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2008年03月28日

「つどい`08in広島・長崎」準備委員会がオルダーマストン平和行進報告会

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手前から山崎恵理菜さん、椎野綾さん、広島被爆者の佐藤良生さん

「核兵器なくそう・世界青年のつどい2008in広島・長崎」準備委員会は、4月5日(土)午後2時から東京・御茶ノ水の平和と労働センター・全労連会館3階全労連会議室で、英オルダーマストン50周年平和行進代表団報告会を開催します。

同代表団に参加している東京の大学生椎野綾さん、山崎恵理菜さんが出席し、行進の映像上映や、感想を交えながら交流します。

同準備委員会は、1ヶ月後の50周年国民平和大行進を多くの青年の参加で成功させるためのプレ企画として位置付けるとともに、8月に開催する「つどい`08in広島・長崎」のメインテーマである「継承と発信」の具体化のひとつとして、オルダーマストン平和行進代表団にも参加している神奈川県の被爆者・佐藤良生さんにも出席してもらい、被爆体験などを聞くことにしています。

オルダーマストン50周年平和行進青年報告会
【日 時】 2008年4月5日(土) 午後2時半~5時(2時開場)
【会 場】 平和と労働センター・全労連会館3階 全労連会議室
【アクセス】 〔JR〕 ●総武線 御茶ノ水駅から徒歩8分 
〔地下鉄〕 ●東京メトロ丸ノ内線 御茶ノ水駅から徒歩7分
●東京メトロ千代田線・都営新宿線 新御茶ノ水駅から徒歩10分
●東京メトロ丸ノ内線 本郷三丁目駅から徒歩12分
【地 図】  http://www.zenrouren-kaikan.jp/kaikan_acsess.html
【参加費】 500円
【内 容】  学生からの報告、オルダーマストン行進の映像上映、被爆者のお話など

【お問合せ先】
核兵器なくそう・世界青年のつどい2008準備委員会
〒113-8464 東京都文京区湯島2-4-4平和と労働センター6階
(TEL)03‐5842‐6035
(FAX)03‐5842‐6033
E‐mail:youth@antiatom.org
Web:http://www.geocities.jp/youth_against_nukes/index_jp.html
(担当者:前川史郎)

竹田昭彦日誌(06)3月27日(木) 〈グリニッチ天文台で東と西を一跨ぎ〉

今日は、帰国日です。

昨日も、終日の行動でした。なかなか自由時間がありません。そこで今日、ホテルから帰国の飛行場へ向かう午後3時までが、自由時間となりました。観光旅行でありませんから、ほとんどの人が自由時間の計画を立てていません。

私と女性4人は、急きょ、グリニッチ天文台へ行くことになりました。このことを私が知ったのは昨日の夜の10時過ぎでした。それも天文台見学後、更に行きたい場所を考慮し、朝の7時出発です。

そもそもこの話しは、私が2002年4月に走ったロンドンマラソンのスタート地点が、天文台のあるグリニッチ公園だった体験談が、きっかけでした。

地下鉄を乗り継ぎ、短時間で効率よく行けるか不安でした。朝の4時に起き、そのマラソン大会の数日前に、天文台を下見したこと思い浮かべ、ホテルのフロントの人を頼りに下調べをしました。

行動は順調に進み、天文台へ9時前に着きました。10時の開門まで待てないので、外まで引かれた子午線で、東経と西経を跨ぎました。有意義だったと思います。

天文台は、現在使われていませんが、東経0度と西経0度の起点です。世界の標準時間もここが基準になっています。各国各地の時間は、東経と西経が15度進む毎に1時間ずつズラしています。日本の時間は、東経145度の兵庫県明石市を基準にした時間帯で、9時間進んでいます。これは、地球の自転で日本がグリニッチより早く夜が明けるからです。

グリニッチ天文台の子午線(壁から地面に引かれた線)で、東と西を一跨ぎする平和行進団の婦人たち_t.jpg

グリニッチ天文台の子午線(壁から地面に引かれた線)で、東と西を一跨ぎする平和行進団の婦人たち

今回の平和行進団は、イギリスのCNDにたいへんお世話になりました。特に、マイクロバスをレンタルされ、幹部3人が2日間ずつの交代で運転と案内をされました。バスは17人乗りで、ちょうど行進団15人が座れる仕組みになっていました。全席埋まれば全員集合の確認ができ、重宝しました。ただし、荷物の置き場所を見積もっていなかったようで、乗り降りのタビに苦労談がありました。車中は笑い声が絶えず、居眠りする暇などありません。

