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【原発をなくす全国連絡会 連続学習会 ❝第9弾❞】「知られざる原発労働者の深刻な実態と改善の課題」にご参加を

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【動画あり】阿部萌夏さんのスピーチ(全文)

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2015年5月6日、東京都江東区夢の島の中にある第五福竜丸展示館前で開かれた2015年原水爆禁止国民平和大行進 東京―広島コースの出発集会の中で、また翌7日、川崎市役所まで歩く中で福島県郡山市から参加した阿部萌夏さんが東京電力福島第一原発事故から4年が経った今の気持ちを語りました。

 

東日本大震災から4年がたちました。私は2011年3月11日、中学校の卒業式の日でした。式が終わって友達と遊びに行こうと話をし、遊びに行った先であの地震を経験しました。

最初は普通の地震で、「ああ揺れてるね。」と笑いがら話していました。しかしどんどん揺れが強くなり、周りの大人達が「外に逃げろ!」と叫んでいました。

外に出ても立っていられないほどの揺れで、友達と肩を支えあいながら地面に膝をついて揺れが収まるのを待ちました。

揺れが収まって辺りを見渡すと、ほんの数分前に歩いてきた道が、見たこともない景色でした。

小さな子が泣いていて、中には靴下のまま大人達が「何⁈」と話をしている中急いで家に帰りました。

帰ると母と妹が「無事で良かった」と泣いていました。その日は母の職場に避難し、「何が起きたんだろう」「これからどうなるんだろう」とただただ不安な夜でした。

そして朝起きると、テレビで原発事故のニュースが流れていたのです。

その日から私の生活は一変しました。

「福島なんて、危ない!すぐに逃げて!」

「直ちに健康に影響はありませんから大丈夫ですよ」

真っ二つの意見や、知らない単位が次々に報道され、何が本当か、何が正しいのか分からない中でどんどん変わる状況についていって、身を守る。そのことで精一杯でした。

それからたくさんの人が避難していきました。ばたばたと毎日を過ごす中で「みんな離れて行くけれど、私達はどうしたらいいんだろう?」「どういう選択をしていくのが正しいんだろう?」と悩むこともありました。

そんな時、仲の良い友達が「もえなちゃんはどこにも逃げないよね?ここで一緒に高校生になろうよ!」と言ってくれました。「そうだね。頑張ろう」と泣き笑いしながら、話をしました。

ちょうどその頃、両親に「たくさんの人が避難してる。私達の東京の友達がいつでも子どもを預かるから避難させてね!そう言ってくれてる。あんた達はどうしたい?」と聞かれました。

私は「福島で作った友達と離れるのも嫌だし正直不安。思い出もたくさんある福島がやっぱり大好き。これから健康のことなどで不安になったり、放射線を浴びたことで差別などもされるかもしれない。それでもやっぱり大好きな土地に住みたい」と答えました。

覚悟もしました。

それでもそんな気持ちや決意が揺らいでしまうくらい辛いこともありました。

家族で東京に行った時のことです。

電車に乗るためにホームで待っていた時、清掃員の人が白い作業着で作業していました。それを見た前の人が「見てあれ。なんか原発の人みたいじゃね。ウケる」と笑いながら話をしていたのです。

それを聞いて私は「福島で起こっていることで悩んで、苦しい思いをしている人がたくさんいるのに、東京から離れているだけでこんな冗談になってしまうのか」と悔しくなったし、温度差のようなものを感じました。

原発事故の影響で4年経った今も、たくさんの人がそれまでの暮らしを奪われ、苦しい経験をし、悩んだり葛藤しながら福島で生活されている方はたくさんいらっしゃいます。仮設住宅に4年もの間、住み続けている方がいらっしゃいます。

私自身も、「これから本当に健康でいられるのかな」「将来丈夫な赤ちゃんを産めるのかな」と不安になります。

自分の将来に夢を描くこと、自分の住みたい街に住むこと。すべて原発事故が起こる前は当たり前のことでした。原発事故が起こった今、福島では当たり前のことが当たり前ではなくなっています。

外に出て深呼吸をしても、「今放射能を吸ったのかな」と不安になります。

子どもを外で遊ばせることに不安を感じている子育て世代の方がいらっしゃいます。「ずっと住んだあの家に帰りたい。避難先では近所の人とも別れてしまったから話し相手もいないの」と毎日仮設住宅で一人暮らしの高齢者の方がいらっしゃいます。孤独死のニュースもありました。

原発事故の問題はあらゆる場面において深く根を張っていて、4年経った今もたくさんの方に影響を与えています。

私の考えが大袈裟と感じる人もいるかもしれません。人それぞれ考えは違います。ということは「人の数だけ不安がある」ということではないでしょうか?

