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【栃木】2016年国民平和大行進 福島から栃木へ

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【平和行進】2016年国際青年リレー行進者からのメッセージ

レイモンド・ルハン Raymond Vincent Lujan

レイモンド・ルジャン(グアム)

グアム平和正義連合

 愛知、岐阜、滋賀、京都、奈良(6月7日~30日)を行進する予定。

 ハファ・アダイ!私はレイモンド・ルジャンです。チャモロ人であり、社会福祉を専攻し、チャモロ研究を副専攻として学ぶグアム大学の4年生です。グアム平和正義連合を代表して参加できて光栄です。同時に身の引き締まる思いです。

 私を社会福祉専攻へと導いた力は、平和行進への参加へと導いてくれたのと同じ力でした。それをこの上なく光栄に思っており、感謝の念で一杯です。小さいときから私は人々の役に立ちたいと思ってきました。しかし、それを何に基づいてどうやっておこなえばよいかはわかりませんでした。少し前に、自分が社会的不正義に非常な怒りを感じることに気がつきました。皮肉なことかも知れませんが、私のコミュニティでは、正義ではなく不正義が、私を行動へと駆り立てるのだということを強調したいと思います。しかしまた、抑圧される者と抑圧者、社会的に恵まれない者と特権を持つ者との力関係がはっきり見えるようになるのも、これらの不正義を通じてなのです。規模がどんなに小さくても大きくても、個人的な関係やものの見方から、グローバルで国際的な関係や視点に至るまで、一方的で不公平な関係性には多くの類似性や共通点があります。

 そう考えると、グアムとミクロネシア全体が、軍事化や戦争、核兵器と深く関わっていることに気づかされます。成長する過程で、私は第二次世界大戦におけるグアムの役割と、チャモロの人々が経験した不正義を学んできました。しかし、自分が自立した考え方を持つようになって初めて、そのうちのどれほどの部分が、特定の考え方によって意図的に固定化されたものなのかを見抜くことができるようになったのです。そして自分がまたとない立場にいることに気がつきました。私はチャモロ人ですが、家はアメリカの領地にあります。しかし、そのことによる被害や影響を、今回、日本の人々の視点から見る機会を与えられるのです。それは私の学んだ歴史の授業からは巧妙に除外されていたものでした。

 グアムの激動の歴史は、死と流血と抑圧に満ちています。チャモロの人々は長い間、戦争の犠牲者となってきましたが、多くの人々はそれを認識していません。グアムは結局のところ、将来の戦争の際に戦略的地政学的な地点となることを唯一の目的として、戦利品として獲得されたのです。そして同時に、グアムの私たちは、自分たちを、自由と意志に基づいて建国された国の一部であると思いこまされてきたのでした。この軍事化の「目的」のゆえに、私たちの自治権にとって、非植民地化の道は、非常に困難で複雑なものにされてきたのです。今私は、グアムの非植民地化を成功させなければ、グアムはアメリカが起こす戦争の共犯者となってしまうと強く感じています。

 私は、日本の平和行進参加の皆さんに強く連帯するだけでなく、広島、長崎の原爆投下により傷つき、今も苦しんでいる人々の歴史と経験を学びたいという強い思いを感じています。原爆で殺され、また生き延びた人々に共感すると同時に、日本の人々が直面してきたたたかいと経験を真に深く学びたいのです。原爆投下が「必要」だったかどうかについて多くの議論がありますが、そのような議論がどうあれ、核兵器の使用は決して正当化できません。これらの理由から私は、日本とグアム、そして世界の人々と連帯して共に立ち上がり、行進します。そして戦争も核兵器もない平和な将来の世界のために力をつくします。

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【平和行進】東京→広島コース出発集会で林田光弘さんの連帯あいさつ決定

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2016年3・1ビキニデー集会で連帯あいさつする林田さん

5月6日(金)正午から、東京都江東区夢の島第五福竜丸展示館前でおこなわれる2016年原水爆禁止国民平和大行進東京→広島コースの出発集会で明治学院大学の林田光弘さんが連帯あいさつをすることが決まりました。