目的を達成して27日の午後、無事成田空港に着きました。

CNDの方々及び同行者の皆さまには、たいへんお世話になり、誠にありがとうございます。

CND(核軍縮キャンペーン)のシンボルマーク=Campaign for Nuclear Disarmament の頭文字を手旗信号で表現している_t.jpg

CND(核軍縮キャンペーン)のシンボルマーク=Campaign for Nuclear Disarmament の頭文字を手旗信号で表現している

2008年03月27日

竹田昭彦日誌(05)3月26日(水) 〈平和のメッセージを寄せる学生たち 〉

今日は、朝の9時過ぎにロンドンのホテルを出て、西へ90㎞ほど行ったオックスフォードシャー州のオックスフォード市(州都)へ行きました。同市は、これまで訪問したバークシャー州のグリーナムコモン、オルダーマストン、レディング(州都)の北方に位置し、35㎞ほどの至近距離です。

レディング市とオックスフォード市は、共に平和市長会議に参加しています。米軍の巡航核ミサイル基地のあったグリーナムコモンや、核兵器工場があるオルダーマストン周辺は、反核平和都市が多いようです。

オックスフォード市での訪問は、チェニー(CHENEY)という名前の学校でした(10時40分着)。その学校は州立で、日本の中学と高校を一緒にした学校です。

学校には、日本語の先生(日本人)もおり、日本へ修学旅行をしています。日本に対する関心が高く、ホールには日本と関わりのある写真類を掲示してありました。

そのホールで、佐藤さんの被爆体験談や日本の参加者の訴えを聴いてもらいました。ここでは、時間の余裕があり、平和行進団の各人が、初めて思い思いの話をすることができたのです。1回目は高学年生51人が出席し、2回目は低学年生55人が出席しました。昨日訪問した学校と同じように、似通った質問が出ました。

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被爆写真パネルを使って話す平和行進団

閉会の挨拶をした歴史担当の先生は、「今日の話を聴いて各クラスで討論するのが楽しみです」と結ばれました。

生徒たちがホールを出るとき、愛知の人が用意したハート型の色紙に、日本の平和運動へのメッセージを競って書いていました。そして、生徒に署名用紙を持ち帰ってもらいました。

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平和のメッセージを書く学生たち

学校でサンドイッチの昼食をごちそうになり、お別れは午後2時を過ぎていました。3時間半の滞在です。
帰路、若い人たちの要望で、物語「ハリーポッター」映画化の撮影場所になったオックスフォード大学を見学しました。「ここがあの場面だ」と歓声が出て、満足したようです。砂岩を巧みに加工して建てた超歴史ある大学です。教会の礼拝堂のような食堂と、広いスペースの中庭が印象に残ります。

2008年03月26日

竹田昭彦日誌(04)3月25日(火) 被爆体験を熱心に聴く生徒たち

今日は、午後にレディング市(READING、人口20万人)の公立学校を訪問しました。

1時過ぎ、学校へ着くと、門柱に「READING SGHOOL」と書いてありました。学校の特別名はないようです。この学校では、11歳から18歳までの生徒が勉強していました。日本でいうならば、中学生と高校生にあたります。

歴史ある学校で、創立は1500年代だそうです。レディング市の学校といえば、この学校をさすので、特別名はないのでしょう。

出迎えられた校長先生は、戦争体験者から話を聞き、平和教育に取り組んでいると話され、歓迎の言葉を述べられました。昨年は、当校の1930年代の卒業生から、第二次世界大戦の話を聞いたそうです。

日本の平和行進団から被爆体験を聴く授業は、天井がアーチ状に木で組み立てた空間の高い講堂でした。授業は、「高校生」クラス(男17人、女2人)と「中学生」のクラス(28人)と、2回に分け開かれました。1回あたりの授業時間は、35分です。

広島での被爆体験は、団員の佐藤良生さんが、スライドや本人が書いた原爆被爆絵を使って話しました。生徒たちは、熱心に聴いていました。

質問時間になり、「イギリスに核兵器が何発ありますか」、「原爆投下の予告はあったのですか」、「佐藤さんは、なぜ生き延びられたのですか」、「反対運動をすすめてから、何人参加しましたか」などと、矢継ぎ早に出ました。時間が足りなく、手をあげても質問できない生徒もいました。出された質問は、的を射ており、うれしく思いました。