あの日から原発事故のことを考えない日はありません。ふとした瞬間に考えたり、誰かの状況から考えたり。

今でも、地元のトップニュースは原発事故のことです。それでも、4年という時間の中で全国的な報道は減り続けていて、福島の事故のことがどんどん風化しているように感じます。

避難されている方のことがクローズアップされて報道されたりもしていますが、同じくらい福島に暮らすことを選択し、生活されている方はたくさんいらっしゃいます。

福島に暮らすことが幸せ。

福島を離れて放射線の不安から離れることが幸せ。

一人ひとりの幸せがあります。

それを尊重して欲しいです。

頭ごなしに、「危ないと言われている土地に住んでいるから病気になっても、自己責任でしょ」。

そういうことではないと思います。

一人ひとりが笑って暮らせるように、お互いの思いを尊重しあえたら素敵だと思います。

これまで偉い人がたくさんの原発を作ってきました。私は正直、事故が起こるまでそのことに疑問を持っていませんでした、しかし事故が起きて考えるようになりました。全国でもそのような人が増えているのではないかと感じています。

ぜひ全国の皆さんにもこの問題を自分の問題として考えてほしいです。原発がある限り、地震が起こる限り、どこで起こってもおかしくない出来事です。

難しいと思ったら想像してみて下さい。もし、自分の地元が今の福島のようになってしまったら。突然自分の家を離れて暮らさなくてはいけなくなってしまったら、と。

みんなで考えて答えを見つけながら歩いて行くこと。現状を変えていく大きな力になると思います。

震災から4年間、本当にたくさんのことを感じてきました。

今回お話ししたこともごく一部です。辛くて、「もう嫌だ。夢なら覚めてほしい。なんで福島なんだろう」と、そんな風に考えてしまうこともありました。それでも、機会を頂いて全国の皆さんにお会いして、福島に思いを寄せて下さっていることを感じることができると、「また頑張ろう!」と思うことができます。みなさん一人ひとりの存在がエネルギーになっています。

私はこれからも福島から福島を。福島で感じていることを伝えていこうと思っています。

みんなが笑顔で安心して暮らせる世の中に。核の力に、原発の事故に不安になることがない世界にしていきたいです。

一緒に歩いて行きたいです!

みんなで一緒に頑張りましょう!

 

[…]

【平和行進】南相馬市小高区を行進-福島県浜通りコース

小高目抜き通り

▲人気のない目抜き通りを行進

2014年原水爆禁止国民平和大行進・福島県浜通りコースの2日目の6月23日は、相馬市松川浦を出発し、相馬市内、南相馬市内を行進しました。

南相馬市小高区では、震災前は町一番の繁華街だったJR小高駅から続く商店街を行進しました。人通りはまったく途絶え、傾いて倒壊寸前の建物や、商品の学習机や本棚が将棋倒しになった家具店などが残ったままです。昨年4月に警戒区域の指定は解除されたものの、日中の立入はできますが、今も居住・宿泊はできません。

行進後の交流会では、南相馬の渡部市議、地元実行委員会の方々から、3年後も仮設住宅の生活を続ける住民の苦悩と現状を聞くことができました。南相馬市役所では、市長代理と懇談し、平和行進への支持・賛同と、原水爆禁止世界大会への桜井勝延市長の出席を要請しました。

▲南相馬市役所での要請の様子

【平和行進】もうがまんできません!生活と生業を取り戻そう!核も原発もいりません! 2014年被災地平和行進(福島)ツアーに参加してください!

平和行進福島支援行動チラシ

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【被災60年】2014年3・1ビキニデー福島県原水協・石堂祐子事務局長の発言