林田さんは、今年3月に静岡県焼津市で開かれた被災62年3・1ビキニデー集会でも連帯あいさつし、感動を呼びました。一部紹介します。

 「3・1」が残した反核平和運動、そして「3・11」が残した新たな市民運動は、市民の政治参加を「日常」の一部にしました。日本国憲法の下、主権在民として一人ひとりの「いのち」のために立ち上がる市民は、日を増すごとに大きくなっています。そうした反面、冷戦の崩壊後の新たな世界秩序の形成の中で各国にナショナリズムが高まり、日本でも政権を中心とした国家主義が台頭しています。

核を巡る議論も例外ではありません。国民のための「安定的な電力」を建前として再稼働を進める動きの前に、原発に反対する人々の「いのち」の声はかき消され、政治的な抑止力のために用いられる核兵器を前に沖縄では「東アジアの平和」のために基地に反対する沖縄の人々の「いのち」の声はかき消されています。

「全体の利益」の幻想に浸って、一つの「いのち」を蔑ろにするような政治を私たちは変えなくてはなりません。そのためには、より多くの人々の行動と連帯が必要です。なぜなら、企業とは私たちから成り、国家とは私たちから成るからです。私たちの生きるこの社会は、私たち一人ひとりのものであり、その社会は私たちが作らなければなりません。

久保山さんだけではありません、今日まで数多くの先人達が私たちに言葉を残してくれました。彼らの言葉を受け継ぎながら、次の世代に向けて絶えず言葉を紡いでいきましょう。

*全文は「2016年3・1ビキニデー集会の記録」をお読み下さい。

【3・11シンポジウム】3/11(金)14:00-17:00@平和と労働センター2階ホール「東京電力福島第1原発事故5年 チェルノブイリ30年 核の危険 放射能被害の根絶を」にご参加ください

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3月11日(金)14:00〜@平和と労働センター2階ホール「3・11シンポジウム チェルノブイリ30年 東電福島第1原発事故5年 核の危険 放射能被害の根絶を」にご参加ください

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2016年1月15日(金)13:00〜@衆議院第1議員会館・大会議室「福島切り捨てを許さないー政府・東電交渉」に参加を

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【平和行進】埼玉のコース・日程をアップしました。

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2015年6月24日現在、中央実行委員会に寄せられているコース・日程を紹介します。