もっと時間があったならば、核兵器をなくさなければならない意味あいが、大きく深まったと思います。最後に校長先生は、生徒に感想文を書くよう指導していました。

体験を話した佐藤さんは、「生徒たちは、よく聴いており、話しがいがあった」と言っていました。

原爆被爆の体験談を聴く生徒たち=レディング・スクール講堂_t.jpg

原爆被爆の体験談を聴く生徒たち=レディング・スクール講堂

2008年03月25日

竹田昭彦日誌(03)3月24日(月) 核兵器工場を5千人が包囲

今日は、核兵器廃絶を訴え、オルダーマストンにある核兵器工場及び核兵器研究所のある施設を、人間のクサリで包囲する日です。

11時半過ぎ、泊まった教会を出て、核兵器工場へマイクロバスで向かいました。工場の防護フェンス沿いの道に入ると、続々と参加者が集まっています。私たち日本の行進団の中から、「いる!いる!」と、歓声が上がりました。

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核兵器工場を包囲した人間の鎖

金網のフェンスには、核兵器廃絶や戦争反対を訴える横断幕やステッカーを貼っています。軍事基地のフェンスに反戦の横断幕を貼るなど、日本では体験がありません。すぐはずされるか、逮捕ものです。イギリスでも、貼紙禁止令はあるそうですが、今日の包囲行動には、許可が出たそうです。「信じられない」。各参加者たちは、持ち場のグループごとに貼りめぐらし、アピールしています。軍事基地のフェンスに「平和」の花が咲いたようです。

イギリスは、国民の反政府抗議行動に対し、日本政府の対応とは違うようです。昨日、メインゲートで核兵器工場の施設責任者に対し、日本の平和行進団が訴えた核兵器廃絶の要請行動には、担当官がゲートの外に出てきて、片山明吉団長(長崎県原水協事務局長)からの要請状を受け取りました。そして、広島の被爆者佐藤良生さん(神奈川県在住)の訴えも聞き、折鶴を受け取りました。

核兵器工場の担当官(左)に折り鶴を渡す被爆者の佐藤良生さん(右)=核兵器工場メーンゲート前、3月23日_t.jpg

核兵器工場の担当官(左)に折り鶴を渡す被爆者の佐藤良生さん(右)=核兵器工場メーンゲート前、3月23日

核兵器工場包囲行動の開会集会は、12時から始まりました。各ゲートごとなどで集会を開いているようです。「人間の鎖」達成の合図は、午後2時でした。一斉に楽器などの鳴り物と、大きな歓声がこだましました。

日本の行進団は、国連に核兵器廃絶を要請する署名をお願いしたり、「平和」と書いたウチワや、折り鶴をデザインした「NO!NUKES」と書いたバッチを配布しました。周りの人が寄ってきて、積極的に署名するなど、会話がはずみました。署名の集計は、135筆です。

イギリスの参加者たちは、仮装したり、化粧したり、歌って踊り、怒りを表す抗議行動と共に、楽しんでいるようにも見えました。日本の行進団も輪に加わり、「原爆ゆるすまじ」を歌いました。

包囲は、約5㎞のフェンス沿いに5千人が参加し、「人間の鎖」が完成しました。

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日本の平和行進団が「原爆ゆるすまじ」を歌う

2008年03月24日

竹田昭彦日誌(02)3月23日(日) 核基地を撤去させた女性のパワー

今日は、日本の平和行進団が、米軍の核兵器があったグリーナムコモン基地から、イギリスの核兵器工場があるオルダーマストンまで、20㎞を歩く日です。

早朝から、小雪や小雨が降る天気でしたが、イギリスで平和行進できるチャンスがおとずれ、胸が騒ぎます。最悪の天気を想定し、雨カッパを背負い、宿を出ました。

10時前、かつて米軍の巡航核ミサイル基地のあったグリーナムコモン基地(現公園)へ着きました。その中央広場で、CND(核軍縮キャンペーン)から特製の旗の贈呈式がありました。挨拶したケイト・ハドソンCND議長は、「イギリスの核兵器反対運動は、日本の運動から励ましを受けてきました」と話し、日本の原水爆禁止運動に連帯を表明されました。