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2011年3月11日の東日本大震災そして東京電力福島第1原発の爆発事故からもうすぐ3年が経とうとしています。いまだに放射性物質は放出され続け、何億ベクレルという汚染水が地下水や海に流れ出ています。安倍総理は「汚染水はコントロールされている」などと言っていますが、まったくのでたらめです。事故は収束などしていません。メルトダウンした燃料棒がどんな状態になっているのかさえわからないのに、収束宣言を出した政府に憤りを覚えます。事故の処理を東電に任せきりにせず、国の責任において本気で世界の英知を集め、この難局を一日も早く乗り切って欲しい。まだ15万人がふるさとに帰れず、たまに様子を見に帰る我が家は、ネズミやイノシシなどに荒らされとても住めない状態になり、苛立ちと絶望を持ち帰る日々が続いています。小さな子どもを持つ親は子どもが成人しても放射能の影響を心配し続けねばなりません。また補償金をもらっても避難を余儀なくされ、仕事もなく生活の見通しが立たずに暮らしている人たちへの冷たい視線もあります。このことは、広島、長崎、ビキニ事件の被害者と全く同じです。放射能は、心やからだの健康だけでなく、地域のコミュニティを壊し、家族がバラバラにされ、人々が大切にしてきた日常のささやかな幸せを奪うものなのです。核と人間は共存できないことを私たち福島県民は身を持って証明いたします。

さて2月25日、原子力関係閣僚会議が「エネルギー基本計画」の政府案を決定しました。原発を「重要なベースロード電源」と位置づけて原発推進の方向をますます明確にしました。ここには福島原発事故への反省はまったく見られません。福島県復興共同センターは2月25日に政府と交渉をしました。政府から「これまでの『ベース電源』という表現から『ベースロード電源』に変えた」との回答に、出席者からは「そんな言葉遊びは要求していない」「原発はいらないと言っているんだ」と怒りの声が上がりました。いったい私たちが受けた苦しみはなんだったのでしょうか。住民を犠牲にしてもなお原発にしがみつきたいのでしょうか。

また先日おこなわれた東京都知事選挙。原発が争点の一つにもなったこの選挙の行方は福島でも関心をもって受け止められていました。立候補者の一人の田母神俊雄氏は「福島の原発事故で死んだ人はいない」と演説しました。彼は福島県出身です。この発言には福島の多くの人が唖然とし、悲しい気持ちになりました。実際には原発事故の関連死は1600人を超え、津波で亡くなった人の数を上回っています。何より原発の復旧作業に当たっている労働者は、高いレベルの放射線を浴びる作業を強いられています。下請け労働者は危険手当をピンはねされるなど、ひどい状況です。この事実を田母神氏が知らないはずはありません。彼が都知事にならなかったことをせめて喜びたいと思います。

この集会にお集まりの皆さん、新聞に「フクシマ」という文字を見つけたら読んでみてください。テレビで「フクシマ」のニュースがあったらちょっとの間でもいいので聞いてください。この先何年、何十年放射能と向き合っていくフクシマを忘れないでください。

さて、この3年間、福島はただ打ちひしがれてばかりいたわけではありません。福島県議会は事故のあった2011年10月に福島原発10基廃炉の決議を全会一致で可決しました。これは新日本婦人の会福島県本部が提出した請願です。さらに、昨年9月には「原発事故に関連する情報が秘密にされる恐れがある」との危機感から、国に対しこの法案に慎重に審議するようにとの意見書を提出し、全会一致で採択されました。11月25日には福島市で公聴会が開かれましたが、なんとこの公聴会は一般参加の募集はおこなわれず、住民を締め出す形でおこなわれました。7人の意見陳述者全員がこの法案に反対したにも関わらず、翌日国会での強行採決。こんな仕打ちがあるでしょうか。

続いて昨年の12月議会、福島県原水協が提出した請願「核兵器全面禁止のための決断と行動を求める意見書の提出」が県議会総務委員会において全会一致で採択されました。これら3つの請願はいずれも全国に先駆けての採択です。未曽有の放射能被害を被った県民世論が議会を大きく後押ししたことは間違いありません。福島ではかつてなかったこの一連の変化を何とか希望に繋げていきたいと思っています。

福島県原水協は、「原発も核兵器もいらない」「これ以上放射能による被害者を作らない」との願いをこめて、福島県版の「核兵器全面禁止のアピール」署名用紙を作成しました。2012年の原水爆禁止世界大会にも参加された、福島県浪江町の馬場町長さんが呼びかけ人のお一人になっていただいたことは、これまでの運動にはない出来事であり、私たちにとって大きな励みとなりました。福島県原水協は来年のNPT再検討会議までにこの署名活動に賛同する自治体の首長さんをたくさん募り、全自治体での原爆写真展を開催し首長さんと懇談し、署名を広げていく計画です。また、福島県内の「非核平和都市宣言文集」を現在作成中です。まだ「非核平和都市宣言」をしていない自治体にはこの「宣言文集」を配布し、県内全部の自治体が非核平和都市となるよう働きかけていく予定です。

