヶ月以上かけて広島まで歩き、原水爆禁止世界大会に参加します。
出発の朝、母校の正門から父子の堅い握手を交わし一歩を踏み出した渡邉さん。1700キロ以上の旅が始まりました。
旅程は旭川から札幌、中山峠を越え函館へ。本州に渡って青森・六ヶ所村を歩きます。その後は本州の真ん中、東北の山間部を真っ直ぐ南下。北関東に入り、群馬・長野・岐阜・滋賀・京都。京都では少し滞在し、後に大阪・兵庫・岡山。あとは瀬戸内側を広島まで歩きます。
渡邉さんは旅の記録をブログに書きます。皆さんの近くを通るときは、ぜひ一宿一飯の激励をお願いします。
ブログは↓をクリック!
http://d.hatena.ne.jp/asahiroshima55/
渡邉さんはこの2年間、日高の親戚宅で農業研修生として働きながら旅費をコツコツ貯めてきました。少ない給与のなかで25万円貯めたそうです。ですが、旅程を考えるとまだ足りません。毎日の宿泊は基本野宿なので「寒い北海道は早く出たい」(渡邉さん)とのことです。
ぜひ旅費カンパにもご協力下さい。
◆振込先
みずほ銀行 釧路支店
口座番号 1070334
口座名義 渡邉 恒
(渡邉の邉は自の下にカンムリ、ハロにシンニョウ)