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CNDから寄贈された旗(左側)とケイト・ハドソン議長(旗を持つ左から3人目)=グリーナムコモン基地、3月23日

雨もやみ、贈呈された旗と日本から持参した旗や横断幕をかかげ、基地内を4㎞ほど行進しました。犬と散歩をしている人に会うと、ニッコリされ、手を振られました。基地は、建物などの施設が撤去され、広大な野原です。その中で、核弾頭付のミサイルを貯蔵していたサイロだけは「保存」してありました。土盛りされた弾薬庫のような、分厚いコンクリートの要塞です。「負の遺産」として、残しているようです。

かつて、基地の正門前に張られていた、核基地反対女性キャンプテントの跡地(現グリーンパーク)で、基地撤去の闘いの報告を受けました。女性たちは、核兵器を運搬する車の前に、体を張って座り込んだり、人間の鎖で基地を包囲したりしたそうです。毎日、監視運動を続けていると、どの車が核兵器を積んでいるか、見分けがついたそうです。その車が通ると、ピンクの色を付けたお粥を投げつけ、目印にしたそうです。身振りを入れ、熱っぽく語る年配のレベッカ・ジョンソンさんの話に、胸が熱くなりました。

核基地撤去運動の報告をするレバッカー・ジョンソンさん(左から2人目)=グリーンパーク、3月23日_t.jpg

核基地撤去運動の報告をするレベッカ・ジョンソンさん(左から2人目)=グリーンパーク、3月23日

この核基地撤去運動は、女性を先頭にしてイギリス全土に広がり、1987年に撤去されました。1951年から置かれた米軍の核基地は、国民の運動で撤去され、勝利したのです。

私の住む神奈川には、核兵器を搭載できるアメリカの第7艦隊が、横須賀港を母港にしています。今回、イギリスで米軍核基地を撤去させた報告を聞き、日本でも、国民の手で、必ず米軍基地を撤去できると確信しました。

今日の行進は、日本の平和行進団のために組まれていました。CNDのスタッフの皆さんが、細心の注意をはらい、安全に誘導されました、早足で20㎞歩く「強行軍」でしたが、イギリスの平和運動の歴史を肌で感じる素晴らしい機会でした。

2008年03月23日

竹田昭彦日誌(01)3月22日(土) 無事イギリスに到着

イギリスでは、1958年のイースター(4月)に、初めて核兵器反対の平和行進が行われました。場所は、ロンドンから核兵器工場のあるオルダーマストン(ロンドンの西方)までで、1万人が参加したといわれます。その行進から、今年で50周年になります。

日本でも、原水爆禁止国民平和行進が1968年にはじまりました。

日本も、今年で50周年です。偶然か、以心伝心か、たいへん興味を引かれます。

イギリスの核兵器反対の平和行進で生まれた、反核平和運動組織CND(核軍縮キャンペーン)から日本原水協へ、50周年目の平和行進に参加要請がありました。

私は、その歴史と参加要請を知った瞬間、参加し、連帯の気持ちを表明したいと思いました。さっそく、その一員に加わりました。

日本からの平和行進団15人(1人は現地参加)は、3月22日(土)昼過ぎ、成田空港を出発し、12時間かかって、無事イギリスのロンドンのヒースロー空港へ、午後の3時半過ぎ(現地時間)に着きました。

空港には、CND副議長のソフィ・ボルトさんが出迎えられました。そして、彼女の運転するマイクロバスに乗り、平和行進がスタートする、米軍の巡航ミサイル基地のあったグリーナムコモン近くのホテルへ移動しました。所要時間は、1時間20分でした。ロンドンから、100㎞くらいの場所です。

ロンドン地方は思ったより寒く、時々みぞれが降り、明日の20㎞の平和行進は寒そうです。

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写真説明:成田空港での打合せ=3月22日

2008年03月20日

【福島】3・1ビキニデー参加の青年が原爆展開催

福島市平和委員会青年の会“ピースぴゅぱ”は3月20日、市内において『原爆と人間展』を開催しました。

雨が降り寒い中、またゲリラ的に開催したにも関わらず、青年など20名が来場しました。

ビキニデーに参加した青年の「原爆展を開きたい」という一言がきっかけになり、参加した青年たちを中心に準備、当日案内が進められました。

日本被団協作製の原爆パネルと、イラク戦争開戦5年の日ということで森住卓氏の『イラク、戦争と子どもたち』を展示し、若いカップルからお年寄りまで幅広い世代の方々が来場してパネルに見入りました。
68才の女性からは「懐かしいもの見せてもらってありがとうね。いいもの見せてもらった。あんたらまだ若いんだから、若いうちにいろんなこと経験しなよ。頑張りな!」と励ましの言葉をいただきました。