福島県内では今もう一つ、「原発即時ゼロ 子ども・いのち・くらし守る署名」にもとりくんでいます。街頭では「核兵器全面禁止」の署名と合わせてとりくんでいます。福島県内外あわせて100万筆をめざしています。お集まりの皆さんのご協力よろしくお願いいたします。

核兵器も原発も人類とは共存できません。誰かの犠牲の上に成り立つ国益などあり得ません。皆さん、核兵器も原発もない世界を目指し、ともにがんばりましょう。

【国民平和大行進】「原発再稼働は許さない」との三春町長発言に要請した行進団から拍手が起こる

三春町長との懇談

▲三春町役場で鈴木義孝町長(中央)を囲んで懇談する平和行進参加者

2013年原水爆禁止国民平和大行進・北海道ー東京コースの福島県内中通りコース行進6日目の6月27日、三春町商店街を行進し、同町役場を訪問。福島県内通し行進者の田中詔子さん(愛知県瀬戸市)、京都府宇治市から参加の俊正とし子さん、同町内からの参加者など11人が鈴木義孝町長と懇談しました。

懇談の中で、三春町が東北電力の株主総会に提出する予定の要請文について、「原発の再稼働反対」と明記したことを話されました。町長は、当初「再稼働賛成」の要請文を作成しようとした職員に「三春町にこれだけたくさんの人が避難してきている状況で、再稼働はありえない。単に原発賛成か反対かの問題ではない。日本全体の問題でもあるのだからよく考えてみなさい」と言ったことを話されました。この発言には参加者から思わず拍手がわきました。

また、鈴木氏は「原発の交付金に頼らなくても、財政が苦しい自治体だって智恵と工夫、努力でいくらでもやっていける」とのお話しに、「こんな風に信念を持っておられる町長さん、是非がんばってください!」と参加者は大感激。県原水協も、「是非8月の原水禁世界大会へ」と参加を呼びかけました。

【国民平和大行進】入戸野福島大学学長が歓迎あいさつ

入戸野修(にっとの おさむ)福島大学長挨拶

2013年原水爆禁止国民平和大行進・北海道−東京コースは6月24日、福島大学で入戸野修(にっとの おさむ)福島大学長の歓迎挨拶を受けました。

以下、あいさつ全文を紹介します。

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福島大学の入戸野です。

本日は、国民平和大行進の「通し行進者」の皆様を福島大学にお迎えできますことを、大変光栄に思います。また、私としては、原発事故を受けた一福島県民として、改めて「核兵器全面禁止を訴える重要性を再認識させていただいた」という点で、大変感謝しております。

日本では、1958年からこの運動が、核兵器のない世界へと、国民の反核平和への願いを訴え続けて継続されていること、また、世界でもさまざまな反核平和の運動が実施されていることは、いかにこの訴えが人類にとって重要であるかを改めて認識させられております。

一昨年、大地震・津波・原発事故による放射能物質の拡散・そして風評という経済的被害を被った福島県民は、いま新しい福島の復興に向けて「ふくしまからはじめよう!!Future From Fukushima」をスローガンとして掲げて、復興再生に向けたさまざまな取り組みを展開しております。

地元の大学・福島大学として、昨年4月に創設した「うつくしまふくしま未来支援センター」も竣工し、約50人ほどの専門家が、新たに起こっている各種の支援活動に積極的に取り組んでいるところです。また、原発事故により拡散された放射能物質の動態挙動の基礎的研究を、国内外の専門の研究者を結集して取り組む「環境放射能研究所」を今年7月に創設し、その研究成果を福島県の除染技術の開発や農作物への安全生産管理へと応用することを目指しております。福島の復興は、まだまだ道半ばであると認識しております。

こうした中で、皆さんのこの度の「原水爆禁止国民平和大行進」の活動は、希望の光を求めている私たち福島県民の一人ひとりを力強く勇気づけてくれるものと感じております。

皆さんに代わり、御礼を申し上げます。「励ましをありがとうございます」。

「通し行進者」として直接に加わらない私が多くのことを言うことはできませんが、平和行進がますます国民世論の結集につながることを願ってやみません。

行進が予定通り進行し、目的を達成されますことをお祈りいたしております。

本日は、福島大学にお立ち寄りいただき、ありがとうございました。

【国民平和大行進】行進ペナントに初めて「福島県」と記名。「核兵器全面禁止のアピール」署名と原爆展を要請

福島県に要請

福島県知事に要請

6月24日、午前10時に福島県庁に到着した被災地平和行進(中通りコース)は、福島県知事への要請行動を行いました。

県からは知事直轄政策調査課の宮村安治課長と同課の山内建史主任主査が応対。「核兵器全面禁止のアピール」署名への知事の賛同、行進ペナントへの記名、原爆写真展の開催や被爆体験を聞く会など、非核平和行政の推進について要請しました。

