2012年被災58年3・1ビキニデー集会
グレース・アボン(マーシャル諸島・ロンゲラップ環礁自治体)さんの発言
マーシャル諸島で行われた核実験でロンゲラップ島民が受けた被害や、現在私たちが直面している問題についてお話しする機会を与えてくださり、ありがとうございます。
私の名前はグレース・アボンです。私はレメヨ・アボンの娘です。母の名前に聞き覚えがある方もいらっしゃると思います。母は、1954年3月1日のビキニの核実験の被害者であり、被ばく者の活発な活動家のひとりです。私の母は、汚染された土地で娘時代を過ごさなくてはなりませんでした。この経験はとても悲しく、みなさんが日本やチェルノブイリの核被害者から聞くのと同じ、悲しい話です。島民はがんにかかり、多くの女性は奇形の子供を産み、死産をくり返しました。障害を持った子供も生まれましたが、すぐに亡くなりました。島民は、強制的に移住させられ、離れ離れになるという、他の核被害者たちと同じ運命をたどりました。土地を奪われたという事実は、島民から道徳性を奪いました。島民はアイデンティティーと尊厳を失ってしまいました。私たちの文化において、土地はもっとも大切なものなのです。
ロンゲラップ島民は家族の絆が強いといわれています。しかし核の被害を受けてから、私たちは差別され、身内からもばかにされてきました。爆弾にさらされた身内を恥ずかしく思い、彼らをのけ者にしました。この差別されてきた被ばく者の多くがすでに亡くなってしまいました。今も生き残っているのは、私の母も含めわずかな被ばく者です。私の父と母は、米国エネルギー省の医者の処方で、毎日さまざまな薬をのんでいます。私は島民が経験した苦しみが、私も含め青年のうえに再び起こってほしくありません。
現在、ロンゲラップ島民を故郷の島ロンゲラップに帰島させようという計画があります。島に帰れると聞くと、帰りたい衝動にかられます。島にもどりたいという人たちもいます。しかし、多くの島民が安全かどうか疑いをもっています。私もその一人です。というのも、島民がロンゲラップに帰るのはこれが3度目です。今回の帰島がその前の2回の帰島とどこがちがうのでしょう。私たちは安全であると言われ2回帰島しましたが、それはウソでした。
これまで島のほんの一部、200エイカーしか汚染除去が行われていません。ロンゲラップ島民が1985年に島を捨てた時、当時の人口は300人でした。しかし、この26年間で人口はかなり増えています。島に戻れば、人々は汚染除去がされていない土地から食べ物を取って食べるでしょう。そうせざるを得ないのです。私たちが受けているアメリカからの食糧支援は、十分ではありません。今も食糧不足に苦しんでいます。ですから、島で取れるものを食べるしかないのです。私はアメリカに島民を島に帰すことを考え直してほしいと思います。アメリカのエネルギー省にロンゲラップで取れる食物は100%放射能の影響がないと言ってほしいです。
日本に来る前に、私の母が言いました。日本に言っても弱音をはいてはいけないよ、声に力をこめて、世界に、ロンゲラップ島民は正義のためにたたかい続ける。決してギブアップしないと言ってきなさいと。わたしたちは引き続き、原水協のみなさんとともに、太平洋や世界で核の被害をくりかえさないために、たたかいを続けます。ありがとうございました。