 【東京―広島コース】

静岡県平和行進日程(5月19日〜31日)→コチラ

岐阜県平和行進日程(6月11日〜16日)→コチラ

滋賀県平和行進日程(6月16日〜21日)→コチラ

京都府平和行進日程(6月21日〜26日)→コチラ

奈良県平和行進日程(6月26日〜30日)→コチラ

大阪府平和行進日程(6月30日〜7月7日)→コチラ

兵庫県平和行進日程(7月7日〜16日)→コチラ

岡山県平和行進日程(7月16日〜26日)→コチラ

広島県平和行進日程(7月26日〜8月4日)→コチラ

 【北海道―東京コース(太平洋)】

青森県平和行進日程(5月31日〜6日)→コチラ

岩手県平和行進日程(6月6日〜14日)→コチラ

宮城県平和行進日程(6月14日〜21日)→コチラ

茨城県平和行進日程(6月25日〜7月8日)→コチラ

千葉県平和行進日程(7月8日〜21日)→コチラ

  【北海道―東京コース(日本海)】

青森県平和行進日程(5月31日〜6月4日)→コチラ

秋田県平和行進日程(6月4日〜11日)→コチラ

新潟県平和行進日程(6月15日〜26日)→コチラ

長野県平和行進日程(6月26日〜7月8日)→コチラ

群馬県平和行進日程(7月3日〜13日)→コチラ

NEW! 埼玉県平和行進日程(7月13日〜21日)→コチラ

山梨県平和行進日程(7月8日〜16日)→コチラ

 【北海道―東京コース(内陸)】

秋田県平和行進日程(6月4日〜13日)→コチラ

山形県平和行進日程(6月13日〜20日)→コチラ

福島県平和行進日程(6月20日〜27日)→コチラ

栃木県平和行進日程(6月27日〜7月11日)→コチラ

NEW! 埼玉県平和行進日程(7月11日〜21日)→コチラ

 【富山―広島コース】

富山県平和行進日程(6月6日)→コチラ

石川県平和行進日程(6月13日〜24日)→コチラ

福井県平和行進日程(6月24日〜7月2日)→コチラ

京都府平和行進日程(7月2日〜4日)→コチラ

兵庫県平和行進日程(7月4日〜9日)→コチラ

鳥取県平和行進日程(7月10日〜20日)→コチラ

島根県平和行進日程(7月20日〜30日)→コチラ

広島県平和行進日程(7月30日〜8月4日)→コチラ

【和歌山→広島コース】

三重県平和行進日程(6月8日〜18日)→コチラ

奈良県平和行進日程(6月26日〜30日)→コチラ

 【四国コース】

徳島県平和行進日程(5月31日〜6月14日)→コチラ

香川県平和行進日程(6月14日〜28日)→コチラ

愛媛県平和行進日程(6月28日〜7月12日)→コチラ

 【広島→長崎コース】

広島県平和行進日程(7月5日〜7日)→コチラ

山口県平和行進日程(7月7日〜16日)→コチラ

福岡県平和行進日程(7月16日〜26日)→コチラ

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2015年被災地連帯平和行進応援ツアー in 福島(浜通り)企画にご参加を!

2015被災地行進応援ツアー企画

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【福島】原爆写真展のチラシから民間会社と初コラボ実現 平和行進にも参加決定

福島県田村郡小野町の葬儀屋イベントにて原爆展

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福島県原水協は3月19日から21日まで、石川郡平田村で「原爆と人間」展を開催しました。「地元で原爆の悲惨さや戦争の愚かさを知らせる催しをしたい」と思いを募らせていた長崎県出身の永瀬さんと、昨年の原水爆禁止世界大会に参加した平田村議の高橋七重さんの「村からも原水爆禁止世界大会に代表を送れるような運動を作りたい」との願いが一致したことが契機となりました。

初めての写真展ということでぜひ子どもたちに見て欲しいということで、子どもたちが放課後利用する村の施設を貸してほしいと申し入れをしたところ、なんと「このような写真は、子どもたちの健全育成にふさわしくない」との村長の意見で借りられないことに。しかし、めげずに何とか開催しようと、高橋議員のガレージを会場にしました。郡山原水協の応援もあり、公民館からボードを運んで写真展会場をセッティング。

会場は、国道49号線沿いの商店街にあり、3日間で60人が来場しました。来場者に、4月のNPT・ニューヨーク行動に代表団を送ることや、「核兵器全面禁止のアピール」署名が全国でとりくまれていることなどを伝え、ご近所でも声をかけて署名を集めてほしいと訴えました。

写真を見た方の中で「沖縄の知り合いにもお願いするね」と署名を集めてくれた方や、お一人で100筆集めた方など、2週間ほどで254人分(村の人口の3%)の署名が寄せられました。写真展を見た方へのアンケートでは、「知らなかったことを聞くことができて良かった」「日本はもっと核廃絶の先頭に立つべき」「核兵器は恐ろしい、原発も反対」などの感想がたくさん寄せられました。

平和行進にもつながる新しい小さな平和の風

この写真展の後、平田村から隣の小野町にある葬祭場に勤務している方から「会社のイベントでこの写真展をやらせてほしい」と高橋議員に問い合わせがありました。この葬祭会社では毎年会員向けにイベントを企画しており、今年は戦後70年ということで「命の尊さ」を発信できる良い企画を探していたところ、地元の新聞(福島民友、福島民報)に折り込んだ原爆写真展のチラシを見て思いついたのだそうです。写真展は6月14日に決定。福島県原水協と民間会社との初の共同のとりくみとなります。