最初は、「知事も核兵器廃絶の気持ちはみなさんと一緒。しかし、いろいろな署名があるので」(宮村課長)との返事でしたが、安井正和日本原水協事務局長から、核兵器廃絶は党派を超えた課題であり、現職の首長が世界大会パンフで核兵器廃絶、原発ゼロを訴えていること、署名には潘基文国連事務総長も支持し、国内で280万筆が集まっていること、広島、長崎など8道県の知事も賛同し、埼玉県では知事の顔写真入りの署名用紙がつくられ、多くの県職員も署名していることを紹介。「わたり福祉会」の町田さんも被災地福島だからこそ、核兵器廃絶のために立ち上がってほしいという思いをこめて署名することをお願いしました。

こうした訴えに、宮村課長は、「私たちが署名していいですか」と、その場で山内主任主査と署名し、ペナントにも「福島県」と記名しました。こうした場面はこれまでになかったことです。この要請には、宮川絵美子、宮本しづえ両県議(日本共産党)が同席、県議からは参加者においしいアイスクリームの差し入れがありました。

被災地平和行進中通りコース3日目、行進は市内のわたり病院を出発。わたり病院の若い職員が先頭の横断幕を持ち、アナウンサーも担当。若い声で「いいでしょ!コール」「今でしょ!コール」「んだ、んだコール」をしながら明るく行進しました。

福島医療生協から今年も3人の代表を原水爆禁止世界大会に送ります。その中ですでに参加表明した理事の西坂稔さんです。3、40年前に広島の大会に参加。長崎は初めてです。沿道の応援に大きく手を振って応えて歩きました。

【国民平和大行進】被災地連帯平和行進が福島県へ 県民をないがしろにする国・東電に強い怒り 平和行進団に熱い支持と共感!

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山形から福島へ

6月22日、福島県境にある栗子峠のドライブイン前で平和行進の引き継ぎ式が行われ、国民平和大行進が山形県から福島県へと引き継がれました。

山形県実行委員会事務局長の情野さんは、「山形県ではどこの自治体でも歓迎され、政府への意見書を要請。核兵器廃絶の先頭に立つ自治体になってほしいと懇談しました。日本政府の態度を変えるために、私達の運動を一層強める時です」とあいさつ。福島のみなさんに思いを託し、通し横断幕、リレー旗、「被災地を忘れないで」の被災地連帯行進横断幕が渡されました。

福島県中通り行進スタート!「ますます声をあげなきゃ」

山形から引き継がれた行進は、東日本大震災と東電・福島第一原発事故で大きな被害を受けた飯坂町(飯坂温泉で有名)を行進しました。「わたり福祉会」から40人が参加するなど、飯坂からの参加者は84人と、昨年を上回る行進がとりくまれました。

「今年のコールは良かったよ~」と評判の、「いいね!」と「今でしょ!」コールを出発前に練習して中通り行進がスタート。指を突き上げる「いいね!」には参加者から「なんかコールが新鮮~」と。年配のお母さんたちもノリノリ。

昨年初めて参加したお母さんは、9条の会で南相馬市に行った話をしてくれ、「変わらない原発事故の爪痕を目の当たりにして、ますます声をあげなきゃ」と参加していました。

みんな元気に歩いて、いい顔いっぱいで手を振ると車や家から手を振ったり、頭を下げたり、南相馬市小高区から避難してきたお母さんは「ありがとう!ご苦労さま!」と応え、福島県原水協事務局長の石堂さんが今年のうちわを手渡し、交流されていました 。

国見町から福島市へ たくさんの人たちが応えてくれました!