当日参加したぴゅぱの会員は、「今後も継続して平和の取り組みをしていきたい」と話しています。

2008年03月14日

【長崎】「原爆症認定制度の抜本改定を求める」署名602筆が会場で集める

長崎民商、西彼民商合同の「3・1重税反対」集会が3月13日、長崎市内で開かれました。

集会で、片山明吉事務局長が「原爆症認定制度抜本改定」署名の協力を訴え、602筆が寄せられました。

長商連では全県でとりくまれ、北部、中部、大村などから404筆、西彼民商からは160筆、全県で1166筆となりました。

また、県労連からは、1089筆が寄せられました。署名の中には長崎市はじめ大村、長与、佐世保、佐々、東彼、五島、島原、対馬、壱岐、諫早、時津など各地の署名が含まれ、全県下でとりくまれています。

【奈良】ビキニデー報告集会と学習会に55名参加

3月13日、土庫病院にて院内共闘(=病院、労組、平和委員会等)主催、3・1ビキニデー集会健生会代表の報告集会が開催されました。

健生会からは今年のビキニデーに看護師3名事務1名の4名の代表を送りました。

松下事務長のあいさつのあと、東京の第五福竜丸展示館学芸員の市田真理氏より特別報告。ビキニ事件の衝撃と、最近の米軍事件をみて、当時と何も体質が変わっていない日米両政府の対応ぶりについて、元乗組員の大石又七さんの証言を紹介しながらお話していただきました。

続いて、代表の報告。看護師の奥村真代さんから「私は、正直ビキニ事件について何も知りませんでした。今回集会にはじめて参加し、核の恐ろしさをあらためて感じました。私たちが戦争のことを風化させないよう次の世代へ伝えていくことが私たちの役目だと思います」。

看護師の御手洗尚美さんから「私もはじめてビキニデーに参加させていただきました。高校生や海外の参加者もいて、日本人だけが思っていることではないこと、平和について、いろいろな人が理解しあうことが重要だと感じました」。

最後に、事務の高崎大史さんより「2010年には、NPT再検討会議が開かれます。また国民投票法で憲法改悪の発議ができるようになるのも2010年です。社会保障の改悪や環境破壊もこの2、3年がヤマ場です。核兵器廃絶平和も、社会保障改悪も、環境破壊も根っこは同じ。金儲けのためなら何をしてもいいという市場原理主義をわたしたちがどうやって乗り越えていくか。この2年間の運動は歴史を左右するかもしれません。がんばりましょう」と、行動提起も含め、報告がありました。報告集会には30名の職員が参加しました。

同日、夕刻、平和委員会主催で「ビキニ事件が今に問うもの」市民平和学習会を開催しました。

講師は市田真理氏。ビキニ事件で広がった原水爆禁止運動、そしてお茶の間で国民が本当に被災者を心配し、こどもたちから3000通もの励ましの手紙が久保山家に送られた感動秘話を実際の手紙を紹介しながら報告していただきました。

「ビキニ実験の当時の衝撃は今のギョーザ事件の比ではない。半年間にわたってメディアも報道し、翌年の原水禁世界大会へと運動も発展していった」、「政府は、未だにビキニ事件被災者の保険適用を拒むなど、核戦略に固執する姿勢をかえていない」、「大半の乗組員が周囲の無理解もあり、口を閉ざし続ける中、大石又七さんは、1984年から2007年まで550回も被ばく体験を語り続けています」。

学習会参加者からは「今、マーシャル諸島はどうなっていますか」、「戦争の目的はいつでも利益」など意見交流がされました。地域の市民も含め25名が参加しました。

また、土庫病院で2週間にわたって展示されていた「第五福竜丸パネル展」には多くの市民、患者が見学に来られ、120筆を超える平和署名(核兵器廃絶、憲法改悪反対)が寄せられました。

土庫病院平和委員会 高崎大史

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学習会で講演する市田真理氏

2008年03月07日

3月6・9チラシ

クリックするとダウンロードできます。

『原水協通信』3月号「6・9チラシ」