小野町では、今年のNPT・ニューヨーク行動へ代表を1人送り出しています。6月の平和行進では、地元の医療生協の組合員や9条の会などが中心となって小野町内での行進を計画しています。

1枚の原爆写真展のチラシから、新しい小さな平和の風も吹きました。今年の小野町の平和行進は大変楽しみです。この平和の風がさらに周辺の町にも広がるよう、力を尽くしていきたいと思います。

(福島県原水協事務局長・石堂祐子)

【原発をなくす全国連絡会 連続学習会 ❝第9弾❞】「知られざる原発労働者の深刻な実態と改善の課題」にご参加を

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【動画あり】阿部萌夏さんのスピーチ(全文)

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2015年5月6日、東京都江東区夢の島の中にある第五福竜丸展示館前で開かれた2015年原水爆禁止国民平和大行進 東京―広島コースの出発集会の中で、また翌7日、川崎市役所まで歩く中で福島県郡山市から参加した阿部萌夏さんが東京電力福島第一原発事故から4年が経った今の気持ちを語りました。

 

東日本大震災から4年がたちました。私は2011年3月11日、中学校の卒業式の日でした。式が終わって友達と遊びに行こうと話をし、遊びに行った先であの地震を経験しました。

最初は普通の地震で、「ああ揺れてるね。」と笑いがら話していました。しかしどんどん揺れが強くなり、周りの大人達が「外に逃げろ!」と叫んでいました。

外に出ても立っていられないほどの揺れで、友達と肩を支えあいながら地面に膝をついて揺れが収まるのを待ちました。

揺れが収まって辺りを見渡すと、ほんの数分前に歩いてきた道が、見たこともない景色でした。

小さな子が泣いていて、中には靴下のまま大人達が「何⁈」と話をしている中急いで家に帰りました。

帰ると母と妹が「無事で良かった」と泣いていました。その日は母の職場に避難し、「何が起きたんだろう」「これからどうなるんだろう」とただただ不安な夜でした。

そして朝起きると、テレビで原発事故のニュースが流れていたのです。

その日から私の生活は一変しました。

「福島なんて、危ない!すぐに逃げて!」

「直ちに健康に影響はありませんから大丈夫ですよ」

真っ二つの意見や、知らない単位が次々に報道され、何が本当か、何が正しいのか分からない中でどんどん変わる状況についていって、身を守る。そのことで精一杯でした。

それからたくさんの人が避難していきました。ばたばたと毎日を過ごす中で「みんな離れて行くけれど、私達はどうしたらいいんだろう?」「どういう選択をしていくのが正しいんだろう?」と悩むこともありました。

そんな時、仲の良い友達が「もえなちゃんはどこにも逃げないよね?ここで一緒に高校生になろうよ!」と言ってくれました。「そうだね。頑張ろう」と泣き笑いしながら、話をしました。

ちょうどその頃、両親に「たくさんの人が避難してる。私達の東京の友達がいつでも子どもを預かるから避難させてね!そう言ってくれてる。あんた達はどうしたい?」と聞かれました。

私は「福島で作った友達と離れるのも嫌だし正直不安。思い出もたくさんある福島がやっぱり大好き。これから健康のことなどで不安になったり、放射線を浴びたことで差別などもされるかもしれない。それでもやっぱり大好きな土地に住みたい」と答えました。

覚悟もしました。

それでもそんな気持ちや決意が揺らいでしまうくらい辛いこともありました。

家族で東京に行った時のことです。

電車に乗るためにホームで待っていた時、清掃員の人が白い作業着で作業していました。それを見た前の人が「見てあれ。なんか原発の人みたいじゃね。ウケる」と笑いながら話をしていたのです。

それを聞いて私は「福島で起こっていることで悩んで、苦しい思いをしている人がたくさんいるのに、東京から離れているだけでこんな冗談になってしまうのか」と悔しくなったし、温度差のようなものを感じました。