中通りコース2日目の6月22日は、国見町、桑折町、伊達町から福島市に入る20kmを行進。1日目と比べて参加者は少なかったものの、沿道や行き交う車からの声援は数多く、行進団を最後まで励ましました。

この日、日本原水協の安井正和事務局長が国見町の出発集会から福島市民会館でのまとめ集会まで行進に参加しました。平和行進中央実行委員会の大越文さん、福島県内8日間を通して歩く愛知県瀬戸反核センターの田中詔子さん、2008年に通し行進した森悦子夫妻が参加し、行進を盛り上げました。

出発集会で安井事務局長は、昨年の世界大会で馬場有(ばば・たもつ)浪江町長が訴えた「私たちには日本国憲法で保障されている、幸福追求権、生存権、財産権という権利はないのでしょうか。これほどまでに我々の生活を、社会全体を破壊した原発は、まさに原子爆弾そのもの」との言葉を紹介し、被害者の苦しみには目を向けず、その場しのぎの無責任な東京電力。そして、原発再稼働と海外への原発ビジネス、憲法改悪に精を出す安倍首相の姿は、まさに「死の灰」商人そのものであると糾弾。「核兵器と人類は共存できません。おなじく原発とも共存できません。間違った政治は変えなければなりません。それを変えるのは私たち一人ひとり、草の根の声と行動です」と参加者を激励しました。

国・東電への怒りは大きい

宣伝カーでのアナウンスとともに、行進参加者が次々にマイクを握り、東電や国への怒りを訴えました。東電に完全賠償を求める県北の会の代表は、桑折町の仮設住宅にいる方々や桃農家の風評被害など、国が賠償責任を取らないことと、核兵器廃絶に被爆国日本が動かないことに憤る気持ちを訴えました。

参加者は、福島弁で「核兵器はいんねい!」「んだんだ~」とコールにして、みんなで手を振り、声をあげ沿道にアピールしました。

事務局の大越文さんは「福島の中通りの同じコースを歩いて3年目ですが、今年の反応はとてもいいんです」と語っているように、実際に、家から出てきて行進団を激励する人、車から身を乗り出して手を振り返す人、窓を開けて頭を下げる人、いいね!と親指たてて応えてくれる若い家族など、これまでにない反応がありました。 Ces hommes étant absorbés par ces débat sur ce paillage de à elles être sexuelle avec ce Viagra {effets secondaires Viagra https://www.bleuepil.com/utilisation-du-viagra.html Viagra 100mg}, les autres prérogative du Viagra près le […]

【福島】7年ぶり 原水協学校開かれる。(5/11 郡山市にて)

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【福島】ちひろカレンダーをいわき市の福祉作業所へ贈呈。みんな大喜び/楢葉町仮庁舎で副町長さんに面会し150本贈呈

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12月28日、日本宗教者平和協議会の森修覚事務局長と福島県いわき市に実家のある青年の佐藤聡さんが同市を訪問し、福祉作業所「りんべるハウス」と楢葉町へちひろカレンダーを届けました。今回、岩手自治労連・岩手の各単組、日本宗教者平和協議会、RingLinkZero核兵器なくそう青年実行委員会、京都原水協、大阪原水協から集められた募金で200本が贈呈されました。12月28日現在で、贈呈は2500本に達しました。

▲宍戸副町長(右)にカレンダーを手渡す森日本宗平協事務局長

いわき市内の楢葉町役場仮庁舎で、仕事納めの多忙な中でしたが、生活支援課課長補佐の磐城さんに応対していただきました。宍戸陽介副町長に面会でき、森さんから、日本原水協の被災地カレンダー贈呈キャンペーンの趣旨を説明し、町役場でも配布にご協力いただきたい旨をお願いしたところ、宍戸副町長は「責任を持って配布します。ありがとうございます」と述べ、ちひろカレンダーを受け取りました。

さっそく磐城課長補佐から「仮設住宅は12カ所ありますので、集会所等で必要な方に配布できるように対応します」と返答をいただき、150本を贈呈しました。

うれしくて握手を求め、「ありがとう」の言葉に感動!

役場仮庁舎を後にして、日本宗平協会員の早川篤雄(浄土宗宝鏡寺住職)さんが理事をしているいわき市内の福祉作業所「りんべるハウス」へ向かいました。訪問した時は入所者と職員25~26人で年末の大掃除をしている最中でした。ちょうど休憩の時間になったので、早川さんからご紹介いただき、森さんから、「ちひろカレンダー」を全国の仲間から預かってきたこと、楢葉町のみなさんの姿を見て自分自身が励まされたことを述べ、一人ひとりにカレンダーを手渡しました。

▲入所者にカレンダーを手渡す

うれしくて握手を求めてきたり、「ありがとう」とお礼を述べるなど、入所者全員が大喜びでした。

「りんべるハウス」には知的・精神障害を持つ方たちが入所しており、原発事故前は97人が入所していましたが、現在は40数人が働いています。職員の方も事故前は22人が勤めていましたが、今は15~6人が避難しながら勤務しています。まだまだ入所が増える見込みで手狭になってきているので、役場に仮設の作業所をつくってほしいと要望しています。(森修覚、佐藤聡)