原発事故の影響で4年経った今も、たくさんの人がそれまでの暮らしを奪われ、苦しい経験をし、悩んだり葛藤しながら福島で生活されている方はたくさんいらっしゃいます。仮設住宅に4年もの間、住み続けている方がいらっしゃいます。

私自身も、「これから本当に健康でいられるのかな」「将来丈夫な赤ちゃんを産めるのかな」と不安になります。

自分の将来に夢を描くこと、自分の住みたい街に住むこと。すべて原発事故が起こる前は当たり前のことでした。原発事故が起こった今、福島では当たり前のことが当たり前ではなくなっています。

外に出て深呼吸をしても、「今放射能を吸ったのかな」と不安になります。

子どもを外で遊ばせることに不安を感じている子育て世代の方がいらっしゃいます。「ずっと住んだあの家に帰りたい。避難先では近所の人とも別れてしまったから話し相手もいないの」と毎日仮設住宅で一人暮らしの高齢者の方がいらっしゃいます。孤独死のニュースもありました。

原発事故の問題はあらゆる場面において深く根を張っていて、4年経った今もたくさんの方に影響を与えています。

私の考えが大袈裟と感じる人もいるかもしれません。人それぞれ考えは違います。ということは「人の数だけ不安がある」ということではないでしょうか?

あの日から原発事故のことを考えない日はありません。ふとした瞬間に考えたり、誰かの状況から考えたり。

今でも、地元のトップニュースは原発事故のことです。それでも、4年という時間の中で全国的な報道は減り続けていて、福島の事故のことがどんどん風化しているように感じます。

避難されている方のことがクローズアップされて報道されたりもしていますが、同じくらい福島に暮らすことを選択し、生活されている方はたくさんいらっしゃいます。

福島に暮らすことが幸せ。

福島を離れて放射線の不安から離れることが幸せ。

一人ひとりの幸せがあります。

それを尊重して欲しいです。

頭ごなしに、「危ないと言われている土地に住んでいるから病気になっても、自己責任でしょ」。

そういうことではないと思います。

一人ひとりが笑って暮らせるように、お互いの思いを尊重しあえたら素敵だと思います。

これまで偉い人がたくさんの原発を作ってきました。私は正直、事故が起こるまでそのことに疑問を持っていませんでした、しかし事故が起きて考えるようになりました。全国でもそのような人が増えているのではないかと感じています。

ぜひ全国の皆さんにもこの問題を自分の問題として考えてほしいです。原発がある限り、地震が起こる限り、どこで起こってもおかしくない出来事です。

難しいと思ったら想像してみて下さい。もし、自分の地元が今の福島のようになってしまったら。突然自分の家を離れて暮らさなくてはいけなくなってしまったら、と。

みんなで考えて答えを見つけながら歩いて行くこと。現状を変えていく大きな力になると思います。

震災から4年間、本当にたくさんのことを感じてきました。

今回お話ししたこともごく一部です。辛くて、「もう嫌だ。夢なら覚めてほしい。なんで福島なんだろう」と、そんな風に考えてしまうこともありました。それでも、機会を頂いて全国の皆さんにお会いして、福島に思いを寄せて下さっていることを感じることができると、「また頑張ろう!」と思うことができます。みなさん一人ひとりの存在がエネルギーになっています。

私はこれからも福島から福島を。福島で感じていることを伝えていこうと思っています。

みんなが笑顔で安心して暮らせる世の中に。核の力に、原発の事故に不安になることがない世界にしていきたいです。

一緒に歩いて行きたいです!

みんなで一緒に頑張りましょう!

 

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【平和行進】南相馬市小高区を行進-福島県浜通りコース

小高目抜き通り

▲人気のない目抜き通りを行進

2014年原水爆禁止国民平和大行進・福島県浜通りコースの2日目の6月23日は、相馬市松川浦を出発し、相馬市内、南相馬市内を行進しました。

南相馬市小高区では、震災前は町一番の繁華街だったJR小高駅から続く商店街を行進しました。人通りはまったく途絶え、傾いて倒壊寸前の建物や、商品の学習机や本棚が将棋倒しになった家具店などが残ったままです。昨年4月に警戒区域の指定は解除されたものの、日中の立入はできますが、今も居住・宿泊はできません。

行進後の交流会では、南相馬の渡部市議、地元実行委員会の方々から、3年後も仮設住宅の生活を続ける住民の苦悩と現状を聞くことができました。南相馬市役所では、市長代理と懇談し、平和行進への支持・賛同と、原水爆禁止世界大会への桜井勝延市長の出席を要請しました。

▲南相馬市役所での要請の様子

【平和行進】もうがまんできません!生活と生業を取り戻そう!核も原発もいりません! 2014年被災地平和行進(福島)ツアーに参加してください!

平和行進福島支援行動チラシ

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【被災60年】2014年3・1ビキニデー福島県原水協・石堂祐子事務局長の発言

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2011年3月11日の東日本大震災そして東京電力福島第1原発の爆発事故からもうすぐ3年が経とうとしています。いまだに放射性物質は放出され続け、何億ベクレルという汚染水が地下水や海に流れ出ています。安倍総理は「汚染水はコントロールされている」などと言っていますが、まったくのでたらめです。事故は収束などしていません。メルトダウンした燃料棒がどんな状態になっているのかさえわからないのに、収束宣言を出した政府に憤りを覚えます。事故の処理を東電に任せきりにせず、国の責任において本気で世界の英知を集め、この難局を一日も早く乗り切って欲しい。まだ15万人がふるさとに帰れず、たまに様子を見に帰る我が家は、ネズミやイノシシなどに荒らされとても住めない状態になり、苛立ちと絶望を持ち帰る日々が続いています。小さな子どもを持つ親は子どもが成人しても放射能の影響を心配し続けねばなりません。また補償金をもらっても避難を余儀なくされ、仕事もなく生活の見通しが立たずに暮らしている人たちへの冷たい視線もあります。このことは、広島、長崎、ビキニ事件の被害者と全く同じです。放射能は、心やからだの健康だけでなく、地域のコミュニティを壊し、家族がバラバラにされ、人々が大切にしてきた日常のささやかな幸せを奪うものなのです。核と人間は共存できないことを私たち福島県民は身を持って証明いたします。

さて2月25日、原子力関係閣僚会議が「エネルギー基本計画」の政府案を決定しました。原発を「重要なベースロード電源」と位置づけて原発推進の方向をますます明確にしました。ここには福島原発事故への反省はまったく見られません。福島県復興共同センターは2月25日に政府と交渉をしました。政府から「これまでの『ベース電源』という表現から『ベースロード電源』に変えた」との回答に、出席者からは「そんな言葉遊びは要求していない」「原発はいらないと言っているんだ」と怒りの声が上がりました。いったい私たちが受けた苦しみはなんだったのでしょうか。住民を犠牲にしてもなお原発にしがみつきたいのでしょうか。

また先日おこなわれた東京都知事選挙。原発が争点の一つにもなったこの選挙の行方は福島でも関心をもって受け止められていました。立候補者の一人の田母神俊雄氏は「福島の原発事故で死んだ人はいない」と演説しました。彼は福島県出身です。この発言には福島の多くの人が唖然とし、悲しい気持ちになりました。実際には原発事故の関連死は1600人を超え、津波で亡くなった人の数を上回っています。何より原発の復旧作業に当たっている労働者は、高いレベルの放射線を浴びる作業を強いられています。下請け労働者は危険手当をピンはねされるなど、ひどい状況です。この事実を田母神氏が知らないはずはありません。彼が都知事にならなかったことをせめて喜びたいと思います。

この集会にお集まりの皆さん、新聞に「フクシマ」という文字を見つけたら読んでみてください。テレビで「フクシマ」のニュースがあったらちょっとの間でもいいので聞いてください。この先何年、何十年放射能と向き合っていくフクシマを忘れないでください。