愛と平和のちひろカレンダーを陸前高田市の仮設住宅と保育所、飯館村の小・中学生に届けました

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日本原水協は「ちひろカレンダーを被災地に贈るキャンペーン」をとりくんでいます。都道府県原水協や民主団体、労働組合の協力で、現在66箱(1650本)のカレンダーを贈ることができ、引き続き募金が集まっています。

11月3日には福島県南相馬市(125本)、12月5日には福島県浪江町(550本)を訪問し、仮設住宅を訪ねて被災している住民の方々に直接カレンダーを届けてきました。浪江町では馬場有町長とも懇談してきました。私は12月17日、18日と岩手県陸前高田市と福島市内の仮設庁舎で学ぶ飯館中学校を訪問してきました。田中章史事務局員のレポートです。

陸前高田市では戸羽太市長にも手渡す

12月17日には岩手自治労連の協力もいただき、渡辺孝文書記長の案内で、岩手県原水協の津村喬事務局長と甚大な津波被害を受け、復旧に向けてとりくみをすすめている陸前高田市を訪問し、自治労連陸前高田市職員労働組合の菅原正弘委員長と日本共産党市委員会の藤倉了介さんの協力も得て、戸羽太市長、山田市雄教育長にも会い、教育長には15か所の小中学校分のカレンダーを渡し、公立・私立の保育所9か所と滝の里工業団地仮設住宅には直接訪問しました。

「うわぁ!ちひろの絵だぁ。かわいい」

4か所の公立と5か所の民間保育所を訪問しました。園長先生たちは「私この絵が大好きなの」「今年もいただけるなんて本当に嬉しい。素敵な絵ですからこどもたちも喜んでくれます」「(月が終わったら)切り取って額に入れて、保育室に飾っています」など大歓迎していただけました。またある園長は「仮設に住む方から今年も欲しいっていわれていたので、岩手自治労連に電話しようと思っていたの」と、ちひろカレンダーが仮設住宅で困難な生活を強いられている住民の心の「オアシス」にもなっていることを実感しました。

また、他の園では年長の子どもたちも寄ってきて「うわぁ!ちひろの絵だぁ。かわいい」と言いながら一緒に写真撮影もしました。子どもたちは明るく元気いっぱい頑張っていました。

「こんなもの(核兵器)はなくさねばねえ! 戦争は起こしてなんねぇのさ」

滝の里工業団地仮設住宅では、小野田高志自治会長が迎えていただき、お住まいの方を訪ね、カレンダーと核兵器全面禁止のアピール署名を手渡してお話を伺いました。「いやあ!このカレンダーはいいねぇ。ありがとうございます。部屋は4.5畳二つと6畳の3部屋で、6人が暮らしていますが、高校生の子どもが2人、小学5年生1人で寝る時などは歩く場所もないし、高校生とはいってももう大人なのでいろいろ気を使います。それにしてもこれ(核兵器)は早くなくさねばねぇ」とカレンダーと一緒に届けた「核兵器全面禁止のアピール」署名のタイトルをみて話してくれました。さらに「また戦争みたいなものは起こしてなんねぇのさ」とも話されました。

自治会長も「震災も大変だったが、福島はよけいだもんねぇ」と原発事故による福島県民の被災、暮らしの状況に思いを寄せ、核兵器も原発もなくさないといけないと署名への協力を約束してくれました。

木のぬくもりを感じる仮設校舎で、2年生の女子生徒は「やさしい絵ですね」と受けとってくれました

18日には、福島県飯館村の教育委員会とも相談して、小・中学校生徒全員の350人にちひろカレンダーを届けました。福島県原水協の二階堂次男代表理事、石堂祐子事務局長、庄司正樹事務局員と一緒に、福島市内にある仮設の飯館中学校を訪問しました。教頭の稲川竜寿(いながわりゅうじ)先生と2年生の2人が私たちを迎えてくれました。