さて、この3年間、福島はただ打ちひしがれてばかりいたわけではありません。福島県議会は事故のあった2011年10月に福島原発10基廃炉の決議を全会一致で可決しました。これは新日本婦人の会福島県本部が提出した請願です。さらに、昨年9月には「原発事故に関連する情報が秘密にされる恐れがある」との危機感から、国に対しこの法案に慎重に審議するようにとの意見書を提出し、全会一致で採択されました。11月25日には福島市で公聴会が開かれましたが、なんとこの公聴会は一般参加の募集はおこなわれず、住民を締め出す形でおこなわれました。7人の意見陳述者全員がこの法案に反対したにも関わらず、翌日国会での強行採決。こんな仕打ちがあるでしょうか。

続いて昨年の12月議会、福島県原水協が提出した請願「核兵器全面禁止のための決断と行動を求める意見書の提出」が県議会総務委員会において全会一致で採択されました。これら3つの請願はいずれも全国に先駆けての採択です。未曽有の放射能被害を被った県民世論が議会を大きく後押ししたことは間違いありません。福島ではかつてなかったこの一連の変化を何とか希望に繋げていきたいと思っています。

福島県原水協は、「原発も核兵器もいらない」「これ以上放射能による被害者を作らない」との願いをこめて、福島県版の「核兵器全面禁止のアピール」署名用紙を作成しました。2012年の原水爆禁止世界大会にも参加された、福島県浪江町の馬場町長さんが呼びかけ人のお一人になっていただいたことは、これまでの運動にはない出来事であり、私たちにとって大きな励みとなりました。福島県原水協は来年のNPT再検討会議までにこの署名活動に賛同する自治体の首長さんをたくさん募り、全自治体での原爆写真展を開催し首長さんと懇談し、署名を広げていく計画です。また、福島県内の「非核平和都市宣言文集」を現在作成中です。まだ「非核平和都市宣言」をしていない自治体にはこの「宣言文集」を配布し、県内全部の自治体が非核平和都市となるよう働きかけていく予定です。

福島県内では今もう一つ、「原発即時ゼロ 子ども・いのち・くらし守る署名」にもとりくんでいます。街頭では「核兵器全面禁止」の署名と合わせてとりくんでいます。福島県内外あわせて100万筆をめざしています。お集まりの皆さんのご協力よろしくお願いいたします。

核兵器も原発も人類とは共存できません。誰かの犠牲の上に成り立つ国益などあり得ません。皆さん、核兵器も原発もない世界を目指し、ともにがんばりましょう。

【国民平和大行進】「原発再稼働は許さない」との三春町長発言に要請した行進団から拍手が起こる

三春町長との懇談

▲三春町役場で鈴木義孝町長(中央)を囲んで懇談する平和行進参加者

2013年原水爆禁止国民平和大行進・北海道ー東京コースの福島県内中通りコース行進6日目の6月27日、三春町商店街を行進し、同町役場を訪問。福島県内通し行進者の田中詔子さん(愛知県瀬戸市)、京都府宇治市から参加の俊正とし子さん、同町内からの参加者など11人が鈴木義孝町長と懇談しました。

懇談の中で、三春町が東北電力の株主総会に提出する予定の要請文について、「原発の再稼働反対」と明記したことを話されました。町長は、当初「再稼働賛成」の要請文を作成しようとした職員に「三春町にこれだけたくさんの人が避難してきている状況で、再稼働はありえない。単に原発賛成か反対かの問題ではない。日本全体の問題でもあるのだからよく考えてみなさい」と言ったことを話されました。この発言には参加者から思わず拍手がわきました。

また、鈴木氏は「原発の交付金に頼らなくても、財政が苦しい自治体だって智恵と工夫、努力でいくらでもやっていける」とのお話しに、「こんな風に信念を持っておられる町長さん、是非がんばってください!」と参加者は大感激。県原水協も、「是非8月の原水禁世界大会へ」と参加を呼びかけました。