稲川先生から、3・11当時の村の状況、その後の避難の実態などのお話を伺いました。

3・11の地震は飯館村ではほとんど被害もなく、浜の方から避難してきた人たちへの炊き出しなどを外でおこなっていました。東電福島第1原発から40キロ圏の飯館村にまさか放射能が降り注いでいるなんて夢にも思わなかったとのことです。放射線量が高いことがわかった後、「外には出るな、外では頬かぶりをしろ、肌を露出するな」などの指示がありました。学者も、国も、誰を信じていいのかわからない状態で、各地に避難する人たちも出る中で、村ははじめに子どもたちの避難を考えて学校の移転場所を決めてくれました。これで8割の中学生は戻ってくることができたのです。しかし初めは県立川俣高校の体育館をお借りして、6クラスが4つの部屋で授業をしていました。1年4カ月の期間、トイレも工事現場のような仮設でみなさんはたいへんな思いをしていました。

ホッと落ち着き、部活も活発に

この仮設校舎に来た時の生徒たちの表情は「ホットして落ち着いた」という感じでした。とにかく廊下もありますし、木のぬくもりもあり、みんなノビノビとしてきました。部活などもいろいろな施設をお借りしていましたので移動の時間もかかり、なかなか部活動はできないできましたが、ここではそんなことも解決していま部活を楽しんでいます。

飯館の人たちは、お年寄りは仮設住宅、若い人や子どもたちは借上げ住宅に住んでいますので、朝は9本のスクールバスで子どもたちは登校してきます。いま学校ではホームページを作り、子どもたちの様子を発信して、遠く離れてくらす飯館村の人々や友達、そして支援していただいた人々へのメッセージにしています。

最近は子どもたちが仮設住宅のお掃除をするということをやりました。親やお年寄りの皆さんからは、「中学生がこれだけ前を向いているのだから、おれたちもいつまでも下を向いているわけにはいかない。元気をもらった」との声がたくさん寄せられました。

村民のみなさんに元気を発信したい

吹奏楽部でフルートを吹く女子と、テニス部の男子の2年生2人は、「引っ越しが決まった時は嘘だろうと思った」「ふるさとに早く帰りたい」と話しながらも、「仮設の人たちに元気が出るような活動をしたい」「みんなに歌を歌って元気を発信したい」「他県に行った友達に手紙を書いている。一緒の高校に行こうねと話している」など前を向いて、村民のみなさんの思いにこたえようとの積極的な姿勢を感じました。みなさんと写真を撮ったあと、2人の生徒はカレンダーを見ながら、「やさしい絵ですね」と感想を話してくれたので、いわさきちひろさんの平和や子どもたちへの思いと、被爆者の方々が地震と津波、福島原発事故を見て、あの日の広島や長崎とダブって見えたと言っていることも伝え、元気に頑張ってと握手をして別れました。

職場で募金を集め、被災地同士の交流も!

今回のとりくみでは、自治労連本部の協力もいただきました。福島県浪江町へは岡山県高梁市職出身の岡崎加奈子青年部書記長も一緒に参加し、高梁市職員組合は職場に一人500円の募金を呼びかけて13万円もの募金を集めてくれました。陸前高田市へのとりくみでは岩手自治労連が県内の加盟単組へ募金を呼びかけて、300本分の募金を集めてくれました。岩手と福島の被災地同士の交流もということで、岩手自治労連と大船渡市職労からは福島県飯館村の子どもたちへ、福島自治労連と郡山市職労、二本松市職労からは陸前高田市にカレンダーが贈られました。

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【福島】国見町文化祭の一角で初の原爆展

福島県原水協は11月4日、観月台文化センター体育館で行われた第41回国見町文化祭の一角を借りて初の原爆展を行い、100人以上が見学。高齢者が多い中、熱心に見る親子連れの姿もあり、「原爆を落とされた国が原発を持ったことは間違い」「こんな事故が起こるなら原発賛成しなかったのに」などの声が寄せられました。

この文化祭に参加してはじめて敷地内に郷土史研究会があるのを知り、戦争展をやっていたりすることがわかりました。これから署名をすすめたり、活動が新たに広がるきっかけになればと思います。

(福島県原水協・石堂祐子)

 

【福島】県内4カ所で6・9行動

この時期お祭りが多いのですが、そんな中でも地域原水協の皆さんは6・9行動を欠かしません。いわき原水協は駅前でお昼休みの1時間、10人参加でオスプレイ反対の署名と一緒に85筆を集めました。耶麻原水協はコープ前6・9行動を7人で行い55筆。須賀川高校前ではたった3人で34筆も!

福島市は15人参加でもなかなか苦戦し44筆でしたが、めずらしく2000円カンパあり。50代くらいの女性からは「こういうこと、みんなやりたいと思っていてもわからないから、もっとやっていることを広く知らせたほうがいいよ」とアドバイスをいただきました。

【福島】県原水協通信2012年4月号

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